[珈琲に託す思い] #シロクマ文芸部
珈琲には深い思い入れがある。
それは長く珈琲の仕事にかかわってきたからだ。そして今も続いている。
一番にいえることはコーヒー豆は農産物であり、豆は大地の恵みから生まれる宝石だ。
その香りや苦みは、大地と人の記憶を宿している。
1908年(明治41年)神戸港から一隻の船がブラジルのサントス港に向けて出航した。その名を笠戸丸という。
日本人ブラジル開拓移民団(781名)は
やがて日本の珈琲の歴史を静かに動かしていった。
苛酷な労働に耐え原生林を開拓しコーヒー農園を広げていったのは、日本人の歯を食いしばっても成し遂げるという強い精神力のたまものだ。彼らの努力が根付き日本とブラジルを結ぶ豆の道を作った。
戦後日本人の荒んだ心を和ましたのはブラジル産のコーヒー豆だった。
やがて日本も高度成長期を迎え
街には喫茶店が軒を連ねた。
文学者、画家、ミュージシャン達の無名時代を支えたのも喫茶店だった。
そこには店主の顔があり、店もこだわりを持ち哲学があった。個が憩える場であり、文化が育つ場所でもあった。
やがて大衆化の波が、恋人たちの待ち合わせ場所、主婦のおしゃべり、サラリーマンの休息場所、生活に溶け込んだ賑やかな
時代を迎えた。
企業もブラジル以外のコーヒー豆の開拓に乗り出し、いわゆるコーヒーベルトと呼ばれる赤道直下の栽培地を切り開いて行くことになる。豆の名前で言えばアフリカ産の
モカマタリ(ハラリ)キリマンジャロ、エチオピア、ケニア。 中米、南米産はコロンビア、グアテマラ、ジャマイカブルーマウンテン、パナマ、ブラジルなどが知られている。
中でも特別に思い入れがあるのがインドネシア・スラウェシ島この島の中央に位置する山岳地帯トラジャ地方だ。熱帯雨林の寒暖差の大きく肥沃な土地はコーヒー栽培の最適な土地であった。日本のkコーヒーはこの地に分け入り自らの力で開拓していった。来る日も来る日も愛情を込めて栽培にあたる従業員達。トアルコトラジャはその心に応え、種子から苗木、コーヒーの木へと成長し、やがてジャスミンに似た香りの花を咲かせた。

その花が咲き終わり青い実を結ぶ、やがて赤い実へと色を変え
ルビーのように美しく色づいたレッドチェリーの実を収穫する。トアルコトラジャはこうして誕生した。

収穫された実は水にさらされ
ウォッシュされ種の部分(生豆)が表れる。この実を天日に干し乾燥させた生豆が各国の港から運ばれる。
現在の日本はシアトル系コーヒーチェーン、スターバックスのような大きく切り開いたガラス窓や高い天井、気持ちの良い空間で教育された店員の画一的なショップが人気だ。
街の個人店はも早絶滅危惧種となった。一方で古民家を利用して個性な店も誕生している。
コーヒーマシーンによるアレンジコーヒー、豆に特化したスペシャリティコーヒー(農園指定の単一豆)店のあり方も多様化してきている。
人々の暮らしの句読点としての珈琲であり、安らぎや癒しの媒体として、そばにあり続けて欲しいものだ。
コーヒーを産出する国々は世界でも最貧国と呼ばれている所が多い。気候災害や紛争などで状況が左右される。
エシカル調達(ethical sourcing
人と自然に正直な方法で原料を取引をすること
つまり、生産者の生活や社会を維持し適正売買で豆の取引を行うことだ。
農園主が小作人に過重労働をさせない枠組みを作った。
安定した生産は働く人達の幸せに直結する。
今飲んでいる1杯のコーヒーが
ある国の子供達の未来を照らしているとしたら、また違った意味で深い味わいがすると思う。
世界の貧困とコーヒーはつながっている。
例えば、マンデリンの豆を買ってみる。豆の中にフローラルな香りやナッツの味わいを感じてみる、気に入ったら何処の産か調べてみる。その国を想像してみる。
コーヒーもまた寄り深いコクとなってあなたの喉元に届く、
どうですか?
コーヒーの歴史も踏まえて より良い世界が実現しますように
少し大袈裟ですが、
これからもコーヒーよろしくお願いします。

終わり
ここまで読んでくださりありがとうございます。これからもコーヒー愛してくださいね。
