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邪道作家11巻 今度の敵は救いの主 救世主症候群を利用しろ!! あとがき付

テーマ 非人間讃歌
ジャンル 近未来社会風刺ミステリ(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)

縦書きファイルは固定記事参照

簡易あらすじ

誰かを救いたいというのは「救いたいという欲望」であり、恒久的平和を望むだとか争いを無くしたいだというのは、要は人間を受け入れられない狭い器というだけだ。

争うからこそ人類だ。


それが「人間」であって、平和だけ救われただけの豚を、人間とは呼ぶまい。不必要に破壊を繰り返し大した善性を持ち合わせないがたまに傑作を作って役に立つ。まして、争いの無い世界なんぞ、現実を見る気がないだけだ───私のような非人間作家は「死ね」とでも?

馬鹿馬鹿しい限りだ。ならば殺すに限る。

さて、それそろ始めようか。思うに、救世主に欠けている物は多くある。というのも必死に「今を生きる」執念を見ていない。


安全圏から、口先だけの綺麗事。


それが嫌いな奴等は読むがいい。ああ、おひねりは札束で頼むぞ••••••読むだけ読んで払わない不埒者は、右と左を殴ってやろう。

悟りを開けば三度まで痛めつけても、従順に罰を受け入れると言うしな••••••••••••ならば、払わない読者は磔刑だ!!

磔の刑が、相応しい!!!



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 売れる物語とは何だろうか?
 答えは、「つまらない薄っぺらな、それでいて中身が無く流行にだけは乗っていて、華々しさやもしも自分がそうなれたらという妄想を仮想体験できる余地が詰められており、飽きたらすぐに捨てられる」物語だ。
 一言で言えば、読者にとって「都合が良い」事が必死条件だろう。むしろ「実力」などない方が売れやすい。表紙だけ立派に飾れれば良いのだ。どうせ中身をじっくり読んで、それを買おうという奴はいないだろうしな。
 世の中そんなものだ。
 勝利に必要なのは執念ではなく、要領である。 私も要領良く生きてきた方だが、連中の要領の良さには舌を巻く。よくもまあ、ああも都合良く世間を手玉に取れるものだ。
 感心する。
 連中の中身の無さには。そのくせ本物になりたいだとか、中身のある本物みたいな思想を持ちただとか、我が儘を言う。本物かどうかなど、そんなのは連中が勝手に決めることであって、ミロのビーナスもモナリザも、別に心の底から感動して皆が認めている訳ではないと思う。流されているだけだ。まあ、私が心ない殺人鬼の思想を持っているからこそ、そう感じるだけかもしれないが。 しかし「事実」だ。
 ミケランジェロがどれだけの芸術家だったかは知らないが、それを完璧に理解して共感できるほどの奴ならば、同じ様な芸術を作り上げられるのではないだろうか? 少なくとも全員ではあるまい・・・・・・殆どの連中は、ただ「良いモノらしい」という風潮に流されて、よく分からないけれど、ただ合わせているだけだろう。
 石の中に運命を読み解ける程だったらしいが、そんな境地を一般の人間が感じ取れるとは思えないし、同じモノを作品を通して感じ取れたとして同じ「何か」を感じ取るかは、また別の噺だ。
 私が言いたいのは「本質など下らん」という事・・・・・・「物事の本質は結果に関与しない」という部分だ。努力は無意味で抵抗は無駄。だとしたら人間に出来る事は限られてくる。無論人間でなくても「運命に縛られる」点は変えようがない。
 足りない部分をどうするか? 噺は簡単で、大きな何かの力でも借りれればいい。それが出来れば苦労しない気もするが、現実問題自分ではない誰か「協力者」を得られるかどうかは、その後を楽に進められるかに関わってくるだろう。
 散々それを手に出来ないが故に手間と労力を賭けた私が言うんだ、間違いない。
 そんな都合の良い「協力者」がいれば、生きる事に苦労はしない。どうしたものか。とはいえ、そうして手を打ってきて、何か一つでも成功したかと言えば、そうでもない。何より「作家業」はどう足掻いても「外せない」のだ。「性」だと、そう捉えて支障ない。
 金になろうがなるまいが、やるしかない。
 金にならない時点でやる気は失せるが、私個人のやる気など関係なく執筆は進んでいく。もしかすると何か電波でも受信しているのかもしれない・・・・・・私自身を「フィルタ」だと以前称したが、こうなるとそれも笑えなくなってきた。
 嫌な噺だ。
 私は「これこそが本物だ」と誰かに評されたい訳ではないし、そんな事は一度もない。ただそれなりに金を稼いで、適度な自己満足で充足を満たしつつ、適当に「人間性」を味わいながら娯楽として楽しみ、「人間の物真似」を楽しみながら、それで「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」を豊かに過ごしたいだけだ。
 作家として望むモノなど、何もない。
 有るはずがないだろう。
 作家の名誉はあくまでも「作品の名誉」であって、私個人には関係がない。どんな内容を書いたかなど、覚えてられないしな。
 目立つのは嫌いだ。
 疲れるからな。
 覆面作家として金だけ入ってくれればそれで、全てが解決するのだが・・・・・・思い通りに行かないものだ。最も、思い通りに事が進んだ事など、生まれてこの方一度もないが。ささやかな願いさえ絶対に叶わないのが、私の今までだ。
 これからも多分そうだろう。今までそうだったからと言って、これから先は分からないじゃないか、などと言う甘ったれがいるが、これまで散々「結果」が出なかった事に対して金を払う人間は一人もいない。少なくとも投資家ならそうだ。生き抜くという事は、それら今までの経験から有用性の高い「利益を出せる行い」への投資活動だとも取れる。
 良いパートナーを選べるかどうか、というのもその延長線上だろう。愛ではない。ただ単に、己の利益を満たせるかだ。「理想的な家庭」を求めている、相手に何かを要求する事は無い、などと言っても、それはそれで「理想的な家族を得る」という目的を達成する為に、相手を選ぶのだ。
 心ない殺人鬼と変わるまい。
 人類皆殺人鬼だ。己以外を殺すことで、充足や安心を得て、生きている。
 誰かを殺さずにはいられない。
 職場で、家庭で、遊びの場で、「邪魔な奴」を排除するのは当然だ。その結果、相手がどうなろうとも、誰だって気にしない。
 自分というコミュニティの「外」にある存在は生きている一人の存在として、勘定に入らないからだ。それは当たり前のことだ。自分に関係ない人間がどう苦しもうと、どうでもいいではないか・・・・・・もっと邪魔者を殺せ。
 そうすれば心地よく生きられるぞ。
 なんてな。
 何故、私はこうまでして「作家業」をやめられないのだろう。本当に面倒だ。他に金儲けの才能を磨けるほど器用ではなかったからだろうか。
 金にならないなら、筆を捨てる事も、いい加減考えなければならないな。まあ、そうは言っても染み着いて離れないので、忌々しい事この上ない噺だ。どうしたものか。金と物語があれば、私は大体満足できる存在なのだが。
 協力者が必要なら尚更金がいるのではないかと思ったが、運命論的に考えれば「同じ事」では、あるのだろう。金で雇うか、いずれにせよ出会うのかの違いだ。ただ、その「協力者」が得られたとして、役に立つかは別問題だ。やる気はあるが役には立たない。力になれなくて申し訳無い。
 そんな屑は嫌というほど見てきた。
 だから、まだ見ぬ「協力者」に対しても、とりあえず疑っておこう。役に立つかどうか、疑わしい噺ではあるのだ。
 欲するはあくまでも「結果」だ。
 この「性」を満たしつつ、満足できる結果を求めるのはかなり難しい。だが、それも確立せねばならないだろう。自己満足で済ませるなら、作家業以外で金を儲けられればベストだが、それが出来れば苦労しない気もする。
 苦悩しつつも前へ進むと言えば聞こえは良いが明確な解決策を手に出来ていないだけだ。どうしたものか。
 どうしたものか。
 それもまた、今後の「運不運」に左右されるだろう事は、想像に難くない。結局の所こちらで何を選ぼうとも、「あちら側」がどう判断して何を寄越すかにかかってくる。あちら側とは私に認識できない「何か」であり、「運命」という造語で語られる、役立たずの厄介者だ。
 何者であろうと、等しく同じ。ならばとりあえず筆を置いてから、作家業の下らなさへの物思いに耽りつつ、私は物語を読む事にした。
 邪道作家の、物語を。

   1

 何かを変える事など何者にでも出来ないならば何もせずに遊んでいる方がマシだ。
 だからという訳ではないが、私はチョコレートをかじりながらコーヒーを啜っていた。チョコレートが無くなったので、私は追加で何かを頼もうかと思ったが、コーヒーも切れていたので、やめることにした。
 現実的な問題として、編集者の一人二人、浮気現場でもでっち上げて脅迫した方が、物語を金に換えるには早いかもしれない。いや、きっとその方が、現実には真理なのだろう。努力や信念など時間の無駄だ。はっきり言って誰かを脅迫したり殺したりする方が、かなり現実的ではある。
 それが「事実」だ。
 物事の過程に価値を見出すのは「人間」の価値観であって、私にはそれはない。人間の物真似、合成品の感情か。いや、私の場合は合成品ではなく、「偽造品」って感じだろう。無論、偽物の方が安上がりでお得なのは言うまでもない。
 寸分違わず私は「人間の物真似」を完遂し、それを成し遂げる自信、否、確信がある。ちょろいもんだ。同情したり哀れんだり、むしろ人間の方が「マニュアル通り」にしか動かないからだ。身内が死ねば泣けばいい。悪そうな奴がいれば共感しあう「フリ」をして、悪い奴だ悪い事だと付和雷同すればいいだけだ。
 実に単純だ。私は色々な人間を見てきたが、複雑さと他者に迎合しない個性を持つ存在は、実に僅かでしかなかった。世の中そんなものだ。
 頭が悪いどころか、連中は自分の脳味噌で考えられない。テレビで見た常識、有名人の言った見識、ネットで漁った新情報を、自分の中にある狭い世界で分かち合おうとして、分かち合わなければ仲間ではないと敵視し、わかちあったところで次の日には忘れる。
 進化はしても進歩はしない。それが人間だ。しかも成長や進化するのは「テクノロジー」であって人間そのものは何も変わらない。必ず格差は起こるし戦争はするし、それらがなければ社会構造そのものが成り立ちはしない。戦争以外に有用な経済活動を人類は未だ発見できていない。これから先もそうだろう。何故なら「人間」というシステムは、「争い」が無ければ活動できないからだ・・・・・・効率よく協力を続ける事が出来ない。
 人間が人間である限り、なんて陳腐な言葉だがしかし、事実だ。人間でなくて本当に良かったと心があるか知らないが、思う。
 非人間で本当に良かった。
 下らない妄想で人生を無駄にしたくない。
 愛だの友情だの信念だの、下らない。それらを貫くことも出来ない癖に、それらがあって欲しいと願い、けれども努力せず、それでいて世の中が間違っていると思いこめる。希有な才能だ。実際羨ましい限りだ。どうして、何もしてこなかった連中が、そこまで必死に世界に要求できるのだろうか? 叫んでいれば誰かが何とかしてくれるのが、今まで当たり前だったのだろう。
 本気で何かを変える気など、人間には無いのだ・・・・・・無い癖に、そうして当然だと求める。浅ましい奴等だ。ああはなりたくないものだ。

 人間の殆どは、意味のある何かをしていない。
 流れ作業だ。してもしなくても良い様な、確認作業ですらない「上が言っているから」という、理由でもない理由で同じ事を繰り返している。それが「立派」だと信じているのだ。だが死ぬ前にそれがいかに「無意味で下らないモノ」かを悟り「こんな筈じゃなかった」などと言える。暇な連中だ。今までの人生で何をしてきたのだろうと、いつも不思議に思っていたが、だがそれは考えるだけ無駄だろう。「考えていない」奴の頭の中身など。想像するだけ「時間の無駄」だ。
 自分で考えない「ツケ」はどこで払うのか。
 気になる噺だ。それが払わなくても良いのなら真面目に生きるのが馬鹿馬鹿しい。どこかで払わなければならなくなるのか、それともそれすらもただの運不運なのか。解明できれば面白そうではあるが、世の中の摂理を解明するなど無理な話だろう。それが出来れば苦労しない。
 だが、そう考えれば実に滑稽だ

 人間の物真似をして、人間のように振る舞い、人間らしさを学習して、人間の意志を表現し、人間の在り方を学びつくした。

 だというのに、その後、人間そのものが如何に下らないロボット以下の行動しか出来ないルーチンワークをこなすガラクタであるかを知るというのだから。人間と違い私には永遠に「何かを感じ取る」事はないだろうが、しかし人間だって本当は、何一つ感じていないのではないだろうか? そんな適当な生き方しかしない奴等が、そこまで高尚な感性を持っているとは思えない。そんな頭が人間にあるなら、もう少し世の中はマシだ。
 非人間にとって「人間の様に在ろうとする」その試みが行動の基準となりがちだが、それは別にやらなくても良いかもしれない。
 人間はそこまで高尚ではないのだ。
 それが「事実」だ。
 そんな事をつらつらと考えつつも、私は食事を済ませていた。人間という簾中は不思議なもので「食事」に金をかけたがらない。ならば何に使うのかと言えば、高級バッグを買っておきながら、「最近は消費税があがった」などと言って、格安の食べ物なのか加工食品なのかわからない何かを口に運ぶのである。おぞましい限りだ。
 普段ならパン屋できちんと買うのだが、朝から買い物に出かけるのも体に負担がかかるだろうしやめることにした。品質の良い食事にはほんの少しの手間が有ればいい。その手間を惜しんで不健康になり、後から文句を言う連中と同じになりたくはないしな。いつもなら粗食だが、今回はそれなりに豪勢だった。スクランブルエッグとホットドック、そしてコーヒーとチョコレートを食べた後、最後に質の良いプロテインを流し込む。
 米ばかり最近は食べていたから何だか食べているだけで陽気な気分になったが、朝からこういう重たい食事はよろしくないようだ。胃が重たく感じる。明日からは米と卵としじみ汁の生活に直すか、高級コーンフレークでも買おう。
 殺人鬼の二重生活を殺人鬼の作家が物語として読むのは非常に貴重な体験だった。勿論コーヒーを飲みながら物語を読むと言う愚行は避けた。コーヒーが冷めてしまうし、食後だと気がゆるんでしまうからだ。結局飲みながら読んだ気もするがまあいいだろう。気にするまい。
 読んでいて安心したのは私の社会への折り合いの付け方が、あながち間違っていないらしい確信を得られたからだ。やはり殺人鬼は社会へ折り合いをつけつつも、それなりに平穏な生活を目指すのが吉らしい。私には殺人衝動など有りはしないが「非人間」である部分は同じだ。ハンデが無い分やりやすくはある。
「違いは何だろうな」
 そう言ったのは私の携帯端末だ。人工知能を搭載し、口やかましく、情報を盗む能力に長けているという謳い文句がつく、特別製。
「ふん。金の亡者であるかないかさ」
 適当に言って、私は少しばかり思考を中断し、椅子にもたれ掛かった。ただの殺人鬼との違い、それは自覚的な悪党であることに加え、人間よりも化け物の方が良い、と考えている部分だろう。 作家として変わり種かどうかは知らないが(作家など皆そういうものだ。私のような常識を兼ね備えた人種は実に僅かである)パソコン、コンピューターを使わずに物語を書く作家は、随分と減ってきているらしい。思うのだが、物語を書く為に、一体どのあたりに高性能なコンピューターが必要になるのだろう? 文房具で書けば良いではないか。
 ここ最近、オンラインネットワークにあらゆる意味で私は参加していない。参加する理由もないからだ。オンラインで誰とでも繋がれると言えば聞こえはいいが、誰かも知らない連中とプライベートの話をするのだろうか。デジタルコンテンツが有用性を発揮するのは、何も善人の為ではないという部分を忘れているのだろう。私のような、酷く良識的な殺人鬼ばかりとは限らない。デジタルコンテンツはむしろ、そういう連中が悪用する事を念頭に作られている。元々は軍用のネットワークだったが、しかし常に監視していないと気が済まない軍の連中など、ストーカーとさして変わらないだろう。
 同じ事だ。
 非人間である以上、他者が求めてくる繋がりもどきほど、厄介な代物はない。向こう側は、こちらとわかりあえている、と思いこむからだ。冗談じゃない。自己満足なら余所でやってくれ。私は人間などと、わかりあいたくはない。
 どうも私は、神経質な位人間を演じている癖に我慢強さがまだまだ足りないらしい。無理に合わせたところで何を得られる訳でもないので、それに関しては構わない。人間同士の「絆」など、貰っても迷惑なだけだ。少し困れば捨ててしまう類のガラクタでしかない。だが、私の充足が、その「人間の物真似」にも有ることは確かだ。
 人間のように食べ。
 人間のように笑い。
 人間のように寝る。
 それを「幸福」であるかのように振る舞いつつも内には当然、何も感じない訳だが・・・・・・人間の物真似は楽しくはあるのだ。食べ物の美味しさなど生まれて一度も味わった事などなくとも、まるで美味しいかの様に振る舞いながら食べ物を食す物真似は、実に爽快だ。
 やっていて面白くはある。
 案外、私は本当にどこか遠くの宇宙人だったりするのかもしれない。人間の事を「そういう風」にしか「観察」出来ない。見るのではないのだ。 観察している。
 子供が蟻を飼育して眺めるように、私にとっては人間が「それ」なのだ。少なくとも、食べ物を食べている時にそんな事を考える「人間」はどこを探してもいないだろう。そんな事を食事中に考えるのが、他でもない私なのだが。
 例の女なら「つまらない男の意地」だとでも評しそうな内容だが、違う・・・・・・そう、違うのだ。実際に「違う生物」なのだから、それを人間に当てはめるべき考えでは合う筈がない。無論、人間などと言うつまらない生き物に生まれなくて心底(私に心など無いが)良かったと思うだけだが。 さて、そろそろ始めよう。
 物語に意志など無く、登場人物に意志などありはしない、というのが私の持論だ。空想の物語の人物が生きているなどと、妄想も良いところだ。 しかし、ただ一つ真実だと言えるのは、物語の中において作者として存在しうる、つまり私のことだが「作家」として作品内部に食い込む存在であるこの「私」は、確かにここに有る。
 他の雑魚登場人物がどうかは知らない。だが、私、「邪道作家」の有り様だけは保証しよう。
 無論、違っても金は払わないがな。
 

   2

 私は意地でも「人間の強さ」みたいな存在を、認める気がない。「人間力」だとか「心の強さ」だとか「意志の力」だとか、そういった中身のない戯言程、聞いていて鬱陶しい言葉はない・・・・・・意志の力如きで運命が覆ってたまるか。
 力は力だ。意志がどれだけ強かろうが、あるいはそれが他を圧倒する程の「個性」であろうが、同じ事だ。それで何かを変えられる筈もないし、あったらたまったものではない。もしそうなら、私のこれまでの労力は何だというのか。むしろ、そんな経験がある奴がいるならば、少し噺を聞いてみたい位だ。
 
 己の能力より圧倒的に「劣る」相手に、圧倒されることなど有り得るのか?
 
 ジャックには「鏡を見ろ」と言われたが、そんな軽い世辞には納得できない。するつもりもない・・・・・・「人間力」は人間のモノだしな。
 私には当てはまるまい。
 そうではなく、あくまでも「人間」としてどこまでやれるのかが、私は見たい。私がそれになっているかは知らないが、それでは意味がないではないか。あくまでもそれを「観測」する側に立つことで、それを「作品のネタ」に出来るからだ。 人間は面白い。無論、そんな理想的な「人間」など物語の中にしか存在しないが、参考程度にはなるだろう。甘い考えではある。だがしかし、それくらい現代社会の「人間」は個性の薄いカスばかりなのだ。
 誰かの真似をして。
 誰かの流行を見て。
 誰かの意見を聞く。
 実に、つまらない。その他大勢など、どうでもよいではないか。そんな些細な事よりも、己自身の業を愛でるべきだ。その方が面白い。
 そもそもが、「他者の価値観を塗り替える」という事を「仕事」としている作家業は、日常的に人を殺し続けていると断言して良い。そういう連中とは相容れなくて当然だ。何せ、そういった連中の価値観を殺し尽くすことで、それを金に換えようとする不届きな存在こそが「作家」だ。
 作家とは言わば「個性を殺す殺人鬼」であり、そこに「迎合」の二文字はない。あってたまるか・・・・・・それでは作家は務まらない。作文のようなお行儀よくつまらない作品を書き上げる作家もどきが賞賛される世の中だが、私としては清潔な殺人鬼として、よりよく他者の個性を殺し続けていきたいものだ。
 殺して殺して殺し尽くせ。
 殺さなければ生まれる事もありはしない。
 人間とは圧倒的に違う化け物である事を自覚する私からすれば、「合法的に殺人が出来る」という「作家業」に落ち着くのは、ある意味当然の流れだったのだろう。正面から堂々と他者の価値観を塗り替え殺し、金まで貰えて万々歳だ。
 こんな割の良い仕事が他にあるか?
 売れれば、だが・・・・・・しかし、化け物が人間社会でそれなりに豊かに生きるには、この方策以外に有るとは思えない。今更他の方策など考えるのも億劫だが、どれだけ方策を練ったところで、他にこれ以上の在り方は無かっただろう。
 案外、引きは強かったのだろうか。
「まさかと思うが、いつの日か私が「人間」に、成れるとでも思っているのか?」
「貴方自身が、どう思うかでしょうね」
 私は例の女と向かい合って座っていた。依頼人であり始末屋の総元締。古い椅子に座りながら、我々は向かい合って座っている。何故そんな事を聞いたのかと言えば、聞かずにはいられなかったからだろう。
「・・・・・・説明するのも何だが、しかし一応言っておくぞ。後天的に精神が壊れ「心が死ぬ」人間と「生まれついて」の存在とは違う。どう足掻いたところで当人自身の人間性を、いや、存在そのものを消さない限り「生まれついての悪」というのは消されたりしないし改心もしない」
 死ななきゃ馬鹿は治らないと良く言うが、この場合は死んだところで当人が当人自身である限り決して変わりはしない。例の女、恐らくは人外である事が伺える部分から、私は彼女を名前や通称で呼ぶことはしない。ただ私と違ってただの怪物程度である事は理解できた。つまりは能力値が高いだけで、私とは違い彼女は人間と殆ど変わりはしないということだ。
 それだけ分かれば十分だ。
 私と違い、心ある存在だ。
 だから、決して分かり合う事は無い。
「・・・・・・そんな化け物である自分自身を、孤高で格好良いとでも?」
「いや、全く思わないさ。思ったところで誰が、そう評価する」
「なら何故、そんな事を聞くのですか?」
「自分でも情けない事は分かっているが、女である貴様に愚痴の一つでも言ってやりたい気分になったのさ。男も女もロクでもないと貴様なら言うのだろうが、女は卑怯だからな」
「・・・・・・どこがですか?」
「何もかもだ。まず「現実」を見なくても、生きていけると思っている。理想を信じている。そしてそれが叶うことが当然だと」
「それの何がいけないのですか?」
「自分達は都合の良い部分しか見ない癖に、自分の思う理想しか受け付けない癖に、それに合わない奴の噺を聞くことがない」
「男も同じでしょう。女が自分達の都合通りに、動くと思っているのですから」
「そうかもしれない。だが、「逃げる」のは、どうも我慢ならないんだよ。現実を見据えて前へ進もうと考えているところへ、女は理想を口に出すだけで、何かがどうにかなると思っている。それが私には許せない」
「男が情けないから理想を現実に変えられないのではないですか?」
「だとしても、例え誰かに認められなくとも、私は私の道を選び、進んで、行動してきた。綺麗事を並べるのは簡単だ。だが、それを口にされて、理想だけを歌われるのは侮辱も良いところだ。女はそれですむと思っているし、事実そういう女は多い。女の在り方だからだ」
 ジャンヌダルクはそうはいない。無論問題なのは男の起こす行動の大半が争いや不毛な結末を、世界にばらまくという部分だが。
「男の行動の末路は大抵戦争ですがね」
「だから愚痴だよ。別に正当化したい訳じゃない・・・・・・「いきる事に対してズルを許さない」という宣言だ」
「貴方は真面目すぎますね」
 言って、女は茶を濯ぎ、それを軽く口にした。「正直、それだけは心配です。いいですか? 男であれ女であれ、生きる事に「妥協する」のは、ある意味当然なのですよ。全てに正しく生きるなど、人間は、いえ人間でなくとも不可能です。けれど貴方にはそれが許せない。妥協しないと言えば聞こえは良いですが、苛烈にも程があります」「そんな良いものじゃない」
「ええ。良いものではありません。それは生きているとは言わない。ルールを重んじ過ぎている。貴方には「自分」があるのですか?」
 私ほど「自分」の強い存在はいないと思っていたが。しかし、視点を変えれば私の事はそういう風にも見えるのか。
「あるさ。ささやかなストレスすら許さない」
「それは、あくまでも「生き方」でしょう」
 遮られるのは誰であれ嬉しくない。それが噺の途中なら尚更だ。だが、女は無視してそのまま噺を続ける。
「貴方自身の「我が儘」ですよ。こうあればいいのに、こうしてくれれば良いのに、と。貴方は、現状の世界を変える事に「拘りすぎて」いる。何事も頼りすぎるのは問題ですが、頼らなさすぎるのはただの独りよがりです。世界に期待をしなさすぎている、と言えば良いのでしょうかね。もう少し貴方は、身勝手な期待をするべきですよ」
「したところで、どうなる? その期待は明後日の方向へ外れるだけだ。現実には何の力も、持ちはしない。あるのはただの事実だけだ」
 言い争うつもりは無かったのだが、何故かこんな噺になってしまった。言っても仕方がないが。仕方がないという言い方は嫌いだと言った気もするが、男と女が噺をすれば、そこでもめ事がないほうが「非常識」だと思って差し支えない。
 それで問題事が起こらなければ、それは相手側が「見切り」をつけているからだろう。
「どうせ無駄だ。無駄な事はしたくない」
「なら何故、貴方は物語を書いているのです」
「・・・・・・これは「性」なんだ。私自身の意志は、あまり関係がない。そうしなければならない、と強迫観念に近い感覚すらある。息を吸って吐く事に、疑問を覚える生物はいない。私の場合、生まれついてそれが標準装備されていただけだ」
「希望はないと、諦めておいでですか」
「ありもしないものを眺めているほど、物語の売り上げが期待できそうにないのでな。事実無駄だったしこれからもそうだろう。物語だけではなく何事に対しても、死ぬまで、死んだ後ですら、私は希望など持ちはしない。希望があると無理矢理自分を騙して、疲れないよう努力することは、幾度か有ったがな」
 この労力すら無駄な事だ。何の意味も無い。どうせ「結果」に結びつかないのだから、そこに、意味や価値を見出すことは不毛なのだ。
 無駄な労力に過ぎない。
 「性」でも無ければやりたくもない。無論、私が私である以上、この「性」は取り外しが不可能なので、意味のない仮説だ。
「それで、生きている事が楽しいのですか?」
「以前死の淵にいる奴に聞かれたな。だが私は、こう答えた。「良い事が何もなくても、人生は続くから」だとな。事実そうだ」
 充足と楽しいかどうかは別物なのだろう。私自身「物語」を生き甲斐や充足として考えてきているが、しかしだからって私は「私個人の幸福」をその為に犠牲にしようなどとは、考えた試しすらないのだ。
 その願いは叶った試しがないが。
 私の望む事は、生まれてこの方何一つ形になった事がない。その様で未来を信じる? 悪い冗談だ。笑えないくらいには。
 このやりとりも恐らくは無駄に終わる。やりがいの無い噺だ。そして、そのやりがいのない、恐らくは全てが無駄に終わるであろう試みに対して私は全力で挑んできた。それが馬鹿馬鹿しくなったからと言って、誰が責められるのだろう。
 今更何をという噺だ。
 信じるに値するモノなど、何一つ無かった。
 それに対して、綺麗事は卑小なだけだ。
 うんざりするし、汚らしくも小綺麗なだけで、そんなのは有ろうが無かろうが同じ事だ。この会話も同じだ。してもしなくても変わらない。
 この女が何を言おうが、どうせ何一つ影響は出ないのだ。テープの録音を聞いているようなものでしかない。
「現実を見据えないことも幸せだと貴様は言ったが、それは生きていないだけだ。最近はそういう連中が多いが、叫んでいるだけで何かが叶えられることなどありはしない。綺麗事というのは、行動しないからこそ口から出る言葉だ」
「そうかもしれませんね」
 何か思うところでもあるのか、女は何もない中空を眺めながらそう答える。まあ、どちらも人間ではないのだとしたら、それこそ人間の基準を計る事に、意味など無いのだろうが。男女以前に、私にとっては全ての人間が「自分と違う生物」にしか、見えないからだ。
 それでも参考程度にはなる。
 作品のネタにもな。
 例えばそれが、自分とはまた違う目線から人間を眺めている女だとすれば、尚更参考になろうというものだ。
「貴方は女が嫌いなのではなく、綺麗事が嫌いなのでしょう?」
「かもな」
 いや、多分そうなのだろう。このところ「性」に振り回される割に、何一つ「結果」を得られていないから、精神が安定しないのだ。安定するべきではないと思い、そう振る舞っているだけかもしれないが、同じ事だろう。
「行動するだけで根拠がない男も大勢いますし、一概にはどうと言える問題ではないのは、貴方自身ご存じでしょうが・・・・・・貴方は「暗闇の住人」ですから、まるで「暗闇が無い」と思いこんでいる人間の姿が、許せないのでしょうね。貴方にとって、世界はそういうモノでしょうから」
「ふん」
 笑えない噺だ。闇の側であるが故に、闇そのものをコケにされるのは癪に障ると。私は以外と、センチメンタルな殺人鬼なのか?
 いずれにせよ気にくわないのは確かだ。世間知らずというか、そういう連中を見ると、真面目に闇に向き合っているのが馬鹿馬鹿しくなる。
 プロ野球選手に「頑張れば誰でも成れるべき」と言う様なものだ。頑張るだけで成果がなければプロとは呼べない。そういう意味では、私はまだまだ「作家」としての成果は半分しか出せていないのだから、苛つくのも当然か。こちら側でやるべき事は済ませているのに、それに見合う成果が今になってすら出ていない。労力だけ消費して、見合う成果はお預け。それで満足する奴が、この世界のどこにいる?
 少なくとも「私」は違う。
「男も女も似たようなモノなのだろう。私は厳密には「人間」は感じ入れないから「理解」しているだけだが、それでもわかるのは「己こそが、絶対的に正しい」と思いこんでいる輩は、ロクなものではないということだ」
「それは、私の事ですか?」
「他に誰がいる」
「・・・・・・私は、正しいとは思ってませんよ」
「それでも、押しつければ同じだろう」
 私は意外とストレスを持ち込む奴なのかもしれない。こんな噺をしてどうなるわけでもないが、とりあえず気晴らしにはなる。
「まあいい、どうでもよいことさ。少なくとも、私にとっては」
「なら、どうしてそれを私に聞くのですか?」
 当然の疑問だろう。私だってそう答える筈だ。だが明確に何か理由が有るかと言えば、そうでもないのが事実だ。
 強いて言えば気にくわないからだ。
 相手が綺麗事の権化で有れば、尚更。
 例えそれが真実でも、綺麗事は気にくわない。「貴様の言う事はことごとくが「真実」かもしれない。だが真実と事実は別だ。現実にはもっと、違うだろう。貴様の普段垂れ流す「真実」が、如何に力を持たないか、私は知っている。真実は、敗北するためにある。それなら欺瞞の力を持つ方が「マシ」だからな」
「それがどういう結末を辿るか、わからない貴方でもないでしょうに」
「なら、素直に奴隷の如く敗北し続けろとでも言うのか? 私は御免だ。それで実利を得られなければ、何の意味もない」
「・・・・・・それに向き合うのもまた「生きる」と、いう事ですよ」
「このままでは生きる事すら出来ない。死に続けているだけだ」
「貴方は是が非でも認めないでしょうが、生きる上での幸福はその過程こそにあるのですよ。結果を得たところでその充足はすぐに忘れます。金も名誉も名声も同じ事ですよ。一度手にしてしまえば空気と変わりません」
 人の言い方を盗まないで欲しいものだ。それに私は人間でないが故に、「それ」を理解できる。だが、だからってそれを享受するのは御免だ。
 なので私はこう返した。
「空気が全くなければ窒息死するだけだぞ」
「貴方には必要ないでしょう? 本当は息をしなくても生きていける癖に」
「かもな。だが、それが有る事で「私自身の在り方を肯定できる」なら、どう言われたところで、それを実行するだけだ」
 私自身の「在り方」に必要なのだ。無論金は隙だが、それだけでもない。私が私を認めるのに必要という訳ではない。己を肯定するのに必要な材料などない。そうではなく、周囲などどうでもいいが、周囲に最低限は認めさせなければ、生きる上で余計な邪魔が入る。それは御免だ。
 どうでもいい連中に構われるのは、私の生き方に入っていない。それに、何一つ私自身の糧にならないのだから、文字通り「無駄そのもの」だ。「その邪魔があるから今の貴方があるのですよ」「そうかもしれない。だが、私は別に成長したい訳でも、認められたい訳でもない。ただ、それなりに平穏に暮らしたいだけだ。貴様とは違って、ただの怪物程度とは違って、私は正真正銘の人外だからな。正直、人間社会に折り合いをつけるのは良いが、別に人間に混じりたいとは、全く思わない」
 人間ではないのだから、人間の在り方を真似て自己満足することはあっても、目先の怪物のように「人間になりたい」だとか、思うことはない。ただ能力が高く外れているだけの怪物とは違う。正真正銘、私は「違う」のだ。そこに同情や憐憫は不要だし、正直「人間」などになれば、それはそれで発狂しそうな位最低の事態だ。
 ああも浅ましく生きるのは御免だ。
 非人間の方が、幾らか慎ましい。
 ペンギンに鳥の仲間に成れ、というのが怪物を誘う謳い文句なら、私の場合生物ですらない。エイリアンと心を通わせる映画はよく売れるが、それとも違う。良い比喩が思いつかないが、鉄とか札束に対して話しかけるようなものだ。
 知らないよ、役目だけを果たすさ。
 そういう具合だ。
 無論、人間の物真似は面白い。心が無くとも、それを楽しむ事が出来るのは幸いだ。物語を通して自己満足で楽しめれば私には天国だ。
 作家である私に、他に何かいるのか?
 元より、「人間をやめる」からこそ、作家になる資格は与えられる。最近はただ紙に文章を連ねても作家だと認められるようになったが、しかし「生き方」として選ぶ場合には、そういう方法論を使うことは出来ない。
 それに、私の場合順序も逆だ。なるべくしてなったと言える。「人間ではない存在」が成れる、唯一の職業だとも。
 これで、金になれば文句はないのだが・・・・・・世の中上手く行かないものだ。本当にな。
 油断は禁物だ。女というのは自分から切り捨てておきながら、裏切りだと叫び最低だと蔑む。それでいて自分は「正しい側」だと肯定する。この先この女が私を「見切る」としても不思議ではないのだ。何一つとして。
 別にこの女に不信感がある訳ではないが、それが出来るのが「女」という生き物だ。男どころか人間ですらない私が言うのは何だが、しかしそれで私に「危機が及ぶかもしれない」ならば、最低限心構え、いや心がないのだから「予測」とでも言うべきか。最悪の未来はいつでも予測するべきだと、私は常に思う。
 大体今までそうだったからな。
 それで傷ついたりするほど人間をやっている訳ではないが、しかし後れをとるのは御免だ。自分勝手だとこの女なら言いそうだが、実際にそうなってきているのだから、備えをしないのは心優しいとかではなく「愚か」である。
 フォローと言う訳でもないが、今後の関係を円滑に進める為に、補足しておいた。
「貴様は良い女なのだろう。私の予測できない部分が見えているのかもしれない。だが私に降りかかるトラブルとは関係がない。あり得る最悪の未来はいつだって目先に降りてきた。事前に考えて対策を練るのは、当然のことだ」
「・・・・・・その「対策」とやらが実った事は?」
「まだ無いな。今のところは」
 だからって無策で突っ込む訳にも行くまい。
 それもまた「無駄な労力」かもしれないが。
 こんな風に睨み合うよりも、人間という奴は、当人のプロフィールを見ることで、その人間性を理解しようとするらしい。
 職業、作家。物語で人間の醜い部分を書き漁りそれを無理矢理にでも読者に見せつけ、その人間性を書き換えて殺すことです。
 趣味は「人間の物真似」最高に理想的な社会人像を真似る事が出来ますが、無論内には何も感じはしません。趣味故に力も入りますがね。
 最近の悩みは「人間」です。どうしてこんな連中とかかわり合いにならなければならないのでしょうか? 私は人間ではないのに。
 好きなモノは面白い物語。
 嫌いなモノは面白くない物語。
 言っていて馬鹿馬鹿しく感じる内容だ。人間について私は殊更何かを思うことはない。身勝手な有様に生理的嫌悪感を抱くだけだ。生理的に、ともすれば本当に、つまりは生物的にも違うのかもしれない。どうでもいいが。
 肩書きが変わるだけだ。いや、肩書きは何であれ同じ事か。実は宇宙人で冥王星出身だとしてもそれは冥王星出身の「邪道作家」になるだけだ。 私は変わらない。
 変えるつもりは更々ない。
「貴方は「無駄な争い」を好まないと言いますが無駄な争いなど無いのですよ。全ての行いは起こるべくして起こり、巡るものです」
「下らん。もっともらしい台詞だ。無駄なら有るさ・・・・・・己の選んだ己の戦いに関わらない全ては無駄な争いでしかない。大体がそれは私の台詞ではないか。なるべくしてなる。ふん、確かに忌々しいくらいにこの宇宙はそうできている。だが、そんな理屈など知ったことではない。今までの全てには意味があったんだよ、などと。それは選んで歩いた当人自身が決める事だ。周囲が勝手に決める事ではない」
「我が儘ですねぇ」
「当然だ。物わかりの良い奴が、作家になど成れるものか」
「それ、逃げ口上ですか?」
「だとしても、同じ事だ。堂々と我が儘な方が、人生楽して生きられると、言うだけさ」
 我々二人は外へと出て、縁側を歩きながら噺を続ける。作品のネタ探しもそうだが、意外な所からアイデアは得られるものだ。
 何もかもが「作家業」その一部。
 この会話内容ですらも。どころか、その先にある依頼の達成も、「精神の充足」という自己満足を満たすため、つまりは「仕事」の為に有る。
 どんな仕事でも良いなどと抜かす馬鹿は多いがそれはただ単に「生き方すら選んでいない」というだけだ。一生涯を「それ」に費やす。それが、仕事という存在だ。己自身の存在証明だと、言い換えるべきだろう。それを軽んじる奴は、生きることを軽んじている。だから「仕事」がロボット任せだから軽い、という「言い訳」をする馬鹿も非常に多い。
 世界がどう変わろうと変わるはずが無いのだ。 己自身の在り方を、世の中の流れに任せるなどそれこそ、流されて従っている証左だ。
 家畜の在り方だ。それは豚や猿と同じだ。何も考えないでいるだけだ。自身で何かを考え、策を弄して変えようとし、挑む。
 そんな当たり前の事を出来る奴が、今では何人いるのだろう。寂しい噺だ。それが人間だと言うならば、随分と小さくなったものだ。
 そしてそんな当たり前の事、それを貫く為に、誰よりも「結果」と「実利」を重んじるこの私が性に合わない「遠回り」を強いられているというのだから、笑えない冗談ではある。正直、どうしてこうなっているのか分からない。
 私は金だけ有ればそれで良かったのに。
「人間は自分で思うほど、口にしているモノを、求めてはいないのですよ。貴方はそれを自覚した上で求めているというのだから、正直酔狂だとは思いますが、他でもない貴方自身がその内側で、願っているからではありませんか?」
「馬鹿馬鹿しい。私には元来「欲望」が無い。人間の物真似をしているに過ぎない以上、本質的に何かを欲しがる事は無い。だがしかしだ。金というのは分かりやすい「力」だ。何かに振り回されなくとも、金が有れば形に出来る。それは己自身の在り方を求めるなら、欲望以前に求めて当然の前提だ。「実はそれは建前で、他に欲しいモノはこれだったのです」みたいなオチは無い。そもそもが、「運命に振り回されない」という私自身の願いこそが、求めるべき姿だからだ」
「それさえ手に入れれば、全てがどうにかなるとでも?」
「何も変わりはしないさ。ただ、自分ではない何かに振り回される事だけは無くなる。他に求めるべきモノがあるならば、尚更金は必要だ」
「欺瞞ですね」
「そうかもな。だが、どれだけ言葉を尽くそうとも「金を求める事」は必要だ。それを諦めるというのは生きる事から逃げているだけだ」
「・・・・・・・・・・・・」
 何を思うのか、沈黙からは聞き取れなかった。無論私なら察しはつくが、まあいいだろう。どうでもいいしな。
 意志で動く人間には必要かもしれないが、生憎私は人間ですらない。狂気を原動力とする私にはあらゆる現存する法則は当てはまるまい。
 だからこそ面白い物語が書けるのだが。
 無論これは誰かにとって面白いかではない。私個人にとって、だ。その他大勢の凡俗の感想などどうでもいい。金を払っていればそれだけで、読者の役割は終わりだ。連中が何か、作家側にとって役に立つ事など、他にはあるまい。精々がデジタル上の世界で評論家を気取るくらいだ。
 むしろ、他に何が出来るのだろう? 売れる作品というのは「表紙」と「売り文句」だけで決まるべきだそうだ。そもそもが立ち読みでもしない限り、物語は中身を見てから判断が出来まい。それを多く売るとは、つまりそういうことだ。

