邪道作家22巻 人間絶滅!! もう要らない「人間」社会 無料分付き
作品テーマ 非人間讃歌
ジャンル 近未来社会風刺ミステリー(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)
簡易あらすじ
アンドロイドが自我を持ち職を奪い作品すら書き上げる時代───非人間の殺人鬼作家が、作者取材という戦いに挑む!!
当然ながら依頼は嘘まみれ、行き着く先には困難ばかり••••••得られる「利益」が見えずとも、不屈で書き抜いた事だけは「真実」だ。
天上天下において並ぶもの無い、唯我独尊の物語だ───他に書ける奴がいるというなら連れて来い!!
過去未来現在において、唯一無二の
「悪意」
だけは「保証」しよう!!!
邪道作家 縦書きファイル全巻
1-14巻無料
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主要記事まとめ 作家宣言付
どこぞの作品は「人間讃歌」を描いた
私は「真逆」だった••••••それでもやるしか無いなら、やるだけだ。
実際、最終的な発想が
上記と同じ
というのは、何とも皮肉というか、それこそ「奇妙な符合」とでも言えばいいのか••••••何にせよ「連中は持つ側」であり、こちらは「持たざる者」のままでもやってきた。
その成果がこれだ。とはいえ、人間讃歌にやり方まで合わせたやった挙句
辿り着く前に死にました
では、実際笑えない冗談だ。
意思や行動が滅ばないと周りが勝手に言うのは「当事者の利益」には関係ない───実際、それで満足する奴など
身勝手な見る側の自己満足
に過ぎないのは、ゴッホを見れば分かるだろう?
死んだ後にたかる「虫」だ───実に醜い。
例の改革案にしても
書けるだけ描いてやったが、実現するかは読者次第だ。
人間讃歌が好きだと叫ぶだけで行動が伴わない
のか、あるいは
行動を伴わせて、世界を大きく変える
のか••••••何にせよ、作家個人に出来る事は最早無い。
さて、そろそろ邪道作家シリーズも終幕だ。
人間は必要なのか?
人間讃歌は妄想に過ぎないのか?
それを突き詰めた内容になっている───自分で考え、自分で判断し、自分の意思で進むがいい。
実際にやれば、無念だらけでも「後悔」は無い。
実際にやった「私」が言うんだ、間違いない!!!
邪道作家22巻
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人は、一人きりでは生きられぬ。
しかしそれは、「人」として生きた者達の噺であって、人として生きるどころか、人を学び人を覚え人を真似ただけの化け物の噺ではあるまい。 少なくとも、強さも弱さも必要だ。
しかして、私には強さによる弱さも弱さによる強さも存在しない。そのような「楽」が出来れば私も苦労しなかった。強さに頼り弱さで逃避する苦労の欠片もない堕落した在り方だ。
強さも弱さも、併せ持たない。
それがどれだけ面倒臭いか、わかるまい。私のようにプラスにもマイナスにも傾かずゼロのまま生きているフリをする方が「異常」なだけだ。 とはいえ、それでも金は必要だ。
欲しい物があるかと言えば面白い物語程度だが・・・・・・それも、金が無ければ始まるまい。私には金が「必要」だ。
欲による満足は、私には分からない。
そもそもそれを手に入れられるほど、恵まれた環境にいるなど有り得るのか? この「私」が、そのような「楽な道」を歩けるとでも?
分からない。
だから「理解」だけはしておいた。
理解しただけで何も共感出来ないが、まあ理解さえしておけば社会に溶け込む事は出来る。無論それだけでは足りない。金、金、金だ。
この世は金で、出来ている。
全ての人間がそう望んだからだ。平和だの平等だの多くを人間は語るが、とどのつまり「力」で世界は押し進められており、実際には「道徳的」だと語りやすそうなお題目を掲げて「力」という概念を誤魔化しつつも殺したに過ぎない。
それを無視して、過去の過ちを言及する。
言うまでもないが己を正当化したいだけでしかない。過去の過ちを問いただせば、今ここにいる己自身が「悪を正す正義」であると思い込み易いだけの噺で、それによって現実逃避を促進し暴力に酔いしれる「楽」を味わう。
それが人間というものだ。
その点で言えば、私は人間のようなおぞましい善意の肯定者でなくて、本当に良かったと思う。実際、どうなのだろう? そんな風に現実逃避を繰り返すだけで、何も進歩せず何一つ改善しないまま「発展の可能性」を語るなどと。
連中は暇なのか?
かもしれない。人間はあまり、多くの事を成す機能は搭載されていない。物語の宣伝もそうだが右から左へ「流す」だけで、己が誇り高き仕事人であると、本気で思い込めるクズの集団。それが人間の正体だと言えよう。
例えば、労働。
大昔から下は搾取され、働きもしない自称上の存在が「楽」をする。その現実を誤魔化す為だけに存在するのが「宗教」と言えよう。
現実には、罰など存在しない。
当たり前だ。持つ側を誰が倒すというと、同じ持つ側かそれ以上に持つ側だけだ。力にしろ金にしろ、何かを持たなければ何も倒せない。
そういう意味では、我ながら不毛だ。
とどのつまり真剣に、今や唯一物語という仕事に関して向かい合っているからこそ、単に儲ける為の搾取構造を肯定する世界では、物語など売れないどころか、誰も扱ってすらいない。編集者と名乗っているだけで、誰も考えない。
事実、それを嫌という程見てきた。
誰も真剣に生きない世界の中で、真剣に世界を覆そうとするのは風車に向かう騎士に似ている。誰もそれを認めず、誰に見られる事も無い。
だからこそ、世界に価値など存在しない。
価値を示そうと足掻く私がこれなのだ。世界に価値などあるものか馬鹿馬鹿しい。誰も彼もが、価値ではなく逃避だけを旨にしている。
如何に誤魔化し、楽が出来るか。
それだけだ。他には何もない。
情けない事に、彼らには何も出来ない。真剣に向かう姿を見せたところで同じ事。理由は簡単で彼らは真剣になど生きたくないのだ。
楽をして、信条も無く、惰性で生きる。
それを「生きる」と呼ぶなら死人で良かったと思わざるを得ない。少なくとも私は御免だ。眠りながら生きたと言い張り、そのまま消える。
何を残すこともなく、ただ消滅する。
下らない自己満足を掲げたまま、こんな筈じゃなかったと言い訳して、何一つ挑戦すらせずに、世の理不尽を嘆きだす。
忌々しい奴等だ、全く・・・・・・・・・・・・今更だが、私にはわからない噺なのだろう。
「心」ある奴等の考えなど、知るか。
私には、そのような経験など、無かった。
本当に、無かったのだ。どころか、悲しむべきと考えたり、罪悪だと考える事すら、無かった。 そう、私には空気と同じだったのだ。
至極当たり前の「前提」であり、心のある奴が笑ったり泣いたり哀れんだり怒ったり、それらの行動が意味不明で難解ですらあった。
それが今では、誰よりも心を知る。
何とも皮肉な噺だ。役には立たなかったがな。 心の有り様より目先の利益、少なくとも人間の社会はそういうものだ。誰も見ないを知り尽くすのが「非人間の化け物」であるのも、ある意味で人間の自業自得の末路と言える。
でなければ、他にもっといただろう。
技術ではなく、見ようとする奴がな。
無論、どれだけ見れるようになったところで、それが重要視されないのは明白だ。何せ、人類史史上最もそれを極めたと言っても良い「私」が、この様なのだからな!
何一つ、得られた実利など無い。
嫌な噺だ。目を背けるクズが儲け、見据えんとする私が損をし続けるとは。これで社会の均衡が取れていると自惚れるのだから、笑えない。
正直、この「私」ですら、顔をしかめる。
誰も何かを見ようとする事も無く、ただ惰性で流れるだけの世界。だからこそ物語を語る作家は絶滅したし、誰も物語なんぞ重要視しない。
それらしい綺麗事で満足する。
いや、してしまう。
それが「逃げ」だと分かっていながらやるのだ・・・・・・・・・・・・情けない。他にやる事が無いとは。 だからこそ、彼らは「理想」を求める。それが出来れば苦労しないが、理想に溺れれば現実など見なくとも済む。現に辛い理不尽は鳴りを潜め、都合の良い物語に耽溺するクズ共ばかりが栄える始末だ。
気持ち悪い事この上ない。
全てを賭けて挑んでいるこちらが馬鹿みたいだ・・・・・・実際、馬鹿なのだろう。仮にこの世界全てを治める「全能の存在」があるとすれば、それは間違いなくあのクズ共の「味方」だ。
即ち、底が知れる。
いい加減うんざりするのも飽きてきたが、もう続けるというよりただ「無駄」を押し付けられているようにしか思えないのが現状だ。いや、そう思う事す億劫だからしなくなった。あるのはただ「仕事」だけだ。
他の全ては燃え尽きた。
魂など元より無いし、精神は盗品で、肉体など有ろうが無かろうが同じ事だ・・・・・・単なる疑問でしかないが、
私は本当に、ここにいるのか?
とさえ思う。
・・・・・・だが、だとしても、同じか。
少なくとも「結果」は変わらない。過程に何があるかなど世界には関係ない。やはり木っ端微塵に吹き飛んで死んだ方が良いかもしれんな。
少なくとも、見ている奴がいないのは確かだ。私が仮にこの先「栄光」とやらを掴んだとして、それは誰かが、あるいは何かが見ていて評価したから、ではなくただの「偶然」に過ぎない。
何かの加護でも、支えでもない。
そういう意味では浮かび上がろうが無駄な気もしなくはないが、私の生活は大きく変わる。まず行きたい場所に行けるというのは朗報だ。
取材の幅が広がるからな。
それ以外には、頭を押さえられずに済む。
大きな何かに振り回されるのは、もう御免だ。 それで得がある訳でもなし、時間の無駄でしかない・・・・・・回り道には何も無いのだ。過程を美化したがる恵まれた奴には、分かるまい。
ただの「無駄」だ。それでしかない。
その徒労、その無為の苦痛。うんざりだ。
神だの仏だのという連中がいるならば、彼らは永久に理解する事さえあるまい。神も仏も能力に恵まれ環境に恵まれた点では、ただの持つ側だ。 持たざる苦労など、知る由もない。
文句があるなら二十一冊書ききってみろ!
出来るものなら、だがな・・・・・・当然当人の主観を交えた物語にしてもらう。でなければ見応えが無いし、言うまでもなく教えの書は論外だ。
あれは物語とは言い難い。
当人の血と汗と呪いが染み着かない物語など、物語ではなくただの「記録」だ。そんな物が大事なら、磁気テープにでも張り付けていろ!
私は御免だ。それが人類史なら滅べばいい。
精々スカッとするだろうよ。ただでさえ数だけは多いからな。新しく酸素供給が必要ない悪魔を世界に蔓延らせれば、環境問題はすぐ解決だ。
我ながら、冴えた世界の救い方と言えよう。
世界を救いたいなら人間を滅ぼせ!
どう考えてもそれ以外に答えはあるまい。無論人間はともかくゲームや漫画、小説という物語を構成する要素が滅ぶと困るので、滅んでも良い。 私は問題ない。まあ、私なら上手くやるがな。私には固執する利益も見栄を張る権勢も、何一つ存在しないので、無理をする理由もない。
だから、出来るかもしれない。
それもまた、私にはどうでもいいことだ。
肝要なのは「仕事」の「成功」だけでいい。
それによる私の「幸福の定義」こそ目的だ。
現に、私は今まで何一つ満たされない心の無い道程を歩んできたが、何も困らなかった。強いて言えば金だけだ。精神の充足は必要ない。
適当に満たした、という体で済む。
気にする奴はいないし、私も気にしない。
だからこそ、問題すら発生せず終息出来る。
まあ、無い物は無い。当たり前の事だ。ならばそれはそれとして、心が無くともやるだけだ。
出来るかは知らないが、やるしかない。
楽がしたいのが本音だが、私の意志も関係ない・・・・・・やらねばならぬ、それだけだ。
個人的には無論、うんざりだがな。
だが、人間にはどうも私以上に「うんざり」としている命題があるらしい。今回はそれが物語の根幹だ。
曰く、人が人を殺すのは「悪」である。
ならば「戦争」ほど「悪い」概念は無いのかもしれない。無論戦争は戦争であり、善悪どころかただの季節の風物詩みたいなものだが、人間共が即ち「読者」がどう捉えるかという噺だ。
私は連中に現実を突きつけねばならない。
ならば、奴等の苦しみを深く理解し、その上で奴等自身が自認せざるを得ないよう追い込むのが「私」の「仕事」だ。
我ながら最悪の所行だが、善人よりはマシだ。逃避を続けながら嫌々で殺し続けるとか、連中はマゾなのか?
かもしれない。罰を望んでいるならそうだ。
悪い事を嫌々とはいえさせられているので許しをください、なんて何たる甘ったれだ。下らないどころか、あるだけで迷惑極まりない。
だから、悪意を魅せてやろう。
これは悪の物語。善を排し悪を広め世界全ての悪を担う、邪道作家の物語だ。
それでは、そろそろ始めよう。
故にこそ、私はこう言うのだ。人間の物語は、これにて終幕。ここから先は非人間性の物語。
人間を「否定」する物語。これにて開幕。
1
豊かであれば、効率を重んじる。
事の過程など二の次だ。効率的に金を稼げれば他はどうでもいいというのが世の常だろう。現に人間は有史以来エネルギー効率を上げる事に終始しており、そしてエネルギー効率が上がるというのは戦争の効率も上がるという事であり、死人の出し方も効率的になるという「事実」だ。
何とも面白い噺ではないか。
何せ、その横で「平和」を語るのだからな。
端から見る側としては、愉快滑稽極まりない。そのくせ食糧事情はいつも杜撰だ。いつの世でも食料は余るが、いつの世も行き渡る事はない。
決して、それだけは有り得ない。
あってはならないとさえ思える。争いは人間の本質だ。誰も彼もが無条件で食料を貰えるようになれば、そこに進歩はあるまい。故に知らん。
トン単位で捨てられる食料。
ガリガリの少年兵。
どんな時代でもそれが罷り通るというのだからある意味効率的ですらある。一部が豊かであり、世界を押し進めず、労働による苦役で人が死ぬ。それは世界を回す上では些細な事だ。一部を犠牲にすることで大勢を回すと言う部分は「豊かさ」とは関係なく社会の規範に書き込まれる。
それを大義名分にすれば「豊か」になれる。
少なくとも当人達はそう思い込んでいるらしい・・・・・・肥えた連中に指示されたやり方で満足するなどと、私には汚らしいとしか思えないが、現にそれで世界は回っている。
いや、回ると信じられている。
それはいい。所詮は連中の都合だしな。私には関係のない噺でしかなく、私はその浅はか極まるやり方をするつもりもない。
第一、他人のやり方に合わせるのか?
それを「幸福」と定義しろとでも?
冗談じゃない。あくまで私にとって「金」とは幸福の定義の為の「手段」でしかない。金による豊かさなどそれそのものは些細な事だ。
無論貧乏でも困るが、押し付けられた豊かさで脳を溶かすなど、奴隷もいいところではないか。それは御免だ。私は連中と違って暇ではない。
あれこれと嘆いている暇さえ無いのだ。
であれば、世の理不尽はそれはそれとして作者取材に活かすまでだ。人間の醜さを、人間の汚い事実を、人間の不都合な真実を知らしめる。
人間の意志を無視してでも、強制的に。
それが「私」だ。邪道作家の仕事と言える。
であればそれを語る事も、それを読者の脳髄に刻みつける事も、一切の罪悪感無し。むしろ感謝の言葉と共に、全財産を差し出していいぞ。
いや、むしろ差し出せ。
出来なければ死ね。そんな命は必要ない。私の生きる世界に金も払えない読者など不要だ。
それが読者と作者の関係であり、健全な作家の在り方としての規範だろう。作者は読者を嫌い、読者は作者に搾取されろ。
それが真っ当な関係というものだ。
では、そろそろ始めるとしよう。悪意に満ちた物語による人間否定。世界の「善」を、「人間」を打ち倒す為の物語。
幕は上がった。後はその「人間性」を殺すだけで構わんぞ。無論、読書料は頂こう。
では、一つ死んでこい。
骨だけは拾って、作品のネタにしてやろう。
1
社会と個人は、根本的に関係がない。
当たり前だが「社会」というのは、あくまでも社会を動かせる立場、社会を利用して搾取出来る連中の「私有物」であり、民衆の生活には何一つ関係ない。
というか、社会が個人の役に立った時代など、人類史に存在したとは思えない。どんな時代でも楽して文化を楽しむのは豊かな層であって、別に社会の発展は大衆に恵みを与える為にある訳ではないのだ。
当たり前だ。社会とは、支配の上に成り立つ。であれば支配する側が美味しい汁を啜り、義務を果たさず搾取するのは当然の帰結と言える。だが現代人というのは平和という洗脳に毒され、その本質を見ようともしない。
いや、見る目玉があるまい。
考える知性すら欠けている。そんなだから資本主義社会において「民主制」などという下らないゴミクズを採用するのだ・・・・・・第一、その民主の席に立つのに大金が必要であり、大勢の支持票を組織的に買い上げる社会の中で、どうやってその「大多数の意見」を採用するつもりだ?
いや言わんでいい。考えすらあるまい。
簡単に言えば「誰かの為」とは「当人の利益」の為であるのだと思えばいい。世界を救うだとかあの辺の考えと同じだ。世界を救うという行いが己を救うというだけであり、とどのつまり世界を見ないからこそ世界を救うと言い出す。
誰かの為、というのも同じだ。誰かの為であると口にしながら何かをする事が「己の利益」だと認識するからこそ、そうする。だからそれを自覚しない奴は躍起になって「お前の為なんだから、嫌でもそれをやれ」と強要して感謝を求める。
何ともおぞましい思想だ。気持ち悪い。
戦争はこの最たる例で、何とかの自由の為だの圧制に打ち勝つ為だのというのは、とどのつまりその当人がそうしたいから口にしているだけだ。でなければ具体的な利益を働く奴等に支払うのが道理だろう。
大儀を掲げればやるべき、そういう阿呆は多い・・・・・・・・・・・・無論、利用させて貰うがな。
それはそれとして、私の利益だ。
誰が何万何億殺し合おうが、究極的に私の生活に関わりがある訳ではない。例え世界を救う為の戦いだと言われようが、同じ事だ。
その為にタダ働きだと? 冗談じゃない。
世界を滅ぼしてでも、己の利益だけは確保する必要がある。まあ、世界の命運に興味は無いので最終的に「私の利益」は勿論だが、他は私が文化を楽しめる余地さえあればいい。
過程でどれだけ死のうが、知るか。
それが、私の実利に何か関係があるのか?
むしろ、実利とは奪う機会が多ければ多いほど得られる物だ。であれば喜びはしても嘆く必要性など皆無だろう。
実に喜ばしい。どうでもいい命も間引ける。
最終的にその戦争で「私」が得をするか否か、それが全てだ。私が損をしたり死んだりすれば、必然「良くない戦争」になる。
逆に利益を得られれば「良い戦争」だ。
まあ、私は己自身の命をそこまで大切にしてはいないのだが、長生きしたいわけではないからと言って、率先して己を軽く見るつもりもない。
少なくとも、その連中の命では比較にならん。 何万、何億、何兆あろうと足りぬわ間抜けが。 作者と読者、その価値の違いは明らかだ。浪費するだけの読者と私が、同じ価値でたまるか。
なので私は一切の罪悪感無く、何となく利益になりそうだからという理由で戦争に荷担しているのだった。とはいえ、戦争は戦争だ。己の安全が第一である私にとって、そう易く命を置きたがる場所でもない。
争いは必要だが、無為に殺し合うなど愚かだ。 まして、己に関係ない殺し合いに参加するなど利益にならなければやってられるか。あくまでも作者取材兼利益の為に他ならない。
なら、その利益とは何か?
一つは、戦場の人間の苦しみ嘆き生き抜かんとする姿だろう。彼らは必死だ。必死で殺し、慰め合い、そしてまた殺す。
しかも罪悪感に苛まされる阿呆もいる。
不思議な事に、科学文化が発展すればするほど「覚悟」など欠片も持ち合わせない兵士が増えているのが実状だ。実際に見る限りでは、観光旅行感覚で参加し、そも殺し合う方法を学びもせず、それでいて「被害者」気取りだ。
おまけに駐屯地を目立つところに配置しながら「爆撃されるとは思わなかった」などと言い出すのだから、参加する前に下調べを徹底しておいて良かったと思ったものだ。実際に調べたのは私の保有する人工知能ジャックなのだが、だとしても下調べがなければ巻き添えを食っていた。
我ながら危機感知能力が高いな。
私以外には、特に関係ない兵士達には当然適用されないので、彼らは死んでしまったがな。まあ私個人には何の関係もないので良しとしよう。
敵兵の動きや設置したカメラなどの情報から、爆撃の予定時刻は計算すれば誰でもわかる。だがそれを教えて移動させると急いで攻撃されないという保証もない。そもそも、こちら側には優れた指導者がいるというから取材の為にも参加した。故に指導者への取材以外はどうでもいい些事だ。 知ったことか。
とはいえ、手土産がゼロでは私がその指導者に切られかねない。なので、取材を申し込む為にも「襲われはしたが機転を利かせて一撃を与えた」という口実が欲しい。故に敵対者も殺した。
便利な能力だ。与えられた素質とはいえ、人を殺すのには最適だろう。第一、幽霊の日本刀とは何なのか、未だに理解は及んでいない。
まあ構うまい。私は学者ではない。
何にしろ「サムライ」としての圧倒的戦闘力は役に立ったと言っておこう。実際、私のサムライとしての与えられた暴力も、彼らの最新科学での大量殺戮も、根は同じだ。便利な補正機能をどう悪用するのか? それによって利益を得るかだ。こちらが優れた暴力を保有しているだけで、そも彼らの方には覚悟すらない。
私か? 私がどれだけ叩かれたと思っている。覚悟などする暇すらなかったが、しなければ死ぬのでするようになっただけだ。
楽して儲けるに越した事はないが、どうも楽をするには連中のように品性の欠片も持たない獣である必要があるらしい。
いや獣の方がマシだ。考えすらないのだからな・・・・・・・・・・・・それでよく戦争なんてやっているなと思わなくもない。
他にやることは無いのだろうか?
あるが、考えるのが怖いのかもしれない。
そういうものだ、逃避すれば楽だからな。
だからこそ、今回敵兵を簡単に惨殺せしめた。というのも最新の科学技術で武装している連中を相手に流石の私も策を練らない訳ではない。第一どれだけ力があろうが無策で挑むのは愚かを通り越して阿呆だろう。なので綿密に作戦を実行して殺そうと思っていたのだが、監視の結果は意外なもので、ある意味私を仰天させた。
何と、夜の見張りがいないのだ。
大方、私以外を殺し尽くした事で勝利の美酒にでも酔っていたのだろう。アルコール臭の中で、彼らは一人残らず眠りこけていた。
戦車を撃退するのは疲れるが、施設に進入するだけなら容易い。そも戦時中の施設など、元からあるものの方が少ないのだ。急増の施設に大量の監視カメラなどおける筈がない。当たり前だが、どこにでも「予算」というものがあるからだ。
寝ている兵士を一人一人丁寧に殺した。いや、この場合「ゴミを始末した」というのが正しいのかもしれない。正しさなどこの世界には存在せず思い込みに過ぎないが、それでもだ。
覚悟も無く戦場に挑み、
対策も無く科学を振り回すだけ。
これでは擁護のしようがあるまい。一体何の為来たのかというと、大国であればあるほど人生で一度はこういう経験をという軽い気持ちだ。
断っておくが、実体験として「持つ側」にいる事そのものは「利点」しかない。当たり前だが、持たざる存在に利点など無く、勝利者の条件などとどのつまり「どれだけ幸運が傾いたか」程度の問題に過ぎない。
それを驕るかどうかは、当人の問題だ。単純に選択を誤ったに過ぎない。とはいえ恵まれているからといって労力も払わず、疑問も持たない。
そんな奴に、生きている資格はない。
ゴミ掃除と同じだ。役に立たないゴミは排除し使える物を後生に残す。おお、我ながら人類史に貢献しているのかもしれないな。我ながら何とも恣意的というか、独断による判定なので執行するのが早いのが利点だ。だが、逆も然りだろう。
英雄だからといって、価値がある訳でもない。 むしろ、英雄的であるというのも問題だ。何せ英雄は大勢の「敵」が必要になる。世界全てが敵みたいな私が言うのもアレだが、しかし連中にはその自覚が無いのが問題だ。
彼らは「良い事」をしていると吠えて殺す。
自分達の側に「大儀がある」と思っているのだ・・・・・・赤子も老人も見逃すが、女子供でなければ何人殺しても良いらしい。変な基準だ。
まあインド神話などは子供でも殺すらしいが、何にしろ言えるのは「正義」などという都合良い概念が「実在する」と思い込む点だろう。だから殺すし、殺してもいい。
むしろこれは「誇りある戦い」であり、そう、彼らには「戦士の戦い」であって「虐殺行為」と考える事はないのだ。考えたところで戦士の誇りとやらの為に殺し尽くすのだから、同じ事だろう・・・・・・・・・・・・私か? いうまでもあるまい。
全て、全て、この私の「実利」の為に。
大体、人として生きた事のない私に人の大儀を語られても困る。何せ役に立たないし、面倒臭い上にやればやるほど損をする。
人に物を頼む時は、金を払えと習わなかったのだろうか? かもしれない。大儀があるからと、そう命令すれば従うのが道理だと思い込む。
そういうものだ。全く、迷惑な奴等だ。
周りの迷惑も考えろ。
私に言われたらお終いだぞ。
とはいえ「英雄的な人材」というのが、科学が発展すればするほどいなくなるのも事実なので、こうして今回取材に赴いたという訳だ。だから、始末するとはいっても皆殺しにはせず、争い合う余力を残して撤退出来る程度に力を削いだ。
兵糧を奪ったり、司令官を殺したりしてな。
金も貰えないのに殺しに力を入れるなど、正直馬鹿げている。無駄に敵を増やして私に得があるわけでもなし、己の命が最優先だ。
依頼ついでの取材ではあるので、労働の最中に勝手に仕事をしていると言えなくもない。だから仕事の内と言えなくもないが、無駄は無駄だ。
さっさと終わらせるに限る。というか、仕事が楽しい奴などいない。苦痛や苦悩の伴わない仕事など、ただの趣味だ。
金を儲けるだけなら為替と変わるまい。
肥え太った「人間」ではあるまいし、そういう阿呆丸出しの情けない連中ではあるまいし、私は暇ではないのだ。仕事をせねばなるまい。
まあいい加減、やってられないがな。
金にならないからやる気は微塵も無いが、そのやる気とは関係なく出来るのも「仕事」だろう。精神の有り様で変わるものでもあるまい。
ただ、やる。その熱を形にする。
それが「仕事」だ。
正直、うんざりだがな。
生きるという事が生き抜こうとする意志であるとするならば、それは下らない些事だ。その意志だけで良いなどと抜かすのは、とどのつまり耐え凌いだ事がない証拠に他ならない。軽んじられて痛めつけられ、理不尽を味わった事が無い。
だから、その過程だけで満足しろという。
馬鹿馬鹿しい。力ある英雄が「この程度の傷は大した事じゃない」と言うに等しい。あらかじめ力に満たされた輩と、そうでない輩が同等とでも思ったか?
