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邪道作家十六巻 平和的虐殺 最適化を超えろ(現在は無料化)

作品テーマ 非人間讃歌

ジャンル 近未来社会風刺ミステリー(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)


簡易あらすじ

アンドロイドが自我を持ち職を奪い作品すら書き上げる時代───非人間の殺人鬼作家が、作者取材という戦いに挑む!!

当然ながら依頼は嘘まみれ、行き着く先には困難ばかり••••••得られる「利益」が見えずとも、不屈で書き抜いた事だけは「真実」だ。


天上天下において並ぶもの無い、唯我独尊の物語だ───他に書ける奴がいるというなら連れて来い!!


過去未来現在において、唯一無二の


「悪意」


だけは「保証」しよう!!!


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邪道作家 十六巻


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 平和は毒である。
 倫理的に正しい、と洗脳されて盲目的に信じるのは、ただの考えなしだ。そもそも平和など概念からして存在しない。平和だと表向き口にして、裏で有利な条約を交わされ、気付かぬ内に国家が丸ごと「奴隷」になる。
 別に、珍しい噺ではない。
 よくある事だ。
 何百年も平和に甘んじ、禄を食んで飼育用家畜の如き生活を送れば、それらが非常時に何の役にも立たない現実は、火を見てからでは遅いのだ。 まして、頂点に立つ存在とは、所謂その平和と自称する時代において、争いの最中選ばれる事はない。さればどうなるか? 決まっている。戦争がいざ勃発した際に、我が身可愛さで逃げ出す事は分かり切っている。実際、歴史を紐解けば幾らでもある噺だ。
 三百年の泰平だと? 
 平和という奴隷制度を押しつけて、今を生きる民衆を、食い物にしていただけだろう。酷い噺で泰平だの平和だのと呼ばれる時代程「搾取の額」は比例して飛び上がる。下らない倫理や道徳を、言われるがままに受け入れた末路だ。
 だから進歩しないのだ。
 他に、やることはないのか。
 無いのであれば、死んだ方が良い。少なくとも生きていてやれる事は何もない。
 士道不覚悟は切腹だ。生きる事を綺麗事で誤魔化している連中に、生きる価値など有りはしない・・・・・・生きようとしない奴に生きる資格はない。 当たり前の事だ。
 その前提を誤魔化すから、大砲の代わりに大鐘を並べる羽目になる。理不尽を否定するのは簡単だろう。「殺人は悪い事だ」「戦争は良くない」「差別は道徳的に悪い」しかしだ。現実問題殺人や戦争という生物淘汰がなければ人間は無尽蔵に増えるだけだ。差別しなければ不法移民が溢れ、国内で麻薬を流す奴や、国外に情報を売り渡す奴も出るだろう。それら二つを「道徳的に悪い」と否定して誤魔化し続けた末路が、誰も彼もが替えの効く人材であり、役割の席が溢れ不要な人間が飢えて死に、移民に銀行や株式を独占され続け、経済面で支配され、新聞には連中の息がかかり、結果として政治家の首さえ思うままにされる。
 それで「自分達は悪くない」とは笑えない。
 何もかもが悪だ。
 大体が「己が綺麗で正しい存在でありたい」という願いこそ、個人のエゴを貫き通した結果だ。誰かに批判されたくない、社会に認められたい、善良で素晴らしい人間でありたい、と。しかし、それらは全て誰かに評価されたいから起こす行動であって、個人の思想から出るのは稀だ。
 それこそ聖人でも無い限り、あり得ない。
 戦争とは、春が来れば夏になり、夏が過ぎれば秋が来て、秋が過ぎれば冬となり、冬が過ぎればまた、春となる事と同義だ。良い悪いではなく、あって当たり前の現象なのだ。それを倫理や道徳で計る時点で致命的だろう。見たいように見る。それは現実を直視する行為からは真逆の在り方だ・・・・・・平和を乱す事は許せない、とか、先人達が作り上げた泰平には価値がある、とか、あるいは今ここにいる人々が血を流す姿を見たくない、とそれら綺麗事を並べて自己を確立した気分になるのは、単に現実の残酷さを直視しないから行える遊びみたいなものだ。
 現実には人は死ぬ。いや死ななければならないのだ。大勢の人間が死ぬからこそ、大勢の人間が生きる道が出来上がる。戦争が無ければ成る程、死人は出ないだろう。だが技術の発展もないし、何より役割にあぶれた人間、雇用もそうだが各々が活躍できる舞台というのは無限にあるわけではないので、それに入れない奴は、どのみち飢えて死ぬ。生きる場所が狭ければ、生き残ろうが座る事が出来ない。座れなければ結局、死ぬしかない・・・・・・運命論的に言えば、どのみち死ぬ奴は死ぬのだ。それが銃弾になるか、路頭を迷った末に、飢えて死ぬかの違いでしかなく、役割を果たせず生きているだけ、いや息を吸って吐いているだけの奴が多いだけの世界。
 それが、貴様等の「平和の正体」だ。
 どう言い繕ったところで、生きた証を示せない存在を「生きている」とは呼ばない。戦わないし争わない。競わないし差別しない。それはただの甘えであって、現実という理不尽から逃げているだけだ。争わずにはいられないし、戦う事で生を実感でき、競い奪い合い敗者を差別するからこそ勝利を実感し、先に進める。
 それが人間の本質だ。
 言わば、耳を塞いで目を閉じ、引き籠もり現実から目を背け、その癖「誰かが何とかしろ」と、そう叫ぶのだ。自分では行動もせずに、相手側に対して「道徳的ではない」と否定する。楽で実に羨ましい。遊び人の考えそうな事だ。
 論客を気取って論争するだけで、何かを成し遂げた気分になり、自分もそれなりだと思い込む。行動するのは相手側であって自分達ではないと、連中はそう思っているからだ。本にでも書いて伝えれば良さそうなものだが、連中は天下の在り方を語る事が仕事だと思い込んでいるので、そこに「現実問題どうするか」という発想がない。
 綺麗事を並べるだけで、満足するからだ。
 世の綺麗事など、その程度に過ぎない。
 そんな戯れ言を信じるな。
 私は見てきた。上士の連中が心の拠り所である特権意識にしがみつき、異国が攻めてきても何も出来ず、どころか異国にすり寄り国を売ってまで自分達の保身に走る様をな。「泰平の世」の末路がそれなのだ。なまじ、平和だの泰平だのという綺麗事というのは「一時の善良なる気分」を生むだけだ。正しさの中に包まれて良い気分になれる点において、麻薬と何ら変わりない。
 綺麗事という粉を吸う暇があるなら、その頭で現実を考えろ。どうすれば勝利出来るか、支配をされない為にはどうするべきか。
 流されるだけでは勝利はない。
 それこそ戯れ言だ。
 有りもしないモノを求める奴が多過ぎる。最近ではデジタルゲームが良い例だ。欲しいキャラを当たるまで金をつぎ込み、後になって後悔する。デジタル世界では現金を握る訳ではないので金を使っているという「実感」が無い。無制限に望み続け望むモノが手に入るまで望み続ける。これは平和も同じだ。
 