 表紙で判断され、それを考えずに買い、中身も読まずに捨てる事。これが売れる作品の真実だ。
 思うに、人間というのはどうしたところで、自分の意志で何かを決めるに当たって「恐怖」を、感じるらしい。その辺りも私との違いの一部なのだろうが、今は置いておこう。彼らは私とは違って「何かを決める時」に「誰かの同意」を必要とするのだ。その結果後から「違う」となれば勿論文句の嵐をつける。無責任にも誰かの意見に従って決めたいが、しかし自分でその責任を負いたくない、という不思議な動機からそれはなる。私からすれば、選択に対して何一つ責任を負うつもりのない「誰か」の意見に耳を傾けるなど、それこそどうかしている。知った風な口を利いて、それらしい言葉を並べる奴には幾度と無く有ったが、それを実行して失敗しても、何の責任も負わないどころか、それそのものを忘れたりする。
 その癖口を開いている間は「有り難く思え」と感謝を強制して聞かなければ激怒する。そんな馬鹿丸出しの愚か者の言葉を、信じたがる。 
 私なら御免だが。
 しかし「事実」だ。そういう連中は多い。そして昔はどうだか知らないが、今では「物語を聞いて聞かせて誰かに伝える」などお伽噺だ。現実にそんな事をする奴はいない。誰が言ったのかも分からない情報で決めようとする。これもまた、デジタル社会の弊害だろうか? いいや違う。ただ単に人間の「狡さ」が助長されただけだ。
 見えない部分が見えるようになっただけだ。
 ただのそれだけ。
 何一つ変わってはいないし、進歩もしない。
 ならばそれに合わせて金を求めるのは至極当然の話だ。綺麗事は綺麗だが、現実には即していない。そんなのは無意味そのものだ。
 大体が向かおうとする意志があるかなど、狂気で動く私には関係ない噺だ。我が身は狂気に身を焦がしている。私自身の意志すら無視して、在り方として燃やし尽くし、肯定しようが否定しようが関係なく黒い炎で邪魔者を焼き尽くしながら、どう言われようと前へ進む。
 ・・・・・・進んだ先に実利と結果が備わっていないのが、玉に傷だが。
 全くな。
「それで、今回の依頼は?」
 女はもったいぶるようにこう言った。
「貴方の大好きな自由意志ですよ」

   2

 人間も蟻と変わらない。
 社会的集団生活を送るにおいて、どうしたところで「役割」は与えられる。時には当人の意志を無視してでも、作家には作家の、労働者には労働者の役割があるのだ。そして、それは個人にとって必要かではなく、秤を社会へ傾けた上で、その有用性を利用する為に、押しつけるのである。
 その社会的有用性は、個人の意志を無視しなければ成り立たないモノだ。繁栄している国家を見れば分かりそうなものだが。栄華を極めるには、その為の「土台」達の犠牲無くして成り立たないからだ。
 だが、もし仮に、だが・・・・・・その自由意志を、コントロールすることが出来ればどうなるか?
 答えは簡単で、労働、宗教、軍事、あらゆる面において他国の先を行くことが出来るのは事実だろうし、大多数の意見が先見ある事など有り得ない以上、個々人の意志など踏みつぶした方がただ豊かさを求めるならばこれ以上無い「答え」だ。 それが出来れば苦労しないが。
 しかし、だからこそ求めるのが「人間」という存在だろう。何せ今回の標的は、惑星に流通する全てのシリアルフレークに「感情抑制剤」を混ぜる事で「集団意志のコントロール」を企ているらしい。無論「それ」を飲んだからと言ってすぐに洗脳されるような食品ではない。有り体に言えば「疑う」という昨日を麻痺させる「麻薬」だ。
 特定のシグナルを流すことで、テレビ、ネット等のデジタルコンテンツの全てで流す事が出来、そのシリアルフレークさえ食べていれば、特定の情報、宗教、宣伝を信じさせる事が可能。仮に、そのシリアルを食べた奴が、特定の人間を殺人犯だとデジタル上からシグナルと一緒に出せば、それで魔女狩りが始められるという訳だ。便利な事この上ないと思ったが、管理するのは大変そうではある。
 ただでさえ情報統制が進み、デジタル情報への疑いの無いこの世界で、そんな事をされては大混乱に陥るらしい。私はテレビを見ないので正直分からないが、連中、人間共にとってテレビ情報は「正しくて当たり前」らしい。
 だからエイリアンの侵略を信じて、有りもしない終末戦争を想像して、何も起こってすらいないのに、己の目で確かめる事すらせず「世界は終わりだ」と叫んで暴れた連中が実際にいると言うのだから、呆れるばかりだ。
 己の目で見て確かめろ。
 それくらい科学に頼らずにやれ。
 生きているなら、当たり前の事だ。
 こんな風に執筆の為動いてはいるが、何度も言うように私は執筆作業が大嫌いだ。むしろ、物語を書くのが好きなどと言っている内は、作家でも何でもあるまい。苦悩が無ければそれは絵日記と変わらない。どれだけ起承転結が派手だろうが、同じ事だろう。しかしだ。私は別に、作品を評価されたい訳ではない。今回の依頼にしたって、何なら途中で辞めても良いくらいだ。
 どうしたものか。
 私は何をやっているんだ? 決まっている。作品のネタ探しだ。しかしもう少し余裕を持って行っても、罰は当たらないと思う。無論分かっているのだ。そんな余裕の有る状態では「傑作」など書けない。だが何度も言うように、それは所詮、自己満足できれば良いのであって、実際にどうかなど、どうでも良さ過ぎる。
 因果な商売だ。
 どちらも得る事は出来ないものか。
 こうして、食べる事すら置き去りにして物語など書いたところで、一体何になるというのか。少なくとも金にはなりそうにもない。
 息を吸って吐くように。
 いい迷惑だ。
 どうせならもっと金になる「業」が欲しい。

 不可逆をあっさり可能にする。

 言葉にすれば聞こえは良いが、それはつまり、普通の人間が当たり前に出来る事に対して、無駄な労力を強いられるという事だ。傑作だと自負しておきながら金儲けに四苦八苦するのは、主にそれが原因だと考えて良いかもしれない。
 私は宇宙船の中でゆったりとソファに腰掛けつつ、次の「標的」を写真で眺めていた。写真というのも久しぶりだ。現代社会ではデジタルデータばかりで、手にとって何かを見る機会など、殆どありはしないからだ。
 しかし、標的、か。こんな生活がいつまで続くのだろうか? 私自身特に不満は無いし、作品のネタになってくれればそれでいい。サムライとしての「始末屋」としての労働が違法なのは今更だからな・・・・・・個人的には最適な環境だ。多少違法でなければ「丁度良い刺激」にはなるまい。それが作家なら尚更だ。多少人間の「道徳もどき」から離れていなければ「傑作のネタ」になり得ないしな。
 だから何も問題ない。
 問題なのはそこまでして作り上げた物語が、金になっていないという部分だ。本末転倒と言えばいいのか、あまり笑えない。私は始末対象そのものには何の興味もない。あくまでも「その過程において作品のネタが掴めるかどうか」なのだ。私はミステリーを解明する探偵ではないのだ。始末対象がどんな思想で何を始めるか、あるいはその謎を解くまでのサスペンスなど、作家自身には、何の関係もない噺だ。何が言いたいのかと言えば物語が金にならない事を嘆いているというのに、今回の取材も「結果」より「過程」を求めざるを得ないという皮肉に、多少苛ついているだけだ。 そもそも、私は作品を執筆する時、アイデアに困った事など一度も無い。ただ単に私個人のやる気の問題だ。物語には執筆前から作成手順を考えて形にするモノと、「己自身」の形を反映させ、可能な限り「書くべき事」を「書きたい事」で脚色して書く物語と、後はただ単に苦悩だけを書いたり書きたいことだけを書いたりと、色々種類は有るのだが、私の場合バランス良く己の内から沸き上がる、そのどす黒い太陽の様な狂気そのものを表現すれば良いだけなので、根本的な問題として私に「作者取材」など必要ない。半ば趣味であり、面白い噺を探しているだけだ。
 そもそも別に、傑作であれば売れる訳でもないのだ。良い作品かどうかなど、売り上げには何の関係もない。無論「百年先、どころか人類の終焉まで」残る物語を作り上げる気ではいるのだが、それも売れなければ意味があるまい。
 人生の充足の為だ。
 言わば自己満足である。
 なので、結果を求めなくても良いのは当然だ。しかしそれで結果的に物語が売れないのではあまりにも何をしているのかわからない。とはいえ、物語を売るのに内容は関係ない。ともすると、私は作品のネタ探し等より、物語を効率的に売る方策を練っていた方が遙かに、建設的なのだが・・・・・・「業界の既得権益」が深く関わる事柄を、私個人で実現させるのは現段階ではまだ無理だ。
 それに他の方策を練った方が早いだろうしな。「今回、先生が敵にする事になるのは、所謂思想家って奴だ。名前はヴィンハルト、主に貧困地域や紛争地域でのボランティアや、その復興に尽力している神父様だ。厳密には違うらしいが、そう慕われている」
「神父だって?」
 紙に仕える人間を私が始末する事になろうとは・・・・・・今更だが。
「何故神父が「管理社会」を作る必要がある」
「争いをなくす為だろう」
「身も蓋もない答えだ。もっと深く情報が欲しい・・・・・・最終的な目的だけ話されても、訳がわからない」
「先生こそ「過程」に拘るのか?」
「拘るつもりなどありはしないが、獲物の思考回路を模倣するのは狩人の常だ。知る必要がある。何より、作品のネタになるかもしれん」
「やれやれ。相変わらず変わらないな、先生は」「どうでも良いことだ。いいから情報を出せ」
 あいよ、と適当な受け答えをしてからジャックは情報を抽出する。この現代、デジタルな恩恵を受けていない輩は少ない。私のように外界との繋がりが無くとも、外堀を埋めて情報を精査する事は実に容易だ。
 年齢、活動地域、そして思想の方向性まで、あらゆる情報がデジタル端末の中に示される。人間には過ぎた力だ。まるで神の信託を安上がりに、それも誰にでも使える形で出すような、そんな、危なげな雰囲気を最新のテクノロジーとやらは、私に感じさせる。
 言っても仕方がない事かもしれない。今更、例えそれがテクノロジーでなくとも、一度手に入れた利便性は、手放し難いモノだ。
 集団で有れば尚更、それが「常識」という共通認識になり、覆すことは社会に反旗を示さねばならなくなる。
「ここからそう遠くない惑星だな。その男が何者なのか、作品のネタの為にも知る必要があるな」「すぐに殺さないのか?」
 馬鹿が。始末するだけなら手間はいらない。問題なのは私の生き甲斐や充足が主に「物語」に、よって得られるという「事実」だ。
 だから私はこう言った。
「当たり前だろう。私は「作家」だぞ。作者取材をしなくて作家業が成り立つものか」

   2

 その寂れた教会には時代に置き去りにされた哀愁と、そしてそれに見合う歴史的な風格が漂っていた。寂れた教会の周りには寂れた畑があり、寂れた子供達が遊んでいる。どれもこれも安上がりなようだ。
 子供とはそういうものだが。
 将来の可能性は無限だとでも思いこんでいるのだろう。無論、将来の可能性は有限だ。どころか可能性など「能力値の多寡」で決まる。生まれついて運命は確定されているのだ。誰も彼もが、例えそれが神であろうが人工知能であろうが、やはり運命に左右され振り回される。
 子供は未来の象徴、ではない。
 人間の不可能性の象徴だ。
 そうは思わないのだろうか。夢が叶えられるのは選ばれた極々一部。それも能力値でまず振り分けられ、それから「運不運」などという目に見えない試練で振り落とされる。だから当然そこに、当人の意志による選択など無意味そのものだ。
 何の力もありはしない。
 誰であろうと同じ事だ。
 無価値で無意味で無力。それが「選ばれざる」存在だ。持たざる者。皮肉に捉えれば世界はこの上なく「平等」だ。誰も彼もが個性があると偽善者の馬鹿者は言うが、それに習えば誰も彼もが、似たような模造品の個性しか持っていない。それを個性があるだけで特別だ、あるいは、一つだけしかないかけがいのない存在だと、慰め合う情けない人間のゴミの姿が、そこにはある。
 無論、知った事ではないが。誰も彼もが同じだとしても、それに向き合いもしないゴミ共の事など、どうでもいい。無力であることも無価値であることも無意味であることも、私の狂気を止める理由にはならないしな。問題なのはむしろ、そういう環境下を言い訳にして、それで妥協して真面目に生きない愚か者共が増えることだ。
 そういう意味では、今回の「神父」とやらは、生きる事から目を背けられなかったのだろう。だからこそ人類の未来などという、眠たくなる問題を解決しようと躍起になっているらしい。それが今回の「管理社会制作」の為の行動基盤になっているのだろうか。それもまた、面白いが。
 人間の矛盾は面白い。
 見せ物としては最上だ。
 本当にな。
 とはいえ。幾ら面白いからと言って、この作家としての業、殆ど呪いの領域にある生き方は、いい加減何とかしたいものだ。体の調子を壊しても執筆、新年を迎えた朝に執筆、世界を呪いながら執筆。うんざりだ。
 そして、一番いけ好かないのが「予定通り」に進んだ試しがないことだ。一度として予定通りに執筆が進んだ事はない。急に降って沸いてくる、作品のネタを形にする作業だ。作業と言うほど、右から左へ動かすだけでもないのだが、とにかくそういう感じだ。
 忌々しい。
 たまには清々しく執筆を予定通りに行いたいものだ。無論、苦悩や苦痛に彩られている方が確実に「傑作足りうる」のだから、さらに忌々しい。 両立してみせるしか有るまい。私の知る限り、その例外を成し得る作家はいるのだ。他でもない邪道作家に出来ない筈はない。
 「幸福」に「生きて」みせるぞ・・・・・・結果の出ないこの状態では、正直説得力は失せるが、言っても仕方があるまい。そういう状態だからこそ、傑作が書けるとあの女なら言うのだろうが、私は別に自己満足の傑作で構わないしな。
 何より、綺麗事で満足するものか。
 「勝利」して「克服」する。それもまた生きるという事だ。今死んでいる、死に続けているというならば、金と意地の力で蘇るまでだ。
 根性論なんてらしくないが、事ここに至って、私に出来るのはそれくらいしか残っていまい。ただでさえ「私は人間ではない」のだ。これは客観的な事実だ。そう、あの女はどうも、ひねくれているだけだとでも捉えているのかもしれないが、私には「人格」が無い。この性格も、己にとって都合の良い思考回路を増築しただけだ。以前話したかもしれないが、私は人間を真似、ここまできただけの「存在」だ。だからどうと言う訳ではないがな・・・・・・環境に不遇を言いながら泣き言を叫ぶことで読者共から哀れみを貰うのは、あの女のような「怪物程度」の労働だ。わたしにそれは当てはまるまい。
 問題なのは「人間ではない」という事実と、それを踏まえた上で「幸福になる方法」だ。
 そしてそれは確立されている。
 実現はされていないので、あまり笑えないが。 宇宙船の設計技師ではあるまいし、理論は構築できているのに実現に必要なコストが足りないなど、笑えない。いつから私は不遇の天才みたいな立ち位置になったのだ? 馬鹿馬鹿しい。そんな事で立ち止まっていられるほど暇ではない。
 何が何でも「実現」せねば。
 今回の取材もその足がかりだ。
 足がかりになればいいのだが。
 あれこれ考えても仕方があるまい。どうせ私が策を弄したり計画を練ったりしても、それが実現された試しがないのだ。「運命に従って」などと言うと実に陳腐だが、それが現実だというのだから質の悪い噺だ。
 さて・・・・・・今回の物語は「心の無い存在」が、思想によってどう変わるのかを問う物語だ。心の無い存在に残るのは何なのか?
 答えは、私の視線の先に立つ、若い青年の革命者が知っている。

   3

 心が無ければどうなるのか?
 私は私以外のケースをあまり良く知らないが、基本的には「心を求める」奴も、ありきたりというか他に信念を見つけられなかったのかとあまりの無個性ぶりに同族を嘆きたくなるが、とにかくそういうものらしい。
 無論私はそんなモノ求めないが。
 心など有ったところで知れているではないか。大体が有ったから、だから何だ? 問題なのは心が有るか無いかではない。心単体は才能の有る無しと、さして変わりはしないのだ。勿論それに、劣等感やらを感じる輩もいるだろうし、個人的には参考にしないが作品のネタにはなりそうだ。
 面倒な噺だ。誰よりも言葉の力を軽んじる、信念や心の力を「無力」だと切り捨てるこの私が、あろうことか対話で作者取材に挑むとは。
 当たり前の噺ではあるのだが、いっそバイキングみたいに「作品のネタ」だけ強奪できれば楽なのだが・・・・・・世の中上手く行かないものだ。

 人間の「真似」をして最後までこなすこと。

 それが私の正体だ。人間でもない癖に人間社会に溶け込み、人間など分かりもしない、いや理解は出来ても共感しない癖に、人間社会に折り合いをつけつつ「充実と幸福」を見出そうとする。無論そんなのは生き物の在り方ではあるまい。
 その思想は借り物で、その人格は偽物だ。無論知ったことではないが。本物か偽物かなど、その辺りの鑑定士にでも鑑定させればいい噺だ。勿論金は貰う。有料に決まってるだろう。恐らくは、そんな事を寿命が尽きるまで続け、それでいて、仮に「あの世」などという存在があるとすれば、死んだ後でさえ「人間の物真似」をしながら存在し続けるというのだから、自分で語るのも何だが一種の災害みたいなものだろう。
 どう足掻いたところで相容れる筈もない。
 だが、私がその辺の雑魚共と違うのは、それでも「人間を追い求めない」部分だろう。怪物程度の小物の噺を聞くといつも思う。何故人間程度を追い求めるのかと。人間を高く評価しすぎだ。そこまでの価値はない。
 物語も同じだ。作家の言葉ではないが、物語に力などありはしない。大昔作家の葬式にパレードを開いた奴等もいるらしいが、そんなのは忘れる日時が五年後か百年後かの違いだ。永続的に誰かに何かを伝え、それを受け継ぐ事などない。どうせすぐに忘れる。聖書ですら今では詳細は闇の奥にある・・・・・・磨耗し、劣化し、あるいはその詳細の差異を言い争って後へと紡ぐ。
 それが「事実」だ。
 何の価値も意味も思想もありはしない。
 全て無駄な事だ。
 だとしても必要なのは「金」である。どんな時代でも己の価値観を通し、それで自己満足するのが世の常だ。世界に多大な期待をしてはならない・・・・・・お伽噺ではあるまいし、この世界に大層な結末など用意する能力はない。
 やはり「金」だ。
 金で幸福は買える。少なくとも、明日の昼を豪奢なランチにすることは可能だ。その方が良いだろう。有りもしない綺麗事などよりは。
 世界は金で出来ている。
 己は全て偽物でも構わない。真贋など些細な事柄でしかない。自己満足による充足、人間の物真似をしながら「理想の社会人像」を真似る事で、それは安易に達成できる。信念も思想も、それに見合うそれらしいモノで構わない。理想は使い捨て、心は作り直し続けろ。人の在り方ではないかも知れないが、人ではないので知ったことではない噺だ。
 私にとって世界に「同族」が存在しない以上、誰がどうなろうと何の関心もありはしない。私にとって、世界は「自分とは違う連中」が勝手に盛り上げているだけだからだ。同胞が一人もいない世界に、関心などある筈がない。
 どうでもいい。
 己以外は。
 具体的には己自身の幸福と富とその平穏。それが非人間である私が掲げる当然の「思想」だ。
 だが、そこに立つ青年は、どうやらその在り方を肯定できず、私とは違って人間に憧れているらしかった。
 奇妙な青年だった。まるでガラス細工だ。目玉が、である。小綺麗ではあるが何かを見るというよりも、何かを写し取っているだけに見える。ロボットみたいで気味が悪い。それに、民族衣装なのか何なのか知らないが、センスは悪そうだ。
 ボロボロのジャケットを着て、青年はそれでも笑っていた。不気味な奴だ。意味もなく普段から世界の苦しみを想像して笑っている私が言うと、どうにも説得力に欠けるが、しかし、世界の幸福などと言うありもしない妄想を掲げる輩の方が、余程病気じみていると私は思う。
 気にくわない目だ。
 世界に希望を持っている。
 根拠のない希望を。そのくせ理想が叶わなければ「こんな筈ではなかった」とか泣き言を言うのだろうから、質は悪そうだ。
「やあ。アンタが取材に来た人?」
 一応、身分を詐称してフリーのライターという事にしている。お笑い草だが都合が良いので、私は「貧困地域を許さない、正義の心に燃える」人物像を設定して、取り入るためにここに来た。この青年が首謀者であるのか不明な以上、その方が都合がよいだろう。
 別に本性を隠すつもりもないしな。
 気まぐれレベルの行動でしかない。
「ああ、その通りだ。貴様がヴィンハルトとか名乗っている牧師か?」
「ああ、よろしくな。俺はヴィンハルト。アンタは何て名前なんだ?」
「先生、とでも読んでくれ」
「え?」
「生憎、追われる身でな。軽々に身分を明かせないのさ」
 我ながら適当な事を言った。そもそも私には、身分と呼べるモノなど無い。どこにいようが同じ事だ。身分も経歴も場に合わせて変えるものであり、私にとっては都合良く利用する対象だ。だから故郷だとか、身分だとか、そういうこだわりはまるで無い。「過程」はどうでもいいのである。「まあ私の名前はどうでもいいさ。どうせ記事に書くことも、無いだろう。それより貴様に聞きたいのは、どうしてここまで紛争が激化したかだ」 詳しいことを調べる時間が無かったのもあるのだが、当事者から聞くことで何か得られる事も、有るだろう。それはそれで作品のネタだ。
「ああ、分かった。とりあえず座ってくれ」
 中へ促されて、一室に入る。どうやら応接室らしく、それなりに手入れされていた。少し待つと飲み物が運ばれて来た。
 とりあえず対応は良さそうだ。
 私は時々考える・・・・・・勿論「依頼」について、だ。依頼の「標的」は殆どランダムだ。少なくとも私にとっては。「法則性」の様なモノを推察するに、やはり「世のバランスを崩す何か」が、始末対象として選ばれるのだろう。この青年がどうという噺ではない。今回の依頼も「バランスを崩す存在の排除」だ。だが、ともするとこの世界は「突出した何か」を自動的に排除するシステムに管理されているのだろうか?
 何かを変える為に行動を起こすこと。
 それには多大なる変革が伴うものだ。今回の件も似たような話だろう。しかしその行動そのものが「宇宙全体」から望まれていないのだとしたら実にやりがいが無い。何をどう足掻いたところで修正されてしまうのだろうか・・・・・・かもしれないが、それでもやることは変わるまい。
 世界が終わる瞬間でさえ物語を書いている。
 もう少し他に趣味とかで「充足」を得てみたいものだ。勘違いされがちだが、あくまでも生き様や生きる目的そのものであって、執筆業が私にとって休息や遊びに分類される事は当然無い。だがそれでも、例え全てを物語でしか語れない人外だからといって、バカンスをとっていけないルールがあるわけでもあるまい。
 余力は必要だ。それが何であれ、だ。
 だが現状、それは満足に達成できていないと言えるだろう。何故なら私はこの惑星の現地住民達と幾度か会話をしてからというもの、正直言ってかなり気分が悪い。というのも、この惑星にいる連中は、この青年を含めて「誰かの為に」行動しすぎるのだ。
 過度な善意が、標準装備されている。
 辺境では良くあることだが、気持ち悪い。
 性格的なものではなく、あくまでもこういう場所では「それが常識である」という考えで、他者の為に行動するらしい。実に気持ち悪い。利己的であり他者を踏みにじり殺して奪うからこそ人間だと言えるのだ。正直言って「善意」などというのは余裕がある奴が趣味でやるか、正義だの大儀だのを振りかざす連中が無理矢理押しつける為の暴力でしかない。
 まるで、この場所には「人間などいない」と、そう言われているかのようだ。ただでさえ人間と「価値観のズレ」が激しい私だが、しかしこの場に置いては更にそれらが助長されている。善意による洗脳を施された「未知のエイリアン」と会話している気分に陥りそうだ。
 だから善意は嫌いなのだ。
 それが充満する世界は尚、質が悪い。
 だからこそ「作品のネタ」になるのだろうが。無論私はそんなゴミを信じてはいないが、人間というのはとかく「希望」だとか「善意」だとか、あるいは「成長し勝利する物語」というテーマを恐ろしく好くものだ。何故なら現実において人間は成長などせず、外道こそが美味しい汁を啜れ、善意などどこにもなく、純粋な思いなど存在さえしないからだ。
 ありもしない夢想にすがりつく。
 だからこそ、綺麗事の物語は売れるのだ。
 その方が、現実を見なくても良いからな。
 勿論私はそれを執筆するつもりはない。つまらないし吐き気がするし、幾ら物語が売れたところで拒絶反応を起こし死んでは元も子もない。努力とか友情だとか信念だとか、理不尽を覆す力が人間にはある、などと・・・・・・よくもまあ思い上がれるものだ。実際に存在しないからこそ、そんな夢想を信じたがるのだろうが。
 何より、そんなゴミを生産したところで作家だとはとても呼べまい。それは紙の束を生産しているだけであって、燃えるゴミを増やしているだけでしかない。私は作家だ。物語を書くのが仕事だというならば、「ゴミ」を作っても仕方有るまい・・・・・・昔は傑作だけが並んでいたのだろう。今や紙に何かが綴られている、という事しか分からない上、ただ耳障りの良い言葉を並べただけの、何のためにあるのか書いた本人でさえ知りもしない「本もどき」が増えている。
 それは物語を書くとは言わない。
 ただ幸運だっただけだ。それは運良く金儲けをしているだけで、作家でも何でもない。為替をしていればいい。ただ儲けたいだけならば。
 私は「充足」も欲しいのだ。欲張りかも知れないが、しかしこればかりは必要だろう。充足無き仕事など遊び以下だ。誇りとは何かをやり遂げた後に付随するものだ。泳いでいれば泥が付く。その泥こそが当人の「誇り」だと言える。言わば、究極の自己満足だと言えるだろう。それこそが、生きる上で豊かさの一つとなるのだ。
 それがなくて何が作家だ。・・・・・・こんな風に、食事を奢られている最中にこんな事を考えていると、「私は作家業に憑かれている」と自覚せざるを得ない。飯を食べながら思想を唱え、その思想の穴を探し、誰もが見たがらないような事実を抉り取り傑作という形にする。
 この因果から逃げるつもりはないが、少しくらいは物語を考えなくてもよい時間が欲しいものだ・・・・・・呼吸よりも休みがない。
「コーヒーで良いか?」
「ああ。そうしてくれ」
 こんな何気ないやりとりですら私は作品のネタとしてしか考えてしまう。見ず知らずの私に、その青年は清々しいくらい「親切」だった。大多数の誰かの為に動く人間というのは理解し難い。倫理観だの正義だの、そういう存在は私にとって敵でしかないからだ。
 倒すべき敵。
 正義の味方ならぬ正義の敵だ。
 かちゃり、とカップがおかれその中に液体が注がれた。椅子に座り直しつつ、噺に耳を傾ける。 喜劇であれ悲劇であれ、関係ない分には面白いものだ。物語の中で何人死のうが、読者には関係ない噺だからな。
 その他大勢の悲劇ほど面白い。
 何の責任も無いしな。
「紛争が起こった原因か。アンタ分かってるんだろう?」
「まあな」
 無論、戦争が起こる理由など一つしかない。経済活動である。見栄や虚勢、資源や差別、全て似たようなものだ、つまり、
「大抵の争いに理由など無い。人が人を殺すのに理由など必要はない。しかしその裏面には、面白い動機付け位はあったりする。それが知りたい」「そんな事を知って、どうするんだ?」
「仕事のネタにするのさ」
 危うく作品のネタと言いかけたが、しかし私はわざわざ身分を偽装して来ている事を思い出し、それらしい理由を口にした。
「貴様こそ、こんな所で何が出来る?」
「誰かを一人でも多く助けられればと思ってね」 誰かを助ける? 誰かって誰だ。
「・・・・・・下らないな。誰かを助けるという事は、誰かを助けることで自己満足に至る己を助けるということだ。貴様は誰一人助けられはしない」
「そう、かな。俺は、それでも誰かを助けたい。誰かを助けるという事そのものが悪いとは、思わないしな」
「善悪などどうでもいい。ただ出来もしない事を言っているだけだ。誰かが誰かを助ける事など、有りはしない。大体が、人を助けたいだけなら、貴様が金を稼いでこの辺りの人間に寄付した方が早いだろうが」
「かもな。それはやっぱり自己満足なんだと思う・・・・・・けれど、人の為に何かをすることは、悪い事じゃない。それに関してはやるのは俺だ。だから誰に何と言われようが、それをやめるつもりはない」
「そうか」
 問題なのはそのせいで、私がこんな辺境の地域にまで送られている、という点だが・・・・・・あくまでも状況証拠であって、この青年が食料品をばらまいて意志のコントロールを計り、それで革命でも起こそうとしている、という根拠も無い。
 まあどうでもいい噺だ。人間など、どうせ一秒に何人か死んでいるのだから、私の仕事が遅れる事で余計に死ぬかも知れないが、私がその責任を負う義理も無い。依頼にしたって別に好きで来ている訳では・・・・・・作品のネタが入り易い事は素晴らしいのだが、如何せん無駄な労働が多すぎる。「ところで、何か食べ物はあるか?」
「ああ、最近良い食パンが入ったところだ」
 自分から聞いておいて何だが、私はそれを食べなかった。当然だろう。知らない内に洗脳されるのは御免被る。 
 革製のバッグに詰め込まれた携帯食料を食いちぎり、私は飲んだコーヒーに変なモノが入っていない事を調べ、ただのコーヒーである事を確認しつつ、教会の中を見渡して、内部の構造をつぶさに観察した。
 年齢と趣のある建物だ、と言えば聞こえは良いが・・・・・・ボロだな。
「どうする、泊まって行くか?」
「いいや、結構だ。ホテルを取っているのでな」 ここに宿泊すればそれはそれで作品のネタが手に入るのだろうが、それは王道だ。邪道ではない・・・・・・ありきたりな展開などつまらん。
 とはいえ、まるで何も知らないのは問題だ。
「ここの聖書を一冊貰ってもいいか?」
「構わないけど・・・・・・何に使うんだ?」
 信仰に興味があるのか、でもなく何に使うのかを聞かれてしまう辺り、私の人間性、否、非人間性は隠す事が難しいらしい。
「当然、神の教えを知りたいからだ。私のような人間が、神に救いを求めるのに、何か問題が?」「・・・・・・好きにしろよ」
 色々と察しているのか、彼は何も言わなかった・・・・・・アンタみたいな奴が神に祈ることなんて、何もないだろう。恐らくはそんなところか。
 無論私に願いなどない。
 願う心が無いからだ。
 純粋にここら一帯の人間共が、何を支えにして生きているのか? 今後の方針もそうだが、何よりも人間がどういう思考回路で動くのかは、作品のネタになる。それが悪意によって突き動かされるので有れば、尚更だ。
 私は機嫌良く教会を後にした。青年は奇妙な存在を眺めるような疑り深いまなざしを私に向けながら、それを見送るのだった。

