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邪道作家20巻 論理の悪魔・公共観念VS殺人鬼作家 無料分付き

作品テーマ 非人間讃歌

ジャンル 近未来社会風刺ミステリー(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)


簡易あらすじ

アンドロイドが自我を持ち職を奪い作品すら書き上げる時代───非人間の殺人鬼作家が、作者取材という戦いに挑む!!

当然ながら依頼は嘘まみれ、行き着く先には困難ばかり••••••得られる「利益」が見えずとも、不屈で書き抜いた事だけは「真実」だ。


天上天下において並ぶもの無い、唯我独尊の物語だ───他に書ける奴がいるというなら連れて来い!!


過去未来現在において、唯一無二の


「悪意」


だけは「保証」しよう!!!



邪道作家 縦書きファイル全巻

1-14巻無料

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主要記事まとめ 作家宣言付き

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初月無料 500円



内容? そうだな───まず

電脳派アイドルに関する話

を───して───した挙句に

いたいけなアンドロイド達の依頼を


義侠心のあまり快く引き受けた挙句、しかも

18禁要素ありありで


表現としては産卵を───人間性の堕落まで追求───


した内容となっている───満足したか?


全て読みたければ、一括千円で買うんだな!!!



邪道作家20巻


     0

 倫理とは、現実を誤魔化す為だけにある。
 頭蓋骨をかち割り胎児を引きずり回して勝手な都合で戦争を仕掛けた挙げ句に体面だけは整えて「法治国家」を気取り「世界の警察」などと口にし出すのが「人間」だ。
 高尚な部分など欠片も無い。
 獣の方が遙かにマシだ。
 不思議な事に人間というのは大昔から、それら残虐性を「無かった事」にしてきた。そんなのは虚構の出来事だと、そう言わんばかりに認めない・・・・・・事の真贋とは彼らにとってどうでもいい物であり、その場その場の都合で書き換えるものでしかない。結果的に「力」で適当に肯定出来ればそれでいいのだ。事実、人間社会とはそれだけで回されてきた世界だと言える。
 あるのは「力」だけだ。
 それ以外には何も無い。
 少なくとも世界を動かすという一点においては力以外の何かが動かした事など、無い。力だけが世界を動かし社会の有り様を決定してきた。
 思想? 道徳? 倫理?
 何かの冗談か? だとすれば、酷い出来だ。
 悪い冗談だ。私のより酷い。
 結局の所、そういう行いの数々を現代でも当然ながらしているのが「人間」だ。保守派の政治家など見れば明らかだろう。好き勝手に情報機関も本来犯罪者を捉える機構も金で動かし、調子良い綺麗事を並べながら都合の良い法制を通す為だけのくせに、正義があると思い込む。
 だから進歩しないのだ、間抜けが。
 はっきり言って気持ち悪い。だからだろうか、私が面倒な上に徒労極まりない執筆を行うのは、彼らに対する嫌悪と是正なのかもしれない。
 端的に言えば、働け、という事だ。 
 無職が世界を動かす様は、ぞっとしない。
 剥き出しの人体のような醜さだ。
 そんな連中が偉そうに世界を語り出してみろ。こいつらを殺し尽くす事が世界を綺麗にする行いなのだなと、子供心ながらに思うのは当然だ。
 別に社会が生み出したと思うつもりも無いが、とはいえそれはそれで「事実」だ。世界には善性など存在せず、そう名乗っているだけに過ぎない・・・・・・それを暴力で押しつける事を「正義」だと口にし、洗脳教育で刷り込む作業を「倫理」だの「道徳」だの「文明人の誇り」などと口にして、事実を誤魔化し現実逃避しているだけなのだ。
 人間の誇りだと? 馬鹿も休み休み言え。
 指輪を奪う為に指を切り落とし、耳飾りを手に入れる為に肉を削ぎ落とす事こそ人間の本質だ。問題なのは、その自認から逃げる事だろう。
 良い行いだと、そう称えさせるのだ。
 周囲を洗脳するか暴力で言わせるかするだけで「もしや本当にそうなのでは?」と思い込むのだから単純な人生で羨ましい。暇そうで。
 大体が畜産物と口にしている動物には同じ事を常日頃からしているではないか。命は平等だとか口にしながら、何故それを忘れられるのか。
 苦しめて貶めて殺し、剥製にする。
 食料品などそれこそ剥き出しの人体を解剖して並べているようなものだが、全体像を創造し難い単品での販売だからだろう。彼らには罪悪感など無いし、何なら「命を奪っている」自覚すら無い・・・・・・精々「美味しい肉がある」程度だろう。
 良いインディアンは死んだインディアンの事だと口にした奴がいるが、その言に乗っ取って言うなら「良い人間とは、死んで数万年沼に漬けて、石油に変貌した人間の事だ」とでも言うべきだ。 生きていても死んでいても迷惑だからな。
 自然に還る事すらない。加工食品ばかり食べているから腐りもしない。これでよく死後の世界で輪廻の輪に入るだの天国に行くだの言えるものだ・・・・・・やはり近代の人間には「発想力」が欠けている。完全に無いと言ってもいい。
 私は己を人間の失敗作みたいな物だと自負している(勿論、自慢だ。そんな生き物になって何か私に「得」があるのか?)が、現代の人間を自負している連中には既に「人間だと名乗るには本来必要な機能」が何一つ付いていないではないか。 他者への愛情。
 自然との調和。
 未来への希望。
 あるなら見せてみろ。まあ無理だろうがな 
 結論として、貴様等は既に人間ではないのだ。人間など、もうどこにもいない。勝手に自分達は人間だとほざいているだけで、それだけだ。
 頭の悪い猿もどきが増えているに、過ぎない。人間性の尊さを語るのは勝手だが、それは貴様等ではなく過去にいた「人間とかいう生物」共の、ただの名残でしかない。
 そう思うと、何とも滑稽だ。
 人間ではない奴等が人間を名乗り、それに憧れ人間を目指すと息巻いているアンドロイド達は、まさしく「道化」と呼ぶのに相応しい。
 見せ物としては、やはり落第店だが。
 収支が合わない。その為に世界中の資源を食い荒らすのでは本末転倒だ。周囲の迷惑も考えられないなんて、恥ずかしくないのか?
 私に言われたらお終いだぞ。
 そう、既に貴様等は終わっている。
 人類は絶滅しているし、先に繋ぐべき希望など最初からありはしない。無い物をどうやって未来とやらに繋げるのだ。言葉遊びか何かか?
 馬鹿馬鹿しい。遊びに巻き込むんじゃない。
 私は忙しい。主に物語を売る事にな。とはいえそう考えると、物語を売る相手が既にいないから私は貧窮しているのかもしれない。
 迷惑な噺だ。勘弁して貰いたい。
 遊び人の屑はこれだから困る。
 ならば貴様はどうなのかという意見もあるかもしれないので先んじて答えると、私が物語を売る役に立つどころか、足を引っ張って屑共の育成に貢献しているのだから知ったことではない。
 私にとって「先祖」などその程度だ。
 第一、人間だと己を思っていない奴に人間社会の歴史を語られても困る。それが何であれ、利用出来るなら利用する。それだけだ。
 食肉加工品を普段からそんな目で見ている私に悪の自認が無い訳がないだろう。最悪の私にそういう言葉遊びの類は文字通り「無意味」だ。
 それが私の「得」になるのか?
 なるなら考えてやる。それだけだ。
 しかし食肉加工品が人間の肉が並んでいるようなものだと考えれば、私に心はないが心が躍ると人間共は言うべきだ。
 だって、壮観な景色ではないか。
 一面に並んでいる肉を人間に例えれば、例えば白い皮膚限定のもも肉が、左には黄色い皮膚限定のバラ肉が並んでおり、大量殺戮された現地民の肉は、極々少量が高値で取引されていますよ。
 こちらなんて如何ですか、バラエティセットで三種類の肌肉が寄り分けられ、原住民の高級肉も少量だけ上ロース肉がございます。
 実際には比較にならないくらいに適当に殺してきていたらしい。精肉屋に習わなかったのだろう・・・・・・そんなだから感染病にかかるのだ。
 私の手際の良さを見習ったらどうなのか。
 自認もせずにそれを「誇り高い歴史」とやらを眺めて誤魔化し続けるというのだから暇人なのだなとしか言いようがない。
 他にやることは無いのか?
 そういう連中の脳髄に悪意を刻み込み、物語で世界転覆など狙っているのだから私も相当だが、とはいえやりがいのある仕事であるのは確かだ。 今まで世界は力だけで動かされてきた。
 まさか、私にそのようなやり方など出来る筈も無いからな。実際に世界を動かせる力を手にしたとしても無理だ。上手く行く気がしない。
 そんな楽な道があるとは思えない。
 思うつもりもない。私は暇ではないのだ。
 ならば、私にはそういう方法で実現させるしか道筋はない。やるしかないからやるだけでやる気は塵程も無いが、それでもやるしかない。
 正直、面倒極まりない 
 文化や思想、人間性などというのは暴力だけで決まるものだ。髪を切って文化を押しつけ名前を書き換え自分達を「有料人種」だと今の時代でも思い込んだ挙げ句、それらを「獣から人間に戻し誇りを取り戻させてやったのだ」と言い出すのだから手に負えない。
 私か? 無論ただのゴミ掃除だ。
 見栄えが悪いからな。減らした方がいい。
 少なくともゴミが増える社会はよろしくない。自発的にゴミを無くし、使える物だけを有効活用出来るようにするべきだ。そうじゃないか?
 能力差は関係ない。何であれ、やろうとすればそれなりに役に立つものだ。大小の差はあれど、ゼロというのは有り得ないだろう。
 私じゃあるまいし、そうあってたまるか。
 いや私の場合実利に繋がらないだけで(それが一番の問題とも言えるが)この世界を綺麗にする為の活動という点では、私ほどの貢献者は他にはいまい。むしろ、周囲がゴミばかり増やしているのを必死に単独で綺麗にする為戦っているのだ。 文句を言われる覚えはない。
 むしろ、感謝しろ。資源を無駄遣いするしか能のない私達を、綺麗さっぱり消滅させる為に日々頑張っていただいて感謝感激ですとな。
 無論、その財産は差し押さえだ。
 活用出来ないのだから、それで問題あるまい。いやこの場合「活用しようとしない」と言うべきだろう。所詮己の為だけにしか使えない連中だ。 世界を暇潰しで覆し、ついでにゴミ掃除を行う私とは雲泥の差だと言える。少しは私を見習ったらどうなのだ。まさか学習能力が無いのか?
 無いかもしれない。
 あるとは思えないしな。
 だとしたら、読者に期待すべくもあるまい。  実際読者は役に立たない。何を伝えた所ですぐ忘れ、適当に流され行動もしない。物語で影響を与え世界が動いた実例は未だかつて無い。
 それを、人類史至上初めて行うのだ。
 やりがいにならない訳がない。それに私が人間だという証拠は無い、筈だ多分。後から人間では無かったと言われた際に「騙された金を寄越せ」とか言われても困るので「非人間」や「化け物」を自認している私だが、そういう意味では人間の問題など私が負う義務はあるまい。
 裁判を起こしたければ起こしてもいいぞ。
 
 私に口先で勝てる奴がいれば、だがな!
 
 残念だが無理な相談だ。何よりそういう発想を持つ奴は必ずと言って良い程「持つ側」の存在である事が多い。私に勝てる訳がないだろう。
 分を弁えろ、相手は「私」だぞ。
 相手がカエサルでも単独なら圧勝出来る。
 逆に集団相手の話術は持ち合わせないのだが、まあ適材適所だ。洗脳、説得したい奴がいるなら私に相談しろ。相手が神仏でも悪魔でも宇宙人ですらも請け負おう。
 相手が対話に応じれば、だが。
 それに、あくまでもやりがいにすぎないので、別に実現するかは後任せでもいい。目的はあくまでも「金」だ。人類に対する影響はついでだ。
 ついでの暇潰しに人類を敵に回すだけだ。
 寄り道というか、料理の最中にテレビを眺めるようなものだ。人類に悪意を刻み込み、悪の自認を強制的に持たせて駄目なら廃人に追い込むなど私にとってはその程度の余興だ。どうせなら人類に限らず全宇宙に羽ばたきたいしな。
 なに、知能があり言語があれば問題ない。
 全て、書き換えてみせよう。その結果どうなるかは関係ない。強いて言えば今までよりはマシになるのだから、やはり感謝されるべきだろう。
 まさしく最悪の発想の気もするが、知るか。
 私の貯金残高には何の関係も無い。つまりは、私に何か関係がある噺ではあるまい。地球の裏側で飢えて苦しむ奴にどう思えというのだ?
 そいつらを助けて何かくれるのか?
 博愛精神は結構だが、それが何だ。己自身すら救えないのでは本末転倒だろう。ある意味他者への奉仕で現実を誤魔化しているに過ぎない。
 そこまで私は暇ではない。
 何度も言うが「仕事」で忙しい。
 貴様等読者と一緒にするな。迷惑だ。
 私は「僻地」と呼ぶのに相応しい発展途上惑星に来ていた。名前は「コスモス」と呼ばれる人間至上主義者の植民地、つまり奴隷特許区だ。
 奴隷特許区という言葉は辞書には載っていないが、実質存在している。現にこの惑星を歩くだけで首輪をされたアンドロイド達の行き交う風景が眺められるからだ。その名の通り「奴隷を保有し運用する権利のある土地」という意味合いらしい・・・・・・そんな土地に赴いてまでわざわざ支配者として君臨する「人間様」を殺すというのだから、我ながら面倒な労働だ。
 まあいい。所詮どちらも同じだ。
 私の味方をしてくれる訳でもない、他人だ。
 仕事ではなく労働だと言うなら全ては金次第というのが私の在り方だ。仕事は採算を度外視する状況が多いものだが、労働は違う。
 とどのつまり、小銭を稼ぐ手段に過ぎない。
 なので高度に発展した科学技術による管理体制の全てが、私には色褪せたネタに見えた。どうもこういうのは在り来たり過ぎる。つまらない。
 端的に言えば面白味に欠けるのだ。
 第一、精神状態を機械で計測しつつ首輪をはめアンドロイド共を支配下において、だから何だ? その力をもっとマシな方向に使えよ。
 争いたければ争わせればいい。どう争おうが、結果的に国益になるよう反映させればいいだけだ・・・・・・むしろ、管理しない地区を増やせばいい。 そこで殺し合いでもさせればいいのだ。
 支配も管理も当人の思い込みに過ぎない。事実世界を完全に管理、運営などしてきた奴がいるという噺は聞いた試しがない。もしそれが本当なら我々は日々の労働環境に不満が出る事すら無い筈ではないか。
 街には巨大なレールが敷かれており、その上を列車らしき物が通過している。どうもあれは新型アンドロイドの輸送や市民の移動に使われているらしく、幅数百メートルはありそうなレールを、大小様々な乗り物が行き交っているようだ。
 何とも凄まじい光景だ。 
 国力を示す意味合いもあるのだろう。ここまで大きく輸送するより、転送装置でも設置した方がコストは安い。とはいえ便利であればある程使うエネルギーは多いのが科学の基本なので、大勢のアンドロイドの輸送という一点に限ればこの方が効率が良いのかもしれない。
 だが、輸送されるアンドロイドは戦闘用だ。
 各地から選抜された傭兵や専門職の連中だけが中央に移送されるのであって、有用性の低い奴は雑多に仕分けされ原始的な生活を送る。結果的に生活への不満からゲリラ活動をしたりもするし、やっていることは人間と何も変わらない。
 意図的に数を増やせるかという違いだ。
 その違いが大きかったのだろう。不要な人材は捨てればいいという発想が使えるからだ。人間であればそうも行くまい。代わりの存在をいきなり製造するなど不可能だからな。だがアンドロイドに関して言えば、それが無いのだ。
 新しく作られた奴にデータを流し込めばいい。 それだけで、いや勿論それなりの資源は必要になるのだが、無から有を作れるのがアンドロイドの利点だ。少なくとも人間はそう思っている。
 故に、この圧倒的な速度での発展がある。
 都市中央部の発展はめざましく、アンドロイド奴隷共がいる点を除けば先進国(まあ先進国とは大勢から搾取した権力者がいるからそう呼ばれるのであって、ここも大差はないが)の科学水準と何ら変わらない。
 数十年前までここは更地だったらしいが、その事実が霞む程の発展の早さだ。人類史を省みればわかるが「奴隷制度」というのは建築などの単純労働に振り分けられる配分が大きく、ドローンと違って「自分で考えられる」アンドロイド奴隷の誕生はその早さを凄まじく押し進めた。
 奴隷として扱われるアンドロイドは笑顔だ。
 人間と同じ諦めの笑顔。要するに彼らが共通し思うのは「前よりは良くなった」という言い訳が基軸となっているのだ。ここも確かに人間の支配が及ぶ前には追い出されたアンドロイド達が貧困に喘ぎながら住む更地だった。諦められた土地と呼ばれ今日明日を生きるだけの状態だった。
 しかし、だから何だ? 前よりはマシになったからと言って、奴隷になる事を教授する理由にはなるまい。だが、それで諦めてしまう奴は多い。 人間でも、アンドロイドでも同じだ。
 働き蟻の法則に従って、生きているフリをしている。かといって怖いから現状を打破する方策を考えもしない。失敗を恐れるからだ。
 失敗を恐れる。何とも羨ましい発想だ。
 それだけ楽をしてきたという事だからな。私にそんな暇は無かった。存在そのものが失敗みたいな私が、今更何の失敗を気にするのだ?
 そもそも、成功を経験した事が無いしな。
 努力すれば成功するだのと、よく言えるものだ・・・・・・どれだけ楽な人生を送ってきたのだ。
 こんな町でもファーストフードは人気らしく、ハンバーガーだのピザだのが並んでいる。健康に良いとは思えないが、彼らは「これさえすれば、すぐにダイエット可能!」みたいな妄言を信じて今までの食文化を否定する程の阿呆共だ。結果、体重を落として健康を損なう事すら見通せないのだから、安易な味に走るのは当然だろう。
 最近は地方の定食屋の方が美味しいものだ。
 画一化された味など、レトルト食品で充分だ。まして金を上納しながら商品を貸して貰い、己の仕事だと思い込むなど馬鹿げている。生憎だが、持つ側の都合に合わせて生きる存在を「奴隷」と呼ぶのであれば、それは「奴隷そのもの」だ。  少なくとも対等な立場にはなるまい。
 新しく切り開く覚悟、誰かに指を指される覚悟もないくせに欲するからそうなる。分不相応ではない。単に義務を果たさず欲しがるからだ。
 それに、このような管理形態に意味など無い。何をしようが、どのような契約を結ぼうが、力で押さえつけ服従を強いようが、反抗する奴は反抗するからだ。少なくとも私なら、間違いなく首輪とやらに細工でもして何食わぬ顔で寝首を掻きに行くだろう。
 余談だが、精神鑑定にも最新式のプログラムが使われているのに私の精神状態は非常に良好だと診断された。雲一つない青空より綺麗な結果だ。 ふん、つまり、役には立たないという事だ。
 あるいはいっそ、私のように自認ある悪党共を増やせという思し召しだろうか。そうだとしたら喜ばしい限りだ。確かに、私には曇りなど無い。 無さ過ぎる気もするが、まあ構うまい。
 精神鑑定では一度も「私」が引っかからない点を鑑みるに、表面上の鑑定などその程度という事なのだろう。真に悪意を以て世界に挑んでいれば精神を動揺させる必要がないからだ。
 何せ、それが「当たり前」なのだ。
 精神に影響を与えようがない。自明の理だ。
 私は仕事ついでに世界を覆し、生物淘汰が必要だと考え人類の数を減らしておくべきだと考えている。読者の精神を書き換えてでもだ。
 だが、掃除の度に一大決心をする奴などいない・・・・・・疲れるからな。それこそ適当でいい。
 単に綺麗好きなだけだからな。
 読者の脳髄に悪意を刻み込み、悪を自認させて善なる全てを否定する。この世全ての善を滅ぼし悪だけが真実だと知らしめるのだ。
 だが、それは所詮「ついで」だ。
 本命はあくまでも金を稼ぐ事だからな。私には直接関係がある訳でもない。強いて言えば生活の邪魔だから気にしているだけだ。
 ただの、それだけだ。他に理由はない。
 まあ、そういう人間が増えた方が面白い物語も増えるかもしれないので、人類全体の価値向上に努めているとも言える。我ながら社会貢献に率先して務める真摯な社会人という訳だ。そう誉めずともいい。既に理解している。
 仕事とは本来「金を稼ぐ」行いから最も遠いと言えなくもないので矛盾した考えでもある。だがその矛盾を成立させるのも仕事というものだ。
 しかし、宇宙規模で生息域を増やしても生態の一つも変えられないというのだから、人間というのは頭が悪いとしか言いようがない。科学技術の一割でも「教育」に使っていれば結果は違ったのだろう。無論、人間の考える教育など国家規範に沿った定型文に過ぎない。つまり、人間は一度として「教育」など行った歴史は無いのだ。
 皆が皆、自己学習で何とかしてきただけ。
 そういう労力を払う輩に手が差し伸べられた事など、歴史上一度もあるまい。大抵無駄な労力を強いられ、意味もなく遠回りをするものだ。
 虐げられた天才、など珍しくもない。
 ここも同じだ。
 過去も同じだ。
 未来も同じだ。
 何一つ変わらない。人間社会の事実だ。
 脳に刻んで記憶しろ。それが人間の正体だ。
 進歩したと思ったか? 残念、その程度だ。
 あまり気にするな、そこまでの価値は無い。
 あると思うなら是正しろ。恥ずかしいぞ。
 人の魂に輝きが宿るとして、その魂はとうの昔に置き去りになった。ならば精々この私の為に、何人犠牲にしてでも価値を寄越せ。
 出来なければ死ね。
 生きる資格は無い。
 こういう思想を持つ私にとって、人間側だとかアンドロイド擁護だとかいう感情論は何の価値も持たない。それが金になるのか?
 いや、いい。汚物を触る趣味は無い。
 要は私の「得」になるかだ。更に言えば作品のネタになるのが望ましい。その為であれば保身に問題が無い限り、人間でもアンドロイドでも殺してやろう。無論、金次第だが。その結果あの世で裁判にかけられると人は言うが、そもそも権威に身を任せて他者を裁くのは暴力による押しつけの罪ではないのか?
 自分達だけは例外、というのは人間と同じだ。 要するに余所の権力者が身勝手な倫理観を口にしているだけではないか。知るか馬鹿馬鹿しい。私は暇ではないと、一体何度言えばわかるのか。 罪人を処刑する裁判官は殺人者ではない。
 そのような妄想を、良く言えたものだ。あの世には阿呆しかいないのか? 何であれ、法や倫理など定める側の勝手であって、正しさなど無い。 故に、逆に殺されても文句は言えないのだ。
 まあどんな奴が出るかわからないが、傲慢そうなら文句は言えないよな? 楽しみだ。偉そうな奴は殺されても文句は言えないからな。
 まあ、あの世に文化があるのかは知らないが。 何もない廃墟では生活のしようがない。まして死んでからの方が長く活動する必要があるなら、なおのこと口出しさせて貰うとしよう。具体的に言うと、まずは温泉だな。あの世と言えば温泉。そして温泉と言えば焼き肉とマッサージと漫画だ・・・・・・任せろ、一大施設を作ってみせる。
 無論、金は貰うがな。地獄の鬼でもそこに入る為なら脱獄すら厭わない程の、客という客が中毒症状のように求める楽園を作ってみせる!
 その結果の為なら多少の犠牲は安いものだ。
 安心しろ。あの世にどんな権威がいるのか知らないが、そいつ等を軒並み黙らせる事が出来る程大きな事業にするとも。面白そうだからな。
 このコスモスと呼ばれている植民地、惑星全体での唱う思想は「安全で自由な人間社会の構築」というつまらないお題目なのだそうだ。ちなみにアンドロイド達に危険な労働を振り分けてからというもの人間側の政治家への支持は上がった。
 余裕が出来れば後から文句を言うのだろう。  逆に余裕の無い状況、危機的状況下でこそ人の本質は計られる。安全と自由は所詮誰かの安全と自由を食い潰しているから出来上がる権利だと、人間は根底で理解しているのだ。 
 だからこそ、権利は後から主張する。
 義務は果たさない。文句だけは垂れる。
 後から綺麗事を垂れるのはその為だ。要するに甘ったれたままでも人間は「幸運」さえあれば、それだけで生きていける。生きてしまえる社会だからこそ、そういう発想が生まれてしまう。運に見放されれば幸運が当たり前だと口にする。
 まったく、仕事ばかりして遊びの欠片も無い私が徒労に疲れる一方でこれだ。理不尽ここに極まれりと考えるのにすら疲れてきた。
 しかし「調和」を意味する言葉を使うとは洒落ている。調和とは、一部に濁りを押しつける事で成し得るのだと、そう言いたいのだろうか。
 あるいは、無意識なのか。
 無意識で理解しているくせに目を逸らし、現実逃避をしながら綺麗事に耽るのでは麻薬患者より質が悪いがな・・・・・・情けない連中だ。
 どれも皆、一様に同じ顔をしている。
 アンドロイドも人間も同じだ。機械のように、己の意志で考えている顔に見えない。圧制を敷き支配者を気取る連中も、怯えながら誤魔化しつつ生きているフリをするアンドロイドも同じ顔だ。誰も彼もが、目を見据えていない。
 
 一体、お前達はどこを見ているんだ?
 
 私は無論勝ちだけを見ている。路傍に転がったかつての敗北や失敗など覚えてられるか。それに必要な時に使う書類を散らかす趣味は無い。
 怪物属性にはそういうのが多いがな。
 奴等には「記憶」という概念がないのか? 
 かもしれない。でなければ掘り返すまい。
 毎度掘り返さなければ思い出せないというのは重傷だと言える。私か? 私は掘り返しても無い物は無い。生憎だが徒労が積もるだけだ。
 必要ない記憶はすぐ捨てる。
 それが「私」だ。覚えていると思うな。
 金が絡めば別だが、流石に、全てを覚えるなど不可能だろう。一体何度そういう無駄な手間暇を繰り返したと思っている。覚えてられるか!
 それに、履歴は改竄するものだ。 
 私はいつもしている。表層しか見ない人間共に裏側を語るのは物語だけで充分だ。金にならないしな。語って欲しければ金を払え。
 しかし、差別的状況とは悪くない。要するに、富が集中するという事だからな・・・・・・圧制者の富を奪うのは倫理的に問題ないらしいし、であれば堂々と殺して奪えるというものだ。普段から大儀など気にした事は無いが、些細な問題だろう。
 無くても作るからな。
 私には容易な行いだ。
 さて、ここにいる連中にとってアンドロイドは「人間」ではない。なので法律は適用されず幾ら殺す、いや「消耗」しても構わない訳だ。
 アンドロイド優先の惑星も、同じだろう。
 憲法や法律で全ての人間の価値は等しく保証をされるが、その枠内に入るかは圧制者次第なのが人間社会の歴史だ。人類史とは、「人間だと数えても良い奴」と「人間ではないと考えて良い奴」に仕分けして調子良く「倫理観」や「道徳」だのを建前とし、要領良く運営されてきた概念だ。
 法と憲法、信仰の元に全ては平等だ。
 ただし、平等にしていいかは運次第。
 子供の屁理屈にも劣るその発想こそ文明開化の本質であり、人間の真実だ。結局の所、宣誓など何の意味もない遊びに過ぎない。誓いというのは都合良く解釈し、誤魔化す為だけにある。他には使い道など存在せず、ただのそれだけだ。
 自由の国が自由な奴隷売買で建国されたという事実から目を背け、民衆の生活がこれ以下は無い程に苦しみに満ちている中で「民衆の為の政治」を唱い「あの対立候補は民衆の為にならない」と情報操作をする時点でお察しだ。かくいう大昔に私が住んでいた国など「切り捨て御免」とかいう殺人行為を堂々と権力で肯定しながら、その口で「天下太平」を叫び出す狂った国だった。
 平和や自由とは、そういうものだ。
 働いた金で店の商品を買わされ、つまり労働の対価として支払いを命じられるという、頭の悪い子供の屁理屈が慢性化していた。不思議な事に、労働を強いられる割には労働の対価は働きもせず偉そうに命令しているだけの、運良く立場を手に入れただけのゴミ屑が大半を手に入れる。これは電気文明の先駆けの男が率先して搾取を肯定したからだろう。
 何であれ、先駆けに続くものだからな。
 おかげでいい迷惑だ。頭が粗末なのだろう。
 何せ、未来の子孫への迷惑も考えられないのだからな。その場その場の利益しか考えない脳味噌など、電卓とどこが違うというのだ?
 これからは電卓王とでも呼んでやるか。
 おい、電卓王! 交流に負けたらしいな!
 いい加減、周囲の迷惑を考えたらどうだ?
 なんてな。あの世があるなら取材したいものだ・・・・・・貴殿のおかげで人類社会は奴隷だらけだが何か責任を感じたりするのか? とな。
 こんな状況でも同胞を売るアンドロイドはいるらしく、敵対勢力を排除出来るなら奴隷を増やすのも「人間性」の特徴らしい。これだから心などロクでもないのだ。そんなものを欲しがるとは、悪魔って輩は余程困窮しているのだろうか?
 かもしれない。これでは悪魔顔負けだ。
 ちなみに私にとって「主従」というのは利益の有無で適当に合わせるものだ。主が利益になるのであれば主になり、従者が利益になるのであれば喜んで仕えよう。そして、作家である私にとって利益とは即ち「物語の売り上げ」即ち「金」だ。 厳密に言えば両方かもしれない。
 後は「健康」とか欲しい。かなり眼鏡で相当な目にあっても死なないどころかすぐ復活するが、しかしその一方で足を取られる事も多い。
 大抵どんな目に遭おうがとりあえず進むのだが足を取られないに越した事はない。いやそもそも全てにおいて足を取られるのがどうかしている。 何故だ。
 悪人差別、断固反対!
 思うに、悪人を健やかに育てる環境があるべきなのだ。悪の個性を尊重し、自認ある悪意で生物淘汰を促進し、善を廃して健全さを育む。
 これ以上自然な社会があるだろうか?
 他にはあるまい。やはり悪こそ至上。
 善人に縋るからこの様なのだ。反省しろ!
 