 足りない事を知り、足りないまま納得する。
 
 そんな事も出来ないからだろう。
 飽くなき執念が現実に力を発揮するのは、仕事の成果を求める時だけだ。己の欲望に向けてどうするというのか。平和もデジタルゲームも、欲望を満たす為に、無駄な力を使い潰している点では同じ事だ。言っては何だが、平和を求めるなどというのは、ゲームに耽って金をつぎ込み現実逃避を続ける事と、何ら変わりない。
 同じ事だ。
 争いによる流血がある。欲しい何かが手に入らない事がある。全て、同じだ。全てが手に入り、何もかもが平和な世界など、子供の頭にしか存在しない。流れる血があり手に入らない欲望があるからこそ、面白いのだ。
 次こそはさらに良い「何か」を手にしてやる。 そう考え、行動し、結果を目指す事が肝要だ。 たかだか、その程度を知らない奴が多過ぎる。 今まで何をしてきたのだ。少しは考えろ。後悔する暇があるなら次に活かせ。活かす自信が無くとも活かせるのだと豪語しろ。過去の亡霊に引きずられるというなら、むしろ過去の亡霊を率いて未来を変えろ。後悔や諦観よりも、失った何かを嘆き「義務感」で動くのではなく、過去の亡霊が歓喜するような大法螺を口にし、死人でさえも、己の後ろをついてくるように進むのだ。それは、義務感ではなく「使命感」で動かせる。
 世界がつまらないのであれば、面白くしなければならないという使命感だ・・・・・・死んだ連中に、申し訳ないとか思う暇があるならそいつらが納得せざるを得ないような無茶苦茶をやり遂げろ。私に言わせれば、安易に過去に対する義務感で動くなど、過去からも現実からも逃げているだけだ。 前を向いて戦え。
 文句はそれからだ。
 もし、その上で失敗続き、敗北しか知らぬと、そうなるのであれば世界を罵る権利がある。私は常日頃からそんな具合だ。いや実際、とかく現実とは上手く行かないものだ。少しくらい金を稼げても良いと思うのだが。味方はいない協力者など詐欺師ばかり、理解者などある訳もなく企業家は時勢の味方だ。
 時勢か。それに乗れればどんな愚か者でもそれなりになるものだ。改革を起こそうとしたは良いものの、結果的に何一つ成し得ず終わった奴でも歴史に残る。時勢が味方するとはつまり、全てが味方するということだからだ・・・・・・しかし、だ。邪道作家を支持する時勢など、あるのか?
 無いなら作るしかないが、それが出来れば苦労はしない気もする。実際、一度出来上がった体制を覆す、というのは個人の力では無理だ。
 その辺りも、平和という綺麗事は度し難い。
 まず、民衆が体制を覆すだけの暴力を、持つ事が罰の対象になるからだ。結果、平和だ泰平だと口にする一方で、凝り固まった制度に逆らう力を奪われ、虐げられて泣き寝入りするしかなくなる・・・・・・貴様等の口にする綺麗事の全ては、裏側にある絶望を、自分達では体験することもなかったから口に出来るだけの、都合の良い言い分に過ぎない。平和という奴隷制度の上に、どれだけ絶望が敷き詰められているか、見たくないから見ようともしない。
 図々しい限りだ。
 そんな外道に敗北し続けるわけには行かない。だが、その一方で万策尽きたのも事実だ。
 どうしたものか。
 とりあえず、筆だけは動くのだが・・・・・・物語を売り捌けなければ、意味がない。誰が何と言おうと有りはしないあってたまるか。価値が無くとも意味があるとか、意味が無くとも価値があるとかそんな綺麗事などどうでもいい。
 欲しいのは札束だ。
 厳密に言えば、札束で買える生活が欲しいのだ・・・・・・ささやかなストレスすら許さない、平穏な生活。それを豊かさで満たし、仕事で充足を得ながら活きる為に生きる。目的はそれだ。それが叶わないのであれば、今までの過程の全ては無駄な徒労に過ぎない。
 それだけは御免だ。
 何の為に、金と時間と手間暇を賭けたと思っている・・・・・・全てはその為だ。私自身の掲げる勝利の為に、私は進んできた。
 それを否定されてたまるか。
 否定されて納得する奴は、仕事をしていない。 私は連中のような、遊び人ではないからな。