   4

 急がば回れと言うが、本当だろうか?
 過程こそが尊いだとか、そういう言い訳じみた言葉を、幾度と無く聞き流している。だが、実際には結果を先に手にしたところで、変わらないのではないか? 金を手にしたところで私には人間の物真似という趣味がある。退屈に彩られる事など有りはしない。
 障害も邪魔者も皆、全て等しく虐殺した方が、あっさり幸福に成れるのではないか? だが、私の今までは所謂「遠回り」という存在に満ちている・・・・・・頼んでもいないのにだ。成功ばかりする人間が「人生には障害がなければつまらない」などと泣き言を口から垂らす姿。そんなのは全てにおいて何一つ上手く行かない体験をしてからにしてほしいものだ。いや、これこそ泣き言か?
 言っても仕方がないが、問わずにはいられない・・・・・・何故、何故、何故。生きる以上その繰り返しからは逃れられまい。逃れるつもりも無いが、しかし答えくらいは欲しいものだ。随分と長い間問い続けてきている。
 答えは、まだ出ない。
 こんな様が幸福だと? 笑わせる。
 そんな幸福は願い下げだ。
 私は非人間だ。それそのものは問題ではない。が、しかしだ。本来そういう連中というのは、そう扱われる代わりに何かしら高い能力値だのを、持っていたりするものだ。無論、そんなものが私に有るはずがない。
 一言で言えば待遇が悪い。
 金の未払いは見過ごせまい。
 私には、そう感じるのだ。
 ま、今だから言えば、作家業は「人間の運命を見る」と言う娯楽に魅せられたのかもしれない。眺めるだけなら楽しいものだ。
 だが・・・・・・高いところから見られるのは御免被る。当然だ。見る分には良いが見られる分にはたまったものではない。物語の登場人物共に意志があるならば尚更、生きている私には強い意志が、否、自我が存在する。私の執筆する物語の登場人物共がどんな目に会おうが私の貯金残高には関係がないが、私個人の平穏を乱されるのは、実に不愉快極まる噺だ。
 だからだろうか? 登場人物の運命を弄ぶような作家は不遇で当然、ということか? まさか、だろう。その理屈で行けば、わかりやすいハッピーエンドを書く人間の人生は分かりやすく高福祉か存在しないという事になる。
 大体が物語の登場人物などに自我があってたまるか、馬鹿馬鹿しい。妄想も良い所だ。実在を信じざるを得ないキャラクター性。そんなモノが有り得るのか? 正直、信じ難い噺だ。だとしても、私のやる事は一ミリも変わらないだろうが。 いずれにせよ「大きな何か」に振り回されるのは性に合わない。強いて言えば忌々しい。そして金はそれらの悩みを解決してくれるツールである・・・・・・問題なのはそこに「運命論」みたいなモノが絡むとすれば、何をどう足掻いたところで無駄だという事実だ。人間の意志が運命を変えるなどという妄言は置いておくとして、実際人間ですらない私に出来るのか?
 幸福に、到達できるのだろうか。いや、違う。それは到達するモノではなく、内から沸き上がるものだ。しかし、その環境を維持するにはやはり金がかかる。それは確固たる事実。だからこそ、ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活を求めるのだ。
 どんな方策を弄してでも。
 それも、「憑かれた」と言えるだろう。疲れではなく憑かれだ。作家業に憑かれ、疲れて倒れる事すら許されず、作家足らんとする。聞こえは良いのだが、しかし実際には売る事に生き詰まって開き直っているだけだ。
 どうしたものか。
 どう足掻いてもどうにもならないから悩んでいるのだが、それにまた悩むとは不毛の極みだ。それもまた、作家特有の悩みだろう。
 嫌になる気分すら、飽きてきた。
 案外、行き着いた存在というのは、こういう気分なのだろう。癪に触る噺だ。それでいて、過程こそが重要、などという寝言が世界には溢れる。 溢れている。
 実に、忌々しい。
 忌々しい、限りだ。
「最近はあらゆる作品群が「昔の傑作」に頼る、情けない時代ではあるが・・・・・・まさか、人を助けようとする意志までもが、そうなるとはな」
「あの青年の意志が借り物だと思うのかい?」
 我々、と非人間と人工知能を定義できるのか知らないが、宿泊中のホテルにて
「あの男だけじゃない。この世界は借り物の偽物に優しくなりすぎている。確固とした己自身よりも、当たり障りの良い言葉を選ぶ」
 商売上がったりも良いところだ。
 作家は本質を突き詰めることで金にする。その本質をみようとしない読者共に物語を売るのに、必要になってくるのは騙しのテクニックだ。
 作家や物語じゃない。
 ただ、それらしく売る能力だけだ。実際、物語と呼べる程の存在を作り続けている輩が、この世界には何人残っているのだろう。いるかもしれないが、金にはなっていないはずだ。
 それが世の常。
 変わらない人間の、つまりは読者共の愚かしさ・・・・・・良い迷惑だ。
「物語を描く上で、「奇抜な設定」は確かに重要かもしれない。今回の「依頼」は、まさにそれを知るに丁度良い依頼内容だったが・・・・・・奇抜な設定やそれに準ずる起承転結はあくまでも物語を読む前に知りたがるモノであって、一度映画館で見る分には良いのだが、それは何度も楽しめるモノではないからな」
「けれど、先生の作品にはそれが欠けているからだろう? 手を抜き過ぎなんだよ」
「手は抜いていないさ。起承転結を丁寧に整えようとしても、上手く行かないだけだ」
 書くべき事を書いていると、それを書きたい形で書いていると尚、それらは作者の意志で方向性を整えるべきではない。その方が面白く運ぶからだ・・・・・・とはいえ、私の作品はどうにも、それが行きすぎているらしい。困ったものだが、執筆するには楽なので、構うまい。それに、丁寧に整えてやったところで、読者共の一時的な満足にしかなりはしない。
 問題はその「一時的な満足」を充足させてやらないと、中々売れないという部分だが・・・・・・また新しい売り方でも考えるか。
 大体が、物語が人に影響を与え、それが人間の力になるなど、有り得るのか? 人類史を物語が書き換えた事が、未だかつてあっただろうか?  つまりそういう事だ。
 所詮読む側の自己満足。
 ならばそれを金に換えるまでだ。
「作家の言葉では無いが、私は物語に何か力があるとは思っていないし、思うつもりもない。売れればそれでいい。今回の件も同じだ。依頼が金になり、それでいて作品のネタになれば、連中の信じるモノなどどうでもいいのさ」
「自覚はあるんだな」
「何がだ」
「今更だが、作家らしくないことさ」
 大きなお世話だ。「らしさ」は当人自身が決める事。他者がどうこういう権利はない。

 人の心に力が有ったと仮定して

 それは私には当てはまるまい。人間が意志の力で「運命を克服する」としても、私にあるのは、意志でなく「狂気」だ。無論それによるメリットは大きい。下らない些事で心が折れたりしない。する心が無いからだ。だがしかし、それによって克服する為の力が足りないのだとすれば、皮肉なことだ。
 忌々しい限りだ。
 私はこのままずっと、誰に何を言われようが、その狂気によって突き進めるだろう。その結果、作品がいつの日か認められ、傑作と表されるかもしれない。だが、それが何だと言うのか・・・・・・私は読者を喜ばせたり、私が死んだ後の世界で、よく知りもしない奴に「素晴らしい作品だ」と、評されたいのではないのだ。今、金が有ればいい。 元より私は人の世界の輪に存在しない。

 人間の心を抉り取る物語。

 成る程。世界に認められなければ認められぬほど、その「資格」はあるのだろう。それに相応しい精神性も、そういう環境でしか身につくまい。 だが、私は認められたい訳ではない。
 金が欲しいのだ。
 売れればそれでいい。
 願う心すら無い化け物の切実な目的だ。それを達成する為だけに今までここにあったのだと、そう言えるだろう。
 苦しい。
 生きていて、苦しい。
 生き苦しい限りだ。
 まっとうに息を吸って吐く事。言ってしまえばそれだけなのだが・・・・・・世界って奴は私のような存在に優しくできていないらしい。
 困難こそが充足を生むにしても、少しは勝利や実利が欲しいものだ。未だかつて、その願いは叶った試しが・・・・・・いや、そもそもが心が無いが故の弊害、なのかもしれない。私の今までには、それが嫌という程あてはまる。
 
 普通の人間が普通に出来る事。

 それが、出来ない。
 全く、因果な人生だ。
 不可逆を可逆にしたところで金にならないなら何もしていないのと同じだ。もう少し、役に立つ能力が欲しかったが、まあ、それは蛇足か。
 今ある何かでどうにかするしかない。
 誰であれ、同じ事だ。
 私の場合、選択肢すらなかっただけで、それは正直、嘆くに値しない。嘆くなら貯金残高で嘆くべきだろう。それもまた、当然だがな。
 私は都合の良い悪役かもしれない。だがタダでは終わらんぞ。実利は貰う。金だけは支払って貰おうか。それが、私だ。
 世の中金だ。
 その思想そのものではなく、そのあり方が重要なのだ。面白いからな。無論、それなりに豊かで有ればそれで良いのだが・・・・・・そうも行かない。 だからこそ求めるという思想そのものが矛盾している。とはいえ今更止まるつもりはない。私はここに至るまで何一つ掴んでいない。
 振り上げた手は降ろされるのみだ。
 未来へ進むとはそういう事だ。
 あるいは、それが運命へ挑むということか。
 勝てないと分かって進むのではない、勝てないと知っている癖に、尚挑む。我ながら度し難い。もっと要領の良い奴だと思っていたが。
 認められないのだ。
 理不尽を、敗北を、失敗を、そのままにしておけるほど我慢強く無い。艱難辛苦が身を阻もうが止まれない。凡俗の雑魚共に罵声を浴びせられてもその他大勢共に知った口を叩かれたところで、元より止まれる筈もないが、それにしたってもう少し楽に生きられればと、思わざるを得ない。
 だからこそバランスよく生きようとしているのだが・・・・・・堂々巡りだな。
 私は何をやっているのだろう。
 どうせこれらの試みが「無駄」であることは、明白だというのに。意地か、それともあきらめが悪いだけか?
 恐らく、違う。
 「生きる」という事柄に対して、私は手を抜けないのだろう。だからこれからは手を抜く事を考えながら生きるのもありかもしれない。実現できるかどうかはともかくとして、考えておいた方が良いかもしれない。
 意志の有る無しなど、無駄なことだ。
 どんな意志であれ結果には関与しない。それは事実だ。どう振る舞ったところで結果がそれにツいてこないなら、それはただの徒労だ。
 こんな足掻きそのものに、意味がない。
 やれやれ、参った。私は事ここに至っても、あろうことか下らない意志を、持ち続けているらしい・・・・・・さっさと諦めたいものだ。
 綺麗事は御免だしな・・・・・・だが駄目だ。私は元より「勝ち負け」で動いているのではない。その行動指針は私自身の在り方なのだ。思想は継ぎ接ぎでも構わない。信念など幾らでも使い捨てようしかし・・・・・・己自身は変えられない。
 忌々しいことに。
 己自身、というのは変えられない業の証明でもあるのだ。その結果として個人が残る。それは、薄っぺらい流されただけの感傷では決して手には入らぬが故に、何者ですらも「それ」を変える事は出来はしない。
 己を定めるとはそういう事だ。
 結局、「薄暗い道」を歩き続けるしかない訳か・・・・・・暗闇の中ありもしないモノを有るかのように装いながら、進む。どうせならもっと楽な道を歩きたかったというのが本音だ。勿論、それを実現させる為に動いているのだが、それも近頃は空しく感じるだけだ。
 感じる心など無いから「空しいのだろう」という「感想」を持つだけとも言えるが。それは人間の物真似であり、私個人の素直な感想だ。
 内にも外にも何もない。
 そういう意味では、連中、というかあの女のように「怪物」をしている連中の楽な身分に下りたかったものだ。能力値がある癖に他者に混じりたいだの孤独は嫌だだのと、そんな暇な感想を持ちながら生きていけるというのだから。まあ、もしも私が怪物に生まれたら、というのは前提にしてもお粗末な噺だ。何せ、心無い怪物、というのは比喩であって、実際には怪物ほど心に恵まれているのだ。私からは縁遠い。
 無論心など不要だ。
 金さえ有ればそれでいい。
 他に何かいるのか?
 事の大小はあれど、世界というのは誰かが不幸に陥ることで、それに見合う幸福を手に出来るように出来ている。それが世の真実だ。案外、こんな風に策を弄するよりも、その辺の奴を殺した方が儲かるのかもしれない。商売とはそういうものだ・・・・・・三方良しなどあり得ない。実際には誰かを騙し、騙した分の金が入る。商売に人情など、入る余地は最初から無い。
 誰かが死んだ方が儲かるのだ。
 その辺の奴を殺して罪悪感を抱く人間など、どこにもいはしない。どころか、殺してなどいないと言い張る始末だ。実体がどうかなどどうでもいいのだ。殺してもそれを罪悪だと咎められなければ何をしても問題ない。商いならば尚更そうだ。 金、金、金だ。そして金は他者の悲劇で生まれるものだ。ならばそこに他者を陥れる事に罪悪感など抱くはずもない。
 問題はその方策が見つからないことだが・・・・・・何人地獄に落としても良いから、「私の」豊かさだけは守りたいものだ。
 雑魚共が何人死のうと関係ないしな・・・・・・人道は金にならない。現実には「人を殺した方が幸せになれる」というのが「確固たる事実」だ。
 見ない振りして生きるか知った上で生きるかの違いだ。些細な違いでしかない。やっていることは「結果」同じなのだから。それを悪だの何だのと言うのは、ただの偽善でしかない。そんな偽善者の愚図にあれこれ言われる覚えもあるまい。
 どうでもいいしな。
 他者の評論ほど眠くなる噺もない。
 ・・・・・・人間ではない以上、決して手に出来ない「人間としての生活」を真似る事で充足を得ようとし、あまつさえ不可能だと理解していながら、人間の物真似をし続け、それでいて幸福を諦めないなどと、我ながらどうかしている。
 だが、私には全てがそうだった。
 不可能でない事柄など、無かったのだ。
 それが当たり前だった。それに今更疑問など、抱けよう筈がない。不可能を可能にすること・・・・・・それは私にとって常にあった問題だ。
 決して解ける事はあるまい。
 しかし、止める権利は私には無い。延々と続く拷問を受け続ける地獄を想起させる。実際、その通りだろう。何せ
 
 手に入るモノなど、何一つ無かった。
 
 どころか、私には「掴む手」そのものが無い。実に、滑稽な話だ。世界一実利、他者に関する関心を持たぬ存在が、何一つ持ち得ない。
 生きる事に意味など不必要だったが、それでも不平不満が残ろうというものだ。そんな扱いで、誰が満足するというのか。
 どうせそれも無駄だが。
 叫んだところで誰一人耳を傾けないのは構わないが、それが力を伴わないのでは考え物だ。真実何の存在意義もない。
 最初から無かったのかもしれない。だからこんな風に「作家」であるというプログラムを遵守するロボットのように、私は動いている。
 動いているだけだ。
 それは生きるとは言うまい。
 何をどう足掻いても無駄だという答えを知った時点で自害でもするべきだったのだろうが、私には死ぬことすら「不可能」だった。どう足掻いても死ねない。その労力すらも無駄。こうなってくると作為的に苦しめる為だけに存在させられたように思わざるを得ない。何の意味があるのかはしらないが、意味など無くても結局は、私があらがってきた「大きい何か」の気分次第で、どんな労力も努力も策も「無駄」だと、そういう事なのだろう。
 力があれば何をしてもいい。
 逆説的に、無ければ何をされても無駄だ。
 疲れているのだろうか? それはない。私には疲れを「感じる」事もできないのだ。だからここは理不尽に付き合うのが、いい加減面倒になったと言うべきだろう。そういう宿命を押しつけられてきたが、私の意志で向かっている訳でもない。そうするべきなのだろうが、無駄な事につきあい続けるのも、飽きてきた。
 どうせどうにもならない。
 全て無駄だ。
 ならば、さっさと終わらせて欲しいものだ・・・・・・まあどうでもいいか。どうせ私個人の意志など何にも反映されまい。
 有ろうが無かろうが無駄だ。強いて言えば、私個人の苦しみだけが、そこにある。
「馬鹿馬鹿しい」
 考えるだけ億劫になってきたので、私は用事を済ませて眠ることにした。どうせ何の夢も見ないだろうが、安眠することを祈っておこう。
 祈りなどクソの役にも立たないのだから、案外人類は何もしていないのに実利が空から降ってきた人間が賞賛されているだけなのかもしれない、などと適当な事を思いながら、私は思考を放棄する事にした。
 この物語も誰に語られる事無く消えるのかと思うと、やはり何も感じなかった。
 強いて言えば、無駄なら最初からやらせるなと私の今までを全否定するような感想を思った。それが事実なのだから、無理に希望を見せるのは強姦と変わるまい。神様などという馬鹿がいるのだとすれば、そいつはきっと手の施しようのない、大馬鹿だろう。何せ、私のような意味も価値も見いだせない事が確定している存在を、何の意味も理由すらなく作るのだから。
 やはり疲れているのだろうか?
 わからない。
 私の事を気にする奴など、未だかつて一人も、いやそもそもが非人間にとって人間社会は蟻の世界に入っているのと変わらない。誰一人同胞などあり得なかったのだ。尚更己自身が大丈夫かどうかなど、私自身でさえ気にはしなかった。
 するだけ無駄だから。
 それが良くなかったのかもしれないが、どうせ私には他の方策が有った訳でもない。私個人の意志など関係なく元よりそうだ。
 そういう意味では、非人間である私に、気遣いなど何の意味も無い噺だ。気遣う奴も気遣うべき部分も、やはり存在しない。
 私は暗闇の中眠りについた。
 世界は何一つ変わらず、どう頑張って諦めるべきか、どうせそれも無駄なのだからと、適当にそんなことを考えるのだった。
 神がいたとして、見るのは「人間」であって、助けるべきは「非人間」ではない。私でも殺すだろう。だから
 存在そのものが「悪」かった。

   5

 「結果」が全て。「過程」は消し去っても構わない・・・・・・そんな実利以外に興味のない、堂々とした生き方を否定するこの「私」が、こんなどうでもいい「過程」に足を引っ張られるというのは無様なのか何なのか。その「過程」に流した血や汗を無駄にするべきではないとか、そんな綺麗事はどうでもいい。それは人間の価値観だ。私は、違う・・・・・・「結果」が良ければそれでいい。過程など所詮自己満足でしかないのだ。自己満足は、関係ない休暇にでもすればいい。例えどれだけ死の山が築かれようが、私には何の関係もない。sれに後悔すらしないというのだから、そんな非人間、人間でない化け物に常識的な幸福論を説かれても、無駄なだけでしかないのだ。
 なのに、私には無駄な「過程」こそが集まる。どういうことだ? あれか、私が戸惑う様は見せ物として一流だったりするのか?
 馬鹿馬鹿しい噺だ。
 私が縛られているのは「資本主義社会」ではないのだ。世論だとか流行だとか、あるいは運命とでも言えばいい。「大きな流れ」はすべからく、私の敵だ。大きな力があるからといって、行き先を左右されるのは不愉快至極だ。有る意味、私は物語の怪物達ですら左右される「運命」だとか、あるいは「筋書き」という「この世で最も大きな何か」に挑み続けているのだろう。しかし勝てなければ意味など無い。
 挑むだけなら猿でも出来る。
 肝要なのは、そう「結果」だ。
 それが付いてこない。
 信念が有ればだとか誇りがあるからだとか、物語のおいては「正しい志みたいなもの」があるからこそ主人公が報われるという「汚い詭弁」が、まかり通るものだ。しかし、その場合人間ですらない私にそんなモノ持てる筈がない。持ちたくもないしな。ふん、となれば・・・・・・やはり持論通り私は「意志の力」を否定せねばなるまい。そもそもが「正しい思想」などあり得ない。正しさとは即ち都合だ。都合が良ければ殺人ですら肯定できるし、しても良いのが人の世だ。虐殺をするにはもっともらしい大儀が有ればそれでいい。自分達を守る為なら、人間は無限に殺人が出来る。
 幾らでも。 
 滅んでさえ、可能だ。
 意志など関係ない。ただ「結果」だけがそこにある。無論志と結果に因果など無い。最初からそうであるように敷かれた道があるかどうかだ。それを「才能」と呼んだり「運命」と皮肉ったり、つまりはその「運不運」でしか、人間の未来は、切り開けた試しがない。
 勇気や信念や誇りなど、何の関係もない。
 ただ能力値が高くて信念などより頼りになる、「幸運」という贈り物を持っていただけだ。実際「持つ側」の人間こそが歴史を作る。例え圧制者に挑む革命者ですらも、ただの人間では何一つ、変えられた事は無い。
 運良く神様に愛されただけだとか、元々腕っ節が強かっただとか、物語とてそうだろう? 何一つ持ち得ずに人の心を魅了する奴はいない。何かしら幸運だの才能だの人望だの忌々しいことに、「持つ側」として、逆境ですら彼らの成長の為、全てが用意されている。
 そんな物語に、嫌気がさした。
 さしたところで変えられなければ意味など無いが、しかしだ。現実に勇者が魔王を倒してめでたしめでたし・・・・・・これほど嘘臭い結末は無い。
 魔王には勝てない。
 だからこその魔王だ。
 理不尽とはそういうものだ。
 むしろ、そういう物語は如何にして妥協しつつ魔王という理不尽に税金を払い、かつ、殺戮をしてでも己達の利益を守る方策を練るべきだ。盗賊として活躍する方法や、魔王軍の配下になり、魂を打って出もそれなりに豊かな生活を送る方法論を書いた方が、幾らか現実的というものだ。それどころかよく分からない「奇跡」が起こって助かったり、たまたま百年に一人の才能があったり、仲間が味方してくれたり、誰かが捨て石になって助けてくれたり、ピンチの時には都合良く解決策が現れたり、本来勝てる相手ではないのに勇気や信念の力で覆したり。
 物語ではなく、ただの妄想だ。
 嘘八百ではあるが、物語を自称するならそこに「教訓」が必要だ。それが無ければ妄想日記でしかない。呼んで学ぶ。それを伝える。最近の物語は実に嘆かわしい限りだ。物語を呼んで「面白かった」などと・・・・・・生きる事と向き合うための物語だ。それを楽しんでどうするのだ? 現実に起こりうる災厄を想定することで、気構えを備える・・・・・・聖書であれ邪本であれ、同じ事だ。
 無論私は後者を希望だ。読みたくはないけれど生きる上での参考に読まざるを得ない。それでいて読む側が嘔吐、自殺願望、発狂して生きることの醜さのあまり呼んだ後に後悔する。強制的に、人間の精神をたたき上げるような、そんな物語を売り捌き、金にする。素晴らしい自己満足だ。
 それでこその「作家」だしな。
 作家が望むのは金だ。読者の事などどうでもいいに決まっているだろう。そんな会った事もない連中など誰だって気にしない。
 そういうものだ。
 まあどうせこんな思考回路そのものが無駄なのだ。所詮世の中運不運。それ以外に何かを変える要素は私のこれまでに無かったし、これまでに無いモノはこれからも無い。存在しない。クソ以下の運命ならば情けない世界に落胆するしかない。苦しみに耐えたところでどうせ無駄だ。苦しみに対する支払い能力がないからこそ世界は情けないのだから。
 作者取材などと・・・・・・我ながら無駄なことをしている。努力しようが結果には関係ない。それは幸運や不運で決まるものであって、人間の意志は結果に何ら関与しない。極論私がここで面倒がって返ろうが、そうしなかろうが私の未来は灰色のままだ。どうせ無駄なのだから。
 個人の意志で何をしようが無駄。
 それは嫌というほど知っている。
 言ってしまえばだが・・・・・・消化試合だ。どうせ無駄なのだから私に出来る事はもうそれくらいしかない。いや、最初からそうだったのだろう。何をどう足掻いたところで無駄。無策で昼寝しているのと変わらない結果しか生みはしない。幸福も成功も栄誉も勝利も意志や努力で手に入れるものではなく、持つ側の椅子に「座っている」かどうかのみで決まる。その事は昔から知っていた。
 ああ無駄だった。
 さっさと死にたいところではあるが、今更仕方がないし、私はどうも死ぬことすらできないらしいし・・・・・・消化試合を楽に済ませるしかないか。 楽にはさせてくれないのだろうが。
 どうせな。
 だから、私に出来ることなど何もない。ただ、苦しみに耐えるだけ。耐えられなくても苦しみ続けるだけだ。情けない。非人間がこれだけ一生を費やし、それでいて形作るモノに対して、出来ることが何もしていない人間と変わらないのだから・・・・・・最初から無駄だったとしか言いようがないだろう。世界は金で出来ている。そして、勝利者の椅子に最初から座っているかどうかのみが、その今後に「幸福の権利」を左右するのだ。
 早く終わってくれないだろうか。
 惰性で付き合ってやるのも飽きてきた。
 散々無駄だと証明し続けてきたのだしな・・・・・・今更何か期待すべき事柄など、無い。どうせ無駄というのが、ただの「事実」だ。その事実を受け入れようとしないらしいが、関係ない。事実は事実・・・・・・無視されたところで今まで通り、私が迫害され続けるだけだ。
 早く、死にたいなぁ。
 それ以外に言葉がない。
 何せ、どうせ無駄なのだから。
 作家業を続けるのにもうんざりしてきた。こんな風に作者取材を続けたところで売れる訳でもないのだ。どうせ無駄だ。何も変わりはしない。
 精々手を抜いて、生きる事と向き合うのを、頑張って止めるとするか。向き合ったところで、それで幸福に成れるのは椅子に座る側だ。持たざる側には何の現実味もない。案外、皮肉でもなく、弱者の側、持たざる側は麻薬でも何でもやって、「幸福である」と誤魔化す方が生物として正しいのかもしれない。少なくとも、覆りもしない理不尽に挑むというのは、それもどうせ無駄なのに、当人の意志とも関係なく挑むのは、生物らしくないだろう。
 電流を流されたラットだ。
 人間、皆そういうものだが。
 奴隷からの脱却を試みたと言えば聞こえは良いがしかし・・・・・・奴隷は何をしたところで奴隷だと再確認しただけか。つまらない結末だ。
 世界は、情けない。
 それが「私」の「答え」か。期待はずれだが、しかし世の中そんなものか。狂気に身を宿してでも先に進もうとした私が馬鹿だった。聞こえ通いだけで、実際には生きる事と向き合わず麻薬でもやって人を殺して他者を食い物にして多くの人間を犠牲にしてでも「美味しい汁」を啜った方が、「幸せに成れる」という「事実」は誰でも知っていることだ。今更、再確認とはな。
 ま、考えておこう。考えるだけで、今更そんな面倒な事をする気分にもならないし、それもどうせ無駄だろう。持つ側の特権だ。
 幸せなど、運が良い持つ側の為だけに存在する・・・・・・私はその「事実」から目を背けていた、そう取れるかもしれない。
 やれやれ、参った。
 無駄な人生を過ごしたものだ。
 在り方が素晴らしいかどうかなど、結果には何一つ関与しない。何の意味もない。強いて言えば下らない自己満足でしかないのだ。そして自己満足とは現実にそれなりの豊かさを享受しているからこそ味わえる「娯楽」である。在り方を到底議しようが、「力」と「金」が「結果」として伴わなければ、ただのゴミ以下でしかないのだ。
 嫌になる。
 うんざりする。
 無論、持たざる存在に選ぶ権利など無い。嫌々我慢する以外、道など無いのだ。
 面倒臭い噺だ。押しつけられる側はたまったものではない。

 弱気をくじき、強気にへつらう。

 それがこの世界の「事実」だ。それを直視しようとするか、しないかの差でしかない。
 私には「望み」が無い。望む心がないからだ。とはいえ、だからといって凄惨な目に遭うのが楽しいわけでもない。そもそも望みとは叶ったところで意味のないモノを指す。私の場合、無駄な労力を削減したいだけだ。だが、どうもその無駄な労力は押しつけられるモノであって、個人の意志でどうこうなるものではないらしい。
「それは違うと思う」
 などと、青年、ヴィンハルトは私に告げた。我々は教会の中で酒を酌み交わしていた・・・・・・訳ではない。今後の行動方針について噺があると言うから、私は作家として作品のネタが飛び出しそうな方向へ噺をつついていただけだ。意味はなくとも価値はある、とでもこの青年は言うのだろうか・・・・・・ありきたりすぎてつまらない。
「何故そう思う? 「結果」が伴わなければ意味など有るまい。金や名誉、あるいは貴様ですら、「誰かを助けたいという欲望」の為に動いている・・・・・・形は違えど「己の利益」を天秤に行動に移し、その対価を得る」
「確かにそうだけどさ、何て言うか、その」
「何だ」
 歯切れの悪い奴だ。
 結論だけ言えば良いと思うのだが、それはそれで「人間らしくない」のだと、青年、ヴィンハルトをモデルに「人間を学習」しながら、こんな時でさえ「作品のネタ」と「人間らしさの真似」に励む私だった。
「アンタは結果である「金」を重要視するけどさ・・・・・・それだって、いつかは消えるもんだろ?」「恒久的に残る気持ちが大切だとでも言うつもりか? 今この瞬間はどうでもいいと?」
「そうじゃないけどさ、何て言うか、俺は子供達が笑ってる姿を見ていると癒されるし、それに何を求めようとは思わない。アンタの仕事が何かは知らないけど、仕事を終えた瞬間って、誰でも、専門家であればあるほど、満足感を得るもんだろう?」
「少し、違うな・・・・・・仕事を終えた充足感など、所詮一時的なものだ。何より、貴様は子供達の笑顔で満たされるのではなく、子供達を笑顔にすることで「人間に関わっている」とささやかな充足を得ているのだろう? ああ、自分のような存在でも誰かの為になれるのだ、と」
 青年はきょとん、としてから、笑った。
 まるで演技を止めたかのような顔つきで、それは清々しい笑顔だった。
「アンタは凄いな・・・・・・まるで心が抉られているみたいだ」
 作家、だとは答えられないので「物書きだからな」とだけ答える。嘘ではあるまい。
「貴様の言う「過程の尊さ」が無い訳ではないが・・・・・・それは結果をないがしろにする理由ではないのだ。向かう先がある。その地点へ到達したいならば、脇道によそ見など出来はしない。これは私に限らない。貴様も私も、誰であれ果ての無いどこかを目指すならば、ささいな過程は置き去りにするものだ」
「けどさ、その「過程」って奴が輝いていたりすることも、あるんだろう?」
「無い。少なくとも、私には」
 何も無い。
 無かった。
 それ自体は構わない。だが、それに価値が無いと言うのに、押しつけられるのは御免だ。
 そもそもが人間性、何かを感じ取る事が、根本的な部分で不可能な私には、過程を感じ取ることなど出来はしない。人間の物真似をしてそうであるらしいと結論付けることは出来るが、それは、ただのそれだけだ。何かを思う訳ではない。
 何も無いままだ。
 それが人間ではない証左か。
 会話しながら私は思う。起承転結など作者の独り相撲に終わることが多いが、「こういう経験」から得られる「世の真実」こそ「傑作のネタ」になり得るのだ。
 それは現実味の違いだろう。
 妄想の中で作り上げたよくできた物語と、その経験を元にして描き上げる物語とでは質が違うのだ・・・・・・これも作家病か。
 たまには関係ない事を考えたいモノだ。
 本当にな。
 まあ、実際には「何事であれ作品のネタに」というスタンスである以上、無意味な考えだが。
 全てが仕事だ。作家に物語に出来ぬ事情がない以上、本当の意味で「休みを取る」のは至難の業かもしれない。
「貴様の言いたい事は理解るぞ。「後々の世に、人々の心に何かが残るならばそれは無意味ではなく価値ある事だ」だろう? しかし、違うのだ」「・・・・・・どうしてさ。アンタは言葉を使う人間だろう? それのどこがいけない? 作家って訳でもないんだろうが・・・・・・」
 まさに作家そのものだが、しかし私の事をフリーのライターだと伝えていたのだった。
「同じ事だ。私はそもそも、価値を見出したい訳では、ないからだ」
「? 金が欲しいって言ってたけど、それは目的であって動機じゃないって事か?」
「そのようなものだ」
 私は誰かに価値を見出されたい訳でも、まして後の誰かに伝えたい訳ですらない。作家にあるまじき発言だが、しかし読者共の事など、私が気にするはずもないだろう。伝えて、それを伝承することは素晴らしいかもしれないが、他でもない、この「私」には関係すらない。
 私は運命に勝利したいだけではない。
 敗北するのが嫌なのだ。
 まるで子供の理屈だが、しかし事実だ。そして作家にとっての勝利条件・・・・・・他でもない邪道作家ならば尚更「物語を金に換える」という部分だろう。「傑作」を書けるに越した事はないが、しかしそれは私個人の自己満足であって、目的そのものではない。あくまでも「手段」だ。
 「私」の「幸福」への礎だ。
「何よりも、私は「結果」を見ていない。即ち金だ。何事であれ、結果に結びついてこそあれは実は価値があったのだ、などと言えるのだ・・・・・・」 結果も見ていない「過程の間」の状態で、そんな聖者みたいな言葉を吐く間抜けがいれば、私が叩き斬っている。撫で切りだ。
 私は前へ進みたい。
 いい加減な。
 それも、ただ進むだけでは駄目だ・・・・・・天候や環境に左右されず、進むべき方角へ進む。それには「力」が必要だ。それこそが「金」だ。
 何が有ろうがそこを曲げるつもりはない。
 一切だ。
「ふん、少し疲れた。私はもう眠るぞ。貴様は、そのくたびれた信念を抱えながら、その資料でも漁っていろ」
 そんな捨て台詞をらしくもなく吐き、私は逃げるように寝室へと向かった。
 綺麗事は性に合わない。この性質は未来永劫変わりそうにはなかった。
 
 

   4
 

 この世界で「最強の力」があるとすれば、ああいう「何であれ味方に付けてしまう」という主人公のような素質・・・・・・人との縁を繋げる力という存在は、私の知る限りにおいて、最強の一角を占めるものだ。
 私はそういう連中に打ち勝たねばならない。
 どうしたものか・・・・・・如何に「最悪」と言えど私は特殊な力など持っていない。しかし、そういう連中は本質的に私の「敵」だ。
 相容れない。 
 そういう輩とは、決して。
 この世の終わりかと思うくらいに食べてから、私は今後の予定を考える・・・・・・あの青年はまさにそれだ。私が今している様に、明日戦争が起きると考えているかのように食べて備え、計画を練り普段から蓄積させる事で、大きな力を得ようとする存在とは対局に位置する。普段から健康など意識しなくとも、連中の場合何かしら助けが発生するからだ。逆境に備えずとも、それに見合う力を振るえる卑怯者共。
 気に入らない噺だ。
 私が「悪」だから報われないのか、連中のような「善」だから都合良く奇跡が起こり、それでいて仲間にも恵まれ、成長し勝利するのか。
 つい、考えてしまう。
 持たざる者に勝利する方策などあるのか?
 散々探したが、望む答えなど無い。
 勝つべくして勝つ。それだけだ。
 あれこれ策を弄したところで、それに見合う準備や計画を立てたところで、どうせ連中には及ばない、どころか、まともに成功した試しがない。 逆に、あの青年、ヴィンハルトとか言ったか。ああいう手合いには相応しい試練が用意され、何をせずとも舗装した道を歩くかのように、勝利するべくして勝利する「物語のあらすじ」が決まっている。冗談じゃないが、しかし、それを覆そうとして「敗北」したから私はここにいる。
 失敗、とも呼ぶのだろうか・・・・・・だが、そんなのは意味のない事だ。後から役立ったとして、それは「もしも」の未来の噺だ。関係ない。
 今、ここに、「勝利」が欲しい。いや欲しいというのは違う。「支払わせる」これだ。私は、今までの鬱積に見合う対価を、この世界に支払わせたいのだ。それが私の「望み」だ。願う心がなくとも、鬱積は貯まる。
 