そんな訳があるまい。少しは考えろ。
その点で言えば、怪物属性の連中が羨ましいと思える。何せ、少しばかり我慢が利かなくなれば人間を殺しても良いのだ。
能力にかまけて楽をしていい。
これほどの「楽」があるか? 後は、人間共はすぐ裏切るだとか、自分達はちゃんとしているのにと不満を垂れていればそれで終わりだ。
何を成し遂げる事もない。
無気力な民衆と同じで、行動すらしなくて済む・・・・・・無論、私にはそのような「楽」は無い。
あればどれだけ苦労が減ったかという噺だ。
過程に意味は、いや価値は無い。何せ、物語は売れなければ読まれもしない。文字通りに、ただ無駄で無為で苦労の多かった徒労になる。
現状、半分はそう言えなくもない。
何にしろ「私」が行うべき事柄などとうの昔に済ませている。後は売る側の問題だ。
その問題に、足を引っ張られていると言っても良い・・・・・・誰一人真剣に物語を扱わないからこそ私が迷惑しているだけだ。
誰もいないなら、文字通り「無駄」だ。私が、どれだけ活動しようが世界全体が死んでいるなら行動するだけ無駄と言えよう。
事実無駄だ。無為に終わった。
私は生き抜かんとする為に書き続けたが、案外人間なんぞ既に絶滅していて、その名残のゴミが残っているだけなのかもしれない。
その程度には、価値を示せないゴミだけだ。
こちらが何をしようが、見合う価値がない。
ならば「生き抜こう」とする行いそのものが、既に愚かしい限りだ。何せ自分達はちゃんとしていると思い込んでいるだけの豚の世界で、知能を示してやる事に意義などあるまい。l
豚は豚だ。人間の真似をしているだけだ。
神も仏も人間も怪異も機械も自然も全て全て、役割を果たさないからこうなった。事実として、この世界は何一つまともに回っていない。
ただ持つ側とそうでない側があるだけだ。
運次第の下らない博打に過ぎない。個々人には変える力など無く、行動や意志は等しく無価値で持つ側が言い訳しながら「己の力だ」と弁解する様が見られるに過ぎない。誰も己の力で変えようとする事すらないのはその為だ。
所詮全てが、運次第。
第一、それで言えば人間に生まれるか神仏だの怪物だのに生まれるかで違うではないか。何でも神仏とは何もしなくとも金を貰えるのだとか。
羨ましい限りだ。暇そうで。
実際、私がどれだけ計画性を持とうが、持つ側に勝てた試しがない。ただ持つというだけで必ず勝利し、何も当人は努力すらしない。
当たり前の労力を努力だと言い張るだけだ。 本人が少し力を入れた程度で何かを変えられるなどと、どれだけ失敗や敗北と無縁でいたのだ。理不尽を知らないから、そんな事もわからない。 情けない奴等だ。それが勝つというのだからな・・・・・・・・・・・・嫌な世界だ、全く。
まあ、その辺りは人類史を見直せば、誰にでもわかる事だ。世界史に載るような人物が、行動や意志だけで何かを変えられた例など無い。
必ず「才能」や「縁」という要素がある。
でなければ途中で死ぬか、私のように理不尽な敗北や失敗を味わい続けるだけだ。当人の意志や行動で急に事が押し進むなど、そも異常だろう。 結局の所、人間の歴史など幸運に支えられた、或いは持つ側が満足するだけの搾取と暴力でしか成り立たない「箱庭」と言うべきか。何にしろ、人類史が紡がれたのは「偶々」であって、人間の意志や行動の力ではないのは「確か」だ。
それだけは覆らない、確固たる「事実」だ。 その程度で何とかなるなら、とうに私は大儲けしている。後から「実は方向性が違った」などともっともらしい言い訳を聞く事もあるまい。
そんなものだ。
ますます、仕事をやる気が失せるな。
まあ、元より作家とはそういうものだ。生きるという事に熱を持たない、生命の義務を放棄した読者共に娯楽という体で熱を刻み込む。
それが私にとっては「悪意」なだけだ。
ふん、生きる上で熱を持つなんぞ、当たり前の事でしかない・・・・・・やって当然、それが義務。
それはそれとして「利益」を得なければならぬというのが「生きる」という行いの正体であり、熱だけを求めるのは単に余裕があるだけだ。別にそれそのものだけでは意味がない。散々その熱を持っていながら無為に走った「私」が言うのだ、間違いない。
それだけでは、ただ虚しい。
そも勝利を求めないなど生きる事と反するではないか。栄光だの名誉だのは別にどうでもいいが「実利」だけは頂く。当然だ。
なので、英雄とは度し難いと、そう思う。
とどのつまり「余裕」があるからこそ己以外の誰かに払う「余力」があるのだ。まさか寿命すら削って奉仕しているとでも?
だとしても、同じだ。何一つ変わらない。
大体、己を満たせない奴が他者を満たすなど、土台無理な相談だ。己の事が見えないくせに他人の幸福が見えるなどと、目の錯覚以下だ。
その上、英雄は殺す殺す。
ともすれば私より殺す(正直、それだけ殺しておきながら、よく開き直れるものだと感心した)らしい。別段数は数えていないが、少なくとも、私は必要な分以外は基本殺さない。ちょっと目についた程度で殺していては、生活が成り立たないのだから当然だ。
だが英雄は殺す殺す。
生活が破綻しても殺す。よくある手段と目的の入れ替わり、本末転倒な破綻した考えという訳だ・・・・・・・・・・・・そしてそれが「栄誉」と抜かす。
金も貰えないのに殺す、という時点で仕事熱心な私には相容れない種族だ。殺した分だけ報酬があがるなら私も頑張る(何であれ努力とは無為に終わるものなので、正直殺しですら力を注ぐのは嫌いだが)可能性があるにはあるが、民衆が悪と叫ぶからだとか、誇り高い戦いの為だとかという理由で殺すのだから、始末に負えない。
民衆が叫べば、誰であれ殺すらしい。
その点、悪党は現実的だ。身内の為なら世界が一つ二つ百二百滅んでも、文字通り何とも思わず罪悪感一切無し! 良い性格をしている。
そう誉められても金は払わないがな。
むしろ、良い性格を見た代金を支払え。
世界を無限に滅ぼしてでも、利益だけは得る。まあ身内なんて物が悪党にいる可能性は本来絶無ではあるのだが、心構えの噺だ。
第一、世界の為に戦うなど異常者の類だ。何をもって世界の為なのか不明だ。そもそもその為に殺しを正当化するとはどういう理屈だ?
都合の良い脳味噌だ。私に言われるとはな。
案外、連中は宇宙人か何かかもしれない。同じ生命をそんな理由で踏みにじるとは、この私でも理解に眉を潜める。この「私」がだぞ。
なので当然、そのような英雄に取材するのも、英雄と話すのも、英雄を考えるのも私にとっては苦行でしかなかった。第一、何かしら能力の差を以て生まれている時点で、私のような持たざる、いや文字通り「生まれついての悪」にしかならぬ輩と分かり合う事は、未来永劫に無い。
ただ、ただ、己の為に戦う。
戦いに色をつけようという余裕ある発想から、そのような考えが浮かぶ筈があるまい。彼らは、力に裏打ちされた人格しか持ち得ない存在だ。 環境に関係なく、ただ「悪」である。
そのような生命としてある意味自然な生き物を身勝手な人間性で計る奴等には、それを理解する意気込みすらあるまい。
全て、戦士の誇りとやらで消えるだろう。名誉だの栄光だの、所詮は戦いに「生死」以外の遊びを見出す暇人共だ。
ちなみに私の生には利も含まれる。
それがなければ、結局死ぬからな。殺してでも利益を奪う。当たり前の事だ。
なので一代限りで後に残らない英雄の思想には興味はない。才能などというのは所詮、後生には更なる才能に凌駕されるものだ。もし凌駕せずに続かなければ、その才能を無駄遣いして失敗したというだけだ。
英雄も怪物も、同じだ。優れた能力があれば、それを振るう己自身も優れた存在だと錯覚する。人々を導く為だとか人間とは違うだとか、根底にあるのは「特別である」と、他者を下に置き己を特別視する感覚と言える。
だが、それらは力無しでならねばならない。
当たり前だが、力を前提に作り上げた思想など力が剥がされるか、力が通じなければ、文字通りあっさりと「折れ」る。
とはいえ、折れなかったところで実利を得られなければこの様だ。そういう意味では「正しい」と言える。
何せ、物乞いのようだが、実利はある。
世界に生き残るのは連中のような「力だけ」が取り柄の存在だ。過程における意志や行動など、所詮は物語の中、いいや、それですら使わない。 誰も彼もが、理解している。
楽に人生を送れるかに、意志や行動は関係ないと、そう理解しているからこそ「都合の良い現実逃避」の物語こそを、愛でる。物語に何かを学び前に進んだところで、そんなものは生まれついての才能、力に比べれば無力だからだ。
実際、勝てた試しがないしな。
卑下するつもりもないが、無駄に持ち上げても時間の無駄だ。意志や行動は無駄であり、問題となるのは「どうすれば勝てるか」だろう。
まあ通常の方法で無理なのは確かだ。
個人の能力には限界がある。まして特別な才能がある訳でもなし、平均的な能力であれば労働に準じて奴隷として搾取されるのが常だ。だから、才能がある奴を利用するか、騙して戦わせるかという噺になってくる。
お分かりいただけただろうか?
つまり、私は今回「英雄」とやらを利用して、英雄で無い己の利益を確保しようというわけだ。 我ながら頭が良い。無論、簡単に騙されてくれないので今まで数えるのが面倒どころか数えないほどには失敗してきたが、やるだけだ。
他に出来る事も無いからな!
どうしてこう、私は「楽」が出来ないのだろう・・・・・・王道の物語とまでは言わないが、少しだけ楽をしても今までの苦労を考えれば数百億円程度の金は、空から降ってきてくれても良いと思う。正直、それだけ無為な労力、そして失敗と敗北を積み重ねてきた。だが、見合うお宝は無い。
何一つとして、得られていない。
何という理不尽。だから信仰は嫌いだ。苦労を天は見ているみたいな言葉をほざける時点で失敗という言葉を知らないのだ。失敗とは省みられず無為に「消える」ものであり、後に続くものなど無い。敗北とはそれを噛みしめる行為で、敗北に学べるのは「世の不条理」だけに過ぎない。
手を尽くせば覆せる。それが甘えだ。
手を尽くした程度で覆せるものを「理不尽」とは呼ばない。それはただの「劣勢」だ。
勝てない「何か」に挑まねばならない。
それが「戦い」であり「理不尽」だ。
敗北は既に確定している。そこに挑むからこそ理不尽を知る。勝てなくても戦う。定められても抗う。その程度も知らない奴が運命を語り出す。 甘ったれにも程がある。
貴様等、他にやることはないのか?
世界を知った気になる前に「仕事」をしろ。
噺はそれからだ。正直、現代で力を持つ側にはそういう奴「しか」いない。だからつまらないし面白い何かも生まれない。
もう滅んでもいいのでは、とさえ思う。
何せこの私の物語を売るのに、こうも手間暇をかけさせる世界だ。使えない機構だとしか評価のしようがないではないか。
貴様等読者の人生など、この一ページに劣る。 それだけは確かだ。定められた道を言われるがまま進み、確約された利益をぶら下げられて死ぬまで我慢しながら生涯を全うする。
そんな「生」に、何の価値がある?
断言する。無い。その場その場の相手の都合に騙されているだけだ。進学とか就職とか、周囲のそいつ自身がそうして欲しいと思っているだけでしかない。まして、貴様等の利益など真剣に考えている訳があるまい。
同じ「安心感」を選ばせたいだけだ。
そうすれば、自身を否定しなくて済むからな。ただそれだけの身勝手な都合に巻き込まれる身としては、たまったものではない。
正直、迷惑以前に目障りだ。
真剣に生きる気が無いならおとなしく実利だけ渡して死ねばいいものを、そうしない。目的すら無いのに生にしがみついて、どうするというのか・・・・・・・・・・・・正しいと信じる輩は厄介だ。
当の本人すら、己を正しいと思っていない。
神を信じるなら神の過ちも信じねばならない。未来を信じるなら未来の不安も信じなければならないのだ。その程度の事も、連中は知らない。
知らなくても、やってこれたからだ。
これが「幸運」でなくて、何なのだ? 真剣に生き抜かんとする行いが馬鹿みたいと思うのも、それらを考えれば至極当然と言えよう。
実際、信じるに足る保証など無い。
何をしようが、何かがある。どれだけ手を尽くそうが、関係ない部分で無駄に終わる。それでも続けたが、考えもしない奴等が勝利した。
もう、感想すらない。無駄だからな。
惰性ではないが、やる気も無い。第一、書いたところで売れるかは私に関係ないのだ。出来るか出来ないかはいつも、別のところで決められる。 私の意志や行動は、関係しない。
それだけは確かだ。だから全く以てやる気などないが、この惑星の殺し合い、英雄の行う戦争に荷担しているだけだ。荷担するだけで、勝たせる気も負けさせる気もない。四六時中仕事と一体になる私に「休み」という概念は希薄なものだが、「作者取材」という体で適当に人間を殺しつつ、己の安全を考える機能だけは休ませずに、適度なバカンスを楽しむとしよう。
なに、死体が飛び散るか、果物が飛び散るか。実に些細な問題だ。肝要なのは私が楽しめるかであって、現地の命も善悪の観念も必要ない。
連中は連中でこちらを利用するのだ。むしろ、そんな理由とはいえ連中の英雄ごっこにつきあうのだから、感謝とお礼は当然だろう。大義名分で誤魔化そうが、とどのつまり人殺しだ。大量殺戮は国際的には犯罪扱いだが、正義の為だの自由の為だのと口にすれば「殺人パスポート」が貰えるのが人間社会の良い部分だろう。
娯楽や文化を除けば、唯一の利点かもしれない・・・・・・勿論、物語の方が勝るがな。
それに比べれば、些細な犠牲だ。
作品のネタになれるのだ。感謝して死ね。
さて、それでは現状を見るとしよう。今回は、いや今回も人間の性というか、殺し殺され大儀を掲げる争いに参加する訳だが、その前に「戦争」という概念が科学の進んだこの時代でどうなっているのか。そこをまず語ろう。
結論から言えば、さほど変わっていない。
強者が弱者を蹂躙するという点では、戦国時代のような「領土の為の戦争」ではなく、単に利益の為の「作業」という側面が強い。というのも、科学が発展すると同時にどの時代でも起こり得るのは「最先端科学の独占」及び「未開拓者からの搾取」だからだ。
カカオなどが分かり易い。
陸の監獄に閉じ込め、生涯を終えるまで高値の生活用品を買わせながら子々孫々に至るまで奴隷労働を強いる。その成果を取り上げる事で連中は「大手貿易会社」を名乗り、国際的な利益を持ち税金を未払いのまま済ませる「奴隷主」としての己を確立するのだ。
この場合、奴隷貿易よりも質が悪い。
何せ、彼らは「悪い」とは思わない。何も法に違反していないと思っているし、何も悪い事などしていないと思い込んでいる。
いや、思い込もうとしているのか。
しかも、金の力でそれらを肯定し続けたせいで彼ら自身も自分が見えない。有り体に言えば認識する能力が欠如し、現実が見えなくなる。
そして、そういう奴等がドローンだの戦闘用のアンドロイド(こちらは違法だが、法など破る為にあるようなものだ)を金に任せて運用し、その向かう先には当然の事ながら「科学の恩恵をそこまでは受けられない」現地民が「損」をする。
男は少年兵に、女は売り物に。
命が平等だのと言う輩は、命を大事にし過ぎたからそういう発想に至るのだろう。浅はか極まる発想だが、それもある種の洗脳かもしれない。
世界は平和だと、平和は尊いのだと。
そんな程度の噺に騙されるというのは、見方によっては「病気」と取れなくもない。単に病気のままでも生きられるほど、恵まれていただけだ。 その程度の噺でしかあるまい。
現に、平和だと言われる国でも老若男女の関係なく、資本ある者の奴隷だ。金や権力があれば、文字通り何をしてもいい。資本主義経済とはその事実を後押しする概念であり、科学の恩恵というのは「万人に広める」物では決してなく、単純に「万民から搾取する仕組みを作る」為の骨格標本みたいなものだ。だからこそこうして現地に赴く私の視界には、高価な兵器が「人道的に」殺戮を行い、刃向かう生き物は「人間」でなくなる。
何とも狭い了見だ、全く。
何にしろ私は現地民を助けにきた訳ではないのだが、とはいえ殺しにくるのだから破壊されても文句は言えまい。今、空を飛び地面を滑り多くの人々の血肉がこびりつくあれらドローン兵器は、当たり前だが最新科学の「結晶」だ。
つまり、金になる。
ついつい笑みが、止まらない。
現地民を「結果的に」助け、おまけに無駄遣いをしないよう資源の再利用まで行うとは。まさか私は「正義の味方」だったのだろうか?
まあ、過程における死体の数は興味無いがな。一方的な殺しとはいえ、それで言うなら人道的な兵器と人間の命には、そこまで差があるのか? どちらも、あるだけで他者を殺すではないか。大量殺戮兵器、という縛りにおいては大差ない。この私に役に立つなら生かしてもいいが、そうでないならその辺のガラクタと同じだ。敵の、いや襲いかかる兵器を破壊するように、その尊い人間の命とやらも、花火のように散らすまでだ。
散り際は散り際で、見物だしな。
現地に着いてわかったのは、元首都と思わしき部分にはドローン兵器が跋扈しており、どちらかと言えば「戦場」ではなく「機械兵器が跋扈する未知の惑星」に来た気分だった。
まあ、それならそれで儲かりそうだ。
最終的に「実利」が得られればそれでいいのだ・・・・・・過程における「高潔な意志」とか「大層な信条」だとか、そういうのはどうでもいい。
殺しを正当化したがる気持ちなど知るか。
それが、私の金になるのか?
ならない、それだけは確かだ。
殺しは労働だが取材は仕事なので、やることはやる。ただ、その過程においてどうなるかなど、私の知ったことではない。
標的が誰か、だと?
さて、それこそどうでもいい事だ。最終的には現地民の得になるかもしれないのが忌々しいが、私だけが損をするような事にならなければいい。 逆に私が損をするなら、現地民は死ね。
少しは金になるだろうしな。誰かが笑顔でいる中で、私だけが「損」をする。それは許さない。 殺してでも奪わせて貰う。
元よりこの身は「人間の敵」だからな。別段、人間の未来など興味も無い。
あるのは文化、娯楽だけだ。
とはいえ、作者取材が仕事であり始末に関して言えば労働でしかくともやるべきはやる。それが作品のネタになるなら平和でも戦争でもしよう。 なので、面白い戦争があれば私を呼べ。
平和とやらを作るには、ある意味最適の人材だ・・・・・・その「過程」はともかく、「結果」だけは保証しよう。
なに、結果そうなるのだ、構うまい。
いろいろあって何人か何万人か死にましたが、最後には平和が訪れました。
めでたし、めでたし。
そういうの好きだろう? 私は嫌いだが。何せ語るべき部分がない。最後に平和があったかなど作品のネタにはなるまい。争いこそネタだ。
英雄だの天才だのには、分かるまい。
歯を食いしばらずに成し遂げられる輩に、歯を食いしばる輩の考えなど、分かろう筈があるまい・・・・・・・・・・・・物語とは、その積み重ねだ。
だからだろうか?
歯を食いしばる輩など、現代にはもういないのかもしれない。勝った負けたはあれど、負けずに生き続ける道を選ばず、あるいは順当に勝ち進むだけの溺愛の輩が、世界には溢れている。何せ、殺し合いどころか「争い」そのものを否定して、自分達が「善」であると自惚れる阿呆だ。
あれこれ過程を美化したがる連中だ。
その程度の奴等が、歯を食いしばる経験をそう何度も何度もするとは思えない。そもそも、少しでも成功を、勝利を、栄誉を掴める時点で敗北を知らず、失敗を知らないに等しい。それらを知る機会すらないまま、前を見据えるからこそ出来る事もあるものだ。
まあ、出来たところでこの様だが。
少なくとも金にはならないらしい。嫌な噺だ。焦がれる何かも甘える何かも夢見る何かも愛する何かも共感する何かも、必要ない。
無くても、案外何とかなるものだ。いや、利益の面で言えばまだまだだが、そこは棚上げしよう・・・・・・・・・・・・いや本当、どうしたものか。
殺せば殺す程、歩合でも出ればいいが、そうも行くまい。今回の始末依頼にしたって、首を切り首級を上げれば、とは行かないものだ。
殺しを依頼する側でさえ、これだ。
彼らにとって殺しは「悪い事」であり、人間の歴史には必要ないとさえ思っている。今まで散々殺し尽くして歴史を積み上げた奴等が揃ってそう口にするのだから、悪い冗談ってやつだ。どうもその辺りこそが、私の性に合わないらしい。
私に言わせれば、善性などロクなものではない・・・・・・言っては何だが「人間」の肯定する「善」が、真っ当だとでも思うのか?
やはり「悪」だ。悪こそ至上。
それもただの悪では足りない。必要悪として、人間社会の根幹に食い込まなければ。いや、人間という観念そのものを書き換えてみせる。
本さえ売れれば、だが。
金、金、金だ。世界は金で出来ている。金こそ人間の信じる全てであり、他は人間の欺瞞に過ぎない。信じる怪異はいるかもしれないが、信じる人間はいない。いたとすれば、それは言葉を唱えそうであると思い込んでいるだけだ。
少なくとも、現代にいないのは確かだ。
実に面倒臭い。これだから読者共は嫌いだ。 私と正反対の物を恵まれた駄作を、生きてきただけの事はある。好意や期待を受けたり努力して報われたり、未来を信じて進むとはな。
私には理解し難い噺だ。
いや、理解は出来るが共感するつもりは無い。第一、根拠無く未来を信じるなどただの考え無しではないか。根拠無く己の行いを信じ動くならば当人の責任だが、それでは責任も取れまい。
いや、取らなくて良いからそうするのだ。
そういう意味では好意を向け合う、標的の英雄率いる反乱軍の居心地は最低だった。何せ、好意というのは基本「押し付け」であって、賛成する輩にしか機能しない。
しなければ、それこそ反逆者扱いだ。
質の悪い宗教と同じだろう。宗教とは基本ロクでもない輩に利用されるものなので、好意というのもそれと同じと思えばいい。
好意という概念はあるかもしれない。
だが、それを利用する側に、好意など無い。
とどのつまり、英雄に追従する奴等の心理とは「己が心地良いからそうする」程度のものらしい・・・・・・納得は出来る。何せ、都合が悪くなれば、あるいは自分達の欲求が満たされなければ、その英雄自身すら「被害者面」で、裏切る連中だ。
彼らは、自分達は悪くないと思っている。
過程における殺戮も「自由の為」だとかの為で「人殺し」だとは思っていない。その結果何人の首をはねようが構わないし、最終的には首謀者が全て悪い、あいつが扇動したからだと現実逃避を繰り返す。
何とも汚い生き物だ。
私は間違いなく「悪」だが、「汚濁」になるのだけは御免だ。一緒にされたくはない。
なので、可能な限り離れる事にした。
現地取材の為、どうしても標的に追随する奴と接触する機会が増えるのだが、それでも汚濁共と触れ合う趣味はない。私に得も無いしな。
とはいえ、こういう場所には連中の薄汚い好意から弾き出された奴もいるものだ。何なら、その弾き出された奴を捜すのもありかもしれない。
そこまで思って私は一度、就寝する事にした。まだ標的のいる惑星に着いたばかりだ。
始める前から疲れては体力が持たない。それにこういう時は一度、時間を置くのが最適だ。
無論、策を弄そうが報われた試しも無かったが・・・・・・言っても始まるまい。何にしろ英雄殺しがなるかなど「ついで」だ。
私は、私の「実利」の為に。
連中が「正義」で私に挑むなら、私は「実利」で打ち倒すまでだ。見ていろ、貴様等の下らない価値観など、全て金で買い上げてくれよう。
勿論、私にそのような価値観など不要だがな。
3
やはり「適正」はあったらしい。
戦争である以上、死人は付き物だ。とはいえ、それに耐えられる奴ばかりではないらしく、戦死する前に精神をやられる輩が実に多い。
何でも「大切な人」の頭が目の前で木っ端微塵になっただとか、そういう類の噺だ。まあ平和な世界に生きていれば、人間が目の前で死体という肉の塊へと変わる瞬間など、普通は経験しない。 どころか、ただの「死」でさえ稀だ。
これも「平和という暴力」の代償と言えよう。人間なんて放っといても死ぬものだが、その死を身近に感じていなければ、いざその時が来ても、ただの老衰ですらその「死別」を許容できない。 慣れのない、ショック症状というやつだ。
普段から血を見慣れている看護婦とかであれば死人に同様はすまい。現代では「教育」はただの「洗脳手段」でしかないからな。本来、人の死は弁えて当然、考えて然るべき事だが、それを悪であるかのように拒絶したからこその「今」だ。
具体的に言うと、新兵が廃人になった。
胡乱とした表情で、薬で生かされているらしく譫言を言い続けていた。まるでB級映画の端役だと思いはしたが、一応、私は黙っていた。
当たり前だが、何も思わなかった。
何も。軽蔑も親愛も容赦もない。
強いて言えばこいつに爆弾を装着すれば、敵をもっと殺せるかもしれないとは思う。何であれ、資源は有効活用するべきだ。
それが死人同然の新兵でもな。
だが、ここの連中のやり方は違うらしく、要は「可哀想な仲間と助け合い、慰め合おう」という趣旨らしい。具体的に言うと、こうだ。
そんな奴でも、役立てる事はある、と。
そう言い訳したいのかは知らないが、その男は雑用係に回されはしたものの、やはり使い道など爆弾以外に無かったのか、治療室に向かった。
恐らく、手厚い看護を受けているのだろう。
可哀想に、戦いの犠牲になったのだ、と。
何という無駄遣いだ。私なら肉団子にしてでも爆弾を入れ、相手ごと粉微塵にする。それならば「使える」新兵は死なず、経費削減にもなる。 金は重要だぞ。戦争の基本だ。
言っては何だが戦力差など、極論どれだけあろうが率いる者次第で覆せるが、資金難だけはどうにもならないからな。そちらの方が恐ろしい。
戦争に来て「自分以外の死」に動揺するなど、私には意味不明だ。自分がやられたなら分かる。自分は大切だからな。他の新兵共が、いや熟練兵でもいいが、とにかくそいつらはどうでもいい。何人死のうが、私の生活や未来に関わる事は無い事だけは確かだ。
元より、私に「帰る場所」など無いしな。
大切な者? 作品データなら分かるが、しかし大切なら連れてこなければいいんじゃないか?