 全ては「仕事」だ。人殺しの方法にまで善悪を語り出すような暇人共と、一緒にされても困る。面白い事に国際法で「殺しの善悪」はどの時代においても定められている。例えば「生物兵器」がわかりやすい。あるいは「火炎放射器」もそうだろう・・・・・・死体が原型を留めなかったり、倫理に反しそうなやり方に見えるのであれば、連中には「悪い殺人」になるのだ。
 逆に、国際社会で支持、というより「許可」を取れれば「正義の殺人」が行える訳だ。
 丁寧に殺そうが、核兵器で殺そうが、何一つとして変わらない殺戮行為に違いないが、要するにそれが倫理的に正しいから、ではない。単純に、自分達を正当化する建前を、己だけでなく社会に求めなければ、欲望の為に殺戮行為を行いながら罪悪感を抱いてしまうからだ。逆に言えば、殺戮を幾ら行おうが、そういった国際法(という名前の強者の都合)さえ通せれば、彼等に罪悪感など塵一つ分も存在しない。だからこそ国際社会などという、頭の悪い建前を振りかざしているのだ。 見ていて、笑える。
 いや、笑えないのか。失笑ならするが、人間の舵取りを馬鹿な金持ちが先導している事実を見て面白がれる何かなどない。
 実に、つまらない。
 子供の屁理屈を無理矢理聞かされて、何が楽しめるというのか。実際、連中は自分達が崇高で正しいから皆が耳を傾けていると思い込んでいる。まさか、だろう。単に無理矢理聞かせる事が可能な権力があり、それに逆らう力を民衆が持たないから、泣き寝入りしながら聞いているだけだ。
 この近代社会において、認められた為政者など出来よう筈がない。社会の仕組みからして新参者を阻害する政治形態だ。金が無ければそもそも、立候補すら出来ない。民衆は政治に興味がない、のではない。既に見切りをつけているのだ。
 既に「民主主義」と呼べる何かは終わっている・・・・・・発足当時はどうだか知らないが、それは、資本主義経済が回り始めた時点で死んだのだ。
 惰性で腐り果てた仕組みを再利用し、都合良く使い潰しているだけで、言ってしまえば仕組みが民主主義と呼ばれていたから、原型などとうの昔にないとしても、それを「平和」や「民主主義」だと思い込む。
 いつの噺をしているのだ。
 少しは現実を見ろ。
 この泰平の世は先人の血で成されたものだ、と言い訳する馬鹿は多い。先人の血が流れたから、だから何だ。そんなのは、今を生きる人間に何の関係もない。そもそも自分と関係ない連中を持ち出すな、無能が知れ渡るだけだぞ。
 まして、それを言い訳にするな。
 自分の目で確かめてもいない癖に、物事を語る奴が多過ぎる。誰かに聞いた台詞、誰かに聞いた信条、誰かに聞いた政治。うんざりだ。
 多くの血が流れた結果、更に多くの血と涙が、後々の子孫に至るまで流れるのでは本末転倒だ。大体先人が何をしようが、今を生きている人間は行動し変革し意識を示す戦いに挑む義務がある。先に進めなければならないのだ。それを、争いは悪いことだからやめて、対話や多数決で解決するべきだと考えるのは、逃げよりも酷い。
 ただの卑小だ。
 生きて進む以上、そこには必ず犠牲による成果や悪徳による進歩があり、争いの結果として繁栄が約束される。それを無視すれば、形だけの権威が幅を利かせ、搾取する構図が凝り固まり、貧富の差による「平和的侵略」で死に続ける人間が、悪いことなどなにもしていないと抜かす持つ側の都合にあわせて奪われ、犯され、殺されるだけだ・・・・・・法は作れる側の小道具だ。世に言う正しさを信じるというのは、とどのつまり連中の戯言を条件も精査せず受け入れるに等しい。
 そして、その口で叫ぶのだ。
 世界は平和だと。
 争いは何も生まないと。
 馬鹿を言うな。何も生み出さないのは「平和」なのだ。平和こそ、何にもならない。毒で肉体を膿み続けるだけで、存在そのものが害だ。
 平穏と平和は違う。平穏とは、戦いの最中でも味わえる、当人の充足だ。形は人によって違うが仕事の合間に一時の余暇を楽しむ事を指す。