 今までの労苦に見合うモノを寄越せ。

 私の指針はそういうモノなのかもしれない。
 だとするならば、ああいう「主人公属性」は、私にとっての「敵」だろう。確認するまでもない・・・・・・しかし、切りかかれば良い、という噺でもないだろう。よく分からない「幸運」で、仮に、先程の地下室で切りかかったは良いものの逃げられました、では意味がない。それに、あの青年が首謀者だと決まった訳でも無い。あくまでも作者取材のついでに「依頼」をこなすだけだ。
 金は既に受け取っているし、「作品のネタ」を回収できればそれでいい。この惑星がどうなろうと知った事ではない。依頼内容には首謀者の始末は含まれていても、この惑星を救う事は含まれていないしな。
 含まれていてもしないがね。
 物事の価値とは変動するものだ。しかし私が欲しいのは価値そのものではなく、価値を手に出来る力なのだから、矛盾はしないだろう。
 しかし・・・・・・理解し難い噺だ。己ではない誰かの為に、その利益を捨ててでも尽くす、とは。社会貢献だの世の為人の為という部分からは、作家という生き物は最も遠い所に位置する。物語が人から人へと伝えられ、それが何かを変えるなどと言うのは、物語の中だからこそ成り立つ詭弁だ。それが現実にある筈が無い。仁義や道徳が人を助けるは虚構の中。いや、そもそもが存在そのものが怪しい噺ではある。思いだの理想だの、有りもしないのに下らない。
 そもそもが「非人間」である私には関係のない噺だが・・・・・・あの青年のような輩は、私の作品、物語に出したところで底が知れている。
 嘘八百でもそこに虚実が無ければ。
 その方が面白いしな。
 所謂「志」などというのは「余裕ある存在だけが言える戯言」だが、しかしそれを描き、読者共を騙して金にすることこそ「作家業」だ。それが上手く行けば苦労しないのだが・・・・・・とはいえ、忌々しい限りだ。「理由が同じ」とは。一緒になど汚らわしくて考えるだけで怖気がするが、連中は「誰かに認められたくて」やるわけではない。私も同じだ。それが事実を見ているか、有りもしない理想を見ているかの違いだ。事実から目を逸らして、余裕があるからとそれらしい「理想」を歌う忌々しいカス共などと一緒にされるとつもりないが、まあ人間というのは小綺麗な理想の方が都合がよいらしい。
 清らかさなど所詮自己満足でしか無いのだが、それを押しつけてでも「良い人間である事」を、他者に押しつける様は、眺めるだけなら良い見世物だ。そんな無様な様など私の作品には出したくもないが、眺めるだけなら。
 良いじゃないか。貴様等の言い分では、力が有れば何をしてもよいのだろう? なんてな。
 しかし事実だ。
 事実から目を逸らされたところで、迷惑なだけでしかない。だが困ったことに力を持つ輩ほど、そういう奴は多い。
 更に困った事に、現実には物語が人の心を動かし世を変えたりはしない部分だ。ただでさえ作家は立場、立場などそもそも無いが、しかし作家にもし立場があるならば、それは社会的には蟻以下すらない。「反社会的」の象徴だしな・・・・・・あっても困るし迷惑だろう。どうでもいいしな。
 社会を動かすのは、当然だが意志だの理念だのではなく「社会そのもの」だ。それを理解しようとしない奴は多い。理念だの意志だのそんな存在はどこにもない。そもそもが虚構だしな。そんなモノがあるなら私の作品は売れて然るべきではないか。意志程度で売れるなら苦労しない。
 神がいたとして、人間を選ぶとしても、それはただの偶然だ。そこに「意志の強弱」など有りはしない。運不運。それで全てが決し「結果」だけがそこには残る。人間性が尊い結果など生むはずがあるまい。それに、その理屈では私は勝てないではないか。非人間に人間性など無い。
 そういう輩は決まって、当たり前の犠牲が出てから「こんな筈では」などと言うのだ。馬鹿馬鹿しい。綺麗事ほど汚いモノは無い。
 道徳の奴隷だ。
 人間らしさに拘る前に、それなりの豊かさで満足できないモノなのか。過ぎた理想よりも目の前の現実だ。綺麗事で手にはいるのは精々がどうでもいい賞賛だけ。それを欲しがるのが人間性ならば、本当に人間でなくて良かった。
 後悔ほど最低の在り方は無いしな。
 そもそもが「非人間」人間で無い以上、人間社会と折り合いをつける事はあっても、それに貢献する義務など無い。人間社会に折り合いをつけているだけであって、私は人間社会で生きている訳ではないのだ。あくまでも「私個人」のみが私にとって生きている存在だ。詭弁かもしれないが、まあ構うまい。
 何かを助けるという行為は余裕が有るからこそ成り立つもの。それが事実。余裕が無いのに誰かを助けるなど実際には見たことがないし、実際に見たところ忌々しいだけだ。惑わされてはならない。物語から得る思想など、全て作り物だ。
 嘘を鵜呑みにするな。
 参考に留めておけ。
 気色悪い事に、現実の人間はそう考えなど有りはしないのだ。具体的にはローンで大きな買い物をしたりするくせに、その「実感」が無い奴。そのくせ、目の前で自身よりほんの少しでも良い思いをしている奴がいると、劣等感が顔を出して、無駄遣いだと罵れる。
 目の前の現実を見ていない人間は多い。
 己のことを「立派だ」と思いこむ連中ほど、金の使い方は酷いものだ。肩書きだの常識だの世論だの・・・・・・暇なのか貴様等は。
 そのくせ、自分達を「社会的に立派だ」と、思いこむのだから迷惑な噺だ。社会と個人は何の関係も無い。大体が、社会など形の無い偶像だ。
 信じるべきを「己自身」ではなく、それらしさで誤魔化している。そんな輩でも幸運さえあればそれなりに金は掴めるというのだから、いや、金を掴んだところでそういう連中はまともに金を使うことなど出来はしないが、目障りなのは違いあるまい。
 そういうものだ。
 因果応報とは「そうあって欲しい」願望でしかなく、この世界は特に理由も無くそうなのだ。だからそういう連中も栄えるのだろう。世界を浪費し続ける存在が栄えるのは、明確な基準が無い証左だと言える。
 厳密には因果応報するのではなく、当人達が勝手にそこへ向かっているだけだ。幸福になれる権利を持つ輩に限ってそういう奴は多い。考えなしで子孫を育てず、それらしさにかまけて生きる事を考えずに、持ち前の「それなりの有能さ」に、かまけて年を取ってから子供に邪魔者扱いされ、生きてるのか死んでるのかわからないような施設に押し込まれる奴は、最近順番待ちだ。
 目先の子供を見る事すらしない輩が、どうして「何故こんな事に」などとほざけるのか不思議だが、その辺りもきっと「自覚がない」のだろう。醜悪なものだ。有能なだけというのも考え物だがしかし・・・・・・私はそんなモノはいらない。
 金だけあればいい。
 生きるだけなら金だけで十分だ。そしてそれ以外の部分。欲望を本質的に持てない私にとって、精神の充足は「自己満足」だ。それに物語、面白い噺さえ読めればそれでいい。人間の在り方ではないかもしれないが、生憎私は人間ではない。
 それ以外の方策とて、必要ならばそれを揃えるだけだ。私にはそれが出来る。・・・・・・私の物語の売り上げが上がれば、だが。
 それが一番難しい気もするが、言っても仕方有るまい。最も重要な部分こそを率先して取りこぼすのは、非人間の宿命と呼んで良い。私の場合、それは物語の売り上げだ。それさえ上手く運べば私には余計な不安は無く、活きる為に生きる事へ全力を注げるのだが。しかしまあ、自覚はあるが「不安の無い人生」など生きているとは呼べないだろう。私は人間ではないので構わないが。
 どうせなら物語の結末にでも抱きたいものだ。 邪道作家なら尚更な。
 近代の人間は必然的に「会話」をしない。ただ己の話を話すだけだ。人間が人間に意志を伝えるという当たり前のことは、デジタルネットワークが原因なのか行われなくなった。書面で何かを送ろうとするのは、銀河広しと言えど、最早私以外には誰もしないだろう。
 目の前の人間を本質的に見ない世界。
 それが現代だ。そんな世界で物語など、元より売れる筈もないのか。売れるのは本質ではなく、表面を塗りたくる側だしな。そのような環境下において、あそこまで他者から信頼を得られるヴィンハルトは、ある意味人間を逸脱している。
 人間同士では信頼される事も、一定を通り越しては有り得ない事柄だからだ。それは、人間という生き物が汚らしいというのもあるが、作家ではあるまいし、他者の心の底まで見通すなど、出来るはずもない。見えない以上、手探りだ。
 出来ていれば良いな、という願望こそが正体。 それが「信頼」だ。
 私は作家なので、あるとすればただの事実だが・・・・・・事実とは残酷なものであり、それを躊躇無く書けるのも「作家」という存在だろう。信頼とはいつか裏切られる前提でしなければならない。ただ相手に信頼を寄せるのは「依存」だ。希望的観測で相手に押しつけて欲しいモノを要求しているに過ぎない。なので、世間一般のような美しいものではあるまい。客観的な事実としてみるだけでしかないのだ。
 現実はそういうものだ。
 それから目を逸らす奴は多いが。
 真面目にやっていれば良い事がある、などと。真面目にやるだけならば、悪人は誰よりも真面目だろう。それで良いなら苦労しない。
 悪ほど、現実と向き合っている輩もいないのだ・・・・・・善性とは即ち「非現実性」なのだから。
 私のような「存在」が言うのも不思議だが。
 
 生まれる時に心を置いてきた。

 神がいるとして、人を救うとしても、大して当てには出来ないだろう。神が救うのは人間だ。私は人間ではない。生まれついて人間の持つあらゆる「善性」に興味を持たず、己の利益、というか「ただ必要に迫られたから」という理由で他者を踏みにじれる存在は、まさに人類にとっての悪そのものだ。人類悪があるならば、それは私のことだろう。人間の世界において、何の理由も信念もあらずとも、ただ「存在そのものが悪」であるのに必要なのは、他でもない「非人間性」だからだ・・・・・・もっとも、私にはどうでも良い事だが。
 とはいえ、心を置き去りにした化け物にとって「己の心を殺してでも尽くす」というあの青年の精神性は、非常に興味がある。ああなりたいとは決して思わないが、しかし作品のネタにはなる。 私は「ただ必要があるから」という理由で、それを理由と呼べるのかは知らないが、ただの昨日と言っても差し支えないが、とにかくそんな理由で金を求め、それでいて「共感できないから」という本来有り得ない理由で私は「人間性」を捨て去っている。
 そんなものは、どこにも最初から無かったが。 人間社会での折り合いの付け方も、真実幸福という訳ではない。私に幸福など無い。強いて言えば「作家」らしく面白い物語を読んだり書いたりしていれば楽しくはあるが、楽しさと幸福とは、また別種のものだ。
 私には「幸福」など無い。
 苦労した「過程」の道中やその先に「幸福」が本来なら有るらしいが、私には当てはまらない。ただの浪費でしかないのだ。幸せな家族の光景を手にしたとしても、そこにあるのは「ひたすら人間の物真似をし、これが幸福らしい、と自己満足で幸せな「フリ」をする姿」があるだけだ。それを幸福とは呼べまい。どうでもいいしな。
 「幸福」に「生きる」と息巻いてはいるが、しかし実の所諦める訳ではないが、いや、それこそ諦めているのか? 人間らしい幸福を追い求めて行くことこそが正しいとでも? わからない。しかし、現実問題「絶対に手に入らない」というのは「確固たる事実」だ。それを無視は出来まい。 だからこそ「金」があり「ストレス」を排し、豊かさと平穏さを求めているのだ。人間とは違って「過程」を追い求める必要は無いしな。
 それが「私」だ。
 誰よりも金を重要視しているものの、金そのものに畏敬の念が有るわけではない。無論、有るに越したことはないがな。
 幸せなフリも楽しいものだ。
 楽しむだけならそれでもいい。
 元より、この現実世界で「現実と向き合って生きている」人間などいない。私のように事実と向き合う事など、する筈もないのだ。国家も貨幣も社会も全て虚構だ。どこにも存在しない。それがあると思いこみたいだけ。それだけだ。私は躍起になって現実を見据えたが、現実論で言えば私は永久に幸福になど成れはしないし、幸福になれるかどうかは運不運だ。持つ側か持たざる側か、ただのそれだけだ。故に、私が勝利する事は出来はしない。「持たざる側」にいる以上、幸福になど成れる筈が無い。
 それを知って尚、どうにかしようとした。
 それも無駄だった。
 強いて言えば疲れただけだ。不可能に挑む、生きる事と向き合う、信念を持って前へ進む・・・・・・言葉尻は綺麗だが、実際にはただの徒労だ。
 無駄な事をしたものだ。
 実際に歩いた私が言うのだ。それもまた、この世界の「事実」だろう。世界に期待する程の何かなど、無い。最初から情けないだけだ。最後まで何も変わりはしない。世界に意志など無いし、歩んできた道のりに対して、何も出来はしない。
 因果など、最初から無い。いやあったとしても同じ事だろう。あればそれは最初から敗北も苦悩も義務付けられているだけで、無ければそれは、無責任にも放任しているだけだ。それに何かを期待する価値など無い。
 どうしたところで無駄な話だ。
 出来るから出来る。勝利するから勝利する。積み重ねようがするべくしてしようが、当人の意志は結果に何の関与もしない。
 それが「現実」だ。
 そして「事実」だ。
 こうなってくると作家業も、最早永遠に勝利にたどり着くことが無いので有れば、それは趣味と変わるまい。どうしたところで売れない物語など誰も読みはしないし、最初から何も無いのと同じ事だ。無論、賭けた労力の話があるので捨てる気にはならないが、それは労力に見合うモノも受け取っていないのに捨てるのが嫌なだけであって、物語そのものに未練など持ちようがない。
 何せ私以外誰一人読みはしないのだ。
 金はいつも、それ以外の方法で手にしてきた。 始末屋家業、だったか・・・・・・何でもいいがな。どうせ何をしようが金を掴もうとする以上、悪辣なサービスで騙して手にするか、単純に始末して金を掴むかの違いだ。いや、そこに違いなど無いだろう。どれだけ綺麗事を積み重ねようが、他者を殺す事で貨幣は手に入る。それが大昔からの掟であり、変えられない定めだ。
 可能な限り多く殺した方が金は儲かる。それが直接的かそうでないかだけだ。法律に触れているように見えるか、そう見えずに誤魔化せるか、ただのそれだけだ。殺した方が幸福に近づくし犯した方が己の為になるし虐げた方が良い思いが出来るのだ・・・・・・それがただの「事実」だ。
 我ながら、善人って訳でも無いが、しかし甘かったのだろうか。もっと積極的に他者を傷つけ、それから利益を奪い去る方がよかったか。具体的にどうすればいいのか今は分からないが、それが唯一の方策ならば率先してやりたいものだ。綺麗事はクソの役にも立たない。案外、そういうやり方をしていた方が、あの世って奴で良い待遇を受けるのかもしれない。誰かの為などと、何とも嘘っぽい響きだ。そんな妄想に興味はない。
 殺した方が幸せになれる。
 虐げた方が美味しい思いが出来る。
 犯した方が実利はこちらに来る。
 今更だが・・・・・・世界が情けないことも、意志による行動の結果がスポンジにも劣る結果しか生まないことも、大昔、それこそ生まれた時から知っていた。案外、私は人間のやり方に合わせすぎたのだろう。人間に折り合いを付けた結果、そんな役に立たない生き方まで知らず知らずの内に真似てしまったのだとすれば、迷惑な話だ。
 そんなモノに価値など無い。
 完全なる無価値そのものだ。何せ、結果を生まないのだからな。子供の妄想なら余所でやれ。まあ最も、どんな思想であろうとも「持つ側」であれば「正しく」成るのだから、その考えそのものに、意味などないか。
 持つか持たないか。
 ただの、それだけだ。 
 そういう意味ではあの青年は性質が悪い。不可能だと分かっている癖にボランティアだのに精力を注ぐ輩というのは、その過程ですらなく、その意志の有り様そのものに尊さを見いだす連中だからだ。そんな夢物語を見れる理由は実に簡単で、彼らは常に「持つ側」なのである。人との縁も金も協力者も持つ存在。いつぞやの尖っているだけの輩とは違う「支持される主人公」だ。
 また主人公か。いい加減にして欲しいものだ。私のような語り手からすれば鬱陶しい事この上ない話だ。持っていて受け継いでそれを当たり前のように享受し、それを「大した事じゃない」と、振る舞う傲慢な存在。自分など大した存在じゃないさと嘯きつつも、よく分からない物語の流れのような存在に従って、当人自身は殆ど何もしなくても勝利を手にするのだ。
 実に忌々しい。
 気分が乗るようなら「依頼」に関係なくとも、切り捨ててしまうのも面白いかもしれない。何、人間などどうせ一秒事に何人か死んでいるのだ。それが五百になろうが五兆になろうが、私の生活には何の関係もあるまい。幸いなのかこの情けない世界は暴力を肯定している。神話ですら他者を殺して話を通しているのだから、仮にあの世などという存在が有ったとしても、邪魔者を殺すなど直接的な行為か間接的な行為かの違いで誰であろうともすることだ。息を吸って吐くことに、罪など問いようが有るまい。それが「事実」だ。
 しかし、うだうだと倫理と理性の狭間で揺れてれば良いなど、楽そうで羨ましい話だ。皮肉というか何というか、理想に耽っていれば良い上に、現実を見据えて手を打たずとも、持っているというだけで何でも手に出来る資質などという存在が有るならば、私のような存在の試行錯誤が、実に馬鹿馬鹿しく感じられる。
 どんなクズでも「持つ側」ならば勝利する。
 「持たざる側」は手を尽くして死ぬ。
 冗談じゃないが、少なくとも私は「それ」を覆そうとしてやはり無駄だと知った。だから何も思うことは無いし、するべき事柄も無い。
 どうせ無駄なのだから。
 聖女も主人公も何一つ己の目的の為に積み上げもせず、そのくせ後悔やそれらしい道徳観に酔っぱらうことで自分達を正しく正当化、いや、被害者ぶって今まで自分達が物事を直視しなかったからこそ問題が発生するというのに、あたかも謂われない罪を押しつけられた無実の善人を気取り、しかも積み上げて物事を成そうとする私のような存在には「持たざる」というだけの理由で手には入らないモノを、主人公だの聖女だのといった類の連中は、ただ「持つ側の存在」だというだけでそれをあっさり手に入れる。
 そんなクズ共に勝利がついて回るのは忌まわしい限りだが、どうせ勝利することは出来まい。殺したところでそれは同じだ。そいつらの生死と、私の勝利条件はあまり関係がないしな。まあ、そういう連中の未来を殺すのは、実に楽しそうではあるのだが・・・・・・そんな暇人共にかまえる程、私は暇ではない。すべき事は山積みだ。
 ただ持つが故に勝利する連中などドブネズミ以下の害獣だが、しかしそういう連中が勝つべくして勝利するのもまた「事実」だ。最上の結末は、私のような存在が連中に打ち勝ち、それでいて実利、つまり物語の売り上げを上げることだが、それもまた無駄なことか。あれこれ策を弄して分かったことは、結局の所「幸運」の後押しなくして勝利することは不可能だということだ。勝利は、幸運の下にだけ有る。席を用意されていない奴がどれだけ手を尽くそうが、辿り着くことは出来ないらしい。
 やれやれ、参った。
 また、振り出しに戻るのか。
 今までの労力は何だったのやら。
 まあ、そもそもが幸福には成れない事を承知の上で目的を果たそうとしているのだから、厳密には「幸せになろうとする」のではなく、社会に折り合いをつけただ「生きる」事に特化している。それに、あくまでも「幸福」そのものではなく、手に入らないならば妥協、という訳でもないのだが、しかし有るもので満足するのが、私のスタンスであり在り方だ。結果が出なければそれすらも出来ないのだから、本末転倒と言うか何と言うか・・・・・・共有するモノが何一つ無い以上、私にとって現実はフィクションよりも軽い存在だ。しかしだからと言って「金が無い」のだけは、絶対に、御免被る。
 それが「邪道作家」というものだ。
 詳しくは私の物語でも読むんだな。
 私が作り上げた私を形作る概念だ。私という存在はむしろ、個人と言うよりも「邪道作家」という概念を軸として動く現象に近い。
 ならばそれに準ずるまでだ。
 無論、金を手にした上でな。
 人間性に共感せず、己の利益だけを考え、それでいて他者を踏みつぶす事に何の罪悪感も覚えず・・・・・・それを「良し」と笑える存在。
 存在そのものが「悪」だ。
 まさに「最悪」だ。私以上の「悪」は、そもそもが概念として存在し得まい。
 
 生きている事が間違いだ。
 
 少なくとも、生物としては間違えている。間違えを正そうとするのではなく、間違えていても、それでも「幸福」を手にし、邪魔者を消し去る為にここまで動いてきたが・・・・・・しかしそれも、実を結ぶことは無かった。間違えている存在は修正されるが、それはただ消し去られるだけだ。間違えていても前へ進む、とは言葉尻だけ捉えれば、それは大層な言葉だが・・・・・・結果には関係無い。 そして、それに絶望すら出来ない。
 ただ機械的に「こなす」だけだ。
 正しさは「強者」間違いは「弱者」の象徴だ。それは多数決で決まることであり、その心願がどうであれ、勝てる側にいなければ勝利できない。 それを「変える」というのはそもそも無理な話ではある。不可逆を可逆にするどころではない。奇跡ですら生温い。世界の運命そのものに、完全なる勝利を収める事だ。この世界には多くの物語があるが、様々な能力を持つ「英雄」や、それらに相対する神のような力を持つ「怪物」ですら、彼ら彼女らに存在する「運命」だけは変えられた試しがない。
 英雄は英雄らしく死に。
 怪物は怪物らしく迫害される。
 それが化け物ならば尚更だ。
 せめて金だけでも掴みたいのだが。その生きる上であらかじめ決められた環境に興味はない。それが怪物であれ化け物であれ、いや怪物達のように己の境遇を嘆くことさえ、そういう感性さえ持たないし、持たざる事を何とも思わないからこその「化け物」だ。それはいい。問題なのは、それに見合う、その労力に見合う報酬が得られた試しがない部分にある。
 正直割に合わない。
 そんな理不尽以上の理不尽が罷り通るとは。
 どうしたものか。
 我ながら結果に拘りすぎているのは自覚しているが、しかし「過程」を重んじたところで、やはりそれは同じ事なのだ。過程が幾ら尊かろうと、結果にたどり着かなくて良い理由にだけは、決してならない。
 それでは向かう意味が無いではないか。
 最初から向かう気がないだけだ。
 必ず「そこ」にたどり着く。理念がそこにあるからこそ向かうのだ。現状、ただ歩き疲れてきているだけだと言えそうだが。歩いて向かっている筈なのだが、その向かうべき場所が最初から存在しないのか、向かったところでたどり着ける場所ではなかったのか知らないが、しかし歩いてきた成果が報われた気はしない。これではただマラソンをしているのと変わるまい。目的が果たされないままではそういう事になる。「目的」あっての「過程」なのだ。断じて逆ではない。過程を求めるだけならば、それは妄想の中で良い。現実に何か掴みたいモノがあるからこそ、挑むのだ。
 それが「生きる」という事ではないか。
 私はそう信じてきた。
 まあ、私がどう信じようと結果に関与しなかったが。信念や理想は結果に関与しない。そんなモノは初めから無かったかもしれないが、ならば尚更そうだろう。信念、理想、私の場合は己の存在証明の為に、その生き甲斐ややりがいの為に作り出した人造のモノだが、しかしそれもまた一つの信念であることには、変わり有るまい。

 過程の尊さを押しつけるのは、結果を蔑ろにしているだけだ。

 私はそう思う。いや、これも紛れのない事実だと言えるだろう。それが事実。過程の尊さは成る程素晴らしいかもしれないが、それは結果が出なくとも良い理由には断じてなりはしない。それでは過程そのものも価値を無くすだろう。
 追い求める存在に対する侮辱だ。
 ただ持つ側にいるだけの癖に、それらしい綺麗事を並び立てるな。それは余裕が有るが故に出るただの戯れ言。妄言を押しつけるな。
 図々しいにも程がある。 
 当たり前だが、人間社会は人間を軸に回っている。「非人間」とは、人間社会に置き場がない存在だ。当然だろう。人間の世界は人間の為に存在するものだ。そこに、人間以外は邪魔なだけだ。 文字通り 「生まれついての悪」という存在があるとすれば、それは私だろう。何せ、最初から人間を食い物にし、人間を踏みにじり、人間を殺す事で人間社会で生きられるのだ。共存するというよりは人間社会にエイリアンが住み着いている感覚だろう。それは鹿の社会に別の生物が住み着くようなものだ。存在そのものが「悪」たらしえるのは、「それ」がその社会に置いて、最初から容認し得ぬモノだからだ。
 その「私」に人間社会の掟は適用できない。
 人間の在り方を真似は出来ても、そこに何か、意志を感じ取れる訳ではないのだ。
 あくまでも「真似事」だ。
 人間の真似をして、折り合いをつけている。
 己の存在そのものが「最悪」だと自覚した上で・・・・・・絶対に幸福だの人並みの生活だの、人間らしさを獲得できないと理解した上で、その上で、「幸福になる方法」を探し続けた。
 それが「私」だ。
 今更、変えられるものか。
 変える気もないしな。この生き方は、些か以上に気に入っている。「邪道作家」とは、我ながらよく言ったものだ。非人間の極地でありながら、人間を目指そうと、いや、人間でなくとも人間以上の幸福を手に入れようとする。
 そんな破綻した存在は、他にあるまい。 
 だが、私は既に止まれない。止まるつもりも、有りはしない。後は燃え尽きて死ぬか手に入れて喝采を叫ぶかだ。私は調査の為、幾つか目的地を定めた後、そんな思想を頭の隅に置きながら、前を見据えて進むのだった。
 何の価値も生み出さない在り方だ。いや、生み出せない事を理解した上で私はここまで来た。
 思想そのものを変える事は出来ないが、しかし指針は変えられるだろう。今回の「依頼」もその手助けになれば良いのだが。
 非人間らしく、祈りはしなかった。
 
 
 
 
 

   5

 金には流れがある。それは人間の意志そのものだからだ。金がなければ人間の意志は、この世界に決して反映されない。故に、その軌跡を追えば自然、人間の大多数が何をしようとしているのか理解できる。
 共感しなくても理解は出来る。
 悪行に金は使えない、どうせ足が着くと考えているようでは甘い。お子様でなければ世界がどう動いているか知るべきだ。知ろうともせず年だけ重ねる輩は多いが、それでは世界の金の動きは、決して知り得まい。
 どうしても脱税をしたがる輩は必ずいる。そんな連中に綺麗な金を提供できれば、それは巨大な渦を生むのだ。私の知る限り最も安易な方策は、「興行」や「研究」が多い。支払いも多いが見返りも多い。そういうハイリスクハイリターンなモノには金持ちは弱い。何せ、安易で簡単に金を儲けてきた連中だ。地道にコツコツとは性が合わないのだろう。
 失敗すれば丸損だが。
 私のように幸福を感じ取れないと理解した上で幸福を追い求め、それでいて幸福らしき形のみで自己満足しよう、などという倒錯した思考回路よりは現実味がある。手に入れられるならば手に入れるべきだ。金は勿論、愛も友情も平穏も精神すらも、全て奪い尽くし殺し尽くす事で、手に入るからだ。それが事実。
 無論、私にはそれさえも感じ取れないが。
 現実問題人間の社会に生きている以上、人間で無かろうとも金は必要だしな。まあ、私は金だけで満足できる性格をしている。厳密に言えば、それは感じ取れないが故に幸福の形を形作る事で、 ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活という、私が毛嫌いする不要な争いと決別した上で、それらしさを自己満足する為作り上げたモノこそが私の在り方だ。
 人間性を一切持たない私には本来、望みも願いも何一つ無いが、しかしそれなりに豊かな生活をして平穏に暮らす。願いではなく必要に迫られてではあるが、しかし生きる上では求めて当たり前の存在だ。修験者ではあるまいし、自ら争い事やその先にあるモノを求める連中は、私とは真逆で何もかも持っている癖に、幼稚な精神の為にそれらを切り捨ててでも埒外のモノを求めようとする・・・・・・気色悪い限りだ。そういう連中の存在があるだけで、真面目に進めるのが馬鹿馬鹿しいが、それもまた世の常だ。
 そういう連中は多い。
 どこにでも存在する。
 忌々しい限りだ。
 私が死にながら歩いている理由も、それだろう・・・・・・持つ側と持たざる側。あらかじめ決まった勝敗。希望や理想、意欲はそれを実感できてこそ持てるモノだ。一度もそれを経験した事のない輩にそれを求められる筈がない。
 私の目的は望みや願いの類ではなく、「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」を、それなりに豊かに過ごすことだ。無論、刺激、というかトラブルや災厄を消し去る、という考えそのものが、人間から外れている。望みや願いという存在は、人間社会の中での活躍を願うからだ。私にはそれは無い。私の目的はあくまでも人間社会に適応し、それなりの豊かさを感じ取れずとも、感じ取れる「フリ」をしながら折り合いを付けて生きる、というものだ。
 それを生きているとは言うまい。
 しかし、仮に個人的な目的を持つとすればだが・・・・・・そういう「持つ側」を圧倒する「力」だと私は思う。それが何かは知らないが、少なくともそういう連中に、あるいは大きな流れ、法則、関係ない所で動く「何か」に振り回されるのは、もう御免だ。
 ふと、思った。私に悪としての定義があるとすれば、それは「無価値」なのだろう。価値が無い事を自覚した存在が、その「本来の価値以上」の「何か」を追い求めている。まさに「邪悪」だ。元来あるべき幸福が、そこに置くべき勝利や栄光を無視してでも、人間性を排してまで、尚何かを求める、などと。
 人の在り方ではない。
 それは承知の上だ。
 人間では得られない幸福、勝利、何でも良いがその「到達点」を目指す上で、私は人間の幸福ではなく、それを真似た上で折り合いを付けつつも「非人間としての勝利条件」を作り上げた。それが「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」であり、それに付随する「豊かさ」だ。
 人間ではいられない。
 ならば、それ以外の方策で、私はそこを目指す・・・・・・言うのは簡単だが、そもそも有るはずの無い在り方だ。それは、言ってしまえば物理法則を無視して押し通す、番外の一手だ。本来そこに有るはずの無いモノ、人間では決して満足できない筈の方策で、私は「非人間ならでは」の方策を使いそこへ至ろうとした。
 それがそもそもの間違いなのか?
 そうは思わない。人間では無い私に人間の幸福は掴めないし、掴んだ所で価値は無い。ならばそれに見合うモノを求めるのは必定ではないか。計算外だったのは非人間が求める目的には、必ず金の有る無し、つまりは人間社会における欲の象徴を「支配」せねば成り立たぬという部分だ。
 それが原点。
 私は、人間に成ろうとした。
 非人間のまま・・・・・・外観だけを完璧に真似、そしてその上で社会にとけ込み、折り合いを付け、それに自己満足しようとした。生き方を己で定め「作家業」も身に纏った。それを生き甲斐とし、私は確固たる己の道を切り開いたのだ。
 それも結果が出なければ無駄そのものだが。
 結局は、そこに戻るのだ。「結果」だ。それが人間性に溢れようが、ただのクズであろうが、わかりやすい「結果」さえあれば、人間社会では、価値を放つ。それが金になれば尚更だ。人間でない私にとって人間の評価ほどどうでもいい存在はないのだが、しかしそれが金に繋がるなら無視は出来ない。非人間としての維持費と言った所だろうか。
 勝ちたい、という思いすら剥がれ落ちた。
 それでも、私はまだここにいる。
 それが作家としての成長に繋がるのかは知らないし、どうでもいい事だ。私は言葉の力などという胡散臭い存在を信じる気はない。言葉は言葉だ・・・・・・そこに力など無い。あるかのように感じるだけだ。そして私には感じる機能など無い。強いて言えば、だが・・・・・・当人の意志を反映させる事で物語は信念のような存在を描写する。読者共を引きつける「何か」があるとすれば、それは人間の枠組みすら越えた「思想」だろう。埒外にたどり着く事は不可能だが、その景色を夢想するだけらば、誰にでも出来る。それを形作り伝えることは作家にしか出来ない事だ。
 人並みの人生を送る事。
 それは無難で素晴らしいが、無難で有る以上、そんな景色を望む事は有り得ない。人間の枠組み以上に大それた景色。作家という人間を辞めた連中だからこそ、そこをいとも容易く形に出来る。無論、そんな能力は持たない方が良いだろう。それは人間を辞める事に他ならない。
 人間でありながら非人間、それ以上の、本来は考えるべきですらない思想を体験する。それが、読者の特権なのだろう。そう思う。
 楽で羨ましい。
 私も、そちら側に回りたかった。
 思想など、金にならないからな。
 ・・・・・・目的を果たしたら果たしたで、読者共はそんな安寧を貪る存在は「つまらない」と切り捨てるのだろうが、私は読者共に好かれたい訳ではないし、作家としてあるまじき発言だとは思うが読者共の都合など、知ったことではない。
 作家業と読者の都合は関係がない。それこそどうせ読者共は流行だのに流されて物語をはしたなく漁るのだ。そんな連中の都合など知らん。
 世界に人間は多くいるのだろうが、私は人間ではない。非人間は私だけだ。人間社会なのだから当然だろう。そして、そうでなくとも、私は私以外に気を配るような存在ではない。私個人の目的が第一だ。他の連中などどうでもいい。
 作家に人間性を求めるな。
 それは、ペンギンが空を飛ぶようなものだ。
 「善のようなモノ」を押しつけるな・・・・・・私から言わせれば、そういう「善のようなモノ」こそが、「勝つべくして勝つ」というこの世界最大の理不尽だ。それこそが倒すべき「敵」なのだ。それに、「善」という存在は得てして「悪」だとか「人間の醜さ」を否定するが、しかし、重要な事を忘れている。
 「人間の醜さ」は「人間そのもの」だ。
 それを否定するという事は「人間を否定する」ことに他ならない。今回の依頼、始末対象が仮に個人だとすれば、そういう類の輩だろう。
 善意を平気で押し売り「良い行い」だと断定出来る狂人だ。それこそ、私など足下にも及ぶまい・・・・・・善人の方が狂っている。しかも、その狂気を扱えもせず、無様に出力だけは一人前な狂気を粉のように辺りに播いて、始末もつけない。
 どうかしている。
 それこそ、狂気の沙汰だ。
 私に言われたらお終いだぞ。
 しかし、こんな風にロボットが日光代わりに清々しい(らしい)起床を手伝い、しかも朝の献立までロボットに任せ、さらに何を考えるべきか、それについてどう行動するべきか、その内、吸って吐く息の量まで決めるであろう実に「かつてない程におぞましい時代」に、ロボットとは何の縁もないような惑星で、古臭い人間心理を学んでいるというのだから、それはそれで爽快だった。私のように打ち水を信仰するような奴は銀河柔さがしたって、もういないだろうが。
 温度管理すらもロボットが決める。しかし何かを決めるのはあくまでも当人自身でやらなければならない事柄であり、有能だからといってそれをロボット任せにするのは「生きる」という現実に対して堕落しているだけだ。ふん、少し話が逸れてしまったが、要するにこの田舎臭い惑星には、少しは己の頭で考える輩がいるらしい。
 参考にはなる。
 作品のネタにはそれが必要だ。ロボットに全てを預ける連中には理解できない「何か」だ。それはきっと、ロボットに足りない部分だろう。とはいえ、それも所詮は幻想だ。「人間らしさ」など現実には存在さえしない。あるかのように盲信しているだけだ。だから、私はあたかも「人間のみが持ち得る何か」の存在を書き立てればそれで、仕事が完成する。
 惑わされるな。
 物語は所詮現実とは関係がない。
 ただの虚構だ。無論、現実の人生など、虚構そのものではあるが。社会、規律、資本、恋愛、友情、会社、何もかもが存在さえしない、当人達のただの「思いこみ」だ。それは存在しない。どこにもないだろう? それらは全て、有るのだと、そう教え込まれているだけだ。
 そんなモノはどこにもない。
 フィクションを鵜呑みにするな。
 ・・・・・・この思想、この在り方は「最悪」だと、ジャックは評していた。恐怖そのものだと。あの女は、どうだろう? 私のことを、いや、私とは真逆の思想の持ち主だ。何事にでも価値や意味、そして思想の尊さを欲するあの女とは、相容れた所で意味も価値もない。
 そして、それで「正しい」のだろう。少なくとも「恐怖そのもの」などという存在は、存在そのものが「間違えて」いる。まさに「存在悪」だ。存在そのものが、悪。存在するだけで全てを間違えている。だがそれがどうした。私はそれを悲しめるほどに人間などやってはいない。
 だからこそ、金だけは、欲しい。
 そうでなくては嘘ではないか。
 私は、金が欲しいのだ。
 意外だと思うかもしれないが、「金そのもの」を欲する輩はいない。あくまでも金を通して欲しい何かが有るからであって、私のように社会にとけ込めず、折り合いを付け、ただひたすらに平穏に暮らす為だけに、欲する事はないだろう。まあそれだけという訳でもない。
 私は、勝利したい。
 勝利の証だ。
 無論、実利があればこそ、そんな証も欲する価値があろうということだが。金、金、金だ。それがなくては嘘ではないか。
 嘘は物語の中だけで十分だ。
 自分に嘘が付けなかった、などと評せば、実に陳腐な話ではあるが、しかしそれもまた一つの事実だろう。
 非人間上等。持ち得ぬならば構わない。しかしだ・・・・・・惨めに這い蹲るのは、御免だ。
 我慢ならない。
 なるものか。
 私は、持ち得ぬならばそれに見合うモノを片っ端から手に入れる。それでこその「邪道作家」だ・・・・・・それも売り上げがあがってこそだが、な。 やれやれ、参った。
 結局はそこに戻るのか、世の中金だな。
 私は人類史史上初になるかもしれない買い物をしようとしているのだ。「人生を買う」という、一大事業。いや、それは「人間性を除く全て」と評するべきか。何せ、私には人間性がないのだから、それを「人生」と呼ぶべきではあるまい。
 この世全てに価値などない。そこにあるかのように思いこむだけだ。それが人生の真実だ。だから私は物欲の全てを支配する。無価値だと知るが故に、私に欲しいモノなど真実有りはしない。しかし自己満足は出来る。それで十分だ。
 私はそうして死んできた。
 これからも、そうするつもりだ。
 面白ければ、それで構わない。作家とは、そういうものだ。
「着いたぞ」
 端末からジャックの声を聞き、顔をあげた。
 私がたどり着いたのは古びた洋館だった。庭園は管理されているところを見ると、それなりに金は有るらしい。庭園というのは放っておくと錆び付くし、それを維持するのは素人では不可能だ。推理と言う程ではないが、外れてはいまい。
 ドアを開けた、そこには。