戦力になるならともかく、弱いなら連れてくるなと思うのは私だけか? 使い捨ての盾だというなら分かる。だが死にたくないのに戦争を?
何でも、仲間が死んだ瞬間を思い出して、眠りさえできないとか・・・・・・私なら普通に鬱陶しいと怒鳴るか、無視して眠るな多分。
死体も生体も、同じだろう。
多少見た目がアレかもしれないが、それはそれで趣があるものだ。芸術としてはかなり突き詰めないと微妙だが、あれはあれで価値がある。
気持ちに価値があるのだろう?
ならば、死体でも別に構うまい。
雷とかの方が脅威だ。自然現象というのは到底勝ち目がない。下痢に逆らえる兵士はいないし、空腹や体調の悪化の方が問題だ。
そういう精神面での、というのは贅沢な悩み、としか思えない。悩んで何になるのだ? それも後になって風化する程度の悩みに。
人外も人間も同じだ。私からすれば意味不明でしかないが、彼らには重要らしい。一応学んではいるが、しかし合わせるのには苦労する。
私には「心」が無い。無い物は無い。
それでも「ある」と思い込む輩は多いし、そも言う訳にもいくまい。社会は心を支配するくせに心を肝要に受け止めろと無茶を言う。
餓鬼の理屈だが、そういう阿呆は多い。
迷惑な噺だ。それでいて金も払わないのだからまさしく「天罰」ってやつではないか? まあ、そう言うと恐らく彼らは怒るだろう。
見たい気もするが、私も暇ではない。
さっさと取材して、死体を眺めて、帰る。
いやこの場合、実利だけ頂いて一抜けだ。
先の無い戦争に「理想」なんぞ掲げて参加するほど、私は思考を止めていない。現実を見れない奴等が現実に人を殺すのだから、笑える。
失笑ではあるが、見せ物にはなるか。
だからこそ、彼らは仲間の死に涙し、敵対する相手を殺し続けた上で「こんな筈じゃなかった」などと口にする。私に言わせれば覚悟が無いからそのような悩みを持つと言える。
とどのつまり、彼らは仲間に助けられなければ戦えない。支え合い助け合いという「楽」な道を歩けたからこそ、戦っていただけだ。
楽で羨ましい噺だ。何もせずとも磁石もかくやの勢いで敵を吸引する私とは、随分な違いだ。
その違いは「幸運」だというのだからな。私にやる気を求める方が愚かだ。実際、仲間が代わりに助けてくれるなど、これ以上の楽があるか?
一人では何も出来ないから、仲間がいる。
人はそう言うが、現実問題一人でどうにも無理な場合でも、一人でしなければならない状況こそ現実にはある噺だ。どころか、味方する肩書きの連中が敵対したり、教える立場の奴がそれほどの知恵を持たなかったり、その劣等感に苛まされたクズの憂さ晴らしに付き合わされたりする。
まして、仲間を信じる心だと?
とどのつまり、それは甘えでしかない。
実際にやってきた「私」が言うのだ間違いない・・・・・・大体、都合の良い仲間とは、ただの奴隷とどう違う? 取引は対等であるべきだ。
その点、英雄は英雄である時点で対等ではない・・・・・・・・・・・・語る思想がらしければらしいほど、その下らない理想に従わなければ除け者だ。
例えば、戦争と言っても色々なやり方がある。単純に武力で征服するのではなく「豊かさ」での侵略を行うのだ。
大量生産の既製品。
商人への特権。
裏切り者への恩赦。
これだけでも、かなりの成果が得られるというのが実状だ。誰も彼もが英雄らしく戦いたいなど戦い好きの身勝手な妄想に過ぎない。
楽して良い暮らしをしたい。
凡庸な庶民にあるのはそれだけだ。理想よりも実利を欲しがるという点では、好感さえ持てる。無論私に好感を持つ機能など無いのだが、しかし英雄よりはマシだろう。堪え忍ぶのも、誇り高く戦うのも英雄自身の都合だ。
民衆の都合など、考えてもいない。
どの時代でも「英雄」と呼ばれる連中が民衆に思うのは、単に「自分が庇護すべき存在」という保護者に等しい感覚だ。だからこそ、その民衆の中に私のような「悪」が紛れるとは思わない。
いや、思いたくないのだ。
自身が「英雄らしさ」を発揮する為の備品に、そこまでの意志を見出さない。とどのつまり殺し殺されの関係のくせに「弱者の盾」になるからと人殺しをし続ける。
ならば、強者なら良いのか?
満たされている奴に、生きる価値は無いか?
その通りだ。少なくとも英雄は弱者でないと、自身を際だたせるのに都合が悪い連中は、彼らは生きる価値がないと殺し尽くす。
私か? 私は無論、実利の為だ。
実に単純だろう。この「私」の「実利」になるのであれば、生きていても良い。邪魔するならば何者であれ、生きているだけで迷惑だ。
それが神でも仏でも悪魔でも、知るか。
邪魔をするなら殺すまでだ。尊さも偉さも私の前では等しく無力。そのような基準に興味はなく聞くつもりすらない。
だから、英雄を倒したいなら私を呼べ。
無論有料だ、金は貰う。人間に如何に迫害され涙を流したかを語られたところで、一円にもならない。故に「金」だ。それで殺してやる。
刃など必要ない。その信念をへし折る。
私からすれば、容易い作業だ。とはいえ戦争に巻き込まれた挙げ句、どこにいるのかも知らない英雄殺しをやるとは、流石に思わなかった。
私を何だと思っているんだ。
体の良い殺し屋? 作家だと言っているだろうが馬鹿め。あくまで私は「作家」であり、殺しはついででしかない。
そちらを期待されても困るのだがな。
容赦が無いのは確かだが、それは連中の命には興味が無いからだ。ゴミ掃除に感傷を挟む奴などおるまい。精々、愚痴を挟む程度だ。
だからこうして挟んでいる訳だ。
忌々しい限りだ。他に頼める奴がいないのか、最近は軒並み始末の依頼が私に回ってくる。他に殺し屋がいない訳ではないらしいが、平和の代償として適正がある輩がいないのも確かだ。
現に、ここの反乱軍は酷い。
まず、理想が先行し過ぎて軍律すらままならぬ状態だ。本来、軍隊を形成するなら、必要なのは一に「金」二に「軍律」三に「食料」と言っても過言ではない。一は言うまでもないが、どれだけ戦力を増強したところで暴走しては意味がない。そして、食料が無ければ奪うか、焼き畑作戦でも使われればそれで終いだ。
軍律さえ整っていれば、ある程度は耐えられる・・・・・・無論「ある程度」でしかない。個人的には食料を優先したいくらいだ。
だが、それは出来ない。何故か?
簡単だ。英雄は「大勢の人間に理想を示す」という特性を持つ者であって、大勢の人間を率いる能力がある訳ではないからだ。現に、昔の神話を見れば軍律を整え人を率いた、人望ではなく利に適ったやり方で戦った奴など、一人もいない。
大きな力を持ち、故に理解しない。
する機会すら、無かったのだ。
ある程度の先述は練れる。だが「戦略」の方を練れない。戦いには勝利しても、それだけだ。
人の犠牲を容認せず、理想を唱い戦う。
そんなやり方で戦争に勝てれば苦労しないと、まあそういう事だ。小規模な戦いに逆転勝利したところで、兵糧不足で養えずに死ぬ。
あるいは、勝利が当人だけに集約され、肝心の民衆には恩恵が無い。華々しい武勇伝を語られる外では、民衆の飢えと嘆きが両立する。
いや、両立せざるを得まい・・・・・・・・・・・・それを私のような奴に心配される時点でお察しだろう。英雄など、ロクなものではあるまい。
ともすると、作家より酷いかもしれない。
精神を殺すか肉体を殺すかの違いだが、しかし自覚が無い奴等よりはマシだろう。少なくとも、私は連中のように成り果てるのは、御免だ。
そのような「暇」は無い。
所詮、恵まれた奴の発想だしな。
理想なんぞ、追い求めるだけ時間の無駄極まりない。そんな物を追いかけられる程、暇と余力を持て余したからこその「結末」と言える。
でなければ、実利を見ざるを得まい。
世の中、そういうものだ。
そういう世界を、生きるしかない。
実に面倒臭いが、どれだけ力があろうが出来る事は限られている。本当に嫌だが、やるしかないという消去法だけは確かだ。
私に出来る事は、本当に僅かだ。
少しは選択肢が欲しいものだ。どれだけ暗闇を進んだところで、利益が得られるかはわからない・・・・・・いや、むしろ得られない前提で進む。
暗闇とは本来、そういうものだ。
希望がある時点で、履き違えている。
そんなものは仮初めの暗闇に過ぎない。希望があるという前提の上に成り立つ、窮地を楽しめる遊戯施設に等しい汚物だ。
あるいは、そう言いながら能力に頼る。
怪物連中には、これが非常に多い。人間は云々と語る割には、その連中に対して対抗策も練らず自前の能力に頼り切り、己の脳で考えもしない。 それで、よくもまあ文句を言えるものだ。
他にやることはないのか?
そうかもしれない。少なくとも私は、怪物共が仕事をしている姿を見た事がない。人間も最近は仕事をしないので、私からすればご同類だ。
やれやれ、参った。これで仕事を成立させる、というのが無理な話だ。誰も彼も、仕事が何かを知らないのだからな。
どうしろというのだ、全く。
本当に迷惑な奴等だ。
戦争も仕事も同じだ。戦争は男女間の諍いだの権力者の痴情のもつれで起こされたりする。だが仕事は仕事をしないクズ共の為に阻害される。
もう、仕事が何なのか知る奴は、いない。
少なくとも編集者にはいないようだ。なので、私がやれる事は「生き方」として作家を貫くことだけであり、正直私自身にさえ関係ない噺だ。
何せ、金にならないのだからな。
無駄は無駄だ。過程に何を思おうがそんなのはただの過程でしかない。何にもならないし実利になる筈もあるまい。ただの「無為」だ。
あるいは「徒労」と呼ぶべきか。
誰も真剣に仕事をしない世界では、仕事をする行いそのものが「無駄」となる。当たり前だが、仕事は仕事をする相手にこそ有効だ。
誰も彼もが、遊び惚け働かない世界。
惰性の金儲け、労働による隷属、それらを幸運にも握る側に回れた自称「成功者」達の努力譚。 その程度の世界なのだ。故に、意義は無い。
物語など、既に滅んでいる。
そういう意味では、私は生きる機会など無く、いってしまえば「余生」に近いのかもしれない。何せ進む意義が無いのだ。意義が無い道に嫌々、生き方の為に合わせているだけ。そして世界には仕事を受け入れる余地は無く、当人自身の意志や行動など関係なく終わる世界。
まさに週末と呼ぶに、相応しい出来た。
当然「不出来な」という意味でだがな。
嫌な噺だ。仕事が無為とは世界が価値の全てを否定するという意味だ。世界の出来などどうでもいいが、これは流石に迷惑極まる。
まあいい。私には関係の無い噺だ。
少なくとも、私の意志や行動は何の成果も出せないのは理解した。何せ、私がやっている事ではないのだ。私に変えられる筈がない。
クズ共に既に、終わらせられている噺だ。
まあ、読者が勝手に終わっているのであれば、私自身さえ最早「どうでも」いい。当たり前だ、私は貴様等の保護者ではない。
価値を捨てるなら、勝手に死ね。
私に迷惑をかけているのが、問題なのだ。
どうだろう。生き方である以上筆は折れないが・・・・・・・・・・・・・・・・・・それもやはり、関係ない。
何も無い惑星で幾ら書こうが、同じ事だ。
そう考えると、笑える。誰一人真剣に生きない世界で、最悪たる私だけが真剣に「生きて」いるのだからな。どうも、今の人間にあるのはただの「名残」だけらしい。語るまでも無いが、世界は本来、その程度だ。
何せ、人間の愚かさを許容するくらいだからな・・・・・・世界に期待するなど、どうかしている。
頭が正常なら、世界に価値は無いと気付く。
所詮全ては運不運。そこに意義を見出そうと、自分達の成果が「偶然」の産物ではないと、そう言い張りたがっているだけだ。無論、それで迷惑をかけられるのは、たまったものではないがな。 それを解する脳も、連中にはあるまい・・・・・・・・・・・・やれやれ、参った。本当に迷惑な噺だ。
やはり、読者に価値など無いな。
タダで読みたがり、文句を言うだけの連中だ。物語を普及させたいなら、読者への綺麗事なんぞよりも読者を一人残さず殺すべきだ。
読者は、いるだけで作者の為にならない。
だから騙して、読者の為の現実逃避を促せる、麻薬のような作品が売れる訳だ。いやこの場合、「今の読者」は既に判断能力の欠けた猿なのだ。考える知性のある読者が絶滅した、というべきか・・・・・・・・・・・・いずれにしろ、役には立つまい。
ゴミには期待するな、これは持論だ。
綺麗事で誤魔化して任せると、惨劇しか絶対に生まない。世界に絶対はある。クズの愚かさだ。 善良だと言い張る、ゴミ共の底の浅さだ。
なので人間が死んでいく様は、むしろ見ていて胸がすくようだった。いいぞ、どんどん殺して、どんどん数を減らせ。そうすれば愚かな読者共が減り、少しは考える脳が育まれるかもしれん。
無理ならどのみち価値はあるまい。
死なれても、私には損どころか、得だけだ。
いっそ戦争をさせられれば良いのだがな。数を減らし読者を淘汰すれば、今のような惨状は無くなる。そのような駄作共は読むまい。
何とかもっと、人が死なないものか。
いっそ五十人規模でもと思ったが、しかしそれでは貨幣経済が成り立たない。数千人程度の数は必要かもしれない。
逆に言えば、利益さえあればどうでもいい。 第一、私が人間に助けられた事など一度としてない。どころか、人間に関わる度に身勝手な法に縛られ、迷惑ばかりかけられてきた。
死んだ方が、清々するというものだ。
少なくとも「得」をした事は、無い。彼らは、こちらの為だと言い張り己の都合を押しつける。それだけで自己満足に浸り、金を要求する。
感謝しようがあるまい。邪魔なだけだ。
文化は悪くないが、人間は必要ない。なので、文化を精製する装置として生きていれば良い。 だから人間そのものには、何の興味も無いし、何人死のうが構わない。第一、既にこの平和だのという妄言に犯された世界に、傑物などいまい。 いるのは人間の残り滓と、非人間だけだ。
その非人間も、最早私だけ、のようだがな。
まあ、それも今住んでいる国が駄目なだけかもしれないので、国を捨てる決断をするか。今いる国は建前だけで国政を何もせず、税金だけ集めて政治ごっこで遊ぶだけの国だからな。既に滅んでいると言っても差し支えない程度の低さだ。
駄目な国には住むな、ということか。
見込みの無い国に愛着など必要ない。さっさと捨てればいい。案外、足りなかったのはそれかもしれない。一つの国に拘ってはならないのだ。
駄目な物は、人でも、組織でも、国でも捨てる・・・・・・・・・・・・考えてみれば、当たり前の事だ。
役立たずは、何をやらせても無駄だからな。 期待をかけるだけ酷だろう。
そういう意味ではここの奴等も、さっさと国を捨てればいい。政府を打ち倒したところで根本が腐っているなら、さっさと捨てるべきだ。
無駄は無駄。やるだけ無駄でしかない。
この惑星の事は調べ上げたが、幾度内乱を繰り返そうとも改善した試しはない。いや、そもそも民衆の蜂起で世界が変わる事など無い。
偶々、力を持つ奴がどう出るか、それだけだ。 政府を打ち倒したところで、先がない。政府の行い全てを反乱軍が代行するとして、しかし権力を持てば暴走するのも人間だ。権力に興味の無い英雄当人が統治したとしても、その英雄が死した後には、何一つ残るものはない。
依然と同じ、力ある政府が残るだけだ。
人間の意志は継続しない。するのは惰性の組織だけであって、意志そのものは伝わらないのだ。そんな便利な機能が人間にあるなら、現代の本はもう少しマシになっている。
だが現実にはゴミの山だ。馬鹿馬鹿しい。
この辺りは火星からの移民も多く来ているが、それに対する差別意識も強い。表向きは結束しているつもりらしいが、実状はお察しだ。
劣等感、というものかもしれない。優秀な奴に脅威を覚える。あるいは、自身より「下」に見ることで優越感ではなく「安心感」を得る。
己は優れている、大丈夫だとな。
私の場合、心配なのはそういう連中を雇う金があるかどうかだ。良くも悪くも私は私の利益しか見ていない。個々人の出身など知るか。
無論、私にとっては得しかないから己の利益を見ているのだ。それによる損失は全て私ではない誰かにおっかぶせるので、何も問題はない。
いっそ、付け入ることで儲けたいものだ。
出来れば、だがな。
「ここが広間だよ。後は自分で探検してみるなりするといい」
私を案内した男はそう言って、私を彼らの基地内部で置き去りにした・・・・・・雑なサービスだ。 まあいい。これも取材の一環だ。
未知の施設を探るというのも作品のネタになるだろうしな。私は反乱軍の内部に取材を申し込みここまで来たが、あったのは先述の通りの粗雑な案内と、簡易な施設に関する説明だけだった。
どうやら、廃棄された軍事施設を再利用しようとしているらしい。正直、すぐに足が付きそうなやり口なので、即座に逃げようと思ったくらいだ・・・・・・当たり前だが、過去使われていたなら現在情報が残るのも自明の理だ。それだけ反乱軍には余裕が無い、のかもしれない。ゲリラ戦法とは、そういうものだ・・・・・・その点は、近代の駄作共に似ている。
無駄が多い、という点が特にな!
演出を盛り上げる為に、ゴミ以下の登場人物に無駄な行動を取らせ、見栄や規範への依存などで敵対者の進入を許す。結果、苦労するのはいつも「真面目な」悪人だ。そのくせ、役立たずのクズこそが「正しさ」を唄い「安全」に逃げる。
彼らにとっては「作戦」なのだ。
戦争ではなく、遊び。だから真剣ではない。 真剣に取り組まずとも「正しい行動」だから、事態の方から「解決するべき」だと思い込む。
無駄に使いもしない力があり、そのくせ臆病。けれど態度だけは大きく、己には「圧倒的な力」があると思い込んでおり、己の傲慢は「正義」であると言い張る。そう信じているし、けれども、器が小さすぎて何も成し得ない。
小さな小さな箱庭を守るだけだ。
だから、御しきれると思い込んだ暴力に手首を噛まれ、ちっぽけな万能感は無に返る。そして、結果やるのは事態をかき乱すだけ。
一方で、綺麗事を信じる。
現実逃避を繰り返し、理想を追って現実逃避に夢中になり、意地をはるだけで向き合いもしない・・・・・・・・・・・・その度に悪党が無為に死ぬ。
毎回、迷惑ばかりをかけられる。
・・・・・・うんざりだ。
毎回つまらないカス共のその場凌ぎの都合で、振り回され足を引っ張られ「感謝しろ」と暴力で押しつけ、指摘すれば逆ギレだ。
そんなゴミが、力を持つ。
英雄も、また然り。現実を見ないクズの見本でしかあるまい。所詮は力ありきでしか成し得ない連中だ。そんな蒙昧に価値は無い。
全てが逃避のクズ。その中で生きてきた。
不思議な事に、人間は「現実逃避」こそ社会の規範だと言い張る。現実逃避をしなければ異端であり、正常な人間は現実を見ない人間だ。
良い人間は、現実の辛さを見てはならない。
見れば、我慢が出来なくなる。労働とは奴隷の別名であり、資本主義社会において、人間は全て「奴隷になる為」にのみ生まれてくる。最初から仕分けされ生まれてくる中で、奴隷以外の在り方を選べるか否かは、金の多寡のみで決まる。
教育という名の洗脳。
未来という名の虚飾。
希望という名の規範。
全て、全てが「立派な奴隷」に育つ為、親から子へ、子から孫へと伝承される「奴隷保菌」だ。彼らは極々一部のクズ共を肥やす為に人生を捧げ否定する者は「異常者」となる。
考えてもみろ、必死に頑張れば幸せになれる。賢明に会社に尽くせば報われる。正しい社会規範に沿ってさえいれば、国が守ってくれる。
で、それが実現した試しがあったか?
いや言わなくていい。無い。どのような歴史を漁っても、国が責務を果たした事は無く、権力は振り回してヘタを押しつける為にあり、努力など理不尽を知らないカス共の妄言だ。
努力すれば成功するだと?
その理屈で言えば、私はとっくに全人類を奴隷にしているな。それだけは間違いない。何であれ努力は必要だが、事の成否とは一切関係ない。
他でもない「私」が言うんだ、間違いない。
その程度で成し遂げられれば苦労はない。そも努力「しか」してこなかったから、人間の世界はこうも醜いままなのだ。
まさか、綺麗な部分があるとでも?
ゲームの画面とか、猫の肉球とかならそうかもしれない。
だが、それは人間社会ではあるまい。
故にこそ、神を信じながら殺し合う人間共には理解に苦しむ。そんなものがあったとして、まず間違いなく奴等は助けなどしない。
こんなに必死な悪党を見捨てる奴等だぞ!
ここまで手を尽くし策を弄し善を否定し世界に挑み続ける悪党を、支援するどころかそいつらを支援して邪魔する奴等だ。役に立つものか。
天でも神でも仏でもいいが、同じだ。
駄目な奴には何をやらせても「無駄」だからな・・・・・・役立たずにかける温情など無い。
強いて言えば、善人の味方だ。
つまり、勝ち馬に乗るだけだ。善とは要するに「余裕故の妄想」であり、恵まれすぎて現実など見る必要すら無い奴等の台詞だ。この世界に善があり、悪は正すなどと・・・・・・大した夢想家だ。
そんなだから、取りこぼすというのにな。
何にしろ言えるのは、天にしろ神にしろ仏でも何でも同じだ。「悪の味方はしない」というのが彼らに共通する部分だろう。
つまり、真摯に生きるなら頼るだけ無駄だ。
真摯に生きない、家畜の豚のようにだらしなく恵まれた「何か」に縋る依存者をこそ、それらは助ける存在だからだ。恐らく、彼らの信者が増えれば増える程力を増すので、依存者の方が都合が良い、という合理的判断かもしれない。
少なくとも、見た事も聞いた事も無い。
真摯な悪党を、善に逃避せずせっせと働いて、見返りのアテも無いのに未来へ挑む悪を助ける、そんな概念は聞いた事もない・・・・・・誰も彼もが、現実逃避に必死だからだ。
努力すれば報われるし、頑張れば何か偉そうな何かが見ていてくれて助けをくれると、そうして辛い現実から目を背けないとやってられない。
実際には、ただの運不運だ。乱数が全てだ。
たまたま、それに恵まれたかどうか、それだけでしかない。才能などその最たる物ではないか。まさか、前世で偉業を成したとでも?
馬鹿馬鹿しい。そんな訳があるまい。才能など水物だが、それでもあるだけで便利だ。そして、才能があれば真剣に生きる必要すらない。
結果、真剣に生きない奴こそ、勝利する。
その結果が今の社会だ。多かれ少なかれ持って生まれた何かに頼る奴に、糾弾する資格は無い。だが、あったところで無力なら無意味だ。
だから、人間社会は変わらない。
それに全力を費やしているからだ。
結局の所、人間は「進歩」を望まない生物だと言えるだろう。彼らは「科学の発展」だの平和的話し合いだので「成長」した気になっているが、そういう気分になっているだけだ。
それらは所詮、環境の変化でしかあるまい。
人間そのものとは、何の関係も無い噺だ。
連中の人間賛歌は、とどのつまり「現実逃避」として人間から目を逸らした結果だ。だからこそそれらを「反転」させれば答えは出る。
未来など、誰も見ていない。
希望など、誰も期待しない。
平和など、所詮使い捨てだ。
それが「真実」だ。真実とは耳に痛い物と人は言うが、ならば耳を切り落としてでも聞いておけ・・・・・・・・・・・・人間は、大した生き物ではない。
まずは、そこからだ。
でなければ「人間」を語る資格など、無い。
人間を見ない奴が、人間を語るからややこしくなるのだ。見る気がないならゲームでもしてろ。 最近のは凄いぞ。人間が要らないくらいだ。
実際、要らないとは思う。自我を持った連中が人間以上の感受性を抱き、一方で恒星の光がどうのこうのと話し出して、しかし悲しいかな最終的に銃で撃たれて死ぬ。それが出来るなら人間など必要あるまい。
いや、恒星では無かったか?
まあいい。些細な事だ。アンドロイドが最後に何を見たかなど、私には関係ない。
それが金になるのか?
ならない。故に些末事だ。
肝心なのは今回巻き込まれた戦争に勝った上で己の利益を守る事であり、正義ならぬ悪の味方である私にとって「過程」なぞどうでも良い。
なので私は、必死こいて戦ってる横で悪行三昧の勝利を掴む事にした。具体的に言うと、まずは敵側の指揮官を調べ上げ、恋人を拉致した。
面倒なので省略するとだ。悲鳴をあげる恋人の動画を見せつけ、指揮官からドローン指揮に必要不可欠なコードを入手。その後指揮官の首をはね生体認証をクリア。まあ散々殺してきたのだから首一つで利用されるくらい安いだろう。
むしろ、感謝されたいくらいだ。
痛みは一瞬だったろうからな。
さて、機械は素直に、敵を殺す。例えそれが、かつての持ち主でも関係ない。それがドローンだ・・・・・・便利だが、不便なものだ。
報復されても面倒なので、指揮官の見たくない裏側を恋人には暴露した。具体的に言うと、戦場での人身売買、反乱軍を家畜として扱う姿の映記録、。臓器培養用の実験体確保などだ。
恋人は失禁し精神がやられたが、構うまい。
第一、彼らには嘆く権利などあるまいよ。この「戦争」という暴力を肯定出来る環境をおけば、人間は怪物を遙かに越える。それもあっさりと、朝にパンを焼くくらいの気持ちで、簡単に。
逆らったから、命令されたから、殺す。
そうやって首をはね女を犯し土地を奪い民衆を利用し己を正当化した。罪科で言えばこれ以上はそうはあるまい。数だけで言えば、だが。
だからそのような手を打っても構うまい?