 平和とは、戦いが存在しない世界の事だ。争いが無ければ淘汰もない。一時の余暇ではなく永遠の余暇だ。まさに、遊び人の発想だろう。
 少しは働け。
 金を稼ぐ事と、仕事を成し遂げる事は、違う。当たり前だ。金はむしろ、本来であれば、だが、仕事を成し遂げた後に、勝手についてくるものだ・・・・・・仕事とは、その当人にしか成し得ない行いを後生に示す形に作り上げ、それを、社会全体に示し、広め、認めさせる。
 それが、仕事というものだ。
 田舎に引きこもって自己満足するだけならば、ただの趣味でしかない。幾ら技能があろうが無駄な噺だ。そういう在り方は、生きるという行いに対して、大きな余力と余裕のある「持つ側」が、よくやる「遊び」だ。
 それでいて、自分達の事を世界の事を考え行動し尽くしていると、そう思い込む。いいや、私の目は誤魔化せない。貴様等はただの遊び人だ。
 情けない言い訳を口にするな。
 小さく見えるぞ。
 大きく見せたところで、中身が廃棄されたゴミ以下の腐臭漂う汚物では、同じ事か。
 綺麗事など、道徳など、倫理など、そんなもの・・・・・・余力と余裕に溢れているからこそ口に出来るだけの、言わば「強者の言い訳」だ。
 自分達も必死に頑張ったのだと。
 そう言いたいのだ。
 所謂その「天才」という連中がわかりやすい。能力差に恵まれれば、生きる上で苦労などない。当たり前だ。本来、その伸びしろを延ばし、時間を費やして積み重ね、培い続ける事で何とか目標にたどり着く。それが生きる上での必須条件だ。 それが無ければ、労力などかかりようがない。天才でも努力しているだとか金持ちに生まれてもだからこその苦労があるだとか、情けない言い訳を繰り返し、「環境や才能と関係なく、自分は凄い事をやっている」と、そう思われたいからこそ必死に説いて回るのだ。
 誤魔化されるか馬鹿め。
 汚らしい正論もどきを口にする暇があるなら、物語の一冊でも作ってみせろ。環境や才能に関係なく物事を成し得る、というのであれば、いっそ読者共が吐いて苦しむ物語でも書けばいい。その物語が世界中で広まり、テロリストとして手配をされる位の影響を与えられるなら、才能や環境と関係なく、偉業を成したと認めてやろう。
 無論、有料だ。金は貰う。
 全財産の九割でいいぞ。税金はそちら持ちだ。 借金をしてでも払え。
 その結果、破産しても、私の生活とは一ミリも関係ないからな。好きにするといい。
 私か? 私がそんな、傍迷惑な物語を書く訳がないだろう。やるなら、そうと悟られない位賢くやる。「気がついたら全人類が人間嫌いになっていた」というのが最上だ。少し前まで本を読んでいるだけだった連中が、脳を犯され段々過激派の思想に毒されて行き、具体的に言うと企業家共の横暴に対して、デモを起こすだけではなく、物理で天誅を加えられる位の成果は欲しい。
 大昔、サムライが職業として成り立っていた頃であり、攘夷運動が活発だった時代。異邦人共はサムライを恐れたものだ。天誅天誅と殺し回っていたのもそうだが、当時のサムライには、支配を受け入れる余地がなかった。
 植民地化しようがなかったのだ。
 何せ、誇りの為であれば、滅んででも相手を討ち滅ぼし、自分達が全滅するか、相手が全滅するまで戦い続ける戦闘民族だ。国内でただでさえ、攘夷攘夷と殺し回っているのだから、もし仮に、無理矢理にでも法案を通して植民地化を進めれば・・・・・・海を渡ってサムライの集団が突如降り立ち現地民を殺し回る事態になったかもしれない。
 それだけの意志と行動力があった。
 そう、あった。今はない。
 流されるだけの連中が過半数を占める。
 結果機嫌取りの為に難民を受け入れ、その末路として国内が大混乱に陥ってから「あいつはロクでもない政治家だ!」と批判し、法律を都合良く扱う連中が、手前勝手に調子の良い法案を勝手に通したとしても、出来る事は泣き寝入りだ。
 通された事にさえ、気付かない奴もいる。
 古き良き昔を懐かしむ奴など、かなりの少数はだろう。そういう意味では、滅んではいないかもしれないが、事を起こせなければ意味がない。