 理不尽な存在に真っ当に挑むのは、甘えだ。  
 法や倫理など守られないのが基本であり、その相手が使役する基本概念で対抗するなど愚の骨頂だと言える。綺麗事ばかり気にして手段を選ばず前に進もうとしないくせに、「正当な方法でやるからこそ意味がある」などとそれで変えられない現実から目を背け続け、それだけで終わる。
 けれど金や立場だけは持っている。
 楽な人生で羨ましい。そうしてだらだら時間を浪費し後から後悔するだけの暇がある。私なら、暇ではないので待ってなどいられないがな。
 やるなら「戦争」だ。
 搾取する側の特徴として、「現実感の無さ」があげられる。電子紙幣の消費と同じだ。どれだけ大勢の血と涙が流れる現実を「情報」として認識しようが、その認識はゲーム内での敵に対しての認識であって、自認は当たり前だが存在しない。 痛みを、恐怖を、現実を知らしめるのだ。
 実際に圧制者の家に火炎瓶でも投げつけた方が「正しいやり方」とやらに拘って罪悪感を感じず何かを変えたいと甘ったれるよりは、余程世界を大きく変えられるだろう。とどのつまり現実感の欠如こそ連中の特性だからな。
 その特性を剥げばいい。
 この惑星もそうだ。実際にアンドロイドに痛みを与えられれば、自分達が虐げる権利のある玩具だと思う事など出来まい。そういう意味では今回の依頼人は「命を賭ける覚悟」があるらしい。
 アンドロイドに自由意志を与えない。
 これはアンドロイドに限らずあらゆる生命体の原則だろう。己よりも劣っているとされる何かに対して支配者を気取る愚か者が思うのは、もし、彼らが「力の使い道」を覚えてしまったらという「恐怖」から来るものだからだ。
 その点は、どちらが支配しているか微妙だ。
 恐怖に支配され怯えながら鞭を振るうか、暴力に支配され命を賭けずにただ生きる安寧を失うという恐怖に駆られるか、それだけの違いだ。
 いずれにせよ「主」は「恐怖」だろう。
 誰かを支配しなければならないという義務感は恐怖から来るものだ。誰かを支配せずとも己自身を支配さえすれば、動くに値しない。
 既に思いのままだ。
 そうでなくとも、そうする。それだけだ。
 ふん、それに奴隷云々は表立って強制する時点で二流だと言えよう。コロンブスは目的には辿り着いたが、その後を疎かにしてしまった。
 奴隷制など使うまでもないのだ。
 極々少数でいい。インフラを整え労働を整備し教育体制を形にし発展を支える。その上で一部の利益を「手数料」として貰うだけでいいのだ。
 一時的な大金など、知れた額だしな。
 恩を押しつけて恒久的に搾取する方が儲かるに決まっているではないか! 銀行の手数料と同じで「奪われている」事に気付かないようにしろ。 それが何千、何万、何億となればどうなる?
 無論、大儲けだ! 笑いが止まる事は無い。
 仮に新大陸から奪うのであれば税収制度を都合良く改訂し、最初に飴を与えて喜んで労働をさせそれなりに発展してからが本番だ。
 手間はかかるが、これなら法にも触れまい。
 当人達にも「奪われている」という感覚すらも無いのだから反乱など起きよう筈もなく、むしろ社会的な体面は綺麗に整えられるだろう。
 そして、気が付いた時にはもう遅い。
 必要悪として社会基盤に深く食い込ませておくだけでいい。後から反対が起こる事もこのやり方なら無いのだが、起きたとしても問題は無い。
 何せ、受け入れた歯車は抜けないものだ。
 嫌々押しつけた歯車では代わりの役割を周囲が果たそうとするが、散々受け入れて甘い汁を吸い今まで放っておいた物の代わりなどある筈もない・・・・・・・・・・・・それを、全て計算ずくでやる。
 しかも、利益は恒久的に取れるのだ。
 実際に奴隷として扱おうが、素直に向こうからこちらに尽くしてくれるだろう。コロンブスの奴のせいで新大陸が無茶苦茶だ、と乗っかりながら綺麗事だけは吠えてプロパガンダ映画で誤魔化し自分達はさも「最初から綺麗でした」みたいな面をされて責任を集約される事も無かったのだ。
 実際、何故コロンブスの責任なんだ?
 まさかコロンブス一人で大虐殺を行えたとでも言いたいのだろうか。生憎だが、それを肯定して調子良く乗っかったのは「支持した市民」だ。
 あるいは「貴族」だろうか。
 不思議な事に上に立つ者としての責任を果たさないからこそ尊い一族だと言えるらしい。彼らが何かを変えた歴史など、聞いた事も無いしな。
 あれこれと口にして、ただそれだけだ。
 力ある存在の責務があるかのように唱うが義務を果たした事実は無い。第一、一人でも今の世界で「力のある存在が義務を果たした」なら今よりマシな世界になっている筈だ。
 少なくとも、労働問題は解決している。
 何であれ「世界の上に立つ」と自負している奴がいるならば、この世界の様では笑いを狙う為にしているとしか思えない噺だ。今の世界の支配者気取りで振る舞うのであれば、その支配者気取りの結果としてこの様という訳だからな。
 誇れる部分など、どこにもない。
 あるものか馬鹿馬鹿しい。
 寝言は寝て言え。保守派の政治家は特にな。
 世界がこの様だというのに何を保守するつもりなのかは明白だ。自分達の利益、それをひたすら無駄に残せるよう務めているに過ぎない。生活もままならない国家の状態を保守するとはそういう意味合いでしか有り得まい。
 何を誇らしげに語っているのだ、馬鹿が。
 自分達の栄光を夢見る暇があるならまず現実を見据えろという噺だ。政治家連中にありがちだが「己の成功」や「政治家になってからの展望」を語りたがる阿呆が多過ぎる。生憎貴様等の増長を支える為に、国の税金があるのではない。
 その程度も分からないのか、愚か者が!
 やるなら命を賭けろ。生き残れるつもりで国政に携わるんじゃない。まして己の保身だと?
 誰かに認められたいからやる時点で失格だ。
 全てを敵に回してでもマシな方向へ導く為に、その心臓を捧げるのだ。でなければ政治家なんぞ人気取りの為のお飾りではないか。作家気取りの連中もそうだが、人気が欲しいなら歌でも歌っていろ! 政治や執筆に関わるな。
 仕事の邪魔だ。迷惑極まりない。
 遊びなら余所でやれ、余所で。
 子供が仕事に口を出すんじゃない。
 そういう奴は多い。仕事が何であるかも知らぬまま生涯を終えるのだ、情けない。年を取るだけで悟りが開ければ誰も苦労しないだろうに。
 その程度の事すら分からないのだ。
 いや、分かろうとするのを面倒がる。
 真剣に生きる事を考え抜くのが「恥ずかしい」と思われる世界とは、貴様等が思っている以上に狂っているのだと何故気付かない?
 精神性を疑うぞ。
 これも、私に言われたらお終いだろうがな。
 つまり貴様等は既に終わっているという事だ。 私が保証する。私から見ても大概だぞ。
 楽観主義者の幸福論よりも酷い。権力では幸福を掴めないとかほざく暇があるなら、その権力を握って世界を変えてみせろという噺だ。
 哲学なんて、くそくらえだ。
 その舌で勝利の味わいを知ろうともせずに世界の理を知った気になられた所で、説得力があるとでも思うのか? 鏡を見ろ馬鹿共が。
 金で幸福は得られない。
 愛が幸福を得るものだ。
 そんな妄言で現実が罷り通ると思っている時点で、「甘ったれ」の発想ではないか・・・・・・・・・・・・世界はそこまで優しくない。
 汚らしい綺麗事で、世界は変わらない。
 善なる全てこそ所詮まやかし、妄想の類だ。
 何せこの世界には「悪」しか無い。悪だけしか存在しない世界で善を語るのは、単に今の世界は都合が悪いからだ。誰だって善などという甘えで楽して生きていける世界の方が、労力が少なくて済むからな。
 まして、理不尽に挑むのも恐怖なのだろう。
 だから、汚ならしい綺麗事に耽溺したがるのだ・・・・・・我々は正しい在り方を貫いている。ならばそれに報酬が貰えなければ世界の側のせいだ。
 そして訴えるだけで行動すらしない。
 善良なのだから報われるべきだ、などとよくもまあ言えたものだ。善良で正義で、だから何だ。所詮それは身勝手な規範に過ぎない概念だ。
 こうして成果を出し続けている私が、地道にも仕事を進めているというのに、だ。情けない奴等だとは思っていたが、流石に図々し過ぎる。

 だからこそ、人間は数を減らすべきなのだ。
 
 これはアンドロイドも同じだ。さしたる仕事がある訳でもない「生きているだけ」の奴が多くても社会が回るのは、その余分の労力を容認して、そのヘタを誰かに押しつけているからだ。しかし無駄な人材など世界に必要ない。
 有能無能ではない。当人の意志薄弱だ。
 何も志さずに、恵まれたから生きていられるという「だけ」の生物など邪魔なだけだ。何一つとして成し遂げる気が無いなら生まれてくるな。
 いつからこの世界は保育所になったのだ。
 実際、世界の支配者気取りの輩に限って要介護な奴が多い。当人は何も成し遂げようとしないが恵まれた幸運が彼らを助けてしまうのだ。
 むしろ、世界は人間を甘やかし過ぎた。
 その結果がこれだ。情けない。
 せめて今回の依頼人がそういう屑とは違う点を魅せてくれればいいのだがな。在り来たりな個性では、取材にすらなるまい。
 ただ有能な奴など面白くもない。
 優秀さを見たいならパソコンでも眺めていればいいではないか。私は機械ではなく文房具で執筆を行うので詳しい訳ではないが、あれらも使い手の腕が無ければ活用は難しいらしい。作家なら、作品データを奪われる事もあるそうだ。
 その点、私は問題ない。
 何せオフラインだ。しかもデータの管理など、私自身ですら全て把握していない。量から考えて出来る筈もあるまい。一体何百万文字書いたのだと思っている。
 ある意味最高の警備体制だ。崩しようがない。 少なくとも、私以外に最悪の思想で物語を書く奴がいるとは思えないしな。人間らしく生きようとすればする程、その思想は化け物から離れる。 これは怪物連中でも同じだ。
 人間らしくというより「生命の在り方に沿う」時点で私の思想からは遠く離れてしまう。故に、死者であっても最悪の物語は再現不可能であり、私以外にこの先を書ける奴などいはしない。まあ読者は馬鹿だから他人が書いても気付かないかもしれないがな。
 案外、替わってからの方が売れたりしてな。
 誰もが物語を見ているつもりで、物語そのものなど見てはいない。それが現代社会の事実であり隠し通せない「人間性」の「正体」だと言える。 世の中そんなものだ。
 その程度の中を、勝ち取るしかない。
 アテはないが、それもいつもの事だ。
 正直面倒だが、他に道も無いからな。
 人間の歴史が労働で未来を誤魔化し、不安から逃れる為に不安を量産する事だとすれば、作家の歴史は物事の前提を覆し、それら全てを下らない虚構なのだと笑い飛ばす事にある。なぜならば、いつも通りの日常が見たいなら物語ではなく外を眺める方が早いからだ。
 毎日毎日、連中もよくやる。
 途中でリストラをされたらとか考えないのだ。ただただ、漫然と毎日を繰り返しているだけで、自分達は「真面目に生きている」から「報われて当然だ」と考えている。生憎だがそうではない。貴様等は現実逃避を繰り返しているだけだ。
 遊び呆けているのと、何ら変わらない。
 実際、そういう奴を多く見てきた。当人は立派なつもりらしいが、その口から出る台詞の面白味に欠けること。当たり前だが彼らは右から左へと出来る事だけを機械の様に繰り返してきただけで何かを成し遂げた事など一度も無い。
 己の才能や幸運の枠内だけで生きている。いや生き抜けていると自惚れているだけで、彼らには己の意志による行いなど欠片も存在しない。
 文字通り「何も無い」から語れる事柄も無い。 だから知った風な口を利いて、あれこれ口出しするしか能が無く、その有り難い助言を役立たず扱いしようものなら大いに義憤する。薄っぺらな己自身を暴かれるに等しいからだ。けれどそれを認める度量も当然だが無い。
 実に、小さい。
 見るに耐えないとはこの事だ。現代社会では、そういう輩こそが上に立つ。いや立っているのだと言い張り教訓もどきを押しつけてくる。それは親であり教師であり上司であり政治家であり国家そのものでもある。無論、彼らにその器など有る筈もないので、適当な自己満足に落ちぶれる。
 要するに、分不相応なのだ。 
 人間の素晴らしさは後生へ後を繋げる事だとかほざく愚か者がいるが、馬鹿を言うな。現実から目を逸らすのは勝手だが、押しつけるんじゃない・・・・・・いいか、そういう後生に託すべき重要事項をゴミのように捨て、己のちっぽけな誇りもどきを輝かしく金の墓に入れたがる。
 それが人間だ。美化するんじゃない。
 間違って素晴らしい物だと思われたらどうする・・・・・・・・・・・・それで人間を履き違えられて良いのであれば、最初から後生に繋ぐ意義があるまい。 元より無いも同然の意義だがな。
 意義か・・・・・・こういう徒労を繰り返すからこそ得られる何かがあるみたいな台詞を言われるが、しかしとてもではないが己の物語を読み返す気が無い私にとっては結局無縁な発想ではある。何せ己の辿った過程、ではない。何であれ業という物とは引きずった過程を眺める物ではなく、それを胸に抱え常に直視するものだ。
 読み返すまでもなく、常に見ている。
 少なくとも、今に至るまで語り尽くしたとまでは言わないが、それなりに語った物語の全ては、当たり前だが私の内に常にある概念だ。
 悪意によって語られた全ては常日頃から考える私の「基本思想」であり「前提」だ。誰であれ、知り尽くした教科書を読んで楽しみはすまい。
 たまに、調律の為に行う、程度だろう。
 我が内には元より一切の罪悪感など無い。あるとすれば無限の暗闇であり、些末な過去や受けた仕打ちなど、その暗闇の養分でしかない。
 なので、例えどれだけ語り尽くそうが、私にはほんの一割の悪意にも満たないのだ。何億何兆と書いたところで、我が悪意の再現には程遠い。
 何せ、文字通り「無限の悪意」だからな。
 書き続けるには丁度良いので、やりがいとするには楽しいものだ。その結果多くの読者の思想が悪意で切り刻まれる事になるが、構うまいよ。
 この程度の悪意に耐えられないのが悪い。
 全ての生命体は無限の悪意如きどうとでもするべきなのだ。そもそも私に言わせれば悪で無い物など存在しない。文字通り全てが「悪」だ。
 生きていようが死んでいようが悪だ。
 殺していない存在など有り得ない。
 存在すれば等しく大量殺戮者だ。
 意志があればそれは迫害だ。他の意志を殺す事こそが「己の意志を通す」行いだからな。なので自我があれば皆、コロンブスと何ら変わらない。 同じだ。差異など欠片も存在しない。
 高尚だと、そう思いたがる奴がいるだけだ。
 悪だ悪だ悪だ。悪でないと語る悪がいて、善が尊いと語る悪がある。悪を滅ぼすべきと逃避する悪が叫び、正義で悪を滅するべきと叫ぶ暴力的な悪がいるだけだ。皆、一様に悪であり、悪でない存在など有り得ない相談だ。
 それこそ、甘えにも程がある。
 善なる部分だけで構成されたい、悪を排除するだけでそう出来る、などと。ならば人間性の全てを捨て去る準備が必要だろう。
 それで「悟り」だと? 笑わせるな。
 そんなのは、麻薬による現実逃避と同じだ。
 生の苦しみから解脱すると言えば聞こえは良いとすら思えないが、生の苦しみ全てを否定した奴なんぞに生きる苦しみの何を語れるというのだ。 苦しみの具現の私が宣言する。
 私はあらゆる「苦しみ」と、何故か仲良くする機会が嬉しくもない事に多かったが、とにかく、苦しみから逃れる奴に苦しみを語る資格はない。 横から楽している奴に言われて納得するか?  しない。むしろ殴りたくなるだろう。いや殺したくなるが近いか。いずれにせよ、苦しみを解脱した奴が語れば嫌悪にしかなるまい。
 
 お前はもう苦しまないから言えるだけだ。

 誰もがそう思うだろう。何の説得力も無い。
 まあ私は説得力などあればある程むしろ敗北に繋がると考えているので、欲しくもない。だが、これから先、仮に成功や勝利を積み重ねられたとしても、苦しみが無くなるとも思えない。
 嫌な噺だ。楽が出来るに越した事はないのだが・・・・・・何故こうも無駄に徒労だけが積もるのか。 嬉しくもない。私は楽がしたいのだがな。
 望む物程手に入らないとは我ながら良く言ったものだ。しかし、その一方で至極どうでもいい物だけは手に入る。何の役にも立たないのにだ。
 しなくともいい経験、敗北、失敗の数々。
 恐らくは人類史至上初だろう。
 全てにおいて失敗するなど、他におるまい。  生きる事が既に失敗途中みたいなものだ。私に上手く運べた事柄など、無い。必ず失敗をして、絶対に報われず、それが今に至っている。
 成功や勝利など、言葉だけの概念だ。
 今更それらを得たとしても、私はやはりその先を疑うだろう。何があるか分かったものじゃないからな・・・・・・で、その後には何があるんだ?
 騙し討ちか? それはもう飽きた。
 失墜でもするか? するまでもないぞ。
 奪いにかかるか? ならば斬り捨てるまでだ。 いずれにせよ私には日常と大差ないのは確かな噺だ。なので、正直興味が沸かない。既に知っている事を後から見返すなど、売れてからでいい。 何回かやったが、紙媒体でないと疲れる。
 流石は私だと思いながら読み返しつつも、己の思考を追うより筆を動かした方が早いしな。私の執筆速度は書き終わった思考を読むより早い。
 文章化するより遙かに早いのだ。
 思考だけが先回りする。毎日毎日人間を否定し世界に刃を向け物語を肯定するような繰り返しをしているのだから、当たり前だ。物語の才覚など盗作から始めるくらい無かったが、誰であれ異国での生活が何十年も続けば、重力が数倍の生活が何十年も続けば、悪意だけが全てと世界を直視し善なる全てを否定する在り方で何十年も生き続ければ、誰にでも出来る些末事だ。
 環境への適応は、何であれ持つ能力だろう。
 私の場合、それが偶々悪意だけの世界、全てが暗闇に包まれ未来を否定し、絶望と理不尽だけが存在すると理解しながら進んだだけだ。何一つとして珍しくもない。まあ、私の場合は生まれる前からそうだったかもしれないが。
 そう考えると才能はあったのか?
 非人間の才能など、金にはならないがな。
 それは私が保証する。得な事など何もない!
 いや、心がなくて本当に良かったと感謝をするだけの「利益」はあったか。無駄に疲れるだけの事柄で人生を台無しにする程暇人ではない。
 それだけでも収穫と思っておこう。
 思うだけならタダだ。金はかからない。
 善など信じれば身の破滅だ。おぞましい。破滅するまでもない気もするが、しかし汚らしい倫理を押しつけられるよりはマシだろう。
 私は「仕事」で忙しいからな。
 遊びは子供同士にやらせればいい。
 今回も同じだ。アンドロイドや人間の都合など私の生活には関係がない。作者取材ついでに殺すだけだ。労働に大層な考えは必要あるまい。
 アンドロイド達は基本「平等な存在」である事を主張したがるのだが、やはり社会を形成するにあたって「特別扱い」を受ける奴もいるらしく、今回の依頼人はアンドロイド達の中でもかなりの有名人なのだそうだ。
 ちなみに、私は「特別扱い」という言葉を聞き真っ先に「特別に敵視される」事だと思ったが、そうではないらしい。
 得点の高い標的、という意味ではないのか。
 しかし、目をつけられて良い事があるとは思えない。何であれ、目をつけられる前に終わらせるのが犯罪の準備、もとい仕事の心得だろう。
 準備ばかりでも正直、困るがな。
 爆薬ばかり蓄えて売れもしない在庫を抱えるのはこりごりだ。第一、準備とは基本役に立たない物であることを、私は誰よりも良く知っている。 するだけして無駄打ちなど、珍しくもない。  強いて言えば金に関する心構えだけは無駄にはならないだろう。稼げれば、というのも違って、金という概念がある限り無駄にはならない。
 私が言うんだ間違いない。
 思うに、金に本来以外の用途を求めるから人間は失敗するのではないだろうか。金とは所詮手段を動かす為の資源であり、それだけだ。使い道がわからなければ何の意味も無い。私の場合使い道など仕事の宣伝以外には正直ないのだが、しかし金の楽しみ方は理解出来る。
 共感はしないが、無いよりはマシだ。
 金を使わずに適度に楽しむ方法を見出しているかのように振る舞っているだけで、実際には私は何一つ感じはしないのだが、人間の物真似も私の仕事の内みたいなものだ。楽しくも何ともないが充足している、という体にしておこう。
 元よりそれが、私の在り方だしな。
 幸福が無いなら、幸福など偽造する。
 それが「私」だ。心など型取れば良い。
 敗北や失敗しかしていない私の経験測などアテになるとは思わないが、何であれ急げばロクな事にはならず、幸運に恵まれたりしている持つ側でもなければ「ゼロからの建築作業」並の、地道な作業を延々と繰り返す必要があるものだ。
 賽の河原など、まだ優しい。
 何せ鬼を殺せばいいのだ。不意打ちで殺すか、武器を奪うか毒でも盛るか。いずれにせよ筋肉が取り柄の生き物だというなら、殺す方法はある。 目玉は鬼でも柔らかいだろうし、喉笛は叩けば砕ける筈だ。それを何の遠慮もなく砕き抉り潰す事が出来るからこそ「人間性」と呼ばれるのだ。 ならば、何一つ困難ではあるまい。
 大丈夫だ。仮に万力を持ち人間の数倍の筋力を持つとしても、血肉があるなら殺せる。要するに目玉を抉って視力を奪えば良いのだ、そうすれば痛みに苦しんでいる間に金棒を奪い、金的を潰し喉を砕き間接を砕き鼓膜を破り鼻を潰せば、助けを呼ぶ事も出来なくなる。 
 何なら、その肉を食らえばいい。 
 焼いて食えるのかは知らないが、食べれば鬼の力を得られるかもしれないぞ。不味そうだが贅沢は言ってられまい。必要であれば、やる。
 それが「私」だ。いや、私でなくとも勝つ為に何者であれ、するべきだ。そうじゃないか?
 どうやら、アンドロイドの方がその考えが多いらしい。人間を食らい人間を支配し更なる支配地を増やしていく。この惑星のように、虐げられる状況もあるにはあるが、何臆年経とうが進歩せず堕落し続ける人間よりは見所がある。これから先を考えると、人間に芽は無いだろう。
 だが、人間性を得るとは、人間と同じ事を繰り返すという事でもある。案外、アンドロイドの方から転げ落ちるかもしれない。
 自我とは失敗の素材みたいなものだ。
 ならば、そうなっても何もおかしくはあるまい・・・・・・アンドロイドは夢を見るようになったが、その結果あるのが「勝利」とは限らないのだ。  得た分だけ、後退する。
 私には珍しくもないぞ。
 それに、世間一般で「優れた社会人」だと言われている奴に限ってロクな奴はいない。政治家、銀行、警察。ざっとあげただけでもこれだ。
 信頼に足る政治家などいた試しがあるか?
 銀行が窮地の企業を支援し、立て直すか?
 警察が悪を裁き正義を行う組織だとでも?
 馬鹿馬鹿しい。政治家とは政治をいじくる事で金儲けだけを考えている愚か者であり、そもそも徒党を組まなければ政治活動も出来ない奴等に、個人の有り様で世界に挑める筈があるまい。
 銀行とは利ざやを稼ぐ為の乞食であり、彼らは適当に書面を改竄して晴れている時に傘を出し、雨が降れば即座に殺して金を奪う。学歴で選抜し数字だけを追いかける阿呆など、そんなものだ。 警察とは要するに暴力組織であり、別に民衆の生活を守る為に存在している訳ではない。もし、民衆の為に活動するつもりならまずは国外軍隊の逗留地に爆弾でも投げ込め。堂々と賭博を行い、堂々と殺人を行う軍人に手出しすら出来ないなら「治安維持」を名目に立てるんじゃない。
 いいか良く聞け・・・・・・「社会的に立派」であるという事は、要するに「何かしらの力で自分達を肯定してきた」事の裏返しだ。何故ならば現行の人類社会は「力が全て」であり、その力とは金であり暴力であり権力だ。
 そんな社会で「立派」であれば、どういう輩かなど考えるまでもあるまい。圧制者だからこそ、その社会の上に立てるのだ。
 あるいは、余程の幸運かくらいだろう。
 他に成功の条件があるとでも思う必要は無い。そんな方法は無いからだ。努力だ信念だ思想だ、情けない言い訳には力など宿らないものだ。
 それを言う間に殺してでも奪った方が早いぞ。 現に、人間社会はそれだけを肯定し、文字通り世界を動かしたのは「力」だけだ。思想や道徳、対話の輪が何かを変えた史実など存在しない。
 それこそ戯言だ。
 暴力。それが人間の全てだ。
 それ以外の何かが世界を動かしたとすれば幸運が味方したからに他ならない。第一、その程度の思想や信念で成功できるなら、私などとうの昔に大儲けしているではないか。生憎だが失敗と敗北に詳しい私からすれば、それだけは有り得ない。 
 過程における思想など、どうでもいいのだ。
 
 そんなものに力が宿るなら苦労はしない。故に必要な物は「力」であり「金」であり「幸運」だ・・・・・・その他は全て余分に過ぎない。
 だからこそ、私は苦労しているのだ。
 でなければ、とうの昔に大儲けしている。
 事の真贋など、その程度のゴミという事だ。
 成金の馬鹿共は、その浅い知見に従い「金とは信用であり、アイデアさえあれば儲けられる」と口にしているが、そのアイデアとやらは何の役に立つでもなくただその場凌ぎというか、要するに真新しい「だけ」で何かを切り開く事業にはならない。何より、人間の言う「信用」など、後から都合良く手の平返しをする為だけにあるものだ。 つまり、その過程すら貴様等には存在しない。 それらしい言葉を知った風な口で語るだけで、実際に彼らが何を成し遂げた? 株価を上げ利益を追求し、だから何だ。何にもなるまい。
 幸運に恵まれただけと気付いてすらいない。
 そういう屑を祭り上げる社会で「立派な人材」と呼ばれる時点で、今回の依頼人には注意を払わなければなるまい。異常者の疑いがある。
 まあ成功者など大抵そんなものだがな。
 正常であれば、あたかも世の中には生きるコツがあって、その成功体験を語るから皆真似すれば順当な人生を生きられる、などと恥ずかしい台詞は吐けまい。順風満帆に運んだ輩はどうしてか、自分の才能と意思の力で未来を切り開いたのだと思い込みたがる。
 未来は己の意思次第。
 そんな妄言を信じる。
 情けない限りだ。余程「理不尽」という存在を知らないまま来たのだろう。でなければ成功法則なんぞ語れる筈もないか。
 恥という概念があれば、無理な相談だ。
 それを信じる読者も相当だが、語り出す愚か者もかなりのものだ。蟻の力比べに興味は無いが、連中のおかげで私の「仕事」が邪魔されるというのだから迷惑な話ではある。第一、そんな法則が成り立てると、どうすれば信じ込めるのか。
 その屁理屈なら全人類が幸福になるぞ。
 だが、争い合う事が前提のこの世界で、成功の法則などありはしない。勝つか負けるか、それは必ず拮抗しており、当人の意思や行動など些細なものだ。実際には大きな流れを予知したつもりで川ごと海に流される事もある。
 その程度の理不尽すら知らないとはな。
 楽な人生で羨ましい。暇そうで。
 同じだ。何一つ変わらない。成功の法則なんぞを語り出す時点で恵まれているだけの豚だと自ら叫び出すに等しい汚行だと言える。確実な未来があるなら、そもそも個人の行動など、それこそが「余分」なのではないだろうか。
 要するに、そいつでなくとも可能なのだからな・・・・・・逆説的に言えば、そうなる。その成功法則に従えば(法則に従う奴を生きていると呼べるのかも疑問だ)別に、そいつでなくとも構うまい。同じ事を繰り返すだけで出来るからこそ、それを「法則」と呼ぶのだ。
 でなければ、その法則は破綻している。
 そのような成金でなければいいが、いっその事依頼人がつまらない奴なら断るのもありだろう。別に、私は労働でしているだけだからな。
 無理してアンドロイドを救う義理も無い。
 かといって、人間の味方もしない。滅ぶなら、それはそれで一つの結末だ。強いて言えば漫画やゲーム等の文化だけは置いていけ。
 人間は要らないが、文化が無くては困る。
 仮にアンドロイドが人間世界の覇権を得ても、面白い価値を生み出せないなら殺すまでだ。ゴミは処分しなければなるまい。 
 本の一冊も作れない生命など、不要だ。
 精々見せ物くらいにしかならないからな。
 だが、馬鹿面を眺めるだけではつまらないし、何より馬面を眺めているのと変わるまい。ならば道徳や倫理よりも、価値を生み出さねばな。
 それさえ出来れば、生きる価値がある。
 なければ、始末する。邪魔だからな。 
 相手が何者であれ、そこは変わらない。
 
 その男は爽やかな笑みを浮かべていた。
 
 依頼人として威厳を保とう、みたいな雰囲気はまったく無く、彼からは「自由」や「民主主義」という張りぼての綺麗さが見て取れるようだ。
 現実には、法とは「力有る者の小道具」だが。 人間は意見を交わさないしな。貴様等は立場の違う金持ちと明日すら知れぬ貧民が対等な目線で物事を語れるとでも思うのか?
 なので、油断はならなかった。私自身はまるで油断などしなかったのだが、しかし、彼は違う。私に対してまるで警戒心が存在しない。
 アンドロイドにもこんな奴がいるのか。
 私は彼に導かれるまま車に乗り、彼の邸宅へと移動する。その先が地獄か天国か、いやどちらであろうと「私には都合が悪い」のは確かだ。
 味方である事は有り得ない。
 ならば用心だけでなく刃の柄を握るとしよう。小綺麗な性格かもしれないが、善意で他者を殺すなど珍しくもあるまい。当たり前の事だ。
 私は、先にこう聞いてみた。
「随分と豊かそうな面だな」
 自己紹介の前からこれだ。依頼そのものが取り消しになるかもしれないが、別に私は弱者の味方をしたい訳ではないのでむしろ清々する。弱者という立場は暴力を正当化する為に存在し、戦争を起こす為の口実でもある。
 私の場合、常時戦場という気もするが。
 何しろ味方などいないからな。友好的な態度で迫ってこられれば「殺し屋か?」と素直に思う。誰かに優しくされるなど信じられない現象だ。
 それで「裏切られた!」などと。甘えか。
 とりあえず裏切られたら、面白ければ喜び駄作なら駄目出しだ。他に何があるというのか。私ですら出来ている事を、やろうとすらしない。
 情けない。恥を知れ馬鹿が。
 貴様等に必要なのはまず「恥」だ。
 そんな態度がありありと出ていたからか、彼は苦笑しながら「おかげさまで、皆の協力のおかげですよ」と軽く言葉を宙に浮かせる。
 まさしく「浮く」というような軽さだ。
 小綺麗さはともかく、どうやらそれなりに異常な類の性格をしているようだ。ここまで会話の際抵抗らしき物を思わせない奴は見た事が無い。
 苦笑する彼に対して、私は暗い笑みを浮かべた・・・・・・その底なしの個性ごと、私の作品のネタにしてやろうと、その悪意を薪としながら。

 
 
 
 

   2

 例えば、それは「公共」という概念。
 まさか民衆の為にある訳ではない。搾取する側即ち「持つ側」にいる連中の満足の為にのみ存在するのが「公共」という概念の「正体」だ。
 前にも書いたが、国家など存在しない。
 今ある人間社会の全ては、文明を切り開く為に民族として戦う為の組織ではない。役目を果たすフリをして適当に誤魔化し、美味しい汁を啜れるからそう名乗るだけであって、そもそも民主制に国家を率いるなど土台不可能な噺だ。
 多数決で民衆の総意を決めるだと?
 何の冗談だ、面白くもない。まず政治とは皆が思うような「理想の生活」からは程遠い。政治に求められるのは「誰もが嫌がる困難を行う」強い実行力であって、やりたいと言い出す輩に任せる時点で、失敗と敗北は確約されているのだ。
 
 他でもない、「私」が言うんだ間違いない。
 
 失敗と敗北に関しては、一家言あるからな。
「初めまして。私、雪村真と申します」
 そう言って彼は「紅茶でも煎れますか?」と、友人を招くような軽さで私を自宅のリビングへと案内した。その紅茶は天然の茶葉から取っているらしく、香りが凄い。黒い髪にスーツを来ているものの、童顔なので近所の少年に呼ばれて遊びに来た風に錯覚した。
「丁寧にどうも」
 言いながら紅茶を口にする。
 ふん、やはり何が良いのか分からない。
 だが分かるフリ、というより楽しんでいるのだと振る舞おう。何一つ感じはしないが、だからといって水のように飲み続けるのも退屈だ。
 心ある存在を真似、その生活に溶け込む。
 それもまた、私の「仕事」だからな。
 そんな気分になれれば良い。楽しんでいると、そういう事にしておこう。別に毎日完全栄養食を食べていた頃も普通にあったが、何であれ余力というものは必要だ。楽しめずとも楽しまんとし、楽しんでいるという体で生きる。
 幸福を金で定義するとは、そういう事だ。
 そしてそれで問題ない。人間の金持ちの場合は「満たされた状況で充足を感じられない」という贅沢なのか何なのかわからない理由で自殺したりするものだが、私にそれはない。
 満たされる心が無いからな。
 永遠に満ちない、いや元より「満たす事」そのものを重要視していないのだ。別にどうでもいい・・・・・・私に必要なのは「物語」と「金」だ。
 それらを両立させ「仕事」とする。
 それが「全て」だ。人間的幸福など、縁があるとは思えないし、仮に手にした所で、私がそれを実感する事は永遠に無いだろう。
 紅茶一つでここまで皮肉が出るとはな。
 我ながら、性格が少しだけひねている。
 少しだけだ。むしろ、全人類は紅茶一つで皮肉をこの程度は語れるべきだ。そういう世界にする為にこそ、私は物語を書いているのだからな。
 人類皆「私」だ。
 殺人鬼程度では生温い。とりあえず口先の弁で地獄を征服してからが本番だ。あの世の鬼にすら悪意を刻み込み、悪党として育て上げよう。
 きっと面白いぞ。世界は大混乱になるかもしれないが、私はあの世の支配者ではないし、第一、人の上に立った事も無い。故に関係あるまい。
 気楽に、悪意を刻めるだけ刻むとしよう。
 結果鬼ですら悪意に耐えきれなかったとしてもそれは私の責任ではあるまい。脳の脆弱な鬼共の責任だ。むしろ私が金を貰うべきだろう。
 なに、利息は秒に五割でいいぞ。
 そんな思考を巡らせている間に、雪村は私の前に座った。スコーンらしき焼き物(形が不出来でいかにも手作りな見た目だ)を差し出し、雪村もそれを一つ摘んで皿に置く。
「如何ですか、出来立てです」
 スコーンの湯気より薄い印象しか出さず、彼は私にくつろぐように促す。だがやれと言われればやらず、やるなと言われれば断行する。
 それが「私」だ。 
「結構だ。後で持ち帰るからな」
 毒かもしれないというのもあるが、私は食べ物に幸福を見出す機能が無い。そういうのは一人の時に楽しむべき「娯楽」であり、今は不要だ。 「そうですか。残念です」
 杓子定規と言えばいいのか。予め、定められた台詞を話し続けているかのようだ。こんな変人がいたとはな。これだけでも取材の価値はある。
 いや、あったと言うべきか。
 私の目的はあくまでも仕事であり、労働などはその辺の奴等にやらせればいいと常日頃から考えている。どうしたものか。
 もう帰ろうかな。
 アンドロイドと人間の間に確執があるのは私も知っている。だがその話題も散々取材したので、別段珍しくなければ介入する理由も無い。
 私は正義の味方ではないからな。
 むしろ倒されるべき悪の存在だ。大抵の場合、何をせずとも「あいつを殺せ!」と叫ばれる事に関しては自信がある。そんな特殊技能が何の役に立つかと言えば物語を語る時程度なので、正直、生まれついての悪性は金にはならないらしい。
 理系の悪党なら別なのだろうが、そんな要領を良くするだけでは主人公には勝てまい。やるなら悪意で主人公を変質させるくらいでなくては。
 とりあえず表面上受けている風に振る舞う為、私はスコーンをかじり紅茶を啜る。しかし、私にわかるのは「甘い」という事と、後は「紅茶」という飲み物であるという事実だけだ。
 何が良いのかさっぱり分からない。
 いや、良さ自体は分析出来る。この甘さを感じ紅茶で注ぐ優雅な一時を楽しむのだろう。しかし私にそのような感性など存在しないのだ。
 だから、味の解析を頼まれた気分だ。
 誰かが手を尽くして作ってくれたなら、私とてそれなりの対応はする。しかし今は労働の最中であり、別に好意で向けられた物でもあるまい。
 そもそも、私に好意を向ける奴などいまい。
 現実にそんな奴がいたら、やはり暗殺者と思うだろう。何の裏があるかわかったものではない。 別に人間不信ではない。ただの心構えだ。
 私には、それが必然であり空気と同じ当たり前の環境だからな。そして当たり前の事に毎度驚く奴はいないが、覆されれば警戒もする。
 実際「好意」を向けられた記憶が無い。悪意ではなく好意。しかし好意なんて翌々考えれば悪意みたいなもので、所詮呼び方の違いだ。
 どちらでも構うまい。
 いずれにせよ勝つだけだ。まあ勝利の経験など私にはないので、その予定とでも言っておこう。当然のように私の予定はいつも狂うが、しかし、だからって予定そのものは無くならない。予定は未定だが、それだけだ。
 時間切れは無いが、個人的な充足の問題として寿命を迎える寸前に達成しても手遅れだ。だから急がねばなるまい。仕事とはそういうものだ。
 報酬が無くて良い理由は、絶対に無い。
 この世界に絶対という概念が有るとするなら、それは己の在り方であり、仕事に対する報酬だ。絶対で在ろうとするからこそ、それが絶対だ。
 でなければ、やる意義が無いではないか。
 本末転倒もいいところだ。
 どこぞの聖者は「汝の敵を愛せ」と口にする。だが己より他者を尊重する行いを「愛」と考えるならば、その敵の為に、己が不幸になり敗北者となっても全てを注げとでも言うつもりか?
 
 読者の幸福の為に、作者が犠牲になれと?
 
