偏愛それは抱きしめたいひと
「好き」の引き出しを開けると、ころころと転がり出てくる。
仏像、ハーブオイル、焼き物、苔玉…、その時々で夢中になったものは数え切れない。
けれど「好き」と「偏愛」はちがう
熱病に取り憑かれたように、何年も心を奪われ続けた人はただ一人。
向田邦子である。
この恋に終止符を打とうと思ったことがある。春秋社版「向田邦子全集」全三巻を買ってこの思いを終わりにしょう、そう思った。
私が向田邦子を初めて知ったのは、
昭和56年8月19日の午後、ワイドショーのニュースだった。
台湾で起きた飛行機事故。
テレビはその事故で亡くなった脚本家 向田邦子の話題で持ちきりだった。
「この人がそんなに凄い人なのだろうか」
画面に映る彼女を見た私は正直
少し気難しそうな顔の人という
印象しか持てなかった。
ところが「寺内貫太郎一家」だけは夢中になって見ていた。
沢田研二のブロマイドを腰をかがめて見つめながら
「ジュリ──ッ!」と身をよじる
寺内きん。
あの場面は、今でいう「推し活」の元祖ではないかと思うほど可笑しく、何度見ても笑ってしまう。
「あのドラマを書いたのがこの人なのか」
そう知った瞬間から、私の向田邦子への興味は静かに始まった。
エッセイ、小説、旅行記、食いしん坊エッセイ全ての作品をむさぼるように読んだ。
だけどもう追わないと
私の中ではとっくにけじめを付けたつもりでいた。
ところが平成14年、妹和子さんが
『向田邦子の青春、写真とエッセイでつづる姉の素顔』を出版した。
遺品整理をする中で見つかった書簡が一冊の本となった。
私はその本を手に取り、一ページ、一ページゆっくりと読み始めた。
気がつけば、涙が止まらなかった。
「こんなにも愛おしい向田邦子がここにいた」
写真の中の彼女は、柔らかな陽射しに包まれて思わず微笑みたくなるほど美しい。その瞳の奥には、最愛のN氏が向けるカメラのレンズが映っていた。
一途な愛があった。
向田邦子の作品には随所に父や母
家族の面影が見えていた。
しかし恋愛を描く文章だけはちがう
これは想像だけでは出来ない身を焦がすような恋をしった人が書ける文章だ。
相手は誰なんだろう
久世光彦さんか──。
いや、もっと静かで、もっと献身的な愛だ。
そう思いながら読み始めていくうちに、胸につかえていた謎が解けていた。
『父の詫び状』に描かれた父敏夫の死
密かに愛を貫いたN氏の突然の死
和子さんの文章に触れたとき
私の中で向田邦子は、憧れの作家ではなく
抱きしめたいひとになった。
偏愛とは 美しいものだ。
そして気付けば それは私の身体の一部となった。
好きの引き出しを開ければ
箱の一番奥で静かにとどまっている
宝物
それは まちがいなく
偏愛であった。
了
かぜの帽子さん
締め切り間近にやっと書きあげました。好きな人のことを書くのは
恥ずかしい。それに力が入りすぎて
読み返して「恥ずかしい~!」
抑えきれない思いの半分で納めました。