 とりあえず、私に言える事は一つだ。もし貴様等の周りに、テレビを見ないサムライがいれば、精々気をつけることだな。そんな奴殆どいないのだろうが、少なくとも私は相手が死ぬだけでなく文字通り「消し炭」になるまで、やめるつもりは絶対にない。
 後腐れが残ると面倒だ。 
 銃を向ければ手足をヘシ折られても、感謝するべきだ。この世界には銃口を向けるだけ向けて、いざ自分達に危害が加えられれば正当性を説き、勘定に従うまま相手を殺そうとする馬鹿がいる。手前勝手も甚だしいが、自分達が善なる何かだと思い上がり、暴力の渦に身を置きながら都合良い部分だけを解釈する。
 忌々しい限りだ。どこにでも屑はいる。
 そんな屑に人権などない。人間として生きようとするから権利があるのであって、人として生きようともしない奴に権利などない。
 そんな奴は死んだ方が世の為私の為だ。
 袈裟切りか、いっそ首をはねてやろう。
 無論、合法的にな。
 しかし・・・・・・私は何をやっているのだろう。何をどうしたところで、先述のような「持つ側」にいるかどうかで全てが決まる。そういった惰弱者がのさばるのはその為だ。こんな風に作家として有り続ける姿は、滑稽かもしれない。最近では、自分で何を書いているのか、そもそも何故書いているのか不明瞭になる位だ。
 書くべき事は、書いている。
 そこに後悔などあり得ない。
 成すべきを形にするだけだ。だが、しかしだ。別に誰かに認められたい訳ではないから表に出るかどうかは、ある意味どうでもいいのだが・・・・・・だからといって無為に終わらせて良い訳ではないのだ。金、金、金だ。私は金の為に書いている。売れなければ徒労に過ぎない。とはいえ金になる物語とは、総じて本人の意思や信念、所謂その、魂を削って作り上げられた作品、ではない。
 むしろ、そういう物語は売れないものだ。
 私には魂は無いが、執念を削って作り上げた。勿論金に対する執念、己の仕事に対する自負だ。事の本質が反転した世界において、本来読者共に絶望を与え、現実に対処させる為の物語は、希望という綺麗事を無条件に味わい、人間が身勝手に作り上げた人間の概念を盲信し、結果この世界に人間など一人もいないと自惚れさせる、小道具に過ぎない。
 実際には人間とはそういう存在であり、物語にあるような勇気希望信念愛情友情恋愛感情に至るまで全て、下らない上に存在しない汚らしい綺麗事であるという「事実」を見ようともせず、己の世界に引き籠もり、結果世界を見据えもせずに、思い上がる馬鹿が増長する・・・・・・言ってしまえば物語の嘘八百を信じ「人間とは崇高なものだ」と勘違いしたまま現実の人間を否定する。馬鹿が。人間にそんな一面などない。
 物語の読み過ぎだ。
 虚構と現実を一緒にするな。
 現実には、人間はその程度だ。そしてその程度で問題ない。その程度のゴミ屑にも劣る人間世界の中で、己を示す事に意義がある。
 それを「仕事」というのだ。
 物語に感化されて、頭の悪い人間論を語る前に働け。言っては何だが、物語などを信じて現実に目を背け、人間を語り出した挙げ句自身の信じる夢物語が現実に存在しない事に腹を立てて行動を起こすより先に諦めるような愚か者は、ゲームの世界に逃げて廃人になりながら一銭も金を稼ごうとしない馬鹿共と同じだ。
 やっていることは「結果」同じでしかない。
 そんな愚か者が力を持つというのだから、実際世も末なのだろう。文字通り終わっている。働きもしない愚か者の為に、迷惑を被るのだからな。虚構は信じるものではない。何もないところから作り出し、金に変え、仕事として示すものだ。  それをしない奴に、生きる資格無し。
 出来なければ死ね、ということだ。
 酸素の無駄遣いだ。汚い息を吐き出すな。
 生きているだけで幸せなんだ、などと。最近はそういう二流の駄作が多い。そんな考えの馬鹿がいるとすれば、そいつは生きていないからそんな浅はかな台詞を吐ける。生きるとは、即ち苦悩だ・・・・・・葛藤し憤慨し憎悪する事で足を進める。