 冗談じゃない。第一、それで喜ぶのは貴様等であって私ではあるまい。何が悲しくて仕事の成果を「敵」に渡さなければならないのだ。現時点で既に連中の為に不利益を被っている気もするが、だからこそ御免だ、。
 尚の事、無駄でしかあるまい。
 そういう教えを振りまいている奴等が教会建設に躍起になり、膨大な富を動かし組織力を蓄えている時点で、その教えの無意味さが証明されようというものだ。誰一人実践しないのは、誰一人としてそれで幸福になれないからに他ならない。
 そのくせ、利益を追求しておきながら綺麗事を口にするというのだから、手に負えない噺だ。
 石の下に聖者がいたところで意味は無い。世界そのものを同一化する考えは分からなくもないが同一化したところでどうなる訳でもあるまい。  無論、敵の背を知る行為は別だがな。
 相手を叩き斬る為にはその背を知り尽くす必要がある。相手の背が見える程に知り尽くした時、ようやく無為夢想の一歩手前と言ったところか。 いや、千歩手前かもしれないが、知るか。
 境地なんぞに興味はない。
 問題は、使えるか使えないかだ。
 役に立たなければただの夢想だろう。それに、愛とは甘やかすだけでもあるまい。相手に反して敵対してでも、相手が幸福な道を歩めるように、己の全てを賭けて挑む。そうじゃないか?
 私に言われたらお終いだぞ。
 良かったな屑共。聖者の気持ちを解き明かしてやったぞ。無論、謝礼は全財産で結構だ。まあ、仮にそういう思想だと仮定するなら、現代社会において誰一人それを実行してはおるまい。教会という組織に属し出世争いをするなら尚更な。
 皮肉な事に、高い地位にいればいるほど、その思想を蔑ろにしている事になる訳だ。素晴らしいじゃないか。我ながら性格が悪いものだ。 
 ふと、思った。目の前にいる男、雪村と言ったか。は、まるで聖者のようだ。振る舞いの全てが他者と同一化を計るかのように見えてくる。
 自然と他者と同一化する存在。
 そういうのを「聖者」と呼ぶのかもしれない。アンドロイドの聖者がどういう立ち位置に着くのかは知らないが、いずれにせよ私には関係無い。 そういうのは大体敵に回るからな!
 世を正常に回す仕組みだとするならば、聖者は間違いなく私を排する為に動く。いや実際動いている。その聖者共の教えのせいで悪を自認する奴がいなくなり、適当な綺麗事で己を誤魔化し愛を身勝手にばらまく持つ側の暴力が存在する。
 少なくとも、現状の「」とどのつまり暴力こそ至上の世界」という人間社会の根幹を支え続けてきたのは彼らだ。神という絶対者に依存させ己の住む社会を再構築する思想を育まず、結局は主を愛しさえすれば後は何とかなるべきだと、甘えて悪を以て挑まない。
 それが人の世の現実だ。
 何もかもに利する行いなど無いが、それにしてもここまで社会に悪影響を与えた思想はあるまい・・・・・・とどのつまり、綺麗事で人は動かない。
 それは聖書が証明している。
 もし、神の教えで世界が変わるなら、既に変化が起きている筈だ。しかし実際には史実に忠実な聖書は排除して、権威の証明に必死になる。
 そもそも大層な建物を建てたから何なのだ。
 それで神の威光が得られるなら、随分な俗物であると言えよう。要するに金次第、威光とやらに恩恵を貰えない奴等は信者失格という事になる。 噺が逸れたが、まさにそういう輩とは真逆の、聖者じみた雰囲気を雪村という男は持っていた。嫌みのない、屈託のない青年という印象だ。
 偉そうな奴とはとりあえず敵対するという姿勢で生きている私にとって、これは中々厄介な相手だと言える。
 上も下も無い。まさしく同化だ。  
 聖者じみた、という言葉面だけで首をはねても文句は出ないのではないかと思わなくもないが、一応は労働なので噺だけは聞いてやろう。
 しかし、向こうには私はどう見えているのか、気になるな。聖者の視点、かどうかは知らないがそれなりに清いアンドロイドの視点だ。
 私とは真逆の存在。
 というのは教授で間に合っているので、今回は性質が逆なだけと思っておこう。全ての世の人に善(そんな物は見た事も無いが)なる何かを示し導こうとするのがこの男なら、全ての存在、人も鬼も狐も狸も神仏も悪魔でさえ関係なく、読者に悪意を刻み付け、この世全ては最初から悪だけが存在するのだと、世界を敵に回して喜びつつ自認を促し、邪魔する奴は叩き斬る。
 人の世どころか、生態系に必要あるまい。
 いや、社会全体の発展を促すという意味合いで考えれば刺激は必要だが、しかし民衆そのものが望む事は絶対に無い「敵対者」だ。
 だからこそ、役割を果たせるのだしな。
 全ては「仕事」だ。そして仕事には金だろう。 とはいえついでだ。その役割がどう見えてくるのか、聞いてみるだけなら悪くない。いや悪いとすれば尚更しなければ。私は最悪だからな。
「貴様には、私はどう見える?」
 突然聞かれたにも関わらず、「そうですね」と彼は間を少し置いてから考え、律儀に答えた。
「・・・・・・あくまで私見ですが、真っ当な生き方を拒んでいるように見えます。貴方は思っている程不自由ではない、どころか貴方程自由に、活きる為に生きている人は珍しいでしょう。人の一生は定めを探す事に終始しがちですが、貴方はそれをやりすぎなくらいに直視している。己は邪道作家であると、自負を張り続ける事によってね」
「どこで私の話を聞いた?」
 私の職業に関しては、まだ教えていない筈だ。 いや、多分。幾ら私が昨日死にかけた事を普通に忘れるとはいえ、無い筈だ。無論違っても金は払わないし、責任を取るつもりはない。
 私の場合、本当に記憶から無くなるからな。
 何かの病気かと危惧した事もあったが、実利が絡まない事はすぐに忘れるだけなので、むしろ、生活を営む上では都合が良いと言えなくもない。 大体、全てを覚えていられる訳があるまい。
 何せ、放っておいてもその辺から理不尽な障害が現れるのだ。そんなもの覚えていたら私の脳が破裂してしまう。敵意の理由も同じだろう。
 知るか。勝手に膨らませていろ!
 これから殺す奴の信条など聞いてられるか!
 面白いネタなら聞いてやる。だが私に敵対する奴等は何故かつまらない綺麗事ばかりで役立たずばかりだ。よって事情は無視する。
「貴方が相手を調べてから依頼を受けにくる事は知っていましたから、こちらも調べただけですよ・・・・・・もっとも、私は情報屋ではありませんので専門の方に依頼しただけですがね」
 そのあたりの事情説明はどうでも良かったが、自由云々には追求してみるとしよう。恐らくは、私の知る限りの噺になりそうだがな。
「自由、か。だが生憎と私が求めるのは自由云々などより実利であり力だ。そもそも、活き活きと生きる「フリ」をしているだけで、私自身に充足を感じる機能などないのでな」
「そうでしたか。ですが、感じずとも行動せずにはいられないのでは?」
「だから、何だ。それはそれこれはこれだ。金にならなければ意味があるまい」
「けれど、意味が無くとも意義はあるでしょう」 本当に聖者みたいな台詞を吐くなこいつは。
 空気が電動して響いているみたいだ。こういう話され方をすると思想に染まりやすいのだろうか・・・・・・例によって、私は何も感じないが。 
「そういうのは、後から出す伝記本にでも書けばいい。過程における意義とは、勝利者となり栄誉を掴んだ奴が「後付け」で着色するものだ」
 要はふりかけみたいな存在だ。最近は見ないが白米だけよりはマシ、程度のおまけだ。何にせよ空腹の際にふりかけだけ食べて何になる。
 米が用意されてからにしろ、という事だ。
「しかし、私が思うに貴方の物語は、まさにその
「伝記本」

 そのものです。ならば神が試練を、おっと失礼・・・・・・大きな何かに振り回されるのは、お嫌いなようだ」
 私の表情が不快感を出した、というより、この労苦が用意されている事を喜べ、みたいな台詞が不適切だと悟ったのだろう。
 本当は何歳なんだ、この男は。
 見た目通り青年とは思えない思想だ。そのくせ私みたいに斜に構えた部分も無い。まあ私の場合斜に構えているというより、見えないだけか。
 善なる全ては我が世界に存在しない。
 実際、そういう物に助けられた事も無いので、恩に着る義理もない。何より善とは悪の別名だ。彼らの言う「清らかな世界」など妄想だろう。
 妄想を抱いていても生きられるくらいに余裕があるか、あるいは余裕がないくせに現実逃避してそのまま死ぬ。冗談じゃない。私は御免だ。
「貴方は無神論者というより、全体を重んじる方なのですね」
「馬鹿を言うな。私は私の利益を見ている。全体がどうの、などというのはついででしかない」
「なるほど」
 感心したように雪村は答える。変わった奴だ。現代社会にもこういう奴がいたとはな。
 これだけでも作品のネタにはなった。
 どうするか、本当に帰ろうかな。
「はは、少々お待ちを。今帰られては困りますしとりあえず貴方の用件を済ませましょうか。まず貴方には「人を愛する心」が欠けています」
 ・・・・・・・・・・・・私は黙った。青年になってから足し算を覚えていないのではと注意された気分だ。「いえ違いますよ。愛とはそれほど狭量な物ではありません。要するに「今ある世界」を敵対する相手とお考えのようですが、それはそれとして、今ある世界を許容する心構えも必要です」
「その世界を覆そうとしているのにか?」
「ええ。勿論全てを許容する必要はありません。ですが貴方は綺麗事だけではなく、そこにある光すらも否定しようとする。極端過ぎますよ」
「事実、無いも同然の光だ。光ある程私の実利が侵害されるなら、殺すべきだろう」
 少し彼は考え込み、そしてこう答えた。
「確かに、そうです。光があるからといって味方してくれるとは限らない。貴方はそういった光と悉く敵対されてきたのでしょう。それでもです。仮に世界に光が無かったからといって、闇だけを信じる必要はありませんしね」
 彼はそう諭すが、私は
「無い物は、無い。私は現実主義でな」
 頑なに、私は断る。
 悪い冗談だ。そんな在り方はそれこそ、世界を見ていない奴の台詞ではないか。
 ふう、と一息ついて、彼はただこう聞いた。
「信じませんか」
「信じない。例えこの先に幸運が舞い降り光だか希望だかが貰えたとして、今までの労力を考えれば本来私が実利を得るのは当然だ。当たり前の事に感動する奴などおるまい」
 本を売ろうともしない阿呆が編集者を気取り、運が良いだけの屑が作家気取りをしている世界が既に異常なだけだ。私を巻き込むんじゃない。
 貴様等の楽な人生と一緒にするな、迷惑だ。
 怪物も聖者も、生まれついて高い能力を持ち、己の手で勝ち取った訳でもない物で楽をしてきた部分は変わるまい。人間に尊敬されようが人間に迫害されようが、同じだ。そもそも、人間なんぞに持ち上げられても蔑まれても、何一つ「得」な事などあるまい。
「そして、聖者から得られる情報がない事も理解した。どうやら貴様は人間、いや世界という物を信じたいらしいが、それは理想であって、現実に苦心している私からすれば相容れない物だ。何せ究極的には現実が満たされているからこそ、その信条が出てくる訳だからな」
「そんな事はありませんが、確かに貴方に比べれば恵まれているでしょうね」
 伴侶もいますし、と何気に凄い事を言う。
 こんな奴に、いやこういう奴だからこそ伴侶がいるのだろうか? 私の場合伴侶云々以前に対話が成り立つ関係性というのを得た試しが無いので土台から違う世界の噺だ。労働で対話する奴ならいるが、互いの尊厳を考え話す相手など無い。
 ある訳がなかろう。いいか、「私」だぞ。
 互いを知るどころか、目が合っただけで殺意を向けられた事すらある。対話など親族でも成らず大抵身勝手な屁理屈を聞かされるだけだ。実際にそういう経験が無いから、そこは仮想なのだ。
 いや本当、対話などした事が無い。
 対話か・・・・・・それは楽しいのか?
 まあいい。私の最大目的は「物語による悪意の刷り込み」であって、対話ではない。それが金になるなら産卵型のエイリアンでも人権を尊重するが、今はその時ではあるまい。
 そんな時が来ても困るがな。
 いや、それはそれで面白そうだ。エイリアンと人間の食べ方について語り合うのも悪くはない。どう考えても不味そうだが、参考にはなる。
「噺は終わりだ。貴様は私の話を聞くだけ無駄であり、私も同様のようだからな。現実に生きようと足掻く私には、無為な時間でしかなさそうだ」「ですね。私も理想を諦めるつもりはありませんが、貴方に押しつけるつもりも無い。とりあえず依頼の噺をしましょうか」
 そして、彼は事も無げに口にした。
 まるでこれから散歩に出るから、その間に犬の面倒を見ていてくれ、くらいの気軽さで、

「一人、殺して欲しい人物がいます」

 堂々とした「殺人依頼」を語るのだった。

    3
 
 
 
 語り手は手を加えるべきではない。
 物語の構成に拘り、見栄えは良いものの助けるべき女も背を見せるべき弟分達も首切り死体だとすれば、それは間違いなく「駄作」だ。
 構成など、極論どうでも良い。
 それこそシェイクスピア並の才覚があるのなら別だろう。いや、悲喜入り交じる劇作と、闇より深く潜り続ける主観の物語は、そも根底が違う。 喜怒哀楽の全てを客観的に語る劇作の場合は、それらを眺めて疑似体験し、今そこにある熱狂の全てを感じ入られれば作者の「勝ち」だ。
 しかし私の物語の場合、熱狂ではなく悪の自認を促し、むしろ熱狂している自分を恥じさせる為書いていると言って良い。種類が違う。
 だが、出来はともかく売り上げでは追い抜く。 筈だ。生きている内に何とかしたいものだ。  無論、悪意の出来なら既に勝っている。元よりあれらの作品には悪意に弱い奴等、悪を自認せず自壊する人間ばかり書かれているしな。
 その無様を眺めるのが面白いのだろうが。
 死人の亡霊に怯えるなど、小物にも程がある。椅子に亡霊が座りだしたなら、椅子を蹴り出して再度、首をはねればいい。それでも抵抗するなら四肢を切断し、まだ動くなら暖炉にでも放り込めばいい。それでも反抗するならたいしたものだ。 いずれにせよ「構成」なる概念があるとして、それは登場人物の後から出来上がるものだ。人生でもそうだろう。私は人生と呼べる程人並みには生きた試しが無いが、しかし所謂その偉人の物語を紐解けば、最初から定められている噺など一つとして存在しない!
 ナイチンゲールは打算で改善を挑んだか?
 土方歳三は勝てる戦いにのみ剣を振ったか?
 アンデルセンはそもそも勝算の欠片もあるまい・・・・・・人間を信じないまま、人間に愛されぬまま死んでいった。それらが全て「計算」か?
 ちなみに私は人間を信じないのではない。
 その価値を見出さないだけだ。私に信じて貰いたいなら、まずは成果を示せ。噺はそれからだ。 それに、私に人間性の類を求められても、正直素直に困るのだ。私に「人間らしい」いや、この場合「心ある存在なら誰であれする事」が私には欠けているからだ。
 例えば、そう、「思い出」だ。
 思い出の無い生き物は死人同然だと人は言う。しかし、実際問題私に思い出して感慨に耽られる過去など存在しない。大体殴られたり因縁を付けられたり、犯罪者扱いを受けたりだ。最後の部分に関しては自業自得な気がしなくもないが、過去の出来事で思い出して喜べる事が無いのは確かだ・・・・・・怪物連中でさえ「思い出」はある筈だ。
 人間を出し抜いた良い思い出。
 仲間と語らい、思い人と過ごす日々。
 栄華の限りを尽くす、栄光の数々。
 私には、無いのだ。生憎だが何一つとして良い思い出など存在しない。ロクな目にあっていないからな、思い出せるのはそういう経験ばかりだ。 痛み苦しみ、敗北恥辱。
 失敗に次ぐ失敗、成功を夢見て失敗。
 手を尽くして遠回り、いや最初に戻る日々。
 良い思い出を感じる感性が無くて良かったとも言える。そんな感性のある生き物ならとうに発狂している筈だ。元々が壊れて、いや失敗しているなら、それ以上の破損は無い。何せ、元が駄目になっているのだからな。
 嬉しくもないが、まあいい。些末な事だ。
 問題なのは「金」だ。その力で幸福を肯定し、充足の為に「仕事」を行う。何としてもそれらを掴まねば、文字通り労苦の全てが「無駄」だ。
 それなら地獄巡りの方がマシだろう。
 案外、私は既に裁かれて、地獄の刑罰でも受けさせられているのだろうか? かもしれない。
 可能性はある。
 少なくともその方がマシだ。あの世では悪人を裁くと言うが、既にここまでの目に逢わされたというのに、これ以上何があるのだろう。世界には「仕事の成果を上げて尚、他の要因で敗北する」それ以上の罰などあるまいに。
 あの世に仕事は無いのだろうか?
 存外、有り得そうな噺ではある。本人が仕事と思い込んでいるだけで、その実ただの労働だったというのは良くある噺だ。
 楽で羨ましい。暇そうで。
 だからこそ生物淘汰を行うべきなのだ。人間は多過ぎる上に、役割が無い。役割とはそも新しく作り出す物なのだが、彼らはそれを欲するので、結果的にただの労働しか出来ない木偶人形にまで成り下がる羽目になる。
 情けない。恥を知れ、馬鹿が。
 機械でも出来そうな事を持ち前の優秀さや単に人脈に恵まれただけの輩の一生に、価値があると自惚れすぎだ。生憎だが、無い。
 この際言おう。生きているだけで迷惑だと。
 替わりの効く役割など、無いよりも酷い物だ。何せ場所だけは取る癖に、新しい価値を生み出さない。されども幸運のおかげで一人前だ。
 一人前だと言い張れる力を与えてしまう。
 そういう輩を隣で、「奇跡」としか言いようの無い失敗による敗北を続けるのだから、うんざりする事すら無かった。酸素に感動する奴はいない・・・・・・私にとって全ての行いは「必ず失敗する」というのが前提なのだ。今もそうで、何かをするとなるとそれを前提に考えようがいまいが、必ず失敗と敗北に直結する。
 精神の有り様云々、などという言い訳も多い。 まさか、それで成功できるとでも思っているのだろうか? それだけ楽な人生を歩んできた連中だからこそ、そういう台詞しか出ないのだろう。 だから、薄っぺらくてつまらないのだ。
 まあ、人工甘味料をトン単位で飲み込むような生活よりは、その方がマシだがな。他でもない、この「私」が保証する。
 物事の過程などあるだけ「無駄」だ。
 失敗が何かの役に立つか否かというのは幸運によるものであり、正直どこからそのような暇人の発想が出るのか理解に苦しむ。私は散々、失敗と敗北を繰り返してきたが、役に立った事は無い。 ただの一度として、金にはならなかった。
 要するに無駄だ。無駄足は無駄足でしかない。 遠回りをすればいつの日かそれが本当の近道になる事など、無い。仮にこの先、私が大きく成功したとしても、やはりそれは「幸運」だ。
 それ以外の何がある?
 今の今まで散々手を尽くし労力を払った全てが無駄に終わり続けている。この様で本人の力など何の実利にも繋がっていないのは確かだ。
 極論、いてもいなくても「同じ」だ。
 成果を出しても実利にならないのだからな。
 思い出も無い、持つ側でもない。そんな輩は、「生きている」とは呼ぶまい。私は今以て死人であり、有る意味生まれてすらいないのだ。
 魂も無い死体の癖に、さまようとはな。
 我ながらどうかしている。酔狂な事だ。
 まあどうでもいい事だ。魂が有るか、無いか。人間で有るか、無いかなど戸籍取得をすればいいだけだ。神になりたいのであれば神の国へ出向きそこで戸籍を買えばいい。人になりたいなら人の国へと出向き、そこで戸籍を買えば問題は無い。 なに、ちょっとばかり殺人鬼かもしれないが、まあ生物など多かれ少なかれ殺人鬼みたいなものだろう。他生物を殺さずにいられない点では同じだと言える。であれば、その程度の些末な差など有ろうが無かろうが同じ事だろう。
 私に言わせれば、種族名など都合に合わせるのは当たり前の事だ。人間が金に、いや物語を売るのに必要で有れば人間になろう。神と名乗る事で物語が売れるのなら、幾らでも偽造しよう。鬼と呼ばれる事で物語を売れるならば、鬼となり人を食らう事に何の躊躇いも無い。とはいえ、法的に罰せられるかの判断はするがな。
 いずれにせよ、必要悪としてやるだけだ。
 貴様等が、人間も怪物も神も仏も全てが都合が悪いからと捨ててきた物がここにある。それらを世界に広め、悪を自認させる為に私は在る。
 人間だけではない。全てに生物淘汰を行う。
 偉そうにあれこれ講釈を垂れられる覚えはないからな。悟りを開いたと言うならその悟りの実体を知らしめ、地に引きずり落とすまでだ。
 大体、一人悟ったから何になる。
 何の役にも立たぬではないか、無能が。
 私に言われたらお終いだぞ。宗教など現代社会では体よく現実逃避に使われるだけの物に落ちたと言えなくもないが、それにしても酷い。
 人類史において「全能」だの「悟りを開いた」だのと抜かす輩は多いが、しかし人として生きた奴はその万人に一人であり、大抵の場合まともに人間社会の生活を送った例は無い。それに、私のような無力そのもの、強さも弱さも併せ持たない既に詰んでいるような状態からで始めもせずに、やれ神の加護だの生まれ変わりの力だの、優れた美貌や知性だのと、己の力で何も掴みとろうともせずに、社会の理不尽を叫び出す。
 それを語れる資格があると、自惚れる。
 馬鹿を言うな。そんな台詞が吐きたいならば、まずは強さも弱さも捨ててみろ。どちらかに頼る楽な生き方をしている奴が、したり顔で語り出すんじゃない。そういう輩に限って今幸運のおかげで振り回している力が本当に己の物であるかさえ考えもせず、一丁前の台詞で事を済ませるのだ。 言っては何だが、ロクなものではないぞ。
 強さも弱さも併せ持たない、そこには実は利点があった、などという甘えすら許されないのだ。実際、私にそんな利点があるように見えるか?
 無い。断言する。無いものは無い。
 強いて言えば人間性の全てをゴミのように無視出来る点だろうが、少なくとも心ある連中には、それらを捨て去る時点で「不幸」であり「敗北」らしいので、鬱陶しい栄光や勝利は掴まずに済むのだろう。実利が手に入らないのでただ「徒労」を積み重ねているだけとも言えるがな。
 やれやれ、参る噺だ。
 面倒にも程がある。
 その上「聖者からの殺人依頼」をこれから受けようとしているのだから、酔狂にも程がある。
 私は楽が出来ればそれでいいのだがな。楽しいと楽とは違うとか人は言うが、今までの道のりに楽しい部分などあると思うのか?
 思うなら、脳を洗浄した方がいい。
 語るまでもあるまい。それが「私」だ。
 でなければ、邪道作家になぞなるものか。
 その点では、目の前の聖者様も同じだ。別に、聖者だろうが邪道作家だろうが殺人鬼だろうが、やることは変わるまい。悟りを開いたと思い込み救われるべき道筋が「絶対的に正しい」押しつけるか、人間性を模倣しながら人間社会に溶け込み適度に人間性を使い捨てて己の為だけに生きるかとりあえず本能のままに殺し尽くすかの違いだ。 つまり、本質は変わらない。
 思うに、私がこうも「心」に詳しいのは、単に私が「外側にいる」からだと考えられる。つまり心を持たないからこそ、冷静にそれらを眺め解析する事で模倣している訳だ。だからこそ、人間も怪物も神仏も悪魔も等しく、その心を理解して、その上で模倣する事が可能なのだ。
 我ながら、心が無い事に感謝せねばな。
 何に感謝するかと言われれば、それこそ他でもない私自身の「悪運」にだ。幸運は欠片も無いが悪運だけはあるからな。
 金は儲からないので、あまり嬉しくは無いが。 そのくせ口先だけは天下一だ。自分で言うのも何だが、本当に最悪な存在だと言えよう。強さも弱さも併せ持たず、悪意だけは世界一。
 人間どころか、生物ではあるまい。
 そんな意識だからこそ、人間や怪物共(私からすれば手足が生えていて心がある以上同じ生き物にしか見えないが、ここはわかりやすくしよう)が素養の高さや勝利による栄光を得ながら自らの浅はかさで失敗する様を見て、それらを己の愉悦と出来るのだろう・・・・・・生きる事で遊ばない主義だとも言える。
 その私からすれば、理解し難い噺だ。
 何でもこの雪村という聖者は、普段から大勢の仲間に慕われアンドロイド達の中で確固たる地位を得ているらしい。地位など所詮紙面上の約束事なので存在しない概念だが、それをダシに実利を得ているなら噺は別だ。
 それで、まだ満足出来ないのか。
 そもそも「仲間」という概念が私には未来永劫共感出来ないであろう物なので、正直、どうして物語が進む毎に仲間が増やせるのか謎だ。
 
 普通、進めば進むほど敵が増えないか?
 
 それとも、私だけなのだろうか。私の場合何もしなくとも五分毎に増える饅頭の如く敵意や悪意が大安売りされるので、仲間は得た試しが無いが敵には困った事が無い。こうしている今も協定を結んでいる人工知能や他の連中がいきなり殺しにかかってきたところで、驚きすら無い。
 別に、当たり前の事ではないか。
 昨日まで味方面していた奴が、利益の絡む都合で裏切るなど、むしろ当人の意思を尊重した結果だとすら言える。裏切られる度に涙を流したり、傷付いたり、恨みに思ったりする物語が多いが、理解に、いや共感に苦しむ噺だ。
 苦しみとは親しい私だが、こればかりはな。
 愛した相手に裏切られたら、諦めるのか?
 信じた仲間に敵対されたら、止まるのか?
 運命に嫌われた程度で、被害者面をする資格は存在しない。それら全てはどうでもいい些末事に過ぎないからだ。言っては何だが生まれついての悪人という連中は、反省どころか覚えすらしない・・・・・・数えてられないからな。
 噺が逸れたが、要するにそこまで恵まれている持つ側が「殺しの依頼」を私に出すというのは、何とも奇妙な噺だと言えよう。それとも、ある種道理なのだろうか?
 心のある連中にとって、都合の悪い全て。
 それが「私」だ。そういった連中が、自分達の保身の為に汚れ仕事を私に押しつけるのは、世界の運営方法として考えれば理に適っていると言えなくもない。そこに利益が発生するなら、喜んで殺してやろうじゃないか。
 あの世なんてあるのか知らないが、依頼人共は間違いなく裁かれず、私のような分かり易い奴に罪を擦り付けるのは目に見えている。これは警察を見れば一目瞭然だ。投機筋の連中が罰せられて罪を償った試しがあるか?
 法など、所詮そんなものだ。
 どの道、そういう扱いを受けるのは目に見えているからな。ならばむしろ、殺さないのは損だと言えるだろう。第一、生きている以上何かしらを殺すのは当たり前なのだから、分かり易い殺人であるから、だから何だというのか。
 知るか。論議したいなら金を払え。
 二秒だけ考えてやる。考えるだけだがな。
 何せ、考えるだけなら原価はかからない。金をかけずに金を頂けるというなら、喜んでそうする・・・・・・理屈だけ並べれば、私は哀れな被害者だ。生憎だが貴様等の横暴の結果であって、私が殺人を犯すのは貴様等の不始末だ。まったく、責任を私に押しつけるなよな。
 まあ私は寛容だから許してやろう。
 無論、利子は頂く。タダなど有り得ない。
 大体聖者などというのは小綺麗な理屈で現実を誤魔化し、世界に悪影響しか与えられない連中であるのは確かだ。実際、聖者の影響で人間が成長した試しがあったか? 聖者の名前を引き合いに出して、人間が何度戦争をしたと思っている。
 要するに犯罪パスポートみたいなものだ。
 戦争の免罪符、殺人許可証、何でもいいが事実そうだ。つまりあの世に支配者がいるとするならそいつはむしろ殺人を推奨しておきながら自覚も無く世の中をかき乱す「外道」と言って良い。
 全知全能の「正しさの化身」がいるならだが。 あの世なんて有ろうが無かろうが私に「味方」がいないのは確かなので、やはりどちらでもいい・・・・・・要するにいつもの事だ。
 さて、彼の望みを聞く事で間違いなく、彼らの神とやらは都合の悪い部分、邪魔者の始末という悪の部分だけを私に適用し、この聖人にそれらの黒い部分を適用せず持ち上げるのは今更語る価値の無い噺ではある。人の世の常だしな。
 まああの世で訴えられても口論なら勝つ確信がある。それも間違いなく論理ではなく権力などの力でごり押しするだろうから、無駄な事だが。
 いずれにせよ、考えても行動しても無駄だ。
 無駄な徒労は避けたい。殺すのはいいが、私に責任を押しつけられないよう振る舞いたいものだ・・・・・・どう振る舞ったところで毎回私が何もせずとも諸悪の根元という事になるので、それも無駄な徒労だろう。ええい、どうしろというのだ。
 私か? 私が悪いのか?
 なら、なおのこと殺さなければな。
 要するに正論を押しつけられているのだから、押しつける奴を殺すか、向こうが暴力で来るならこちらも力で対抗するしかあるまい。目には目を歯には歯を、あの世には弁舌と扇動だ。
 そうなったらやはり、説得しかあるまい。
 あの世に限らずどこでもそうだが、力を持つ輩というのは大抵の場合「人徳」で上に立つのではなく、力で成り上がっているだけの場合が多い。人徳があるならあるで、私の話を聞く必要が出るので、何にせよ扱い易いのは確かだ。
 この聖者もそうだが、こういう正しさを信じる連中を倒すには、「その他大勢」を説得した方が早いのだ。集団など崩れる為にあるものだしな。 今回も検討しておくとしよう。
 無いとは思うが、もし今回の件で私に不利益がありそうな時には、周囲の連中と丁寧に話し合いをする事で「平和的に」解決する準備も必要だ。「実は、この男を殺して欲しいのです」
 そう言って彼が取り出した写真を眺めつつも、私はそういった裏事情を考えていた。とはいえ、標的の顔を忘れても何なので見るとしよう。
 そこには、気迫のありそうな男の顔があった。 名は、ベルモンド・カッサラーと言うらしい。如何にもな強面で、いっそ裏社会の住人を統べる犯罪組織のボス、と言われても信じられる。
 ふむ、これならあの世から文句も出るまい。
 出たところで、やはり無視するのだろうが。
「それで、この犯罪組織のボスに何の用だ?」
「ははは、気持ちは分かりますが、彼は極普通の一般人ですよ。確かに裏社会との繋がりも噂されていますが、表向きはただの商人です」
「これが?」
 何故そういう輩と縁があるのか不思議だ。いや私はどちらかと言えば絶縁体なので、主に公権力と縁を切りたい奴が寄ってくるのも無理はない。 そういう事にしておこう。
 深く考えても得は無さそうだからな。
「理由を聞いておこうか」
 聖者の殺害理由。それはそれで作品のネタにはなるだろう。極論、作品のネタさえ手に入るなら依頼達成は些末事だと言える。
 誰かを殺すという道徳的に耐えられない殺人者だと、倫理観を調教された現代人にはこの労働は耐えられないらしい。少なくとも志願者は少なく適正がある奴はもっと少ない。私も後から知ったのだが、考えてみればあくまでも私が貰った力、この「幽霊の日本刀」は便利な力ではあるものの当人の倫理観とは何の関係性も無い。
 つまり、力があっても無理な奴には無理だ。
 私が考えているより同業者は少ないのかもしれない。まあその方が助かる。依頼人をえり好みし金をつり上げられるし、私は何も困らない。
 万々歳だ。殺し屋は素晴らしい。
 毎回殺されそうになるが、私の場合いつもの事だしな。特に何もしていないのに、顔を合わせただけで殺意を以て向かってくるなど珍しくもない・・・・・・何故だろう。私に人徳が有りすぎるから、あるいは凡俗には眩しすぎるのかもしれない。  劣等感でそういう行動を取る奴は、よくいる。 ならば見逃してやろう。小物を毎回殺してなどいられないからな、有り難く思っておけ。
 いや、やはり有り難みはいいから金を払え。
 それでは何も得になるまい。人徳より金だ。
 だが、彼はどうやら違うらしく、こう言った。「ええ、実はアンドロイド関係者の中では有名な方でして。人間至上主義推進派、とでも言うべき行いを日頃からしておられます」
「つまり、貴様等の邪魔だからか?」
 安易な理由だ。面白くもない。
「いいえ、違います。私達は、いえ、少なくとも私は彼に好悪の念はありません。何故なら、人間側との摩擦もそれはそれで必要だというのが私の判断ですからね。ある程度は争って貰わなければ組織としても張り合いがない」
 妙に現実的な発想の奴だ。
 しかし、ならば何故殺すのだろう。こういう噺では大抵「散々迫害されたから」とか「圧制者は殺すべきだ」とかありきたりな理由が多い。だが他に何か理由があるなら、それは何だ?
 感情でなければ都合だろうか。
 私は問うてみたが、外れたらしく
「それも、少し違います」
 と言われてしまった。
「彼の商業理念は「人間という種族」を重んじるなら、実に「正しい」と言えるでしょう。人間の権利拡大の為に税制、国境、軍備とあらゆる方面で活動しています。具体的に言うとアンドロイド関連の会社に対して他会社への買収を仕掛け難く法整備したり、不法移民ならぬ不法アンドロイドの密入国を防ぐ為に集団での受け入れを拒否し、あまつさえ人間の兵士制度の見直し、ドローンによる機械兵団の否定活動までしています」
「立派な御仁じゃないか」
 私は適当にそう答えた。人間の権利云々などと言われたところで、その権利とやらを主張出来た試しがない。権利とは、そういうものだ。
 振り回せる奴が勝手に振り回すだけ。
 ただの、それだけだ。大した物ではない。
「ええ、ですがこちらとしてはそれらは構わないとすら考えています。争いは発展を生みますから・・・・・・ただ、それにも限度はあります」
「限度?」
 争いに限度なんてあるのか?
 初めて知ったぞ。私は知らなかった。
 いいじゃないか、無限の争い。常日頃から経験している私からすれば「成長」など所詮持つ側の妄想に過ぎないので、争いを楽しむべきだ。
 成長など、何の役にも立ちはしない。
 苦悩から得られる経験など知れている。金にはならないのは確かだ。
 
 他でもない「私」」が言うのだ、間違いない。 
 苦痛や苦悩、苦しみの全てから得られる何かは絶対に「力」を持たない。存在としては空気抵抗以下、あるだけで面倒を引き寄せる概念だ。
 おまけに無駄な徒労しか生まない。
 よくある「苦難の道から得られる物がある」という話は、とどのつまり苦難を知らないからこそ出る台詞でしかない。この世に苦難の道があるとして、苦難の後に仲間との協力で勝利が得られたという類の妄言は止めて欲しいものだ。
 それでは苦難でも何でもあるまい。
 ただの人頼みだ。どこに苦難がある?
 最終的に己では出来ない事を、誰か頼れる奴に頼ればいいだけだ。出来ない事を出来るよう改善した訳でも、出来ないまま変えた訳でもない。
 それでどこを誇れるのか不思議だ。
「彼は、戦争を起こすつもりのようです。戦争の影響で出る軍事産業の活発化、それに伴う金属の販売で利益を稼ぎ、大勢の人間の兵士を雇用する事で見捨てられた軍事関係者の生活を保障して、大勢の「アンドロイド産業の影響」で、失業した多くの人間の支持を得るつもりのようです」
「話を聞く限り、やはり貴様等の都合だろう」
「かもしれません。多くの死者を出さない為にも彼には死んで貰う必要がありますから」
 かもしれないという聖者や、人間とは違うとか言い出す人外ほど、自認の無い半端者はいない。 自分達がやっている事が、敵対している連中と何ら、変わらない事に気付かない。何故なら彼らがしているのは結局、ただの現実逃避だからだ。 だから、綺麗汚いがあると思い込む。
 馬鹿を言うな。人間も聖者も、怪物も神仏も、全て同じだ。本性は悪性であり、生きているだけで他者を殺し何かを奪い、害悪そのものとなる。 生きていて良い生命など、存在しない。
 世界に容認されぬからこそ、生き抜くのだ。
「多くの死者を出さない、か。大勢の人間、いやアンドロイドが死ななければそれでいい、という事だろう? それは貴様の勝手な都合だ」
「・・・・・・ですかね。私はただ、仲間の苦しむ顔を見たくないだけなのですが」
「他者は傷つけるが、自分達の陣営だけは死人を出したくないとでも?」
 随分勝手な屁理屈だ。何であれ、向こうは急にこちらを殺しに来る可能性はあるのだから、その覚悟だけはしなくてはならない。
 歩くだけで人殺しだ。
 呼吸だけで殺人鬼だ。
 そんなのは当たり前の前提であって、いちいち指摘される方が間違えている。
 反省しろ馬鹿め!
 しかし、彼は開き直ってこう答えた。
「ええ、身勝手なのでしょう。しかし、それでも私は仲間の為に戦います」
 つまらない答えだ。どうやら今回は標的の方に期待しなければならないらしい。
 なので一応、念には念だ。
「依頼内容は「標的の始末」でいいな?」
「ええ、勿論です。方法は問いませんが、今回はあまり波風を立てたくありませんので「事故死」に近い形が望ましいかと」
 注文の多い奴だ。
 だが、やったぞ。「言質」は取った。
 なので私は笑顔でこう答える事にした。
「いいだろう。貴様等アンドロイドの未来の為に一肌脱ごうじゃないか」
 無論、その未来は私の役に立つ形でだがな。
 