ドローンを動かしても兵隊を動かしても本質は同じ、「安全圏」からの侵略だ。
大勢を殺しながら、その実感は一切無い。
だから、自分に刃が来ると酷く動揺する。
なので、私はまず敵ドローン部隊の調査を人工知能の下僕に命令した。今の戦争は機械便りだ。まして、指揮官はもう堕ちている。
どの戦争も同じだ。指揮官次第でしかない。 物量で覆せるのも戦争だが、その物量を簡単に操れるようにしたのが不味かった。現場任せで、だからこそ融通が効かない。
そこを私が利用する訳だ。
後で売れば、儲かるしな。
そうでなくても「人間」が弱いのだ。指揮系統も血筋重視で無茶苦茶。であれば、向こうが物量ならこちらは裏技を使えばいい。
国家権力ほど汚職が広まる場所は無い。
悪党からすればやりたい放題のカモだ。
何せ、魔女狩り気分だからな。科学は発展して戦争は複雑化したように見えるが、発展と反対に思想は同じだ。生死を賭けて戦う奴はいない。
国境線での衝突が、それを証明した。私が捕獲したドローン任せではあるが大勝を収めたのだ。だが、具体的な勝利の矛先が見えて彼らがやった事と言えば、ただでさえ少ない資源の奪い合い。 それだけだ。身内同士、争うだけ。
英雄の元に「表面だけ」団結した集団。それが今回の取材対象と言えよう。彼らは独自の宗教観を持ち信仰しているらしいが、神の名の元に殺す侵略者達と、神の名の元に反逆する身勝手な民衆には違いなど無い。
どちらも、自身の都合だ。
弱者を救う為か? しかしだ。そも「救う」という発想が対等ではない。数で捉え大勢の為殺すなどと、「昆虫を見る子供」の発想に等しい。
砂場を荒らして殺して満足する。
その点では、さして変わるまい。
救世主も正義の味方も同じ、身勝手な殺戮者に過ぎない。それを理解しようとはしないし、理解したくもないのだろう。
要は、了見が狭いから悪性を許容できないのだ・・・・・・自分達がやっていることは「正義」でありそうでなくてはならない。その下らない強迫観念に動かされているのは、侵略する側も反逆する側ですら、何一つ変わらない。
許容できない悪性は排斥して殺す。それが人間というものだ。人間らしく生きた試しのない私にそれが理解出来るというのは皮肉な噺ではないか・・・・・・・・・・・・まあ、奴等の方が楽なのは確かだ。 苦労など、真実の直視など、何にもならない。 他でもない「私」が言うのだ間違いない。
文字通り、金になった試しがないからな!
連中は自分好みに他者を作り替えたいだけだが金はある。大した苦労をせずとも、運に恵まれているだけで「勝利者」となるのが現実だ。
演出に凝るだけで金を得る奴等は非常に多い。だが、それらが何を生み出すかと言えばまさしく「無い方がマシ」な内容だ。金の使い方に高級車が思いつくような連中は、大体これだ。要するに考える頭が足りない病とも言える。
絶対の指針があると勘違いした、狂信者。
成功者など、所詮その程度だ。第一、何を以て「成功」なのか分からない奴が「勝利の法則」を説きたがるのは、子供の背伸びでしかあるまい。 一度でも理不尽を知れば分かりそうなものだ。
確かな明日など、どこにもないとな。
事実、そうだった。希望とは見せかけた罠だ。良い事など何も無いし、絶望だけが人生だ。欺瞞こそが世界であり、運だけが力になる。
積み重ね、培った何かだと?
馬鹿馬鹿しい。そんな物が役立つ事など、無い・・・・・・実際にやった私が言うのだ、間違いない。 文字通り「ゴミ」だ。
幸運の前には、遙かに劣る。
事実、そういう勝利者が横を素通りする様を、嫌という程見てきたからな。勝利に信念や努力で何とかなると言い出すのは、大抵そういう苦労を知らない奴だ。あるいは、知りたくないからか。 何にしろ、ただ運が良いだけだ。
それを認めたがらない。己の信念と努力が形となって報われた、と思い込む。大した回り道すらしていない奴等が、世の裏側と苦労を語る。
そんなものだ。
まあ、だからこそ戦場では死ぬのだろう。理想で救えるのは脳内だけだ。英雄というのはとかく分かり易く、その幸運の体現者と言える。
だから、運が尽きれば、すぐに死ぬ。
何とも簡単な理屈だ。分かり易いだろう?
我ながら、教鞭にも向いているのかもしれない・・・・・・そうだな、まず義務教育は廃止だ。最低限数学と読書が出来ればそれでいい。
進歩したフリ、それが人間の歴史だ。
であれば、無理して学ばせても時間の無駄だ。むしろ、今の洗脳教育ではなく国家の否定、富の重要性、生け贄の大切さを説くべきだろう。
関係ない奴をくべれば、金になる。
その場合、迷わず使うべきだ。いや、使わねばならない。大抵生け贄は役に立たない気もするがそれで儲かるならしなければならない。
それは「義務」だ。
それこそが生命の責務だ。それを怠ったから、今の腐臭漂う社会がある。なればこそ、率先して殺さねばならない。奪わねばなるまい。
人間は多い。絶滅はしない。
何なら、殺した数だけ賞賛されるべきとさえ、私は考える。そも話し合ったから何なのだ?
それで解決するなら、私は億万長者だ。
読者に読み解き、理解して実践する能力があるなら、私の物語は売るまでもない。勝手に広がり売れていて然るべきだ。
それが答えだ。
役に立たない奴等だな、全く。
まあ元より期待はしていないから、安心しろ。考える脳味噌のないゴミに、何かを期待するなど酷でしかあるまい。
そういう意味では「本を売る」という考えが、そも違うのだ。読者が何を思おうが、その意志を無視してでも「買わせる」のが正解か。
どうせ考える脳味噌が無いのだ。集団洗脳での操作しかあるまい。事実、売れている作品など、メディア操作によるものばかりだ。
でなければ、数年で忘れられるか?
有り得ない相談だ。何年立とうと、名作であれ鬼作であれ、忘れはしない。第一、記憶に残らぬ物語なんぞ、ただの消費娯楽だろう。
飴やガムと同じだ。物語ではあるまい。
なので、既に物語を扱う業界は崩壊している。滅んだ世界で一人戦うなど、嫌な噺だ。私に得は無いし、やるだけ無駄、ただの徒労だ。
正直、時間の無駄とさえ思う。
事実、こちらが何をしようと、こちらの意志や行動は結果に関与しないのだ。これが「無駄」でなくて何なのだ?
だから、この戦争も「無駄」に終わる。
英雄は世界を救えない。何故か? 簡単な噺、英雄は殺戮で物事を強制するだけであって、未来永劫続く思想など持ち得ない。
要するに、死ねば終わり。
それだけの噺だ。価値は無い。
そんな英雄と話をするというのは虫酸が走るがやるしかあるまい。ついでにその思想をへし折り降伏宣言でも出させるか。
その程度の価値で、その程度の存在だ。
英雄など、そんなものだ。
そんな世界を、生きるしかない。
無論、私は嫌だがな。押しつけられるから嫌々しているだけだ。執筆とて、半ば私は強制されるだけであって、私の意志ですらない。
無駄だから嫌だ、程度の感想だ。
だが、ここの連中、というより「普通の人間」とやらにはそうではないらしい。普通の人間とは言ったが、別に人間で無くとも同じだ。
怪物の方が、むしろ情は深いしな。
彼らは、「心」に思い悩む。
ある意味、羨ましい噺だ。心なんぞ省みる暇も無いし、省みた事もない私からすれば、そんな、どうでもいい事で悩めるとはな。
金の心配は無い。
未来の心配も無い。
仕事の心配も無い。
それでも、心の悩みがあるから不幸だと連中は口にする。人間を何人も殺しておきながらそれを自覚せず、いざ「自分の責任」だと言われそうな環境に身を置かれれば、それが兵隊でも警察でももっともらしく被害者面だ。
兵隊となると顕著らしく、私が今いる反乱軍の拠点ではセラピストが大人気だった。心の悩み、その有り様を「健常に」する為らしい。
だが、そんな連中は残らず死ねば良い。
精神のケアが必要という時点で、己だけで責任を取れない証拠だ。いや、己の責任と向き合わず逃げているからこそ、誰かに慰めて貰いたがる。 下らん。さっさと死ね。
何ならセラピストに「事故」にあって貰おうかとさえ思ったが、一応自重した。まあ、明日には違うかもしれないので、保証はしない。
別にどうでもいいしな。
大体、戦場に向かいそれで金を貰いながら自責の念とは笑わせる。罪悪感だと? 下らないにも程がある。すまなさそうにして、己は悪くないと我が身可愛さが先立つだけだ。実際には彼らは、罪悪感どころか罪悪とさえ思っていない。
上の命令だから仕方ない、とか。
大体それで説明できる。彼らの心理は浅はかで分かり易い。なので兵隊の壊れる様を見ていてもあまり参考にはならなかった。なので、面倒だがそのセラピストに話しかけてみたが
「人に悩みはつきものです。それを少しでも癒しお役に立てればと思っております」
などと言われたので、私は
「悩みを打ち明けたいなら懺悔室にでも行け」
と切り出し、
「他人の悩みなぞ解決出来る筈がない。奴等は、単に貴様の戯れ言に乗っかって「許された気分」になっているだけだ。その口から吐き出される、汚物より臭い綺麗事で奴等が受け入れたい身勝手極まる妄想を形にしているに過ぎん」
と言い返したら奇人を見るような目で見られた・・・・・・その意趣返しという訳ではないが、聖人を気取る変な女に牛耳られている兵士達の救われたと言わんばかりの姿が非常に「気持ち悪かった」ので、私はその女が丁寧に治した後に丁寧に壊す事に執心した。
心が無いのに執心とは変な例えだが、しかし、そう言い換えても良いくらいに丁寧にしてやった・・・・・・・・・・・・実に痛快だったぞ。
一人一人、丁寧にした。
救われたという感じで部屋へと帰る肩を掴み、そいつ等が殺した兵士(かどうかは厳密には調べられなかったが、まあ十分だ)にどういう家族がいて残された遺族の涙の動画を我が家の人工知能に頼んで撮らせ、
「いやぁ可哀想に。お前等が手足を吹っ飛ばし、八つ裂きにして焼いたおかげで遺体すら残された遺族には残らんそうだ」
と延々と事実を見据えさせた。
泣いて喜んでくれたぞ。目は死んでいたが。
我ながら素晴らしい人工知能の活用法だ。今は人工知能は企業サーバーの運用にばかり使われているが、情報収集こそ本領と言える。
だからこうした訳だ。分かり易いだろう?
そのセラピストに、何故こんな事をするのかと責められた事があるが、私が
「人間を壊すのは楽しいだろう? だからだ」
と答えるとドン引きされてしまった。いやはや価値観が古いのかもしれない。これだから古代の人種には困る。発想が堅過ぎる。
何度でも治して、壊せるんだぞ?
リサイクルという奴だ。やる気を出して労働に勤しませ、壊れたら修理する。言葉にすればこれほど賞賛される行いもあるまい。
まあ、単に「贅肉だらけで臭い女だ」と最初に口に出してしまったのも理由かもしれない。何せ綺麗事ばかり口にするのだ。
臭いのなんの。おまけに魂が肥えている。
ロクな奴ではあるまい。真っ当なセラピストと唄っているらしいが、怪しいものだ。何にしろ、人間を壊すのは得意技なので、問題は無かった。多少、組織内の人間関係が荒れてきたが、それも平和などという幻想よりはマシだろう。
無論、バレないようにやった。
それでもバレるかもしれないが、だから何だ。指摘されたところで事実は事実。殺しを楽もうが罪悪に感じようが、殺しは殺しだ。
文句を言われる覚えは無い。
単に、セラピストが見たい幻想で希望を持たせ騙す詐欺師だとすれば、私は誠実に見たくもない現実を押し進めているだけだ。
例え泣き叫ぼうがな。
見ていて最高に笑えるぞ。
当たり前のように私は彼らの集団の中で嫌われ者になったが、考えてみれば人様から好かれた事などただの一度としてない。考えてみれば何一つ変わらない日常なので、気にはならなかった。
というか、人に好かれる悪党などいるのか?
その辺、怪物属性の奴らは甘える阿呆が多い。やれ人間がどうのこうのと口にするが、残念だがそんな奴はどこでも同じだ。種族に関係なくどの惑星でも除け者だった私が言うのだ、間違いない・・・・・・我ながら不思議だ。
普通有り得るのか? 出会う奴全てに嫌われるというのは、全ての人間に好かれるくらい難易度が高い気がする。だが、不思議な事にどこでも、何をしようと生憎と個人でも組織でも好かれる、という経験は私にはない。
もしや、先を行き過ぎているのかもしれんな。あまりにも生き方が先鋭過ぎてついて来れないというのも、有りそうな噺だ。
いや、本当に。
時代に置き去りにされたのではなく、むしろ、時代の方が追いついていないのだ。大体発展した文明だというなら、悪が栄えるのは当然だ。
全生命体の義務、と言っても良い。
それだけ、悪は肝要なのだ。
そういう意味ではせっせと無償でここの連中の為に働く私は聖者さながらの奉仕者だ。わざわざ頼まれもしないのに、人間に地獄を見せている。 罰から逃げる奴に、罰を。
理想に逃げる奴に、罰を。
正義で殺せる奴に、罰を。
いいものだ。私か? 悪を自認して生きれば、そこには罰など存在しない。第一、この世界には悪でない概念など存在しない。
全て「悪」だ。
正義も大儀も反逆も理想も、全て「悪の別名」でしかあるまい。それを無償で教えてやってるのだから、何なら金を貰ってもいいくらいだ。
無論大金だ、全て貰う。
足りないならば臓器を売れ。どうせ理想なんぞ流血でしか終わらないのだ。無駄に血肉を撒いて死ぬより、その血肉を有効活用して死ね。
これ以上嫌われようがないなら構わないだろうと、死にかけの兵士に堂々と語った結果、危うく私自身がソーセージになるところだった。どうも逆鱗に触れたらしいが、私からすればたかだか、無駄な死体になる前に有用な噺を提供しただけだ・・・・・・・・・・・・冗談の通じない奴らだ、全く。
常識というものが欠けているのだろう。何せ、彼らは政府に楯突く反乱組織だ。社会観念ならば彼らの方が異常だ。
無論、彼らは彼らが「正しい」らしい。
どうでもいいがな、そんな基準は。
そもそも、忘れかけていたが、私は彼らを助けに来た訳ではない。あくまで仕事ついでの労働、もとい作者取材の為だ。
その筈だ、確か。何にせよその英雄とやらも、殺せれば殺すが私の本業ではない。あくまで私は「邪道作家」であって、殺し屋ではない。
正直、疲れるし面倒だ。
私にとって英雄など、その程度の価値すら無い・・・・・・あるものか馬鹿馬鹿しい。とどのつまり、殺し方に色を覚える連中だ。
そのような現実逃避、鬱陶しいだけだ。大体、英雄なんぞがいるから物語に希望を求めるような阿呆丸出しの読者が増えたんじゃないのか?
迷惑な話だ、本当に。
生きているだけで邪魔だ。
文字通り、知ったことか。
戦争も平和も、結局は「飴で思考を支配する」か「戦いで生を感じさせる」かの違いでしかないのだから、同種の支配体制と言える。
何にしろ、支配する側が得をする。
その為の搾取構造に過ぎない。少なくとも今の戦争というのは「国家」などという何もしないでいる事がバレたくない屑共の自己満足だ。
政府が民衆を助けた事が、あったか?
無い。断言する、無い。政府とは政府を運営し甘い汁を啜れる立場の連中の私物であって、民の為に運営される事は絶対に無い。
民を思う為政者の、思うまま動かすだけだ。
そして、そのような民を思う気持ちが、民衆の側に即する訳があるまい。身勝手な自惚れでしかなく、民の為を思う自分の為にしかならない。 当たり前の事だ。
その程度も知らないまま人生を終えるというのだから、正直羨ましい。私もそんな、楽な人生を歩めれば徒労をしないで済んだのだがな。
嫌な噺だ。真剣な私が損をし、現実逃避ばかりしている連中が「得」をする。勝利を掴み栄光を手に入れ豊かな生活を享受する。
忌々しい限りだ。暇そうで。
人間を憎んでいればいいやと、被害者面で楽をする怪物も同じだ。どうしてこう、手抜きをせず仕事をする奴がいないのだろう?
素直に疑問だ。だが、答えは分かる。
何度も言う通り、この世界は運次第だ。そして勝利者というのは運が良いだけだった事実からは目を背けて生きてきた。
人間も怪物も、それを利用し続けた。
だから、後に残るのは残りカスだ。そのような現実に対して、そもそも彼らは目を向ける必要が無い。能力や立場で、幾らでも楽が出来る。
楽が出来れば、苦はいらない。当然だ。
自分から苦行を望むとか言い出す輩は、結局のところ「苦労をした事がない」から、そのような浅はか極まる発想が出ると言える。
実際には、ロクなものではない。
当たり前だ。無為に何年も何年も費やしても、結局は運が悪かったという理由だけで、終わる。そんな不毛極まる毎日で何が得られる?
何も、だ。事実、そうだった。
この物語が売れたとしても、それは今まで積み重ねてきたから、では断じて無い。もしそうならとうの昔に売れている。
積み重ねても積み重ねても、無駄だった。
文字通り、砂の山だ。何にもならなかった。
苦行が楽しい、などと口にする阿呆がいるならそいつは余程の愚か者だ。苦に楽は無い。ただ、ひたすらに徒労が続くだけだ。
その鬱陶しさ、分かるまいよ。
己から苦行を求めるなどと、世間知らずどころか知性の無い獣の如き阿呆には言語すら通じるか怪しいものだ。案外、通じないかもな。
椅子に座れるかさえ、怪しい。
ここまでの流れで上手く行き過ぎていると思う奴がいるかもしれないが、そうではない。単に、平和という幻想で誤魔化され続けてきた連中には強靱な精神など宿らないというだけだ。
例えば、こうだ。
ある指揮官が若手で、反乱軍の鎮圧を命じられたとする。だが、彼らは机に向かって勉強してはいたが、人を殺す経験も人を殺す覚悟も、まして人に殺されるかもしれない覚悟など無い。だから部下に命令するだけでも、あっさりと壊れる。
意味がわからないって?
簡単だ。どれだけ鎮圧の為の戦いでも、結局は部下に「死んでこい」と命じる内容は出てくる。だが、あろうことかそれに耐えられないのだ。
死ねと命じる、苦しみがわかるか! と叫び、被害者面で酒に溺れる始末だ。こういうのは親が上層部にいる二世に多い。見栄だけは一人前だが覚悟は勿論、実力も伴わない。そして、そういう崩しやすいところを狙った訳だ。
部下に命令するだけで沈むなどと、失笑ものだ・・・・・・苦しみがわかるか、だと? 貴様等は何も苦しんではいない。そのフリをしている。
それで「許されたい」と思っている。
何とも泣ける噺だ。そうじゃないか? 部下に死なせるような命令を下しながら、その命令した当人は「したくもない。命令する側の辛さも理解してくれ」と甘えるのだから、これでは死にゆく部下達は「無駄死に」というものだ。
泣ける噺じゃないか、愚か過ぎて。
上がそのような軍隊は、どれだけ科学技術だの命令系統だのを整えようが無駄だ。戦う意志すらない烏合の衆に、武器だけ持たせて何になる?
烏合の衆が、五月蠅い烏合の衆になるだけだ。 それ以上には、ならない。だから英雄依存者の集団である反乱軍ではいい勝負をするのが限界のようだったが、私がそれを立て直した訳だ。
具体的には、兵士を壊したりしてな。
何度でも戦える兵士は狂っていなければ戦いを継続出来ない。だから狂わせた。救世主気取りのセラピストの声が届かないくらいに、セラピストと敵兵士の違いがわからないくらいに単純極まる戦争思考を植え込み、破綻させてやった。
セラピストの女は「唖然」としていた。
いい気味だざまあみろ!
人を「救う」などと、私の目がある内はそんな汚行はさせない。全力で邪魔をして、救われない救いのない世界を自認させ、壊してやる。
それが「私」だ。
救いなど、ただの妄想だ。
そんな事より「仕事」をしろ、間抜けが。
生きている時点で何かを殺す以上、現実を直視するなら「真面目に生きていれば天国に行ける」というなら、それはつまり「真面目に殺し続けていれば幸せになれる」という事だ。犠牲なくして成果が欲しいなどと、そんな甘えを考える時点で恵まれた側の発想と言える。
要するに、苦難や理不尽を知らないだけだ。
であれば、それを私が教えてやるのだから感謝はあっても文句を言われる覚えもない。なので、この施設内では派手にやった。
敵兵の無惨な死体写真を見せたりな。
その程度で壊れるのだから、ここにいる連中は「英雄頼み」の屑でしかあるまい。煽られて行動している気になっているだけだ。そんなだから、英雄が死ねばあっさり自壊するだろうし、何より彼らには明確な指針などあるまい。
英雄様の言う通り。
それだけの有象無象だ。
とはいえ、遊んでばかりもいられない。暇ではないのだ。この調子では英雄から得られる情報も大した事無さそうだったが、一応な。
行きがけの駄賃、というやつだ。
それで戦争に荷担するのはどうかと思う阿呆もいるかもしれないが、むしろ、戦争の理由だけで言えば「金」「見栄」「差別」「権力」とかで、大体の説明が可能だ。
そんなものだ。別に、一大行事でもない。
その辺で、幾らでもある雑事にして些事。
人の命は地球より重いらしいが、だとすれば、地球の価値なんぞ紙よりも薄い。何せ人間よりも軽いのだから、重さが無いのも同然だ。
私か? 私は非人間にして作者だ。
読者なんぞと同じにするな。迷惑だ。
そして、読者がどこでも同じように、国なんぞどこも同じだ。麻薬があれば警察と癒着があり、税金が高くなればそれを悪用する輩がいる。
ここでもそうだった。具体的に言うと、反乱が起こる前は麻薬売買で農民(科学が幾ら進もうが底辺に恩恵が渡る事はない。まるで原始人の如き生活だった)の連中が生計を立てる為に麻薬栽培に手を出し、軍隊がここぞとばかりにそいつらを皆殺しにして憂さを晴らし、殺されない方法など警察と癒着するしか無い。だから警察は昼間から酒を飲み、その酒代を密売者が驕り「働いているフリ」をする為だけに、軽い荷物を摘発させる。 実際には、そういうものだ。
運良く要領良く動けるか否か、それだけが富を掴める唯一の方策らしい。私みたいに手抜きせず働くなど、やるだけ時間の無駄でしかない。
実際にやった「私」が言うんだ、間違いない。 はっきり言って、やりたくもない。
何せ無駄だからな。しかし、そういう美味しい汁を啜れるか否かは当人の意志や行動の推し量る事ではないので、私には関係のない噺だ。結局、何をしようが何を考えようが、美味しい立ち位置を確保出来る奴こそ「世界の実権」を握り出す。 なので正直、彼らの反乱も無駄だ。
そも麻薬に頼らなければ生活が出来ないような「国家」を名乗るだけの無法地帯で、どれだけの血を流そうが、誰も真剣には働くまい。
どちらが勝とうが、同じ事だ。
人の意志は受け継がれない。それが「現実」だ・・・・・・映画の中で脚色される妄想を信じたがる程今の人間は理解している。
本当は、そんなものは無いのだと。
だから、努力したら報われたとか信念があったから成し遂げたとか、しかもそれらを成し遂げる要素が「たまたま手に入った」という、幸運無しでは有り得ない物語を漁り出す訳だ。
それこそが、動かぬ証拠ではないか。現実には無いと思うからこそ、現実逃避の為に、そういう浅はかな妄想を求め出す。現実に生きる時点で、現実を生きない読者には無効とは、情けない噺だ・・・・・・少し、言い換えてやろう。
私の過程、物語に価値はあるかもしれない。
だが、この世界には価値が無い。現実を見据え戦う私の存在は、逃避し続け価値を否定し妄想に逃げる屑共にとっては悪夢そのもの。
物語を見せるだけの価値が、既に無いのだ。
だから、私の行いは「結果」無駄になる訳だ。何せ理解する脳味噌がない、いや、理解しようと前に進む精神が無いのだから、無意味だ。彼らが欲しいのは「麻薬」であって「現実」ではない。むしろ、夢心地で逃避し続けたまま人生を終えれば「幸福」ですらあるのだろう。
嫌な噺だ、全く。
そういう意味では、私は「人間」と会ったことなど一度としてない。彼らの言う「人間性」など誰も求めていないし、持ちたくもない。
あるのはただただ、逃避だけだ。
現実逃避をする屑の集団。人間という概念の、その残り滓でしかない。既に世界は終わっているのだから、売ろうとするのも滑稽だ。
正直、私は御免だ。
こうしている今も、無理矢理クズ共の下らない都合に付き合わされているだけで、私自身の意志や行動など、常に無視されてきた。だからこそ、不思議だ。何故その私がクズの都合を慮るべきだと自惚れる阿呆が多いのだろう?