 
 
 
   6

 テクノロジーは人間を過保護にする。温められた食事、面白い番組、その程度で有ればまだ可愛気もあるが、しかし体温の調節を外部に頼り、機械の発進作業を機械任せにし、歩く事もせず乗り物に乗りながら「体重が減らない」と叫び、インターネット上で得た知識ばかりで実体験がまるで伴わない。それが現代の現実だ。
 それが「事実」だ。
 そこへ行くと、この部屋は実に変わっていた。いやそれも違う。「かつてのまま」だ。私と同じかは知らないが「時代に置いて行かれた」いや、意図的に分明との距離を保っている。そういう生き方は嫌いではないが、しかし・・・・・・
「アンドロイドが、文化保護活動とはな」
「意外?」
 それは未だに何人いるのか分からない、アンドロイドと人間のハーフを自称する女だった。名前をフカユキと言い、ペンネームはシェリー・ホワイトアウト、だったか。
 作品は売れているらしい。
 つまり、私の敵だ。
 そこにあるだけで扇状的とすら言えるボディラインだが、私からすればわざとらしかった。これが人間の理想だと、教本で読んで真似たようだ。 白い肌も白い髪も美しくはあるし、どこぞの民族衣装も似合ってはいる。しかし、どうも好きになれない。それは美しいだけだ。
 珊瑚礁でも眺めればいい。
 美しいだけであれば、それで十分だ。
 周りを見渡してみても、やはり文明の利器はあまり確認できない。質素な部屋だ。オレンジに近い黄金色のテーブル以外には、暖炉だの植物だの意味不明な趣味が並べられている。
「アンドロイドに「利器」は必要ないもの。私たちは「完成されたテクノロジー」よ。私たちは単体でそれを可能にする。外部には必要ないわ」
「それで、この質素な部屋か」
「そう。意外だった?」
「もっと趣味が悪いかと思っていた」
 怪訝な顔をし、彼女は多少機嫌を損ねたようだった。まあ私にはどうでもいい話だ。
「・・・・・・それで、何の用?」
「何の用も何も、貴様は今回の連絡役だろう。追加で指令があるかもしれないとは聞いていたが」「ええ、予想以上にきな臭いわよ。ただの田舎惑星だと思ったけれど、金の動きが尋常じゃない」「それで」
 どうなった、と私は結論を急ぐ事にした。男の短所かもしれないが、意味もなく話を先延ばしにするのは女の悪い癖だ。
 つまり、お互い様だった。
「あの青年でしょ? 調べてみたけれど、表向きは普通の青年よ。私が調べた限りでは、だけど」「それでは困る。調べ直せ」
 私の第六感ではどう考えてもあの青年が怪しかったのだが、杞憂だろうか? いや、しかしだ。そうだとしても何も出てこないのは、異様だ。
「青年の経歴は調べたのか?」
「調べたわよ。人工知能では調べられないくらいアナログな方法でね」
 この惑星は田舎過ぎて「記録」という概念が、あまりない。仕方がないのでそれに適した人材を外注することにしたのだ。もっとも、私個人の経験で言えば物事を外注することで成功した試しがない。大体、ロクな結末にならないものだ。
 最初から疑ってかかるべきだろう。
 他者を疑うのは、基本だ。
 もし仮に、この女が私を裏切る、いや別に信頼関係にある訳ではないのだから「買収」された、と評するべきだろう。その場合、相手側への攪乱になるし、見比べて情報の精度を確かめるのは、何かを調べる基本中の基本だ。
 それには裏切りも含まれる。私を裏切ろうが裏切るまいが、その行動を含めて判断するのだ。
 私は幸福に成れない。こんな思考回路の存在がまっとうに幸福になれる筈もない。その上で、私は幸福に成ろうとしている。実に倒錯した願い、いや願いですらない。私はただ単に「必要」だとそれだけの理由で目的と据えている。それは構わない。そもそもが、現実論で語れば私は永遠に幸福も何も掴めない。で終わるではないか。
 終わりにたどり着けない存在だ。
 しかし、それがどうした? 私ではない何か、それは「運命」であったり「摂理」であったり、とかく人の領域よりも遙か上で決まっているとして、それに従うほど私は人間をやっていない。私は私だ。何がどうあろうが、私の道は私が決める・・・・・・結果も実利も未だ着いてきていないが、それでもだ。
 大きな存在だからといって易々と頭を垂れる程私は優しくない。大きいか小さいか、実に些細な違いではないか。
 それを「克服」する為に、私はここに在る。無論精神論ではなく実際的な意味でだ。精神の成長だとかはどうでもいい。それは所詮、他者が知った風な顔をして語るものであり、私個人の在り方とは何の関係もない。それでは意味がない。価値も沸かない。少なくとも、私が作り上げようとしている「意味」と「価値」に届かない。
 それを届かせるのだ。
 だからこそ、人生は面白い。
 筈、だ。多分な。
 当然の事だが、「自分が嬉しい」と「相手が喜ぶ」とは別の話だ。しかし女というのは「自分が楽しめれば相手は楽しくあるべきだ」と強制し、その上で同調しなければヒステリーを起こしてでも自身の正しさを主張する。フカユキもその例に漏れない様子で、私はかなり辟易した。どうせなら調査したデータだけ送ってくれれば良いのに。 手柄を語りたがるのは三流だぞ。無論、口にはしなかったが。
 思うのだが、私は夢を見ない。だが夢を全ての人間が必ず見るものであり例外はないというのが常識らしい。仮にだが「集合無意識」の様な存在があるとして、それが「あの世」であり「人間の根本部分」なのではないだろうか? 私はそこにはいないのだ。だからアンドロイド相手でさえ、私は共感しないし、きっとあの世にも居場所はないのだろう。
 だからと言う訳ではないが、私は「感情」で動こうとする輩が嫌いだ。感情に従っているのだから正しいと思いこみ、周囲に迷惑をかける。それを良しとし、あまつさえ感謝さえ求め出す。実に醜悪だ。この女はまだマシな方だが、しかし女はそもそもが感情で生きる生き物だ、そこに実利が伴わないとしても。だから相容れない。
 現実の実利を軽んじる。それは私の生き方と、真逆に位置するものだ。正直言って、真面目に生きる事と向き合うのが馬鹿馬鹿しく感じる。
 そんな連中でさえ「幸運」だとかを持ってさえいれば、金を掴めるというのだから、それを忌々しく思わない訳がない。そういう連中を見ていると改めて世界は運不運に縛られているのだと、実感できようというものだ。それが「事実」だ。
「しかし、気色悪い男だった。他者の為に自己の利益を放棄してでも尽くす、などと。おぞましい限りだ」
「どうして? 貴方の毛嫌いする「人間らしさ」だから?」
「誰かの為に行動して救える、自分ではない誰かを救うなどという行為は、そもそもが「誰かを救う事で己自身を救う」行為だ。人間が他者を救う事は根本からして不可能なのだ。仮に「世界を救った英雄」がいるとして、「それ」が救うのは、「己の了見で身勝手に世界を改変し、己自身のつまらない満足感を他者全てに押しつける」という事に、他ならない」
「卑屈ねえ」
「現実を語っているだけだ。貴様の様に夢を追いかけているだけで何かを変えられると、そう思いこんでいる程、私は理想論者ではない。誰かを救いたいと願う心そのものが、自身を勘定に入れられず、またそれを押しつける事の傲慢さ身勝手さを自覚することもない精神の病だと言える。誰かの為になっている、という免罪符の為に、人殺しすら「正義」になる」
「そうかしら」
「現にそうだ。アンドロイドは歴史の勉強をしないのか?」
「けれど、人間のそういう精神性が、世の中を育んできたのでしょう?」
 下らない。
 そんな言い訳を信じ込んでいるとは。
「いいや、何も育んでなどいない。そういう事にしておけば、罪の意識を感じずに済むからだ。更に言えば罪悪感に苛まされる事で、罪悪そのものから目を逸らす為でもある。罪悪かもしれないけれどこれは世界の為なのだ、などと、現実から目を逸らして「犠牲はあるけど大儀の為だから、これは仕方のない事」だと、そう思いこもうとする・・・・・・おぞましい限りだ。大儀だの世界だの、そういう大きな言葉を動かせば、それで済むと思いこんでいる。それでいて後で後悔するのだ。こんな事ならしなければよかった、と」
 なら、するな。
 悟りきった風に語ったところで、そんなのは何にもならない。おぞましいだけだ。
「厄介なのは、だ。そういうおぞましいクズが、所謂「持つ側」だという点だ。善人ぶっていればそれでも済まされる。馬鹿馬鹿しい限りだ」
 真面目に生きる事が馬鹿馬鹿しい。
 私からすれば、いや客観的に見ても、人間の善意だの正義だのは、世界を真っ直ぐに見据えられない故障した人間の持つただの精神病だ。病んでいるのは勝手だが、その上身勝手に振る舞い他者に迷惑をかけ、それでいて自分達が善人であると信じ込んだり、己は悪だと言いつつも、口にして苛まれる風に振る舞うだけで、現実を見ようともせず手遅れになってから後悔したりする。
 クズ共が。
 気色悪い限りだ。
 それを押しつけようとした上で、何一つ責任すら取らず、それを良ししたかと思えばひっくり返して信念を貫く事さえない。本当に人間などでなくて良かった。私はおぞましい上に醜い豚に、憧れたりするつもりはない。
 品性のない獣は御免だ。
 私はあくまでも、私個人の平穏を作り上げようとしているだけで、人間に憧れなどないし、人間になってはお終いだと思っている。
 私は人間性がないが、しかし人間性があるからと言って幸福を掴めるかといえば、無いだろう。それは無い。断言できる。むしろ、人間性など、間違っても手にするべきではない。恐らく、幸福からは最も遠いものだ。
 無いに越した事はない。
 尚更、非人間で良かろうというものだ。
 誰かを助ける自分を助けるのだ。それこそ醜い自己愛であって、それは誰かの為ではない。誰かの為という正義もどきで自己保身の精神を、それらしい大儀だの正義だので彩りたいだけ。それはこの世で最も醜い存在だろう。
 それに比べて非人間のなんと生物らしい生き方なことか。己を第一に考え、それ以外を踏み潰す事を自覚した上で、尚殺す。
 「それ」は誰もがするべき事柄であって、そこに何か、善性だの論理だのを持ち込む事が、その人間の精神の弱さを露呈している。正しさという後押しがなければ、己で行動できないし選べない・・・・・・免罪符がなければ指一つ動かない。
 それが「持つ側」だと言うのだから、笑えない話だ。人間も末期だな。生物的には勿論、精神的にも成長の望めない生き物だ。
 優れているのは数だけだ。
 それ以外に、見るべき所は精々、作り上げた数々の「物語」位のものか。人間そのものには、やはり何の価値も有りはしない。
 私にはそれすらも、どうでも良いことだがね。 こんな風に人間の善性も悪性も「それで良し」と笑えてしまうから、私は「最悪」などと、あろうことか人工知能に呼ばれてしまうのかもしれない。構わない。善性などただの虚飾でしかない。それなら半端な悪よりも「最悪」の方が、何かしら実利の絡む余地はあるだろう。
 多分な。
「・・・・・・その「人間らしさ」が今回の件からは、汲み取れないしな。厄介な依頼を持ち込んだものだ」
「そうなの? 貴方からすれば、人間らしさから外れている方が、推理しやすそうだけど」
「そうでもない。「非人間らしさ」というのは、どこかしら「狂気」をはらんでいるものだ。そして「狂気」というのはかなり個々人の差が大きい・・・・・・外れていればいるほど、凡俗の悩みからは程遠くなる。簡単に理解したり推察できるモノではなくなるからだ」
「けれど、それを描くのも作家でしょう?」
「まあな」
 とはいえ、眺めている分には良いかもしれないが、実際に体験するとなると、確かに作品のネタにはなるかもしれないが、危険も大きい。私のような存在であれば、「邪魔者」は「始末」するという思想の持ち主でもおかしくはあるまい。
 私ならそうする。
「今回の依頼には、どうもその手の「倫理の外側にある」動機が絡んでいそうだ。それを悪意ではなく善意で出来る奴がいるとすれば、私からしても狂気じみているだろう。それはそれで興味深いがな」
「なら好都合よね。私は手数料を頂き、貴方は作品のネタを掴む」
「貴様は、何が目的なんだ?」 
 私と違って売れっ子作家様には、売り上げの足りない日々など無縁な筈だ。こうして手数料などをあの女と私を橋渡しして、わざわざ得る必要性はあるまい。
「そうでもないわ」
 私は何も口にしなかったが、彼女はそれを察したのか、口にする。
「だって、私は「心を打つ物語」なんて、書けないもの」
「・・・・・・どういう意味だ?」
「私の作品は売れるけど、それだけ。それは私自身が一番良くわかっているつもり。けれど、どうせなら面白い物語を書きたいでしょう?」
「下らん」
 「それ」は「余裕のある存在」だからこそ出る台詞だ。そもそもが、人の心など打ったところで何が楽しいのか。
「心など打っても響かないだけだ。なまじ響いたところで、それと財布の緩み具合は別問題だ。貴様の言う「心を打つ物語」は素晴らしいかもしれないが、それは素晴らしいだけだ。素晴らしいだけのものに、資本主義社会は支払いを強制できないからな」
「そういう考え方をするのね」
「こういう考え方をするまでだ」
 そ、と何か物思いに耽りながら、彼女は明後日の方向を見て「羨ましいわ」と呟く。
 羨ましい。
 何が羨ましいって、私からすれば金もモノも地位も何もかも手に入れているくせに、私のような持たざる者に上から目線で「羨ましい」などと、ほざけるその神経が、だが。得てして、持ちすぎると誰でもそうなるらしい。持ちすぎる故に不自由だ、などと。羨ましい話だ、暇そうで。
 そういう連中を羨むよりも、私の場合、疲れを感じる神経も無いのだが、「ガタ」は来ているかもしれない。何せ、こうも長い間人間の物真似をして達成されることの無い目的を睨み続け、それでいて諦める精神も持ち得なかった。私がロボットなら買い換えの時期だろう。
「・・・・・・物語の内容の善し悪し、そこにある思想など、どうせ誰も見てはいまい。それを気にするのはただ贅沢なだけだ」
「そうかしら? 私の作品には無くて、貴方の作品には確固たる思想がある。それは、アンドロイドでは出来ない事よ」
「下らん。アンドロイドで在ることを言い訳にするな。私なら、アンドロイドだろうがバイオロイドだろうが、関係なく今の作品を書けるぞ」
 まあ、忘れっぽいので二度と同じ作品は書けないだろうが、しかし書くことは同じだろう。
 書くべき事を書きたいように。
 本来絶無の可能性である「それ」を、私だけが両立できる。それでこその「邪道作家」だ。
 書いたところで売れなければ、それまでだが。「・・・・・・そうね、私たちに無いのは、貴方の言うところの「持たざる苦悩」なのかも」
「大げさな奴だ。そんなものあろうが無かろうが同じではないか。実際に苦悩を抱えようがそうでなかろうが、扱うキーボードは同じだろう」
「それでも、確かに差異はある。少なくとも苦悩を抱えない存在に大作が書けるとは思えないわ。私は、多くの人間達を見てきた。けれど、何かを成し遂げるのは決まって、貴方のように社会からはみ出した存在よ」
「嬉しくない・・・・・・」
 好き好んでこうしている訳ではないのだが。
 そもそも、何かを成し遂げるも何も、そんなのは当人の自己満足でしかない。実際には世論評価という中身のない民衆共に、素晴らしいと錯覚させなければ金にはなるまい。そして、金にならなければ日の目は見ないし何より売れない。
「中身の無い作品であろうと、それが白紙同然、白紙の方がマシであろうとも、売れれば正義だ」「そうは思って無いくせに」
「どう思おうとも、同じ事だ。売れない物語などただの紙束でしかない。心に響く物語だと? それなら人の不幸を書けばいい。じわじわと、それでいて染み渡るように、読者の心を腐らせながらおまけに売り上げも上げてくれるだろう」
「よくもまあ、そういう表現思いつくわね」
「・・・・・・」
 心を打つ物語は、それはただ単に心を打つ物語であると、読み手が錯覚しているだけだ。物語にそんな力は無い。重要なのは、読んだ人間がどう行動するかであって、物語は物語だ。それから火を吹く訳でも偽札が量産できる訳でもないのだ。 全ては受け手次第。
 そして受け手とは身勝手なものである。
 そんな身勝手な連中に、売り上げだけではなく事の真贋まで悟らせようとは、無理がある。
 それこそ奇跡だ、馬鹿馬鹿しい。
 作家の台詞ではないが、大いに笑わせて貰う。言葉だの理想だの思想だの理念だの、そんな形の無い力持たぬモノで、現実が動いてたまるか。
 私の労力が馬鹿みたいではないか。
 悪とは、世界で最も働き者なのだ。それが最悪ならば尚更だ。あらゆる策を弄して失敗し続けてきた、私の身にもなってみろ。
 そんな頭の悪い理屈で勝利されては、たまったものではない。
「なら、貴方は「心を打つ物語を書く」か、それとも「ただ売れる作品を描く」かなら、どちらを取るの?」
 そんなのは、決まっている。
 私は、

 
 

   6

 そもそも、私の思想がどれだけあろうが、それで何かがどうなる訳でもない。私の思想はあくまでも「非人間」のそれであって、面白いと感じる奴はいても、心底それに共感する奴がいるとすれば、それは私と同じ「非人間」だけだ。
 私の物語は心を打つ、などという生易しい物語でもないしな。どうせなら心を抉り、心的外傷を作り上げ、それでいて中毒症状になり私の物語を読まなくては死ぬ、位には読者共を支配し、税金のように金を取り立てたいモノだ。
 読者の事など見てはいない。
 それが「作家」というものだ。受け手の機嫌を損ねないようにするのは人気者の仕事であって、作家がするのはむしろ、逆だ。誰もが目を背けたがるような事柄を真摯に語り、意識をそこに向けさせた上で、ついでにそれなりの金を貰う。
 それが嘘八百の物語なのだ。尚更受け手など、気にしてはいられまい。何せありもしない事柄を金に換えようと言うのだ。それが詐欺行為でなくて何だというのか。相手を如何にして騙すかどうか、だ。面白い、買いたいと思わせねばなるまい・・・・・・中身のない物語の方が、それが楽なのだ。 どうなのだろう。急に作家としての能力が落ち思う作品を書けなくなったら、私もそうなるのだろうか? いや、いや、悪い冗談だ。馬鹿馬鹿しい。「それが出来ない」からこそ、私は邪道作家なのだ。人並みの作家の悩みも、私にはない。
 作家として私に弱点など、皆無だ。
 強いて言えば、商人としては足りないがな。
 そもそも物語に能力の有無も無い。作品を買くのに必要なのは「何を伝えるべきか」と「どのように伝えてやるか」だ。私の場合「読者の最も、望まないモノを」と「最悪な形で、心を抉り出すように」だ。読者の苦しむ顔を想像するだけで、面白いからな。
 それが「私」だ。
 とはいえ、余裕あるペースで書きたいものだ。物語の為読者の為に、己を犠牲にするつもりなどさらさらないからな。
 あくまでも「私の為」だ。・・・・・・最近は口にするのが虚しくなってきたが。いい加減、作家の楔から解き放たれたいものだ。
 作家になってからもついぞ「人間賛歌」らしきモノを拝む機会は無かったし、私は自分が受けたこともない「人間の素晴らしさ」を押しつけられるのは御免だ。己を信じ己だけを助け、己自身の為に、生きる。
 それにあれこれ言われる覚えはない。
 私にとって世界には私しかいない、という訳ではない。ただ単に、「私」という生物は、他に同類はおらず、故に社会に溶け込むことはあれど、それは溶け込んでいるだけでその社会の中で、生きている訳ではないのだ。
 故に「結果」私には私のみしかいない。
 まあ、仮定などどうでもいい話だ。私にとって他の同類が仮にいたところで、やはり、知らん。 そんな感性がある化け物などいまい。
 私にはどうでもいい事だ。それを「どうでもいい」と切って捨てる事が出来る存在だ。
 私に味方は存在しない。
 私に同類は存在し得ない。
 私に仲間は存在できない。
 味方など作れれば苦労しないし、同類などいる筈もない。非人間のカテゴリからすら、私は外れているからだ。化け物で在ることを「良し」と、笑うことと出来る化け物は、後にも先にも私だけだろう。仲間は存在できまい。何故なら、私はどれだけ素晴らしい仲間がいようが、利用して使い捨てるだけだからだ。
 リサイクル用品のように、あっさりと。
 使い捨てる。
 それを仲間とは呼ぶまい。それに値する存在があったとしても、愛も友情も何もかも全てが、私にとっては共感できない代物だ。
 違う景色しか見えていない。
 まあどうでもいいことだ。私にとって重要なのは物語の売り上げである。そして、私の物語に、人間の美しさなど不要だ。まあ、それ以前に売り上げがあがらなければならないので、無理矢理ねじ込む事も方策としてはあるのだが、しかし、私にそれは出来そうにもない。そこを曲げてでも、中身の無い物語を書くべきだろうか?
 書いたところで無駄だろうが。
 売れる売れないは、物語の中身とは何の関係もないからだ。宣伝能力、販売能力、人脈、組織力などで決まる。どれも私には無いモノだ。
 いっそ白紙でも構わない。
 それでも、売れるモノは売れるのだから。
 今更悪びれるまでもないが、私は全ての人間に押しつけがましい善意を押しつけられ、気色悪い「自分勝手な善意」で「悪意を押しつけられ」て来た。それはどうでもいい。問題なのは、それに対して私が善意など返す訳がなかろうと、そういう事だ。
 何故今更私が、聖人ぶって「良い事」をしなければならないのだ、馬鹿馬鹿しい。胡座を書いてきた馬鹿共は偉そうに「人間の尊さ」を説いて回るが、それは連中がたまさか「持つ側」だったからに他ならない。それは押しつけだ。自分達が、たまたまおいしい思いをしていたからと言って、その余裕溢れる「善意の押し売り」を、彼等彼女等自身は「良い事」だと「思い込む」事で罪悪感を打ち消して、むしろ「感謝しろ」と恐喝しながらそれを暴力的に実行する。

 私がするのはその「逆」だ。

 押しつけがましい善意には押しつけがましい悪意をぶつければいい。しかし、まあ、売り上げがあがらない所を見ると、所詮持つ側の武器である押しつけがましい善意には、どれだけ本質を突こうが真実であろうが、負けてしまうらしい。
 やれやれ、参った。
 負け戦は悪の特権なのだろうか。負ける側にいるからこそ「悪」だと言われる訳だしな。
 正しさを押しつけられる立場にあるからこそ、正しく勝利できるとも言える。それを自覚する気すらなく、持つ側にいれば自覚する必要すら、どこにもない。羨ましい限りだ、楽そうで。私は今まであらゆる方策を練ってきたが、それらは全てそんな子供の言い訳のような理屈で破れた。
 世の中そんなものだ。
 期待できるほど平等ではない。
 世界がどこを中心に回っているか? 当然、そんなのは「中心にいる存在」を軸に回っている。 我ながら、そんな連中に勝とうなどと、無駄な労力をかけてきたものだ。一人である事に特に拘りはなかったが、どうせ役には立たないだろうし足を引っ張られても困る。だがせめて、せめて、もう少し要領よく他者を顎で使えていれば、と思わなくもない。
 まあ、ロクな奴がいなかったのだが。
 それだけでも他者を信頼などしなくて、本当によかったと思う。一体、プロを自称する輩に依頼を出して、幾ら損益が出たことか。立派なのは姿勢だけで、それだけだ。協力体制を作れる相手とは即ち二流である。
 本当に意志があるのなら、一人でもやる筈だ。 私はそうだった。
 誰に肯定されなくとも「どうでもいい」のだ。そんな些末な事はどうでもいい、金だ金。必要なのは売り上げであって、凡俗の評価ではない。
 そんなのは当たり前の事だ。
 その「当たり前の事」から目を逸らしている様な連中が「持つ側にいる」というだけで、それなりの実利を得ているのは忌々しい限りだが。
 宿泊中のホテルの中で私は一休みしていた。オレンジ・ジュースとナッツやアーモンドをかじりながら、思考回路を休息させていたのだ。何事も派手なモノより、私は実用性を重視する。健康を度外視しては、何の為に目的に向かっているか、わからないしな。
 酸味を舌で理解しつつ、私はふと、鏡に目を向けた。そこには、顔のない能面の化け物が立っている。己自身の在り方すら、借り物の紛い物だ。そして、それを「良し」と笑う正真正銘の、生まれついての悪、生まれついての化け物だ。
 構わない。
 私には、どうでもいい事だ。
 人間の真似も、随分とまあ上手くなったものだ・・・・・・それだけでは結局足りず、金というわかりやすい力は必要になったが。半端な金では意味がない、私が望んでいるのは「人間社会に折り合いを付ける」という化け物特有の労力を払拭することでもある。人間に混じれない以上、混じったところで労力しかかからない以上、それを求めるのは至極当然だろう。
 きっと、それでも「作家業」は辞める事ができないのだろうが、仕方あるまい。それに、生き甲斐や充実は結局、必要なものだ。
 何にしろ今回の件、人間が人間を傷つけるのは「悪意」ではなく「善意」である以上、それを戸軸にして犯人が動いているならば、私にとってそれは「極上のネタ」になる。物語というのは、いわば究極の娯楽だ。何故ならばそれは、書いた人間自身の体験が生む実体験そのもの、世界一リアリティある作品だからだ。そういう意味では、最近は流行に乗っただけのつまらない物語が多いが私はそうなるつもりはないし、どうせなら善意で人を傷つけ、それを自認できず苦しむ人間の性を描き上げ、それを読者に無理矢理にでも見せつける事が出来れば、最高に面白いしな。
 善意に溺れる人間ほど、面白い見世物だ。
 そもそも、この惑星はかなり歪んだ基盤の上に成り立っている。アンドロイドの労働問題について「人道的ではない」との避難も高まり、そういう「扱いやすい労働力」が減る一方で、奴隷売買による労働力確保の風潮が戻りつつあるのだ。
 それに伴い治安は悪化し、マネーロンダリングを司法の目に囚われずに行ええる利便性(司法は万能だが、治外法権に対しては無能だ。この惑星では銀河連邦の統治下に無い)堂々と殺人、資金洗浄が行える場所があり、それが簡易なら誰でもそうする。私自身、ロンダリングする金があれば実行したいくらいだ。人間の善性は法律が支配しているからこそだ。人間ですらない私であれば、尚更そう思うというものだ。
 土地があれば採掘権があり、「後出しの政治」で権利を主張する奴も多い。権力があれば暴論だって通る。それに付随する争いは絶えないが。  とにかく、そんな惑星で目覚める「善意」など底は知れなくとも本性はしれている。まさか小綺麗な訳がない。つつけば埃が出る筈だ。
 しかし、「人道的な方法」か。実に滑稽ではないか。人間の取る方策であれば、殺して奪って犯して潰して侵略すれば良い。それに意義を唱えるのは、「善人でありたい」という欲望があるからだろう。散々殺しておいても「良い人間だ」と、誰かに、あるいはそれは、自分自身に言い聞かせる為に「良い人間だ」と言われたいし思われたい・・・・・・馬鹿な連中だ。
 もっとも、そんな連中でさえ「幸運」でさえあれば、だが・・・・・・欲しいモノは掴めるらしいが。 主に金の力でな。
 それが邪道作家というものだ。私自身が、私自身の為に、私自身の手で作り上げた、世界で唯一の概念だ。私は何があろうと世界の善意を笑い、それをネタにして金に換えるつもりだ。私は、起承転結の小綺麗な物語を書くつもりは無い。そんなのは二流三流の流行に乗っているだけの馬鹿共に任せればいい。その程度の雑用はいらない。
 有無を言わさず人間の裏面を直視させる。
 そんな物語が面白い。
 その為にも・・・・・・無論最優先は私個人の生活の為だが、私は「傑作のネタ」を掴みそれを形にしつつも、それを売らなければならない。難儀な話だ。この世界は駄作であれば駄作であるほど、売り上げがあがるように作られている。その世界の法則に相反する行為だ。
 人間は裏面など見たくもないのだ。
 実際、そういう「人間」を多く見てきた。死の寸前、いや死んだ後でさえ、それを見ずに生きてきた連中を。そういう連中の言葉が如何に薄っぺらく役に立たないかも、それがただ単に幸運に裏付けされただけの人生だということも、私は多く見てきた。
 何かを成し遂げない人間。
 何かを築きあげない人間。
 何かを変えようとしない、人間。
 そういう連中こそが「成功」だの「栄誉」だのを手にするというのだから、やるせない話だ。とはいえそれはわかりきっていたことだ。私は多くの敗北と屈辱を味わってきたが、それに見合う程の労力を相手が人生を賭して注ぎ込んでいる事は一度も、無かった。
 才能を持っているからだとか。
 ただ運が良かっただとか。
 持つ側にいるだとか。
 そんな、下らない理由で勝敗は決するものだ。それに文句を言うつもりはないし、それならそれで勝利する方策を練るだけだ。どうにもなるはずがないと知りながらも、どうにかするしかなかったが・・・・・・無論、私は連中に勝利した事など、ただの一度とて、無い。
 我ながら説得力に欠ける台詞だ。
 説得力とは、持つ側の言葉だ。持っているからこそ説得力がある。例え過程がスカスカのゴミであろうが、それが「持つ側」であれば。
 誰だって信じるだろう。
 私のように持たざる者の言葉など、フカユキが言うように、説得力などあるものか。仮にあったとして、だから、何なのだ。
 誰も読まなければ何の意味も無い。淘汰されるべき物語があるとすれば、それは「面白い物語」だ。何故なら売れる物語こそが多くの人間の目に留まるものであり、それ以外は端役だ。端役に目を向ける観客は存在しない。
 皮肉なことに、誰かに伝えるべきかだの、その情報が素晴らしいモノであるかだの、そういう本来の目的からは逸れた場所が、後生に伝えられる・・・・・・これはどの時代でも同じだろう。歴史を鑑みれば、そういう下らない情報ばかりが残っているものだ。誰と誰が戦争をしただの、英雄と称される人間が何万人殺したかだの、そんな事よりも経済体制や時代時代における資本の回し方でも、学んだ方が身につきそうではあるが。
 この世界に「尊い情報」と呼ばれるモノがあったとして、それは残らないからこそ尊いのだ。何が言いたいかというと、クソにも劣る物語でなければ、あるいはそういう自己啓発本だのでもなければ、それが読者共に伝わる事は無い。
 余程売るのが上手ければ別だろうが、生憎私にはそんな手腕が無い。あればとっくにそうしているだろう。物語を売るのに必要なのは、読者共を騙しきり、薄っぺらい「感動」だの「愛」だので誤魔化す事だ。汚らしいので私はそんな事をしたくもない。誰だってバイ菌には触れたくない。私とて同じだ。汚らしいから関わりたくも無い。
 作家を自称する人間の大半はそれだ。
 一体、何人「生き方として選んだ者」がいるのだろう。あまりいないと思う。私のように選んだところで金にならないしな。
 世の中そんなものだ。
 そんな世界を、何とかするしかない。
 方法は、もう逆さに振ってもこれ以上出ないが・・・・・・しばらくは様子見か。動いて駄目な時にはじっとするしかない。例え、それが私のように、かなり、性分に合わなくともだ。私はそれを経験で知っている。そういう役に立ちそうな経験こそを書いて貰いたいものだが、ありもしない妄想を書き連ね、それを良しとする風潮のせいで、このところロクな物語を読んでいない。勘弁して欲しいものだ。
 起承転結と感動が欲しいなら、絵本でも書け。 それがお似合いだぞ。やっていることは、長々と文章を連ねているだけで、同じだしな。
 感動と言えば、私は知っての通り「非人間」なので、私自身の意志で肉体を操作する事が出来るのだ。一時期「感動は健康に良い」と聞いて、己自身の肉体に無理矢理「感動した際の反応」を、起こした事がある。悲しくはないが涙を流すことは出来る、というのと同じだ。結果疲れただけで何も得るモノはなかったが。
 そういう人間らしさは、実際に手に取り味わってさえ、私の性には合わないらしい。ならば尚更「非人間だからこそ」書ける物語を書くべきだろう。それが売れないのが玉に傷だが、何、最終的に金に換えられればそれでいい。
 私ならそれが出来る。
 筈、だ。
 己を信じる事に金はかからない。根拠無き自信なくして己の道を選ぶもあるまい。それが生きるということだ。私から言わせれば、生きていない人間が多すぎる。まあ、人間として、私が生きている訳ではないのだが、しかしまあ、道を選んで進み、それを良しとすることは、私のような存在でさえ実行すべき事柄だということだ。
 その為にこの惑星を調べてみたのだが、酷いものだ。「善意の裏側」程「傑作のネタ」になるものはないと思いここまで来たが、しかし予想以上にわかりやすいくらい、この惑星は善意の押し売りにまみれていた。
 薬物を混入させた食料を使い、自由意志の操作、洗脳を行う、などというのは氷山の一角に過ぎない。「援助」の名目で資材をつぎ込み、税金を注ぎ込むことで金を回し、それを回収して自分達のモノとする。

 早い話が、税金を注ぎ込んで、国が、政府が、マネーロンダリングをしているのだ。

 別に不思議なことではない。個人でやることを国家がやらない筈があるまい。違うのは、強大な政府に対して、文句を言える奴がいない点だ。
 どんどんときな臭くなってきた。この惑星は、莫大な資材と資金をつぎ込むことで成り立つ、経済の実験場、大規模な資金洗浄の場だ。恐らく、かなり大胆に寄付や援助の名目で、金が注ぎ込まれていることだろう。恐らくは、その一環で食料を使用した民衆意志の制御、などという実験に、投資金を募っているのだ。無論、非合法に。
 金の流れを調べさせておいたが、ホテルで受けた結果はそのようなものだった。やれやれ、参った。私も多くの人間に目を付けられてきたが、流石に複数の国家を敵に回したことはない。まあ、無理に敵対する必要もないのだが、肝要なのは、それだけ金がかかっている以上、もし仮に今回の依頼の標的、「薬物混入による意志の操作」なる実験をしている輩は、そう簡単には尻尾を掴ませないし、掴んだところでガードは堅い、ということだろう。
 面倒な話ではあるが、私がするべき、というか依頼を受けているのは「食料に薬物を混ぜ、非人道的な実験を行う主導者」だけであって、それ以外には気を配る必要もあるまい。私はあくまでも「始末屋」なのだ。
 貧困地域に使いもしないテレビを送りつけて、私腹を肥やしている連中が巻き添えに何人死のうが知ったことではない。巻き込むつもりはあまりなかったが、いっそ連中をまとめて「事故」にでも巻き込むことで、自然災害を装って殺し尽くすのも、ありかもしれない。
 私は、バナナとゆで卵を口に放り込み、準備を終えて外に出た。部屋には、コーヒーの残り香だけが、残された。