 その現実を知りもしないまま、生涯を終える奴が多過ぎる。それで人生を悟った気になるのだ。小汚い綺麗事を信じられる位に、ぬるま湯の環境に生まれた連中だ。息を吸って吐くだけの存在に苦悩など不要だろう。生きているだけで幸せだと口にする余裕がある筈だ。
 何せ、仕事もしていないのだからな。
 子供が遊び呆けて楽しいのは当たり前だ。
 仕事をしろ、仕事を。
 生きる事そのものに価値はない。生きた上で、己の仕事を成し遂げる事に意義がある。生まれや育ち、周囲の環境や能力の有無に関わらず、その当人だからこそ出来る「何か」こそが、その当人たらしめる証明だ。本人と関係なくある何かに、当人の生涯は関係ない。生まれ持った才能は所詮生まれ持った才能だ。それは幸運が凄いのであり当人の行動は関係ない。
 つまり、どうでもいい事なのだ。
 その才能を使ってすら、他の凡俗には真似出来ない偉業を成し遂げるなら、そこには価値があるだろう。歴史に刻まれる偉人であれば、その才能を活かし人類史を書き換える事で、世界を前へと進めるのだ。だがやはり、何一つ持たずして何かを成し遂げる存在こそが、補助輪有りで歩む連中などより真っ当に生きていると言える。
 その偉業がどれだけ凄かろうが、本来それは、才能も資質も環境すらなくやり遂げなければならない試練だ。海に酔う奴が世界一周し、暴力事が不得手な奴が戦国の世を駆け抜け、才能の欠片も存在しない無能が世界を変える発明をすべきだ。 でなければただの能力差ではないか。
 生まれ持った資質が、才能が、環境が人類史を押し進めてどうする。馬鹿か。それでは人類史を背負って立つのは人類ではなく、人類の持つ資質が人類史の行く末を決めている事になる。拳銃が殺す相手を選ぶようなものだ。
 揃いも揃って間抜けか。
 憎悪で音楽を奏で執念で絵画を描き怒りで彫刻を削り上げてこそ、面白い。万能の天才という奴がいたとして、才能に任せるだけでは機械と何ら変わりない。そこにある意志で、何を成したいか何を成すべきか何を示したいか考えた上で行動し世の摂理が吹っ飛ぶ何かを作り上げるからこそ、その当人自身の有り様を計れるのだ。
 そうでなくては面白くない。
 その方が、面白い。
 だからこそ世界は面白い。面白く出来るのだ。面白く変えられる。なれば生きるだけで幸福だと叫ぶ権利が発生する。ただ漫然と生きているだけで幸福を甘受し、生きているだけで幸せだと思い込み、事実何も成し遂げずとも豊かさを享受する愚か者になど、世界を語る資格はない。
 ふん、資格など文字通り何の役にも立たない、と思っている私が資格を語るとはな。だが事実だ・・・・・・資格が無くとも無理矢理物事を進めるのもありだが、流石に「生きる事を誤魔化す」など、出来よう筈もあるまい。
 消防士の資格が無い奴が火を扱うなどよくあることだ。逮捕権の無い奴が官憲を振りかざし人々を圧制する事も、やはりよくあることだ。それは金や権力という、「力さえあれば何をしようが、許させる事が出来る」という、古来からある人間社会の常だろう。善悪以前に力を振りかざす奴を止める方法など、それ以上の力以外に存在しない・・・・・・資格など文字通り「必要性」すらないのが現行人類の現状だ。
 その結果、力さえあれば生きる事を誤魔化す事が出来ると思い上がる。だが、流石に無理な相談だろう。生きる事を誤魔化してしまえば、そいつの後には何も残らない。作家が作品を作らず悪人が悪行を働かず軍隊が戦争をしない。それで世界が回ると思うのか?
 回る訳がない。
 結果停滞し腐敗し尽くした「平和」という幻想が出来上がる。戦争とは世の摂理であり、現実を誤魔化した結論として得られる平和など、そんなものだ。何かを勝ち取る上で進まない道のりに、何の価値がある。
 下らない幻想だ。
 少しは現実を見ろ。理不尽を知れ。敗者の苦悩を理解しろ。その上で物事を語るのだ。
 噺はそれからだ。
 何をするにしても、同じ事だろう。
 全てにおける「前提」だ。