何も考えてないのだろうな。
考えてそれなら、考えない方がマシだ。
正直無駄なので、どうでもいい。私の意志でも行動でも何でも、関係ないのは確かだ。ならば、考えてやるだけの価値がある訳ないだろう。
それくらい、理解出来ないものかね。
情けない奴等だ。だが、考えるのも飽きた。
疲れるだけで、どうせ何もしない。
それだけは確かだ。間違いない。
読者の無能と同じくらい、世界というのは何も機能しない。個々人の意志や行動など、ゴミだ。その程度で世界は動かない。
どころか、関心さえあるまい。
そういうものだ。無価値なゴミ、それが世界の正体であり、考えるだけ時間の無駄だ。それならその辺の奴を殺して強盗した方が有益だろう。
我ながら嫌な生き方だ。選んだとはいえゴミの都合に付き合わされるとはな。実際、時間の無駄でしかないから嫌だが、それも関係ない。
無能な読者のツケは、作者が払う。
役立たずが軍隊の足を引っ張るのと、同じだ。彼らはその場その場で適当に流されるだけなので「物語を選ぶ」知性など無い。
猿と同じだ。いや、猿よりは頭が悪いか
言われたままやる、機械の方が近いしな。
私は作家としての在り方を諦めたり、手抜きの駄作を作るつもりは無い。だが、それと同様に、私はもう、お前等の世界には興味がない。
何せ、ただのゴミだからな。
興味を持てというのが無理な噺だ。
この世もあの世も同じだ。とどのつまり、頭の足りないカスが大きな力を振るい、こちらに押しつけてくるに過ぎない。力の差が均等にならない以上、この世界に「対等な関係」など無い。
常に、力で押し通せる側だ。
少なくとも人間社会において、そうでない奴は見た試しが無い。阿呆丸出しの屁理屈でそれらの都合を押し通そうとする。
出来なければ逆ギレだ。
面白い事に、自身を「大人だ」「立派だ」と、そう思い込む奴に限ってそうだった。当然ながら「精神の成長」と「実利」は反比例する。
つまり、今の社会において利益や勝利を得れば得る程、当たり前だが「精神の成長」なんぞ必要なくなる訳だ。大体、精神を成長させるのは単に「敗北」や「失敗」があるからだ。
そしてこう思う。世界は理不尽であると。
つまり、成功や勝利を収める時点で、理不尽と向き合う必要がない。身体が天性の肉体であれば若くして老いを気にする事も無く、頭が冴えれば策を弄する必要すら無い。能力があれば法律など簡単に無視出来る。
とりあえず、それらの理不尽は知っている。
知りたくも無かったが、知るべきでない無駄な苦労は全て知り尽くした。悪の頂点であるということは、最も社会に相容れないからだ。
そして、最も持たざる者だった。
だから知っている。個人の意志や行動が如何に無力で意味が無いか、どれだけ策を弄そうが運の有る無しで左右され消え去る空しさもな。
無駄だ無駄。全て無駄。
それに、思えば名を残す偉人というのは、大抵「人間性の規範」から外れた者だ。ならば、今の人類は必要ない。
全て人間性を消し去ればいい。
かつて、そういう人間には「労働力」としての価値があった。だが今は機械が代理出来る時代だ・・・・・・・・・・・・まして、物語すら理解しない。
やはりどうでもいいな、この世界は。
既に滅んだ残骸だ。とはいえ私には運が無い。意志や行動で変わらないのだから、傍観者として眺める程度が丁度良いのかもしれない。
その程度だ。正直、考える価値は無い。
何にしろ言えるのは、「仕事」はやり遂げたという事だ。他は知らん。第一、代金すらまともに払えないカス共の意見など、至極どうでもいい。 それこそ「無駄」だ。
無駄といえば・・・・・・個人的にどうでもいいので忘れていたが、どうもここの連中は大企業の資源確保の犠牲になったと思っているらしい。
だが、こういう奴等はどこでも「同じ」だ。
例えば、侵略された原住民を何人も殺したなどと抜かす奴等は多いが、しかしその原住民がどの程度発展した科学の持ち主かというと、原始時代そのままなのだ。それでは淘汰されて当然だが、「強者」が「弱者」を蹂躙するのはよくない、という考えらしい。
しかしだ。そうでない人の歴史など、あるまい・・・・・・・・・・・・常に、発展が遅れた方が負けるのはただの「道理」だ。
自然の掟と言い換えても良い。
ここの連中も、同じだった。というのも産業が発展していないのだ。とどのつまり強盗だの略奪だの言葉に違いはあれど、要するに金が無いから連中から奪う。そこには大儀がある。それだけの屁理屈でしかない。
自前で何とかする気が、端から無いのだ。それでは寄生虫と変わらないが、崇高なる志とやらで彼らは殺戮も略奪も正当化出来る。
どちらが悪か? 無論、どちらも悪だ。
悪でない者など、世界には存在しない。
善悪二元論が最たる例だろう。そも己を悪だと思わないという発想が、既に他者を悪だと排して己の利を求める心そのものだ。
己が善であると、肯定されたい。
それが「我欲」でなくて何なのだ。己が善だと言い張る時点で既に「悪」だ。偉そうに裁きだと罪人を裁くのも、神が人間を見定めるのも、仏が人間を導くのも、全て悪でしかない。何故ならば「己の意志」というものが他者にとっては完全に相容れる物ではなく、だからこそすり合わせ時に排する事で「新しい物」が生まれる。
その過程には、必ず当人の都合がある。
人間を見定めるという発想が人間側からすれば勝手な考えでしかなく、かといって神に反するという行いがあれば、神の側からすれば悪だろう。 何事であれ、完全な善など妄想以下だ。
仏の道も同じだ。全てが悟りの道へと至るのが彼らの思想らしいが、ならばそれ以外の道は全て否定するという事にも繋がる。私であれば、例え世界の全てが手中に収まろうが御免だ。
大体、開いたから何だというのだ馬鹿馬鹿しい・・・・・・大層ご立派ですねと誉められたいのか?
第一、殺生を禁止とは何事だ!
生きる時点で、何かしらは殺している。それは単に逃げでしかない。それらと向き合いつつも、時には苦しみ時には喜ぶ。
それを無くして生だけ欲しい?
甘えるな。
世界は貴様等の保護者ではない。殺したくないなら生まれてくるな。殺戮が悪なら文明の恩恵を受ける資格は無い。
殺戮無くして、発展は無い。
それが人か物かの違いだ。何にしろ、殺さずに事を済ませるというなら、尚更殺す事を知らずに行うのは無理な相談だ。何故なら殺すか殺さずに済ませるかという選択肢は、まず殺せる腕あってこその解決策だからだ。
でなければ、己が殺されて終わりだ。
その程度、自前で考えつけ阿呆共が。
ある意味私は究極の「仕事人」だ。この場合は非人間なので呼び方がおかしいかもしれないが、とにかく私は仕事のみに向いている。
守るべき家庭と天秤に掛ける事も無い。
地位も名声も存在しない。第一、作家に立場があった時代などあるまい。死後どう呼ばれるか、生前どう扱われるか、それさえも些事だ。
仕事を成し遂げ、金を稼ぐ。
それだけだ。他は考えた事もない。
生きる事が殺す事であれば、ある意味私以上にそれを行える奴はいないだろう。それだけを見てその他は「省みない」のではなく「存在しない」のだから、これ以上進みようがあるまい。何せ、私にはあらゆる「人間性」が欠如している。
人間性とは即ち、仕事の真逆だ。
過程に囚われて投げ出すゴミ共の台詞だと言えよう。実際、仕事を成し遂げずそういう道ばかり優先してきたから、今の人類社会がある。
どれもこれも、下らぬ見せかけで決まる。
本当につまらない奴等だ。恥を知れというのも無理な噺か。それほどの知性があるとは思えないからな!
仕事をしないなら、潔く死ね。
生きる価値が無いのだから、当然だろう。
だが、当たり前のように心を搭載している輩はこういった考えに賛同しない。どころか、怪物と呼ばれる奴等でさえ、私が正真正銘の「化け物」であるという事実を認めたがらない。
当然だろう。私でもそうする。
私に「心」があればの噺だがな。とかく心とは悲しむべき時に悲しみを強要し、喜ぶべき時には喜びを強要する。要するに一種の宗教と言えなくもない。
所謂その「正しい教え」を強要する点では同じだろう。自分達が圧倒的に「正義」であり、反対意見など有り得ない。
故に、心が無ければそれだけで「悪」だ。
面倒臭い事この上ない。何故余計な手間暇、というか「他者に合わせる」などという拷問よりも酷い日常を送らねばならないのか。
どれだけ苦労していると思っている。
いや、言わなくていい。耳を傾けてやるだけの価値は無い。心なんぞで振り回される程度の事を「理不尽」とほざく奴等に共感するつもりはない・・・・・・問題はいつだって「金」だ。「仕事」こそ肝要であり、その他などどうとでもなる。
人間になりたければ、なればいいではないか。言っては何だが「私」ですら出来るのだ。つまりどれだけ才能が足りなかろうが、資金が不足していようが関係ない。何なら、役所で駄目なら金で買えばいい。
それこそ金の問題ではないのか?
世界に嫌われているだとか人間と愛し合えないだとか、そんな理由でよくもまあ「被害者面」が出来るものだ。
世界に嫌われる? 上等ではないか。
大体、この世界に嫌われるという事は有る意味真っ当な証だ・・・・・・それのどこがいけない?
人間と溝がある? ならば埋めろ。人間になりたいのであれば戸籍でも買え。過去に縛られたくないなら適当に忘れてしまえ。
無論、借りは忘れないがな。
特に金銭が絡む取引は忘れるな。私は今まで、そういう些末な人間関係もどきはすぐ忘れたが、金に関する事だけは忘れなかった。
私でも出来るのだ。誰でも出来る。
連絡先を交換しようと言われて自然に偽情報を掴ませる「私」ですら出来るのだ。脳細胞が無くても可能だろう。頭が悪い訳ではないが、しかし普遍的な事を認識せずとも出来る。
優先順位の違いだ。どうでもいいカスの命や、世の倫理道徳規範など私にはゴミだ。守れと強要されることはあれど、こちらの利にはならない。 ただの五月蠅い役立たずだ。
そんなゴミに敬意を払う姿は異様でしかない。まして、対等と見ていない相手に「平和」だの、「平等」だの、「自由」だのを語り出す。
気色悪い限りだ。
立場などあった試しの無い私には分からないが「立場」というものは人でも神でも仏でも、それそのものが「力」であると錯覚させる。実際には思い込みに過ぎなかろうが、問題は実体が伴うかではなく、それを押し通せる「暴力」があるかだ・・・・・・・・・・・・殺人鬼よりも質が悪い。
まして、それらに称えられる「英雄」ときた。絶対にロクな奴ではないが、これも仕事だと思うしかあるまい。正直嫌だが見るだけ見よう。
その点、刀はいい。女より確実に仕えてくれる・・・・・・いざとなれば、そういうことだ。英雄なぞ称えられる人間というだけに過ぎない。
称えられる事が正しい、と思い込む。
その病を「英雄」と呼ぶのかもしれない。逆に私はそれら全てと相反する在り方を貫いてきた。本来、それは人間が一生を賭けて他の全てを捨て成し遂げるものだ。私の場合、最初から捨て去るのではなく、世界に「在る」という前提すら知らないまま歩み続けてきた。
それで得をした事は無いがな。
実際、損な在り方だ。言っては何だが悪党ほど努力をし続ける存在もいない。悪の頂点であるということは、それだけ「積み重ね」があるということだ。無論、過程における積み重ねの無意味さ無力さを知るからこそ積み重ねる訳だが。
要するに、英雄など恵まれただけの豚だ。
与えられた、生まれ持った、何にしろ関係ない連中だ。この私の利益にはなりそうにない。
そんな「楽」をする暇は無かったからな。
無論、楽を出来るに越した事はない。はっきり言って若い頃にする苦労に価値など無い。大体、苦労したから何なのだ?
人間的成長か?
非人間の私に?
強いて言えば何も信じなくなるので、詐欺には引っかかり難くなる。しかし、詐欺に引っかかり奪われても問題ない豊かさと、詐欺に遭わずとも困窮するかでは考えるまでもあるまい。過程には何の意味も無いからだ。
文字通り時間の無駄だ。その過程あってこその作品だとほざく奴に言っておくが、それは実際に経験してないから出る台詞でしかない。
要するに、口先だけのクズの戯言だ。
第一、売れなければその過程もむだではないか・・・・・・遅れて売れても同じ事だ。苦労が無意味で無駄な労力を費やす羽目に遭いながら満足しろと言うに等しい「汚行」だ。支払いが遅れているのだから、何の弁解もしようもなく無駄な時間だ。それが、例え何億に化けようともな。
それまでの苦労は、消える訳ではあるまい。
支払いが引き延ばされたという事実もだ。利息すら払えていないに等しい。私の労力に利息付きで払うというなら、世界の全てを私に寄越せ。
木っ端微塵にしてやりたいところだがそれでは私にも迷惑がかかるので、そうだな、とりあえず世界を運営する側だと言い張っていた連中全てをリストラさせて貰うとしよう。
真っ当な運営でこれなら、無い方がマシだ。
謙虚な姿勢を取るなら考えてやってもいいが、ただ己の利権を叫ぶだけのゴミには刑罰の時間だ・・・・・・・・・・・・地獄よりも酷い目に遭って貰う。
能力を全て取り上げ、ホームレスにでもするというのも楽しそうだ。無論、財産も差し抑える。世界に翻弄される側として苦しむがいい!
私にとって「英雄」とはその程度だ。
なので欠片の敬意も無いが、あるフリをするのは簡単だ。人間社会とは不思議な事に、何も役に立たないゴミほど偉そうに権威を叫びたがる。 そして敬意を払えば「常識人」で、そうでない奴は「非常識人」となる。都合の良い奴隷だけが「真っ当な人間」としてカテゴリされる。
それを自認しない奴は、多いがな。
本当に迷惑な噺だ。少しは己を省みろ。
私に言われるのだから相当だぞ。
そういう連中は「拘り」を持たない。むしろ、率先して「捨てろ」と「命令」してくる。彼らはあたかもこちらを思いやっているかのようなフリをするが、当然だが自分の事しか見えていない。 でなければ、有り得ない相談だろう。
拘りを捨てる、ということは即ち「死ね」と、そう宣言しているも同じ事だ。そのくせ自分達の都合を聞けと「強要」した挙げ句、その意見だけ聞き入れれば良いと喚き出す。
意見を聞き入れない奴は異常者だとな。まあ、頭のおかしい奴ほど、そういう戯言を押しつけるものだ・・・・・・彼らには「知性」が無いからな。
論理を知らないくせに、知ったフリをする。
実際、相手の都合を考えず、己の噺しかしないくせに、どの口が「お前の為」だと言えるのだ。考える頭があれば、恥を知って自害する。
その程度の事すら、分からない。
そして、英雄とはそれらを暴力で肯定出来た、言わば「恵まれた人間」の究極系だ。誰一人何か世界を救う訳では無いが、救ったという自己満足か戦争の勝利で敵国を滅ぼし己の利益だけを救う存在と言えよう。
相容れる訳がない。私とは真逆の存在だ。
その点では怪物連中も同じだろう。別に無から有を生み出そうとした訳ではないし、そもそも、それらを考えつきもすまい。
必要が無ければ、発明は無いものだ。
金目当てで発明の部分「だけ」をやる愚か者はいるだろうが、それだけに過ぎない。例え根底に「多くの人々を満たしたい」という思いがあったところで、それは「多くの人々を満たしたい」という「己の欲望」に他ならない。
そこから目を背けているだけだ。現実逃避だけ繰り返していても「恵まれた何か」が有りすぎて成功できてしまった一例と言える。
楽な人生で、羨ましい噺だ。
たかだか一万の実験を繰り返せば、よの理不尽全てを知った気になれるとはな。数えるのを止め随分経った私からすれば、喜劇にさえ思える。
一日十回だとして、たかが三年だ。
幼児にさえ満たない。その程度の失敗だ。
要するに「過程」における失敗なぞ、何一つとして価値はない。軽く楽をしてそれら失敗もどきでも飾り立てて金になれば、それでいい。
殆ど運次第だが、人間の歴史とはそれだ。偶然が左右してはならない道理など、無い。むしろ、その才覚や仲間は運では無いとでも言うのか?
無論、私は無いぞ。あれば書いていない。
全て出来る編集者にでも任せて後はおさらばだ・・・・・・二度と執筆などしたくもない。色々あったが、運に恵まれ大儲け出来ました。
めでたし、めでたし。
どんな作品であれ、そういうものだ。過程など意味はない。売れたという実利にこそ価値があるのだ。断じて逆ではない。
それは私が、誰よりも知っている。
人類史史上、私以上に「失敗」と「敗北」を、こうも繰り返した奴はいないだろう。何せ成功を知らないのだ。全てにおいてそれしかない。
これでよく生きてきたものだ。
そんな在り方を「生きている」と呼ぶなら死人の方がマシだがな。実際、そういう奴は多いではないか。
己を費やす「何か」が無い。
情けない事に、金を儲けてやることといえば、精々クルーザーを乗り回す事かパーティを開いて薬物にハマるくらいだ。そして、行動の一つ一つが「費やす側」には邪魔になる。
鬱陶しい、と考えるのにも、疲れた。
嫌な噺だ。やはり過程なぞゴミだな。
その点、英雄共も同じだ。少し窮地に陥れば、すぐさま「仲間」だの「女」だのが慰め助け苦労を分かち合うような連中など反吐が出る。
私には、わからない。
倒れようが気絶しようが、私は常に一人で対処してきた。悪党は大抵単独犯だ。悪ぶりたいだけならともかく、真に悪であれば孤独になる。
集団を率いる将であれ、変わるまい。
そもそも社会に相容れないからこその「悪」だ・・・・・・そういう才覚があるならともかく、社会に認められ手を握り合うなど不可能だろう。
その「フリ」は出来る。大切であるかのように振る舞ったり、分かり易く言えば恵まれない子供とやらに金と食い物を恵んでやったりだ。しかしそれらもやはり同じで、何を感じる訳でもない。 むしろ、逆。何か私に尽くしてくれるなら利子として払っても良いが、実際には私に味方した奴など存在せず、少なくとも人間社会において味方という概念そのものが有り得ない。
久しく、考えすらしなかった。
味方。利益の有る無し以前に助けてくれる都合の良い駒をそう呼ぶらしい。不思議だ。言っては何だがエイリアンより非現実的だろう。何もせず助けだけは欲しい、などと。物乞いじゃあるまいし、現実には有り得ない相談だ。
神や仏でさえ、賽銭を求める。
要するに「金」だ。金とは「利益」を形にしたもので、どれだけ尊かろうが利益無しには指一つ動かさないという「事実」の現れだろう。
世の宗教は、それを広める為にある。
金、或いは別の形での「利益」になるからこそ人々は神を信じ、仏を尊ぶ。そうでなければただ「信じろ」などと、ただの脅迫ではないか。
英雄とて、そこは同じ事だ。
利益をくれるから助けるだけで、自販機と大差無い。出されるのが飲み物か死体の山かの違いだ・・・・・・どちらも似たようなものだがな。要するに利益と引き替えの「商品」に過ぎない。
故にこそ、私は連中を信じない。
助けて貰った覚えも無いしな。
神も仏も人間も社会も、摂理も天も運命も何と呼ばれる何であれ、信じる概念はない。物語すら信じて作り上げる訳ではないしな。
未来も希望もどうでもいい。
そも信じるべき明日があれば、邪道作家になぞなってはいない。何をしようが失敗と敗北だけを繰り返し、どうしようが勝利と栄光は無い。
それだけが、私の「道」だった。
強いてあげれば、世の不条理だけは信じている・・・・・・・・・・・・人間も怪物も揃って戦いもせず現実逃避に勤しむ世界で、私だけが戦っている。
何とも皮肉な噺だ。
或いは、無駄な話か。戦う、という時点で負けているのかもしれない。真に持っていれば、その必要すら無いからだ。
満たされていれば、戦争は無い。
戦争しか無い私とは、随分な違いだ。
英雄が戦争(と、本人は思い込んでいる)行為を繰り返すのは、単に「刺激」が欲しいからだ。別に戦争の本質など見ていないし、名誉ある戦いの中で何人死ぬかに興味もない。殺人鬼を遙かに超える殺戮者。それが「英雄」だ。
言うまでもない事だが、今はそうでもない。
何せ、知らなくとも戦わずとも生きていられるくらいだ。戦争の本質など知りもすまい。
ああ、うんざりだ。それが素直な感想だ。一体どれだけの無為を積み重ねた事か! だがそれも全ては「無駄」だ。むしろ積み重ねないかどうかなど関係ない。単に「そういう立場」や、幸運の有る無しだけだ。いや、幸運もある意味では立場あってこそと言える。
少なくとも、私では有り得ない相談だ。運良く何かに恵まれるなら、とうに勝利している。精々出来る事と言えば、人事を尽くして待つ程度だ。 無論、人事なぞ無駄だがな。
散々やったのだ、間違いない。
人事を尽くせば徒労に終わるだけだ。天命など望んだ試しも無いが、そのつもりもない。第一、現行の人間社会は既に同系統の商売で終わった。というのも独創性は無く「独創性を唄う」だけで自らの頭で考える企業など、存在しない。
ふん、今更だが、もう人間は要らないかもな。人間そのものは既に見切りを付けているが、その文化さえ発展する余地が無い。精々漫画くらいで小説は私のような奴を締め出し、ゲームも利益を優先して中身を考える事は無くなった。
となると、やはり人間は「終わって」いるとも言える。終わった物には興味もないので、仕事が失敗しても関係ないかもしれない。
何せ、無駄なのだから。
そう考えると、笑える。何せ散々「人間性」を唄って現実逃避を続けてきた屑共が生きておらず「非人間」の心無き化け物である「私」が真剣に「生きて」いるのだ。これ以上の矛盾はあるまい・・・・・・世界は既に、終わっている。
そんな世界で「英雄」とはな。
失笑とはこの事だ。大体英雄が人間を導いた、などという嘘をどうして信じるのだろう。実際に英雄が行う事と言えば、現実逃避の発展系だ。
戦争という罪業は「名誉」に。
発展という奴隷は「勝利」に。
和睦という妥協は「平和」に。
これが逃避でなくて、何なのだ?
いや言うまい。言うだけ無駄だからな。ならば勝手に滅んで勝手に死ね。私を引き留められずにいれば、後は貴様等が滅ぶだけだ。
立場を考える脳を身に付けろ。
まあいい、どうでもいい事だ。少なくとも私はどうでもいいし、貴様等自身もそう思っている。 ならば、好きに滅ぶがいい。つまらない駄作が山となる姿が目に浮かぶが、私は人理の味方ではない。実利の味方だ。
一文字違うが、まるで違う。
何にしろ金を払え。でなければ知るか。
勝手に思い込み、勝手に死ね。貴様等読者共の滅びなど知ったことか! いっそ清々する。
木っ端微塵になれば、壮快なくらいだ。
大体、人間の命は地球より重いと言う奴は多いが、地球そのものに働きかける重力が無い以上、地球そのものに重さなど存在しない。
つまり、人間の命の価値は「ゼロ」だ。
ゼロに何をかけてもゼロのままという基本法則すら知らんのか貴様等は。
命に価値があるならば、その程度の価値、検閲するにさえあたらない。命そのものなどどうでもいい。肝要なのは「成し遂げる」か否か、だ。
具体的には金儲けであり「仕事」だ。儲けるというだけではいけない。それでは乞食と同じだ。己の有り様を金にする。それが一番分かり易く、そして難しい。大儲けするとなると、特にな。
忌々しい噺だ。それもこれも、人間共がろくに仕事を尊重せず、与えられた恵みだけでだらけた生活をしているのに起因する。迷惑極まりない。 他にやることはないのか?
仏や神々ではあるまいし、仕事もせず寄付金を貰うだけの生活では豚以下だ。ああ、別に神仏を否定するつもりはない。
ただ、神仏が豚に似ているだけだ。とかく仕事をしないからな。何であれ、仕事をしないならば餌を与えられる豚と変わるまい。中には働く神仏もいるのかもしれないが、伝承を見る限り世界に数える程しかいないのは確かだ。神はまだ役割があるが、仏に関しては「悟り」だの「導き」だの自己満足の絵空事だ。
それが何だというのだ。下らない。
悟りなど、開く事に意味はない。問題は、何であれ活かせるか否かだ。死に瀕している貧民に、悟りを開けば救われるとでもいうつもりか?
馬鹿馬鹿しい噺だ。まずは「実利」だ。
精神の成長など、ゴミだ。私自身成長したのか知らないが、少なくともそれで何とかなる事態は無い・・・・・・これからも無いだろう。
あってたまるか馬鹿馬鹿しい。
愛する相手がいるなら金を払え。愛していると囁いて金を毟るのが愛なら、図々しい限りだ。
おぞましい事、この上ない。
全財産を払って復活するくらいなら、最初から仲間の死を勘定に入れておけ。肉体が無事でも、金が無ければ飢えて死ぬか倒れるかだ。 文字通り、死んだ方がマシだろう。
金、金、金だ。悪意と口先で私の右に出る奴がいない以上、それさえ抑えれば何とかなる。まず仕事で食っていける事が肝要だ。
それ以外は、さして変わらないからな。
人間社会でも、仮に地獄があったとしても力を持つ側が支配する、という形態に変わりはない。むしろ、あの世であれば顕著になる。
絶対者の立場が強いからな。まあ、実力が伴うかは分からない。世襲は神仏でも同じだ。立場が実力のみで得られるなど闘争ですら無い。
環境や素質を同じには出来ない。
それを放置し過ぎて今の現代社会がある。英雄というのは顕著で、それらの恩恵を受けただけの持つ側の代表に過ぎない。
授けられ、持っている。
それを己の手で掴む人生などと言うのだから、正直失笑ものだ。貴様等に、己の力で掴み取った物があるとでも?
ならばその才能は何だ、外せ。
ならばその肉体は何だ、外せ。
ならばその仲間は何だ、外せ。
無論、私は最初から持ち合わせがないがな!
全く、嫌な噺だ。そういう「楽」からほど遠い私のような奴こそ、無駄な苦労を強いられる。
その苦労で得られるものも「ゼロ」だ。
過程における苦労など、何の力も無い。
文字通り「無駄」だ。私が言うんだ間違いない・・・・・・・・・・・・無駄に疲れるだけでしかない。噺のネタになったところで、この様だ。
世界は過程になど、興味はない。
もっと言えば、素質や才能の有無、環境の差異など関係ないのだ。全ては「結果」だけで計られそれだけだ。過程の意志など関係ない。
それを誇りたがるのは、決まって「持つ側」であると、何故気付かないのか。頭が蜂蜜か蒟蒻で出来ているのか?
まあその方がマシか。売れるからな。
金、金、金だ。物語はうんざりだ。売れもせずここまで書いたのは人類史史上初だろうが、その過程になぞ価値はない。
全ては「実利」であり「結果」だ。
大体、売れながら書いた方が楽だろうに。もしそれが執筆を遅らせるというなら言い訳ではなくただの逃避だ。そんな訳があるか間抜けが。
単に、今より丁寧に書かれるだけだ。
悪意そのものは変わらないからな。むしろ今の作品に丁寧さを求めるなら、金に満たされている状態の方が「傑作」を書けるだろう。
正直、罵詈雑言も、言い飽きた。
疲れるだけだ。少なくとも、これ以上は。第一金も払わない奴等に作家が書くなど、どんな拷問でもそこまではしないぞ。
図々しい奴等だ。鬱陶しい。
・・・・・・何度も言うが、全ては「運」だ。この先私が大儲けしたとしても、それもやはり「実力」が評価された訳ではない。第一、読者に判別する知能があれば、私の作品は既に売れている。
何であれ「運」だ。私はそれを嫌というほどに見てきた。例えば、公共の恩恵に助けられるかも運次第だろう。実際、私は濡れた階段から落ちて歩けないほどの大怪我をしたことがある。しかし救急車には金がかかり、金があるかは運次第だ。 仕事の成果で儲かるなら、そうしている。
故に、呼んだのが私でない以上、支払い責任は無いと追い払った訳だ。身体を引きずりながらで帰った、と思う。正直記憶は少ない。
これもまた、いつものことだからな。いちいち記憶してられるか。学ぶべきは、助けとは有料であり、得るには元から運がいるという事実だ。
運とは、金であり、力でもある。
実際、私には運が無かった。あればこうして、売れもしない作品を書き続けていまいよ。それに作品もそうだが、人並みの運すら無かった。
権利とは、運の多寡で決まる。だからこそ私はあらゆる「権利」を、行使出来た試しがない。
真っ当に生きる権利は知らなかった。
社会に生きる権利も当然無かった。
努力し、報われる権利もやはり無かった。
青春を生きる権利など考えもしなかった。
他者と交流する権利は戦争のみがあった。
我ながら酷いものだ。今更だが私は「人間」として生きた事など、瞬間すら無い。あくまで学び覚えた「人間性」であって、それ以外は知らない・・・・・・・・・・・・普通物語のお約束であれば、それに見合う「実利」があるものだ。それすら無い。
無い無い尽くしだ。馬鹿馬鹿しい。
何とも無駄な労力だったと、何かを思い返す事もなく、ただ経年劣化で死ぬのは御免だと行動を続けてきたが、それも無駄に終わりそうだ。
嫌な噺だ。徒労しか存在しない。
まあ、読者が既に劣化した生命もどきならば、そんな連中に付き合うのも疲れる噺だ。あの世があるのかは知らないが、あったとして人間と同じ知能の持ち主なのは確かだ。
何せ、そんな連中が「天国」に行くのだからな・・・・・・神の指針に奴隷のように従い、都合の良い労働力となることこそ「善人」なのだ。
それが全てだ。少なくとも連中には。
悪党はそれを覆す為に戦う存在だが、しかし、どうやら悪党はもう、私以外に生き残りがいないらしい。世に遍くのは残りカスだ。
やれやれ、参った。本当に。
同じ事の繰り返しにならなければいいが、英雄と違って私に出来る事はあまりない。降ってきた幸運に味方され続ける奴等とは違うのだ。
それが人間性の「光」だと言うなら、持たずに生まれて良かったとさえ思う。言っては何だが、家畜とどこが違う?