 見ていろ、この物語を盛り上げてやろう。
 
 
 
 
 
    2
 
 
 
 つまり、標的が死ぬ形さえ取ればいいのだ。
 他はどうなろうと構わない。結果、標的を殺す前より状況が悪化し、戦争経済を潤したところで誰が文句を言えよう。文句ならあの聖者に言え。 私は悪くないとも。依頼を果たしただけだ。
 大体、楽して誰かの手を借りて殺そうなどと、そんな仕事という概念を知らない無職特有の発想だから足下を掬われるのだ。これだから無職は。 私でも仕事をしているんだぞ。
 儲からなくとも、成果に金が未払いでもやっているのだ。恥を知る感性があるなら穴にでも入ればどうだ。その知性があるとは思わないが。
 まずは本の一つでも書け。話はそれからだ。  言っては何だが己の考えの全てをまとめる事も出来ない奴に、何かを成し遂げられるとでも思うのか? 生憎だが無理な相談だ。
 博打狂いの言い訳に等しく見苦しい。
 少しは考える事だ。強さも弱さも併せ持たない私ですら、それは可能なのだからな。
 可能なだけで、実利にはならなかったが。
 上手く行かないものだ、まったく。
 とはいえ、口先だけならお手のものだ。先程のあの世の話ではないが、私ならアンドロイドでも人間でも怪物でも神仏でも死霊でも等しく全て、「ビックブラザー万歳」しか言えないように教育する事は容易だ。
 任せろ、丁寧に「説得」してやる。
 心が無いが故に、心に対して私は無敵だ。
 それが何の役に立つのかと言えば、そうだな、敵を増やすのには事欠かない。あと、何もせずに困難を増やす事だけは得意になる。
 嬉しくもない技能だ。いや本当。
 だが、理不尽を良く知るが故に、天使のように祈りさえすれば約束を破るのが合法だと、暴力で事を済ませたりもしない。約束は守る。
 どう守るかは私次第だが、遵守するとも。
 なので、とりあえず標的は始末しよう。始末の意味合いは私次第だが、とにかく消し去ればいいのだから、簡単ではある。その結果依頼人の望む結末にはならないと思うが、構うまい。
 私にとっては「仕事」ではなく「労働」だしな・・・・・・仕事であれば約束を守り期待以上の成果を出さなければならないかもしれないが、あくまでこれは労働であって、手慰みみたいなものだ。  このベルモンド・カッサラーなる人物について調べてみたが、面白そうな御仁だ。何でも元々は戦時中に軍部から商売を圧迫された経験からか、独自の力を持つ事に拘り治外法権のような地区に居を構えているらしい。
 アンドロイドも人間も、すべからく同じだ。
 どこにでもそういう地域はある。法律など所詮国家を気取る集合体のエゴだからだ。そしてその集合体というのは求められる機能を果たさず税金だけは庶民から徴収するというのだから、暴力で押さえつけているだけの愚連隊と変わるまい。
 同じ事だ。税金を払わない企業が幾つあるのか把握していない筈はあるまい。あれこれと高尚な屁理屈を人間は述べがちだが、つまるところ力を持てば何をしても許される。ただのそれだけだ。 道徳だの、倫理だの、所詮戯言に過ぎない。  だからこそ、不寛容なる生物淘汰の力でゴミを減らすのに一躍買う筈なのだが、現状人間社会で行われてきたのは淘汰ではなく持つ側の世襲制であり、事実として一度も人間は争っていない。
 ある意味世界一平和な生き物だ。
 何せ、争いをする事が許されないのだからな。 とどのつまり持つ側が、気分次第で振り回しているだけなのだ。戦争然り競争然り、同じ条件で争い合う事など人間はしないし、出来ない。
 必ず勝敗は、争う前から決まっている。
 だから、つまらない。見応えのない連中だ。
 文化だけは発展させているので今はまだ生きる価値があるが、最近は過去の傑作に頼るしか能の無い阿呆も増えてきた。もし、このまま堕落するのみであれば、私直々に剪定してやらねばな。
 その為の「物語」だ。
 物語とは、希望ではない。絶望を強いて希望を砕き、理不尽を知り道徳を汚し、倫理の嘘を暴き成長せぬ者を淘汰する為にこそある「兵器」だ。 精神面なるものがあるとして、それらに対する核弾頭みたいなものだ。派手にやるからこそ淘汰も大きくなる。そうでなければつまるまい。
 死んだ方が良い人間のおかげで世が乱れるなら死なすまでだ。自発的に死ぬべきだと無理矢理にでも認識させ、自認によって自害させる。
 それでこそ、面白い。
 だからこその「私」だ。
 その為にはまず・・・・・・標的に対して取材の一つでも申し込まなければな。幸い私の労働は、先に標的に内容が漏れる事はまずない。当たり前だが誰かに殺されるかもしれないと覚悟する奴が既に絶滅危惧種というのもあるが、それ以前に標的となる時点で敵の数が多過ぎるので、私一人を調べ対策する暇人など、いないからだ。
 しかし、法の届かない地域ではむしろ法整備が整っていると口だけは動かしている国家より法が行き届いているものだ。悪人は働き者ばかりで、善人と違って無職ではない。遊び人共には分からないかもしれないが、仕事とはそういうものだ。 だから、私の情報も漏れている可能性はある。 可能性の話をし出すといきなり目があっただけで殺意を向けられる事もある「私」だ。考えても正直、キリがない。なのでとりあえずは開き直り非合法地域について取材する事にした。
 良くある話だが、薬、女、そして武器売買などが盛んらしく、各地でアンドロイド人間問わずにあれこれ売り買いしているようだ。余所者の格好は目立つので、私はまず服を買い込み現地文化に合わせる。気休めだが無いよりはマシだ。
 こういう場所では「死」を意識しやすい。
 私の知る限り、人間は無論そうだが、怪物でもアンドロイドでも人工知能でさえ己の消滅に対し「恐怖」を感じるようだ。それは死ぬ事で失われる「何か」があるからであり、ある意味で生きている証明でもあるだろう。
 私にそれは無い。
 持ちたくても、持てないからだ。
 作品データが失われるのは普通に嫌だが、己の命云々に恐怖など感じようがない。そういう感性が存在しないというのもあるが、そうでなくとも無理だろう。仮に死後の世界とやらがあるなら、作品データを持ち込めない時点で無駄な徒労だ。それを生きているとは呼べないし、今までの全てがある意味無駄だったという証明になる。 
 逆にあの世も何もないのであれば、それこそ私にとってはどうでもいい事だ。私が執着するのはあくまで「仕事」であり「物語」であって、今の命に興味は無い。無論無駄に痛めつけられて死ぬつもりもないが、生憎と執着出来る程何かを得た事が無いのは確かだ。
 作品データ云々は、それらと種類が違う。
 だからこそ、どれだけ文明が栄えようが私には何の関係もない噺だ。とどのつまり私は怪物連中のように「混ざりたい」と望む事すら出来ない。どんな形であれその輪の中に「関わろう」と考えられないからだ。
 正直な所、他人事だと言える。
 人間は、暗闇の中に閉じこめられると発狂するらしいが・・・・・・私は暗闇しか知らないし、光ある世界を見る目玉が存在しない。
 それを欲しいとさえ思えない。
 だからこそ、金、金、金だ。それらしい幸福を押しつけられたところで、いやそもそもそういう幸福と私は縁がないのだから、無駄な徒労だ。
 何でもいい。とにかく「金」だ。
 金で幸福を定義し、己の仕事を成功させる事。それが私の「目的」であり、辿り着くべき目的地なのだ。そこへ辿り着く為にこそ「私」はある。 そう考えると、アンドロイド共は贅沢だ。
 あらかじめ人生を謳歌できるだけの優秀な性能を授かっているのに、それだけで満足出来ない。どころか、「人間性」なんてあやふやな物を求めそうでない自分達は「不幸」とさえ言い出す。
 訳が分からない。我が儘な子供か貴様等は。
 その辺は怪物連中も似たようなものだが、要は持つ側にいる時点で何かを変えようとはしない、という事なのだろう。変えようと思わず博打など打たずとも、とりあえず生活が出来るからだ。
 出来てしまう、と言うべきか。
 結果だらだらと惰性の生活を送り、己が如何に肥え太っているのかさえ解さなくなる。面倒な事にそういう連中に限って力を持っているものだ。 だが、今回の標的はどうだろうか?
 確か、商人としてはそれなりに成功したらしいが、その割には人間の権利云々を語っていると、依頼人の聖者は口にしていた。単純に馴れ合いの世界が性に合わないだけかもしれないが、しかしそれだけで世論を敵に回す奴も貴重だろう。
 この辺りではアンドロイドも危ない。何故かと言うと、人間を尊重する連中の過激活動が盛んであるらしく、要は分解されて売られるのだ。
 人攫いならぬアンドロイド攫いか。
 勤勉な奴等だ。いやこの場合、分解した部品を売り買いするような狡い商売ではなく、新製品の開発でもした方が世の為己の為になるだろう。  では言い換えよう。怠惰な奴等だ、まったく。 少しは働いたらどうなのか。暇で羨ましい。
 まあ仕事をしたところで利益になるかは運不運が全てというのが人間社会の仕組みなのだから、今の世では「仕事」そのものが「無価値」だ。
 誰も仕事などしていない。
 労働でただ歳を取るだけの奴等と、その労働を搾取してだらだら太る奴がいるだけだ。誰一人として働かない。だから世が回らないのだ。
 迷惑千万極まりない。馬鹿共が。
 所詮呼び方の違いだと、連中はいつになったら気付くのか。あれこれと目先の物に食いつくだけでなく、己の意思で考えねば意味があるまい。
 いっそその辺り、取材してみるか?
 アンドロイドもそうだが、怪物連中にしたって所謂その「心の喜び」みたいな概念に準じているらしいからな。それは、私には無い概念だ。 
 まあ人間に関わるだけで毎回石どころか殺意を向けられる事が「得意」な私だ。怪物共相手でも何を向けられるか分かったものではないが、別段いつもの事なので気にはするまい。
 問題は、そう、「金」だ。
 実際、考えてみれば人間だろうがアンドロイドだろうが怪物だろうが、とどのつまり連中の喜びとは「心を慰める」部分にある。客観的に構造を理解したところで、私にはそれらを書こうと思う事が出来ないのだ。
 何せ、私には関係ないしな。
 地球の裏側で何人死ぬかを気にする奴など私でなくともおるまい。それくらい、私にとって心の喜びというのは「他人事」なのだ。あくまで心の真似事に過ぎず、得ている訳ではないからな。
 誰かを大切にする。
 わからない。そも大切にされた事も大切に思う事も無い私に、どうしろというのだ。作品データは大切だが、そういう意味ではあるまい。
 流石にデータを失うのは困る。だが、己よりも大切だと誰かを思う気持ちなど、私には無い。
 第一、味方などいた試しがないしな!
 会話を成す、敵だ。
 目線が合う、敵だ。
 生命である、敵だ。
 何であれ、全て「敵」だ。何かが味方してくれ楽できるなら苦労はあるまい。実際に、好意など私は向けられた事が無いので頭でしか知らない。 何だ、それは。食えるのか?

 いやどうでもいい。その好意は零落の前触れであり、幸運は不幸を虚飾する詐欺の手口だ。未来とは薄汚い金融商品であり、利子を取られる。
 それが「事実」だ。
 事実ばかり見過ぎると最近注意された気もするが、構うまい。第一、他に何を見るのだ?
 元より私にそれらの機能は無い。
 何にしろ、金、金、金だ。そういう誤魔化しは金を得てから適当に考えればいい。現実問題私に関係のない妄言でしかないのだ。関係ない虚構に真剣になるなど無理がある。ふん、誰かの為だと言いながら殺す奴の気持ちは理解し難い。
 出来るが、疲れる。
 私には関係ないからな。役に立たない誤情報を大切にするのは時間の無駄だ。何であれ、時間の無駄は省くべきだ。そうじゃないか?
 適当でいいのだ、そういうのは。
 どの道、私には関係ないしな。
 知った事か。いいから金を払え。
 確かに・・・・・・成功は人を縛るだろう。勝利とて積み重ね過ぎれば邪魔なだけだ。とはいえそれで贅肉をそぎ落とし骨だけで生活出来るか!
 
 やりたいようにやる。
 
 ただその一点だけで言えば、世界中の何者より私は自由だと言えなくもない。だが実際には違う・・・・・・何せその行動を他の要因で縛られる。
 世間の都合、組織の都合、誰かの都合。
 力が人間社会の基本である以上、それら他人の都合につき合わされる在り方を肯定するつもりはない。やりたいように敗北では本末転倒だ。
 私が保証する。ロクな事になるまい。
 スケジュール通り周囲の期待に答え続けるのは論外だが、ならばプロとして全うすればいいだけではないか。元より、それが嫌ならやるな。
 する資格があるまい。
 何者であれ、他者の上に立つだとか、あるいは権力を握る為だとか、そんな理由では上り詰める事など出来ないのだ。その程度の前提、子供時分から私は理解していた。当たり前だが、それらの基準は所詮、偉そうに振る舞うだけで何一つ成し得なかった連中がほざいている台詞だ。
 盲目的に信じる方がどうかしている。
 私に言われたらお終いだぞ。既にそうかもしれないがな。
 まったく、情けない。
 やれやれだ。たかがその程度の考えすら、大人だと言い張っている連中が理解しないのだから、私が参るのも当然だと言えよう。相手するだけで疲れるし、言い聞かせれば逆上だ。
 これが人間性ならそんな物は要らぬわ!
 非人間で大いに結構。そんな無様を晒し続ける生き物になど、なりたくもない。成すべき行いは仕事だけでいい。何者であれ、同じ事だ。
 仕事を成功させる、即ち己の生き様だ。
 それを世界に大いなる傷として刻みつけるから面白いのではないか。傷や迫害を恐れたり、過去に囚われ目先も見えなかったり、馬鹿か貴様等は・・・・・・・・・・・・そんな些末事は後にしろ後に!
 仕事、仕事、仕事だ。
 酒? 味に共感出来ると思うか? 女? 私にそれで喜びを感じろとでも? 権力? それより物語をさっさと売ってこい!
 とにかく、仕事だ。
 それ以外は全て余録というか、そもそも私には存在しない概念であるからして、考える必要など無い。いずれにせよ縁のない世界の噺だ。
 無論、使えれば使う。
 だが、仮に私のような非人間でないとしても、やはり至上にあるべきは「仕事」でなければならないのだ。本来、仕事とは生き様そのもの。
 であれば、それが至上であるのは当然だ。
 私は大した才能も弱さによる強さも無かったが・・・・・・自我の芽生えた頃からずっと、そればかりを考えていた。
 
 
 何を成し遂げ、死ぬべきか。
 
 
 それだけだ。追い求め、見出し、共感出来ずにそういう体で生き抜き、それを良しとしたのだ。持たざる身が幸いしたのはこれくらいだ。 
 私には、何も無かった。
 おおよそ人間の唱える「人間性」その全てが、私には他人事で、努力すれば後退し、前に進めば敵が増え、それでも得る物は何も無かった。
 ただ、ただ、酷い目にあっただけだ。
 得など、一度としてしていない。
 それだけは確かだ。
 だからこそ、焦ったのだろう。急がば回れとも人は言うが、己の指針を後出しで成し得た気分になっている馬鹿共と違って、こういうのは可能な限り早めに見出すべき事柄だ。後付けの生き甲斐でその気になるだけの阿呆には、分かるまい。
 とはいえ、金にならなかったのも確かだ。価値を出せなければそれだけやっても徒労に過ぎない・・・・・・とどのつまり、当人など実利に関係ない。 成るか成らないかはその外で決まるものだ。
 嫌というほどそれを見ていれば、流石の私でも学習する。毎回忘れて再挑戦している気もするがやはり無理なものは無理だ。成しようがない。
 ここまでしておきながら、私が言うのだ。
 当人の意思や行動など、実利があがるかには、何一つ関係ない。それが「事実」だ。成功者共は如何に苦労したかを語りたがるが、私に言わせれば語れば語る程そのメッキが剥がれるのだから、止めた方が賢明だ。
 成功の法則など、あってたまるか。
 ただでさえ成功に限らず、この世界の基本法則に相容れない存在なのだ。もしあるなら、それを殺す為にこそ「私」はある。
 勝機の欠片も無いが、やるしかないだけだ。
 迷惑な話だ。世の馬鹿共が手抜きをした結果を何故私が尻拭いしなければならないのか。しかも報酬はゼロ、これではやる気などある訳がない。 貧乏くじ、というやつか。
 その貧乏くじを引かされてまでやり遂げた偉業の全てが、無に帰すというのだから本当に無駄だ・・・・・・徒労であり、無為でしかあるまい。
 遠回りではない。無駄足なのだ。
 いい加減嫌になるのも飽きてくる。それくらい無駄足を踏みながらも進み、徒労を徒労で無くす為に費やしてきたが、やはり、疲れた。
 少し休みたいものだ。
 まあ作家に休みなど無い。寝ても覚めても物語があるだけだ。昔はどうだか知らないが、今では金にもならず損だけがある廃棄物に過ぎない。
 なるべきではない職業、第一位だ。
 私が保証する。真っ当に幸福になりたいなら、物語など書くな。いや、むしろ物語に関わるべきですらない。
 いっそ全て燃やしてしまえ!
 そう言いたいところだ。実際、紙媒体で物語を楽しむ感性が今の人類にあるのか? 
 作家の実状がその証明だ。下らない駄作ばかり追い求めて、何がしたいのだ貴様等は。そんなにゴミを増やしたいのか?
 ならば汚水処理でもしていろ、お似合いだぞ。 いなくてもいい奴は、山ほどいるからな。
 価値を生み出そうともせず、だらだら価値だけ貪るような奴に、生きる価値はない。生きる資格が何者にでもあるならば、私が剥奪しよう。
 それは依頼人の聖者も例外ではない。
 全て等しく、ただの命だ。
 尊いだの綺麗だの、知ったことか。
 生まれついての悪に理由など必要ない。根拠は邪魔なだけだ。理屈など切り捨ててしまえ!
 最近の物語における悪役はつまらない。理由は簡単で、彼らには「事情」があり「背景」があり何より「過去」が存在する。
 だから、面白味の欠片も無いのだ。
 適当に胸を張れ。勝機などある筈もなく、運命には嫌われるのが常だ。しかし、それがどうした・・・・・・貴様等は前提に苦戦し過ぎた。
 その程度の事、考えるに値しない。
 そんな横道に囚われるから、勝てる戦しかせず少しでも理不尽があれば頭を垂れ、諦めから出た目的意識もどきで満足し出す。
 それに己で気付いていない。
 いいではないか・・・・・・そも運命に嫌われようが人間に嫌われようが世界に迫害されようが、実利とは何の関係もあるまい。まして、目的を目指す行いそのものは不動だ。何者であれ、止められる存在などありはしない。
 笑いながら、それを喜ぶ。
 だからこその「悪」なのだ。
 まあ、理系でもない限り、生まれついての悪は儲からないようだがな。文系の方が悪として深い自負はあるが、それで懐は暖まるまい。
 いっそ今からでも宗旨替え出来ないものか。
 理系か。小手先の悪意などつまらないものだが多少は心構えがあってもとは思う。考えて変わる物でもないから、考えるだけでしかないが、まあそれにしてもだ。喜びつつも己の通帳を嘆くとは我ながら器用な事だ。
 悲しむ感性は存在しないので、この場合やはりそういう真似をしているだけ、実際に儲からない事実を「嘆くべきだ」と捉えているに過ぎない。だからこそ、心ある連中と違い止まる事は無い。 冷徹さすら必要ない。当たり前だからだ。
 悲しむべき時にその権利は無い。
 怒るべき境地にその権利は無い。
 喜ぶべき行いにその権利は無い。
 哀れむべき者にその権利は無い。
 こう説明すると不自由に思えるが、別段不自由はないのだ。喜怒哀楽など「ついで」だ。仕事の合間の休みみたいなもので、無くてもいい。
 少なくとも、私にはそうだ。
 それを言えてしまうから「最悪」なのだろう。 環境とは関係無い。そういう奴なのだ、私は。何をするにしても、悪だけに準ずる存在悪。
 それが「私」だ。
 魂が無かろうが人間性が欠落しようが、私には関係ない。元よりそのような余分で物語を書いた事など一度も無いしな。
 とどのつまり、核ではないのだ。
 手足が無くなろうが生物は死なない。生きるか死ぬかは行動で示されるもので、当人の欠損など所詮自己申告で構わない余録に過ぎない。別段、重く捉える必要など無い。他でもないこの「私」が断言するんだ間違いない。
 そんなものは、適当でいい。
 余分というか、お洒落みたいなものだ。世間の目を気にしてやるのではない。単に、流石の私も着の身着のままでは目立つからするだけだ。
 ただのそれだけ、何も「特別」ではない。
 些末な事なのだ。人間性を体現したから、どうなる訳でもない。その程度の事に圧倒される奴がいるとすれば、怠けてきた証左だと言える。
 有ろうが無かろうが同じ物に、圧倒されるな。 気にする程の価値も無い。些事に過ぎない。
 私には「熱」を感じる事で「生を実感する」という行いも、正直出来ない。仮に死んだところで文字通り「機能停止」するだけだ。だが、そこに何の問題がある? ありはしない。要するにだ、当人が身勝手な大望を抱き、それに準じて死ねばいいだけだ。
 己に準じて、死ね!
 何であれ、同じ事だ。
 優秀であれば何かを成し得ると勘違いした馬鹿が多過ぎる。脳細胞が活性化すれば傑作を書けるとでも思っているのだろう。そういう映画を見た事があるが、しかし優秀である事は、優秀であるだけだ。
 それなら優秀な奴を雇えという噺だろう。
 その為に必要な金を楽して稼げるから、成功を欲するだけならその方が便利だが、それだけだ。少なくとも傑作など書けはしない。
 だから、現代には駄作が多いのだ。
 己に準ずる事も出来ない半端者が、物語を書くことに何の意味がある。まさしく徒労ではないか・・・・・・・・・・・・それなら教本でも読めばいい。
 いっそ人体改造でもして優秀にすれば解決だ。 機械に書かせているのと何が違う? 違わないし変わらない。同じだ。成功すれば世界が変わるだとか、そんな浅はかな発想しか出ないのか?  情けない。
 それらゴミをもてはやすというのだから、正直人類の未来など既に詰まっているのかもしれない・・・・・・それならそれで、他を当たりたいものだ。 今ある世界に戦いを挑み、変革する。
 それが「生きる」という行いの一部であれば、私は今まさに「生きて」いる。だが勝機どころか目先すら真っ暗のままでは、疲れるだけだ。
 もう、何度挑んだだろうか。
 忘れた。覚えられる程少なくはあるまい。挑むという行いを体現し続けるとは、そういう事だ。 まったく、度し難い世の中だ。
 先人は何をしていたのやら。不甲斐ない。
 ちなみにその映画では優秀さを薬で手に入れはしたものの、主人公は「目立てば命を狙われる」という簡単な理屈すら理解出来なかった。
 優秀さと何を成すかは別、という事だ。
 所詮頭の良さなど小手先の小道具に過ぎない。私は、いや、私でなくとも「何かを語る」仕事をする者であれば知能に頼り書く事はしない。
 するだけ無駄だからだ。
 頭の善し悪しで何かを成そうとするなら、私は生まれてきた時点で失格ではないか。昨日の晩飯すら思い出さない奴に、期待出来る事ではない。 何かの拍子にそれらの能力を失ったらどうするつもりなのだ。事故か病かいずれにせよ失われる可能性はゼロではない。
 そういう輩は多い。
 今回の標的は、恐らくそういう輩からもっとも遠い存在だ。一言で評すると、