 
 
 
   7
 
 
 
 使いこなせない武器ほど恐ろしいモノは無い。 私が得体の知れない幽霊の日本刀、などという武器を手にしているのは、これが決して私自身を傷つけないように設計されているからだ。同じように、「文明」というのもくせ者で、扱えなければそれに食い尽くされるだけだ。
 テクノロジーの進化に、人間はとうに置いて行かれている。そこまでの「利便性」は必要ではあるまい。それが「良い事」だと皆信じて疑わないが、しかし大多数の人間が崇めるモノは、大抵が手の終えない不始末を作り上げ、後の歴史になって「やはりあれは間違えていた」と評価される。 それは君に必要なモノなのか?
 よく考えろ。
 私は不必要なモノはあまり、というか不必要なモノを「欲しい」と思う事が出来ない。それが人間性の無さなのだろうが、私からすれば、人間性を持つ連中は「欲しい」と願う何かが、どう考えても多すぎる。
 どうせ使わないではないか。
 いっそ全て手作業でやればいい。洗濯だとかはともかく、調理をレトルト頼みにしたり、娯楽をデジタル環境に絞ったり、人付き合いをネットワークの中だけで行ったり、やりすぎはよくない。 レトルト製品は手が空かない時に食べれば良いし、娯楽は本でも読めば良い。娯楽は己自身の手で探し出すモノだし、人付き合いは私には皆無だが、しかしコンピューターに向かってやるものではあるまい。
 薄く広く、は頭に入れる知識だけで十分だ。なまじ全てが簡単に手に入る世界だから、濃い人間も来い情報も、少なくなる。
 それでは成長は見込めまい。まあ、成長するかどうかを抜きにしても、モノだけあっても仕方がないのだ。それを扱えなければ。
 私は扱える。
 扱うモノが、どうしても手に入らないが。
 どちらか片方だけでは意味がないと言うことだろう。何にせよ、そういう連中は多い。それでいて「欲しいモノが全て」手に入らないと抜かすのだから、欲しいモノを持ち得ず、欲しいと願うべき存在は絶対に手に入らない私からすれば、持ちすぎた連中の悩みなど、忌々しい限りだ。
 どんな人間でも悩みはあり苦しみもあるらしいが、ともすると最大の違いは「忘れる」か「忘れないで身を焦がすか」だろう。忘れてモノだけを手にするから、問題になる。どうでもいい事はすぐに忘れられる私だが、受けた屈辱を忘れるつもりはない。忘れる事など出来ない。出来ないからこそ、それを形にしている。
 重要なのはそれを心得ておくことであり、弁えて置くことだろう。我々はどうあっても全納に離れないし、個人的にはそんな「全能」など、響きの良い言葉だという以上の魅力はない。だが、何かしら持ちすぎたとき、持つ存在の器が足りなければそれに溺れ、そして大抵は器が足りていないのだ。
 個人的には地道に土台を作る、というのは大嫌いだが、しかし事実と言えば、事実。その方法論では私のような「持たざる者」は勝てないと知っているので、それだけでは足りないが・・・・・・やはり「運不運」なのだろうか?
 「天命」とは良く言ったものだ。己自身だけでは成り立たない事が、多すぎる。何故、あれこれ策を弄して手を尽くし、やるべき事を終え金と言う名の実利を求める我々が、そんないるのかいないのかよくわからない、それも上から見下しているだけで美味しい思いと豊かな生活を教授している暇人共に、左右されなければならないのか。
 理不尽にも程があるが、そんな連中が世界を納めているのだとすれば、世の理不尽も納得が行きようというものだ。信じるも信じないもないが、もし仮に「神」などという存在がいるとして、少なくとも真面目に仕事をしていないのは明白だと明言できる。そんな便利な存在が動いているのならば、もう少し世界はマシだろう。つまりいてもいなくてもその程度ということだ。
 肩書きというのは偉くなればなるほど、それは「役に立たない」存在の代名詞でもある。
 何であれ、同じ事だ。
 例外はない。
 とはいえ、昔ながらのしがらみに囚われては、何もなし得ることは出来ないだろう。己自身で、何かを考え、行動し、押し進めなければならないのだ。それをしても、しなくても良くなるのが、進んだテクノロジーだと言えるだろう。無論、テクノロジーがあろうが無かろうがやる奴はやるのだが、そうではなく今までの歴史で表層に出なかった部分をわかりやすくしたものが、テクノロジーの進んだ現代なのだ。
 人類が放置してきた問題が、浮き彫りになったわけだ。どの時代でもそうだが、己自身の意志で行動しない、といのうが悲劇の引き金になる。それを変えずに今までこれたが、一部の人間の意志に押しつけてこられたが、それも、テクノロジーが進むにつれ出来なくなるだろう。
 急速に流されて、気がついたら人生が終わっていた、などと笑えない冗談を再現する輩を、私は多く知っている。そういう連中が増えてきた。
 後から後悔しても、遅いのだ。
 どれだけテクノロジーが進もうが「己の責任」だけは誰も肩代わりしてくれない。何もしてこなかった、挑戦せず変えようとせず、持つ事にかまけて遊んでいたところで、後になって一度しかない人生なのに、何かに挑戦すればよかった、などと・・・・・・甘えるな。
 流された罰だろうが。
 そこから目を背けるなど、鏡から目を背けるも同じ事だ。
 そういう意味では、私には必要なモノ、いや、必要な存在がある。「信頼出来る存在」だ。能力的にも人格的にも「信頼」と「信用」をおける存在が、必要になってくるだろう。・・・・・・そんな奴いるのか? という気はするが、結局の所金を動かすのは「人間」だ。幾ら能力があっても根本が腐っていては、それこそ意味があるまい。
 どうしたものか。
 最大の難所ではある。
 ・・・・・・そんな奴いるのかどうかもわからないのだから、とりあえず保留しておこう。機会があればまた考えれば良い。私個人でどうにか出来る問題では、ないだろうしな。いないならいないで、私個人でも出来るように整えるしか、ない。
 結局は、そこに戻るのか。
 やれやれだ。
 昼食のエネルギー量が足りなかったのか、小原が空いたので、私はチェーン展開されているハンバーガーショップに寄ることにした。とはいえ、そういう何気ない一面でさえ、物語に活かせるネタはある。
 そもそもが、チェーン展開しどこでも同じ味が体験できる、と言えば聞こえは良いが、私からすれば個性の大安売り、印刷された個性を売りさばいているだけだ。どこの店に行っても同じ対応をするようになったのは、何時の時代からだろう? 流されて何か、自分ではない何者かの個性を、借りる事で生計を立てる人間は多くなった。己自身で何かを成し遂げることは、今ではごく一部の連中だけが行う儀式扱いだ。それで良い訳がないだろうに。そうやって流されて考えずに来たくせに、後になってああすればこうすれば、あれがもしあれば自分にも何とか成るのに、と言葉を遊ばせて行動しない理由を作る。
 嘆かわしい限りだ。
 自分自身とは、こうも安売りされる時代になったのか。
 嘆かわしい。
 軽く食べてはみたが、私のような人間ですら、非人間ですらそれなりに食べられるのがハンバーガーという食べ物らしい。だが型にハマりすぎて面白味に欠ける。どうせなら激辛なだけではなく「激辛牡蛎フライバーガー」とか「海の珍味熟成黒アワビバーガー」とか、奇をてらって欲しい。 美味しくはあるが、ただそれだけだ。
 上から言われて作った食べ物に、感動など、あるはずもなかったか。まあ、熟成黒アワビがバーガーにして旨いのかまでは知らないが。
 私が言いたいのは、誰かや何かに指示されて、行動したところで、それは誰か何かの利益にしか成らず、意味がないという事だ。誰かや何かに指示されてそれを良しとし、その上で何かしら、己自身の個性を出そう、などと・・・・・・勝負の場に出ずとも景品だけは欲しいみたいなナメた真似が、通るとでも思い込んでいるのか?
 羨ましい脳味噌だ。
 楽で羨ましい。
 ・・・・・・どうも、少しばかり疲れているらしい。何というか「善意みたいなモノ」に、この惑星に来てから振れ続けているからかもしれない。図々しい善意は他者の気力を蔑ろにする。私もその例に漏れなかったのだろうか。
 私は探偵ではないので、今回の件もそうだが、私自身の目で「個性」を見極め、それが傑作のネタに繋がり得るほどの存在かどうかで、始末対象の当て推量を得ている。無論、根拠なしという訳でもないのだが、結局の所問題を起こすのは過ぎた個性であり、それさえ見極められれば大抵の事件は解決できる。
 今回の場合、あの青年ヴィンハルトだ。
 他にそこまで大それた真似を出来そうな人間はいなかったし、何より金の流れを追えば、どうしてもあの教会の不自然さが際立つのだ。確固たる証拠はないが、私は公僕ではないので、結果的にそれが証明できれば何でもいい。
 わからないのは「目的」だ。そんな自由意志自由行動を制御することで、国家レベルの権力を持つ組織ならともかく、ただの神父が何を得られるというのか。私にしては珍しい現象だ。「過程」はどうでもいい私にとって、本来目指すべき場所である「目的」即ち「結果」が不明瞭というのはあり得ない。私には、だが・・・・・・もし、もし仮にこの推測が正しければ、私は今までで最も、手に負えない存在を敵に回すことになる。
 結果を求めない存在。
 そんな聖者じみた、沸き上がる衝動さえあればそれでいい、などと抜かす輩を、どうやって倒せと言うのか。目的が不明瞭では行動は推察しにくいし、推察できたところで共感できる行動は、きっと起こさないだろう。
 目障りこの上ない、見ているだけで忌々しい。 「結果」を蔑ろにするなど、私のような存在に対する侮辱ではないか。過程が満足できれば、それでいい、などと。それも、沸き上がる己の衝動のような義務感に従って動くのであれば、それは目的ではなく自己満足の「善意」で消化されるのだろう。
 善意。
 そんなつもりはなかったんだ、などと。後になって抜かす程度の存在だ。だから目的にたどり着けなくても良い、あるいはそう在る事が重要だと・・・・・・持つ側の目線で語るのだ。持たざる事など一度として無かったくせに、堂々と。
 とはいえ、もしそうなら私には倒す術がないかもしれない。持つ側に持たざる側は勝てない。それは認めるしかない。だとすれば、何とか実利だけでも引っ張りたいモノだ。私は勝利そのものではなく、実利さえ手に出来ればそれでいい。 
 一時の勝利など、些細なモノだ。
 永久的に実利を得られる「何か」を手にすること。長い目で見ればそれこそが「勝利」だと言えるのではないだろうか。私はまだ手にしてないが「それ」があることで安心を確保できる確信が持てれば、どんな事態が起ころうとも解決できる。 それが、私の目的の一つだ。
 達成を目指す、などという生温いモノではない・・・・・・「それ」を手にした上で、私は非人間でありながら人間の在り方を模倣し、充足を得ながらも人間社会に溶け込んで、人間が本来手にする、所謂その「本物の幸福」とやらが決して手に入らないならばそれはそれ、私個人の「自己満足」で充足させつつ豊かに暮らす。
 とりあえずは、それだ。
 そもそもが「豊かさ」というのは精神の内側にしか存在し得ないモノであり、私が金を求めるのは現実問題として物理的な豊かさを最低限、補填する為のものだ。正直言って旨いコーヒーと邪魔者の入らない住処、面白い物語という娯楽と、自己満足の充足が有れば、あとはコーヒーに合いそうな食べ物で満足できるだろう。
 しかし、今のところその為に一番必要な物語の売り上げがあがらない事も、また確かだ。住処もコーヒーも金はかかる。それに、個人的な自己満足を形にしたところで、それが金にならなければ何の為にやっているのかわかるまい。無論、それが生き甲斐ややりがいになることは認める。しかしだ・・・・・・だからって金を否定する事はできないだろう。
 売れるに越した事はない。
 それもまた、精神の充足に必要な行為だ。
 行為そのものが重要、などと、そんな理屈は認める気はないが、結果さえ出ればそう言い張る事も可能だろう。結果が出てこそ、その行為もそれなりに評価してやらんこともない。
 無論、結果の方を優先するが。
 綺麗事は御免だ。
 まあ、どれだけ私が労力をかけようが、結局は運が良いだけのグラビアアイドル崩れの出す、中身のない物語の方が売れたりするあたり、結局の所「持つ側」には何をしたところで勝てはしないのだから、そんな問答自体が無意味だが。
 どうせそういう連中が美味しい部分を取るのだ・・・・・・何をどうしたところで、同じ事だ。
 我ながら意味のない事をやっているという自覚はある。それでも止めないのは報われると感じているからではない。正直、下らないとさえ思う。どうしたところで、勝つことが出来るのは、生まれながらにして選ばれている存在だけだ。どうしたところで同じ事だ。こんな風に傑作のネタを探し続け、それを形にしたところで何の結果も生みだしはしない。自分で選んだ道とはいえ、どの道を選ぼうが勝利者は最初から決まっているのだから、無意味だろう。それこそ何の意味もない。
 私に選択肢などなかったのか。
 どうせどれを選んだところで、結果勝利できないので有れば同じ事ではないか。私自身の意志など何も影響しない。どうしたところで負ける。
 それでも進めてきたが、正直何の実を結ぶことも「結果」無かった。結果など死んでからでなければわからないと言うが、それでは遅すぎる。私自身そんな戯言を信じてはいないし、仮にそうだとしても、そんな結末に価値はない。
 実利を得なければ何もしないのと同じだ。
 それが現実。
 世界はわかりやすく出来ている。金だ。価値観の全ては金で換算できる。その金にならなければそれはただの嘘だ。
 何の価値も、意味すらない。
 ただの徒労、無駄そのものだ。
 そんなのは、私は御免だ。
 御免だという私の意志すらも、結果にはきっと関与しないのだろうが、な。
 結果だけを求めるのは間違いであり、それに至る過程こそが尊い、などと言うのは簡単だが、しかし結果、即ち「実利」を無視してでもやる気を出すというのは、根本的に倒錯した考えだ。それはあくまでも理想論であって、理想でしかない。 結果、金、実利、私は権力などは正直必要としないが、しかしだ。栄光を求める事そのものは、決して悪ではない筈だ。
 それが悪ならば、私は悪でいい。
 過程に尊さを求めるのはそもそもが、結果に至らずそれらしい綺麗事を並べてその言い訳をする連中が大半だしな。無論、そうでない連中もいるにはいるが、説得力が付随したところで、現実味はあまりあるまい。
 過程は評価されないし、されるべきではない。それは結果を出せない言い訳だ。それが尊かったところで、別段「過程が良いから結果が出なくても構わない」という理由にだけは、決してなってはならないのだ。
 結果、即ち金だ。
 売れない物語が素晴らしくてたまるか。 
 そんな素晴らしさは必要ない。中身などどうせ誰も求めてはいないのだから。それならば、何であれ金になり売り上げがあがる物語を、私は支持したいものだ。最近の書籍関係は特にそうだ。流行の言葉がタイトルに添えられて、後はそれなりの出版社か宣伝手法があれば、中身など関係ない・・・・・・売れる図式を書けば、物語がスカスカのゴミであろうが、売れるものだ。。
 実際、何冊あるのだろう。百年、千年経てども本棚に飾られる物語。私は作品の発掘作業に日々費やしているが、やはり少ない。ためになっても面白くないか、面白くともためにはならないか、それら両方を両立させるのは、至難だ。
 個人的には、それを実現させたところで、嬉しくも何ともないが・・・・・・博物館に飾る訳ではないのだ。勿論、百年先でも通じる、いや世界の週末まで届かせる気概で書いてはいるが、それはあくまでも私個人の自己満足であって、実際には今世紀分の売り上げすら危うい。
 残るか金になるかならば、私は金を選ぶ。作家側の都合を考えれば当然だろう。しかし、読み手からすれば、やはり両立させて欲しいらしい。
 何かを立てれば何かが成り立たない。しかし、私の場合何が優先されているのだろう? 作品の残る残らない以前に、私は金になっていない。それに売り上げに成らない分作品の魅力に注ぎ込まれているのだとしても、誰も読まなければ、そんなのは何の意味も価値もあるまい。
 それでは意味がないではないか。
 価値は当然付随しない。物語の価値は金だ。
 それが現代社会の基準ではないか。
 私はただ遠回りをしているだけなのか? そうかもしれない。と、言うか、そうとしか取れないだろう。遠回りをした分、何を得た訳でもない。 私は、何の為に、いや、それはわかりきっているではないか。私自身の充足、生き甲斐ややりがいを己自身の手で作り上げ、それを自身の歩く道として定義した。だが、結果が伴わない。そこに「実利」が発生しない。
 どうしろというのだ、まったく。
 さて、どうするか・・・・・・面白い物語には、簡単な法則がある。読者の興味を引きつける「謎」で売り上げを伸ばす物語が一般的だろう。しかし、その場合だと「謎」が解けてしまえば、物語にある面白味は失われてしまう。どんな状況下でも、その「面白さ」を失わない物語。それはリアリティのある作品だろう。実際にいそうなキャラクター、現実に即した敵対者の思想。そういったあれこれは、何度読み返しても面白いものだ。
 だが、しかしだ。「売れる物語」と「面白い物語」というのは別物だ。そして、中身が無くタイトルが流行に乗っており、スタイリッシュなキャラクターを表紙に出した方が、当然だが売れる。そして、面白い物語を売るのは至難だ。
 どこの世界でもそうだが、実力を蓄えれば蓄えるほど、それを金に換えるのが難しくなる。いっそ私も作家としての経験など浅い方が売れたかもしれない。仮定に意味などないが、しかし実際に物語の中身や面白さは、物語の売り上げには何ら関与しない。不思議なことに、世界は腕が無い方が大きな収入を得れるのだ。
 どこの世界でも同じだ。同じ世界の中でしかない。人間が構成する世界である以上、その法則は決してなくならないだろう。
 ともすれば私は遠回りをした挙げ句、無駄な労力をかけている事になるのか。それは御免だったが、しかし事実は事実だ。
 嫌になる話だ。
 そこから目を背ける事が出来れば、私も作家など志しはしなかったのだろうが、そんなもしもの話をしても仕方があるまい。私は、やるべき事をやり、成すべき事を成し遂げ、後はそれを金に換えるだけなのだ。無論、それが一番困難な部分なのだが・・・・・・ここまで来て後に引けるか。
 人間は目的を果たすなり「あの頃の方が充実していた」だの「退屈になった」だの文句を垂れるもので、出世や勝利を心底では理解していないが私は人間ではない化け物だ。そもそもが、私は退屈をしたことなど一度もない。その辺を散歩しているだけでも満足できる。自己満足の充足というのは、私にはお手のものだ。
 そもそもが、現実には全ての伏線が回収され、それに相応しい結末など有り得ない。可能性が低いとかではなく、「有り得ない」のだ。そんな、わかりやすい結末を迎えられるのはフィクションの世界だけだ。だからこそ「現実」という世界は我々をこうも縛り上げる。
 だからこそ生きる実感がそこにある。まあ、最近はその実感を消している連中も、かなり多いようだが。少なくともこの「私」は、そんな有り得もしない上にありきたりの物語に興味など無い。どうせならば、文字が心を抉り人格を書き換え、そこに恐怖を感じ読者共の思想ごと支配するような、そんな物語が良い。
 面白いではないか。
 面白ければ読者共の人生がどれだけ台無しになろうとも、知ったことか。
 華やかに飾りたてられた物語を見ると、いつも思うのだ。「薄い」と。何もかもが薄っぺらく、つまらない。
 血よりも濃い「人間」を見たい。
 「人間」こそが至上の娯楽ではないか。
 人間を標本のように眺めれば良い訳ではない。人間の選ぶ「在り方」だ。それは善と呼ばれるモノも勿論有るのだろうが、やはり「悪」を選んだ結末の方が、圧倒的に濃く面白い。
 例え指を指されても、その程度では止まれない理由。それほどの理由であれば、それに準ずる生き方で有れば、面白いのはむしろ必然だ。
 それこそが、物語の本当の在り方ではないか。 私はそう思うのだ。勿論、そうでない方が儲かるし金になる。とはいえ、私に選択肢など無い。そんな物語が書ければ書いているし、売れないからこそ悩んでいるのだ。ならば、私は今まで通り・・・・・・どす黒い「人間」を書くだけだ。
 人生が舞台であり、役割があるならば、私にとっての「それ」は人間を表現することだ、なんてな。問題はそこに金を付随させられるか、だが。 それにしても、調べれば調べる程、今回の依頼は謎が深まるばかりだ。私は情報端末を使って、この惑星の公安のデータをクラックして情報でも得ようかと思ったが、しかしこの惑星には情報端末があまり設置されていないらしく、探してはみたものの、あまり芳しい成果はあがらなかった。
 デジタルな手法の情報収集が空振りに終わったので、周辺への聞き込みや事件の捜査を私は行った。ここら一帯では行方不明者が最近増加傾向にあり、神父の赴任してきた時期と一致する。また、カウンセリングという名目で被害者達は神父のいる教会へ通いつめていた。
 懺悔の際に悪行を聞き出し、邪魔になりそうな人間を始末する。やり方としては三流だが、どうやら地域住民の為に行動しているらしい。
 あくまで状況証拠だが、私は公安ではない。
 もしかすると彼は、清廉潔白なフリをしている非人間なのだろうか? そうだとしても、私とは大分方向性が違うようだ。これから始末する対象が悪か善か、見極めようとしている。私から言わせれば始末の対象に免罪符を求めるのはどうかと思うが、しかしまあ、死んだ方が良い人間など、探すまでもなく多くいるだろう事は難くない。
 ヴィンハルトの周囲では行方不明の人間が多数報告されているようだ。悪意ではなく善意で己を肯定しようとしている。無論、悪意と善意など呼び方が違うだけで、実際にはやることは同じなのだ。どうしたところで「同じ」だろう。
 連中、恐らくこれだけの資金がつぎ込まれ、人体実験を通して「集団心理のコントロール薬」という代物を扱っているのだから「連中」と呼ぶべきだろう。私の始末対象はこれらの元凶を絶つ事ではなく、あの女のいうところの「世界のバランスを乱す」存在の排除だ。どうでもいい。私には世界の秩序も人の善悪も、どうでもいいことだ。なので別段、あの青年に拘る必要は無いのだろうが、しかし作家としての第六感があの青年を始末し作品のネタを握れと五月蠅いのだ。少なくともあの青年は、物語に書くに相応しいだけの理由を持っていることだろう。始末の依頼と傑作のネタを両立できる始末対象は、ヴィンハルトだけだ。勿論、私はその為の殺人を気に病むほど、人間をやってはいない。それこそどうでもいい事だ。
 町の様子も推察してみた。私の見る限り、集落が幾つか並んでいるイメージで、都会的なのは、私のいた中心部だけのようだ。これから資本がつぎ込まれ発展する予定なのだろうが、今のところはこの惑星で、私の行動範囲であるのは、中心街と小さな集落じみた宿泊街が点々と置いてあるだけらしい。
 例の教会は中心街から少し外れた所に位置しており、私は毎度毎度足を動かさなければならなかったので、正直かなり面倒だった。この位で別に構わないだろう。微を穿ち細部に拘ったところで私が書くのは絵画ではないのだ。物語、それも、人間性を突き詰めた物語、だ。
 欲しいのは地図ではない。向かうに相応しい指針であり、それさえ有れば確信が持てるほどの、確固たる根拠だ。それが「思想」という形で、私の物語に反映されればそれでいい。私個人の満足だけならという意味で、売り上げを気にするなら思想よりも洒落たデザインでも、書き上げた方が良いかもしれないが。
 しかし、不気味だ・・・・・・町の人々は根拠もなしに笑っている。何一つ成長させず、ただ安心を押し売りした結果だろうか? 彼等は薬物で善意、それも特濃の代物だけを、脳内にはためかせているらしい。誰も彼もが正直に生きており、誰も彼もが未来への可能性を疑わない。
 気持ち悪い限りだ。いや、それ以上に、あんな連中が金を手にしているのかと思うと、忌々しく思う。善意など所詮「余裕」あっての代物で、余裕もない連中に無理に余裕を持たせれば、この通り何の根拠も信念もなくただ安穏とした考えに浸るだけの愚か者が大量生産できる。
 確かに、これは御しやすい。
 個人は解明不能の真理だが、集団で有ればその支配は容易だ。それが薬物漬けで「疑う」という機能を剥奪された豚共なら尚更な。とりあえず私は連中から金を借り(返す予定は無いが)貰えるモノはすべからく貰って、つまりは騙して欲しい物品を頂くことにした。が、後から気分が悪くなって止めることにした。私は物乞いではない。あくまでも「騙し取る」のが爽快なだけであって、したり顔で「善意の施し」ごっこをされるのは、正直趣味が合わない。金ならあるしな。
 「善」というのは「無個性の証」のようだ。少なくともこの町の住人で、私の知る限りあの青年以外では、物語に登場させられそうな人間は、一人としていなかった。連中を登場させたところで敵に騙されて死ぬか使われるか、デモ活動でも起こして満足し、吠えるだけで一生が終わる。具体的に何かを変えようとするのは「悪」であり、それは歴史が証明しているだろう。何かを変える人間のことを、尊重した歴史は無い。
 「善」というのは「何もしない」という事だ。 「正しさ」とは迎合し己で考えない事だ。
 「社会」とは、「政府の為」にあるものだ。
 そんな、ともすれば当たり前の事柄を、知らないで済ませればこうなるのだろう。それはいいがこれでは、私の情報収集は上手く行く筈もなかったのだ。何せ、「私にはわからない」とか、「さあ、そういうのは警察が知っているのではないですか?」だとか、その警察にしたって「さあ、しりませんねぇ」で済ませる。
 それで済むと思っている。
 事実、済ませてきたのだろう。
 何一つ変えず、何一つ成し遂げず、それでも、それなりに金には困らなかった。考える機会がなかったというのはただの言い訳だ。そんな筈はないのだ。どんな環境であろうが、思索に耽り、実現の可能性を考慮し、それを実行に移す事は、何者であれ可能だ。
 私にすら出来たのが、良い証拠だろう。
 最終的にはああいう連中は、国の責任だとか、政府の方針がどうのとか、「大きい何か」に逃げて理由を押しつける事で、自分自身で何かを変えようとすることから、必死に逃げる。向き合おうとしないし考えようとしないし、それで済んで当然だし、どうにもならなければ吠えるだけで、それでも自分がすべきではなく、誰かが代わりにするべきだ、と考えるのだ。己の生き方を、歩くべき道を「肩代わり」して当然だろうと胸を張る。 嘆かわしい限りだ。
 何より嘆かわしいのは、そういう連中ですら、金を掴んでいる事だろう。私が必死に己で物語を売りさばき、それを金にしようと試行錯誤している間、連中は何をするでもないのだ。持ち前の、たまたま高かっただけの能力や、あるいは元々、持ってたりして、私のように策を弄する必要すらないのだ。
 嫌になる話だ。
 心は無いが、思考の底からそう思う。
 私は今まであらゆる労力を賭けて、その全てが完全な「無駄」に終わっている。それ故に、私にとって「どうでもよくない存在」は無い。何をどうしたところで「無駄」に終わるモノを、尊重しようがあるまい。
 そんな私からすれば、大した理由もなく、ただ「持つ側」だとか「幸運」だとかで勝利し、その上で己で考えず変えようともしない連中とは、決して相容れないだろう。相互理解などしたくもないし、共感するつもりもない。
 そして、調べてみた所「持つ側」には、金銭的な限界は無いらしい事も、調査の結果わかった。およそ一兆ドル以上の金が、この惑星に流れ込んでいる。勿論、ただ洗脳兵器として、新薬が欲しいなどと、そんな危なっかしい理由ではない。
 庶民感覚では理解し難い話だが、組織、それも「税金」を扱う連中に、金の限界は殆ど無い。元が自分達の金ではないというのもあるが、為替の世界では「金」とは「額面」であって、当然の事ながら現金ではなく、あくまでも「書類上」で、扱われる金でしかないのだ。
 そんな莫大な「金」を何に使うのかと言えば、それが政府関連で有れば理由など必要ない。とにかく「予算が必要」というお題目があれば、その実際などどうでもいいのだ。予算が必要だと言い張ることさえ出来れば、幾らでも税金から引っ張ってこれるしな。
 何より、今回の件では銀行間での取引しか存在しない。当たり前だが、これだけの金額のやりとりとなれば、それは銀行からの融資であったり、それに見合う組織力を担保にしてレバレッジを効かせ、領分以上の金を動かすことで成り立つ。
 先にも言った「脱税しなければならない連中」がそれに当たるだろう。麻薬売買の利益は、小さな胃組織ですら数百億ドル単位での利益を上げられるのは周知の事実だ。コカの葉数キロで、一体どれだけの利益が付くかと言えば、コカの葉をそのまま紙幣と取り替えてもお釣りが出る位だ。麻薬関連の原産地としても、この惑星は有望なのだろう。作る農家に配当など無いが、なに、法律の概念が薄い世界では、脅すか、この惑星の連中のように薬漬けにして洗脳した方が手っ取り早い。 脱税しなければならないが、しかし大っぴらに金を使う事も出来ない。と、なれば何かしら資金を「有望なビジネス」に投資するしか有るまい。そして、未開発地区での麻薬売買は、どの時代でも魅力的なビジネスだ。
 当たり前だが、人類は麻薬を撲滅で気はしなかった。当然だ。なくなったら困る連中が多いし、そういう連中に限って「持つ側」の存在だ。そして、「持つ側」が何をしようが、資本主義経済においては、罰など存在しない。保釈金を払えばよいというものでもないが、しかし刑務所の中でさえ金で買えないモノはない。電話の順番も昼の豪華な食事も買える。つまり、どこにいようが何一つとして、変わりはしないのだ。
 私は常々「金と権力があれば殺人だろうが税金の横領であろうが罰せられる事はない」という、世界の真実を教科書に載せないのか不思議でならない。きっと、夢と希望が無いからだろう。思えば教育現場というのは、役に立つ事柄ではなく、それらしい綺麗事と政府の価値観を刷り込み、洗脳する場所だ。やっていることは麻薬の栽培と大して変わらない所をみると、この惑星での麻薬売買も案外、政府公認なのかもしれない。
 煙草を堂々と売買しているあたり、政府側の面の皮は、厚いと思う。この事実から分かるように「都合を押し通せれば」だが、それだけの権力と金と人脈があればだが、堂々と麻薬を売買しても何一つ指を指される事もないし、例え麻薬だとしても麻薬ではないという事になる。煙草の売買に関して言えば、二重思考を思い出す。そして、現実には二重思考を押しつけられる側の方が美味しい思いが出来るし、それに逆らう側の方が悪として断じられ、殺されても文句は言えない。
 それが「事実」だ。
 金があれば、何をしても許される。いや、許される必要すら、無い。
 こんなわかりやすい現実を、さっさと教えてやらない教育に何か意味があるとは思えない。私なら幼稚園教育の時点で教える。「いいかい、人間の世界では金さえあれば何をしても良いんだよ。金で雇われる人間はどう言い繕った所でただの奴隷でしかないし、殺したところでもみ消せる人脈と金が有れば、罰なんて落ちないんだよ」とはいえ、私が誰かに教える機会など、無いだろうが。 それに「持つ側」にいればそれは自然と理解できる事実だろう。金持ちの息子に多いが、何をしても「許される立場」とでも言えばいいのか、何にせよ周囲が何をせずとも媚びを売り、それを教えてくれるらしい。何も考えないで済む人生だなんて、羨ましい限りだ。実際、考えたところで、全ては水泡に帰すし、行動に移したところで幸運が味方しなければ金にならず、策を弄したところで運が悪ければ、何もしなかった方がマシ、という位には酷い目にあう。
 連中が羨ましい。
 実体験として言えるが、行動して挑む事、それ自体を「気高さ」とか「人間の素晴らしさ」として評価しようという風潮が多いが、そんなのは実際に何一つしていないから言えるのだ。実際にやれば誰でも実感する。途中で諦められればそれでいいかもしれないが、私のように選択肢すら無い場合、それそのものを「道」として選んだ場合、永遠の敗北者になるだけだ。実際、私は己自身で歩くべき道を選び、それに準じてここまで来た。だが・・・・・・一体何を得られたというのか。経験だとでもほざくつもりか? それとも、得る得られないだけで物事を考えるな、それそのものが貴重な体験であり、金では買えないものだ、とでも? 何だ、それは。
 見ているだけなら、気楽でいい。
 実際にやるとなれば、たまったものではない。 実際、何かしら「持つ側」にいる人間は、頭は空っぽだし何一つ成長しないし何一つ見るべき部分も無く、夢も希望も無く自堕落に生きている。しかし、極論それが「悪」だとは言えまい。いや言えるのだろうか? 生物としては、堕落しきって間違えているのか? だとしても、現にそういう連中がいる以上、世界のバランスは適当だ。ただの運不運に左右されている。そして、そんな世界でバランスを語るなど、それは現実を何一つとして見ていないだけだ。
 そのバランスを気取る存在に、手下として使われているのが他でもない私なのだから、皮肉だとしか言いようがないが。
 我ながら、運が足りなかったと思う。
 どうしたところで「幸運」なくして金儲けは、絶対に成り立たない。それが作家業なら尚更だ。物語の内容など誰も気にしてはいない。得るのに必要なのはデザインの「それらしさ」と、宣伝費用とそれに準ずる人脈と、読者共を残らず騙しきる企業手腕である。そら、作家の必要な部分などどこにもあるまい。
 それが事実。それでも私はこうして「作家」として行動していると言うのだから、どうかしている話だ。何をしたところで無駄は無駄。それで話は終わりなのだが・・・・・・私は何をやっているのだと、考えざるを得ない。
 決まっている。私の生活の為、私が私として、私のまま生きる上で、必要だからだ。
 その目的も、今では虚しい限りだが。
 最初からわかっていたことだ。私は持つ側とは対極に位置する存在だ。どうあっても勝てる筈がないのだ。生まれた時から、わかっていた。
 それでも、私はこうして在り続けた。
 それも、「結果」が出ていない以上、完全な徒労だったと断言せざるを得ないが。だが、残念ながら「狂気」というものには「終わり」など無いのだ。破滅するか成し遂げるか、私はそういう形でしか、終われない。
 この調子では間違いなく前者だろうが。
 まあ、それもわかっていたことだ。
 行動や意志の結果に、期待しすぎただけだ。何をしようが全ては無駄。どれだけ足掻こうが勝利者が最初から決まっているのは、最初からわかっていたことでしかない。我ながら、真面目すぎたらしい。どうしようが「持つ側」には絶対に勝てる筈もないというのに、それを何とかしようなどと・・・・・・持たざる存在が、持つ存在に勝てる筈がなかろうに。
 子供でもわかる理屈だ。
 そんな、子供でもわかる理屈を拒否して、それでも何とかしようとする。それで成功できる連中は確かにいたかもしれないが、それも幸運あってこそだ。実際、理解されずに資金が投入されず、敗北した奴等は教科書に載っていないだけだ。
 どの分野でも、同じ事だ。
 勝利者は「決まって」いる。
 その結末など、つまらないものでしかないが、残念ながら持たざる存在が勝てるのは物語の中だけだ。もっとも、それではリアリティが無いので私の場合、現実よりも酷い目に遭って貰う事に、しているが。
 だから売れないのだろうか?
 都合の良い妄想を求めているのだろうか? だとすれば、それはもう「作家」という存在そのものが必要とされていないのだろう。都合の良い妄想を書く存在を「作家」とは呼べまい。アニメ台本だとかドラマ台本だとか、そう評した方が良さそうな本ばかりだしな。
 世の中そんなものだ。
 そんな世の中に、世界に、期待しすぎたか。
 我ながら過大評価は悪い癖だ。反省、はあまりしないが、改めるとしよう。
 可能な限りは、だが。
 思えば本当に皮肉な話だ。誰よりも人間性から遠い正真正銘の化け物が、誰よりも人間を過大評価し、期待していた、などと。結論としては期待するほどの価値すら無かったというのが本音だが・・・・・・人間の作る文化はともかく、人間そのものはやはり、不要な部分だな。
 いっそ全人類を文化を排出するロボットのように扱えれば良いのだが。人間の文化は素晴らしいが、人間そのものは何の価値も有りはしない。文化だけ生み出させて、出来なくなれば捨てる。それが一番人間を有効活用できそうなものだが。
 何、人間も使い捨てカイロも同じだ。いらなくなれば捨てればいい。こんな思想だから私は人間から遠いのだろうが「事実」は「事実」だ。そこから目を背ける方がどうかしている。
 人間に価値など無い。
 さっさと全滅させるか、文化だけ生み出させればよいものを。人間賛歌などただの妄想なのだから、実際人間そのものは必要あるまい。
 どうせ問題を起こすだけだ。
 人間の尊さ、美しさ、人間性の成果など、物語の中でしか見た事が無い。実際、これから何兆年人類文化が続こうが、同じ事だろう。
 それを人類は認めようとしない。 
 物語に昇華させることで、あたかも現実に自分達が「そう」であるかのように思い込みたがる。ならば、やはり「作家」など、人類社会には決して必要とされないし、作家を語る輩が多いだけで作家など、本当にその生き方を貫く存在など、どこにもいないのかもしれない。
 いたところで、金にはならないだろうが。
 まあどうでもいい。結果に結びつかなければ、そんなのは存在しないも同義だ。作家とは妄想の産物だったのか。我ながら夢がない思考回路だ。 夢も希望も全て嘘八百なのだから、そんなもの現実には存在しないのだから、在る意味誰よりも私は真面目すぎるだけかもしれないが。真面目に生きたところで、それはそれ、これはこれだ。金になるかはやはり、別問題のようだ。
 どうしたものか。
 ふと、思ったのだが・・・・・・「傑作のネタ」というのはリアリティに富んでいなければならない。当然だろう。現実味のない物語に深みなど無い。しかし、だ。更に言えば、物語というのは苦悩や実体験がなければ面白くならない。そして、作家自身が何かしら苦しんでいる方が、面白い物語は生み出される。
 ・・・・・・この理屈で行くと、私は「傑作のネタ」を掴めば掴むほど、作家足らんとすればするほど所謂「豊かさ」から遠くなるのではないか?
 嫌な想像だった。
 きっと、当たっているのだろう。
 私は私個人が納得できる傑作であれば、それでいいのだが・・・・・・物語の深みなどより、売り上げだろう。私個人の実利が最優先だ。
 作家足らん、とするのではなく、如何にいい加減で適当な物語を書き、それを売り捌くかを考えていた方が、私個人の幸福は得られるかもしれないのか。だとすれば、何とかしてつまらない作品を書き上げ、それを売らなければ。
 書くことは目的ではない。私の目的は、私個人の生活の豊かさ、その充足なのだ。私の作品がどう扱われるかなど、私には何の関係も無い。
 作家と作品は別物だ。
 作品の評価など、どうでも良さ過ぎる。
 大体が、物語を書けもしない連中に評価されたところで、嬉しくも何ともない。作家にあるまじき発言だが、それも今更である。
 私は忍耐力がある訳ではない。ただ、一度物事を置いてから行動に移せるだけだ。その点、あの「神父」様は、既に十年以上この町に居を構えているそうだ。有能なだけの犯罪者はいずれ追いつめられてしまうが、忍耐力のある「悪」は、決して司法の手にかかることはない。
 何ならついでだ、私がその手間を省いてやるとするか。私は再び中心街へ戻り、宿泊中のホテルで休息に着いた。
 後にはやはり、コーヒーの残り香だけが残されていた。