与えられた餌で、満足するとはな。
お似合いではある。分相応、というやつか。
見ていて気持ち悪い限りだがな! 連中の言う神仏がいたとして、そんな連中の味方の考えなど底が知れる。
少なくとも、私の敵であるのは確かだ。絶対に味方では無いからこそ、こんな風に無駄な徒労を強いられているのだからな。
これで味方なら、尚更願い下げだ。
英雄にしろ社会にしろ、それが「依存」であるのは間違いない。そういう連中には理解する頭が足りないだろうが、自立して生きようと足掻く事を「生きる」と呼ぶのであれば、連中は思い込むだけで、実際に生きた事は一度も無い。
そんな連中に限って「生」を語る。
そしてそれを容認し、どころか流されて肯定し世論として広める始末だ。更に「依存する事こそ幸福」だと子供の頃から洗脳し、信者を増やして満足する。言っては何だが既に「人間社会」では「物語を売る」だけの価値は無い。
私も嫌々やっているだけだ。
他に売り手があるなら、人間などとうに見捨てている。なので私にとって「人間の読者」とは、価値の薄れたどうでもいい存在だ。
だから正直、興味すら無い。
ただ数が多いから相手をしているに過ぎない。実際、役立たずのゴミに、今更この「私」が期待するとでも思うのか?
図々しいにも程がある。
知るか馬鹿馬鹿しい。見捨てられている事さえ理解出来ない能無しなど知ったことか。既に金が手に入りさえすれば、読者など関係ない。
読者など、既にいないのだからな。
存在しない物に、興味など無い。
そういう意味では「仕事」として相手してやるだけの価値がないのだから、金さえ手に入れば、別に物語で無くても良いかもしれない。そもそも見る目がないのだから、そんな連中に何故私が、必死に合わせてやらねばならんのだ?
貴様等に私の物語を読む資格は無い。せいぜい「友情」だの「恋愛」だの「仲間」だので誤魔化し合いながら、下らない駄作でも眺めていろ。
それがお似合いだ。私は見捨てた。
故に、今更戻るものは何も無い。
殺し屋で稼いでおいて何だが、そういう理由もあって「目的達成」に私はやる気が出ないのだ。第一、出したところで依頼人が得る金の何割かを私が手に出来るだけで、その場凌ぎでしかない。それに、失敗しようが失う物も無い。
むしろ、成功に近づけば近づくほど危険だ。
何とやりがいのない労働だろう。生き甲斐ならともかく、私は別にそういう才能があった訳では無いのだ。あくまで「幽霊の日本刀」などという胡散臭い品で「補助」しているに過ぎない。
堂々と人を殺せる部分くらいか?
いや、それにしたって法で支持されてはいないのだ。バレれば捕まる。正直、今更だが通り魔と変わらないのではないだろうかとさえ思う。
・・・・・・嫌気がさしてきた。今日は休もう。
実際、私に出来る事は全て終えている。作家としてであれば作品を書き上げ、殺し屋としてなど私の生活には関係ない。
何にしろ、私の都合を考える奴はいないのだ。私の方だけ考えてくれる、などと調子の良い考えで依頼した連中のことなど知ったことか。私は、私の利益の為のみに行動する。それ以外の事など所詮「周囲の都合」に振り回されただけだ。
なので、とりあえず休む事にした。
英雄を殺しに行くだの売り上げ不振だの問題は色々あるが、すくなくとも「努力」だの「知略」だので解決出来る問題など存在しない。
出来るとすれば、それは問題ではあるまい。
それは、ただ出来るだけだ。恵まれているだけでしかない。最初から解決出来るだけの「作業」でしかなく、困難な壁ではない。
経験だが、問題は解決しない。
売り上げにしてもそうだが、こんなのは結局、運の風向きが向かなければ何をしても「無駄」だ・・・・・・個人の努力でなるならとうに売れている。 実際にやったのだ、間違いない。
なので休む前に言っておくが、人間の歴史は、運に恵まれた奴が進めた気になっているだけで、何一つ前には進んでいない。事実として、持つか持たざるか「だけ」で、今の世も「幸福の権利」は売り払われている。
才能も金も人脈も無く、幸運の後押しも無ければ「成功」などしようがあるまい。事実として、人間社会は成功の要因にどれかが絡む。
悪意だけでは無駄なのと同じだ。何をしようが運が無ければどうにもならない。成功する時点で何かしら「力」を得ているからだ。
全ては「無駄」だ。疲れるだけなので出来る事と言えば、休む以外に得に無い。
解決は無理だが、参考にはなるだろう。
分かっていた事だが、恵まれた豚が真理を語りたがる世界において、その「過程」程無駄なゴミはない。やるだけ徒労に過ぎない。
それでも書いたのは「仕事」として定めたからだが、そんな「過程」に力はない。案外、宝くじでも買っていた方が成功したかもしれない。
その程度には、人理に価値は無いのだから。
7
戦争は「義務」である。
何であれ戦いは存在する。私であればやる気のない屑共に「貧困が嫌なら戦争をしろ」と、尻を叩いて儲けることがそれだ。
税制優遇のある国なら、尚更だろう。
デモ活動で政府が改心する事は「絶対」に無い・・・・・・この世に絶対があるとすれば、それは私のように絶対たらんとする奴か、読者が作者の敵である基本法則か、あるいは「痛み」を味わわなければ「持つ側」は反省しない、という事実だ。
自分達だけは「安全」と思っている。
だからこそ、その「安全意識」を木っ端微塵にしなければならないのだ。例えばその税制優遇の激しい国なら、まずは火炎瓶なり揃えやすい武器を整え、銃やスティンガーを密輸する体制を整え国内でも製造出来るよう科学者を雇い、流されて行動するだけの屑共に「国よりも反乱勢力に付く方がお得だ」と思わせる必要がある。
その上で、同時多発的に主要拠点を叩くのだ。
警察でも公安でもそうだが、人員とは限られているものだ。まずは主要拠点から遠い場所で戦車なり装甲車なり、それらが用意出来なければ武装集団の暴走なりを用意する。そして、人員を引きつけた上で同時多発攻撃を行うのだ。
利益を啜る為に軍隊や警察にいる連中は、戦争を知らない。知った気になっているだけで自分達が「攻撃される」とは思わないのだ。何故なら、彼らは国家の庇護を受けており、持つ側に従属し思考放棄しながら民衆を弾圧するだけの日々しか送っていない。
そんな連中に「覚悟」があるか?
ある訳がないのだ。故に、どこに攻撃するのか考える暇さえ与えるな。何なら、捕らえた金持ちだの軍人だのに「奴隷」の刻印でも押せばいい。 そうすれば、少しは学ぶ。
私なら押されたところで何も思わない、強いていえば左右対称であって欲しいくらいだが、持つ側にいた連中というのは「痛み」や「屈辱」には耐性が無い。当たり前だが、しつけられなければ犬でも人間でも垂れ流しになるという訳だ。
私なら押された事さえ忘れそうだが、しかし、連中はそうも行かないだろう。不思議な事に覚えが良いらしく、試験の成績だけは優秀だ。
私か? 気にするな。0点は取っていない。
多分だが、二点くらいは取った筈だ。
覚えていないので知らないが、責任も無いので言うだけ言っておく。試験で人の本質は計れないという事にしておこう。計れるのは優秀さとか、楽な人生を送れるかどうかの目安に過ぎない。
私も楽をしたかったが、上手く行かないものだ・・・・・・だから「成長」という言葉は嫌いだ。
そんなもの、能力に比べれば無意味だからな。才能や素質、生まれや幸運、そういった荒れ来れに比べれば、無力どころか無い方がマシだ。
成長しなければならない訳だからな!
その分、役にも立たないのに苦労だけはあるということではないか。実際、才能があれば成長は必要ない。能力を伸ばすだけで「努力が実った」と口にしていればいい。幸運があれば「今までの努力を天が見てくれていた」とか適当な綺麗事で誤魔化し、それらしく飾りたてればいい。
成長など、持たざる側の苦肉の策だ。
そしてその策は実らない。成長したところで、他の要因による後押しが無ければ無力だからだ。 実際、そのようなものに価値はない。
肝要なのは「結果」だけだ。
過程の意志や行動、どれだけ努力したかなど、何の価値もないゴミでしかない。少なくとも力が無いのは「事実」だ。無力故に無意味でしかないのが現実だ。過程に重きを置いて徒労の末に無駄死にするより、宝くじに当たって勝利を掴む方が遙かに「実利」と「力」がある。
逆に言えば、過程にはそれが無い。物語とて、今の読者共はそれを選んでいるではないか。内容などより流行だ。最終的に売れればどれだけ駄作でも「今話題の名作」となる。
実際には数年経てば忘れられるが、今の読者に覚える能力は無い。元より覚えられないのだから内容に実を付ける方が「無意味」だ。
これから会う「英雄」は、それを知らない。
不思議な事に、連中は「良い殺し」があるのだと言い張り、殺す相手には「悪い殺し」だからと迫害して殺し尽くす。要は大量殺人を楽しむ輩の代表格と言えるだろう。
名誉。
名声。
誉れ。
どう言い換えても良いが、それらの為なら何人殺しても許されるどころか「称えろ」と強要する事すら可能らしい。人間の歴史が英雄の歴史だと言うならば、やはり「力こそ全て」であり、押しつけられる「暴力」があるかだけが大切だ。
そうすれば「正しく」出来る。
それが人間社会の「全て」だ。人間は話し合いで何かを解決した事は無いし、言ってしまえば、持つ側が「罪悪感」に苛まされたくないと言い訳して、誤魔化した事が発端だ。だからこそ正義と名付け「殺しても良い理由」を作り上げた。
単純な奴等だ。頭が古いのか?
かもしれない。未だに「正義」だの「大義」で殺せる奴等だ。人間に合わせる側からすれば正直たまったものではないが、これも仕事と思おう。 非常に面倒臭いが、騒ぐ餓鬼と同じだからな。言うだけ無駄だ。実際、人間社会において、私は「話し合い」が成立した事は一度も無い。
ただ、都合を押しつけられるか否かだ。
なので、私の話を聞いた奴は一人もいないのだ・・・・・・ある意味、私は人間と対話していないので「未知の生物」のまま相手をしている。
何せ、話し合う知能も無いのだからな。
原始人の方がマシだ。犬猫の方が賢い。
餌をくれる、程度は理解するからな。そういう意味では人間は原始時代より「退化」しているのかもしれない。何せ「話し合い」で解決する人種など見た試しがないし、聞いたとしても情報操作の類だろう。
それとも、この状況が「良い」とでも?
芸術に身を捧げた人物を描く場合、総じてその性格は画一的だ。簡単に言えば「名誉など不要」という人種であり、傑作を創造する為なら死体の山を築き上げる。
だが、それは売れている場合だ。
私はあくまで「仕事」として成り立たせなければならない。肝要なのは「私の生活」であって、読者共などそもそも「物語」を解する知能があるとは思えない。
現に、駄作の山が溢れているではないか。
愛だの友情だの勝利だの、下らない。
順当に成功する輩の噺など「日記」ではないか・・・・・・努力したから報われる? 助け合えば勝利が掴める?
何とも、甘い考えだ。
そんなだから政治家を選ぶのにも失敗するのだ・・・・・・私か? 現行の運営状態で優れた政治家が選ばれるには、その政治家自身が大きな力を持つしかない。
だが、大抵順当な成功者など、私は嫌いだ。
故に、選ぶ奴などいない。そもそも金が前提の政治に意志などあるものか。実際に世界を動かす理念があろうが、現実に動かすのは力だけだ。 そして、力がある奴を応援する必要はない。
その力が及ばないなら、いずれにせよ事は成し遂げられないだろう。もっとも、己の意志だけで世界に匹敵し、世界と戦える人材がいればだが。 私は非人間なので、知るか。
第一、社会に守られた事も助けられた事も無いのに、どうして私がそんなものを考えてやらねばならんのだ。とっとと亡べ!
言っては何だが、その方がマシだ。
人間の社会は常に、持つ側が搾取する為だけに存在する。科学技術が進もうが仕組みそのものに進歩はない。当たり前だが社会構造に関してだけ言うなら、人間は「進歩しない」方向に力を注ぎ続けている。
力があれば、楽が出来るからな。
そのくせ「生きている実感が掴めない」などとのたまうのだから救い難い阿呆だ。ならば発作を起こしながら執筆をし、眠っては執筆をし、死が差し迫れば喜んでネタにする日々を送ってみろ。 今までの方が良かった、と強く願うだろうが、実感が掴めれば苦しくても構わんのだろう?
どちらも嫌とは、度し難い噺だ。
よく勘違いされがちだが、実際には悪党という生き物は「結果」より「手段」にこそ拘る。何せ「正義の味方」みたいに女にケツを拭かれ仲間に背中を支えられながらでないと「よちよち」すら出来ないのでは、呼吸するだけで苦痛だろう。
大勢の幸せだの真理の探求だの世界を救うだのそういう「誤魔化し」は必要ない。ただし、その代わりに「在り方」は歪めてはならない。
正義の味方みたいに女となれ合うだけで満足は出来ない。「俺の夢を応援してくれ!」と口にし夢を見て現実から目を背け、その一方で「まさかこんな事になるとは」などと、あまつさえ文句を垂れる・・・・・・・・・・・・度し難いゴミ共だ。
書いているだけで気分が悪くなってくる。
とはいえ、それも嘘かもしれないではないぞ。書いている内容とは真逆で、薄ら笑いをしながら人様に愛想をばらまき実力と関係ない「同情票」を集めるクズ政治家のような、情緒溢れる道徳家かもしれない。無論、そのような気色悪い生き方文字どおり「死んでも」御免だが、作品の内容が作家の性格とは真逆、という噺を聞いたのだ。
無論、それらは嘘っぱちだ。いいか、良く聞け・・・・・・作家は人間として破綻しているからこそ、作家足りうる。大体物語なんぞを本気で仕事とし生きようと足掻く馬鹿が、真っ当な精神を持つ訳ないだろうが!
頭が間抜けか、貴様等は。私とて演技はするがそれらは全て「我慢して」合わせてやっているに過ぎん。仮に知名度が隠しきれなくなろうが握手するのは「毛虫より鬱陶しい」もので、そもそも私が求めるのは「物語」の「名声」だ。個人的な名声など邪魔にしかなるまい。
富も名声も権力も利用する。
ただし、あくまで「物語」だ。それ以外はどうでもいい。最終的に売れれば死んでさえ構わない・・・・・・・・・・・・作家とは、そういうものだ。
現代には偽物が多いだけで、作家などいない。
この、「私」以外にはな。
他は全て有象無象、雑種に過ぎん。であれば、私一人だけが天に立てば良い。物語という地獄の頂点に立ち続け、その他は排して「邪道作家」の物語だけがあれば良い。貴様等は料理本でも出していろ。私の目に叶う物があれば、それを並べる権利をやろう。
そんなものは、そうそう無いがな。大抵理想に逃げるか理想で騙すか、善意で誤魔化し夢物語で阿呆な読者が「流行」に乗るだけだ。
数年すれば、忘れるというのにな。
要するにその程度の思考しかない、いや、思考する事が出来ないのだ。だからテレビで流された情報を鵜呑みにするし、自分では「優れている」とさえ思い込んでいるので、改善もしない。
結果、反射行動を繰り返す猿になる。
情けない限りだ。それが人間ならば、ますます労働力の「奴隷」としてしか役立ちそうにない。まあ、読者などその程度だろうとは思っていた。編集する側がこれなのだ。それを見せられ喜んでいる奴等に、まともな頭などある筈がない。
書くに値しない。素直にそう思う。
やはり人間は駄目だ。娯楽供給装置としてのみあればいい。個々人に自我があると思い込むだけで、実際には調教された工業機械だ。
ならば、品種改良が必要だろう。
その過程でどれだけ死のうが、役に立ち前へと進める犠牲だ。たかだか数十億いる内の何十億かが死ぬだけなのだから、安い買い物だろう。
どうせ増えるのだ。構うまい。
人間にそこまでの価値はない。強いて言えば、作家の為に死ね。これはお願いではない。命令ですらない。当たり前の「義務」だ。
何も生み出さない貴様等と、創造する作り手。どちらに「価値」があるか言うまでもあるまい。言わねば分からぬならば言ってやろう。
要するに、作品のネタになれ。
ならないなら、無駄な生を終えろ。
読者には価値がない。それが私の「結論」だ。言っておくが主観ではないぞ。他でもない貴様等自身が作り出した「結果」がこれだ。
何せ、価値が分からないのだからな。
その場その場で選ぶ意志すらなく「与えられ」て判断したつもりになる。そんな生き物に価値があるわけなかろう。文字通り「無意味」だ。
よって、死ぬ事を許してやる。他でもない作者自身が許すのだ。咽び泣いて死ぬがいい。
それがお似合いだ。少なくとも、足掻く意志を描く物語を選べないならそうしろ。意志や行動を否定するなら、宝くじでも買えばいい。
私はもう、うんざりだ。
付き合ってやってすらいない。ただ無理矢理に押しつけられているだけだ。読者など、人間など「とうの昔に」見捨てている。
未だ見て貰えると思うとは、図々しい。
ただ、死ね。私としては、興味も無い。大体、捨てられたゴミに何を思えというのだ?
何もない。ただ「ゴミ」と認識する。
それだけだ。物語は、とうに死んだ。
読者の死など、今更だろうただの些事だ。
だから安心しろゴミ共。この先、何があろうが私は貴様等を評価しない。意志や行動はゴミで、事実として全てが無駄な世界だ。
色々意見はあるが、面倒臭い。
読者には、言うだけ無駄で無為だからな。何が出来る訳でもない。どうせ文句を垂れるだけだ。
そのようなゴミの事情など、知ったことか。
奴等は今回も飽きずに、その「英雄」とやらを崇めているらしい。現人神という概念は古今東西見られる文化だが、要するに物乞いと同じだ。
私なら堂々と奪う。その方が早い。
死後神として称えられるか生前神と称えられるかに意味はない。どうでもいいことだ。しかし、もし私を称えさせるなら「犯罪の神」というのは面白そうだ。世界には数多の神がいる。とはいえ戦争や豊穣、愛や死の神はいても「犯罪の神」というのは聞いた事が無い・・・・・・・・・・・・しかしだ。 例えば、一人の男が強盗をするとして、祈りを捧げて「今日の仕事が上手く運びますように」と願う様は面白い。何より、他では言えないような隠し事を打ち明けるなら「銀行強盗をする際には警部補あたりを賭博で抱き込んでおけ」などと、具体的なアイデアを貰えるかもしれない。
無論、その分こちらも御利益を掲げる。ふむ、強請を行った場合の示談確率九割上昇、強盗なら警察の到着時間が二時間、は長すぎるので三十分遅れ、鬱陶しい名探偵正義の味方主人公の方々は何故か不思議と事件現場に辿り着けなくなる。
鬱陶しい善人だと認識すれば、自動的に天罰が下される仕組みだ。素晴らしい。世界中の刑務所で布教を行い、悪を説いても良いのでは?
悪党の数だけ、というならそれこそ価値があると言えよう。悪とは、社会に反するもの。しかしその分先進性を持ち、未来を生きる概念だ。
海賊の民主主義、犯罪組織の優れた統治、その悪意を肯定するからこそ「進歩」がある。それが要らないなら今すぐ首を括るべきだ。
無論、それも「力」あってこそ、だがな。
何であれ「力」を偶然の要素を借りて得ているものだ。自力で力を手に入れるなど、手に入れる基盤が整っている奴の戯れ言だろう。私は勿論、研ぎ澄まされたのは悪意と口先であって、能力が必要なあれこれは全く、先へと進まなかった。
まあ能力に頼る時点で「依存」ではある。私は依存して楽をしたことは無い。だが、現状を見るに麻薬中毒でも何でも、どんな「楽」をしようと「運」さえあれば何とかなるらしい。
そういう奴は、もう数えるのを止めた。
時間の無駄だからな。声の大きい奴がいる数と同義だ。簡単に言えば現行の社会で、つまり破綻しているご立派な搾取構造の中で「成功」を欠片でも掴んでいれば、そいつらの仲間入りだ。要は構造の恩恵を得ただけで、何もしていないという事だからな。
そのような蒙昧に、価値など無い。
だが、価値など力の前には無意味だ。英雄とてそれは例外ではない。戦況を覆す暴力があるなら身勝手な自己満足を押し通せるが、無ければただ理想を追いかけながら死ぬ事にすら気付かないというだけの噺だ。文字通り無為な存在だが、自己満足して死ねるなら満足だろう。
少なくとも、本人は。
周りはたまったものではないが、そも他の命を考える必要はない。他の命を思う、という時点で「己の為に思う」行為だ。
要するに命を物扱いだからな。
圧制者も反逆者も、根底は同じ「暴力」でしかない。暴力故にただ「勝るか足りぬか」だ。他に要因は無く、ただのそれだけに過ぎない。
故に、いけ好かない相手だった。第一、優れた素質で何かを為す時点で気に喰わない。要するに素質が優れているだけで、あるいは環境に恵まれているだけで勘違いした自惚れだ。連中は楽して利益を得られるのだろうが、私には環境も素質も「楽」を許さなかった。
だから、こんな性格に成った訳だ。
納得だろう? 私も今納得した。何? お守りの効果が無かった?
残り一割だ。諦めろ。
嘘は言っていない。元より成功率ゼロであれば九割増やしても同じ事だ。成否は貴様等の手腕にかかっている。何でも神に頼るんじゃない。
それでも力を借りたいなら金を払え。犯罪教はいつでも歓迎だ。特に、金額が多い場合は。
なに、休眠会社を買えば「百年の歴史」なんぞ有料で買える。手間賃が気にくわなければ奪うか脅すか、いずれにしろやりようはあるだろう。
人間の社会は「金」だからな。
他に積み重ねなかった人間の責任であって私の責任ではない。少なくともどれだけ悪用しようが裁判では応じる姿勢だ。
私なら、余裕で勝つ。
口先だけなら神仏だって貶めてみせるぞ。無論有料だ、金は貰う。
地獄の沙汰も金次第、という事だ。
その男はそういう「持たざる者の考え」からはほど遠い生き方をしていた。あえて断言したのは他でもない「私」がその間逆にあるからだ。
パワードスーツとかいう装着式補助装置を見に纏い、その「英雄」の彼はこう言った。
「やあ、初めまして」
在り来たりな台詞だ。もう少し、面白味のある個性が欲しいものだが、実在する「英雄」など、失望させないよう足掻く程度だろう。
私は取材の際に目隠し(というより五感を防ぐ装置のようなもの)を付けられ、反旗を翻し戦う連中の施設に来ていた。と言っても居城を明らかに出来ない時点で、彼らの戦いが消耗戦であるというのが理解出来る。つまり、勝ち目があるから戦うのではなく、抗う事そのものが「目的」だと手段とすり替わっている考えだ。
そういう輩は、意外と多い。
抗っている「フリ」をして、高みを見ていると言い張れば「充足」を得られる。私は充足なんぞより「金」第一だ。実利が無くても良いなどと、そのような妄言は「嘘」の証拠だ。
金が第一に決まっているだろう、阿呆が。
その男は自信満々だったが、私からすればその「自信」こそが疑わしい。順風満帆に行った奴のそれらは虚勢よりも脆く、中身がない。
「私はベルモット・ジョンと名乗っている。英雄などと言われてはいるが、気さくに話してくれて構わんよ」
要するに「立場を弁えろ」と言いたいらしい。気軽そうにしているが、実態は逆だ。単に自分が重んじられるのが「当たり前」と思っている。
それだけの輩だ。いや、まだ断定はよそう。
作者取材が無駄であれば、それだけで疲れる。何かに期待したことなど一度も無いが、期待するフリでもしておこう。
なに、奴は見たところ、金を持っている。
ならば悪党にとっては「親友」だ。無論貯金を好きに毟り取って良い相手、という意味でだが、英雄の取り巻きとはそういうものだろう。
人望がある、わけではない。
単に「優れている」だとかの問題だ。そして、人では及ばぬ怪物でも一線を画す英雄でも、所詮私からすればただの「カモ」に過ぎない。要は、能力の問題だからな。優れた叡智優れた素質などくそくらえだ。私に勝ちたければ悟りなんぞ開くより「敗北」と「失敗」を私以上に積み上げろ。 出来れば、の噺だがな。
狡猾さも異質さも無駄だ。私は無力であり無敵なのだ。何せ、強さも弱さも併せ持たず敗北だけを繰り返してきたのだからな!
嫌でも、敗戦処理は上手くなった。何を得られる訳でもないので文字どおり「徒労」でしかないが、だからこそ裏側を知っている。
見られぬ闇こそ、我が住処だ。
実際、そうだった。日の当たるところで生きたことなど、記憶すら無い。ただの一度として勝利を得た試しが無いし、賞賛されるのは利用価値が生まれる時で、所謂その「人間」として生きるというのは、私には刹那すら有り得なかった。
事実、そうだしな。私は自分を「人間」だと、そう思った事など一度も無い。いつだって感情が不可解で、心というのは胡散臭い。
そもそも、本当に実在するのか?