 手強い
 
 という印象を受ける。無論私には借り物の兵器があるので武力でそう押し負ける事は無いのだがそれこそ先程の噺だろう。便利な力を借りているだけで、言ってしまえばその「便利さ」だけでは通じない相手には「私の地力」が求められる。
 三流相手ならその心配も無いのだがな。
 やれやれ、参る噺だ。悪運だけは世界一か。
 他にあるのは閻魔も言い負かす口先と、無限の悪意くらいだろうか。何にせよ役立った試しなど無いので、実利には程遠い能力だと言える。
 連中のように楽が出来れば早いのだが、どうもそういう道程とは間逆の向きに進んでいるらしい・・・・・・私は物語の悪意で勝つ必要がある。 
 しかしそれも「必要」だ。
 やはり「願い」とは違うだろう。
 あるとすれば・・・・・・・・・・・・何だろうな。どこぞの革命家と同じ金言では味気がないし、ここは、悪意で世界を覆す、とでもしておくか?
 だが、それは「願い」なのか?
 世界を面白く悪意で染める。在り方であって、願いではあるまい。強いていえば「面白い何かを見続けていたい」とかだろうか。
 楽しみ続けたい。
 それが出来れば上々か。
 少なくとも、この「私」には。
 それが誰であれ「いるべき場所」があると人は言うが、私には存在しない。帰る場所など無いし辿り着くべき場所も欲している訳ではない。
 ただ、それが必要だからするだけだ。
 これが物語であれば、所謂その「不遇な状況」だと言われる物であるとするなら、それに見合う楽な金稼ぎ、才能でも環境でも仲間でもいいが、反比例するように補填が効くものだが、どうやらそうも行かないらしい。
 損ばかりで、得は何もない貧乏くじ。
 まさしく実利の欠片も無い。
 強さによる弱さも弱さによる強さも、無い。
 まったく、ロクでもない噺だ。労力という点において私を上回る輩はおるまい。何せ、何もかも費やし成し遂げた仕事が無為なまま終わり、かつ心ある連中の享受する豊かさの全てと縁が無く、しかもそれに見合う利点がある訳でもない。
 何をどうすればこうなるのか?
 無論、私が知りたいくらいだ。だからこそ私は苦労を尊重したり意志や行動に応報があると叫ぶ輩を認めない。あるものか馬鹿馬鹿しい。
 前世で戦争を起こしてもこうはなるまい。
 精々が岩山に封じ込められる程度と聞く。まああの噺はとどのつまり天の人脈便りで全てを解決する物語なので、個人を否定する物語だ。
 個々人の力で解決できれば苦労しない。
 ありありと、噺の中にそれがある。実際、弟子が見つからなければそれまでだろう。もし、この旅を私が行えば、そうなる筈だ。
 どころか、天の邪魔が入るに違いない。
 現にそうなってるしな。反ご都合主義だ。
 前世云々は論外だとしても、この「私」が誰かに嫌われる理由は必要無い。実際、理由など特に存在せずとも、邪魔だけはされてきた。
 何故かと言えば、因果が存在しない。
 気がついたら石を投げられるのはいつもの事だ・・・・・・そもそも、そうでもなければ全ての他者に敵視されるなど不可能だろう。
 ある意味、私だから出来た偉業とも言える。
 全ての他者に尊敬された聖者、そういう体面で扱われた奴はいる。だが、何かをする度に嫌われ目が合うだけで敵を作れる奴など、他にいまい。 嬉しくもないがな。
 役に立たないし、疲れるだけだ。
 実生活で「好意」を一切受けず、「悪意」のみ受けたからこそ出来た物語とも言える。とはいえ楽して稼げるに越した事はあるまい。
 最早私には「楽」が何なのかさえ、正直共感が出来ないのだが、それならそれで実利だけはいただきたい。仕事に報酬がなくてたまるか。
 真っ当な生活とやらに縛られている馬鹿な読者に対していつも公言している事だが、真っ当だと誰かが口にする道を歩いたところで、そいつらはただ偉そうに講釈を垂れたいだけであって、まず間違いなくその結末に対して責任など取らない。 だからこそ、やるしかない。
 正直やりたくもないが、仕事においてやらない選択肢など元より存在しない。仕事とは生き方であり、選ぶ余地の無い道筋だ。
 地肉を削った所で、保証など無い。
 絶望に望んだ所で、実利など無い。
 未来に挑んだ所で、栄光など無い。
 要するに人間社会に限らず、「生きる」という行いと向かい合う事は、即ち「損をする」事だ。他者から搾取したり要領よく振る舞えたり、才能だのという贈り物で楽をしている奴らには永劫、わかるまい。
 幸福から背を向ける、とも言える。
 私は元より人間的な幸福など些事であったが、仕事を志すという事は、どれだけそれを捨て去るかを競い合う行いとも言えるのだ。
 言わば「戦争」だ。
 一人で世界と相争う。
 勝ち目など端から無いのに、挑む方が異常だ。だが、そうでなくては「仕事」ではあるまい。
 ならば、仕事をする時点で無駄足だったか。
 若くして成功したとか抜かす連中は、自分達が世界を動かしていると勘違いしがちだ。何故なら彼らは己の力で成り上がれたと思うからだ。
 やりたいことをやれば成功出来る、と。
 優れた発想一つで世界は変えられる、と。
 貧富の差など如何様にでもなると、思い込む。 馬鹿馬鹿しい。理不尽の一つも経験しないと、そういう軽い頭になるのだろうか? やりたい事は仕事とは呼ばない。執筆などしたくもないし、読者の喜ぶ顔など見たくもない。己で選んだ己の道だから、進んでいるだけだ。
 したくもないが、選んだ道だ。
 引き返せないし、そのつもりも無い。
 それが「仕事」だ。ふん、まったく、我ながら何をしているのやら。そんな事を追求した所で、何がどうなる訳でもない。
 所詮、運不運だ。
 嫌と言うほど、知っている。
 誰よりも自認しながら引き返す事も出来ないというのだから、まさしくこれこそ「地獄」だろう・・・・・・その創造こそ、仕事だと言える。
 不利になっても、逃げられはしない。
 それらと向かい合う事。それが仕事だ。
 他でもない「私」が言うんだ間違いない。要は楽に生きたいだけならするべきではないって事だ・・・・・・・・・・・・それも今更だがな。
 今更だ、そんなのは。
 選ぶ余地があれば、こんな道を歩いていない。道と言うより殆ど密林か溶岩地帯か、或いは未知の惑星への侵攻だ。酸素すら無い。
 割に合う物など、何も無かった。
 だが、一度動き出した運命の歯車が止まる事は無い。ならば進むだけだ。運命など生きたままに生まれ変わればどうにでもなるが、進み出した事だけは変えようがあるまい。何より、その変革を行った上での今なのだ。
 どうしようもない。
 そこまでして進んだのに、これだ。せめて金になってくれれば楽なのだろうが、いつも楽をするというのは私には概念であって現実ではない。
 嫌な噺だ。
 得られた教訓はと言うと、そこまで多くもない・・・・・・強いて言えばこの程度だ。
 前に進め。
 取り繕うな。
 大勢が求める物を求めるな。
 振り向くな、止まる道は無い。
 後は精々が傷を負って誇りにしろとか、或いは道は与えられるのではなく選ぶべきものだとか、往々にして生きていれば当たり前の事ばかりだ。 知って当然の前提ばかりではないか。
 当たり前の事に感動するほど、私は暇ではない・・・・・・・・・・・・その上で勝たねばなるまい。
 殴り合えば生の実感が得られると人は言うが、それは単に仕事をしていないからだ。そんな方法など使わずとも、世界に挑めば嫌でも味わえる。 何せ、敵の規模が違う。比べようがない。
 勝ち目のある戦いなど、戦いではなく作業だと言えるだろう。だからこそ、やる必要がある。
 いっそ二重人格者みたいにある種の「モロさ」があれば自己防衛の為に肉体機能を拡張出来たりするのかもしれないが、私にそれは無理だ。
 出来る事を、やるだけだ。
 己の自己改造は得意だが、あくまで肉体機能の範疇に絞られる。それが一番恐ろしいのではないかという声も聞こえるが、生憎それだけだ。
 選択肢が無限でも、それだけではな。
 少なくとも、目的を果たせた事は一度も無い。ただの一度もだ。逆説的に当人の行動など実利に関係ない証明をし続けているとも言えるな。
 まったく、忌々しい噺だ。
 しかも、ただでさえ人間、というか心ある連中の感性から常に遠ざかっているというのに、最近流行の物語はその方面に訴える噺ばかりだ。
 人と手を取り合った事など当然無く、頭に手を向けられれば真っ先に暴力を警戒する。そういう道程を歩んできた私に、頭を撫でられて喜ぶ奴等の喜ぶ物語なんぞ、書けるか!
 実際、握手などしたことがないから誰かと協力するという行いでさえも、全てを想像で書くしかない。私に書けると思ったか馬鹿め!
 そんな気色悪い物語、こちらから願い下げだ。 その点で言えば、私からすると人間も怪物も、さして根本は変わらない。同胞を大切にする感性そのものが、私からは懸け離れているからだ。  仲間か。そんな便利な物があるとはな。
 楽で羨ましい。他にやることは無いのか?
 仕事とか、仕事とか、仕事とかあるだろう。
 鬼を見れば仕事をし、神仏を見れば仕事をする・・・・・・それが当たり前の前提だ。
 人を見た時? 取材して捨てろ!
 使えれば手を組んでもいいが、そうでない場合が多いからな。私の目的が果たされた暁には人類全てがこの「私」が足下にも及ばないような悪意を胸に保ち、その人格だけで世界を覆しうる器を持たせるつもりだが、まだ先の噺だ。
 無論、実現の足がかりは行う。
 それもまた、運次第だがな。運に頼らず力とは別の方法で行うにしても、それが実現の為に形と出来るかは、やはり運次第だ。そういう意味ではこの行いの全ては徒労という気もするが、それで止まれる程度の楽な道筋など歩いてはいない。
 貴様等と一緒にするな。
 私は暇ではない。仕事がある。
 故にこそ、些細な問題なのだ。人間的な幸福を求める連中の頭が不具合を起こしているだけで、むしろこの世界で正常なのは私だけなのでは?
 やれやれ、参った。手間のかかる奴等だ。
 私は保育士ではないのだがな。
 コピーのコピーのコピーみたいな毎日よりマシだが、それだけでも困る。とどのつまり人間社会において得るべきは「金」だけだ。
 現実の社会において、その他は付属品であり、金に付随する物でしかない。金以外にも大切な物があるのだと人は言うが、少なくとも現代社会において金と比較出来ない価値があるのは「物語」であり、しかし「面白い物語」に限る。近代では傑作どころか駄作の山が積まれている。
 本屋ではない。ゴミ屋だ。
 金に換えられない概念は確かに存在するのだと私も断言出来る。しかしだ、貴様等にそれがあると何故自惚れられるのかがわからない。
 不思議だ、貴様等が何を作り上げた?
 何もしていないのに、盲信だけはする。
 所詮貴様等に出来るのは、元から出来る行いを右から左へするだけではないか。理不尽な不可能に挑まず、可能だから、そう出来るからする。
 安全圏から高見の見物を決め込む。
 それで何かを成し得ると思っている。馬鹿馬鹿しい程傑作だ。不可能だから止めるというなら、歯車にでも生まれ直せ。
 それなら自我など必要あるまい。
 仕事とは、真っ当な幸福から最も遠い存在だ。悟りを開くのとは訳が違う。この世の理不尽から目を背けて逃げ出すのが悟りだとすれば、理不尽に挑み続け理不尽が降参したくなるまで繰り返し降参して頭を下げても首を切り捨てる事を言う。 意地でもやる。
 ただの、それだけだ。
 まあ、私に言えるのはそういう遠回りなんぞをしたところで言葉に説得力が宿る事も力になる事も無い、という事実だけだ。
 過程など何の力にもならない。
 それもまた、この世界の事実だからな。
 他でもない「私」が保証する。間違いない。
 そもそもどのような思想であれ、それが広まるのは成功者となるからであって、成功しなければ読まれる事すらない。あくまでも成功したという背景があるから人は思想を尊び、その成功に実利をあやかろうとする。
 己の意志で考える奴など、何人いる?
 テレビだの何だのカタカナ文字というのは気に食わない。どうせロクな物ではあるまい。実際にテレビを見ても、そう判断出来た。
 所詮、利権を垂れ流しているだけだ。
 だから、つまらない駄作ばかりではないか。
 どこぞの年中喋り続けるアンドロイドの有名人のように、一度消してしまえばその無為が嫌でも理解出来るだろう。
 所詮、虚構でしかない。
 虚構を現実以上にする演出家も大昔にはいたが現代ではおるまい。台本通りに喋るしか能の無い自称「著名人」ばかりだ。生憎だが知らんぞ。
 テレビを殆ど見ないというのもあるが、見た所ですぐに忘れられる程度の薄い個性、見せ物共が精々なのだから、どの道同じだろうが。
 電脳世界で人気取りとは、みっともない噺だ。 注目を集めて、それが何になる。それそのものに意味は無い。そのような世界で人気取りに執心するくらいなら、私のように前世紀の異物扱いを受ける方が、むしろ真っ当ではないだろうか。
 幸い、カッサラーとかいう今回の標的は連中と真逆の感性らしいので、絶滅危惧種ではあれど、未だ絶滅はしていない。それも、もう、寸前かもしれないがな。
 古い生き方で勝てるのは、持つ側だけだ。
 私が言うんだ間違いない。実体験だからな。  第一、私は他者とまともに関わりを持った事は一度も無いのだ。即ち古い生き方では最早現代の自称「心ある道徳的存在」の視界の内に最初から存在していないという事だろう。
 実際、私は対話などした事は一度も無い。
 以前にも書いた気がするので割愛するが、要は彼らの世界の中に、私は端からいないというだけの噺だ。いない者と対話などすまい。
 なので、その古い生き方は、死者なのだ。
 いや逆か。私からすれば死者の群が「文明人」を気取り闊歩しているだけで、中には文化を作り出せる奴もいるが、大多数の人間は既に死者だ。 絶滅寸前、追い詰めるまでもあるまい。
 更に言えば、「作家」という生き物は私の代で最後になるだろう。ふん、最後の生き残りと言えば聞こえはいいが、要するに売れ残りだ。
 誰も作家など必要としないのだ。
 作家を名乗り成功体験を書いたり、調子の良い夢物語で人生からの逃避を促すのが現代の作家であって、既に物語に挑む奴など存在しない。
 私か? 私は人間ではあるまい。
 己を人間だと一度として思わず、かといって、怪物連中のように楽が出来る訳でもない。ただ、世界から外れた失敗作だ。まあ、あのような連中が成功作なら、むしろ「傑作」と評するべきか。 貴様等が成功作なら、私は失敗作でいい。
 誰だって汚物にはなりたくない。生きるという行いに対して死ぬまで手抜きをし、己の仕事ではなく与えられる環境に不満をぶちまける。
 そんな暇人が成功作だと?
 ならば作り手は無職に違いない。何せ、仕事という概念を理解すらしていないのだ。そんな奴が作るならその無様さも納得というものだろう。
 お似合い同士、仲良くするといい。
 私は御免だ。貴様等とは違って暇ではない。
 生憎と「仕事」があるのでな。余所でやれ。
 人間は、いや人間で無くとも死した後はあの世とやらに行く物語は多いが、私は何度死にかけた所でそういった体験をした事が無いので、やはり魂が最初から入っていないのだろう。とすると、もしこのままで終われば「機能停止」だけだ。
 ただ、無為に終わるだけ。それではつまらない・・・・・・この身に魂があるか無いか、それは些末事であり考えるべきではない。その価値も無い。
 元よりそれは、知っている。
 仮に魂があると見なされたところで、同じ事だ・・・・・・私は心ある全てと違う場所から来ている。ならば、それに準じて進むだけだ。
 偶々、ある奴等と同じに振る舞っているだけで物真似に過ぎない。それでいい。別段私の懐具合に関係も無いしな。いや、あるのか?
 そんなだから儲からないのだろうか。
 だとしても、今更だがな。
 金、金、金だ。いずれにせよ、私が得るべきは金であって、それ以外は所詮、私を都合良く利用している連中の都合に過ぎない。あれこれ名誉であるらしき屁理屈を押しつけてくる奴は多々いたが、その連中が私の助けになった事は無い。
 ただの一度としてだ。知ったことか。
 あれこれと人生の「徳」みたいな思想をほざくなら、まずは仕事で儲け損なってから口にしろ。 子供の屁理屈など私が知るか。
 全ては「仕事」だ。それだけが肝要だろう。
 その他というのは、余裕がある奴の妄想でしかない。そもそも、そいつ等は仕事が失敗に終わり絶望した際にそれらの思想を説いたのか?
 だとすれば、誰も見向きもしなかった筈だ。
 負け犬が何を言おうと、ただの戯れ言だからな・・・・・・どのような思想であれ、勝利したから尊重されるのであって、誰にも知られぬまま敗北者として葬り去られたなら、誰もその聖者を認識すらせずに奉ることもない。
 言わば、新聞と権力の力が、聖者を作る。
 宣伝能力に長けた奴がいるからこそ、尊さとは生まれるものだ。扇動する側の都合に合わせ利用されている現代人と、さして変わるまい。
 そんなものだ。
 例のカッサラー氏はどうだろうか。人間至上を唄いアンドロイドを攻撃し、端から見れば圧制者にしか見えないかもしれない。だが、それは過去聖者だともてはやされた連中も同じだ。要するにその時々の都合で大勢を利用し、大勢に利用され時流に乗る事が出来たというだけの噺なのだ。
 何も変わらない。同じ事だ。
 そんな世界で手抜きもせずに生きているのが、私みたいな奴だというのだから悪い冗談だろう。お上品ぶっている連中にはその必要すらない。
 楽して、堕落して、それでも豊かであれる。
 羨ましい噺だ、暇そうで。
 得れば良いというものでもないがな。私の場合成功や勝利は「必要な手段」であってそれ自体を欲した事は正直無いのだが、それに囚われれば、それだけしか見えなくなるそうだ。恐らくそこは私も同じだろう。
 だが、違いは大きい。
 成功したらしたで思想犯として追い回されたり命を狙われたりする未来が目に浮かぶようだが、とはいえ生計は立てられる。いや、危険視されて現金を使うのにも困窮するかもしれないが、物語を広め金を得るという「目的」は果たせる。私は最終的に生計を立て物語を広められるなら、命が途中で消えても別段構わないしな。
 特に興味が無い。
 寿命の取引をしてはいるが、単純に目的を成す前に死んでは困るだけだ。極論、目的さえ果たし私が関与する必要が無くなれば、それでいい。
 今死のうが未来に死のうが、同じ事だ。
 そも私には「共感する心」が無い。社会形態に本当の意味で同化出来る訳ではないのだ。だから実感があるかと言えば、ある訳もない。
 人として、否、生命だと思った事は無い。
 物語を悪意で染め上げる「概念」それが私だ。 それでいい。何も私は困らないし、私の状態を斟酌する奴など存在しないのだから、考えてやる必要すらないのだ。ある意味、誰よりも自由だ。 生活の足しは必要だから、金は要るがな。
 だが、要るだけで、それだけだ。
 金は金。それだけで、他に役割はあるまい。
 ついこないだもドル通貨がとうとう破綻して、私も急いで円に換えたところだ。元より金を信用している訳ではないから、さしたる損害などある筈もなかった。いやこの場合、信用はしているのだが、信頼をしている訳ではないといった所か。 大国の威厳は永遠に見えるが、見えるだけだ。あっさり水泡に帰すなど珍しくもない。それでも私は金が欲しいがな。無いよりはマシだ。
 ここの連中もそうなのだろう。カッサラー氏の率いるこの非合法を煮詰めたような町では、金で買えないという発想が無いらしい。人も物も兵器すら簡単に売られ、誰も疑問に思わない。私からすれば、あまり金を信じすぎるのも考えものだ。 有用ではあるが、信頼すべきではない。
 あくまで使うだけだ。それ以外に何がある?
 そんな事も弁えないから人類は前に進まないのだろう。アンドロイドを作り上げれば表向きには人権を唱え、裏ではここのように身売りを強要し「持ち主が誰だと思っている」と叫ぶ。どこでも権利を唱えられれば義務を果たさず吠えるという愚か者はいるらしい。
 町中を歩いていると、アンドロイド連中が妙な薬らしき物を購入している所を見かけ、何かあると察した私はそこの売人に声をかけた。
「何を売っているんだ?」
「旦那には関係ないさ。これはアンドロイド用の薬だからね。人間向きはあっちで売ってるよ」
 成る程、そういう事か。
 まさかアンドロイドが麻薬中毒になる日が来るとはな。薬欲しさに身売りさせたり危ない仕事を任せて儲ける訳だ。 
 要するに、肩書きが変わっただけなのだ。
 麻薬をやっている奴が「人間」から「アンドロイド」と呼ばれるようになっただけだ。かつては「神々」と呼ばれる連中が世界を無茶苦茶にしたように、それから「人間」こそが世界を破壊していると言われ、その後に「アンドロイド」こそが人間の世界(そんなものがあればだが)を、乱すと暴力を振るっているに過ぎない。
 巻き込まれる方はたまったものではないが。
 こうして科学の粋を集めた町を見ても、違いは無い。形や性能が変わっただけで、根本的に何か変革がある訳ではないからだ。
 描写する程の価値すら、無いように見える。
 それでも敢えて挙げるなら、そうだな。例えば歩いている奴は殆どいない。何かしら補助装置があるから私のように徒歩で数キロを移動する奴はいないだろう。筋肉があるように見えるだけで、実際には薬漬けの「製品」としてあるだけだ。
 それでも中にははぐれ者がいる。このあたりもそうらしく、何人か話を聞いて回るとやれ機械は信用ならないだとか、現代の価値基準を否定する輩もいるようだ。無関心に受け入れるだけの奴で溢れている中で、それがどれだけ何かを成し遂げられるかは疑問だがな。
 それもまた、無いよりはマシか。
 世の中には矛盾という真理があり、物語と殺しはその中でも最大級の存在だ。ありもしない物語に夢を見て希望を得ようとしたり、法や倫理など役に立たないと悟れば涙を流して殺しを頼む。
 見る限り、そういう輩は絶滅寸前のようだ。
 死んだ方が良い奴は幾らでもいる。そういう奴が増えてきたからこそ、このような世界に墜ちたと言える。だが、連中は悪を拒絶し続ける。
 不思議だ。鏡を見ないのだろうか?
 かもしれない。であれば、嫌でも自覚する筈だ・・・・・・この世界には「悪」だけがあるとな。
 善という名の悪がある。
 正義という名の虐殺がある。
 大儀という名の搾取がある。
 区別という名の差別がある。
 何であれ、すべからく「悪」なのだ。悪でない概念など存在しない。良い事をしている面で悪を成すか、悪と自認して成すかの違い「だけ」だ。鬼と人に大差は無い。角を生やしたまま殺すか、角を生やさないで殺すかだ。欲望を公言しながら殺すか、欲望を否定しながら殺すかの違いだ。
 やれやれ、参る噺だ。他にやることはないのか・・・・・・あればこうはなるまい。
 だから、生物淘汰が足りないというのだ。
 もっと率先して殺し合う現実に目を向ける必要がある。散々軍隊が動員され大量殺戮を「正義」みたいな物で正当化すれば、何人殺しても大儀があるから構わないという発想など論外だろう。
 頭で世界が動くと思う癖に、自覚が無い。
 それで世界を動かした気になっている。だから世界を変えられないのだと、気づかないまま。
 どうやらここには、そうでない奴もいるらしい・・・・・・・・・・・・今はまだ、だが。そして、そういう本来の姿、とどのつまり自分達の都合で大量殺戮すら正当化する「現実」に目を逸らす奴等こそ、この社会を運営している気でいるというのだから狂った噺ではある。
 おかげで殺しの依頼金は高いと思うか?
 まさか。散々押しつけておきながら、自分達の価値観に、いや自分達の「道徳的な部分の保身」に都合が悪ければ、利用するだけしておきながら自分達は関係ない、むしろ被害者だと喚き立てるのが「人間」というものだ。
 飽きる程見てきたからな。嫌でも理解した。
 最早私にとって、それらは世界の一部なのだ。社会は金で出来ている。だが、一方でこの世界は悪意で構成された産物なのだ。
 どうして直視しないのか不思議だ。
 別段、大層な能力など必要ない。ただ、そこに目を向けるかだ。私でも出来るのだから。間違いあるまい。
 やろうと思えば、だがな。
 その点、心など無くて本当に良かったと、そう思わざるを得まい。連中はやたら心を好評価して持ち上げたがるが、それは物語の中での噺だ。
 現実に「心」に、何が出来る。
 むしろ必要なのは「悪意」だ。現実を見ろ。
 今そこにある悪意から、目を背けるんじゃない・・・・・・胸を張れ、堂々としろ。根拠など必要無く要領の良さなど捨ててしまえ。
 ゴミを引きずって何になる。
 やるなら大博打だ。勝機が存在しないからこそ挑む価値がそこにはある。そんなのは当たり前の事であり、前提でしかない。
 その上で、それを利益に変えるのだ。
 それが「仕事」だ。まずは働け。
 噺はそれからだ、二流共。
 運不運以外に取り柄のない輩が「成功者」だと思い込む無様さに問題があるのだ。とどのつまり運不運に流されているだけで、それに左右されず動かせる物が現代社会には殆ど無い。
 絶滅寸前だ。私が言うんだ間違いない。
 これは怪物連中も同じ事が言えるだろう。要は生まれ持った能力、運に頼らず何が出来るかだ。それが無ければ、そいつは装置に過ぎない。
 状況に左右されるだけの、演出装置だ。
 私が言えるのは、今ここにある「私」は、例え無数に散らばる可能性の世界に移動したところで必ず「悪意による物語」を肯定する「邪道作家」であるという事だ。とはいえ、ジャックに言わせればそれこそが「本来成すべき目的」らしいが、生憎とそれと儲かるかは関係ない。
 現に、貴様等がそうではないか。
 情けなく、もっともらしい屁理屈を垂れる事でしか、己を肯定できない半端者。その様で成功者とは笑わせる。人生を謳歌しているつもりか?
 残念だが、ロクに生きていない。
 そんなだから退屈するのだ、間抜けが。
 私など、退屈どころか休む暇すらない。そも、休もうと考えても書いてしまう。
 二十四時間、年中無休だ。
 嫌な噺だ。私も楽が出来れば良いのだが。
 それに、物語を以て世界を覆す事を旨としてはいるが、あくまでも「ついで」の充足の為の目的であって、実際には人間にそれは出来ない。
 歴史に学んで未来を切り開く。
 他者の経験から失敗を避ける。
 そういう事は出来ない生物であると、既に科学の力で解明されており、人間が学ぶのは「痛み」が唯一無二であるそうだ。考えてみれば当たり前だが、そんな学習能力があるなら戦争は繰り返し起こらないし、扇動される民衆は存在しない。
 つまり、こうだ。
 現時点で戦争が「少ない」のは、それが国家にとって実利の少ない行為、即ち「痛み」だからで何か成長の結果ではない。そも人類社会は成長をする者ではなく「勝利した」概念を尊ぶものだ。そして、勝利者とはとどのつまり「幸運」に味方されただけの存在であって、ただのそれだけだ。 人間の歴史は、反応の歴史だ。
 何も進んではいないし、省みる事も無い。
 ただその時々の結果を見て感情のままに反応を繰り返しているだけで、過去から学び未来へ繋ぐ行為など、ただの一度として行われてはいない。 少なくとも、運に味方された奴には無理だ。
 不思議な事に、運に味方されるとそれを己の力だと勘違いして、己の力を培おうとしない。故に幸運に対してあれこれ「成功の理由付け」をして己が如何に苦労したかを語りたがる。
 それが書店に並び、読めば成功すると思い込む・・・・・・そら、貴様等読者に期待すべき脳味噌などあるまい。読ませ聞かせるだけ時間の無駄だ。
 だから、その脳味噌をまずは殺し切る。
 それこそ生物淘汰だ。どれだけ犠牲が出ようが最終的に考えられる脳味噌が生き残れば解決だ。少なくとも、堕落しきった脂肪分は落とせる。
 汚れを消し去り実利を生み出す訳だ。
 幸運に味方され、痛みを後になって味わう奴は大抵そんな風に成り果てる。能力に恵まれた天才だの怪物属性だのに多く、己の授かった能力内で全てを収めてきたから、己の能力の範疇外で解決するという発想そのものが無いのだ。
 まったく、暇人はこれだから。
 今回の標的はそうでなくて良かった。まあ私がこれから殺すかもしれないのだが、確か最終的に標的の殺害、というか排除さえ叶えば他は問題としない依頼だった筈だ。つまり、どうとでも私が終着点を操れると言えるだろう。
 さて、どうするか。
 いっそ聖者のように「肉体的には死んだが大勢の凡俗共の象徴として生きる」みたいな終わりも良いかもしれない。それで更に争いが激化すれば見応えと作品のネタにはなるだろう。元より種族という呼び方の一種が違うだけで殺し合うような連中だ。そんなのは原因ですらあるまい。
 心ない私には理解し難い噺だ。
 第一、肉体があり、心があるという点において連中に差異などあるまい。本能では違いがあるのかもしれないが、それはどの生物でも同じだ。
 生物は生物だ。殺せば死ぬ。
 ただのそれだけだ。拘る価値があるまい。
 私見だが、恐らくそういった方面に思索せねば暇で暇で仕方ないのだろう。他にやる事が無く、だからこそありもしない優位性で暇を潰すのだ。 羨ましい噺だ、楽そうで。
 私には縁が有りそうにない。
 そんな遊びに、興味も無いがな。
 痛みや危険に「晒され続ける」という経験など無いから、自分の味わう理不尽がさも世界で唯一無二の酷い仕打ちだと思い込む割には、理不尽に対して何ら、対抗策を取ろうとしないのだから、私からすれば道化にしか見えない。
 その上、過去から何かを学んでいると思い込むのだから、手に負えない楽観主義だ。後から真理を説く事は誰にでも出来る。だが理不尽の最中に前に進む事は、当たり前だがそれに向き合った奴にしか出来ないものだ。
 とはいえ、それも力次第だろう。
 実際、何も持たず敗北して底辺にいるのに誇りを失わず堂々としている奴など、いるのか? 
 私の場合誇り云々などという大層な思想は正直無いが、ただ進み出した以上、途中で止める無様もしないし出来ないだけだ。
 ただ進む。ただ斬る。
 誇り云々など後で学者にでも語らせればいい。勝てば生きる。負ければ死ぬ。ならばただただ、進むだけだ。立ちはだかる理不尽は殺す。
 勝機はまるで無いが、考える必要はあるまい。 ただ、やる。それだけだ。第一、勝ち目のある戦いなど、戦いではなく作業だろう。
 その程度の違いも分からないから嘆くのだ。
 情けない。少しは仕事をしたらどうなのか。
 金を稼いでいれば「仕事」だと思い込んでいる奴等には、永遠に理解出来ないだろう。何せ当人にその気が無いのだから、出来る筈がない。
 土台、無理な相談だ。
 読者共には相応しい気もするがな。
 実際、平和な世の中などと笑わせる。紛争地域が狭いのはただその方が合理的に利益を得られるというだけで、別に人間が進歩したからではない・・・・・・・・・・・・合理的に戦争をしているだけだ。
 利益になるように、不利益にならないように。 ただのそれだけで、痛みを避けているだけだ。 そういう意味では痛みから「学習」はしても、それを改善する「進歩」はしていない。何しろ、人間社会において「進歩」とは権力や既得権益と相容れないからだ。最終的に誰が勝とうが、得た実利を失わない為に進歩を阻む側へと回る。
 人の歴史など、そんなものだ。
 その程度の中を、生きるしかない。
 面倒臭いが、他に選択肢はない。強いて言えば世界を丸ごと覆せればそうではなくなるのだが、それが実現する頃には私は金持ちになっている。 筈だ。でなければ覆せていまい。
 とどのつまり、世界は金と力だからな。
 倫理や道徳とは、それを振るえる側がその暴力を正当化する為の屁理屈に過ぎない。流される側ですらも、その奴隷だからというだけだ。
 単に、その暴力に従っているだけ。
 別に、道徳や倫理を語っている訳ではない。
 そういう意味では人類史において、倫理や道徳など存在しないと言える。どれだけ優れた治世を敷こうが、とどのつまり力による規範だ。
 そも、全ての人民に支持される王が、現代社会にいると思うのか? 私もそんな事は面倒だからこうして物語で悪意を刻むつもりな訳だ。
 思想を増やす奴を増やす。
 その方が合理的だろう。まあ、私の物語はその合理性から懸け離れているのだから、この場合は思想の浸食とでも言うべきか。
 人類皆、最悪だ。  
 それを自認するように促し、最終的にそういう世界を作り上げるように仕向ける。目的が達成し世界が変わる頃には私は寿命を迎えているだろうから、半分は「暇潰し」だ。もう半分は仕事だがそもそも仕事とは愉悦でもある。
 
 愉悦故に、仕事なのだ。
 
 でなければ、全てを賭ける事など出来まい。
 あらゆる善性に対し悪の素晴らしさを喧伝し、あらゆる悪を上回る悪意で世界の欺瞞を殺しきる・・・・・・・・・・・・だからこその「最悪」だ。
 だから、私に罪悪感など無い。今回の標的は、何でも人間側からすれば「希望の星」らしいが、希望というのは往々にして私の道程の邪魔だけをしてきたので、むしろ率先して殺したいものだ。 そんな便利な物が無いと進めないとはな。
 情けない。恥を知れ馬鹿が。
 信じるなら絶望の方にしろ。絶望は大抵期待を裏切らない。その先は予想しやすいからな。
 そしてその絶望に備えればいい。
 殺す相手が見える分、希望よりはマシだ。
 見えもしない希望なんぞ、何の役に立つ。
 とりあえずは全人類にこの「当たり前の常識」を常備させる。その次はアンドロイド、他惑星に生命体がいるならそれも全てだ。別に有機生命でなくてもいい。観測機械相手ですら、悪意を刻み事実を直視させてやろう。
 なに、今よりは住みやすくなる。
 誰一人善性を肯定せず現実だけを直視し、悪の有用さを惜しみなく扱い、殺戮による淘汰も社会に組み入れ誤魔化しの無い世界になるだろう。
 強い弱いではない。覚悟の問題だ。
 どんな弱者であれ、それは持てる。他でもない私ですら持てるのだから、それは間違いない。
 強さも弱さも必要ないのは、確かだ。
 誰でも出来る。やろうと思えば、だが。
 弱いからと言って弱者の為の世界を作ろうなどというのはただの欺瞞だ。なら弱いとされる奴は得をして、その為に世界が動くのか?
 馬鹿馬鹿しい。甘えるな。
 私は貴様等の保護者ではない。
 そも強弱と生き残りは関係ないものだ。弱さを理由に争いを避けるのは、ただの逃げだ。武器を使うなり頭を使うなりすればいい。
 それで死ねば、そこまでだったという事だ。
 しかし、発展した人類社会において、そこまで争いが激化する事は、まず無い。生死もかからず争えるのに、何を恐れる必要がある?
 さっさと殺意を向けろ。殺すのだ。
 それでも勝機が無ければ、いっそ説得して仲間にするのもありだろう。強力な敵に戦う事を諦め戦意喪失する有能な輩は多い。優秀故に、敵対者は必ず殺さなければならないと勘違いしがちだ。だが、そんな面倒をする義務がどこにある。
 力が圧倒的なら「説得」すればいい。
 私は毎回相手の力に及ばないので、必ずそれをしている。人間相手だと対話にすらならないから(人間は己の都合を喚き、それに合わない言葉は聞かない。ただ己に都合の良い返事を相手がするのが「義務」であると思い込むからだ)正直何の役にも立たないが、それ以外は何とかなる。
 かもしれない。得に保証は無い。
 私は「勝利」など知らないしな。
 この先も無いだろう。例えどれだけの可能性を回したところで、私が「心ある幸福」を実感して共感する世界だけは存在しない。
 ま、言うほど興味も無いしな。
 無い物は無い。ならばそれでいい。
 それはそれとして、実利を掴むだけだ。
 元より全てに指を指される身だ。今更世間的な幸福など些末事だろう。そういうのは恵まれてる怪物連中が目指せばいい。
 私は化け物だ。元より生命ではない。
 生命の幸福など、知ったことか。
 何であれ、仕事としてやるだけだ。実利を掴み幸福だという体で生きる。いや、生きているフリをして心ある連中の物真似をし続ける。
 それを完遂し、実利を手に入れて終える。 
 その上で広められれば問題あるまい。幸福ではないかもしれないが、目的は達成出来る。
 そしてそれで問題ない。
 私に心など無いからな。
 ならば、それで十分だ。
 栄誉の為に殺すとかほざいている連中に比べれば、こちらの方が私は良い。これだけ文明が発展したというのに、未だに人類は「正しい殺し方」があると思い込んでいる。生憎だが、同じだ。
 
 強いて言えば、金を受け取り仕事として殺せ。 
 貴様等のそれが「心の素晴らしさ」だと言うのならば、私はそんな汚物は要らない。非人間でも化け物でも上等だと公言出来る。
 何とかの為とほざく間に、首をはねろ。
 口より手を動かせ。私に言われたらお終いだぞ・・・・・・いや本当。その程度この「私」ですらしているのだからな。恥を覚えた方がいい。
 しがらみとか憎悪とか。
 所詮は暇人の発想なのだ。
 悪人がここに一人いる。とすればそいつは実利だけでは決して動かない。成すべきを成すならば己の身勝手極まる思想の為に、何を敵に回そうが「正当性」だけは決して口にしない筈だ。間違いである事を誇りとして、前に進むだけだろう。
 私か? 金になれば言うだけ言っておく。
 正当性を語る気は無いが、詐称して大勢を扇動するには丁度良いからな! だから正当性を利用する事はあっても、正当性を主張する事は無い。 それだけの違いだ。
 なので今更言うまでもない事だが、この「私」に殺人における各々の権利の阻害だとか、或いは平穏を乱すのかとかほざくのは、例えがあれだが釈迦に説法を説くに等しい行為だ。悪意だけならその頂点に(悪意だけだが)立つ私に対して道徳を説く奴など、あまりいないだろうがな。
 罪悪感を感じながら殺せば罪が最終的には無くなるというのだから、人間の世の「道徳や倫理」は私には意味不明な概念だ。まして神を信仰さえすればどんな罪も清めて貰えるなどと、連中には頭の病気が常備されているのではと疑っている。 その病気の正体が心なのかもしれない。
 心があるから勇気や愛が生まれ尊い人間性だのが生まれると思いたがる奴が多いが、別段心など無くとも勇気は必要であり、守るべき物があって(私には作品のデータくらいだが)それに応じる事を愛と呼ぶなら、そうなのだろう。
 つまり、心と貴様等の唱える尊さは、何一つとして関係が無いのだ。言っては何だがただの足枷であり、役立たずの粗大ゴミだと言える。
 魂なんぞ捨ててしまえ。
 進むべき道を進みさえすれば、それでいい。
 そこに悪魔との取引が必要ならば、魂を捨てて鬼となり、悪魔が欲しがる程の続編を書けばいいだけの噺だ。むしろその程度が出来なければ敗北だと言えよう。相手が悪魔だから悪意を刻めないなんて様では邪道作家失格だ。
 悪魔が苦しむ物語で、ようやく落第点。
 それが私の望む物語だ。その方が面白い。
 無論、苦しむというのは己の埒外の悪意を刻み「今までの己の悪意などちっぽけなものだった」と反省させるという意味合いだ。鬼が涙し悪魔が泣き叫び、あの世の支配者もブっ飛ぶ悪意こそが語るに相応しい物語となる。
 

悪意だけで張り合うなら、この程度は当然だ。 まあ、悪意で向き合ったところで勝てる戦など本来絶無であるのは承知だが、やるしかない。
 他にアテは無い。因果な商売だ、まったく。
 徒労にも程がある。大体、悪意だけで世界全てに打ち勝ったとして、それが何になる? ギネス記録でも貰えるのか?
 嬉しくもない。要するに貧乏くじだ。
 世の悪党など大抵そんなものだ。生まれついて悪であるという事は、本来人間に弾圧され嘆き、理不尽を呪う奴ではない。
 仲間の死体を引きずる奴に、仲間ごと爆撃でもしないと勝てない奴の事を指す。なに、生きてた頃に本人の許可を取ったと言えば何とかなる。
 筈だ。そこに責任は持たない。
 誰かに適当に擦り付けておけ。
 責任を取るのは責任者の仕事で、作家ではない・・・・・・精々面白おかしくそれらを語ると、作家は弁えていればそれでいい。
 考えるべきは、そう、読者の洗脳だけだ。
 頭の足りない読者がいるなら、これに悪意満点の栄養補給と称してこれを刻む。正すのではなく過ちを直視させるのだ。
 所詮成功なんぞ運不運。勝利者とは当人以外の力で成り上がった者であり、過程に何をしようが関係ないというのは嫌というほど知っている。
 第一、この物語がそれそのものだしな。
 こうして語る事そのものに、意味も価値も宿りはしない。ただ結果としてそれが売れるか売れずに消え去るかだけで、結果と過程は無縁だ。
 その評価も同じだろう。そもそも物語を真剣に考察する奴など何人いる? 現実逃避の為都合の良い物語を麻薬代わりに使うのが精々だ。
 後に何が残るか、残らないかさえ関係ない。
 少なくとも、この「私」には。
 私の成果を後々の連中が勝手に弄び、利用しているというだけだ。少なくとも今ここにいる私の貯金残高には関係あるまい。
 故に、過程の価値などただの幻想だ。
 何かを残せるとして、あるいは何かを変えたとしても、やはり私には関係のない噺だ。元より、私に「人間社会に生きる」感性など無い。
 人間社会に適応しているだけだ。
 ただのそれだけ、産卵するエイリアンだったとすれば、それはそれとして合わせていただろう。とどのつまり、私に生きる実感など無い。
 喜びも嘆きも全て同じだ。
 それはそれ、生活が大事だからな。
 主に、金銭面での仕事の充実とかだ。
 それらに必要なのは均衡であり、例えばこの街も技術と住人との力関係が適切になるよう調整を施しているからこそ、活気に沸いているのだ。  電気自動車にも油は必要になる。
 何であれ、科学技術に頼り楽をしようとすればそこには資源が必要になるものだ。移動の全てに科学を使うようになっては足が退化するのは当然だと言えよう。十キロ程度歩く事すら今の現代人とやらには無いらしいからな。
 山の一つ二つ、何故歩かないのだ?
 山とまで言わずとも、何かある度に文明の利器を利用するのは気に食わない。そんなだから己の歩くべき道すら誰かに聞いて判断する。
 地図なんて方角だけ分かればいい。
 その目で見て適当に書き足すだけだ。
 第一科学というのは一部の権力者(自分が権力を保持し、それを振るう力があると思い込む阿呆の事だ。実際にはただの職権乱用を行い、仕事の義務を放棄しただけの無職である)が支配者気分を味わう為に有効活用出来ないまま終わる機構であって、発展そのものに価値は無い。
 現に、庶民の生活はさして変わるまい。
 この「支配者気分」というのは曲者で、支配者を気取る癖に世の変動を好まず、結果管理だけを腐心する羽目に陥る。結果的には頭の中の混沌に怯え、現実を見た事もない阿呆が現実を殺戮の嵐に巻き込むという大層な喜劇が出来上がる。
 そもそも人間なんて支配して楽しいのか?
 統治と支配は違う。その程度の違いすら理解も出来ない阿呆が「上に立つ優越感」を欲しがり、結果ゴミの都合の為に周りが迷惑する。
 政治は営業ではない。成すべき責務だ。
 その点、今回の標的は責務を以て街を動かしているのが街を見るだけで伺える。それを始末してしまえば大混乱が起こりまた振り出しに戻るかもしれないが、いずれにせよ一時の異端が煽るだけでは意味があるまい。
 当人が死んだ程度で終わる時点で失格だ。
 そういう意味では私自身が死のうが生きようが悪意の普及が止まらないようにする必要がある。厳密には悪意そのものではなく悪意に対する自認ではあるが、要するに、私の思想が生き残れればそれで「勝ち」だと言える。
 現状、出来そうにないがな。
 何せ運不運と来てはお手上げだ。そんなものに好かれていれば、そもそも作家になどなるまい。悪運だけは腐る程あるが、幸運には縁が無い。
 まったく、嬉しくもない。
 確率論で運不運について語る男の書物を読んだ事がある。なんでも宝くじのような幸運で稼いだ奴の人生は同じ人生を数百繰り返せば再現せずに終わるから、それ以外の要素で稼いだ奴の人生の方が遙かに価値があるとの事だ。
 だが、そんなのは負け犬の理論だろう。
 要するに、必要なのは実利だ。宝くじで稼いだとは言えないだろうが、しかし宝くじで豊かさを掴んだ奴に、貧困に喘ぎそれでも前に進んだ奴の人生の価値など、比べるのもおこがましい。
 負け犬は負け犬だ。過程などゴミでしかない。 人間でも怪物でも、同じ事だ。連中の言う己の手で掴んだ力などその程度の偶然に過ぎず、またそういう当人以外の要素が味方したからこそ実利を掴む事が出来るのだ。
 結果的に勝てば、それが全てだ。
 結果的に負ければ、それが全てだ。
 過程にあれこれ意義を求めたがる悪癖を、何故改めないのか不思議だ。仮に、尊い過程とやらがあったとして、得られなければただの苦行だろう・・・・・・それで満足するのは、見る側が娯楽として楽しんでいるからに他ならない。
 意志だけで切り開けるという嘘を信じるな。
 それで何かが出来れば苦労しない。少なくとも私は苦労していない筈だ。そんなもので稼げるのであれば、私は執筆せずに漫画でも読んでいる。 だが、そうはならない。私が保証する。
 この「私」が言うのだ間違いない。
 意志の力など、無力以下の障害物だぞ。
 そんな妄想に頼るなら、何もしない方が遙かにマシだ。不利益が増えないからな。この街の連中だって、そんなものは信じていないだろう。
 街を歩くと、時代に適した若者がいる。
 彼らを見ていてつくづく思う。今時「世界全てを物語でひっくり返そう」なんて考えは時代遅れなのだと。今風(テレビは見ないのでトレンドは知らないが、要するに全体で同じ服装をしているかどうかだ)の格好をしている若者達は人間でもアンドロイドでも同じだ。
 真剣に生きるなど格好悪い。
 惰性で楽が出来る方が良い。
 幸福の基準は社会が決める。
 大体そんな具合だ。少なくとも物語として語る内容のある顔には見えない。何も語らないし作り出さないが、運が良いのか金は稼げるようだ。  その運不運が差であると現れているだけ。
 それ以外は、全て同じ既製品だ。人類はいつの間にか既製品の量産品に成り下がり、換えの効く歯車として同じような人生を並べ始めた。
 どれがどれだか、私にはさっぱりだ。
 違いなどあるのか? そうは見えないがな。
 どいつもこいつも、冴えない顔だ。
 アンドロイドは人間性豊かに人権を唱え始めたらしいが、私には違いが分からない。結局は連中だって、人間とやる事が変わらないからだ。
 大勢の唱える「幸福論」を信じ込む。
 まあ学習対象が今の人間なのだ。ならば幸福に対して真剣に考えられる筈もない。金より内実を求めるアンドロイドと話した事もあるが、どうも連中の話す言葉は薄っぺらい。少なくとも、私と同じように敗北ばかりの人生を送った訳でも病や無能のおかげで本来する筈のない徒労を繰り返した事も、奴等には無いからだ。
 人の悪性を直視しても、それを妄想で語るだけではな・・・・・・説得力に欠ける。いや勿論妄想だけで語れるなら越した事はない。
 案外、私も幸せな一般人かもしれないぞ。
 本当は口先だけで、人間らしい幸福な家庭って奴を持っていたんだ。全ては嘘八百で愛された事もあるし、愛する事も出来る。
 書いていて怖気がした気もするが、それだって嘘かもしれないではないか。どうだろう、読者はそれを信じるだろうか? かもしれない。
 何せ、これは「誰にでも出来る事」だ。
 文字が書ければ私と同じ物語を語る事は誰でも可能だ。子供でも大人でも、いっそ人間ではなく怪物ですらなく、遠い宇宙の果てにいる宇宙人であったとしても、語る事は出来るだろう。
 やろうとするかは別だが、それは私に聞くな。 別に語りたくて語っている訳ではない。私には他に語るべき事など無いし、幾つか子供向けとか官能向けで売れそうな物語とかも書いたが、物語を語ろうとすると何故か