 苦悩の一つも知らない奴が、世界を変えられるとでも思ったか。
 
 図々しいにも程がある。このような笑い話を、貴様等が休み無く語るから、私の筆は止まらないのだ。私を不眠で殺す気か?
 生憎だが私は「邪道作家」だ。世間一般の作家が辿るような、愚かしさ極まる道など絶対に通るつもりはない。完膚無きまでに健康で、あり得ぬ程に編集者に縛られず、馬鹿みたいに金を稼ぎ、何万年でも生きてやる。
 それが「私」だ。
 なに、簡単だ。少しばかり人間をやめればいい・・・・・・それで私と同じようになれるぞ。
 何も信じず完全な暗闇を笑い、世界は悪で溢れていると公言し、あらゆる善を否定する。悪性を良しとし際限なく己の為に生きるのだ。
 最高ではないか。
 貴様等もそうしろ。
 金は・・・・・・まあこれからだ。そういう事にしておこう。悪ほど金にならないものはないが、最悪であれば何とかなるかもしれない。
 無論、何の責任も持たないがね。
 それもまた、生きるという行いだ。
 倫理や道徳を語るだけなら簡単だ。だがしかし倫理や道徳とはその時代時代の風潮に合わせて、社会を動かす連中のの都合で作られたものに過ぎないし、何より綺麗事の倫理や道徳、平和は大切だとか戦争は悪い事だとか、妄想に等しい規範に従って生きたとして、仮にそのおかげか理不尽という理不尽を「避けて」通ったとして、それは、生きているとは言わないのだ。
 生きていれば試練がある。
 白刃に晒され己が死ぬかもしれない恐怖に身を預ける事もあるだろう。大切な仲間が死に、敵が生き残る事もある。それらに「よくも仲間を」と「父の敵だ」と感情のまま、あろうことか正当性を掲げながら相手を殺す事は、所詮己の心の安寧を守る為に、死者を利用しているに過ぎない。
 それでよく綺麗事を吐けるものだ。
 図々しい。
 言ってしまえば殺戮者でありながら、清い聖人でいようとする。「正しい側」だと思い込めればどのような悪逆すらも「正義」に出来る。
 正義だから悪を殺しても良いのだ、と思える。 世の正しさなどそんなものだ。
 その癖、連中は「間違っているとは思うけれど心の動きが止められない」と「情けない言い訳」を口にするのだ。馬鹿馬鹿しい。単に自分の心をスカッとさせたいだけだ。苛々してその辺の人間を殴り殺すのと、同じ事だ。
 それに向き合い前へと進む事を「生きる」と、そう呼ぶのだ。生きてもいない輩がよくもまあ、正当性などを語れるものだ。自分達にとって都合の良い、心地よい綺麗事に浸り、現実を何一つとして見据えてもいない。だからだろう。現実世界を生きていない連中が、現実に影響を与える事は絶対に無く、だからこそ恵まれているだけの馬鹿に、そういう輩が多いのだ。
 物理的に殺さなければ殺人ではない、と思い上がれる。他者の歩みを阻む時点で殺人だ。何せ、その人間の生きる道を殺しているのだからな。
 それを阻んで、都合良く解釈し、洗脳して道を変えさせるのは、単に物理的に人を殺すよりも、性質は悪い。所謂その「正義の味方」を、気取る馬鹿共に多いのだが、裁判官でも警察でもない、ただの暴力に恵まれただけの輩が「正義の行い」と称して暴力で事を押し進め相手を無理矢理改心させて、それを「世直し」とでも思い込む。
 際限なく馬鹿な連中だ。
 そう思うなら、政治家にでもなれ。政治に荷担してもいない奴が、暴力で事を押し進める事を、世の中では「悪質な犯罪者」と呼ぶのだ。これは最近の物語に多い。案外、犯罪者を量産する為に書いているのかもしれない。何せ「正義」ときた・・・・・・そんな妄想を振りまく奴もそうだが、それに振り回され信じる愚か者が多いというのだからどうかしている
 正義が欲しいなら大国にでも住め。
 そうすれば、簡単に手に入るぞ。
 権力さえあれば、安売りされるものだ。
「まるで悲鳴ね」
 と言われた事がある。どうも女運は悪いらしくそういう出会いや噺ばかりだ。 