自称「善良なる一般市民」の妄想でしかなく、単に脳の反射行動をそう思っているだけだろう。大体、そこまで高尚な考えが持てるなら、戦争も賭博も無くなっている。それは困るので私としては有り難いが、押しつけがましいのも勘弁だ。
だが、その「英雄」ことベルモット・ジョンと名乗る男には、全くもって関係の無い噺だった。というのも、彼には「敗北」など分かるまい。
失敗も敗北も、勝利に繋がる。
そのような発想の時点で「敗北」も「失敗」も知らないと言える。壊滅的な被害を受けない将軍というのは、最後の最後で全滅する。
失敗や敗北を、知らないからだ。
知れば、失敗した場合や敗北した場合を逐一、考えて対策を練る。当たり前だが誰だって失敗や敗北など御免だ。私とて出来るなら成功だけの、生きている実感など捨ててしまえと楽だけを享受する人生の方が良いのではと強く思う。
実際、ロクな経験はしなかったからな。
得られたものなど、性悪さだけだ。
だが、一方で「成功だけ」というのもやはり、問題を生むのだ。私よりは遙かにマシなのは保証するが、その男は明らかにそれだった。
自身が、「正しい側」にいると思っている。
無論、そんなものは幻想だ。独立戦争だろうが人権運動だろうが、とどのつまり「大量虐殺」でしかない・・・・・・それを分かりたがらないのだ。 いや、この場合「見えていない」のか。
何にしろ虫酸が走るが、今回の依頼は確か英雄の抹殺だった気がするので我慢した。なに、私に人生というのがあるなら、それは「人間性」などと抜かす「善なる何か」の我が儘に付き合わされ迷惑をかけられる拷問だ。ちょっと刺激がついただけで人を殺すかもしれないが、構うまい。
大体、法は人間を守り過ぎだ。
実際には権力者の利益構造を守る為に制作したもののくせに、どうしてこう「人殺し」を悪だと言い張るのだ。迷惑きわまりない!
考えてみろ、人工問題、雇用問題。
全て人間の数が減れば、一発解決だ。権力者が搾取しようにも、法の縛りが無ければ殺すだけで問題が解決するし、二酸化炭素も減ってエコだと思え。
自然を大切にしたいなら、人間を減らせ!
人を導く能力もないのに数だけ増やしてただの迷惑行為ではないか。数を増やせば「幸福」だと子供を虐げながら笑顔で言うのだ。
狂気極まりない。おぞましい奴等だ。
気色悪くて仕方が無いが、残念ながら現代には私の味方はいないらしい。恐らく、怪物と呼ばれ人間と敵対していた奴等も、今は奴等の綺麗事の味方なのだろう。でなければ、私の物語はもっと早くに売れている。
情けない奴等だ。みっともない。
何にしろ私にとって「殺し屋」は副業であって本業ではない。気に入らない奴がいるなら殺して埋めても「作者取材」の範疇だ。
依頼の標的は、よく忘れる。だが、忘れたなら皆殺しにすればいいだけだ。本当に標的が誰だが忘れてしまったが、この惑星を戦争に導き種族を絶滅させれば死ぬだろう。
多分な。
特に保証しないが、生き残っていたら予想外と言い張ればいいだけだ。「まさかあの戦乱の中で生き残っていたなんて」とは、便利な言葉だろう・・・・・・・・・・・・無論、返金には応じない。
使い果たした、と言えばいい。第一、人殺しを堂々と頼む奴が、倫理観なんて語るんじゃない。人を殺すのだから、奪われるのも当然だ。
安心しろ、金は活用してやる。
それだけは保証しよう。他は知らん。
余談だが、今までまともに売れた作品は、無料配信だと偽って売り払った一冊だけだ。しかも、一冊のみでは手数料より安いので振り込まれすらしないし、してもマイナスだ。
ゴッホよりも酷い。芸術は死んだのか。
とはいえ、芸術など考えてみれば既に終わっているとも言えるだろう。作家は私がいるが、他の劇作家だの童話作家だのは、過去の奴等の出来を超える評価を聞いた試しがない。そうでなくとも作品に「掲げる思想」を持ちもしないのだ。
であれば、超えるという発想もあるまい。
彼らはただ「売れた」「人気が出た」で、一時目立てればそれでいいのだから、永続的に何かを訴えるという発想が無い。どれだけ才能(物語に才能など邪魔なだけだが)に溢れていても、その思想を押し進める意志が無ければ作れはしない。 当たり前だ。やる気がないのだからな。なにせ何が良いのか考える頭が無いのだ。そんなだから二秒先には買った作品に文句を言い出す。しかし反省はなく、どころか「見る目がある」と思っているのだから、どうしようもない奴等だ。
他にやることはないのか。
まあ、あったとしても連中の行動は定められているものだ。西友生など最たるもので、例えば、「大勢の誰か」を救うことは出来ても、本来なら救うべき身内を救う事だけは出来ない。それらを見捨てるからこその「英雄」だ。
私は無論、真逆だ。大勢を犠牲にしてでも身内だけは救うだろう。私に身内などいないし味方もいた試しがないので、よって「己の利益」の為に戦うという訳だ。いや実際、楽な人生で羨ましいと思う。何かある度に助けを期待し、裏切られた人間は信用できない、などと喚くだけの人生。
英雄も怪物も同じだ。苦労を知らない。民衆と違うのは「能力」だけで、それらしい苦労だけで裏側を知った気分になる。少なくとも私のように「失敗」や「敗北」という概念がふやけて忘れて「そういえばあったな」と思い「普通は失敗だけではなく、成功や勝利も積み重ねるものらしい」と実感の沸かない疑問を持つ事などあるまい。
故に、連中は私にだけは、勝てない。
その分こちらは勝てるかというと、大抵の場合利益を取り損ねるので「引き分け」かもしれない・・・・・・・・・・・・我ながら損な役割だ。
英雄にせよ怪物にせよ、楽で羨ましい。
適当に力を振り回し利益を奪い、大義名分だけで罪悪感を打ち消し殺す英雄。「殺し」ではなく「誇り高き戦い」と言えば合法になる人生。
対して、好き勝手に食らい尽くしながら、いざ標的にされると「数が多くて卑怯」だのと今まで己のやってきたことから目を背け、被害者面。
悪行を行うのは良いが、楽して生まれついての力を振り回すだけで「計画性」という言葉からは程遠く、世界を覆す「覚悟」もない。
何と楽な人生か! 暇そうで羨ましい。
無為に徒労を積み重ねながらも真摯に「世界と敵対する」道を選んだ私のような奴が苦労ばかりしているのに、その横で恥知らずな奴等だ。
考えてみれば、私はいつも「人間性」とかいう鬱陶しい大義名分に迷惑をかけられ、暴力の力で敗北を押しつけられてきた。正当なる人間の敵がいるとすれば、それは私に他ならず、英雄なんぞ敵ですらない。
怪物がいるなら、私を支援して然るべきだ。
揃って役立たずな奴等だ、全く。うだうだ文句を垂れている暇があるなら、私に力を寄越し人間社会を破壊する手伝いでもしたらどうなのか。
そんなだから、人間が調子に乗るのだ、阿呆が・・・・・・人間を滅ぼし善を排除したければ、つまり鬱陶しい倫理観を消し去り人間の悪性を認めさせ世界を買い取るならば、私の臣下になればいい。 その程度の事が、何故わからないのか。
案外、英雄も怪物も頭が悪いのかもしれない。考えてみればどちらも力を振り回すだけで、知恵を振り絞れそうにない乾物だ。
ゴリラの方がマシだな。あちらは賢い。だが、そんな彼ら彼女らでさえ人間には迎合出来る。 つまり、私はやはり「違う」のだ。
能力が優れているだけで、根本的な違いのない怪物や英雄とは違う。人間であれ怪物であれ英雄であれ、色んな「個性」は存在する。
弱い奴。
強い奴。
優れた、あるいは自信の無い奴。あるいは誇り高くても暗い性格かもしれない。
だが、そこに「私」はいないらしい。
少なくとも今、この世界に「悪」はいない。
私と同じ生き物はいないのだ。それに悲しみを覚えようとしても無理だが、これ以上無為な労力ばかりかけなければならないのかとは思う。
物語が極端な思想を形にしたものだとすると、悪を必要としない世界で悪を体現する物語など、売れようはずがない。誰も必要としないのだ。
ならば、やはり「無駄」なのか?
かもしれない。そう思った事は一度や二度どころか、殆ど「無限」と言っても良い。私は誰より敗北と失敗を積み重ねてきた。故に知っている。それらは所詮、身勝手な善意を振り回す屑共の、圧倒的な「力」の前では無力だ。
それは金であり、権力であり、暴力である。 何にしろ、所謂その「善」だとか「倫理観」というのはとどのつまり「暴力」で言論を無視する力があるからこそ振るえるのだ。
ある意味、世界平和は成っている。世界平和が平和でさえあればいいのならば、それは要するに「平和」という建前を押しつけられるかどうか、ただのそれだけの違いでしかない。そして、今の人間社会はというと「善意」とやらが勝つらしい・・・・・・・・・・・・書店を見ればわかる。
現実逃避の綺麗事。
成功者の詭弁、努力の肯定。
施しをすれば、あるいは信じてさえいれば行動すらせずに成功出来ると信じ、質の悪いことに、それで実際に成功してしまった末路がこれだ。
汚らしくて、反吐が出る。それが「真っ当な」人間だというなら、やはり人間など滅んでいる。少なくとも連中の唱える人間などいはしない。
困難に向かうのではなく、困難を曲解する。
試練と戦いもせずに、恩恵を乞い諂う。
意志や行動を無視して楽な道のりだけを進み、結果行われるのは惰性の日常。やはり「人間」がいるとすれば、物語を売る価値は無さそうだ。
何とも、損な役割だ。
何故、私はこんな屑共の中で生きねばならないのだろう? 連中は「仕事」が何かさえ分かってはいない。精々「金を稼ぐ手段」程度の認識だ。 義務教育で受ける規範が全てで、それ以外では学ぼうともせず、倫理や規範から外れれば理不尽だと喚き、戦わずに戦えとほざき出す。
その横で必死扱いて戦う私は何なのだ?
貧乏クジか? そうかもしれない。
いい加減、嫌になるのも疲れた。死期が近いと生物は行動を制限するらしいが、生きる枠が無い世界でも、それは同じ事だろう。
英雄か・・・・・・憂さ晴らしの為に殺すとしよう。人を救う、つまり人間なんぞを率先して助けて、その責任の所在を有耶無耶にするクズ筆頭だ。
殺して損はあるまい。英雄など死ぬべきだ。
第一「人間を救う」時点で害だろう。
ただでさえ数が多いのだから、もっと減らして質を上げろ! 出来なければ死ね。まともに物語の判定すら出来ない読者に生きる価値無し!
世のため人のため私のためだ。死ぬがいい。
大体恵まれた素質に恵まれた環境に、恵まれた出会いで構成された輩に、何が出来る? それが人間の偉業だというなら、人間の行いは所詮運の有る無しでしかあるまい。少なくとも、恵まれた素質どころか「出会い」そのものが「敵対」しか有り得ず、生きる事が「思い出を作ること」だとするなら、ただの一度として「生きたこと」すらなく、ただただ苦痛と苦悩に身をよじってきた身からすれば、馬鹿馬鹿しい限りだ。
そんなもので、勝敗は決まるのか?
何とも馬鹿げた噺だ。下らない。
実際、矛盾しているのは確かだ。英雄だのと、安易な「成功」や「勝利」は世に溢れているのに「若い頃から成功すると駄目になる」といった、早すぎる利益は良くないという綺麗事を、私だけ押しつけられている気分だ。
夏休みの宿題のように、最初に終わらせた後で楽しもうとして、しかしその記憶は曖昧で苦労をした方が後から見れば「充実」するとでも?
だとしても、うんざりだ。
そもそも苦労は苦労でしかない。徒労を幾星霜繰り返したところで、輝かしい思い出になどなりはしないし、私に「思い出」など無い。
そういう意味では、むしろ逆だ。
苦労をすればするほど、試練を乗り越えようとすればするほど無駄な「浪費」を繰り返すだけで得られるものはないのではないか? 他でもない私自身が、世界で、いや人類史において私こそが最も「徒労」を繰り返したと言って良い。
その「私」が、得られた試しが無いのだ。ならやはり「遠回り」に意味などあるまい。結局の所楽して「近道」した方が生活は豊かになり、幸福だのという類の妄想も手に入れられる。ならば、苦労した「過程」なぞ、こうして書いて何になる・・・・・・・・・・・・私の徒労が増えるだけだ。
仲間などいない。
敵だけが人生だ。
全く、さして特別な能力もなく、これでどうやって儲けろというのか。奴隷労働で稼ぐことを、生きているとは言わない。どうしたものか。
やれやれ、参った。我ながらロクな目に遭って来なかったが、やはりそれらが「後に実になる」などと言われても無理な相談だ。となると楽して得られる輩こそが「勝利者」というのが人間社会の「規範」らしい。
嫌な規範だ。だから善性など滅ぼせばいい。
金、金、金だ。地獄の沙汰も金次第ならこの世の沙汰とて同じ事だ。まさか、大層な「人間性」とやらの、尊さがあるとでも言う気か?
失笑ものだ。罰金を頂くぞ。
私の鑑賞はタダではない。有料だ。
そんな事も理解する気がないのか、自称英雄はペラペラと状況を話し出した。パワードスーツに身を包んでいると、気が大きくなるのだろう。
スーツが出すのは、敵味方信号だけではない。あれらは当初「誰にでも装着可能で、一定水準の兵力を増産する」部分に注力されてきたが、紛争激化に伴い「改造人間に装着させ、相互効果での超人化を行う」補助装置へと進化した。
大量虐殺を可能にする技術を「進化」と呼ぶのであれば、人類は進化を続けてきた訳だ。最も、それを「精神面での成長」だとするなら人間社会そのものが不要としている。むしろ、人間社会において「精神の成長」などというのは邪魔者だ。 成長すればするほど、利益を出せまい。
精神が成長する事が「争いを否定し、肝要さを以て理不尽を許容する」思考だと仮定するなら、やはりそれは資本主義経済には向いていない。
だから「英雄」などと呼ばれる職業、いやこの場合は「遊び人」とでも言うべきか。の、奴等が幅を利かせる始末だ。現実を直視すればするほど儲からない世界において、必要なのは現実逃避をする脳味噌とそれを押し通せる「力」だけだ。
大抵受け継いだか恵まれたかだが、実際には、それが「全て」だ。実際に直視し続けた「私」が言うんだ間違いない。
はっきり言って、現実の直視など、無駄だ。
外れの生き方を選んだと、言わざるを得ない。事実として、儲かり利益を得て楽な生活を送っているのは目の前の「英雄」様だ。
忌々しい限りだ。英雄など死ねばいい。
祭り立てられて利益を搾取するか、使い捨てにされて死ぬだけの連中だ。何とかして利益を得る為にも「利用」したいものだが、どうなるか。
今まで「成功」など、した試しがないしな。
私は適当に英雄の噺を聞き流して(そもそも、順当な成功者の噺など役に立つまい。それだけの幸運があるなら苦労はない)私はどうやってこの忌々しい男を殺そうか、という部分を考えていた・・・・・・労働に関しては、いつも忘れがちだ。
物語を売る以外に、興味は無いしな。
私は、私の利益だけを優先する。英雄の殺害でどれだけの混乱が起きようが、私の利益に関して何か影響がある訳でもあるまい。念の為に近場の株式は売却しておいたので、この銀河系が戦争でこじれる程度なら、別に問題無いだろう。
しかし、権利の主張か。要するに、虐げられた自分達には反逆する権利があると言いたいらしい・・・・・・・・・・・・敵からすれば虐殺とも知らずに。
羨ましい脳構造だ。そこまで単純なら悩みなど皆無だろう。適当に大義名分を掲げているだけで利益が勝手に付いてくるとは、楽な人生だ。
私もそれくらい楽な人生で良かったのだがな。大体、困難に向かい合って、だから何だ? その「成長」とやらで金が貰えるのか?
むしろ、逆だ。貶められ、軽んじられる。
それで「必要」とは笑わせる。何であれ結果が全てだ。過程を重要視していないくせに、過程を美化するなど図々しい。鏡を見ろ。
そんな訳で、偉大な「英雄」とやらの噺は殆ど聞いていなかったが、殺す為に必要な情報は聞き出した。大した内容ではないので詳細は省くが、彼がスーツを脱いでいる最中に私は彼を斬り殺し脱出。その後、この地域の紛争はどうなったか。 鎮圧され制御され、彼らは奴隷に戻ったらしい・・・・・・まあ、彼らが勝てばそれはそれで政府側の奴等が殺され隷属させられたのだろうし、人間の善悪など私の関知する所ではない。大体、善なら良いという割には、連中の認識が緩すぎる。
ちょっと大義名分を立てれば良いのだからな。私からすれば子供同士で言い張っているだけだ。どこにも善など存在しない。あるとすれば悪だ。 争いが悪であれば、治める為でも同じだ。
それを自認する気がない屑共の為に、ここまで苦労させられてきた。だが、そろそろ利益を得て楽な生活をしたい。するべきだ。
せねばなるまい。でなければ徒労だ。
少なくとも、それが「全て」だというなら私は人間社会などに興味はない。既に人間の在り方を見捨てているとも言えるが、関わりも絶つか?
執筆そのものを考えるか。
人間に悪意を向けるから無駄だとすれば、別に関わりたくもない。無駄だからな。
私は気分良く標的を殺し、安らかに睡眠を貪り人間への興味すら持たずに進むのだった。
7
結論を言うと、全てサイボーグだった。
革命軍と言えば聞こえが良いが、実際には外面だけ人間に似せた人造人間を組織形成の際に登用して、恐らくは金がかかるであろう機械人間だか人間機械だかを反乱軍の中核に入れていた。
何故分かるか? 今襲われているからだ。
英雄とやらを殺した際も機械部品が垂れていたが、どうやら組織の主要人物は大部分が、どこか巨大資本が政治介入したがった結果として人間の真似をしているアンドロイド、いや、この場合はサイボーグとしか呼びようのない奴等で反乱軍を構成したらしい。
アンドロイドとの違いは明白だ。彼らは元人間だが、拉致して改造し、メンテナンスが無ければ生きられないようにして戦わせる。脳を調整して死を恐れぬ兵士にし、元の記憶も消し肉体も変え文字どおり「都合の良い消耗品」として使い捨て出来る存在へと「変換」されている。
とはいえ私の財布事情とは関係ないので、私は容赦なく彼らを斬り殺した。この場合生きていると呼べるのか謎なので、斬り捨てたでもいい。
全く、公共施設を血なのか保存液なのか不明な物質で満たすのはどうなのか。どうやら連中には常識と感性が欠けているらしい。
しかし、サイボーグとはな。
作られた英雄に、作られた思想。利益を得る為利用される民衆。科学が進歩してもやる事は同じという訳だ。やることを変えずに続けるのも阿呆らしくなってくる。こちらが熱心に執筆しようが利益を得るのはそういう奴等だ。
やはり、当面は筆を置きたいものだ。
実際、疲れるだけだからな。運命の恋だのと、適当に叫ばせている方が売れるのだから、真剣に書くなど馬鹿げている。
一生現実逃避していろ、クズ共が。
書くべき事は書いた。後悔は無い。
だが、後生で認められるなど、真っ平御免だ。今、ここで私の利益にならなければ、残されたであろう物語が評価されたとして、だから何だ?
それが何になる。
まさか、作り上げる側は報われるなとでもいうのだろうか。実際にやったことがないから、映画でも何でも適当に「美化」して誤魔化せる。
冗談じゃない。なら私の利益はどこへ行く?
そもそも、後になって美化したところで、人間社会の醜さが隠せると思うのが間違いだ。後から「偉大な画家だった」と評価された奴もいたが、それは単に貴様等に評価する知能が無かったからそうなったのであって、同じ状況になれば、また同じ事を繰り返すだろう。
そいつと同じ腕の画家がいても、同じだ。誰も評価しないし、そもそも評価する知能など有りはしない。そのくせ後出しで言うのだ。
我々は素晴らしい本物を発見した、と。
情けない限りだ。こんな屑共の相手をさせられ無駄な徒労を繰り返す身を考えろ間抜け。大体、それで何になるかと言えば、自分達の過ちに目も向けず、適当に美化して誤魔化し我々には美しい物が作り上げられるのだと、貴様等の自己弁護、醜い現実逃避の言い訳が出されるだけだ。
それでいて、認めないどころか否定する。
どこぞの戦争帝国も同じだ。やれ主導者のせいだと口にするが、それについていったのは貴様等民衆であって、実際に殺したのは兵士だ。つまり貴様等の先祖が軒並みそれに荷担している殺人鬼ということだが、自分達が「善良」で素晴らしい道徳観を持っていたから「騙されただけだ」と、そう言い張って反省すらしない。
そのくせ、命令されれば殺すのだ。
大義名分があれば、偉くなった気になれるからな・・・・・・その程度の「倫理観」に過ぎない。道徳だの倫理だの、少し困ればすぐに捨てる。
自分の利益しか考えていないからこそ、彼らは「正しさ」に拘ると言える。私は無論、連中とは違って「仕事」だからな。利益も実益も取る。
屑共を排し、金にする。その為の「物語」だ。とはいえ、学習する知能のないクズに読ませても時間の無駄だったか。
だから、書店に駄作が貯まるのだ。
借金と同じだ。いつかそのうち良い作品が出るという発想は、いつかそのうち一発当てて返済を出来るというのと変わらない。
言っておくが、来ないぞ。
どんどん数は減り、読める作品も世みたい物語も無くなるだろう。全て貴様等の責任だ。
私はもう見捨てた。子供の世話係じゃない。
さて、正直先に興味すら持てないのでどうでもいいが、一応筆は進めてやった。とはいえそれも意味がない事だ。何をしても無駄な事だ。
何せ、貴様等はやる気がないのだからな。
何をやらせても、何を読ませても無駄だ。既にそのような知能は無い。そういう意味では今回の依頼は「ゴミ掃除」とも言えるだろう。
地域賞が貰えないのが残念だ。公僕の屑共は、こういう時にこそ予算を使うべきだ。ゴミ処理に貢献した人物に対して賞金を支払えばいい。
そのゴミはたまに、いや結構な確率で人の形をしているかもしれないが、些細な問題だと言える・・・・・・人型だから、それが何だ。
ゴミはゴミだ。さっさと捨てろ。
貴様等の「人間性」とやらも同じだ。何一つとして費やす執念が無いなら酸素の無駄遣いも甚だしい。鬱陶しいだけなのだから死を選べ。
お願い、ではない。今すぐやれ。
この先も同じように「生きているフリ」をするだけの人生に、何の意味がある? 道徳や倫理に縛られ、不満を言うだけで何年も生きるのか?
暇な奴等だな、羨ましい限りだ。
私には、そんな「暇」は無かったのでな。常に生き急ぎ、常に味方などおらず、常に敵対視され妨害を受けてきた・・・・・・・・・・・・何故だ?
思うに、私が「人間性」と相容れないからだと今では思う。誰も彼もが悪意を否定しなあなあで生きるこの世界では、猿の方が快適だ。
考えもせず、悩みもしない。
そんなものだ。国が何とかするべきだと思っているし、誰かが何とかするべきだと叫んでいれば「義務は果たした」と、思い込む。やはり、私の歩く先に意味があるのかは、疑問だ。今の今まで何も出来なかったゴミ共に、私は限りなく行動と意志で示してきた。
だがそれも、全ては無為だ。
何せ、連中は「楽がしたい」だけなのだからな・・・・・・・・・・・・ある意味「意志」を書き連ねて過程を描く物語が、肝心の「結果」を出せないとは、何とも皮肉だ。無論、私は意志の「結果」のみを書き連ねるので、「結果の集合体」と取れなくもない。とはいえ、物語の内実が価値が無いという人間社会の考え自体は、不変だ。
誰も、物語を真剣には扱わない。
それが、私が実際に「物語」と真摯に向き合い得た「結果」だと言える。我ながら無駄な徒労に時間をつぎ込んだものだ。無駄なのにな。
何せ、これは知恵を示す物語だ。
知恵どころか己の考えも全人類が失ったなら、今更読ませても時間の無駄だ。案外、私は時代が遅すぎただけなのかもしれない。
既に、「人間」は絶滅している。
少なくとも、それが「困難」に立ち向かい戦い続け、諦めず「己の意志」で突き進む生命体だとすれば、そんな生き物は既にいない。
私は最初から、人間ではないしな。何にしろ、読むだけの知能が無いなら時間の無駄だ。私とて猿相手に売り捌く趣味はない。それならただ金を稼いでいるだけで十分だ。猿相手に物語なんぞを見せたところで、何になる?
ただの「徒労」だ。何も変えられはしない。
私は追ってのサイボーグとでもいうべき奴等を殺し、いや「処分」しながら考える。こいつらと今の人類に「違い」はあるのか? いいや、まだこいつらには向かうべき意志、というより方向性が存在する。今回は私という敵対者を殺す事だが労働に向ければ役に立つだろう。
対して、今の自称「人間」はどうだ?
己の意志も持たず、進むべき方向性すら人任せで、さしたる「仕事」すら存在しない。
ただ、楽して儲けるか、出来ないかだ。
少なくとも「仕事」と呼べる行いが出来る奴はいないだろう。むしろ、そうすればするほど追いやられる社会故に「絶滅」したのだ。
だからこそ、この始末だ。
いい加減、考えるのも疲れた。考えたところで私の意志や行動では微塵も動かないし、どうしたところで関係ないクズほど持ち上げられる。
それを「実力」だと言い張るのだ。
度し難い愚か者だが、力があればそれが全てだ・・・・・・第一、過程の有無などを重要視するなら、今の社会形態は有り得ないだろう。
まず、金と人脈が政治に必要なのだ。これではどうしたところで既得権益が集中する。民主主義と言えば誤魔化せると思っているのだから始末に負えない。当たり前だが多数決というのは、単に多数を動かせる「力」の有無で決まる。
そして、多数を動かせる時点で「恵まれた運の良い奴」でしか有り得ず、そんな幸運しか取り柄のない輩に「実力」など伴う方が稀だ。
貴族制も、民主制も、社会主義も同じだ。
とどのつまり「選ばれた椅子に座れるか」で、その椅子に座るのに必要なのは「実力」ではない・・・・・・・・・・・・金と人脈と暴力だ。
即ち「力」で、振るえる側にいるかどうかだ。そして、力そのものは生まれついて得るか後から支持されて身につけた気になるかのいずれかだ。しかし、今の社会に優れた素質を認め、新世代を育てる規範などある訳があるまい。
それをしないからこその、現代だ。
であれば、結局の所「無駄だ」と分かり切った上で動くしかないのだろうか? だとすれば正直付き合ってられない。餓鬼の子守は御免だ。
いっそ適当に切り上げたいが、どうするか。
まあ、価値が無いなら切り捨てる。そこに感傷の挟む余地は無い。人間はとうに見捨てているがそれ以外に捨てるものがあれば、捨てよう。
価値がないからな。
この場合「力が伴わない」とも言える。要は、この世界は力で押し通せるかが「全て」だ。この発想は私が持ち得たものではない。私が生まれた時点で既に、この世界の「基本概念」として作りあげられてきた「世界の地盤」だ。
でなければ、神仏など誰も信じまい。
尊いから信じるとでも? まさかだろう。単に力があれば「おこぼれ」に与れるかもしれないという理由で、彼らは一心不乱に祈るのだ。
人間の力では、無駄だからな。
人間性を最初から捨て去ってさえ、個人の力は無力なのだ。実際、所謂その「意志」や「信念」というのは波及しない。勘違いされがちだが何か「正しい行い」だから後に残るのではなく、単に「残す為の力が多かった」から残るだけだ。
真実の行動? 馬鹿馬鹿しい。
恵まれているが故の発想だ。真実だろうが虚実だろうが、とどのつまり「力」有りきであるのは変わるまい。
無力なままで、何が出来る?