   7

 証拠は必要ない。だが、確信は必要だ。人間違いでした、ではあの女も納得しないだろうし、私とて報酬を頂けないだろう。
 それでは困る。
 だからこそ、私はこうして、念入りに殺す対象を調べるのだ。私は法律や善性に興味はないが、しかしやっている事は同じかもしれない。
 やれやれ、参った。案外、私は自分で思っているよりも善良なのだろうか? そうかもしれない・・・・・・問答無用で「始末」するケースも、私自身の保身が絡む場合には結構あるので、状況によっては善人らしく振る舞っても良いだけだが。
 実際、法律で縛られるのが御免なだけであって私にはそんな枷はない。折角殺人行為の証拠を残さない武器があるのだ。それを活用するのは当たり前のことだ。少なくとも、私にとっては。無論無闇に振り回すつもりもない。良く切れる刃は、己自身にも通用するものだ。私の武器は私には通じないが、しかしそれが原因でトラブルに巻き込まれるのは、やはり御免被る。
 要領よく始末する。
 それが「私」だ。
 そんな私に足りないのは「忍耐」なのか? 有るのかどうかもわからない「チャンス」とやらを待てということか? しかし、実際そんなチャンスがなければ、私の全ては無駄に終わる。このままでも十分そうだというのに、ただ待つのか。
 待てども待てども、そんなチャンスは無い。  私には、無かった。
 それとも、神様とやらが急に宗旨替え(宗旨そのものが宗旨替えなどするのだろうか)をして、私のような化け物に対してすまなかったと謝りだし、読者共の精神構造を書き換える為、私の作品を世界中に広めて、人間の精神を悪辣な方向へ、無理矢理にでも直視させる手伝いを始めるのだろうか? 馬鹿馬鹿しい。神などの存在を私は信じていないし、いたところで役に立たないから、連中は神様と呼ばれているのだ。何より、銀河に進出した人間に、神の加護などあるのか?
 そういえば、だが・・・・・・今地球に残っている連中がまさにそうだが、銀河の彼方に神の加護は無く、我々は地球という星と共に、人生を終えるべきだという思想が、いざ宇宙に旅立とうという時になって広まったらしい。よくわからない話ではあるが、有る意味もっともだろう。神様とやらがいたとして、手元にいない奴を救えはしない。
 私の場合、最初からその管轄外にいるのだから救いようがあるまい。 神がいたとして、それは「人間」を救うものだ。・・・・・・化け物に神などいるのか? もしそうだとすれば、私以外にもそういう連中がいるのだろうか? 
 真に同じではないだろうが、私のように人間の物真似をしている連中。想像するだけで面白い話だ。一人いるだけで甚大な被害を社会に及ぼしそうではあるが、まあいいだろう。人間社会など、何もしなくても誰かを踏み台にした幸福しか成し得ないのだから、今更何人か何十人か何億人かが犠牲になったところで、端数も良いところだ。
 一秒の間に、その五十倍は犠牲にしているのが人間社会というものだ。そう思えば私など、まだまだ可愛いものだ。
 少なくとも、人間に比べれば。
 それも、善意で他者を踏みにじれる上、踏みにじった後に感謝を求められるくらいには図々しい連中だ。それを自覚もせず生きられるのだから、羨ましいものだ。消費税の差額位しか気にする必要はないと思えるのだから、随分とまあ、どうでもいい事を気にする連中だと思う。そんな些末事を気にする暇が有るのなら、日々の食生活に気を使った方が、有意義な生活を送れると思うが。
 金の流れというのは行動の証でもある。個人であれ組織であれ同じ事だ。この惑星では金の流れは綺麗に、下から上へと流れているようだ。血流で例えるとわかりやすいが、金とは逆流させてまで一部にとどめるものではない。そんなことをしたところで、臓器が腐って死ぬだけだ。
 その程度の事もわからないらしい。そして、その程度の事もわからないままでも、人間は成長できるし上に立つことが出来る。私からすれば、殺人鬼の存在などよりも、そんな事を容認できる、社会構造の方が問題ではないのかと、思わざるを得ないのだが・・・・・・疑問に思いそれを変えようとする人間は、もういないのだろう。そんな奴を見た試しがない。どこにも存在さえしない。
 一般人というのは恐ろしいモノで、彼等は殺人を犯したところで「自分ではない」と思いこめるらしい。自身の行いから目を逸らせるのだ。現実を生きていないから、どんな残酷で卑小な行動も「堂々と」取れる。しかも、彼等は自身の事を、「誰よりも善良であり、罰せられるのは間違い」だと、信じているのだ。例え殺人を犯そうが、あるいは多くの人間を間接的に殺そうが、彼等彼女らにとってそれは「悪い夢」でしかないのだ。
 羨ましい。楽そうで。
 そんな人間達が一つになることなど、無い。
 そのくせ、彼等は世界を善意で救える、などと「思い込む」事で、自分達の精神を誤魔化すのだ・・・・・・世界を一つにする、というのは、世界を一つにしようとしている連中にとって、都合が良いだけの世界を作るだけだ。人間と人間は分かりあえたりしない。分かりあえた「フリ」を、しているだけだ。
 相互理解など、存在しない。
 強いて言えば、「暴力」だろう。わかりやすいが故に、大昔からそれが正当化されてきたし、それを「共通言語」としてきた。人類の対話手段は大昔から「大量殺人」であり、死体の首を掲げることで、歴史上いつだってお互いの主義主張を、現実のモノにしてきたではないか。
 それから目を背けられたところで、私からすればだだをこねる子供にしか映らないが、しかし、だだをこねるだけの子供ですら、人間社会は金さえ有れば正当化する。してきた。そして、大きな声を出すのはいつでもそういう連中だ。
 全人類が分かり合い分かち合う世界だと?
 核兵器を常備した方が、早いではないか。それに、現にそうしているだろう?
 何故、そこから目を逸らす。
 有りもしない「善意」で溺れようとするのか。 現実を見てから、そんな戯言を言え。無論、世界の汚らしさを知る存在は、そんな言葉は間違えても出せないだろうが。妄想は妄想だ。人と人が分かり合うには、どちらかの主張を握りつぶして片方の満足で済ませるしかない。それが現実だ。誰かを踏み台にすることで、誰かを犠牲にすることで、人間は幸せになれる。本当に、私は非人間で、化け物で良かったと言わざるを得ない。私はそんな面倒な生き方は御免だ、争い事が未来永劫絶えそうにもない。
 その証拠に、連中は目の前の人間すら、真面目に見ようとする事は決してない。表面だけ知った気になるのだ。そうでなくては私の様な非人間が社会にとけ込める道理はない。「あんな事をする人だとは思わなかった」だと? そもそもどんな事をする人なのか、知りもしないで良く言う。
 目の前の人間すら認めようとしない身勝手な生き物が、世界平和など実現できてたまるか。私のような「悪」が必死に計画を立て、実行に移し、それを現実のモノとする為あれこれ策を弄するというのに、そんな妄想をするだけで、現実には何一つ行動すらせず、そのくせ結果が欲しい、などと。馬鹿馬鹿しい話だ。
 この惑星のインフラが進んでいないのも、同様の理由だろう。デジタル世界はゴミのような情報を多大に広め、そして中身の無い下らないモノこそを全世界の人間に共有させる。「何故、こんな下らないモノが流行っているのだろう?」そう考える人間は少ない。流行りに乗っかるだけで、それについて深く考えないのだ。
 そうではなく、大勢ではなく極々一部の存在がデジタルコンテンツの派遣を握る事で、集団心理の完璧に近い支配を可能にしているのだ。
 それが、この惑星の正体だ。
 個人ではなく「集団」という名前の人間の群を支配する為の、巨大な実験場だ。その他大勢に、デジタル世界は使いこなせまい、と見切りをつけたのだろう。それは正しい。何の文句も無く、ただの事実だ。正しさなど知ったことではないが、しかし民衆の意志に任せる、などという無責任で頭の悪い方策よりも、実に現実的だ。
 その方が国は良く回るだろう。
 私がそう考えていたのは「夜になるまで」の、実に短い間だったが。

   8

 夜、目が覚めた。
 当然、寝心地が悪かった訳ではない。悲鳴だ。それも、地獄の底から響きわたるような、絶叫と形容すべき「叫び」だった。
 私は廊下へと出て、悲鳴の元へと向かった。おかしい・・・・・・夜とは言え、ホテルのボーイくらいいそうなものだが。
 びちゃ、ぐちゃ、と水を叩く音がする。
 頼んでもいないのに響いてくる。
 念の為、刀を構えながら(心の底から安心できる武力があるのは、良いものだ)私は悲鳴が出てきたらしい部屋のドアを切り裂いて開けた。代金は悲鳴の主にツケておくとしよう。そのまま部屋の中へと入り、私は珍しく絶句した。
 
 食事中だ。

 それも、婦人が主人らしき物体の腹を貪っている。見ていて焼き肉を連想した・・・・・・ホルモン肉は固いだろう? そんな感じだ。それが、人間の臓物に変わったというだけで、てらてらと光り輝く人間の臓物は、焼き肉を生で無理矢理食べようとしているかのような、言ってしまえば結構美味しそうな風景だった。
 無論、そういう場面など子供の頃ゲームで見たことがあるくらい珍しくもなかったが、もしかして私の知らない間に、人間社会では試験的に人食の文化が広まっていて、それが当たり前だったりするのだろうかと、馬鹿な事を考えた。そして、考える暇も無く襲いかかってきたので、当然の事ながら私に刃向かう愚か者は首を切り裂いて頭を半分に切り(ゾンビだったら困るしな)胴体が動く可能性も考慮して腕と足を切り分け、仮に脳が無くても動く存在だとしても動けないように改良してやった。魂を切り裂くので、よくよく考えればそこまでしなくても勝手に腐って消滅するのだが、念の為だ。
 しかし、そこまでしなくてもどうやら婦人はお亡くなりになったらしい。斬り味が人間のそれだからだ。しかし、こんな場所に居続ける訳にも行かないし、どうしたものか。私は考えあぐねた末そのままホテルにいるのも危険なので、フカユキのいる宿泊場所へと向かう事にした。
 道中、何度も襲われたが。
 無論私に罪悪感などないし、別にどうでも良い事だった。おや、あれはこないだ挨拶をしたレストランの主ではないか。私に包丁を向けてくるあたり殺されても仕方があるまい。何、正当なる防衛行動なのだから、仮に法に照らされた所で、私なら金と弁論で無実に出来る。
 殺して殺して殺しまくる事はともかく、こうも度々襲われれば正直面倒臭くはなる。仕方なしに私はサムライの身体能力でなければ移動できないような場所を移動し、ついでに連中を巻いてやるのだった。
 そしてフカユキの居場所へと来た。
 よく見ると、やはりというか、要塞のそれであるかのように、対策はきっちりしている。ここまで頑丈な居場所を持つ必要性は、最初からフカユキがこのことを知っていたからだろう。
 私はイヤホンを鳴らしドアを開けた。
「あら、先生じゃない。どうしたの?」
 人間を殺せば当然ながら血を浴びる事になる。全身血塗れの男が門を叩いたというのに、随分と素っ気ない返事だ。慣れているのだろうか?
「どうしたもこうしたもあるか。何だこの町は」「・・・・・・てっきりもう知っているのかと思ったけれど、貴方今までどうしてたの?」
「ホテルでぐっすり眠っていたさ」
「気づかなかったの?」
「生憎、私はヴァンパイアの知り合いはまだ、今のところはいないのでな」
 いたところで困らないが、襲われるのは迷惑な話だ。
「とにかく、こっちに来て」
 言って、ドアを閉めると更に錠らしきモノをかけると、頑丈なドアを背に私に向かい合った。ドアの向こうから突き刺されたらどうするのだろうと思ったが、それほどこの居場所の頑丈さには、自信があるのだろう。どうでもいいが。
 いっそ連中を皆殺しにしようか。
 何であれ、こちらに危害を与える可能性のある相手は、根絶させるに限る。相手が集団で有れば絶滅させた方が早かろう。・・・・・・何十万人いるのかしれないので、気の長い話になりそうではあるが。
 全身の血を洗い流してから、私は客室に案内され、私は片方の椅子に座り、コーヒーを煎れて貰ってそれを飲んだ。いいものだ。例えそれが大量虐殺を働いた後でも、私にとってコーヒーは安息の象徴である。しかし、私のように容赦のない化け物でなければ、罪悪感だとか、戸惑いだとか、それに類する「倫理観」だのに引っ張られて、大人しく殺されていたのではないだろうか?
 昼間挨拶した人間がいきなり襲ってくるのだ。 まあそれはそれ、私にとってはどうでもいい事なので始末するのに躊躇はまるでなかったが、しかしこの調子では観光客は来ないな。来たところで運悪く殺されるだけだ。
「あれはね、副作用みたいなものよ」
「副作用?」
 どすん、と腰を急激に落としてフカユキは座った。行儀は悪いが、夜なので億劫になっているのかもしれない。
「そ、副作用。極端な善性を押しつけられて、その反動として 彼等は夜になると凶暴化するのよ・・・・・・いいえ、「人間に戻る」とも言えるわね」「あれが人間か?」
「そうよ。貴方ならご存じでしょう? 人間は、そもそもが「獣」よ。むしろ、善意だの平和だの争いのない世界を構築している方が不自然だわ。欲望のままに生きる人間、獣そのものとしての特性を、夜になると取り返すの」
「まるで狼人間だ。いや、それも違うのか。何にせよ極端な話だ」
 もう少しバランス良く出来ないのか?
 ゲーム機に八つ当たりするとか、その辺で。
「仕方がないわよ。何せ、それだけ極端な行動を集団に取らせるのが、この惑星の目的だもの。例の青年についてはわからないけれど、間違いなくこの異常に関与しているわね」
「それを先に」
「だって、「眠っていて気づかなかった」なんて想像もしなかったわ。図太いにも限度があると、私はそう思うけど?」
「・・・・・・ホテルの個室にいたからだろう。私とて寝ている間に襲われるのは御免だ。知っていたらホテルにいる連中を皆殺したさ」
「発想が貧困ね」
「今考えただけだからな」
 お互いに、つまらない冗談を挟んだからか、少し沈黙する。
「それで、薬の正体はわかったのか?」
「ええ。薬物の正体はナノマシンよ。それも、人間の意志をコントロールする、なんて生易しいモノではなく、個々人の「無意識」に干渉し、「自分の意志」で行動させる事が出来る、悪魔の兵器と呼ぶに相応しい代物ね」
「そんな事が、出来るのか?」
 つまり、洗脳ではなく「自分の意志で動く」と当人自身ですら思う方法か。確かにそれならば、集団を効率的に運用できる。
「できるわ。気分ってあるでしょう? 甘いモノが食べたい気分。誰かとお茶したい気分。それを「任意の方向性」に動かすだけ」
「任意の方向性?・・・・・・」
 人間の無意識は大ざっぱな分、確かに影響されやすくはある。所謂「気分」を詳しく支配できるのだとすれば、「人を殺して当然の気分」「他者を虐げて当然の気分」そんな、普段から人間が持ち得ているような気分ではない。そんなものは、支配するまでもなく、人間の日常だ。
 なら、何だと言うのか。
 人間性を放棄してでも、得るべき方向性とは。「・・・・・・世界平和よ」
「何だって?」
 私の周りにはこういう奴等しかいないのだろうか・・・・・・世界平和など、当人自身の下らない自己満足でしかないというのに。
「だから「世界を平和にする気分」を無理矢理に押しつけているの。その結果、反動として」
「良人の腸を、少ししゃぶりたくなった?」
「・・・・・・言い方に問題は有るけど、そうよ」
 世界を平和にする気分。
 実に平和的だ。支配される当人達の「個性」を完全に殺す以外は。そもそもが「個性」と呼べる程の「自分自身」を持つ存在は、この時代には、もういない。ならばそれら「集団に突き動かされるだけの無個性」を「有効活用」できないかと、そう考えたのがきっかけだった、らしい。あくまでも推察なので、どうしてそんな事をしようとしているのか、わかる筈もない。残された資料や文献から推察したところ、以外にも連中の企ては、人間らしく希望に満ちた所から始まったらしい。 その結果、何十万人か野生に帰ったところで、些細な犠牲ということか。実際羨ましい限りだ。他者を踏み台にして罰せらない権力を持つのは。 楽そうで本当に羨ましい。
「ナノマシン、という事はどこかで管理されているだろう? それを破壊すれば良い」
「宇宙空間に浮かぶ、この惑星の地表からだと、およそ八千キロ離れた大型監視ステーションを、貴方が破壊できるなら、ね」
 出来なくはなさそうだが、幾ら頑丈だからと言って、宇宙空間に放り出されるのは御免だ。寒いではないか。
 惑星を巡回し、半永久的に人類史を束縛する。それが連中の目的なのか、それを確かめる方法は簡単そうだ。
 どんな実験にでも「連絡役」は必要だ。あの青年が何の役割を持つのか不思議でならなかったがそういうことだったのか。
「それじゃあ、私は行ってくる」
「お気をつけて。貴方が死んだら作品データは、私が貰っておくわ」
 そんな無様になる訳もないが、しかし私は一応作品データの入ったチップを、念入りにポケットの中へと押し込めるのだった。

   9
 
 
 読者に売れる「物語」とは何か?
 「都合の良い」モノこそが、売れる。
 読者共にとって心地の良い妄想、そうであってくれたらという理想を、疑似体験させるものだ。現実には幾ら有り得なくても、現実を見る気が最初から存在しない読者にとっては、気色悪い妄想を形にしたモノこそが、売れるのだ。
 何かを伝える事など無い。
 そういった妄想、下らない理想論に迎合できないからこそ、私はここにいる。ともすれば、だらかこそ私は売れる作品を書けないのか。それは、今更ではある。だが、社会に迎合出来る輩が描く物語など、そこが知れているだろうが。
 己を曲げる事ができない。
 字面は良いかも知れないが、人間社会ではつまはじきだ。きっと例の青年もそうなのだろう。そうでなくては大層な計画など立てまい。悪人というのはすべからく反社会的なものだ。そして、社会に対して折り合いをつけるのはともかくとしても、社会そのものに迎合したり、和気藹々と混ざれる連中には、決して「傑作」は書けない。
 書かなくても売れるのだろうが。
 羨ましい限りだ。そんな楽な生き方が出来るとは、驚きだろう。何しろ作家を気取るだけで、実際には物語どころか何一つ書いていない奴ですらそう名乗れる時代になったのだ。私のような時代遅れからすれば、そんな楽が出来るとは羨ましい話だ。楽そうで、暇そうではないか。
 いや断言するべきだろう。楽で暇なのだ。連中に苦悩など無い。それらしい悩みもどき、それも下らない人間関係とかダイエット程度だ。少なくとも「仕事」で悩むことはないし、悩む権利は、決してない。
 仕事を真実していない奴に、仕事の事で悩める自由など、あるものか。人に言われて自分でもしたくもない労働に身をやつすか、そうやって薄っぺらな中身のないゴミを売り捌き、お仕事ごっこをするかのどちらかだろう。それ位がお似合いではあるがな。
 望む、望まざるに構わず己の道を選ばざるを得なかった私にとって、何も選ばず選ぶ気も無く、選びもしないで空から道が降ってくるのを待ち望む愚か者共に、思うところなど何もない。強いて言えば目障りなだけだ。
 生きているのではない。蠢いているのだ。
 ただの、それだけだ。蠢いて、終わる。
 それが貴様等の「正体」だ。
 人間は技術の壁などではなく、「意志の壁」を打ち破らなければならないのだ。それを怠る人間に未来を用意するなど、この世界はどうでもいい読者共に甘すぎる。そんな事をする暇があるなら世界の役割を仕分けして、不必要な人間をさっさと皆殺しにすれば良いのだ。
 生きていてもどうしようもない連中は腐るほどいるではないか。そんな奴等に席を分けるのが、そもそもの原因だ。意志がないなら死ね。言い訳を探す暇があるくせに行動する気力が無い連中に生きる資格など必要ない。いっそ、全人類を選別すれば良い。ヒヨコも人間も、同じ事だ。
 それくらいどうでもいい連中は多い。
 大切な何かを蔑ろにし「どうでもいい」と、そう考えて来た連中がどうでもいい人間になるのは当然だろう。
「やはり、アンタか」
 言って、闇に包まれた教会の奥で、青年ヴィンハルトは私を出迎えた。
「そうだ、私だ。さて、始末する前に貴様に聞きたい事がある」
「もう無駄さ。誰に求められない」
「・・・・・・私は作家でな。貴様の目的が達成されようがどうしようが、正直どうでもいい。しかしだ・・・・・・「傑作のネタ」と金さえあればな」
「なら、アンタのもくろみは崩れたな」
「どういうことだ?」
「俺の目的は、資本主義・・・・・・いや、金という概念そのものを、殺す事だからさ」
「・・・・・・・・・・・・」
 言って、青年は神父が立つであろう壇の上にワインを置いており、当然ながらそれをグラスに注いで飲み始めた。
「アンタもやるか?」
「いや、いい。私は好きになれない」
 実際、本質的に良さが感じ煎れないのだから、酒に酔える筈もない。体は酔っても精神がブレてくれないのだ。正直疲れるだけだ。
「俺の父親は駐在官でな。様々な惑星を渡り歩き、それに同行した。だが突然のスパイ嫌疑をかけられ父親とは別離。母はその時、心身を病み、死んだ」
「何だ、哀れみでも欲しいのか?」
 金さえ払えばやってやるぞ。フリだけだが。
「いいや、そうじゃない。アンタが聞くから、その理由を説明しているだけさ」
「・・・・・・それで、どうしたんだ?」
「保釈金すら払えなかった身分を呪ったよ。金、金、金だ。金がなきゃ、命すら買えなかった。そこからさ。俺が裏街道へと走る事になるのは」
「父親はどうしたんだ?」
「父親はその時、尋問中に死亡している。外交上の問題、とやらで父親が拘束された本当の理由を知った俺は、真相究明のため公安に潜入し、デジタル情報の山の中から当時、責任者だった男の名前にまで辿り着いた。だが、その男は既に死んでいた。俺に残されたモノは何もなく、理不尽に全てを奪われ、憤りを向ける先はなかった。俺はむしろ「個人」ではなく「国家」や「仕組み」そのものに、その憤りを向ける事にした」 
「ひねくれた奴だ」
「アンタにだけは、それを言われたくないな・・・・・・俺にはわかる。俺だからこそ、わかる。アンタ本当は金なんか欲しくないんじゃないのか?」
「いいや、欲しいさ。金がなければ貴様の様に、無様をさらすことになるからな」
「ハッ、それもそうだ」
 ぐび、とボトルごと今度は飲み干して、更に彼は続けた。
「簡単に言えば、俺の父親が殺された理由は、事実上の奴隷階層である労働者層を支援してしまったから、だった。地方惑星の政情が不安定だった当時、アンドロイドは勿論、人間も新しい法整備が進んでいない惑星では貴重な労働源で、彼ら無くして豊かで文化的な生活は維持できなかった。その結果彼等が死のうとも、咎める連中はいない。つまり俺の父親は「資本主義」を維持する為だけに、殺されたのさ」
「それで、今回の集団心理操作の薬と、一体道つながる?」
「言っただろう? 最終目的は「金」という概念を殺すことだと。俺は「金」という概念を殺す為だけに、生まれたのだっ!」
 休み休みの執筆作業で一日三十ページ書く私ですら、ここまで尖った思想を見る機会はあまりない。そういう意味では傑作のネタ探しは成功だ。
「地球の資産を連中は火星で所有している。最早金という概念は人間が人間を支配する為だけに、存在しているんだ。俺は、それが、許せない」
「そうか」
 私としてはあまり感想はなかった。世界が理不尽に満ちているのは当たり前ではないか。そんな事も知らずにこいつは成長したのか?
 金が人を支配するのも、やはり当たり前の事だ・・・・・・嫌なら無人島で暮らすしかない。それが、資本主義経済というものだ。
 それを壊そうとするとは、いやはや、青春に賭ける情熱なのか知らないが、たいしたものだ。
「・・・・・・俺は世界中の銀行から融資を受けて、それを運用することで今回の実験を成功に導いている。忌々しい話さ。労働に身をやつした所で、絶対に連中以上の金は稼げない。子供でも知っているその理不尽を覆すために、俺は連中の力を利用せざるを得なかった」
「いいじゃないか、成功に近づいたらしいしな」 悪党の計画というのは、それが何であれ応援したくなるモノだ。それが壮大な計画なら、尚更な・・・・・・不謹慎かも知れないが、構うまい。
「しかし、それだけで資本主義経済を覆す事など出来るのか? 貴様が莫大な金を動かしている事は理解したが」
「そこじゃない」
 と彼はグラスをおいて、続けて話した。
「勿論、その情報をリークし、金融機関に麻痺を起こさせるのも計画の内だ。しかし本命は今回の薬さ。あのナノマシンは人類全体に、自分自身の意志でどんな行動でも起こさせる事が出来る。今まで投薬した連中とこれから投薬する連中。コーンフレークに混ぜてばらまくつもりだが、その顧客層はおよそ数十億人」
「少ないな」
「パニックを起こすには十分さ。同時に今回の実験成果で使用すれば、銀河規模での同時多発テロを実行させる事で、大規模な金融不安を巻き起こし、金融業を連鎖反応的に破滅させる。金融機関の致命的な情報漏洩、人体実験に関する投資状況を細かにデジタル上で流せば、世界はパニックに陥り通常時の資本運営は不可能になる」
「よくできた作文だ。感心するぜ。しかし、有る程度のパニックは引き起こせても、それで資本主義経済を「破壊」するのは難しいだろう?」
「勿論それだけでは弱いさ。銀行業務に関わる人材、その要所には薬を投薬済みだ。連中は俺の意志のままに動く。その全てを同時進行で操ることで、天文学的な不正融資を行い、それに伴う銀行業の権威の失墜及び、金融システムをダウンさせることで、実質的に「金があってもそれを使用できない」という環境を作り出す事が目的だ。

 金融も所詮はデジタル上のシステムだ。

 一度不具合を起こせば、どうしようもなくなるのさ。ほんの一瞬ではあるが、俺は全ての金融業における「金」という概念を支配できる。誰も彼もが資本主義信仰を止め、物々交換から始まる社会主義に変えざるを得なくなる。政府は金ではなくクーポンを発行し、それを流通する。 誰も彼もが、金を信じなくなる。そして、それを止める事は、もう出来ない」
 さあ、どうする。と彼は私に促すのだった。
 無論、私は金を数えるのが好きなので、別に捨てたりはしないし「その結果、副作用で罪のない人々が暴力に溺れて、殺し合っても良いのか!」と叫ぶほど頭は悪くないつもりだ。そこまで世間知らずではない。大体が、罪のない人間など、それを「人間」だと呼べるのか? いやそれは今はどうでもいいか。
 どうやら彼は私の出す「答え」を待っているらしい。だから私はこう言った」
「それが、何だ?」
「・・・・・・話を聞いていたのか?」
「聞いていたさ。私にしては珍しくな。だがなぁ資本主義経済を破壊するなんて、不可能だ。それは「人間を根絶する」より難しい。文明がある以上金は必要になる。「金」という概念は無くなりはしないのだ。無くそうとしたところで、金がない世界というのは「競争のない世界」だ。それこそ「全てが等しく無価値な世界」だろう。そんな楽園の名前を借りた暇人の巣窟は、御免だしな」「だが、俺は現に金融システムを」
「止められるだろうな。しかし、システムが幾ら止まったところで、替えが効くからこその機械だろう? 貴様の敗因は「かけがえのないモノ」があると信じたところだ。システムも人間関係も、文明ですら替えは効く。効かせてみせる」
 その方が安上がりだからな。
 私はそう言い捨てて、今回の始末対象を切り捨てた。
 私に言えるのはただ一つ。関係者各位はすべからく長い休暇、安息にこの私が強制的に着かせてやったことくらいだろう。
 それが今回の結末だった。