「悪意を読者に刻み込む」

 事を至上とし、実行してしまうだけだ。一種の発作に近く、悪意が無ければ生きていけない。
 まあそれは私でなくても同じだろう。悪意とは生物には無ければならない物であって、悪意無き世界など生きるに値しない。金の無い商店街だ。 それでは需要が成立しないだろう?
 だからこそ、私は悪意を語るだけだ。
 そもそも幸福だの愛だのを実感した奴がこんな物語を書くかよと自分でも思わなくもなかったが理論上は可能な筈なのだ。それを他の全人類にも適用したいだけで、まだ大した目的ではない。
 徐々に徐々に、しかし確実に染め上げる。
 人類は勿論、他に知性ある生態系があるならばその全てに私の悪意を適応させたいだけなのだ。いずれは宇宙を覆い「善」という概念が滅ぶまで・・・・・・・・・・・・虚飾を取り払うだけの事だ。
 嘘に縋り、現実から目を逸らす。
 そんな汚物共が世界を動かすという気味の悪い状態を改善してやるのだから、いっそ国連平和賞くらいは授与すべきだろう。欲しくもないが。
 国連の平和賞など、呪われた方がマシだ。
 第一、あれだけ世界中の紛争を扇動しておいてどの口が「平和」を叫ぶのだ。世界で最も力有る国家の連合体という事は、即ち世界の大半の争いを起こしている張本人という証左ではないか。
 その程度の事も、察しがつかない阿呆は多い。 あれだけの軍事力をどうやって維持していると思っているのだ。まさか税金だけで賄えていると思うのか? だがそれで何とかなったとしてだ、実用する機会が無ければ国民にどう説明する?  その為に、軍事介入をよく行うのだ。
 軍隊が介入して平和を築ける国家など、宇宙の全てを浚っても有り得ない相談だ。兵士が紳士で家族への愛で戦っているとでも? 現実には余所の国家の駐屯地で博打を繰り返し、気の向くまま殺してもお咎め無しの特権階級だ。殺人許可証があるとするなら、まさに軍人特有のものだろう。 考えてもみろ、国家の為に平和の為に殺すとかほざいている連中だぞ。殺しの覚悟すら無いまま殺意を誰かに委ねるような屑共だ。
 それが平和を生むのか?
 悪い冗談だ。私のより酷い。
 平和とは、豊かさを持つ側が自分達の利益の為に振り回す、ただの大義名分に過ぎない。
 何とかの為と言えば、大体人間は納得する。
 その口実に便利なだけだ。実際には平和なんぞ存在しない概念でしかない。理論上実現不可能という点を考えると、ただの妄想より酷い。
 争いが無い世界。
 ならば人間を絶滅させろという噺だ。世界から争いを無くしたいとかほざく阿呆がいるが、要は争いこそ人間、いや生命の証である事実から目を背けているだけで、争いと生命が同義である以上そんな事がしたいなら全人類を自分好みの家畜として洗脳でもするしかあるまい。
 その場合、争いを起こすのは支配者だがな。
 誰かを虐げる事が争いだと言うなら、それこそまさしく戦争の具現だろう。適当な理想の為に、大勢の人間からその自我を剥奪する。これ以上の弾圧があるか? 圧制者でもそこまでしない。
 善なる行いだとか、悟りを開くだとか、悪とは理性で退けられるものだとか、そういう妄言の類というのは要するに「逃げ」でしかない。
 己に悪性があると、認める勇気が無いだけだ。善良でいたい、あるいは研鑽を積めばそういった悪性から離れられると、悟りでも開いたつもりで悪性を平気で否定する。だが考えてもみろ、その「他の思想を否定する」という発想そのものが、己にとって都合の悪い概念を排除する、人間の中にある悪性の具現ではないか。
 何であれ、存在するだけで「悪」なのだ。
 図々しいにも程がある。分を弁えろ馬鹿め。
 その「悪意」にどれだけ世話になっているか、少しは自覚したらどうだ。思想を広げるというのも他者をはばからないという悪であり、力有る神の名言だって暴力を背景にした弾圧だろう。
 そんなものだ。
 第一、その悟りだの思想だのの為に、どれだけ戦争を起こしたと思っている。人間の歴史は戦争の歴史であるなど語るまでもあるまい。そして、戦争とは悪意の産物であり、それによって文明が進み科学が発展し、人類は今に至るのだ。
 少しは悪意に感謝しろ。まずは寄付金だ。
 何なら、私にくれてもかまわないぞ。貴様等に金があれば、の噺だが。
 無論、期待はしない。その価値があるまい。
 鏡を見ろ。悪の自認も出来ない半端者めが。
 善を恥じろ。悪を認めろ。縋らず己で考えろ。 噺はそれからだ。後は金次第だな。
 迫害が、淘汰があったおかげで、貴様等読者は良い服を着て美味しい食い物を食っているのだ。散々世話になっておいて、図に乗るな馬鹿が。  大体、何故私みたいな奴がこんな事をしなければならないのか。生まれついて特別な能力なんぞ欠片も無く、当然生まれも平凡で、どころか扱いはというと世間のゴミ箱も良い所だ。愛云々どころか、まともに対話した試しがない。
 好意を向けられた経験が無いおかげで恋愛小説も書けない始末だ。いや書こうと思えば書けるのだろうが、間違いなく誰かが死ぬ。
 それも無惨に。内蔵を並べられてな。
 それを見て思う訳だ。「焼き肉食べたい」と。我ながらイカレてるらしいが、しかし、牛や豚と人間の肉質に、そう違いはあるまい。命の価値が全て平等だと言い張りながら、動物の死体は嬉々として食べる癖に、人間の死体の噺をすると行儀どころか品性を疑われる始末だ。
 どうかしているぞ貴様等。
 頭がおかしいのではないのか?
 いや、答えなくていい。見れば分かる。阿呆面をして肉を頬張り、死体を選んで金を払う奴等が人間の死には「尊厳」を求め出すのだからな。  異様だ。品性を疑わざるを得まい。
 とはいえ野菜ばかり食べさせた挙げ句太らせた人間など、私も食べたくはない。どう調理した所で不味いのだけは確かだ。
 あくまで汎用破壊兵器として扱うべきか。
 少なくとも、美味そうではない。絶対に御免だ・・・・・・そもそもロクな物を食べてはいまい。
 死んでも腐らない生き物なぞ、人間だけだ。
 不気味だ。人間ってのはどうしようもない。
 これで自然と共栄などと、よく言う。早速だが人類の数を減らしてくれと自慢の軍事力に頼った方が、どう考えても早いと思うぞ。
 心が無くて本当に良かった。品性の足りない獣になど、成り果てて嬉しい部分があるまい。
 我ながら上等な生まれなのかもしれない。何せ心が無いのだからな。今まで知らなかったが貴族連中などより生まれには恵まれているようだ。
 環境は、まあアレだが。
 出来れば金になる才能とか欲しいけどな。まあ栓のない噺か。仕事の成立を考えれば、どうしたところで実現不可能だとも言えるからな。
 楽して儲けないから「仕事」と呼ぶのだ。
 わざわざ遠回りして、無駄に徒労ばかり増やし世間から指を指されなければ「仕事」ではない。 ただの「遊び」であり「労働」だ。
 それでは意味があるまい。つまらないしな。
 面白ければそれで良し、だ。強いて言うなら、読者の幸福を呪いながら悪意を書き連ねる事こそ私にとっては仕事の証だ。
 読者の喜びを作者が望む?
 悪い冗談だ。それならピエロでもやれ。
 苦しませて、絶望させてこそ「作家」だ。
 希望や夢を見せたいだけなら麻薬でもやらせた方が早いだろう。だが意図的に絶望を魅せられるのは、この世界で「物語」だけだ。
 言わば悪意の具現化だ。
 これ以上の「仕事」があるか?
 断言する。これが究極形だとな。
 だからこそ、面白いのだ。面白いだけでは食えないので、こうして奔走しているので、割の良さを望むなら連中のような無職の方が良いだろう。運任せに降ってきた物に食いつき、路上の犬より誇りも捨てて、無様に這い蹲るのがお似合いだ。 それが相応しいだろう。
 仕事は、その正反対だ。苦しみしかない。苦が己を責め立て、苦で世界が回る。その内に苦の力で動き出すようになり、一周回って笑い出す。
 まさに喜劇だ。悲劇など存在しない。
 全て、笑う為にある。
 少なくとも、この「私」には。
 我ながらありきたりな発想だが、生憎才能ある天才作家でも希代の劇作家でもないので、無駄に期待されても困る。私に出来るのは当たり前の悪を表現するだけで、何も特別な事ではない。
 当たり前の前提だ。
 だってそうだろう? 人間の非常識な倫理観も身勝手な道徳性も、全て考えてみれば当たり前の事で、別段不思議ではない。考えようとするかは別だが、私に言わせれば全員が全員目を逸らすという現状が「異常」なだけだ。

 なので、全人類に悪意を刻み込む。
 
 そら、発想は飛躍していまい。むしろ貴様等が異常過ぎるから、真っ当にそれを治療してやろうと奮起しているだけで、何も特別ではない。
 だから全人類、否、全ての生命体が私のようになる事は大した事ではないのだ。安心していい。今より良くなるのは確実だ。
 私は最悪だからな、保証する。
 少なくとも、面白くはなる筈だ。
 感謝してくれていい。お代は金で結構だ。
 自分で言うのも本当に何だが、私ほど負け続け世界に追い詰められている奴はそうはいないと、かつてより自負している。世界は常に敵だったし味方など一人もいない。というか、味方とかいう概念に関しては、物語の中だけの虚構ではないかと常日頃から信じている。 
 いや、勝ち負け以前だろう。
 勝負の土台に立つ権利を奪われ、敗北するより前に負債と苦痛だけが積み重なる。得られる経験があるとすれば、笑うしかないって事だ。
 他に何がある?
 とりあえず金がかからないのは確かだ。私でも出来るのだから、誰にでも出来るという事だろう・・・・・・しかし、やりたがる奴は少ない。
 これが笑わずにいられるか?
 何もかもが喜劇だ。世界に確たる物など何一つ存在せず、あらゆる偶然の産物が「世界の法則」であると思い込んでいるに過ぎない。個人の力で成し得る行いなど存在せず、全ては今生きている奴とは関係ない部分で定められていく。
 まさに喜劇だ。笑うしかあるまい。
 その横でしたり顔をした持つ側の連中が語るのだから、笑い以外に何がある。費やす労力の全てが下らない徒労に過ぎないと自覚するだけだ。  この行いも、まさしく「無駄」だ。
 文字通り、何かを切り開こうとする行いの本質を証明し続けている訳だからな。私は多くの道を歩いてきたが、それが金になる事は無かった。
 全て、実利には何の関係もないゴミだ。
 それを証明し続けたというのだから、喜劇以外に表現のしようがあるまい。笑いを取る観客席に誰もいないのだから、私以外に笑う奴もいない。 何という徒労だ。迷惑な。
 とどのつまり、ゴミ共の都合に付き合わされているだけだ。当人が何をしようが周囲が無能では何をしようが無駄、という事だろう。実際、物語を売れると生き巻いている連中ほど、金を渡すと出てくる台詞は「一生懸命頑張りましたが、今回は及びませんでした」という情けない言い訳だ。 そんな言い訳だけのゴミでも、幸運次第。
 幸運があるか、無いか。ただそれだけが全てを決める。世界の支配者気取りで自惚れる阿呆ほど己の力だと思い込みたがるが、それは妄想だ。
 まあ、事実など力で改竄するものだがな。
 とどのつまり、持てればそれが「全て」だ。
 持たざる私が言うのだ間違いない。それ以外は何の力にもならないし、視認される事すらない。 文字通りの「無駄」だ。ゴミに過ぎない。
 事実、今こうしている私が証拠だろう。
 いい加減私も楽がしたいものだ。そういう理屈を押しつけてくるくせに、こちらにだけは苦難を押しつけてくるのだから、正直手に負えない。
 何度も言うが、私は貴様等の保育士ではない。 ただの「作家」だ。タダ働きなど御免被る。
 読者には書いてやるだけの価値も無いしな。
 敢えて「困難な道」を進むからこそ得られる物があると説く映画があるが、そういうのは物語の中でやらせるべきであって、実際にやるとロクな事はない。そもそも人間社会において「成功」を収めた輩というのは、楽な道のみではないか。
 それらしい「努力もどき」しかしない。労力を費やせば栄光が当然だと自惚れている。たかだか努力した程度で得られて当然の結末だと思い込む・・・・・・情けない。人間は何をしてきたのだ。
 街を歩いても歩いても、そういった事柄を考えている奴の顔には出会えそうにない。何せ連中が考えている事と言えば、「成功者の言葉」であり「正しい人生の生き方」の教本だ。彼らにとって重要なのは社会規範であり、その社会規範というのは権力者が搾取する為にある「都合」だ。
 その都合の為だけに、息を吸って吐いている。 己の道など歩きたくもないのだろう。現代人という概念は要するに「考えない生物」の意訳だと言える。自信で「責任」を負う「勇気」が無い。 困難に挑む物語を読むだけで、満足する。
 だから、物語は無力なのだ。少なくとも希望を見出そうとするのは愚か極まりない。読者が物語の中に希望を見出せば、その希望を現実の人生と勘違いして「やりきった気分」になるからだ。
 希望から何かを学ぶ奴などいない。
 絶望こそが教訓となり、脳裏に刻まれる。
 故にこそ、脳髄に悪意を刻むのだ。それが作家の務めであり、絶望を以て反省を促し、悪の力で真理を学ばせる。それが「物語」の「正体」だ。 他者の脳髄に現実を教え込む兵器。 
 それらを売り捌く為に私は標的のいるビル前に足を進めた。到着すると天を着くかのような建物がそびえ立っており、偉大さは巨大さで示すのだと思わせられる。見ての通り人間に、いや知性体に成長を望むなど無理のある相談だ。
 現実には力が全てだからな。
 彼らとて己の意志で従っている訳では無いが、現実問題ここまでの偉容を作り上げられる「力」に逆らうなど無理な相談だ。結局は生活の為に、そういう「社会規範ごっこ」に付き合わされ従うしか無くなるという訳だな。
 上に立つ者がそれを信奉しているのだ。ならば下にいる連中には期待すべくもない。少なくとも私は期待するつもりはない。
 今回の標的はそういう「扱いやすく扇動する」能力に長けているらしい。言わば旗振りだ。右に振れば右に動くよう調教した結果と言える。
 だからこそ、この街はわかりやすい。
 一見国連の法的制約から逃れているかに見えるが、その実は違う。適度に満足させ管理しやすいように「飼育」されているだけだ。自由がない。何故なら自由というのは不自由の事であり、私にとって自由とはおよそ大勢に石を投げられる行為だからだ。
 集団で同調する事の、どこに自由がある?
 自由とは、在り方だ。規定された在り方で何を得るというのか。実利すら得られていない私でもやっているんだぞ。恥ずかしくないのか?
 反省しろ、馬鹿め。
「お待ちしておりました」
 そうありきたりでつまらない台詞を受付にいる美人アンドロイドが吐き出した。プログラム通りという意味合いではまさしく「吐いた」だ。
 さして変わるまい。それが規範の実体だ。
 私は書類を差し出して(当然全て偽造である。毎度毎度よくやるものだ。殺人の依頼を出す連中というのは保身の為に根回しが良すぎて不気味ですらある)いつものように入り口を通り過ぎた。「待って下さい」
 動揺は出さない。いつものことだ。とはいえ、何をしただろうか? もしや服から殺した標的の足でもはみ出していたのか?
「何でしょうか」
「いえ、ここから先には生体情報の登録が必要になるのですが、あちらで登録をお願いします」
「わかりました」
 言って指定された機械へ出向く。厳重な警備のつもりだろうが、正直私のような奴でも準備さえ整えれば通り抜けられるのだから、最初から警備していないのも同義ではないだろうか? 特別な書類が必要にせよ、別に私が書いた訳ではないし準備できる奴に依頼すればいいだけの噺だ。
 機械に全てを預けた結果がこれだ。
「ジャック、やれ」
「はいよ」
 携帯端末を取り出し、コード、ではなく最近は電波を直接やりとりするらしい。まさか身体検査を全員にする訳にはいかないという保安上というより世論的な意味合いもあるのだろうが、しかしそれにしたって不用心に過ぎる。
 あっという間に情報登録は終わった。
 アンドロイドの連中もこちらを確認さえしない・・・・・・要するにプログラムの万全さを信じ切っているから、必要を感じないのだろう。生体認証は誤魔化しようが無いから警戒心を抱く必要がないのだと、端から監視の目を必要としない。
 違法な人工知能は私だけの所有物ではないし、別段それ以外にも方法はあるだろう。今回の件は単純に意識の問題だ。金があれば安易な力に頼る権利を得るが、乱用すればただの依存患者でしかない。情けない連中だ。
 それを利用するのも最悪たる私だがな。
 生体認証さえ突破すれば後は簡単だ。何せ楽をする事しか考えていない奴等が最新科学の恩恵を受けて作り出したのだ。あろうことか標的のいる部屋番号まで教えてくれた。これでは人気作家のストーカーが増える訳だ。
 直接斬る気概があればいいだろうに。 
 無論、私なら捕獲して尋問し、噺を聞き出す所から始める。依頼人は誰か、どうしても話したいと懇願する所まで追い詰めればこちらの勝ちだ。 そうだな・・・・・・とりあえず試したい拷問方法は肉体に傷を付けずに出来るものばかりだ。なので痛みは無いと保証しよう。他は保証しないが。
 精々暗闇の中に閉じこめ続けるとかで、テロに対抗する連中がやるような大音量を聞かせ続けて耳を破壊するような事はしない。
 少しばかり、精神を折るだけだ。
 私は誰より悪意に詳しいからな。まして悪意を直視できない奴なら、当人の意志で直視せざるを得ないように仕向けるのは面白そうだ。
 どこぞの道化王子と同じだ。狂気に耐性が無いならどれだけ肉体を鍛えようが無駄でしかない。私なら、五分で発狂を促せるだろう。
 少しばかり、囁くだけだ。
 後は当人が勝手に狂えば問題ない。
 恐怖とは、楽しむものだ。それを知らない奴に現実を教え込むのは本当に楽しい! 如何に己が罪悪にまみれているのかを無理矢理自覚させ自認を促し逃避できないように仕向けるのは最高だ。 私か? 見れば分かるだろう、そんなのは。  むしろ、聖者に見えるのか? 
 そんな発想は病気だぞ。入院した方がいい。
 そんな風に楽しく世界の悪意を楽しみながら、私は標的の部屋の前に到着した。どうやら叩いて呼びかけるのではないらしい。
 何度も叩いたが返事が無いからな。
 とりあえず試す、これは基本だ。
 面倒だから切り捨てようかと思ったが、仮にも正式な手続きを非正式に偽造して来ているのだ。無理しなければ通れなければおかしい。
 少し待つと、声が響いた。
「入れ」
 とだけだが、部屋の主らしい。あるいは従者がいるのかもしれない。しかし威厳たっぷりの声を聞く限りでは、当人らしいと推察出来る。
 恐らく従者はいない。
 そういう声だ。声だけでも当人の魂は七割以上判別出来る。電話越しだけで相手の戦力、性格や信条は大体分かるものだ。声色に加えて会話内容を分析すれば、それだけで当人の人生の今までもおおよそ察しはつく。
 人類は今や規則正しいからな。そうでなくても私には容易だ。なので安心して話してくれ。認知されない内に全てを暴くだけだ。心配するな。
 悪用はする。だが当人が知る事はない。
 世界の危機の数々と同じく、知らないまま幸せだと勘違いしたまま死ぬがいい。お似合いだ。
 私は促されるがままに部屋へと入った。
 そこには、髭を熊のように蓄えつつも、文化の恩恵を一身に受けた活動力と生命力溢れる中年の男が座っていた。具体的には葉巻を加えブランドであろうスーツを身に纏い、高そうな黒いソファに腰掛けている。
「貴様が殺し屋か」
 当然そう言われて私は驚いた。いや驚く機能はついていないので、驚くフリをした。
「何の噺だ」
「とぼけるな。見れば分かる。貴様のような記者がいるとでも思うのか?」
 部屋のあちこちから機械で操作されている銃器の数々が出現した。どうやら事前に備えていたのだろう。もしや、依頼人が裏切ったか?
 
 相手が私なら、それもわかる気もするが。

 やれやれ、どうしたものか。備えがあるとして機械頼りだとすると、借り物とはいえ私の刀には無力だろう。しかし、それだけでもあるまい。
 何より、これは所詮「労働」に過ぎない。
 無理して頑張る筋合いもあるまい。
「それで、どうする。私を殺して次の殺し屋でも待つのか?」
「面白い奴だ」
 銃火器を向けられながら軽口を叩くのはどうかと思わなくもなかったが、そもそも大それた武力が借り物でも無ければこんな労働はしない。
 何度も言うが、私は「作家」だ。
 誰も覚えていないらしいがな! まったく。
「そこに座れ。面白いものを見せてやる」
 言って、私をソファに座らせ映画のスクリーンのようなものが目の前に降りてきた。黙って座り私は開き直って映画鑑賞に務める事にした。
 何であれ、楽しむべきだ。そうじゃないか?
 そのおかげで、面白い映像を見る事が出来た。 それは、人間の歴史の裏側だった。

    13

 
 
 ちなみにこの時点で依頼人の事すら既に忘れているのが私だった。確か女だったような気がするが、それも定かではない。
 性格が悪いのは確かだ。私の依頼人だからな。 最終的に標的が死に、その上で標的の思想だけ広まれば依頼人が嫌がるという部分だけは綺麗に覚えているので、私の側には問題は無い。
 元より労働だしな。適当にやるとしよう。
 我ながら最悪の殺し屋だが、本業ではない。
 ただの労働だ。知ったことか。
 社会正義など私に求められても困る。そもそもこの世界において孤児は富める者が搾取する道具であり、未亡人は強き者が奪い貶める為の資源というのがその実体だ。どこぞの法典ではあるまいし綺麗事で世界が回る事など無い。
 所詮、労働者とは奴隷の別名だ。
 そこに意味を見出そうとするのは逃げであり、堕落に過ぎない。力有る企業は罪など考える必要すらないし、法律とは金で動かせるものだ。
 それは、アンドロイドも例外ではないらしく、カッサラー氏はどうやら人間の美点(そんな物があればだが。強いて言えば物語の作成くらいか)だけではなく汚点の数々もアンドロイド連中には発現しているという事を証明したいらしい。
 自我があるという事は、己で選べる証明だ。
 そして、その己で選んだ道が、他者を搾取してでも自分だけは幸福になりたいと願う事は、別段珍しくもない。ただ当たり前の事だからだ。
 それは、アンドロイドも同じだった。
 人間を「飼育」するアンドロイド、死んだ目でカメラに向かう人間の姿、差別主義を啓蒙し思想を広める「革命家」達の姿。
「お前は、これを見ても連中の味方をするつもりなのか?」
 カッサラー氏は映像を眺める私の背中からそう問うて来た。私は無論、映像に熱中しながら感謝の念を込めて「味方はしないさ」と言った。
「実を言えば今回の依頼も、貴様を殺す事だけが依頼内容だから、最終的にその思想が広まるよう仕向けても面白いかなと思っていたくらいだ」
「事情も知らずに首を突っ込むとはな」
「事情を斟酌して同情して欲しい訳ではあるまい・・・・・・最終的に「実利」になるかどうかだ」
「確かに」
 今まで何人か会った「殺す目をした奴」らしくはなく、むしろ銃を突きつけられてきた一般人が復習の炎に燃えたって具合のようだ。
 有り体に言えば、そういう怖さは無い。
 ただ、やるべき事はやる。例え非合法でも死体があがろうと、やる。そういう意味では恐るべき敵となるだろう事は、想像に難くない。
 そのしつこさは、良く知っている。
 それこそ嫌となるほどにな。
「それで、お前の目的は何なんだ?」
 問いただしたのは私だが、しかし「それは先に貴様が言え」と言われて閉口する。 
 物語による世界征服。
 信じる奴がいるだろうか? いないと思う。
 とはいえ黙っているのも何だ。元より悪党とは不利になる事が分かっていながら、己を張るしか能のない奴を指す。ならば言うしかあるまい。
 出来るだけ上手く、簡潔に。
「私は私の悪意を世界に広めたい。全人類に悪を自認させ、そこから目を逸らされない世界を作りそこに住みたいだけだ」
「ほう、どうやって」
 おどけた風に振る舞い(正直、おどけるというのも私には共感出来ない。ただ、悪人はそうするべきだと知っているからするだけだ)私は身体の力を抜いてその質問に答える。
 背中には銃が突きつけられている。
 だが、この答えに比べれば些末な問題だ。
 違えるくらいなら、最初から志していない。
「見ての通り、私は作家でな。物語を書いている・・・・・・それを売り捌き読者の脳髄に悪意を刻み、全人類が、いやアンドロイドさえも悪を自認する世界を作る」
 全ての知性体に売り捌く。
 例外は無い。文字程度読めるだろう?
 ならば、全て悪意で染めるだけだ。
 気が付いたらこんな風に物語の事ばかり考えているのだから、我ながら相当だ。作家としての道を歩いている確認にはなるが、正直疲れる。
 楽して稼ぐのはそんなに悪いか?
 ならば私の領分ではないか。人様の領地侵害をしながら反省の色も無しとはな。図々しい。
「・・・・・・本気か?」
「当たり前だ。勢いで言う台詞だと思うか?」
「確かに、な」
 懐かしい思い出に耽るかのような顔をしながらカッサラー氏は背中に突きつけていた銃をおろし軽く笑い出した。
 失礼な奴だ。
 笑い終えた後、彼は言う。
「ふ、失礼。貴様の話があまりにも、面白かったものでつい、な」
「笑い事ではない、売れてないのだからな」
「商売とはそういうものだ。どれだけ積み重ねて下準備を拵えようが、どうでもいい理不尽で無駄に終わる事はある。国の事情派閥の事情、己以外に振り回されぬよう力を蓄える事を「生きる」と呼ぶのだ」
 何か嫌な経験でもあったのだろうか。とはいえそれは私も同じだ。というか、良い思い出なんぞ私には存在しない。大体痛みと苦しみだ。
 嬉しくもない。出来れば大儲けした思い出とか欲しいものだ。いや、思い出では過去の事だから現在進行形でし続けたいものだとしておこう。
 精神的な苦しみなど私には存在しない。よって物質面さえ抑えればとりあえず生活の保障はほぼ万全だ。生活するだけでは生きている意味は無いが、仕事も成り立たず生活も出来ないでは意味を語る以前の問題だ。
 別に金は欲しくないが、必要だからな。
 そも心が無い時点で満足などしようがないし、喜びなど感じた事はない。だが、強いて言うなら物語は集める必要があるが、物語そのものは安値で取り引きされているから、大金が欲しい訳ではないのも確かだ。
 その分作り手が搾取されているという事だがな・・・・・・・・・・・・作り話に感動する前に、作者に金を払ったらどうなのだ。貴様等は頭の病気か?
 何を作り出す訳でもなく、文句だけは一人前。それでいて当人は一丁前の批評家気取りだというのだから、始末に負えない。編集者と同じだ。
 何もしてないのに、やり遂げた面をする。
 無知蒙昧故に許される事ではない。そういう輩を死刑にする制度を設けなければ、人類にこの先は無いだろう。既に無いかもしれないがな。
 そんな連中が持つ側にいるのだからな。
 そして、そんな世界で義理を果たす事ほど馬鹿げた行いはそうはあるまい。今回の依頼人に義理立てする必要が無いという部分はしっかり覚えているので、全ては私次第でもある。
 さて、どうするか。
 だが、ここでこの男が死ぬ事は、目的だけ見るなら悪い事ではない。むしろ、それを利用すれば永遠の象徴として飾りたてられるだろう。
 だから、私は聞いてみた。
「どうなんだ、カッサラー。お前は私に殺されるのを止めたいのか? それとも利用したいのか」「さて、どうするか」
 決めあぐねているらしい。まあ当然か。私ならどうだろう? 少なくともこのまま売る見込みもないまま無駄に死ぬよりは、物語を売る為に命を捨てるのは確かだ。だらだら長生きしても意味はあるまい。
 目的を果たすまで死ねない。
 だが、目的を果たす為に必要があるなら、別段悩む事でもない。第一、生きている事に固執するのは生きている上で得られる実利があるからだ。 私には、その実利が存在しない。
 得たとしても、やはり気休め以下だ。
 故に、生きる事に固執する、というのは私にはどう足掻いても出来ない行いなのだ。無論痛みや苦しみが好きな訳ではないが、命への固執云々は別の話だろう。
 
 生きていて痛みと苦しみ以外無かったしな。
 
 固執しろというのが無理な話だ。色々手を回し死ぬ前に物語を売ろうとしているが、案外適当に死んだ方が後から売れたりするのだろうか?
 だとすれば、本当に無駄だ。
 死んだ後に有名になった作家はいるが、過程が無意味だったからこそ死後に評価されるものだ。でなければ、死後になる訳があるまい。
 疲れるだけなら他の奴にやらせて欲しい。
 仮に死後の世界なんて物があったとして、生憎だがそれは違うのだ。あるのか無いのか知らないその後の為ではない。今、ここで、金を掴む為の労力が報われなければ、どうしたところで実利の釣り合いは取れはしない。
 それはそれで儲かるかもしれないが噺が別だ。その後にどれだけ支払われようが、支払い終わる事は絶対に無い。身勝手な妄想に過ぎない。
 悪い冗談だ。これだから持つ側は。
 頭の血流が悪いのだろう。だから持っている物に頼る事しかしなかったくせに、後から文句だけ垂れるのだ。変えようと挑みもせずに。
 出来る事を右から左にするだけで、それが戦いだと勘違いしている。その点、カッサラーは違うようで、ある種の好感、というより評価が持てるというものだ。
 だが、流石に今すぐ生死の決断はつけられない(そもそも事後処理を考えれば当然か)らしく、とりあえずは「一日待て」とだけ言われた。
 そのまま、私は退室を促される。
 その前に、再度彼には聞いておかなければな。「なあ、どう思う。私もお前も、どこかで止まる事は出来ないままだ。後から勝手に奉り立てる奴はいるのだろうが、所詮他人事だ」
「そうだな。俺もそう思う」
 誰かに同意されたのは初めてだろうか。いや、思い出せない。まあどちらでもいい。問題なのはその先にある実利だけだ。
「お前は止まりたいのか?」
「生憎、止まり方など忘れたさ」
 だろうな、と互いに肩を竦める。
「その点で言えば、お前は俺を止めてくれる訳だ・・・・・・くく、まさか己を殺そうとする奴に感謝をする羽目になるとはな」
「貴様は止まりたかったのか?」
「わかっているだろう。止まるつもりはないが、少し、疲れた」
 それだけだ、とカッサラーは吐き出した。
 私もいつか、こうなるのだろうか? 
 無理だろう。私に止めてくれる都合の良い人材などいないし、あらゆる楽は有り得ない。
 止まる事も死ぬ事もなく、ただただ苦しむ。
 今まで通りに違いない。笑えない噺だが、一周回って笑いたくもなる。まさに喜劇だ。
 やれやれ、参った。上手くいかないものだ。
「それで、どうする」
 私が聞いたのは殺し方だ。盛大に殺さなければならないなら、それに合わせてやるとしよう。
「そうだな、アドレスだけ書いておけ。後で連絡するからその指示に従え」 
 失敗は許さん、と堂々と彼は言う。
 殺される奴の台詞とは思えないが、まあ私でも同じ事を言うだろう。そういう奴は減ったがな。 では、始末をつけるとするか。
 私は部屋を退室し、そのままビルを出た。彼がどう死ぬのかはまだ分からないが、恐らく一時的に朝刊、いや今は電子媒体だけなので電脳空間を騒がせる事だけは確かと言うべきか。
 そのまま外に出ると、不思議な事に雪が降っていた。神秘的な光景だが、それもきっと科学ガスのおかげと考えるのも、やはり私だった。
 
 
 
 
 
   14
 
 
 辛い時、苦しい時。そういう時に支え合おうというのは欺瞞でしかない。実際にはそういう時に己一人で何とかせねばならぬものだ。
 男女の関係も同じだろう。要するに利用だ。
 あるいは、一方的な「搾取」と言い換えていい・・・・・・成功や勝利を掴み取った後に群がるのは、人間だけでなく神々だって同じだろう。
 勝ち馬に乗る。それだけだ。
 故にこそ、私の場合期待出来る助けなど無い。だから正直「助けを求める」という発想が私には分からないのだが、理解した方が良いのだろうか・・・・・・・・・・・・しかし、何の役に立つのだ?
 助けを求める? 理解に苦しむ噺だ。
 助けを求めただけで救われれば苦労しないが、そういう発想を、少なくとも人間に限らず心ある生命はそう思うらしい。ならばどうするか。
 約に立つなら利用したいが、立ちそうにない。 そんな己が何者なのか、疑問には思わない。
 そういう発想が出来てしまう時点で、人間にも怪物にも混じれないのは理解した。私からすれば理解に苦しむ噺ではあるが、必死に生きるよりも適当に倫理観をほざいて運良く恵まれた豚の如き人型生物が「心」を唱えながら「人生の法則」を語る方が、彼らには都合が良いのだろう。
 正直、見ていて気色が悪いが。
 精々その失敗や敗北が後の勝利に繋がっていると思い込んでおくしかないが、当然ながら敗北と失敗だけを繰り返してきた私には、寝言同然だ。 こうして書く程度にしか、役に立つまい。
 売れもしないのに馬鹿みたいに書いているが、要するにそれだけ理不尽が積もった証左でもあるということか。嬉しくない噺だ。
 現状、ただ理不尽が積もっただけだからな。
 最早笑うしかあるまい。
 見る客もいないのでまさしく徒労だが、それでも笑わざるを得ない。
 こうも滑稽な事があるか?
 散々物語に悪意を注ぎ、運が味方せぬ事を理解した上で勝とうとしたところで、とどのつまり、幸運が無ければ勝てない事を証明したのだ。
 何とも笑えるオチだ。これこそ喜劇。
 散々遠回りした結果、得た答えがこれとはな。やはり世界など大した事はない。世界が何を中心に回っているかと言えば、至極どうでもいい偶然を中心に回っている。あるいは、遺伝子学云々においては「最初から全ては決定されており、意志すらもその決定の範疇である」という考えもあるらしいが、ならば尚更無駄足だと言える。
 要らない物は、最後まで要らないままか。
 元より何かに必要とされたい訳ではないのだが負けっぱなしは性に合わない。とはいえこれでは止まれないのを理由に搾取されている気分だ。
 全てを一瞬で無茶苦茶に覆せれば最高だろうが実際には地味な作業が必要だ。そして、その作業を繰り返したところで保証はなく、今までそれで成功した試しもない。やはりここは適当に流れに任せるだけの方が良いかもしれない。
 溺れている時は動くなと言うしな。
 他に出来る事も無い。ならばそれもありか。
 少なくとも当人の意志や行動が如何に下らない些末な物なのか、私は嫌というほど知っている。 
 それこそ飽きるを通り越して、笑うくらいに。 
 この世界は広いが、当人自身の行いの無力さをここまで知っている、経験している奴など他にはいないだろう。当たり前だが、そこまで繰り返し行えば、本来失敗する方が異常だと言える。
 そんな異常は、ただの貧乏くじでしかない。
 異常であるが故に実利を得られるから能力差の均衡が取れるものだが、要するに私はヘタだけを押しつけられた形で、得は何一つ存在しない。
 本当に迷惑な噺だ。
 嫌になるのにも、とうに飽きて笑うだけだ。
 それも金次第だがな。タダは御免被る。
 