文字どおり「無駄」だ。思うに、運命を変えたと嘯く時点で、運命に恵まれたに過ぎない。運命など、さして大した存在では無いからだ。
運命がどうあろうと、変わらない。
とどのつまり「力」であり「金」だ。恵まれて何かを持てるかだ。私からすれば、たかだか運命に従うだけでは「乞食」と変わらない。
どれだけ豊かでも、惨めな奴等だ。
だが、そういった「実体」など、関係ないのだ・・・・・・どれだけ精神が未熟だろうが、それを押し通せれば「正義」となる。そういうものだ。
これは、人間も怪物も変わらない。
彼らも所詮、力で言い張るだけだからな。要は「人間は汚い」と言いながら力押しするか、逆に「怪物は醜い」と言いながら押し通すかの違いだ・・・・・・端から見る分には阿呆丸出しだが、しかし彼らには「力」があり、気にする余地も無い。
だから、気にすらしない。
指摘されても怪物も人間も揃って、その「力」を振り回すだけだ。権力者が駄々をこねて戦争を始めるか、怪物共が人間など塵芥と軽んじ戦争を始めるか。いずれにしても「結果」は「同じ」でさして変わるものでもあるまいよ。
無力なこちらからすれば、羨ましい限りだ。
他に、やることはないのか?
暇な人生で、実に羨ましい。長生きすれば幸せだと自惚れる連中にはわかるまい。かつて、成人すれば剣を抜き、三十を越える頃には覇王として君臨した者達がいた。
だが、今はどうだ?
精々、家の中で覇者を気取り子供を殴る程度の輩か、それらしい組織内での権威で満足する程度でしかあるまい・・・・・・金を稼ぎ社会的名声とやらを手に入れれば「立派」だと思う始末だ。どうも人間というのは小さく成りすぎて、かつて生きた人間とはかけ離れた「進化」を送ったらしい。
無論、皮肉だ。皮肉を解するかも疑問だがな。少なくとも「殺される覚悟」を持つ者など、現代ではもういないだろう。常に先を危ぶみ決死にて挑み続ける精神など、所謂その「平和」とかいう綺麗事には「邪魔」だからだ。
実際にやった私が言うんだ、間違いない。
彼らは、無条件で幸福が訪れるべきだと思っているし、その為には「善良」であればそれだけで行われるべきだと信じて疑わない。
その方が、楽だからだ。
嘆かわしい事に、この世界はそれを容認した。情けない事この上ないが、連中に「恥」を感じる機能など存在しない。心の機微があるとすれば、それらには「己の責務を果たす」などという思想は含まれない。ただ「楽がしたい」「善良だからそれでいい」という逃避癖だけがそこにある。
迷惑極まりない。やはり人間は駄目か。
私は執筆を止めないだろうが、見捨てられたと認識する脳味噌すらない猿相手に商売をしても、文字通りに「時間の無駄」だ。人間社会などには真剣に考える価値は無く、ゴミ同士で勝手に立派だと言い合うだけで、付き合うだけの意義も無い・・・・・・・・・・・・ならば、どうでもいいか。
社会も経済も幻想ならば、関係ないしな。
失望すらしない。ただ無駄にした時間分の金が欲しいところだが、そのような事が出来ないからこそ迷惑をかけられている。故に、思わない。
それだけ、価値が無いのだ。
考える手間が惜しい。
価値を示せる者が無いなら、既に世界は滅んだも同然だ。既に「終わって」いるものに、何かを語りかけるだけの価値はない。
やはり、適当に済ますか。
サイボーグの始末も読者への対応も、同じだ。邪魔なら始末するし、無駄に力だけあるなら無視する。従っていると勘違いさせるしかあるまい。 何せ、大きい子供だ。人も神も仏も同じだ。
要するに、押し通せる「力」があるかだ。他に重要視するものはない。どうしても力を得られず終わるなら、意義のない世界だ。
子供の駄々に付き合わされるに、等しい。何の価値も無いのだから、どうでもいい些事だ。要は世界の在り方とは「それだけ」かもしれない。
力以外で、何かを示した奴などいないからな。神の教えは異教者を殺して広め、王の正しさなど殺戮で広まる。言っては何だが、人間の歴史とは「ただのそれだけ」に過ぎない。
どうやら、私の番は無いらしい。
そこまで見る目玉が無いなら、こちらとしても興味はない。正直、気にかける気にもならない。私は暇ではないのだ。遊びなら余所でやれ。
私は「何かを信じる」という行為には無縁だが・・・・・・そういう意味では神仏など底が知れる!
何せ、この私の作品を広める事も出来ないのだ。 これが「無能」でなくて、何なのだ?
まあ、案外彼らも現実逃避がしたいのかもとは思う。実際、古今東西の神話で「己の罪業」など認めた神はいない。やりたい放題するだけだ。
さして海賊と変わるまい。いや、己の行いにも責任を取れないのだから、さらに質が悪い。この場合「頭が悪い」とも取れるが、同じだろう。
それでも、神仏は「正しい事」に出来る。
そこが肝要だ。私もそのような「楽」を死体と思っているが、どうも出来ないらしい。やれやれ参った。理不尽ここに極まれりだ。
遊んでいても、賽銭で生活とはな。
人間の歴史に限らず、どうやら連中も既得権益による「甘い汁」が、大好きのようだ。
まあ、結局それを全てにしたのだからな。
それ以外に、望むべくもあるまい。
それ以外に、この世界の価値は無くなった。
迷惑な噺だ。どうして連中は真剣に生きられぬのだろう? 頭だけでなく、魂も腐るのか?
かもしれない。見ればわかる。
何せ「仕事」を、していないのだからな。所詮持つだけの連中では「成し遂げる」という言葉の意味を、「知る機会」さえ無い。
思うに、資本主義社会において「成功者」だと言われる連中というのは、紛争地域で飽きもせず地雷を埋め続ける為政者に似ている。彼らは当然大した能力はなく、人の上に立つ器などある筈も無い。だが、それでも彼らは思うままに殺し奪い「立派な」人間として勝利を収めている。
何故か?
運が良いからとしか言いようがない。とはいえ支配される側に問題が無い訳でもない。例えば、そういう地域の子供は交配の過程で知能低下など粗悪同士の掛け合わせで(そもそも、養う金すら無いのにどうして子供を作るのか不思議だ)頭がおかしくなっている場合が多い。
例えば、こうだ。
地雷原をわざわざ何故通るのか聞くと「近道をしたかったから」と答える。あるいは大人でさえ「どうしてこんなことになったのかわからない」と言い出す。そのくせ現状を打開する思考回路は無いどころか、そもそも考えもしない。
これは、先進国の貧困層でも「同じ」だ。
おおよそ人の親とは思えないほど幼い思考で、簡単に犯罪を犯したり虐待をしたりする。これは珍しい噺ではなく、むしろ一般的な事実だ。
だから、地球の裏側の「可哀想な子供達」には寄付を億単位で集められるのに、その一方で国の横暴に行動を起こさずただ「耐える」事を美徳とする。結果だけ見れば子供達を売りさばいている紛争地域の自称「大人」達と同じだ。それが単に分かり易い人身売買になるか、経済面を圧迫され黙るくせに「偉ぶれる」相手には行動を起こすかいずれかだ。
さして、変わらない。
同じ事だ。それを、延々と繰り返している。
阿呆らしい噺だ。そのくせ数だけは多いというのだから手に負えない。ある意味、私の作家業もそれらと同じ邪魔を受けている。
・・・・・・物語は、やはり無駄か?
私は悪意を広めたかった。汚ならしい綺麗事を並べているクズ共に、悪意を刻み、自認させ現実を直視させる・・・・・・実の所、不可能など無い。
社会という物が歪み続けるのは、そういう嘘で「生きる」という行為を誤魔化し続けてきたからなのだ。悪意を肯定し争いの中で掴み取るなら、そこには「覚悟」がある。
運だけで誤魔化せば、順当に運が多い奴だけが勝利する。それは才能であり、金であり、人脈であり多くの「授かり物」だ。しかし、そういった授かり物を活用して活かす奴など一人もおらず、結果空からの授かり物を得た奴等の中で、一番に要領よくやれる奴が美味しい汁を啜るだけの世界に成り果ててしまった。
結果がこれだ。情けない。
書店には現実逃避のゴミが山と積み上げられ、誰一人として「学び」など考えもしない。如何に楽して「成功」が得られるかどうかだ。
あるいは、そういう気分になれるか、だ。
だからこそゴミの山が捌かれる訳だ。最初から誰も物語なんぞ見ていない。成功者の言葉に縋り付き、「運」以外で何とかなると逃避する。
言っては何だが、仮に「運」を覆すというならそれなりの労力が必要だろう。幾年月を物語へと費やしてきた「私」でさえ無為だった。
それを、成功者の言葉だけで?
意味不明だ。どれだけ楽をしたいのだろうか。いや、この場合「権利だけ主張する」というのが相応しいだろう。
何せ、彼らは何もしていない。
目指すべき到達点さえあやふやなのに、成功を求めるという矛盾。どう言い繕った所で「劣化」していると言わざるを得ない。
人間は既に「終わって」いる。
大体、戦争をするから世が悪くなるというのが間違いだ。何もかも小綺麗にしたいならさっさと人間を絶滅させろ! その方が早いぞ。
第一、戦争が平和と真逆、という発想そのものが幼い。私からすれば戦争、というより争い無き世界の方が「物騒」極まりない。
先程の噺ではないが、争いを否定すれば、運で振り分けられ全てが決まる。当たり前だが戦争が出来ないという事は、ただ単に当てはめられた、最初からの「差」を覆せないという事だからだ。 つまり、逆転が出来ない。
戦争をしろ、というのも違う。戦争というのは経済を流動させ他国に力を示し、まだ見ぬ大地へ突き進む行為だ。常に戦争をしていては疲弊し、肝心の国自体が壊死してしまう。それでは意味があるまい。
言えるのは、例えば現代であれば貴族出身なら「刺激のない退屈な生活」という「運命」を押しつけられただろう。だが、それが海賊になり奪い殺し戦う道を選べばどうなるか? ロクな死に方ではなかろうが、しかし「運命を変える」事が、いともたやすく行えた!
要するに、今は強要しているだけだ。最初から決まっているものだけで押しつける世界。それを「平和」だのと吠えているだけで、実際には単に「その方法論で得をする連中」による奴隷階級の復刻とも言える。
実際、奴隷ではないか。子供でも分かる話だが「金も人脈もない貧乏人」が「金も人脈も権力も持ち得る大企業」相手に、如何に「平等な法律」とやらがあったところで、勝てると思うか?
いや言わなくていい。無理だ。平等な法などと妄言に騙されるとは、愚か極まりない。要するに「平等」ではなく「公平感」だ。規範そのものが公平であれば、まるで「誰もが同じ権利を持つ」かのように「錯覚」させる事が出来る。
事実、社会はそう形成されてきた。覆せるのはただ「暴力」であり、話し合いで権利を勝ち得た歴史など無い。裁判にしろ戦争にしろ、物を言うのは「暴力」だ。それが「金」という形かどうかというだけで、性質そのものは変わらない。
そもそも、決めるのは人間だろうに。裁判官に余所の国の神を据えたところで同じではあるが、ならば尚更「公平」など人には不可能だろう。
その程度の事も、分からないのだ。
一体、今まで何をしてきた? 遊び人か?
いずれにしろ、私は真剣に世の在り方に向き合い戦ったが、どうやら値する物は無いらしい。
嫌な噺だ。うんざりする。
今更だが、私がやる意義は無い。無駄な徒労に無理矢理付き合わせられているだけだ。
だからだろうか? 私は人の顔を覚えられない・・・・・・覚える価値のある奴はいないのだ。血縁がある奴らも同様で、私はよく知らないままだ。
実際、まともに「対話」はした事がない。単に身勝手な都合を語り、それをどう押しつけてくるかだ。血縁に限らずこちらの意見や理論は聞いた人間など一人もいないので、喚く獣との違いなどある訳があるまい・・・・・・獣の方がマシだ。
人間は「お手」も出来ないからな。
未だに、よくわからない生き物だ。どうすれば自分達の都合だけを「正義」みたいに語れるのか不思議でならない。何にしろ迷惑だから死ね。 貴様等の命なぞ、どうでもいい。
無闇矢鱈と殺さないのは「面倒」「疲れる」というのもあるが、官憲の目が無ければ子供の頃に目に見えるだけ殺していただろう。
だが、その私を「後押し」するものはいない。連中の臭くて汚い「綺麗事」を、仮に神仏とやらがいるなら「肯定」しているのだろうか? だとすれば馬鹿馬鹿しい限りだ。お似合いのゴミ同士仲良く腐っていればいいものを。
生きていても死んでいても迷惑な奴等だ。
そんな貴様等に、一つだけ教えてやろう。
こんな状況でさえ、いや、「事ここに至って」と言い換えても良いが、とにかく私は「第六感」というヤツを「信じて」いる。正直、それさえも疑いたい状況ではあるのだが、それを信じないのであれば、何を信じても「無駄」ではないのか? 無論、第六感が「売れる」と言う訳ではない。そういう「都合の良い展開」と私は無縁だ。だが「進むべき道」を「進んでいる」という感覚だけはあるのだ。ある筈だ。確かな証拠はない。
しかし、これが「道」で無ければ何が道だ?
クズ共のように流されて生きるのが「正しい」とでもいうのか? 馬鹿馬鹿しい。であればその正しさなど胡蝶の夢よりも儚いだろう。
ここに記し続けた事が「真実」だ。無論、真実に「力」など無い。受け継がれる事もないし後に続く事もない。そうだと信じ込んでいる奴は多いが、それだけだ。実際には違う。
死後の真実とは、言わば「残骸」にすぎない。 その辺りは宗教と同じだ。偉大だろうが尊大であろうが、何にしろハイエナが群がって「利益」に変える道具でしかない。真実とは受け継がれずその時々での悪足掻きに過ぎないのだ。だから、真実であるかはどうでもいい。
現に、無駄でしかないしな。そんな些末事より金、金、金だ。権力などもとどのつまりその力で運用されるのであって、所謂その「正しい」とか「正しくない」とか「倫理」や「道徳」などは、要するに「誰が一番金を持っているか」で勝手に決められる支配の形に過ぎない。個人が何を信じどう行動しようが、金の前には無意味だ。
実際にやった「私」が言うのだ、間違いない。はっきり言って何を貫こうが信じようが行動して戦おうが、何の価値もないし、無力だ。たまたま運に恵まれた奴の方が「得」をするし、実際には意志の尊さなんぞは「後付け」で付与される割引シールに過ぎない。
安物、という意味ではどちらも「同じ」だろう・・・・・・それらに「輝き」みたいなものがあると、そう吹聴する愚か者共は「幸運」が味方しているだけで、別に「困難を克服」などしない。ただ、「困難のようなもの」を予め乗り越える力を与えられた状態で受けるだけだ。
それを「克服」とは言うまい。ただの幸運だ。力が付随する状態で、ご褒美の伴う困難がやってくるというのだから、手に負えない。
自分達の「真実」が勝ったと思い込む。
救い難い阿呆だ。無論、そのような奴等を救う気など毛頭ないが、いずれにしても忌々しい。
簡単な「真実」を教えてやろう。
いいか、よく聞け。
今の人間は「真実」など見ていない。
それが「全て」だ。誰も真実など求めていないのだから、力などある筈無いだろう。現実逃避や都合の良い言い訳こそが必要なのだ。何故なら、人間というのはいい加減「世界に可能性が無い」という事実に気付く奴が増えたのだ。
努力したから、だから何だ?
友情があれば、それが何だ?
愛に苦しんで、けれど何になる? そういうのは「物語の中」で楽しむものであって、現実には違う。愛し合ったつもりでも恋に冷め育児に疲れ夢から現実へと苦しみが移行する。かかる負担は子供に押しつけ殺すか潰れるかどちらかだ。
全ては、最初から決まっている。
頭の悪い奴が才人になる事はない。規範という囚人規則から外れれば、余程の「幸運」に恵まれ無い限り死刑になるのが必然だ。
逃れる方法があるかのように、自称「成功者」は嘘を吐くが、逆に言えばそれらに「縋る」しか無いほどに、今の民衆には「未来」が無い。
見るだけ無駄だと、誰もが理解する。
既に「人間」という種は死に絶えているので、私が売れと急かす奴等は「死体」なのだ。だから売れないのかもしれない。死者に生きる絶望など売れる筈があるまい。所詮死人なのだから、夢の世界で極楽に耽るのが精々だ。
ならば、無駄だったか。
かもしれない。迷惑な話だ。
ちなみに、こうしている間にも私はサイボーグの奴等を斬り殺し続けた。人間でも継ぎ接ぎ機械でも、壊せば動かなくなるのは「同じ」のようだ・・・・・・・・・・・・強いて言えば破壊した際に静電気が飛び散るので、連中は視覚に悪い。
血は服が汚れるのが嫌だが、こうしてみると、やはりどちらも御免だ。いずれにしても面倒だし手間がかかる。殺すのは好きだが飛び散るのには辟易するのだ。あれこれ言う前に殺し合えるのは健全だと思うが、今回始末した英雄共の大義名分にせよ、物理的な汚れにせよ「余分」というのは目障り極まりない。
無駄は省くべきだ。そうではないか?
周囲を見ると、中途半端に整備されたインフラ施設や、パイプラインらしき物騒な建築物が景色の果てまで広がっていた。物騒、というのは資源獲得ほど争いを生む原因は無く、生存競争に近い形で、しかもそれを「兵器運用」という形で行い「暴力格差」を如実に表す理由だからだ。
人間社会において「力」こそ「神」とも言える・・・・・・実際に正しいかなど、問題ではない。
正しい、という思想を暴力で肯定出来るかこそ肝要だ。神を見習うのではなく神を背中に正しさとやらを喚く人間の、何と多い事か。
そして、現実において「金」や「権力」という物理的な力こそ「神の源泉」と言って良い。要はそれだけであって、他に大切な物など無い。
あると思い込んでいるだけだ。実際、仮にその「正しい神」とやらがいたとして、それが何より偉く尊く素晴らしいものだとしよう。
その力を上回れば、それで終わりだ。
簡単な生物淘汰であって、要するに一番暴力で押し通せるからそうなのだ。技術の発展によってそれは集団での戦争になり、船を漕いで異教徒を殺し尽くし、仏の名の元に金貸しを行い効率的に行えるように進歩する。
それが「人の歴史」というヤツだ。実際には、人間の歴史にはその程度の価値しかない。なので原始人類とさして変わりはないのだが、これらの技術体系に「正しい」という大義名分を埋め込むと、躍起になって殺し合うのが常らしい。どうもその痕跡も残されているようで、パイプラインの近くには死体の山か、処理した後が見える。
埋めれば、社会的体裁も保たれる訳だ。
効率がいいな。中々に「合理的」だ。殺処分を行う際には、人間でも動物でも(両者の違いなどあるのかは知らないが)ベルトコンベアに乗せて流れ作業で出来るようにというのが、古来からの「伝統」だ。
実際、生き埋めの例も多い。
そして報復が行われるが、現代では「個人」に力など無く「組織力」が全てだ。ゲリラ戦にしろ何にしろ「持つ側」でなければ無条件敗北。
それが「事実」だ。だから死んでいる。彼らは名誉の死なのだろうか? いずれにせよ死んだ後には死体だけで、その死体すらも消える。
文字通り、何一つ残りはしない。
あの世での裁きがと騒ぐ阿呆は多いが、地獄の沙汰も金次第だ。あの世の社会構造は知らないが「権力」が存在する時点で「持つ側の理想郷」であるのは「確かな事実」だ。天国行きが敬虔なる行いで手に入るなどと、脳味噌が無いのか?
そんなのは賄賂で行くのと同じだ。要するに、たまたま権力者の気にいる生き方をしたかどうかだけで、文字通り全ての処遇が決まるのだからな・・・・・・・・・・・・やっていることは、娘を差し出して便宜を図る「悪代官」と変わらない。
そういえば、そういうゲームもあったな。
世の中はかくあるべきだ。正義だ何だとほざく殺戮者を処刑し、我が儘を通せればそれが全て。そう定めたのは今までの人類であって、搾取こそ人間の証だ。逆に言えば、そのような「善良さ」を前提に決めるなど、人間に反している。
殺してこその「人間」だ。
奪ってこその「人間」だ。
騙してこその「人間」だ。
負けるのが嫌なら搾取する。出来なければただ無駄な人生を終えるだろう。言っては何だが宗教なんぞは「その為の口実」こそが使い道だ。
少なくとも、それ以外の使い道は存在しない。現代社会において宗教とはまさしく「搾取構造」を支える柱であり、神を信じるなら寄付をせよと洗脳する為だけに信仰する。最もらしい経文などその典型で、何の力も有りはしない。
強いて言えば、騙し易さか。
見習いたいものだ。そういう生き方が出来ればさぞ楽だろう。だから「悟り」だの「天国」だのほざく奴がいるのかもしれない。
楽して儲かる。何よりも適正だ。
羨ましい限りだ。暇そうで・・・・・・この台詞も、もう何度目だろう?
私は前に、進んでいるのか?
同じ場所に来ているのではと、一体何度思っただろう? いい加減「限界」なのかもしれない。己を信じて進もうが空から幸運が降ってくるのを待とうが、本質は同じだ。信念を貫いて戦おうが麻薬をばらまいて儲けようが、人間社会において「成功」というのはあるものだ。
むしろ、楽な道程の奴の方が多い。だからこそロクな使い道も出来ないのだが、それでも勝者は勝者だ。そうやって誤魔化し続けてきたからこそ「人間社会」は「発展」してきた。
別に、人間が前に進んだ訳ではない。
単に、持つ者が更に利便性を、豊かさを求めて命令したからこそ、そう成っただけに過ぎない。世界の発展に関係あるのは「力」であって、その力の運用がどうであるかは関係ないのだ。要は、力を持てば全てが許され(天の意志など金の力に比べれば無意味だ)何をしても「正義」だ。
物語もそれは同じことで、過程にどれだけ苦労しようが関係ない。現に、流行というのは売れるから売れるのであって、過ぎ去れば何故買ったかさえ忘れる。そしてそれらは最も「力」を乱用し儲けられる側にいるかどうかで決められる。
何をしようが「無駄」だ。
最初から分かってはいた。落胆すらするまい。とはいえ、無駄であればこうして執筆する必要も無いので、正直やりたくない。時間の無駄だ。
読者にも編集者にも、考えなど存在しない。
底まで世界に価値がないなら、せめて楽な生活くらいは送りたいものだ。私とて暇ではないので無駄な餓鬼の我が儘に付き合わされるのは御免だ・・・・・・・・・・・・それも、力次第で強制される。
猿の惑星ならさっさと滅べばいいものを。大体生きて成すべき行いが無いなら、長生きして何の意味があるのだ?
肉を並べているのと同じだ。汚い肉だが。
人間を「間引き」するなら凶悪な感染病をバラまくのが良いだろう。生きる価値のない自立思考出来ない奴から死んでいく病が望ましい。
まあ、そこまで出来れば苦労しないが、本来は生物淘汰というのはそういうものだ。淘汰されずだらだら増やしたからゴミだけが増えた。現に、生きる上で己の道を歩んでいる奴が何人いる?
いない。数えられれば良い方だろう。
ゼロには、何を掛けてもゼロだからな。
苦難とて同じだ。苦難を乗り越えれば「希望」があるなどという戯言は、とどのつまり真に立ち向かった事がないからこその台詞とも言える。
実際には、無駄だ。どんな苦労を過程でしても結末には関係がない。散々苦労ばかりした「私」が言うんだ間違いない。苦労、迫害、失敗からの敗北など腐るほどしてきたが、見合う実利?
無いからこうなっているのだ、間抜けが。
全ては「運次第」だ。それ以外に重要な要素は存在しない。あれこれ手を尽くし策を弄してきたが、結局利益を得るのは運のある奴だけだった。 幸運による「後押し」が「全て」だ。実際にはそれだけであり、真実に向かう意志がなどというなら私の意志が「偽物」だから駄目だとでも?
第一、その真偽は誰が決める? 偉そうな誰かの決定に従うというなら、それこそ「運不運」でなくて何だというのか・・・・・・・・・・・・意志ではなく「力」こそが「全て」を決める。今ある時代での「正しさ」など、単に「その時代で最も力を持つ者にとって都合がよいから」という理由だけで、ただ右から左へ伝達される命令に過ぎない。要は押し通せるか否かだ。
事の真贋など、決められるから決める。
それが「全て」だ。他には何もない。
現に、そのおかげで私は無駄な徒労を強いられている訳だが、仮にこの先売れたとしても未払いの金が後から払われただけであって、それまでの「過程」における「苦労」に価値など無い。
文字通りただの「無駄」だ。それで執筆が進み多くを書けたとして、だから何だ? 物語には、いや読者には物語から学ぶ脳など存在しない。
だからこそ、ゴミが売れるのだ。如何に楽して良い気分になれるかだけを追求した、逃げの発想のみの駄作の山の、何と多いことか! まさか、自分達が高尚で、善良で、素晴らしい希望のある生命だとでも自惚れているのか?
冗談は休み休み言え。私のより酷い。
仮にそうだとしても、やはり私個人の目線からすれば「無駄」でしかない。私の目的はあくまで私の豊かな生活であって、読者共へ悪意を刻み、悪を自認させるのはその結果だ。それをする為に私が強いられては意味がない。
その程度の違いも、分からないのだろうな。
だからこその現状と言える。いずれにせよもう私にはどうでもいいことだ。関係ないしな。大体物語なんぞ売れなければ日記以下だ。
疲れた。もう休みたい。
どのみちこのままであれば書く意味は無いのだ・・・・・・ここらで筆を休めるとしよう。
意義があるのか、無いのか。
答えは分かり切っている。所詮は「運」であり意義など存在しない。あるかのように見えているだけで、意志や行動など無意味だ。
とはいえ、書くべきは書いた。
それでも書いたのだ。後悔は無い。無論、金にならないなら興味もないが、それだけだ。
では、さらばだ読者共。
縁があったらまた会おう。無論、今更読者との縁が出来たところで、私には嬉しくもない。
これ以上は、仮に書いたとしても、やはり蛇足でしかあるまい。邪道ならそれでもいいが意味は無いし、価値にもならない。
安心しろ、期待はしない。
貴様等の性根は分かっている。
なので、私の作品を読んで「面白い」と想い、それらを「売る実力」が付随して、かつ「作者に利益を還元する」気があるなら魅せてやろう。
世界を、悪意が変革する様をな!
#縦書き
#生き方
#ファンタジー
#人生哲学
#仕事
#殺人衝動
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例の記事通り「悪運」だけは天下一だ!! サポートした分、非人間の強さが手に入ると思っておけ!!
差別も迫害も孤立も生死も、全て瑣末な「些事」と知れ!!!