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贋作師ベルトラッキ

天才贋作師と呼ばれる人である。NHKの未解決事件のファイルで初めて聞いた名前だ。色々な意味で考えさせられる存在だった。

扉絵の画像は、とある企業の主催する美術館がつかまされてしまった、モンパルナスのキキ というベルトラッキの絵画。当初キスリングの手によるものとされていた。

ベルトラッキの詐欺の手法は、ピカソやフェルメール、ゴッホなど、それこそ1枚で数十億の値がつくクラスの画家を狙わない。専門家により研究し尽くされ、贋作も描かれることの多い、この層はスルーして、その下方の層の画家を狙う。そういう画家の、そういう絵が描かれたという記録は残っているのだが、例えば戦時中の混乱で現物が行方不明になっていて、具体的なサイズと所蔵者等の情報が曖昧なものを狙い撃ちする。

そして、画家が描いた絵をそっくりそのまま模倣するのではなくて、画家の絵のスタイルや履歴を参考に、ベルトラッキがその画家になりきって、自分で構図と色彩を考えてオリジナルの絵を描くのだ。

モンパルナスのキキをつかまされてしまったキュレーターの方が悔しそうにぽつりぽつりと話す。私はそれを、やはり絵を見た瞬間に美しいと感じたと、そういうことなんだろうなと解釈しながら見ていた。というのは自分も、この扉絵のモンパルナスのキキを見て、美しい絵だなと思ったからだ。

この絵が美しいということは、ベルトラッキも思っていて、全く悪びれていない。番組の中では、どういう趣向なのか偽物をつかまされた被害者側のキュレーターと、服役を終えて現在はスイスにいるというベルトラッキ本人のオンライン対談が実現する。

対談の中で、あなたはキスリングを愛する人たちの心を踏み躙ったと、半ば泣きそうになりながら迫るキュレーターにベルトラッキはこういう。

僕にとってはこれは今もキスリングの作品なんだよと。

そして、ニコニコ笑ってるのだ。

この対談の様子を見ながら、私は古い映画を思い出していた。羊たちの沈黙である。レクター博士とクラリス捜査官の話す姿と、キュレーターとベルトラッキの話す姿が重なる。

絵を愛し、絵を生み出す画家を愛し、まっすぐで純粋なキュレーターの人に私はテレビの画面越しに話しかけたかった。穏やかで知的に見えて、でもね、その男は、犯罪者なんですよと。静かに狂っている人と純粋でまっすぐな心を持つあなたが会話なんてしなくていいよと。

それで、自分ならこの開き直った贋作師とどんな会話を交わすだろうか、と夢想してみる。

ベルトラッキはきっとこういうことを思っている。誰が描いたって綺麗なものは綺麗なんだから。まず絵を見て綺麗だと思ったのなら、それがキスリングが描いたものでも、ベルトラッキが描いたものでも変わらないだろう。まず絵そのものの美しさがあって、その後に誰が描いたかということがついてくる。それなのに世界は、誰が描いたかということが先に立ち、有名な人が描いたと分かってから始めて、それなら見てみようかというふうにできている。名前が先にあって、作品が後ろに続くのだ。

それが間違ってるんじゃないの?
とベルトラッキは思ってるんだと思う。

アートとは本来、作品が全てだろ?それ以外に何がある?

少女と白鳥、カンペンドンクの作品とされていた

少女と白鳥もまた、日本の美術館がつかまされてしまったベルトラッキの贋作だ。

モンパルナスのキキに引き続き、この少女と白鳥もまた、なかなか綺麗な絵だと思った。嘘ではない。

それから、自分なりにとくとくと、ベルトラッキの罪について考えてみた。
彼は、この世界で、絵を見ていると言いつつ大半の人が、自分の目ではその絵を見ずに、信頼ある権威がその画家を認めたら、その信頼にのっかって絵画を見ている。つまりは他人の目で絵を見ているといってもいいわけだ。

そのカラクリに対して大掛かりな犯罪を仕掛けて、大いにその犯罪を楽しんでいたのだろう。

これを別の角度から見ると、本物の画家が自分の足でコツコツと山を登り、やっと頂に立ったというのにそこにベルトラッキがヘリコプターで突然現れる。そして、画家の人生を盗むのだ。

贋作というのは、ゼロから闇の中を、報われるか報われないかわからないまま歩き続けた人の人生を横から盗む行為だと思う。表面的なものを準えて、名前を借用し、画家が長い時間で培いやっと手に入れたものと同じものを、簡単に手に入れてしまう。

でも、見ている方は、わからなかった。キスリングの描いた本物とベルトラッキの描いた偽物を区別できなかった。

ベルトラッキのしたことが いいか悪いか で、このことに決着はつかない。できたかできなかったか の方に重点を置きたい。できてしまった。そして、社会の一部は彼の鮮やかな犯罪手腕に明らかに感心しているし、いわば、かなり奇妙なセルフプロモーションだったと言えなくもない。もちろんここでも私は このことが いいか悪いか を一旦外して考えているのだ。

ベルトラッキは、時効になった大半の贋作事件では罪を問われず、そのほんの一部の14件だったと思うが、14件で訴追され、すでに服役を終えた。そして、目をキラキラさせながら悪びれずにNHKの取材に答えているのだ。

罪に対する罰というのは、本人が悔い改めてやっと意味がある。自分がやったことをこれっぽっちも悪いことだったと思っていない様子を眺めて、彼の罰は全く始まっていないとこちらも思うばかりである。

ただ、悔し紛れに一言、呪いというか恨み節のようなものを残すとすると、現在彼は、かなり奇妙なセルフプロモーションの末に、自分の名前を売ることに成功したわけです。それで、とうとう自分の名前で絵を描いているそうだ。

その彼の名前による絵が、彼の贋作につけられた絵の値段を超えるだろうか?願わくば、世間がこれ以上稀代の贋作師の絵に喜び、大枚をはたくことのないようにと思う。

他人の人生を盗んで有名になった人。こんな人、ベルトラッキだけではないのかもしれない。でも、それではオリジナルにこだわり、汚れることのない魂のままで馬鹿正直に生きている人々が浮かばれないではないか。

他人の人生を盗んで絵を描いている人の絵が、汚れのない魂で絵を描いている人に勝たない世の中であってほしい。贋作師の絵を見て、自分も綺麗だなと思ったことは否定せず、しかし、いい絵だなと思った後にこんなに複雑な気持ちになったのも初めてである。

絵を盗まれ、すでに故人である皆様の眠りが安らかでありますように。バカなことをする奴もいるものだなと笑っていてほしい。

汪海妹
2025.01.06


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