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子どもを消費者にする流れが強まっていることへの懸念

夏休みも終盤を迎えている。この10年で中学3年生の夏休みの過ごし方は急変した。とにかく数多くの高校見学に行く。私の塾でも夏休みの間での高校見学は平均6校を数える。
最も多い生徒で10校。夏休みの宿題は激減して20時間ほどで終了する。高校見学は行き帰りも含めると大体4時間くらいなので、宿題の倍の時間高校見学に行っている計算になる。

ちなみに私は10月に公立高校1校と11月に私立高校1校に行った。当時は体育館で先生方の話を聞いてスライドを見て学校内の認められた場所を自由に20分ほど見て解散だった。パンフレットも簡素なものを一部もらうくらいだった。
しかし今は至れり尽くせりである。理科の実験を一緒に行ったり授業の様子を見学したり(夏休み中なのに高校生は大変だ)、部活動の練習に混ぜてもらったりする。そして山ほどのパンフレットや過去問などをもらってくる。私立高校の方がサービスは良いが、公立高校もこの3,4年で大分進化した。そしてパンフレットにはFBやインスタやYouTubeのQRコードが載っていたりする。在籍生にも協力してもらいながらとにかく見学にやってくる中学生をもてなす流れになっている。

この変化を「良い変化」と捉える人は少なくない。しかし私は違和感を覚える。多くの中学生が「自分の学力を高めること」よりも「自分に合った(合わせてくれる)高校を選ぶこと」に注力しがちだからだ。帰ってくる塾生たちが話す内容は「A高校のこういう所がクソだ。B高校はこういう所で自分の気持ちを害した」などが先に来る。当然プラスの部分も口にはするが、人間なのでマイナス面が多く語られる。どこかで似たような構図があるなと思ったらマッチングアプリだ。マチアプで意中の相手を探すように高校を物色する。自分の魅力を上げるのは二の次である。自分を快適に扱ってくれる負荷の少ない高校を選ぶ=現代の消費者として高校選びをしている。

SNSの保護者垢をみてあまり良い感情を抱かない。それは「わが子に合った中学や高校を選びたい」という欲が強すぎると感じるからである。「わが子をどんな環境の学校に送っても大丈夫なように育てる」という思想が消え去ってしまった。私の中学の恩師がよく話していた。「できる奴はどこの高校に行っても楽しんでくる。ダメな奴はどこの高校に行っても『つまらん!』と言う。できる奴、幅の広い人間になれ」
リアルにはそういう親御さんもいるが、やはり減少しているのは否めない。とにかく「わが子に合ったわが子が快適で幸せな」ばかり望む風潮は異様に映る。

長男の小学校の卒業式。式を終えて息子を含む20人くらいの男子が集まっていた。そこで一人のお母様が「ここにいるみんなで写真を撮ろう!」と言って撮影が始まった。そのお母様はとても気さくな方で「写真を撮るけどその前に『みんな中学校の生活は楽しみかな?』」と聞いた。そこで帰ってきた答えが「楽しいかどうかは分からないけど、俺らが楽しくする。俺らが入学するんだから絶対楽しくなるに決まってる。日本で一番楽しい中学にしてやる!」のようなことを次々と数人が発して拍手が起こった。
私もスマホで撮影しながら「その気概があるなら立派に中学生でやっていけるぞ!」というと何人かが「オー」と拳を突き上げた。あれから1年半「日本一」楽しいかどうか分からないが、先日も37℃くらいある公園でその時のメンバーに近い構成の20人余りが一緒にサッカーをして遊んでいた。市民祭りでも私の顔を見て挨拶をしてハイタッチをしてくる子も何人かいた。

「学力云々は分からないけど、地方の郊外で立派に一人の生産者として生きているな」と感じた。
そう自分たちで良い学校や良い遊び場、良い祭りを作っていくのが十代中盤の役割である。そういう意味では彼らは生産者の側面を持つ中学生をやれていると思う。しかし現代はやたら消費者として振る舞う場面が多い。そして二言目には「金を払っているのはコチラだから」である。それでは地域や社会が衰退するのは明らかである。
行き過ぎた高校見学や大学のオープンキャンパスのサービス合戦はそれを助長しているように見えてならない。


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