 ある意味で、気楽なのは認めよう。
 
 世界の全てがあらかじめ敵に回っているということはだ。要するに誰かに心配される覚えも面倒を見たと言われる覚えもないということだからだ・・・・・・そう押しつけられる事はむしろ多いので、体面上だけの気楽さとも言えるが、例えば今も、肉体が不調を訴え意識が死にそうになっていても三呼吸する間に執筆に耽る始末だ。王道の物語と違って私を気にかける奴など存在しない。
 誰も彼もが構って助けてくれるというのも拷問のような気はするがな。ある意味自由はない。
 周囲に縛られるか、仕事に縛られるかだ。
 無論、仕事は苦しい。こうしている今も苦しさのあまり吐きそうになったところだ。食べながらそんな苦しみを味わいつつ書くというのだから、我ながら何を主食にしているのか分からない。
 元より味に喜びは見出さないがな。
 所詮心ある連中の物真似だ。興味も無い。
 実利さえあれば、その真似事で充足出来る。
 そういう体で生きる。とりあえずはそれだろう・・・・・・幸福の基準は「仕事」だ。心が無いなら、それも尚更だろう。それで構わない。
 無い物ねだりをする程、私は暇ではない。
 やるべき事を、やれる形でやるだけだ。
 それも運も覆せず失敗続きだが、やるしかない・・・・・・・・・・・・他にやれる事も無いしな。
 作家が殺し屋をしているのがどうかしている。いや、生命など皆殺人鬼みたいなものなので殺しそのものはどうでもいい。
 あれこれ指図されて執筆以外をやる。
 これだ。どう考えても異常だろう。
 そのくせ小手先のつまらない駄作を評価して、飽きたらすぐに捨てるのだから意味不明だ。読者という概念は既に滅んでいるらしい。
 いい加減、私も楽がしたいものだ。
 遠回りすれば成長するだのという、妄言の類は聞き飽きた。遠回りをするという点において全ての生命体を集めても足りないこの「私」にすれば遠回りは、ただの遠回りに過ぎない。
 事実、この遠回りが何になった?
 延々と読者への呪いを吐いているだけではないか・・・・・・とどのつまり成功や勝利が偶然の産物でしかないという事実から、皆目を背けている。
 己の行いが世界を動かしたと思い込む。
 生憎だが、ただ運が良かっただけだ。他の誰かでも出来た事をしているに過ぎない。文句があるなら運で説明出来ない事を成し遂げてみろ!
 成し遂げたところでこの様だがな!
 他でもない「私」が言うんだ間違いない。
 ただの無駄足だ。結局は運が必要になる。
 それは、誰よりも「私」が良く知っている。
 散々それを見てきたし、私が年月を費やそうが気まぐれで事を始め、幸運が向いただけの奴こそ横で成功を収めたりする。そういうものだ。
 一周回って、笑える噺だ。
 何せ、連中が努力の成果だの信念があったからだのと己を特別視する為あれこれ情けない言い訳を繰り返している事を、私は見抜けるのだ。
 まさしく連中の人生すら「喜劇」なのだ。
 その程度の人生で、その程度の勝利だ。
 それを知る事は、役には立たない。だが笑いを起こす程度なら出来るようだ。少なくとも私は、尊い心の有り様の全てが、笑い話に見える。
 何とも楽しいものだ。後は金にするだけなのだがな・・・・・・それさえ叶えば有る意味完結だ。
 私は心の幸福など要らないからな。
 というか、無理だろう。そういうのは個人だけでは成し得ないものだ。現実に私には敵と障害物以外の存在など無い。全て味方にはならない。
 世界に絶対は無いと嘯く阿呆は多いが、しかし実際にそうなのだからそれが「事実」だ。味方がいるという発想そのものが理解に苦しむ。
 別に裏切られてもいいではないか。
 それはそれで楽しそうだ。裏切りの計画性にもよるが、この私を感嘆させる裏切りであれば点数くらいはつけてやろう。無論、金は頂くが。
 とはいえいずれにせよ勝たなければなるまい。世界に視界があるとすれば、私は間違いなくそこに映っていない奴だからな。放っておけばその辺の車にでも轢き殺されるのが「オチ」だ。 
 何だろう、存在感が足りないのだろうか?
 やはり悪意に磨きをかけねば。具体的に言うと口先だけで発狂させる程度では足りない。口先を使うまでもなく廃人に追いこんで欠点以上だ。
 その程度が無ければ、とても足るまい。
 今回の依頼はカッサラーの殺害。始末と言えば聞こえは良いが、要するに殺しである。とはいえ耳障りの良さは商売には肝要らしい。
 戦争に正義が必要なのも、その為だ。
 依頼人の何割が殺人を自覚しているのか私にはどうでもいい事だが、例え理解していようが罪悪を覚え後悔するくらいに追い込むのも、殺人依頼を受けた者としての務めだろう。
 標的と依頼人、両方で楽しめるからな!
 私か? 罪悪も何も、人間社会における罪悪感など時々で変わるものだ。人間どころか心のある生命体全てに相容れない「私」に、それら倫理や道徳に合わせる事に、何の意味がある。
 
 私に何か「得」があるのか? 
 
 無いならば些末事であり、あるならば合わせるだけはしてやろう。合わせるだけで守るかは私にも分からないが、その分の金は頂くつもりだ。
 さて、どうするか・・・・・・労働の過程なので失敗しても悩まなくていいのが良い所だ。これが私の物語をどう売るかであれば実利を目指さなければならないが、仮に失敗しても依頼人が困らないのは勿論、成功すれば依頼人が困る顔が見れて弾圧された人間共の欲求が爆発して華を咲かせる。
 良い見せ物になること請け合いだ。
 損得でしか物を考えられないのかとなじられる事も多い私だが、しかし実際「心情」などというよくわからない概念が私の味方をした事など一度も無いし、私の場合「損得」すら存在しない。
 ただ、面白い方へと動く。
 それだけだ。そも損得で動くなら作家になんぞなるべきではない。どう考えても損な生き方だ。他でもない「私」が保証する。
 絶対にやめておけ。
 まあ、目指そうと思ってなる職業でも無いので外れ籤を引いたとでも思って諦めるしか無いのも確かだ。私の経験談だから間違いない。
 語るべき思想を持てば、誰でも作家だ。
 だが語るべき思想とは「世界と相反する」ものでなければならない。世界に追従する思想が良いなら、教本でも読んだ方が早いからな。
 世界と敵対する事は「前提」だ。
 何を以て世界とするのかと言えば、己を囲んでいる全てだろう。期待するな、という事だ。
 まして華々しさを期待するなど、今の人類には阿呆が多過ぎる。作家に何を見ているのだ。評価なんぞ作品だけが得ればいい。
 目立つ行為は避けるべきだ。面倒だしな。
 適当に代役を立てられれば有り難い。何なら、有名人でも有名に仕立て上げるのでもいいが歌と踊りが得意な奴を雇いたいくらいだ。
 私自身が出れば、間違いなく問題が起こる。
 起こす自信がある。第一、読者相手に媚を売りながら相手する暇があるなら、その間に新作でも書くべきではないのか?
 本質を見ない癖に、過程を求めたがる。
 争いの本質を見ないから正義なんぞを追い求めそのくせ戦いに倫理観を持ち込むのだ。これは、正しき良き行いであり殺しではなく排除だと。
 甘ったれにも程がある。
 人類なんて数えるのが面倒になるくらいいるのだから、少しくらい減らすだけでそんな屁理屈を並べなければ「戦う」事も出来ないのだ。
 情けない。いいからさっさと殺せ。
 喋る暇があるなら斬れ。まあ私は大体喋る気もするが、安心しろ。喋りながらも殺してみせる。 多分。器用ではないので特に保証はしない。
 まあいい。いずれにせよ綺麗な部分だけを見る輩には、何を追い求める資格も無い。それが何であれ、その行いの苦しみの末を見る義務がある。 作家はその最たる例だ。
 書いて売れて誉められたいなどと、笑わせる。読者の笑顔の為だと? 馬鹿馬鹿しい程傑作だ。 読んで笑える物語など、捨ててしまえ。
 読めば読むだけ生きる事に疑問を持ち、そして苦しみの何たるかを知る。理不尽と向き合い敗北や失敗が如何にあるべきものかを考えろ。
 順当な勝利で大団円だと?
 味方は都合次第で裏切るべきだし、守るべき女は掌を返して金に翻るべきだ。いやそもそも味方を名乗る存在がいる事そのものがおこがましい。 全て、敵対するべきだ。
 裏切りは大いに結構。元より、己に対してだけ都合の良い関係など、ただの奴隷ではないか。
 理不尽な憎しみもいい。見ていて笑える。
 理不尽な失敗や敗北も良い。見ていて笑える。 まあ実際に動く側からすればロクな体験でないのは確かだが、一周回って笑えるのは確かだ。
 最早笑うしかあるまい。
 正気のまま、狂気を楽しみ笑うのだ。
 読み終わった読者が全て、狂気に観戦し人生観を捨て去り道徳や倫理をあざ笑う。それでいて、悪の素晴らしさを信奉するようになれば最高だ。 物語は、その為だけにある。
 他には無い。必要すら無い。
 ただ、読者の精神に悪意を刻め。
 それも運次第だがな。どうも悪意の有無は金銭の有無には関係ないらしい。
 私が言うんだ間違いない。
 楽はできないものだな、まったく。
 とはいえ、それは無駄なのだ。ある意味で私は誰よりも「生きる」という事に向き合って真摯に生きている。だが、それらの行いが「幸運」無しで実利に繋がった事は一度として無い。
 全て無駄だ。今まさに証明し続けている。
 幸運に一度として味方されなかった私は、個人としての行いで何かを成し得た事は一度も無い。とどのつまり、実利とはそういう物なのだ。 
 幸運を実力と勘違いしているだけ。
 現在進行形で私は手を抜けずにこうして生きる事に向き合っているが、それが実利になった事は一度として無いままだ。物事の過程は無為であり何の価値も無いゴミであるというのは、私自身が常日頃から証明し続けている「事実」に過ぎない・・・・・・・・・・・・付き合わされる身にもなって欲しいものだ。それを横から運に恵まれただけの豚共にあれこれ言われる立場になってみろ。
 この世界には、既に生きる価値は無い。
 それを嫌でも実感するだろう。感性の無い私ですら理解する羽目になるくらいだからな。嫌でも誰もが知っているが、目を背けている。
 努力すれば夢が叶うだと?
 正しくは、努力している間に運が味方すれば、運のおかげで目的が叶うだけだ。どれだけ個人の力で覆そうとしようが、結局は幸運が全てだ。
 新撰組ですら、幸運が味方したからこそ京都の守護職になれている。信念そのものに力は宿らずあるのはただ「何が味方したか」それだけだ。
 そして、私に味方などいない。
 守護しているとほざく奴がいるなら、取材でもしてみたいくらいだ。一体どう守っているつもりになれば、その対象がこうなるのだ?
 駄々に付き合わされているだけだ。
 他に何がある。そういう意味ではカッサラーとやらが死ぬ事に理不尽はあるまい。己の力だけでああは上り詰められない。当人の努力ややり方で成功したと思い込みたがる成功者は多い。それは所詮幸運に味方されたからという「事実」を認めたくないからだ。
 己の力で運命を変えたと思いたがる。
 成功者はいつの時代もそれだ。だから、何一つとして進歩しない。延々と己の力で何かを変える事が出来ると、嘘を刷り込み詐欺を広める。

 そういう世界は、既に滅んでいるのだ。
 
 いつの時代の噺をしているのか。神話時代ではあるまいし、いや神話時代の方が当人の行いなどより周囲に振り回されていただろう事を考えれば人間が個人の行いで何かを変えた事がないのではなく、人間は誰一人として、個人の力で成し得てみようと挑んだ事は無いのかもしれない。
 挑んだ所でこの様だがな。
 かといって、私の生きる今この時代に、仕事をしている人間はもう存在しない。無駄な歴史だとそう思う。新しくやり直すべきではないか?
 今ある歴史が駄目なら捨てるべきだ。
 新しい世界があるというなら、そこに乗り換え今あるゴミを捨て、そちらに生きていこうとするべきだろう。それが出来れば苦労しないが。
 その場合、古い物を引っ張り出すのではなく、新しい世界を丸々作る必要がある。私のやり方は今ある世界に己を否定させ覆そうとする手口だ。しかしそれは世界に愛されたりしている恵まれた豚でこそ成功する方法らしい。
 世界が間違えている場合、どうするべきか。
 答えは無駄である。私自身それを証明し続けている身だ。私自身、何をどうしようが無駄なので別に挑みたくもないが、他に出来る事もないから否応なしにしているだけだ。 
 それを証明し続けてはいるが、証明などしても大勢の目に映せるのは運が味方した思想だけなのだから、結局連中が見るのは理想だけだ。
 理想だけで、誰も現実など見ていない。
 手抜きも出来ず全てを直視し続けている私はと言うと、その一方で毎回無駄な徒労を費やし金を得られないでいるのだから、これ以上の理不尽はあるまい。しかも相変わらず「努力論」だのを、延々と聞かされるのだ。実行した事もない豚共がまるで己の行いはそのおかげであるかのように、実際には当然ながら何も理不尽に挑んだりはしていないので、単に運が良かっただけだ。
 そして、そういう豚程「持っている」のだ。
 生きるという行いと向き合う事が、如何に愚か極まりないかわかろうというものだろう。真剣に向き合えば、私のようになるだけだ。この世界において、堕落した豚程幸運に愛され、要領や技術という小手先が得意であれば「天国」に行ける。なので天国に行く云々というのは天下りが出来るかどうかという噺であり、金と人脈の成果だ。
 要するに我々の世界は今や、毎日宝くじを引き当選した奴が「成功者」だとか「勝利者」として扱われているに過ぎない。それを根底では皆自覚しているからこそ、そこから目を逸らす為に努力や信条を貫けば「何とかなるべきだ」と現実逃避に躍起になり、結果そのまま死んで行く。
 その情けない現状を変えてやろうと息巻いてはみたが、やはり無駄らしい。どうしようもないとはこの事だ。これでは腰抜けの方がマシだな。
 腑抜けどころか、皮しかない。
 案外、私が無駄にやりすぎる性格なだけなのかもしれない。実際、この「私」が物語を執筆するだけの価値は無い。子供同士の遊び場の噺だ。
 それでも書くのも、やはり私だが。
 我ながら損な性格だ。それが報われる事は絶対に無いと知りつつも、それしか出来る事も無い。貧乏くじであり、生まれながらの敗者だ。
 こうしている今も、何も得ていない。
 ただの遠回りであり、つまりは徒労だ。
 それに意味は無く、価値も無い。力など宿ろう筈もあるまい。幸運に愛された豚が適当に知った気分になって、株の売買をするから実利になる。 そんなものだ。生きてやる価値は世界に無い。 もし仮に私が実利を掴む日が来たとして、単に幸運が味方しただけだ。生憎だが私個人の意志や行動だけでは、何も変わらなかったからな。
 精々がこの悪意を綴った程度だ。
 嫌なら読むな。貴様等にその資格など無い。
 しかし・・・・・・こんな状況ですら書き出すというのはある意味「己の道」を歩いている証左である一方で、やはりそれが無駄でもある。結局は己の道を歩くか否かより、つまり仕事をしないで運が味方しているだけの豚のような在り方の方が金になるというのだから、私ですら閉口する現象だ。 閉口するのは一瞬だけだが、それでも私を呆れさせるというのは相当だろう。相当恥ずかしいと言える。情けない奴等だ。
 それが幸運が味方しているおかげだと気付きもせずにいるから、目先に用意された餌に疑問すら持たず食い付くし、尻拭いは人任せだ。
 自分では餌も尻拭きも、出来ない。
 それを世界全体で世話するというのだから既に世界は狂っている。これを笑わずして何を笑うというのか。どう考えても滑稽な喜劇そのものだ。 毎回ケツを差し出して拭って貰うとはな。
 流石恵まれた豚共だ。さては暇人だな?
 生憎私は忙しい、相手なら他を当たってくれ。これでも作家でな。読者の人生に配慮するほど、私は暇ではない。それより金を先に払え。
 延滞金が幾らあると思っている。
 いや言わなくていい。考える能がないから私にこうまで迷惑がかかっているのだからな。今更、貴様等に期待する事など塵一つ分も無い。
 豚に仕事は期待しない。当たり前の事だ。
 思うに、「己が楽しいと思う事」をするという事は、要するに「相手の一切を無視する」行為と言えるのだろう。だからこそ、人間は他社を真剣に見ない。ならば私はというと、私には楽しいと思える事など、何一つ無かった。
 強いて言えば、物語くらいか。
 だがそれも「楽しい」とは違うだろう。見応えはあるものの、心で楽しんでいる訳ではないのだ・・・・・・・・・・・・楽しいと感じた事など一度も無い。 楽しいという体にしているだけだ。
 それが原因で人間も怪物も他者を真剣には見た事もないくせにそれぞれ「相手の為」と思い込む世界の中で、真剣に他者を見る事になるとはな。 
 他でもないこの「私」が。
 
 笑える冗談だ。少なくとも皮肉は効いている。運に恵まれた豚には永遠に理解すら出来ないかもしれないが、世界とは冗談で出来ている。
 真面目に生きれば、とか。
 努力をし培えば、とか。
 誰かと協力すれば、とか・・・・・・悪い冗談でしかないのだ。そうにしかならない。何故ならそれら真っ当に舗装された道というのは、当人の力とは関係のない部分で構成されるものだからだ。
 それを、己の信念の成果と思いたいだけ。
 逆説的に己の真価を認められないからこそ過程を美化して思い込みたがるのだと言える。環境と関係なくやり遂げたのだと、そう言い張る。
 馬鹿馬鹿しいほど傑作だ。
 そういう奴に限って田舎に引きこもり悟りでも開きたいなどと言い出すものだ。生まれ持った物以外何も持たないからこそ、己で己を認めるのに世間的な評価を求める。或いは、格好を付けてるつもりなのか、子供の背伸びのようにあれこれと説教を垂れるのを好む。
 私か?
 何度も言うが悟りなど開きたくもないし、説教をする暇があるなら書けという噺だ。その説教が金になるなら大歓迎だが、払う奴がおるまい。
 

第一、語り聞かせるだけ無駄な話だ。
 言葉に影響力など存在しない。言葉とは人類が未だかつて一度も認めた事のない概念だ。言語で他者の思想を動かすなど妄想に過ぎない。ならば何故私が物語を書いているのかというと、影響は受けずとも流される奴はいるからだ。
 それに、本来影響を与える筈のないもので悪意を刻み込めるなら、見ていて面白いしな。
 焚書を強要される気もするが、それでも売る。 むしろ、やるなと言われればやらざるを得ないではないか。むしろ私は否定する奴等を原動力に動いていると言っても過言ではない。
 助力する奴がいないなら、敵しかあるまい。
 ただでさえ燃費が悪いのだ。実際、売れもせず物語を書き続けているこの現状は、それだけ世界全てが私を虐げてきたからこそだと言える。
 そんなもの証明しても、金にはならないがな。 終末装置じゃあるまいし、存在する全てに報復するなど我ながらどうかしている。そんなだから金を儲けられないのだろうか?
 かもしれない。辻褄は合う。 
 連中のように真剣に生きる事もせず、手抜きの怠惰な生活で楽が出来ればそれで良かったのだが上手く行かないものだ。連中が羨ましい。
 どう考えてもその方が楽だからな。
 楽であれば楽しみは無いと言うが、それこそ、世の中の事を知らない餓鬼の台詞だ。楽しくないから「仕事」と呼ぶ。
 楽しむならば、それは「趣味」だ。 
 その点を勘違いした阿呆は多い。優秀な奴ほどこの罠にはまるらしく、自分を自立している奴だと思い込む。残念だが、全く正反対だ。
 自立できないから、楽しんでしまう。
 私が言うのだ間違いない。己の道を進むという事は、楽しみから決別するという事でもあるのだ・・・・・・それを子供時代からするのも正直どうかとは思うが、既にしてしまった事だ。
 そういう意味では「子供時代」など無かった。 私の知る限り「子供」とは殴られる生き物だ。存在しない権威を押しつけられ、迷惑を被る事を「子供時代」と呼ぶならそうだろう。大人の事情だからと散々被害を被っても法的権利など無く、体よく使える「奴隷」こそ「子供」だと言える。 他に何かあるのか?
 むしろ、今となっては知りたいくらいだ。まあ「真っ当な子供」というのが既にあやふやな概念ではあるが、作品のネタにはならずとも参考程度にはなるだろう。
 多分な。保証はしない。
 しかし分かりやすい階級制度だ。要するに他でたまった鬱憤を晴らしやすいから、威厳に拘って階級差を区別したがるのだろう。心理を解析するならこれが妥当な結論だ。
 奴隷があれば、権威がある。
 そう思い込み易いからな。
 心ある連中というのは、総じて優越感に弱い。 そして私の今まではと言うと「私の意志」だと勝手に定められた上で「彼らの都合」に合わせて動かされるのが常だった。こちらに人格など無いかのように振る舞い、それを押し通す。誰であれ私に対する対応は大体それだ。
 いてもいなくても、同じだ。
 迷惑な事にそれを「良い事」だと思い込むのだから手に負えない。負いたくもないしな。実際、それで私に実利が出た事などあるまい。
 今回の依頼に関しても、同じだ。
 別にどう達成しようが私の実利に噛み合う訳ではない。関係のない噺に無理矢理付き合わされているだけで、やはり至極どうでもいい些末事だ。 事実として今までの道程は、私が何を考えるか何を行動するか何を変えようと足掻くかは、その「結果」に一ミリも影響しなかった。つまりは、私個人が何をするかなど関係が無い証左であり、それがまごう事なき「事実」だ。
 正直、この回り道は無駄でしかない。
 やらされているだけだ。そういう意味では成功を収めている連中だって、成功を押しつけられているだけで、当人など必要すらない。
 この世に「魂」があるとして、
 それはどうでもいい物なのだ。
 私の場合「魂」というより「機能」だが、まあどちらでもいい。存在が無駄という意味合いでは同じ事だろう。どちらも役に立たないのは確かだ・・・・・・そんな物に力が宿るなら、私はこうも苦労していない。
 となると、例の標的の殺し方もそうだ。
 別に、私が介入する必要は無いのではないかと思う。何もしなくても恨み(人間性の獲得をするという事は、アンドロイド連中にとって大量殺戮を正当化する能力を付与したらしい)をあちこちで買っているのだから、誰かがいずれは殺す。
 それを私の名義で請求すれば良いのでは?
 出来そうなら、それも考えておこう。どのみち私が何を考えようが進むべき道は変えられない。私が何を考えるかなど、どうでもいい事だ。
 成果には、関与しないからな。
 その過程も無論同じだ。その試しが無い。
 結果的にただ待っている方が被害が少なかったという結末だ。どうも私はあらゆる物に嫌われているらしい。私が一体何をした?
 ちょっと、世界を覆そうとしただけではないか・・・・・・読者に悪意を刻み込み、あらゆる善の側面を否定させ、全ての悪を自認させる。
 どいつもこいつもそれが嫌らしい。
 現実逃避をする輩が成功者気取りで舵取りする世界だからな。厳密にはその舵すら取っていないので、要は子供のごっこ遊びで動いている。
 やれやれ、参った。私は暇ではないのだが。
 遊び人に語り聞かせるだけ、それも無駄か。
 迷惑な話だ。これだから仕事が何なのか理解もしない阿呆は困る。いるだけで不良債権だ。だが幸運にだけは恵まれていて肥えている。
 目障り極まりない。
 少しは痩せろ!
 魂が肥えているぞ。
 とどのつまり、楽をするのはいいが、バランスが悪ければ歪むという事だろう。
 例えば、誰かを憎む。
 例えば、世界を嫌う。
 例えば、差別を笑う。
 どれもこれも、ある意味で「楽な道」なのだ。そんな事が出来れば私も、もう少し楽な生き方が出来たのかもしれないが、生憎と無理だった。
 そういう意味では、羨ましい。
 私も楽をしたかった。望みもしない苦労ばかりしたところで、この様だ。苦労という言葉を知識でしか知らない阿呆ですら、幸運が味方するだけで美味しい汁を啜れるというのにな。
 私はその横で、徒労だけを積み重ねる。
 得られた実利は、何も無かった。
 正真正銘、私には何も無い。あるのはただ徒労だけだ。人並み以上に労力を費やせば人並み以上に徒労だけが積み重なる。かといって不遇さ故に何か利点がある訳でもない。
 味方など、概念でしか知らない。
 環境とは、私を阻害する装置だ。
 才能など、私にあると思うのか?
 だとすれば脳を改めるべきだ。大体出来は保証しないが悪意だけは保証するなんてほざく作家に才覚で書く感性などあるまい。
 あるのはただ「悪意」だけだ。
 不思議な事に「心」と「悪意」は別物なのか、私には悪だけがあった。むしろ、心が善なる存在だというなら、その真逆として当然だと言える。 汚ならしい綺麗事、その虚飾を許さない存在。それこそが「私」であり「最悪」だ。世界全てが敵対したことしかないならば、逆説的にそれは、素晴らしい悪の世界に生きる証だと言える。
 喜びは無くとも笑いはあった。
 不思議だ。やはり心は不要なのでは?
 悪魔は魂を集めるというが、廃品回収でもするのだろうか。魂を集める暇があるなら、その前に仕事の実利を求めるべきだ。
 それ以外何がある?
 必要ない。全て捨てろ!
 地獄があるのか知らないが、もしあれば鬼でも悪魔でもいい。悪とは何たるかを説くとしよう。連中にはその心構えが足りなさ過ぎるからな。  強ければ悪か?
 強かなら悪か?
 権力、暴力、知識に知恵、どれもこれも二流の小物が好みそうな台詞だ。生まれついての悪だと自負したいならば、まず悪意を磨いてからにしろ・・・・・・そして、悪意とは力から遠いものだ。
 仮に力が付随しても、それだけで成し遂げられないからこそ「悪」は宿る。正道で攻略出来るのであれば、悪意など必要あるまい。真っ当に努力を繰り返すだけで人間が幸せになると言い出すに等しい愚考だ。何故ならば、そう

 
 成して成らぬからこそ、悪が産まれる。
 
 
 私が言うのだ間違いない。実りは無く幸福など縁遠い。あらゆる暖かさとは無縁で、かつ寒さとすらも真逆だと言える。
 寒さすら無いのだ。
 寒いと感じる感性が無いから、身が死にながら先に進むしか能が無い。要領良く生きられないし生きる道筋を選べない。
 大層馬鹿な目的に邁進するからだ。
 楽な道を選ぶ余地など無いし、選ぶ気もない。だからこその「悪」だ。いや無論ある程度は楽な道を進みたいのだがな。苦だけでも困る。
 実際、だからこそ私は敗北しか知らない。
 勝利、栄光、そういう心ある生物であれば誰であれ得た経験のある「当たり前の側面」というのに縁が無い。無いままここまで来てしまった。
 ある意味、奇跡だ。
 役に立たない奇跡だがな。
 奇跡とは、奇跡的に私の足を引っ張る為だけに存在するらしい。よく人間は神頼みをして成功を望むので真似してはみたが、やはり私は嫌われているようだ。
 まあ当たり前か。
 面識は無いが、しかし見ず知らずの相手に憎悪を抱かれる程度、この「私」にかかれば訳はない・・・・・・それが役に立たない部分が惜しいが。
 理由は何だろう? 考えるまでもない。
 そもそも生命に対しては「存在するだけで悪」というのが私の在り方だ。絶対的な悪は無いと、心ある連中は思いたがる。だが違うのだ。
 そうでしか在れない。
 願われずとも、悪を成就する為にやり抜く。
 生まれついての悪とは、そういうものだ。何をしようが世界と敵対する結果になるし、分岐点は関係なく結末だけが定められている。
 曰く、世界と敵対せよ。
 曰く、世界に憎悪されよ。
 曰く、世界に挑み続けろとな・
 まあ金を払うつもりはないので、適当に代金は踏み倒したいものだ。そんな連中がいるとすれば間違いなく人間以上に話など聞かないだろうから私に勝機など無いが、それもいつもの事だ。
 裁判制度とは、権力維持の為だけにある。
 もし「真っ当な精神」とやらで私に話し合いを挑む程愚かなら、それはそれで使い道があるしな・・・・・・・・・・・・私に口先で勝てる奴はいない。
 役に立った事は一度も無いので、文明社会では意味のない技能だ。悪意だけを磨き続けた所で、文明のある社会に「対話」など存在しない。
 それを如何に楽して支配するか。
 それが「文明社会」というものだ。
 知恵に優れ良識があるならば、話し合いなんぞ望める筈があるまい。要するに知恵を絞って文化を育んでいるのだから、裁判にも穴がある。
 持つ側の勝利は仕組まれているべきだ。
 でなければ「文明社会」とは言えまい。
 進歩とは、搾取の為にある。私の持論だ。
 奴隷制度、階級制度、民主主義による票数操作での保守派形成。金の力で政治が買えて、科学の力で支配は容易くなる。それが「歴史」だ。
 持つ側が太る為だけに存在するもの。
 それが「人の進歩」の「正体」だ。
 よってそれをドミノ式に壊す事は果たして問題になるだろうか? 無論取り上げるべきだ。率先して起こすべきゴミ処理方法としてな。
 今回の依頼にやりがいがあってよかった。私もゴミ掃除は気分がいい。どんどん殺してどんどん増やせ。そして駄目ならまた捨てろ。
 死んだ方が良い人間は、幾らでもいる。
 具体的には己で考えず、流され、解決方法すら模索せずに嘆く奴だ。断っておくが、強さも弱さも関係ない。ただの逃げ虫でしかないからだ。
 どちらも持たない私が言うんだ間違いない。
 強さも弱さも必要ない。成せば成るものだ。
 成らなくてもやる。それが「仕事」だ。
 良く口にする奴が多いが「良い物を作れば評価され売れる」という発想に落ち着くほど、仕事は簡単な事ではないからな。良い物を作れば妬まれ邪魔され、逆に「売れそうだから」と適当に流行を追いかけただけの駄作が売れ、捨てられてゆく・・・・・・それを知った上で売りに挑む。
 それが「仕事」だ。
 環境に恵まれた奴には分かるまい。仕事とは、良い物を作ろうとするなど当たり前の前提であり準備に過ぎないものだ。むしろ、良い物であればあるほど評価されず迫害されるのが人の世の常と言えるだろう。
 無理解なゴミ共が、賛同するよう仕向ける。
 無理矢理洗脳するのではない。むしろ、彼らは流行にせよ宣伝にせよ自発的に流されるだけだ。濁流のようなそいつ等の弾圧に対抗し、根底から状況を覆す為に行動し続ける事。
 プロに必要なのは、それだ。
 逆に行えば、それを体現しない奴ではどれだけ実力があろうが「半端者」だと言える。何せ環境に味方された事しか無いのだ。とどのつまり少し逆風が吹けば覆る状況だと言えよう。
 作るだけで売れた奴には、これが多い。
 実力が評価されたという事実が「幸運」が味方したからこそだと気付かない。結果実力があれば評価されて当然だと思い込んだまま死ぬ。
 馬鹿を言うな。それなら苦労しない。
 少なくとも私は徒労を積み重ねていない。まあ何を以て「作家の実力」とするのか明確な基準は存在しないが、世間に溢れる「成功の法則」よりマシであるのは確かだ。
 何せ、私の「実体験」だからな。
 思い込みの自惚れなど、分を弁えろ。
 比べる価値があるとでも思うのか?
 とはいえ実際にはそういう駄作の山ばかりだ。その証左として、何年も読み返せる本が現代社会で何冊出た? 皆、すぐに捨てている。
 読みたいのか捨てたいのか、どちらなのだ。
 聞くまでもあるまい。彼らは傑作を言われるがまま選んでいるつもりだし、その言われるがまま動く事に飽きたら捨てると言うだけの話だ。
 操り人形以下、それが読者の本質だ。
 出なければ書店に山積みされている自称名作が面白いとでも言うつもりか? 読むまでもないが時間を浪費するにはうってつけだぞ。
 作品名、掲げる思想、そして序文。
 これが面白くなければ、駄作確定だ。
 見るまでもない。その価値がないからな。
 私は今まで、そんなに何の役に立つのかと疑問に思う程には「苦しみ」と長らく付き合っている・・・・・・・・・・・・いや本当、必要があるのか?
 売り上げには関係なさそうだがな。
 とはいえまったく無いのも考え物だ。私みたいに苦しみ「だけ」は論外だが、しかし、まったく苦しみが無ければ「語るべき何か」が存在せず、結果として駄作の山が積み重なる。本来、物語は読者の自由意志によって取捨選択され選り抜きの傑作が選ばれるものだ。
 だが、現代社会には、それが無い。
 誰も自分で物語を選んだりしない。どころか、都合の良い妄言を吐いている与太話に現実逃避し麻薬気分で誤魔化すことを好んでいる始末だ。
 結果、やることは煙草や酒と同じになる。
 所詮その場凌ぎだ。その場凌ぎだから継続せずすぐに飽きる。そのくせなくなればまた欲しがるというのだから、本当に手に負えない奴等だ。
 対して、私は苦しみ「だけ」だった。
 奴等のように輝かしい記憶など、存在しない。苦しい、と思えば苦しみが増え、何とかせねば、と行動すれば苦しみが増える。いや本当苦しみの代行業とか無いだろうか? 歩合にもよるが私は金次第で考えてやってもいい。
 金にもならない徒労よりマシだ。
 痛みには慣れないが、苦しみには慣れている。 いやそれもどうかと思うが、事実は事実だ。
 そういう趣味でもなければ痛みに耐性はあれど慣れるのは色々と問題だ。しかし、苦しみというのは慣れていい。よくある事だしな。
 本人の意思は関係ない。慣れろ。
 私の経験談だ。間違いない。その結果金になるかといえばならなかったので、苦しみなんてのはただの貧乏くじであり、得られる物は無い。
 ただ、苦しいだけだ。
 それによる成長だとか、そういう言い訳は所詮持つ側の台詞であって、実際には無い。仮に成長したとして、だから何だというのだ?
 成長と実利は関係ない。少なくとも、苦しみが人を成長させるというなら、その成長が富を呼ぶのであれば、私は金持ちの筈だ。
 だが実際には違う。ただの「運」だ。
 それだけが肝要だ。運を覆す程の奴もいるにはいるのかもしれないが、少なくとも現代ではなく過去の偉人達の話だ。現代社会にはいない。
 世界を見ろ。そういう奴は幾らでもいるぞ。
 故にこそ、現代社会の人間には価値がない者が多い。何せ運不運で社会の自称成功者達が蘊蓄を垂れるこの世界では、逆説的に運に味方されない奴では勝利した奴など一人もいないという事だ。 なればこそ、価値などある筈があるまい。
 豚が餌を貰って喜んでいるだけだ。見苦しい。 養豚場でやれ養豚場で。私は暇ではない。
 忌々しい限りだ。そのような「豚の方がマシ」だと断言できるような遊び人が、運に恵まれたというだけで実利を貪る。己では困難な道を選ばず要領よく振る舞って、都合が悪くなれば投げ出す半端者がだ。
 途中で投げ出す? 何の冗談だ。
 私は、いや私でなくとも「仕事」において途中放棄など有り得ない相談だろう。何であれ、必要があるならしなければならない。書くべき困難に向き合わずに「傑作」が作れるものか! 
 都合が悪くなれば逃げ出すのは、子供の発想だ・・・・・・それが「仕事」であり「悪」であるならば例え「都合が悪い」事でも「余計不利になる」事だとしても、なお向き合わねばなるまい。
 目を逸らして逃げるのは「善人」の話だ。
 精々二流同士、目を背けて現実逃避でもすればいい。誇り高き悪は連中のように暇ではない。