「世界なんてそんなものって口にするけれど、私からすれば貴方はその世界の在り方を嘆いている・・・・・・だから、そんな風に人間を諦めきれない。人間なんて世界なんてそんなものだと口にしてもそれを受け入れる事が出来ない。むしろ逆、世界がそんなものだけれども、それを何とか変えようとして、結果変えられず、それを嘆きはしても、やっぱり諦めきれない」
 確か、金持ちの生まれで大した苦労も知らない女だった。流石小綺麗な、いや小汚い綺麗事の上に住んでいる奴は、言うことが違う。
 諦めきれないのではない。
 私には、どうでもいい事なのだ。
 なので私はこう言った。
「生憎だが違う。私は人間など最初から見切りをつけている。というより人間に対して何かを思い期待するような考えが出来ないのだ。人間に期待する何かなど存在しない。世界が理不尽であればそれでもいい。理不尽そのものや社会の仕組み、それらとは関係なく、私の実利が欲しいだけだ」「けど、世界が貴方の思う真っ当な仕組みなら、こんな苦労はしなかった」
 違うかしら、とその金持ち女は言う。
「そうかもしれない。だが「仮に」の噺などするだけ無駄だ。ならばそれはそれとして、己の歩みを止める訳にも行かないだろう」
「不器用な生き方ね」
「そうか?」
 可能な限り器用に、いやこの場合「要領良く」生きようと心がけていたので、器用不器用に関して言えば、考えた事もなかった。
 物語において最適解ほどつまらない展開は無いのだが、しかし現実を生きるのであれば、余計な試練を克服し成長するよりも、わかりやすく順風満帆で何の危険もない人生で良いのではないか、とよく思う。
 実際、面白味など幾らでも転がっている。
 そんなものが欲しいのであれば、それこそ物語でも読めばいい。現実に体験して試練を乗り越える必要性など、無いではないか。
「おかしなことを言うわね。人間、危険な出来事を体験しなくなると、生きている実感を味わえないものよ。それがなくなったら、そうね、生きる実感が無ければ死人と変わらない体験しか出来なくなるの。そうなったらお終いよ。幾らお金が在ろうが、生きている事を実感できないのにお金を使ったところで意味ないじゃない。丘ねって言うのはね、結局のところ生きている事を実感して、それを楽しむ為のものなのよ」
 らしい。
 世の中に対する感じ方に余裕があるからだろう・・・・・・仕事が逼迫している屈辱を知らないから、そういう言が出せる。
 そもそも、私には「実感」などない。
 それを感じる心がないからな。
「それは貴様のような輩だけだ。私は生きる実感などを追い求めている訳じゃない」
「あらそう? 仕事の成功なんてその極みだと、そう思うけれど」
「違うな、間違えているぞ。仕事の正否そのものに関して言えば、どうにでもなるものだ。勿論、それによる屈辱や苦悩がある。だがそれはどんな仕事においてもそうだが、味わわずに進める事はあり得ない。だが、仕事を仕事として成立させる事が出来ない場合は別だ。何せ、それは己の存在が認められないに等しい。誰かに認められたい、などという陳腐な理由ではない。しかしだ。もしそのまま何も示せなければ、それは「敗北」だ。個人ではない。その当人が歩んできた道のりや、その当人が睨み続けてきた目的地や、その当人が進む為に作り上げた内なる全てが、無駄に終わるということになる。
 
 最初から何もしていない方がマシだ。

 貴様のような余力溢れる道のりばかり、歩いてきた奴はよくこう口にする。「それは賞賛すべき道のりであって、その道のりに価値がある」と。だがそれは「眺める側」の屁理屈だ。現実に足を進め、その道のりの先に、何かを求める当事者にすれば、そんな無様は許容できる筈がない」
 勝つ為にやっているのだ。
 敗北を良しとするなど、あるものか。
 
 
 
  私は──────────────────

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例の記事通り「悪運」だけは天下一だ!! サポートした分、非人間の強さが手に入ると思っておけ!! 差別も迫害も孤立も生死も、全て瑣末な「些事」と知れ!!!