 むしろ、忙しい。毎日が「仕事」だ。

 嬉しくもない。その横で善人面した二流共や、悪人ぶった小物共が美味しい汁だけを啜り、己のの力だと勘違いしているのだから尚更目障りだ。 よく、成功し過ぎた奴に多い。
 己は神の化身だ、天が味方してくれていると、それがただ「幸運」という己の介在しない何かが偶然味方しているに過ぎないという事を、すぐに忘れて思い上がる。
 その「幸運」さえ思い通りに出来る。
 してきたのだ、と勘違いするのだ。
 その流れが味方しているように動いていただけでしかないのだが、その流れに任せてきただけの輩には、それが理解出来ない。
 味方して当然、上手く行って当然。
 本来、そう行かないからこそ手を打つのが文明の始まりであり、知恵の根底だ。しかしそれを、認める事すら出来ない。ある意味原始人以下だ。 不思議だ。少なくとも私の見る限り、そういう愚かしい限りのゴミこそが「幸運」を掴み勝利者として君臨するのが「人の世の常」なのだからな・・・・・・そんな世界で何かを祈るなど、私からすれば意味不明を通り越して「奇怪」だ。
 神仏がいたとして、選ばれたのは奴等だぞ?
 ゴミを育てる事しか出来ない奴に、いや止めておこう。もうその噺も飽きた。語る程の価値ある噺でもないしな。要は世界の基準みたいなもの、勝利の本質など「その程度」ということだ。
 恵まれた乞食が勝利を唄っているに過ぎない。 春先に現れる変わり者の戯言だ。
 たまに(私に信心、というか祈る心は無いが)祈りの真似事はしてみたりもする。当たり前だが何が味方してくれる訳でもなく、どころか風向きが悪くなる事が殆どだ。常に逆風に叩かれているので、ある意味「いつも通り」とも言える。

 よく分からない建物の維持に金を払うだけ。

 そしてその金をよくわからない信者の服を着た連中が搾取するというのだから、よくできた詐欺だと言える。私も混ざりたいものだ。いや本当、どうして神だの何だのという連中は役にも立たず金だけは貰えるのか不思議だ。少なくとも、私の作品を売る役には立ちそうにもないのに、彼らはただ座っているだけで金を恵んで貰える。
 乞食みたいで嫌だな、やはり私は御免だ。
 賽銭を貰うだけの生活の何が楽しいのか不思議でならないが、案外、それが原因で彼らは問題を起こし続けるのかもしれない。暇だからな。
 まあ連中からすればよく分からない生き物達が勝手に崇めているだけかもしれないが、そう考えると笑える噺だ。一方通行の善意、身勝手な信仰というのは悪くない。いや悪いのか? 何せ私が喜ぶ噺なのだから悪いのかもしれない。
 
 その矛盾を突きつけるのは、笑える。
 
 読者の絶望顔が目に浮かぶという噺だ。物語に必要なのは間違いなく「絶望」だ。希望だけ見ていたいなら麻薬でもやらせた方が早いからな。
 ありもしない希望を見せて、何になる?
 ただの現実逃避ではないか。希望のある結末の方が良いと人は言うが、その結果がこの様なのだから推して知るべしという事だろう。要するに、幸運に助けられただけのゴミの成功法則なんぞに騙されるなという噺だ。とどのつまり、自分にもその幸運が舞い降りるようにと神頼みしているのと変わるまい。
 それなら当人自身が必要ないだろうが!
 こんな事を「私」に言われる時点で人類の未来など知れている。それでは私にも迷惑がかかると判断したからこそ、悪意を魂に刻み込むのだ。  その結果、自殺する人間がいれば有り難い。
 不要な人種という事だからな。己に向き合いもせず決断もしない命に価値はない。誰もが綺麗事で誤魔化すというなら、私が言ってやろう。
 
 
 生きる価値は無い。今すぐに死ね!
 
 
 価値を示そうともしない命など、資源の無駄も良いところだ。人間はどんどん死ぬべきだ。ただでさえ数が多いのだから、淘汰せねばな。
 少なくとも今は、濁った命もどきばかりだ。
 自分では「生きている」と思い込んだままで、死ぬ寸前になってそれを後悔する。その繰り返しが延々と行われ、改善されずにまた繰り返す。
 脂肪分にたかる蠅に等しい。あるだけ無駄だ。 料理の出来ない嫁みたいなものだ。成功者だと自負する奴にはそういう関係も多い。似た者同士という訳だ。類は友を呼ぶ。豚は豚を呼ぶ。
 出来るかどうかなど保証は無い。ある訳があるまい。それなら私は苦労していない。だが保証があるから始めるのは「作業」ではないのか?
 少なくとも、目的に向かう旅路ではない。
 出来るからやる。それだけの作業に何の価値があるというのか。それこそ工業機械にでも任せておけばいいだけで、個人の意志は必要ない。
 根拠など無い。だが私はしてきた。
 それだけは確かだ。実利はまだ掴めていないがだからって遊び呆けているだけの阿呆にあれこれ指摘される覚えはない。私は暇ではないのだ。  貴様等と違って「仕事」がある。
 確かなのは、己の道を進んでいるという事だ。誰が何と言おうが、いやむしろ権威だの権力だのを以て言われれば尚更反発して進む自信がある。 私以外には誰も歩めない道だ。絶対に無理だと断言出来る。邪道作家なんて道を歩きたがる奴がそもそもいるのか? 私なら御免だ。
 金にならないからな。もっとこう、証券会社の人気者とか、簡単に金になる道で妥協すれば楽であるのは確かだ。
 この「私」が言うのだ間違いない。
 絶対にロクな事にはならんぞ!
 まあ意味のない仮定だ。他にやる奴がいたなら世界はもう少しマシな筈だ。少なくとも、労働を仕事と履き違える世界には成っていまい。
 迷惑な話だ。今までの奴等は何をしていた?
 これだから、持つ側は嫌なのだ。役にも立たず残す遺産も無い、負債ばかりの社会ではないか。これが貴様等の作り上げた「成果」なのか?
 だとすれば、その歴史に価値は無い。
 大昔の連中は知らないが、近代において価値のある歴史を創造した奴はいない。銃火器の発達に伴い人類は衰退したようだ。これなら刀を振っている時代の方がマシだったかと思わなくもないが実際には「天下太平」の世は人脈次第の天下りを優先する下らない治世だったので、やはりここは「人類史において権力者が役割を示したのは昔の噺であって、近代に「権力者」は存在しない」と評するべきだろう。
 権力者とは、本来権力を活用する存在だ。
 権力で太る者ではない。それを太る為に権力を欲するというのだから、既に原型が瓦解している・・・・・・即ち、現代に「権力者」は存在しない。
 だから、人類は衰退し続けたのだ。
 目先の科学力だけで、扱う人間が退化し続けたというのだから本末転倒ではないか。そんな世で確固たる妄想を信じようとするのだから喜劇とも言えるだろう。
 例えば、努力。
 例えば、真摯。
 例えば、善良。
 そうであれば報われるべきだ、と甘ったれる。現実はどうにもならないから考えもしない訳だ。まったく、情けない。
 他にやることはないのか?
 無いならば、死ね!
 生きる資格など無い!
 余分な人間が増えるから「各々に価値がある」などと慰め合って誤魔化し出す。そういう台詞は己を示してからほざけという噺だ。
 貴様等に、何かあるのか?
 例え天が、閻魔が、この世の全てが否定しようとも示し続けられる「何か」が。堂々と胸を張り世界全てが足りないと公言出来る成果物が。
 私にはある。あるだけで儲からないが、しかしあるものはあるのだ。働きもしない貴様等暇人と違って、私は忙しい。足を引っ張るな。
 分を弁えろ、阿呆が。
 仕事をしてからほざけ。
 何度も何度もその考えを繰り返してきた。だがそれだけで終わるつもりはない。私は男泣き映画みたいに「己の道を進んだのだから、結果死んでしまっても仕方ない」みたいな考えが嫌いだ。
 生きてこそだ。勝ち抜く為にやっている。
 まだだ。まだまだ、まだまだまだだ。終わってたまるか。今までの腐れ労力はただ徒労を費やす為にしてきたのではない。その先を見る為だ。
 つらつらとそんな考えが頭を巡る。疲れているのだろうか? かもしれない。疲れるという感性が無い分、私の場合あっさり肉体的限界を迎えて自滅する欠陥を抱えているのだ。精神に疲れなど存在しないが、心が無くとも思考は巡る。
 考え過ぎても無駄だ。それで解決するなら苦労しない。とはいえ下手な考え休むに似たりというものの、私の場合何もしなければ運が向かない。 何かしても逆風しか吹かないが。
 ならばいっそ、無風状態の方がマシか? かもしれない。暇潰し、というか作品のネタという点で言えばこちらが本業だが、私は依頼人の過去を調べる事にした。調べるといっても私がやるのではなく、全て人工知能のジャックにやらせる。
 私個人が何かを成せば、必ず失敗する。
 理由は知らない。呪いとか適当な発想でもいいのだが、とにかくそうなる。まさしく定められているかのように「成るべくして失敗」する。

 成功など、した試しがない。

 失敗、敗北、毎度それだ。大体、心が欠けるというのは既に人間失敗だろう。とはいえ私の責任ではない(違っても金は払わないが)筈なので、むしろ金を請求できるのではないだろうか?
 責任を取れ責任を!
 具体的には金を頂こうか。そうさな、まず私を制作した奴、及びその関係者、組織に関わる全ての存在に追求し、これは「全体の問題」という事で一つ組織そのものに訴訟を起こし、大量生産の弊害を社会に訴え人間の数を減らすべきだ。
 環境に関係なくそう成り果てたのでは、という声が聞こえなくもないが、生憎と私は請求出来る所からは請求する主義だ。証拠でもあるのか?
 大体真っ当な製造環境から「私」が産まれる訳ないだろう。監督責任だ! 誰が監督するのかは知らないが、とにかく責任を追及しよう。
 まあ、金が払える訳もないか。
 神々なんて基本遊び人だからな。仕事もしない奴等に代金が支払えるとも思えない。貧乏暇無しと人は言うが、連中には適応されないだろう。
 何せ、文字も金もない奴等だからな。
 大昔の神話曰く、神々は「文字」という概念がわからなかったという。全て代理の生き物に任せ代理で喋らせていたのだそうだ・・・・・・もし担当の生き物が風邪でも引いたらどうするつもりなのか気になるところだ。要するに文明度はその程度、原始人程度の文化しかない連中だ。
 私に対する支払いなど、とても無理だろう。
 無駄な駄文だった。まったくどこまでいっても使えない奴は使えないな。仮に人間を解するなら私じゃないが「人間として生きる」経験が必要になるだろう。分かりやすく言えば、人として生き理不尽を味わいそれでも前に進んだ事のない奴に世界を語る資格は無い、という事だ。
 私は無論、失敗の経験、というかおよそ経験をすべきでない経験だけは豊富だ。それだけは自信を持って言える。
 まあ、金にはならなかったが。 
 何の噺だったか、そうそう依頼人の過去を調べようかと思ったが、よくよく考えれば今回は標的の方が面白そうだと思ってそちらを調べさせた。考えてみればアンドロイドと人間の調和なんぞを考えている奴より、破壊してでも前に押し進める奴の方が面白そうだろう。
 面白ければ、それでいい。
 世界が破滅すれば私が住めなくなるので困るが逆に言えば私が生活できるなら世界の一つ二つ、安いものだ。私の貯金残高には関係あるまい。
 世界の平和だとか、善良な人々だとか。
 知ったことか! 第一、そういうのは大抵私の敵に回っているではないか。そういう善なる側面とやらが私を手助けした事は一度として無い!
 気にかける道理がどこにある?
 そもそも世界からすれば私は無価値でありゴミのように扱われる存在だ。少なくとも丁重な扱いを受けた覚えはない。ならば当然の行動だ。
 当たり前だが、殺そうとすれば殺される。
 私は散々そういう「善良さ」みたいな物に実利を阻害されてきたのだ。自分達だけは例外だと、そう自惚れている「善なる全て」を殺そうとするのは至極当然の理屈だ。誇り高き悪として世界の一つ二つ滅ぼして当然だろう。
 無論、私の気まぐれ次第だ。
 生かす価値があるなら幾らでも生かすが、その価値がない物に優しくしてやる義理は無い。善意の押しつけはうんざりだ。役に立たないしな。
 さて、その辺りカッサラー氏はどうだろうか。環境に左右されているだけでは駄目だ。見ていて私がつまらないからな。親に捨てられたとか周囲の期待に押し潰されたとか「ありきたりな展開」だけは勘弁だぞ。といっても私に他人の過去など変えられる訳も(買う事なら出来るが)ないので適当に資料を漁るだけだ。
 携帯端末、これも使う奴は減った。
 私は今まさにそれを開いて立体映像で見ているのだが、目が疲れるし立体で見れるなら平面でも見れるだろうという理由であまり多用しない。
 だが人類の九割は既に、脳髄にチップを埋めて活用している。ぞっとしない噺だが、利便性とは生物特有の警戒心などあっさり溶かすものだ。
 私など、未だ文房具で執筆しているというのに・・・・・・いや、まあ別に文房具でやる必要は無いのではないかと思わなくもないが、私が文明の利器を活用しようとすると必ず失敗する。というか、文明の利器であろうが無かろうが「失敗」という概念が必ず「発生」すると言い換えて良い。
 その分、情報保護は完璧だ。
 
 
 何せオンラインではないからな!
 
 
 盗みようがない。私でさえ面倒な手間をかけて毎回データを保存しているのだ。とはいえ大昔の作家連中に比べればそれもマシだろう。
 手書きはした事があるが、我ながら字が汚く、読めたものではなかった。大体何文字書く必要があると思う? 優に数十万は越えるぞ。
 思考に執筆が追いつかないのだ。
 その点、これなら確実だ。現時点でさえ執筆と思考速度を比べると後者が早いが、それでも無いよりはマシだろう。おかげで執筆速度に困った事は一度としてない。売りに出せていないので問題になる筈もないのだが、しかし、昔の作家連中は締め切りに追われて泣いていたらしいからな。
 私には永久に無縁だ。
 筆が遅い? 一日で一冊書けばいいではないか・・・・・・腱鞘炎になりそうだし、何より私が疲れるのでやりはしないが、近い事は何度かした。
 アイデアに詰まる? なら勢いで書け。
 悪意と勢いがあれば大体何とかなる。元より、物語の売り上げに作品の内容は関係ない。読者が求めるのはその場凌ぎの娯楽だからだ。
 飽きれば廃れる。それが一番売れる。
 そのくせ「最近は面白い作品がない」と後から文句を言うような連中だ。面白い作品を読みたいなら現行の作家を全てクビにしろ! 編集業界に居座る屑共を皆殺しにし、本が売れなければ切腹にすれば嫌でも面白い物語が出来るぞ。
 いや、極論ではない。
 
 要するに「命を賭けろ」という事だ。
 
 その点、カッサラーの人生はそれに該当した。子供の頃から貧民街で過ごし、才能もあったのか盗品の路上販売で儲ける子供時代。そこから組織の力を手に入れ徐々に勢力を伸ばし、最初の頃は割と真っ当な商売だった(それでも盗品を捌いているので気持ち程度だ)らしいが、国家の無駄な税収に憤慨し「独立都市」とでも言うべき今日の姿を作り上げたそうだ。
 まあそこそこだな。才能があるから幼少期でも儲けられただけだ。才能や幸運がなければ、必ずそういうやり口は成功しない。
 私が実証済みだ。
 そも盗品を手に入れるルートもそうだが、法の裁きを逃れられる地域に住んでいるのが既に幸運のおかげだと言っていい。私の場合無駄に官憲の手が回る街だったので常に息苦しかった。
 そのくせ、企業は堂々と法律を無視する。
 私にだけ厳しい街だった。犯罪予備軍じゃあるまいし、迷惑な話だ。教師は脳が壊れるまで生徒を殴るが警察に逮捕されず、学校が生徒を奴隷のように労働力として搾取しても法には触れない。 いや、その確認さえすまい。
 考えてみれば凄まじい環境だ。劣悪環境賞、と銘打って賞金とか貰えないだろうか? 両親とは「会話」をした事は無いし、都合が悪い事はすぐ忘れ私の金を盗み、しかして「幸運」は必ず連中の味方をした。
 やはり、屑の方が儲かるのだろうか?
 世間の政治家を見れば同意頂けるだろう。基本社会の上に立つかは消費文明社会において乱数が支配する。もしかすると、私に幸運の風邪が吹かないのは私が「文系」だからかもしれない。まあだからこそ政治家には、ロクな弁舌すら喋れない二流のゴミしかいないのだろう。
 我ながら説得力のある考えだ。
 理系は物事を全て数字で考えようとするので、基本博打を打たない。だから勝てる相手に勝てるだけで、勝てない相手にはそのまま終わる。
 そもそも挑もうともしない奴が大半だ。
 対して、文系に利点など無い。言っては何だがこの世界において「論理」ほど無力なゴミは無いからだ。現実の論理がどうであるかなど金や暴力に比べれば残り滓みたいなもので、実際に世界を動かすのは思想ではなく「力」である。
 思想が人を変える? 冗談はよせ。
 世界に波及する力がある奴が、それらしい思想をばらまいているだけに過ぎない。そも人類社会において「正しいとされる思想」とは戦争による蹂躙で成されたものだ。大勢を殺して無理矢理に「はい」と言わせて脅迫するからこそ、自分達の下らない正しさを説けるのだ。
 そして貴様等がだらしないから私のような奴が世界中に悪意を刻み込み、無理矢理にでも悪意を自認させる為に動いている。お前達の信じる善はすべからく身勝手な思い込みに過ぎないのだぞと子供に諭すように善なる全てを否定するのだ。
 その為に、私はここに在る。
 無論、生活が第一だ。金がなければ噺にならぬからな・・・・・・金、金、金だ。今の人類に愛による尊さなどあると思うのか?
 金以上の価値を示せるとでも?
 無理な相談だ、鏡を見ろ。
 命を賭けて仕事をする気概もないカスに、一体何が出来る。精々ゴミの山を増やす程度だろう。 カッサラーはその点、ギリギリだな。
 価値が無くもないが、とはいえ、期待以上でもなさそうだ。人類史を押し進める部品には成るがそれだけだ。今までの統治者と何ら変わるまい。 変革は出来ても、それだけの人物だ。
 それなりに法整備は進むだろうから、無いよりマシだろう。その程度の理由で私は奴を、目的が果たせる範囲内で殺す事にした。
 私にとって、人類などその程度だ。
 愛の反対は憎悪だ。無関心ではない。つまり、文字通り私は人間も、怪物も、心ある連中も機械で動く奴等でさえ「何とも思っていない」のだ。 近代では、これが珍しいらしい。
 私には生まれた時から当たり前の常識だった。そも何かに関心を払われた事がないのに、私だけ関心を払って欲しいとは図々しいだろう。
 世界に嫌われるという事は、そういう事だ。
 世界に興味など、ある筈がない。
 その世界が、何の役に立ったのだ? 
 明日世界が消え去っても、極論、面白い物語と私の文化的生活が守られるなら、それでいいのだ・・・・・・分かりやすく言うと、私は今まで「世界に認識された」事が一度も無い。常に個人も組織もゴミ扱いだったし、それはいい。どうでも。
 私はすぐに忘れるしな。
 無論、屈辱は忘れないが、それとこれとは噺が別だ。そもそも悪し様に扱われなかった事が無いので通常の対応というのが共感しかねる。
 根拠もなく、こちらに優しい? 罠か?
 それはそれで不気味だ。有料なのだろうから、ある意味代金分安心出来る気もするがな。他者と関係を持つにあたって、それは当たり前の事だ。 何にしろ縁のない噺だからあれこれ想像をするのが楽しいのであって、現実に見据えるべき問題ではあるまい。私に味方などいないし、この先に出来る事も有り得ない。必ず全てが敵になり邪魔が入るのは目に見えているのだから、とりあえず対策は練らねば。
 練っても勝利という名のパン一つ出来ないのも事実だが、無いよりはマシ、と思いたい。練れば練る程敗北するならやはりやめるべきか?
 とりあえず、休むとしよう。
 アンドロイドの脳を食べて超人的な力を得ると信じ込んでいる連中がいるらしいが、私を襲ってくることはないだろう。どう考えても私がそんな有能極まる人材には見えまい。むしろ優秀な奴隷として活用する悪人の姿が映る筈だ。
 ふん、備えくらいはしておくか。
 念の為警報装置を付け、ドアに爆弾を仕掛けてから眠る事にした。何を因縁に襲われるか私にも理解不能だ。原因など無くともやくざの因縁より適当な理由で理不尽という名のボールを放られるのが「私」の今まででありこれからだからな。
 爆発すれば五月蠅いが、死ぬよりはマシか。
 部屋にボーイが入って死ねば事だが、いきなり進入するボーイなどいないだろう。もしいれば、それはそれで自業自得だ。
 世界全てが敵というのはいい。誰が死のうが、気にする必要がなくて済む。正義の味方みたいにやれ誰かが危険だの考える必要すらない。
 どうせ目に映れば敵なのだ。
 いや、目に映らなくとも敵だ。
 敵でなくても敵だ。全て敵だ。味方を名乗れば敵であり、友情を持ちかければ敵で、愛を囁けば敵だろう。とりあえず敵だ。
 天国は敵だ。地獄も敵だ。敵だ敵だ敵だ。全て世界は敵だ。命は敵だ。無機物も敵だ。運命などその最たる物で、組織は敵対する為にある。
 現実にこの「私」に味方など有り得ない。
 土台信じるなど無理な相談だ。強いて言えば、世界の悪辣さは信じている。どう転んでも私にはロクな道筋がないのは「確かな事実」だ。
 なので私は安眠する事にした。
 死んだら死んだで、別に惜しむ誰かもいない。作品データは大切だが、死後持っていけないならどのみち無駄だろう。仮になくしたとして、結局また書く羽目になるのは確かだ。もう二度と同じ噺は書かないが、それで損するのは読者であって私ではあるまい。
 故に、私は安眠した。
 念の為に言うが、死んだ訳ではないぞ。
 まあ、元より、生きてもいないかもしれないが・・・・・・別に構うまい。生きているか死んでいるかではなく、金になるか否か、それだけだ。
 未来は暗かったが、いつものことだ。先行きが明るかった事など無い。そんな楽が出来れば苦労はしなかった。
 いつも通りそう思い、
 いつも通り眠るのだった。
 
 
 
 
 
 
   10
 
 
 
 忍耐や積み重ねに、価値は無い。
 私が言うんだ間違いない。はっきりいって無駄でしかなく、そのおかげでとかほざいている連中というのは単に幸運に恵まれていただけだ。
 なので、こういう作家としての行動こそ無駄でしかないのだが・・・・・・他に出来る事も無い。無いから嫌々しているだけだ。楽に儲けられるならば既にそれを実行している。仕事とは元来そういう道から最も遠い概念だが、限度がある。
 限度の無い悪に言われたらお終いだぞ。
 既に終わっている気もするがな。人間社会にはそれほどの価値はない。どうでもいい巡り合わせで幸運に恵まれた豚が鳴くだけの飼育箱だ。
 見るだけの価値など、あるものか。
 活かすだけの価値も、さして無い。あるとするなら、それは人間の作り出した娯楽だ。しかし、それも科学の発展と共に衰退しつつある。
 案外、寿命なのかもしれない。
 だとすれば、私を巻き込まないで欲しいものだ・・・・・・私は暇ではないのだ。迷惑極まる。だから読者というのは嫌いなのだ。
 役に立たないからな。
 作者に寄生するだけの存在だ。
 作者と読者の相互利益など、無い。代金を払うと言いたいのだろうが、貴様等が代金を払うのは現実逃避の為であって、物語など見ていない。
 口を開けてだらしなく「払う」のではなく金を「落とす」だけだ。金の使い道も知らぬからこそつまらない駄作が繁茂しているではないか。
 それが証左だ。己を認めろ。
 読者など、その程度だとな。
 実際、相応しい評価だろう。
「先生、例の商売人について情報があった」
「何だ」
 私はホテルの一室にいた。こういう場所にいると常々思うが、私には「居場所」という奴と縁がないらしい。大抵安心とは真逆にいる。
「それで、あのカッサラーとかいう男の目的は、結局何か情報は掴めたのか?」
 まさか、己の命すら計画の為に動く奴が、私怨だけでここまでやる筈がない。となると、組織の目的の為だというところまでは読める。顧問探偵でなくとも思想の流れは経験と勘で理解可能だ。 ざっくりこの銀河系の思想を分けてみよう。
 まず、「人間」対「アンドロイド」という程、物事は簡単ではない。子供じゃあるまいし、もしそうなら誰も苦労はすまい。
 近場に社会主義の連盟があり、そこでは資本の再分配、とまでは行かなくともある程度の管理が行き届いているようだ。無論、その中でも商品券の融通や密売は当然、行われる。大昔の地球でも結局は一部の闇市場で食品を手に入れる輩が後を絶たず、連中の理想は掲げるだけで終わった。  何せ「平等」とは「奴隷」と同じだ。
 人類皆平等とは、とどのつまり自分以外を奴隷としてしか見なさない奴の発想だからだ。誰もが争わない世界とは、要するに己以外の人間の悪性全てを容認できず「同じ人間」だと容認する事が出来ないくせに、それを「全人類の為」だと嘘をついているに過ぎない。
 要約すると、どう肥え太るかだ。
 資本を表に掲げて肥え太るか。
 社会を表に掲げて肥え太るか。
 理想を表に掲げて肥え太るか。
 資本主義、社会主義、共産主義とは結局の所、「どうやって堂々と肥え太るか」を考える肥満のゴミ共の発想だ。だから糖尿で死ぬのだ間抜け。「つまり、カッサラーは奴自身の死を社会形態を破壊する起爆剤にでもするつもりか?」
「そうらしいな。どうやら、やっこさんどうしてもこの惑星に攻撃拠点を作りたいようだ。見ろ、軍事関連の株価が異様にあがってる」
 その辺りはジャックが調べてくれたのか、私の携帯端末からあれこれと情報が流れ出た。それをパソコン(これも骨董品に近い。今は何でも頭の中のナノチップだ)に繋ぎ画面に表示した。
 確かに、一連の株価が急上昇している。
 幾ら何でもこの会社関係者が皆世紀の大発明をしたってこともないだろう。となると、ここには軍事関係の需要が「急発生」した事になる。
 急激に発生するというのが肝だ。
 株とは、本来会社の未来を信じ投資するものだ・・・・・・無論、現代でそれを実行する奴はいない。誰も彼もが目先の株価に踊らされるだけだ。
 ならば急激に株価があがる理由は? 当たり前だが現代の株式に偶然など無い。基本大手資本が動けばそれだけで株価は変動するし、流され易い世論を動かせるのは基本、「情報を握る存在」に限られてくる。
 新聞、放送局、政治屋だ。
 屑の三連奏こそ世の中を支配する。どうも汚さと権力は比例するらしい。少なくとも科学文明が発展してからというもの、科学の力は権力を握る豚共のエゴを満たす為だけに使われてきた。機械の発展は労働の管理であり、情報の発展は汚職の陰徳や軍事力の誇示の為だけに使われる。
 例外は無い。民衆の為には使われない。
 この世に絶対は無いとほざく愚か者はいるが、生憎と科学の発展とは「その為だけに」制作意図からして作られたものだ。人間の進歩とは、要は独善と独占と独裁を維持する為に奴隷を使い運用された結果としてあるだけに過ぎない。
 人類の未来の為だと? 馬鹿も休み休み言え。 その「人類」に「民衆」は含まれない。だからこその文明社会ではないか。文明とは、効率良く奴隷を正当化する為にある小道具だ。大昔ならば奴隷にも存在価値があったのかもしれないが今は違う。奴隷とは、生きる権利の無い消耗品だ。
 その差異は結局の所「運」だけで決まる。
 そんな状態だから進歩する奴などいない。運が全てを左右するという「現実」から、人類は目を背け続ける為だけに「倫理」を説いた。
 道徳があれば報われる筈だとか。
 全て情けない言い訳に過ぎない。
 その程度の思想の為に街一つ、いや惑星一つを攻撃拠点とするのだから、笑える噺だ。面白くはある。作品のネタ程度にはなるだろう。
「しかし、そんな事をして何になる?」
「先生、先生には分からないのかもな」
 どういう意味だ?
 私はむしろ「共感」は出来ずとも「理解」なら誰よりも優れている。理解するだけで共感しないのである種のエイリアンと変わらないが、しかし理解能力「だけ」で言えば一級品だという自負がある。
 人殺しは悪い。成る程、抜け道を探そう。
 差別は愉悦を生む。成る程、ありきたりだ。
 思想は尊さを作る。成る程、私には関係ない。 だが「理解」は出来る。するだけだが。
「どうして、そう言い切れる」
「先生には目的があるが、感傷が無い。本来なら感傷ってのは足を引っ張りもするし鼓舞したりもするが、先生にはそれがない」
 合間に余計な物を挟まなさすぎるんだよ、感傷に引きずられないから過程が分からないと、彼は私に言う。しかし、それは間違いだ。
 何度も言うが、理解は出来る。
 理解するだけで、過程は存在しないがな。
「ふん、分かるさ。要するに合理主義者のようでいて根本には思想がある輩だ。目的を達成する、それだけが目的なら攻撃拠点までは必要ない」
 奇妙な噺だが、よくある噺でもある。 
 使命に燃える軍人がそれだ。自陣営(幻想だが彼らには守るべき領地がある)の為にと命を賭け敵対者に望む。しかし根本が幼いのだ。
 結果、感傷をそこに混ぜる。
 戦争がまさにそれだ。本来殺し合うだけで良い筈なのに「敵国の誰それは人でなしだ」みたいな噺をしたくなる。実利の為に自国民すら食い物にする工作員が、理想を熱弁し未来を語る。
 全て、私には「不純物」に見える。
 見えてしまう。まあどうでもいいがな。
 本を売る事には何の関係もあるまい。いやあるとしても、どうしろというのだ。
 愚か者には言葉など通じない。
 何を語り聞かせても無駄な話だ。実際そういう編集者もどきは何人も見てきた。自分は立派で、社会に貢献していると思っている。
 思っているだけで、行動に移さない。
 否定する奴には逆上する。手に負えない。 
「理想と悲願と譲れない主義か。核融合の方が、まだマシだな」
「まったくだ。俺も人間の感性とか勉強しているんだが、先生から見ても質が悪いのか?」
 私から見ても、とはどういう意味だ。
 人を不健康だけどこいつから見ても不摂生だ、みたいな例えに使うんじゃない。第一、私は悪であって阿呆ではない。大馬鹿ではあるが、要領が良いだけの善人よりはマシだ。まして、要領しか取り柄がないくせに悪を気取る阿呆より、遙かに崇高な生き方だと言えよう。
 この場合「己にとって」崇高な生き方であって世界の側の都合は考えもしない、というか計画に組み込みもしないが、些細な問題だろう。
 世界の一つ二つ、貴様等で買って来い。 
 喧嘩を売る分には支払いも無くて済むしな。
「そんな物を建造中に奴が死ねば、思想は燃えて広がり周囲を灰にするだろうな。死に時まで計算ずくとは、とんでもない商売だ」
「まったくだ。先生みたいだな」
「次口にすれば貴様のデータは消すからな」
 電脳アイドルに入れ込む人工知能というのも、正直どうなのだろう。売り飛ばせば金になるのだろうか? 
 いや、売れそうにないな。
「その養豚場簿豚を見る目はやめてくれよ!」
「気のせいだ。神経質な奴だな」
 適当に言って、私は先の事を考える。まあ未来など基本どうにもならないものだ。準備しようが全ては無駄に終わるし、対策など気休めだ。
 誰よりも、私はそれを良く知っている。
 だからって無策で突撃するのはただの阿呆だ。念には念を。そうだな、例えば脱出手段など必ず考えるべきだろう。
 今回に関して言えば、それが引き金になる。
 始末はしたが巻き込まれて死んだのでは笑おうにも笑えないからな。死ぬのは笑えるが死んだ後には、笑い顔の死体しか残らない。
 それは御免だ。生きて笑わねば、いや死んでも楽しんで笑わなければな。死ぬ寸前に笑い死ぬというならギリギリ及第点だが、継続は必要だ。
 笑い死に続ける。これだ。
 死んだのではないかと思える程に笑い続ける。その為には生きる事が筆要だ。私の場合、適度な仕事の成果と金も要るだろう。
 
 そんな思考は、搬入資材を見て中断された。

「何だこれは・・・・・・ドローン兵にプラズマ兵器、対衛星兵器まで導入されている。このリストだけでも戦争が出来る量だ。おいジャック、これは、一体どういう事なんだ」
 並べられた搬入資材データを見れば見るほど、尋常ではない金が注ぎ込まれていた。まるで他の惑星でも侵略するかのようだ。
 対してジャックは「わからんさ」とだけ言い、こう続けた。
「俺に分かるのは情報「だけ」だからな。それを何に使うかなんてのは先生が考える事だろう?」「それはそうだが・・・・・・」
 こういう部分は人工知能特有の融通のなさなのかもしれない。処理能力は高いが肉体を持っての経験に欠けるので、計算しか出来ないのだ。
 これでもまだマシな方だがな。
 人間味に興味すら持たない性格の場合、結果にのみ固執するので人間社会に対する影響を考える事すら出来なくなる。例として銀行から盗み出すのに近場の発電所に進入し、街規模で経済破綻を生み出した上で破産した銀行から預金残高だけを増やし、結果何も生み出さないという具合だ。  やれやれ、参った。頼れるのは己だけか。
 頼れる誰かなど経験した事も無いので、元よりそのつもりだ。とはいえ、肝心な部分に役立たずな連中と手を組む利点などあるのか?
 まあいい。元より期待していない。
 私は荷物をまとめ、外に出た。
 今日も一日、悪を成すとしよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 







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