   10

 後始末は大変らしかったが、元々私は人間社会の外にいる存在だ。国が幾つか傾き、政権は大きく変わったらしいが、私からすれば政治家という詐欺師共の名前が変わっただけで、世界は何一つ代わり映えしなかった。
 銀行という詐欺師の集団が潰れた際に金を返さないだろう事は承知していたので、私は有る程度金を現金化したり工夫して保有している。無論、株式や不動産のようなモノではない。一番確実なのは、信頼できる実業家への投資だろうが、信頼程私から遠い存在もないので、私は私なりの資産保存を行わせて貰った。
 方法? 言う訳がないだろう。貴様等は、命より大切な金を、誰かに無償で預けるのか? 堅実に蓄財しているとだけ、答えておこう。
 元より通帳の中身など、存在しないも同義だ。それで世界中が混乱するというのだから、それほど人類を滅ぼすのに労力はいらなさそうだ。案外そういう些細でどうでもいい事につまづくからこそ、連中は集団心理を良いように利用され、今回も踊らされたのだろうしな。
 大昔はそんな連中でも、娯楽に飢えていたからこそ、蔑ろにすることは、なかった。しかし、世界のデジタル化が進み世界のどこにいても最新の娯楽産業を味わえるこの世界では、紙の書物を読む人間など希少種だと言って過言ではない。私は時代に置いて行かれているのだ。華々しくてそれらしければ、最早誰も真実など必要としない。
 それが人の世の現実だ。
 中身のないスカの様な「娯楽もどき」でも、それがネット上で反響を受ければ、どれだけ下らないゴミでも広まるものだ。そこに淘汰はない。だからこそ中身がないモノほど、この世界では優れたモノだと誤認され広まり金になるのだ。
 中身があること、実力を蓄えること、その為に行動することは、今やただの徒労でしかないのだ・・・・・・私も、手を抜いて生きる事を覚えねばな。 所詮こんなものだ。世界に期待しすぎただけだ・・・・・・集団心理、か。個人は神秘であり集団で有れば統計になるが、しかし現状「集団ではない個人として己を確立させている存在」など、いるのだろうか? いないと私は思う。だからこそ、この世界は薄っぺらい個性もどきに溢れている。
 希少な個性を、私は今回も始末した訳だ。世界からすれば突出した「個性」こそ邪魔者であり、それを始末するのはよくある事だ。始末されるか私のように折り合いを付けるかするしかない。折り合いを付けたところで、金がなければ無意味そのものだがな。
 うんざりする話だ。
 金という概念は決してなくならない。何故ならそれは「持つ者」の力の象徴だからだ。所詮連中はただ幸運だっただけだが、それでも持つ者に属する連中は最高品質のサービスを受けられる一方で、持たざる者には刑務所を維持する金さえ無くなり、死刑囚を解き放ち、警官がリストラされ、その結果多くの人間が死のうとも・・・・・・持つ側は正義だ。 正義を押し通せるだろう。
 人間という生き物に相互理解は存在しない。存在しないくせに「善意」だのを無理矢理、自分達の道徳的素晴らしさを「信じ込みたい」が為に、そんな有りもしない妄想を信じようとする。馬鹿な話だ。誰であれ、己の利益を優先する。他者の為に動く存在など、真実世界には存在し得ない。 他者の為に、という「己の欲望」に従うだけだ・・・・・・人間が人間を思いやることなど、ない。ならば非人間で有ればどうか? 少なくとも、私は御免だ。人間など思いやったところで、帰ってくるのは飽食の様に当たり前のサービスだと、図々しい答えが返ってくるだけでしかない。損得を考えずに動くというあの青年の行動は「立派」そうに見えるが、その実人間をまるで見ていなかっただけだ。その事実から目を逸らしていたからこそああいう行動が取れる。それだけだ。
 この世界は金だ。金があるかないか、持つ者か持たざる者か、それだけが「幸せの権利」を売り買いできるという「真実」を見ろ。この世界は、持つ者には幸福になれる資格が有るが、持たざる者には幸福になる資格はないと、切り捨てにかかってくる。本来幸福に資格などないが、それを、無理矢理形にしたものが「資本主義」だ。
 わかりやすい時代になったものだ。
 持つ側は幸せになれる。
 持たざる側は幸せになれない。いや、なるべきではないと邪魔が入るだろう。それが事実だ。金が無い状態でどうやって文明的な生き方が出来るというのか。全ては金で売り買いされている。金が無いという事は、この世界では「生きる権利」が無いに等しい。
 その権利が悪ならば、私は最悪が良い。
 善人ぶって貧困と仲良くするつもりはない。
 私は、私の「幸福」を得る為に、生きる。それも、物語の売り上げ次第ではあるが。
 やれやれだ。
 過程が色々あったところで、結末は同じだ。私の場合何をどうしたところで、物語を金に換えるしかない。どうしたものか。
 飢えた所で、気高く有ろうとしたところで、あるいはその意志が本物以上だったところで・・・・・・それは物語の売り上げとは何の関係も無い。私はそういう綺麗事に興味がないのだ。そんなモノはいらない。必要なのは、そう、実利である。
 「小汚い綺麗事」はいらない。私はそんなモノ欲しくもないし、必要有るまい。それに、私のような存在にそんなモノを求めるようでは、世界は末期状態にあると言わざるを得まい。そしてそれは事実なのだ。私のような非人間的化け物が、そんな有りもしないモノに振り回され、それでいて求める実利に到達できていないあたり、真実味のある想像だろう。
 私はいつも通り、地球に向かうべく宇宙船に乗り込んでいた。無論、ソファは上質のモノだ。そうでなくては意味がない。ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活。それは日々の豊かさがあってこそである。ファーストクラスは当然ながらそれなりに高いが、仕事での移動に金をケチるなどどうかしている。それに、私は凡俗共と違ってどうでもいい事に金をつぎ込んだりしないので財布にはかなりの厚みがある。無駄に鞄を買い込んだり意味もなく株につぎ込んだり煙草や博打にはまったりしなければ、金は余るものだ。それなりに食事を自前で作り、コーヒーとチョコレートで満足すれば、他に何がいるというのか。精々、私の場合娯楽位だが、しかしその娯楽にしたってそこまで値が張るモノではない。
 人間が貧困に陥るのは、金を理解していないからだろう。人間ならぬ化け物である私には欲しいモノは何もないし、欲望を満たす必要もないし、見栄や劣等感に左右される事もない。逆に言えばそれらに左右されているからこそ、無駄な金を使うのだろう。
 私にはそれがない。
 どうやら、こうして考えてみると「人間性」というのは金がかかるらしい。大して理解している訳でもない株に数万ドルをつぎ込むくせに、その一方では律儀に水道代や電気代を、自分で払っている訳でもないのに気にする主婦連中が、金を使いこなせる訳もないし、営業回りのついでにギャンブルに明け暮れる男が、それなりの豊かさを手にする事もない。酒やギャンブル、分不相応な金の使い方。大きすぎるが故に実感がわかない金に大して、連中はあまりにも過ぎた額を平気で使いまくり、損失が出ても気にしない。
 自分は悪くないと思っている。
 馬鹿な連中だ。そんな連中でさえ持っていればそれなりの豊かさを対価無しで享受出来る。無論手にしたところで精神が貧相なのだから口からは文句しか出ないのだが、そんな連中が豊かさを使いこなせず、精神的にも貧困に陥るのはただの当たり前であり、そんな連中と比べられても困る。 私はやることはやったのだ。そこに後悔はないが、そんなどうでもいい連中が曲がりなりにも持っているのに、私にその見返りがないのは、一体どういう事か。まったくもって嫌になる話だ。私はただ、己の仕事で儲けたいだけなのだが。
 ただそれだけのことが、こうも上手く行かない・・・・・・私には「人間性」など無い。だからこそ、下らない事で振り回されもしないが、その代わりと言っては何だが、普通に出来るはずの事が、私にとっては何よりも難解なのだ。
「先生はさ」
 と、個室であるのを良いことに、勝手に私の携帯端末から話し出したのは、私が雇用(人工知能に雇用契約は有効なのだろうか?)している、人工知能のジャックだった。それにしても、こいつは何を考えているのだろう。少なくとも私のように金はあまり必要ないはずだ。無論、現実世界で維持する為の労力はいるだろうが、こいつが求めるのは「現実世界での欲望」らしいからだ。電脳世界で全てを手に出来る人工知能にとっては、電脳世界で利用される数字の束よりも、現実に肉と血をもって何かを成し得ることの方が、重要らしいからな。
「言うほど、金を求めてはいないよな」
「そんな事はない。金は必要だ」
「だからさ、それは「必要」であって「欲しい」じゃないだろう? 先生には欲しいモノがない。だからこそ、先生を倒せる奴はいない。何せ、欲望も持ち得ず執着が無いということは、極論それが何であれ「捨てられる」ということだからな」「嬉しくもない。そもそもが、それは捨てられない程のモノを、持ち得ないだけの話だ」
「捨てられない「何か」が欲しいのかい?」
「いや、別に」 
 そんなモノはいらない。別に欲しくもない。それはあくまでも「人間」の考えであって、私は、真似をしているに過ぎないのだ。 
 欲しい様に振る舞うことはあっても、それを欲しいと願う事はないのだ。それを願う「心」とやらが、私には欠損しているのだから。
 もしかすると、私はどこかで「心」とやらを、かなりの高額で売ったのかもしれない。それは、中々に愉快な想像だった。
 売られた側にどれだけ迷惑をかけてやったか、想像するだけで面白い。心などを手にした事が原因で、案外破滅したかもしれないが。
 それが私の心なら尚更だ。もっとも、最初から無かっただろう、というのが正直な感想だ。仮に心があるとすれば、それは私ではない誰かだ。私が「邪道作家」で有り続ける限り、つまりは永遠に私にとって「心」は邪魔者でしかない。不要なゴミだ。誰だってゴミの回収はしたくない。
 面倒だからな。
「・・・・・・あの青年は「善意」で動いていたと思うか? ジャック」
 これは私なりの興味だった。人工知能の目線で人間はどう捉えられるのか? 非常に興味深いし面白そうなテーマだ。
「そうだな、というか人間は大抵「善意」で動いていると思い込むもんだろう? それが原因で、後から「善意でやっていたけれど、他者や社会にとっては良い事では無かったらしい」と身勝手に後悔するのも、人間じゃないか」
「それも、そうだな」
 中々面白い推察だ。参考になる・・・・・・いや、私は何をしているのだ。物語が大して金にならない以上、いっそしばらくは筆を休めたい。
 何なら作家業を廃業してやりたい気分だ。
「それは無理だろうな、先生」
 と、私にとってよろしくない事は楽しくて下かがないと言わんばかりに、実に楽しそうな声で、その人工知能はほざくのだった。
「先生は自分の生き方、在り方で良いのかな。で己自身を固定してしまっている。今更変えるなんて無理な話さ」
「ふん、自覚はあるさ。だからといって、私は、自分自身の不利益を放置してられんのでな。何かしら方策を立てねばなるまい」
「どうやって? 息をする事を止めるような作業だと、俺は思うぜ」
「意識的に休むのも、仕事の内だ。何とかするしかあるまい」
 などと言いながら、こんな風に作家業として、今後どうあるべきかを考えているというのだから・・・・・・私の業も相当深いな。
 何とかしたいものだ。嬉しくもない。強いて言えば己が「作家としての道」を歩いているという確信には繋がるが、それが何だというのか。私はあくまでも金を儲けたいのであって、作家業そのものは私個人の自己満足に繋がればそれで、構わないのだ。そこを掘り下げた所で、私からすれば余計な回り道でしかない。
 これ以上は御免だ。別に回り道をして色々経験を積んだとしても、それが「結果」に繋がる保証はどこにもない。散々労力を賭けた挙げ句、全てが無駄に終わる方が現実的だ。理想や夢物語を信じられるほど、この世界は優しくない。むしろ、そういう理不尽こそを、好む傾向にある。
 世界は、未来は、運命は、信じるに値しない。 そんな有りもしない「ゴミ」よりも、金の方が余程、信じるに値する。差し出せばそれに見合う品を買えるのだから。私はその法則に従ってコーヒーを頼み、それを飲み干した。
 旨い。
 これが、金銭の力だ。綺麗事の妄想では、成し得ない「結果」だ。私は噛みしめる事にした。
「強情だねえ。そんなの、一時のモノじゃないか・・・・・・先生の言う「後に残る何か」は、結局の所精神の有り様なんだぜ」 
「それが何だ。だとしても私はそんなモノ欲しくもないし、今この瞬間を犠牲にして、そんなよくわからない基準を良しとする連中に誉められたところで、私にはどうでもいい事だ。精神の成長、などと・・・・・・そんなのは高みから見下ろしているからこそ、求められるのだ。実際に生きている側からすれば、そんな貴様等の下らない自己満足につきあわされるよりは、己自身の幸福を選ぶ」
「けど、その幸福も所詮有りもしない自己満足、だろう?」
「そうだ。そしてそれでいい。私には元々感じ入る何かなどないし、自己満足でそれなりに満足できるなら、それで構わない」
「それは、妥協じゃないか。もっと上の幸福だって、あるかもしれないぜ」
「かもしれない。だが私は別に欲しくないし、求めてそれを得たところで、それを良しとする連中が笑うだけだ。私は嬉しくもない」
「それでいいのか?
「最初からそう言っているだろう。ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活、だ。私は、それを充足できる形でするだけだ」
「そこに、何一つ本物がないとしても?」
「それに何の問題がある。私が構わないのだ。私からすれば「本物」など、当人自身の思いこみであり、それこそ幻想だ。本物などこの世界のどこにもありはしない。それがあると思い込むかどうかだ。それを求めるのは人間の習性だが、生憎、私はそんな、人間の求める「倫理観もどき」など別に欲しくもない。強いて言えば「傑作」を書き続け、それで自己満足しつつ、私個人が納得できる「傑作」を読めればそれでいい」
「何時の日か、傑作が書けなくなっても、先生は構わないのか?」
「構わないさ。所詮自己満足だからな。私個人が満足できればそれでいいし、私個人ですら満足できる出来に到達しなかったとしても、元が私個人の充足のためのものだ。それに、作家にとって、作家自身が満足できない作品というのは、むしろ書きにくいものだから、それはそれで売れるだろうと、私は思うぞ」
「何時の日か年を取って、金も余り始めた頃に、人間は「名誉」だの「権威」だの「達成感」だのを、求めるようになるんだぜ」
「それは素晴らしい。が、生憎私は人間ではないし、そうだとしても、やはり同じ事だ。死んだ後の名誉にも権威にも興味はないし、達成感だと言うならば、私は既にそれを終えている。どれだけ時が経とうが、今まで傑作を作り上げたという、自己満足の達成感は、消える事は無い」
 何であれ、私は書いたのだ。それが時間の経過によって消える事はあり得ない。他でもない私自身がやり終えた事だ。そこに疑問の余地は無い。「・・・・・・まあ好きにすればいいさ。俺には、人間の気持ちは共感できないし、それが先生相手なら尚更だ」
「共感する必要はない。 私も貴様も、違う個性なのだからな。己自身の個性を、業を、足りない何かを満たし続ける事が出来れば、その自己満足で己自身を満たす事が出来る。私の場合満たす必要は最初から無かった。器そのものがないからだ・・・・・・ならば外堀である物質的豊かさを、埋めにかかるだけだ」
 とはいえ、今まで大国がその権威を思うままに振るってきたのは、その「金」と「力」によるものでしかない。誰一人政府を心の底から支持などしていないのだ。今回その基盤が大きく揺らぎ、大国の支配力は形だけのモノと成り下がった。
 軍事力ほど金のかかるものはない。それを維持するだけの「余力」を大きく失ったのだ。これから先は資本の力は勿論、既得権益に絡みつく存在が更に増えるだろう。皮肉な事に、あの青年が成し得たことは、現段階での権力者を妥当しても、その先、新しく別に発生する権力に対しては、ほとほと無力なのだ。それが現実だ。
「今回、国家レベルの資金が流通したことで、今後更に金の流れが増えるだろう。それも、国の資金を流用する形でな。そこに介入するハイエナ、そして企業共が金の力で植民惑星を活性化させ、無理矢理資金を流し込まれた未開発地域は、その流れに耐えられず、自滅する」
「・・・・・・先生はそれを良しと思うのかい?」
「良いも悪いもない。私に止められる流れでもないしな。重要なのは、それがただの事実だということだ。世界に暴力が溢れるほど金は力を増していく。そして、何もしなくとも人間という連中はその「暴力性」を肯定して金に換え、それを企業という形で実現させるだろう。ビジネスだから、多少の犠牲は「仕方がない」とな。問題なのはそういう連中こそ「本物の力」を持ち得るのがこの世界の常であり、そういう連中が動かす以上、金がなければ理不尽に搾取されるか、飲み込まれて奴隷のように扱われるということだ」
 それが人の世の真実だ。そこから目を背けられても正直、困る。世界は金で動く。そして、金の無い人間に幸福の権利は存在し得ない。
 何故なら、資本主義社会において、幸福を切り売りする行為を「労働」と呼ぶからだ。それで幸せになど、なれる筈も無い。己の意志で変えようともせず、人に言われるがまま「それこそが正しい行いだ」と言われてそれを信じ込み、結果違ったではないか、真面目に生きたところで、何一つ自由は存在しないと、後から嘆いても遅いのだ。 それが現実というものなのだから。
「現代社会で「本質を知る事」程、無駄な労力はないのだ・・・・・・かつての「傑作」をリメイクして映画化したり、女、ギャング、兵士、そういった「受けの良さそうな題材」をモデルに大金を賭けてプロパガンダ映画を製作したり、する。そしてそれらが大きな「成功」だの「勝利」だのを、あっさりと手に入れるのだ。私のような存在の労力など馬鹿馬鹿しく思えるほどに、いともあっさりと、それも「持つ側にいる」というだけの理由でだ」
「持つ側、か。仕組みを支配する側にいれば、確かに何でも勝利に結びつけられるだろうさ」
「だからこそだ」
「けどさ、先生は「作家」だろう? だからこそむしろ、そういう「持つ側」を打倒する話を書いた方が、面白いんじゃないのか?」
「そんな話に、何のリアリティがある? そんなものはな、お伽噺みたいなものだ。 勇者が魔王を倒し、めでたしめでたし・・・・・・しかし現実には魔王が存在した方が争いによって経済は活性化し争いの種がなくなれば、それによって内部分裂が起こりうるのだ。それが人の世の現実だ。そして理想だのを形にした、小綺麗なだけの物語など、面白くも何ともない」
「そんなものかね。夢のない話だ」
「現実に夢など最初から無い。夢とは、現実から目を逸らす為に見るモノだ。そこに現実に対する力を求めるのが間違えている」
 そういうものだ。夢を叶えるのは見栄えがよいが、現実にそれを実現する輩はいない。ただ単に能力が高かったり才能があったりして、それらの分野で成功を収めるものだ。少なくとも、努力が才能を凌駕する事などあり得ない。純粋な能力差を覆すにはそれなりの策が必要だが、それだけで各分野で成功を収めるのは不可能だろう。
 世界に夢も希望もない。
 あるのは資本主義社会という現実だけだ。
 そして、社会に折り合いを幾らつけたところで、本質的な部分で「人間社会で生きられない」存在は、「生きている間に人生を終える」可能性が非常に高いのだ。燃え尽きて死ぬか、灰となって残り続けるか。いずれにせよ、生き様というのは変えられるものではない。私はこの資本主義の世界で生き続け、いや死に続ける事でしか、己の証明をすることが出来ないのかもしれない。
 私はそこまで極端な生き方を、特に尊重するつもりは、あまりなかった。そんな生き方をしたところで、別にそういう在り方でいることが誇り高く爽快だと感じる訳でもない。そういう感性は凡俗が憧れから持つものであって、実際にそんな、極端な生き方では、実利や幸福から遠ざかってしまうではないか。
 それを格好良いと思う奴もいるのかもしれないが、冗談じゃない。私が欲しいのは「実利」だ。有り様を誇るなど、二流のする事だ。そんなのは後から付いてくれば儲けモノであって、それを、誰かに誇る必要などないし、仕事に準じすぎれば周囲は変えられるかもしれないが、己自身の幸福から遠ざかる。我が身を犠牲にして世界を変えるなど割に合わない。
 そんなつもりもないのだが、私の場合「作家」を生き方として選んでしまった。そこで終われば良かったのだが、私の場合実利に結びつかない、と分かり切った今になってすら、中々その縁を切ることができていない。
 それなりの豊かさを享受できればそれでいい。 自己満足で構わないのだ、私は。
 だというのに、その程度の願いすらこの世界は拒否し続けるらしい。本当に馴染まない。私という奴は、どうしたところで困難だの障害だの、あるいはそれらを背負う「業」だのに、好かれているらしい。嬉しくもないし、そんなもの消し去りたいが。
 そんなもの金にならなければただのゴミだ。
 金になってこそ、評価してやる手間を、くれてやっても良いというものだ。少なくとも、私にとってはそうだ。「本物」など価値は無い。
 偽物の方が儲かるではないか。
 私はそれがいい。
 目先の利益に目が眩めば足下が疎かになると言うが、基本に忠実に無駄足を踏んだところで、何もしていないのと同じだ。そして、私から言わせれば「真面目にやっていればいつか報われる」という楽観主義は、成功する具体的な方策を練らず逃げているだけでしかない。それは思考を放棄しているだけで、具体的にどうするか、その部分を放棄しているだけだ。それで報われるのはただの幸運だ。そして、今のところ私に「幸運」とやらが味方した試しがない。
 どちらの面から見ても、実利を求めるのは、ただの当然だ。そもそもが、そんな楽観的な思想で成功できれば苦労しない。作家などという人種はこの世界で存在しなかっただろう。世の理不尽から目を逸らしているだけだ。
 「北欧家具の奴隷」達からすれば、私のように己自身の指針があり、それに伴って生きる在り方は「羨ましい」らしいが、知ったことではない。そもそもが、それは「精神が未熟」なだけだ。全てに満たされておきながら、つまりは物質的に、全てを満たしておきながら「生きている実感が欲しい」などと。二十四時間休み無く「作家」として有り続ける私にとって「退屈」程、遠い存在は無い。何をしていても作家業に結びつく。だが、連中はその「退屈」に縛られて、折角持ち得ている物質的豊かさにかまけて、物質を満たせば精神も満たされると思いこみ、その持ち得ていたはずの物質面すら失うのだ。彼等はただ単に、己自身を扱いこなせていないだけだ。そんな連中がしたり顔で物質的な豊かさは何も生まない、精神的な充足こそが大切だと説く姿は醜悪そのものだ。
「先生に欲しいモノなんて無いだろう?」
 ジャックは確信をもってそれを告げた。だが、私からすればそんな事は今更だ。
「無いさ。しかし、金は必要だ」
「何故だい? 実際、先生が金を必要とするシーンなんて、見たこと無いぜ」
「あるさ。コーヒーを買うのにも、貴様の横に置かれているチョコレートを買うのにも、そして、豊かな一時を充足させるにも、金は必要だ」
「そうかい?」
「そうさ。実際、金は何であれ、買える。貴様等が金を十分に使いこなせていないから、金を持ちながらその有用性を悪い方向へ向かわせるのだ」「なら、先生はどう使うんだ?」
「だから、言っているだろう。私の目的は「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」だ・・・・・・それを豊かに充足させつつ、過ごす」
「しかし、先生。「ストレス」ってのは「刺激」だろう? それを排して「充足」なんて」
「あり得る」
 私はジャックの言葉を遮って断言した。
「貴様は今まで何を見てきたんだ。私は非人間の化け物である以前に、作家だ。面白い物語とコーヒー、そしてそれなりの菓子があれば、充足など容易いものだ。精神的な娯楽の最たるモノが物語だと言っても良い」
「なら、先生はそれで満足できると」
「ああ、その通りだ。実際、貴様等、というか、人間共だってそうだろう。遙か昔から存在し、それでいて廃れる事の無い人類最古の娯楽。それが「物語」だ。自身ではない誰か、その有り様を空想の中で踊らせ体験した気分になり、思考の煙をくゆらせる。「遊ぶ」という概念すら無かった時代でさえ物語は存在する。消費娯楽にまみれ、しかも紙の本が絶滅した今でさえも、やはり人間共は物語を夢見るものだ。私の場合、人間の有り様を眺めるのが楽しいだけだが、それはそれで娯楽だしな」
 人間こそが、最大の娯楽だ。
 人間の有り様程、面白いモノはあるまい。
 私はそう思う。私自身が人間ではないからだろう。私は人間の有り様を眺めるのが好きだ。見ていて実に面白い。
 無論、フィクションに限るがな。
 現実に存在する「人間」など、底が知れる。
 物語に描く人間こそが面白いのだ。実際の人類など、別に滅んだところで差し支えはない。
「現実問題として足りない部分を補填するだけでしかないのさ。それに私の場合「人間の物真似」をするという「趣味」もある。そして、人間らしさを学ぶにはそれなりに金がかかる。大金でこそ無いが、そもそも人間社会で問題に出くわさないように暮らすには、金銭の余裕は必須だ」
「満たされたら満たされたで、先生の言うとおりやれ刺激が足り無いだの生きる実感が欲しいだの叫ぶもんだぜ」
「構わないさ。私は人間ではない化け物だからな・・・・・・生きる実感など欲しくもない。あくまでも私個人の自己満足の充足で良い」
 所詮自己満足に過ぎないが、私はそれでも十分満足した気分になれる。実際問題として、私は別に「充足が欲しい」という気持ちすら持ち得ないのだ。ただ単にそれらしい、いや、それらしさの薄っぺらいモノを嫌う私からすれば、それは間違いなのだろうか? しかし、現実問題として、私には人間の幸福など手に入るまい。
 それに、別に薄っぺらくは無いだろう。この方策は私が、化け物として世界と折り合いをつける方法なのだ。それでいて私個人の目的、私個人の自己満足の幸福を形にする方法だ。それが薄っぺらいというならば、私はそれでいい。
 私は自身の出した結論、「答え」に満足し、ソファに身を委ねた。窓の外には銀河の星々が散っていたが、次回作の事は考えなかった。
 どうせ書く羽目に、いいや、何とかそれも脱しておくとしよう。他でも無い「私」が第一だ。読者共の事など知った事ではない。
 読者共が税金の如く、私の作品に金を貢ぐ未来を夢見ながら、私は眠りに着くことにした。
 後にはまたもや、コーヒーの残り香だけが残されていた。

 

   10

 「都合」は金で買える。
 正義だとか大儀だとか、誰かの為だとか何かの為だとか、国の為だとか世界の為だとか、そんなのは全て当人にとって都合の良い部分を正当化する為のモノだ。そして、金がなければそういった馬鹿共の下らない「都合」を押しつけられる。さも当たり前のように「良い事」をしてやっているといった風に、図々しくだ。
 私はそんなのは御免だ。
 だからこそ、金が欲しい。
 私が、私として、生きる。言葉にすれば陳腐だが、しかし実際金なくして生きる事は出来ない。それこそ誰かの都合に媚びを売らなければ、だ。 私は人間社会と折り合いはつけるつもりだが、媚びを売り奴隷として生きるつもりはない。金が有ればそういう下らないストレスから解放される・・・・・・大きな子供の下らない戯れ言に、これ以上付き合いたくはないしな。
 するつもりもない。
 私のように自身の在り方について悩む人間などもういない。現代社会では己の在り方ではなく、企業や国にそれを押しつけ、己ではない何かに、責任を押しつけそれを罵倒し、自分のせいじゃないとぶつぶつ言うのが主流だからだ。
 私のように己で考える必要すら、無い。デザインされた人生を人工知能のアドバイスで受け入れるか、企業文句を鵜呑みにし、途中で捨てられない限りは安い忠誠を誓い続け、失敗して捨てられたら全ては企業のせいだ国のせいだと、己ではない何かに責任を押しつければ良い。それを生きていると呼ぶのかは知らないが、少なくとも己自身でしか成し得ない何かを目指す輩はいない。少ないではなく、もういない。いたところで、それを活かせる社会構造にないのだ。私が良い例ではないか。
 ともすればそういう連中のように何も考えず、何も作り出さない連中こそが、現代社会で必要とされる素材なのだ。人間に最早個性など不要だ。支配し難いではないか。何も考えずただ馬鹿みたいに支配される素材。その中で偶々「持つ側」にいた存在だけが、生き残る。それが資本主義経済の淘汰形式だ。無論ロクなのがいないが、それは貴様等が選んだ事だ。別に構うまい?
 それが人類の選択だ。
 人類ではない化け物である私からすれば、そんな愚かしい選択をよく選ぶものだと感心する。それでいて自分達が「正しい」と思い込めるのだ。 素晴らしい精神性だ。私ですら、生理的嫌悪感を禁じ得ない話だ。
 執筆にしろ何にしろ、私は「手は抜かないが、やる気はない」というのが、私の作家としての在り方だ。逆に連中は「やる気はあるが手を抜いて生きている」らしい。無論やる気などというのは出すのは簡単で、実行に移さないやる気というのは、ただ口にしているだけだ。そして、持つ側にいれば実際に行動せずとも口だけは達者になるらしい。実際、そういう奴ばかりではないか。口は出すが行動はしない。行動を押しつけはするが自分ではしない。
 そういう奴が、いつも美味しい思いをする。
 それらの事実を無視して、綺麗事を押しつけるのは、ただ世間知らずなだけだ。私などより余程狂気に満ちている。
「・・・・・・・・・・・・」
 私は地球にある神社の鳥居の前にいた。具体的な場所は私にもわからない。どうも外界から隔離されているらしく、いつも気が付いたら依頼人の任意の場所に移動させられている感じだ。何も感じない私に、第六感が有るのかは知らないが。
 思えば、不思議なものだ。
 人間のフリをして、人間の物真似をして、練習した笑顔(これには苦労した。私には笑うという概念がそもそも感じ得なかったからだ。十年単位で時間がかかった覚えがある)を振りまき、そして実利を求めながら社会に折り合いをつけ、人間の中に紛れ込むことで存在しうる。
 私の依頼人の女がどんな正体か、それは私も知らないし興味がない。だが、私とは違って能力があるくせに人間に混じる努力を怠り失敗した存在が、私のような化け物の手を借りるとは。怪物が私のような化け物の手を借りるなど、正直言ってメジャーリーガーに「金の使い道がわからない」と相談を受ける気分だ。能力を使いこなせばどうとでもなるくせに、それに失敗する。それも、精神的に未熟だから、などという至極どうでも良い理由でだ。
 誰よりも「持つ側」にいるくせに、それに対して不平不満を言う存在だ。そんな輩が私のような化け物の手を借りるとは、世界のバランスはどうかしている。実際、連中に私の手など真実必要ないだろうからな。
 私でなくとも代わりは幾らでもいる筈だ。
「いませんよ」
 心でも読んだのか(私にそんなモノがあるのだろうか?)箒を携えながら山門の前へ凛と立ち、私の依頼人の女はそう答えた。
 まだ何も言っていないのだが。
 私は少し疲れたので、階段に腰をかけつつ、話半分に聞く事にした。持つ側の余裕有る綺麗事など参考にならんしな。
「代わりはいません。貴方のように容赦する事を切り捨てられる人材は、他にいないので」
「どういう意味だ?」
「今回の件もそうですが「情」というのはどんな人間であれ、そこにあります。普通の人間、と語れば語弊がありますが、少なくとも「人間を殺したいとは思わない」し、「操られた人間を殺すのは罪悪だ」と感じ入るのもまた、貴方の嫌悪する民衆です」
「私は他のサムライについてよく知らないが、他の連中も「そう」なのか?」
 人間味に満ちていたりするのだろうか。始末を仕事、いや労働として選んでいる奴が、罪悪感で押しつぶされる? なら選ばなければ良い。
「そこまで人間は強くなれないのですよ。貴方は否定するでしょうが、精神にも強弱があります。無論、強ければ良いというモノでもありませんが・・・・・・こと「争い事」であれば、貴方は世界最強でしょうね。貴方の精神性には「限度」が存在すらしない。どこまでもブレーキが無く、際限なく悪になれる」
「・・・・・・・・・・・・」
 女は一瞬、息を整えてから、
「それは人間では不可能な試みです。無論、貴方が怪物と呼ぶ私たちですら。そんな在り方は生物のそれではない。しかし、貴方はそれを悠々と越えてみせる。そして貴方を止める方法は存在しない。何故なら、貴方には真実「守るべき何か」が存在しないからです。それはきっと、己自身でさえも」
「そんなことは・・・・・・」
 あるのか? どうだろう。仮にそうだとして、私に何か困る事は無いだろうか。無い。断言する・・・・・・だからこそ私は「最悪」だと。
 しかし別に、最悪で有ったところで、私の預金残高には何の関係性もないのだ。別に嬉しくもない話だ。だから何だと言うのか。
「ふん、まあいいさ。どうでもいい事だ。私にとってはな。作品の売り上げの方が重要だろう」
「そうやって誤魔化すのですか?
「何をだ」
 女は横に座り、私に語りかけるように、こう言った。
「そんな生き方では「幸せ」にはなれませんよ」「・・・・・・なら、貴様には何か策があるのか?
「それは・・・・・・」
 ある筈がない。何せ、私はその構造上どう足掻いたところで「幸せ」を感じられないし、感じられない以上私には概念として「幸せ」は無い。それはあくまでも人間の物真似であり、それなりの豊かさによる「自己満足」であって、真実幸せになれる訳ではないのだ。
 しかし、それ以外に方法など無い。
 あれば私が使っている。こういう発想だからこそ私には幸せを感じる事はないし、だからこその「邪道作家」なのだが。
「貴様の言うのは「それらしい人間性」でしかないのだ。それこそ模倣だ。倫理観だとか、道徳だとか常識だとか、それを参考にしているだけだ」 算数じゃないんだから、個人の在り方にそんな教科書通りの倫理観を押しつけられては、たまったものではない。私にはその「幸せ」は無い。
「それは、そうですが・・・・・・」 
「幸せにはなれない。それで? 私が諦める理由にはならないし、私は豊かさの中で自己満足し、充足を得られればそれでいい。元より、幸せなど凡俗の目指すものだ。そして、凡俗の目指す地点など、たどり着いてから文句を言う奴等ばかりではないか。私は最初からそんなモノを目指してはいない。私は」
「自分の生き方を通したい、ですか」
「そのようなものだ。少なくとも、作品を金に買えられなければ「そうだ」と言い張る事もできまいよ。作品を売り、自己満足で充足し、生きる」「・・・・・・貴方に欲しいものなどないのでしょう? 本質的に貴方は「欲望」を持ち得ない。それは人間の真似は所詮人間の物真似であって、貴方が真実欲している訳ではないからです。言ってしまえば貴方は否応に関わらず、知りもしない生物の真似をしながら生きている。人間とは根本的に違うのに、それに合わせようとしている。そんな在り方で人間と同じ目線を保てる訳がない」
「心配でもしてくれるのか? だが、私には人間と同じ目線など必要ない。そういう面白味の少ない目線は、どこかその辺の凡俗に任せれば良い」 人間性など必要ない。
 私は必要に応じて真似をしているだけだ。言ってしまえばこの女のように、人間性に憧れる怪物共の世界が出来れば、それに合わせて「人間に憧れるフリ」をするだけなのだ。人間も怪物も、私にとっては等しく同じだ。別に同族という訳ではないし、私とは違う「生き物」なのだ。
 人間は山ほどいるらしいが、世界に化け物は私だけだ。私以外にもいるかもしれないが、それはまた別の化け物だろう。同じ存在はあり得ない。 どうでもいいがな。
 そして、それを「どうでもいい」と割り切れる思考回路こそが、連中にとっては「最悪の悪」なのだろう。何せ生物とは仲間を求めるべきでありそれが生物の有り様だ。私の在り方は、生物からも人間性からも、怪物の思考回路からさえ、はずれてしまっている。世界の全てに否定されても、何の問題もなく存在できる思考回路など、彼等にとっては存在し得ないものだし、また、存在してはならないものだからだ。
 私にはどうでもいいが。
 連中にとっては、理解し難いのだ。だからこそこの女も、私に構うのだろう。そんな在り方でなくとも幸せになれる、と。生憎だがこれは私自身の変えられない「化け物としての本質」なのだ。それを変える事は私を変える事も同義だ。そんな事はできそうにもないし、したくもない。
「貴方は、それでも自身の存在を悲しんだり、できないのですね」
「それの何が悪い? いや、悪かったところで、知った事ではない。私は「そういう存在」なのだ・・・・・・それを否定される覚えはない」
「・・・・・・ですね」
 軽くため息を付き、私の隣で肩を落とす。私からすれば何を知ったようなことを、といった感想を受けたが。理解した風を装って、下らない哀れみや、自己満足の偽善に付き合わされるのは、たまったものではないし、別に頼んでいない。
 自己満足とは押しつけるものではなく、己自身だけで満足し充足を得るものだ。私が言うと説得力がある台詞だな。
「わかりました。けれど、貴方がどうしようが、私と貴方の関係は続きます。私は貴方という化け物の在り方を、救済して見せますよ」
「・・・・・・何の権利があって、そんな事をする?」 訴えてやろうかと思ったが、生憎この惑星に、法律の概念はあまりない。しかし「救済」などと上から目線で哀れまれる覚えもない。
「そうですね。私の勝手な権利でしょう。それこそ貴方の言う「都合」ですよ。私は私の都合を、押し通させて頂きます」
「随分と、勝手な言い草だ。救われる覚えはないし、私はそこまで落ちぶれてもいない。救済などと偉そうな事を言われるのは御免だ」
「それは違いますね。私が勝手に貴方を救いたいのですよ。貴方という「個性」の手助けをしたいだけです」
「勝手にしろ」
 邪魔にならない範囲で、だが・・・・・・どうせこの女の言う事だ。綺麗事の上っ面で、現実に何を成し得る訳でもあるまい。どうせ口だけだ。
 そして口だけの宣言など、存在しないも同義ではないか。私が気にする事ではない。
「さて、何か質問はありますか?」
「・・・・・・金だけ支払ってくれればそれでいい」
 私は乱雑に右手を差し出した。彼女はしぶしぶと言った風に、私に残りの札束を手渡した。
「私はもう行くぞ。ここに留まる理由もない」
「・・・・・・どこへ、行かれるのですか?」
 わからない。
 私の物語は売れていないし、売れなければ私の目的が果たせないのも事実だ。しかし、具体的にどうすればいいのか。どうしたところで失敗し、敗北し続けてきた私に、何をしろというのか。何をしたところで、物語は売れないではないか。
「背中位であれば、支えますよ」
 年寄りじゃあるまいし、そんなのは御免だと思ったが、女は勝手に私の背中に手をやった。気持ちだけ有り難く頂くとしよう。つまり、現実には何の役にも立たないし、あろうがなかろうが同じ事でしかないのだが。
 何をしたところで無駄だ。
 私は常にそうだった。
 それでも・・・・・・私には「諦める」事は構造上出来ないし、したところで無駄な事だ。結局の所私はそこを目指すしか無いのだから。
「ふん。ならそうだな、とりあえず」
 少しでも「マシな」方向へと進めたいものだ。まあ、実際にはこのやりとりも、今までの労力も虚しく、全てが水泡に帰すだけだろうが。
 何の希望もなく、夢も未来さえない。しかし、私にとってそれはいつもの事だった。
 女は綺麗事を吐き、私は何も言わなかった。
 そして、それは何一つ変わらず、私の全ての行いが無駄である証明だ。私は諦めて、女の下らない綺麗事を聞き流した。
 無論、そんな綺麗事が私を助ける事は、ついぞありはしなかったが。

   11

 無駄な労力だった。
 私はあの女の綺麗事に飽き飽きしていた。どうせ無駄ではないか。売れもしない物語を書くのはここまでにしよう。したところで生き方として固定している以上、どうするべくもないが、無駄だと知りつつ労力を賭けるよりはマシだ。
 ワンパターンな女だ。いい加減、綺麗事ではなく何か一つ、役に立ちそうな言葉を吐けばよいだろうに。女は綺麗事しか言えないのかもしれない・・・・・・あの女の言う言葉は全て綺麗事で、私の役に立った事は、一度もないしな。
 女は最後にこう言った。
「私は必ず貴方のそばにいます。貴方が何をどう捉えようが、私が無理矢理にでも「幸せ」にしてあげましょう。それが、私の「答え」です」
 まあ言うだけならば自由だ。言葉に妄想を乗せる事に、法律は罪を与えはしない。私にはどうでもいいことだ。
 いようがいなかろうが、同じだ。
 私にとっては同じ事だ。
 何の結果も出さない、という点に関しては。
「何故そんな事をする?」
「貴方が、貴方の在り方が気に入らないからですよ。私は、貴方のような存在が「幸せ」になれる世界を作りたい。それが私の目的です」
 そんなモノを作ってどうする気なのか知らないが、私にはどうでもいいことか。何せ、そういう「理想論」が何かを変えた試しがない。
 私は女の綺麗事を聞き流して、それでも作家業を止められない己自身に呆れつつも、とりあえずはその先に進む事にした。
 進んだところで何一つ得られそうにないが、ここまで来て止める事も出来ない。私に選択肢など無いのだ。
 私は、全てが無駄に終わり灰になる未来を想像しながら、それでも私は「何とかなる」と根拠無しに思うのだろう。そう行動するように己自身を作り上げたことを皮肉に思いながら、私は疲れ果てて眠る事にした。
 どうせ何をどうしたところで無駄なのだから、私が気合いを入れる意味もあるまい。ゆっくりと宇宙船のソファに沈み込み、眠る事にした。
 夢は見ないだろう。
 私の結末に、どうせ見合うモノなど、ないのだから。
「終わらせませんよ」
 しつこい女だ。私は適当に物語を終わらせようかと考えていたのだが、どうやら階段を降りる際着いてきたらしい。
「人間の寿命なんて、それこそどうせ百年二百年しか無いというのに、貴方はそんな短い一生に拘りを見せて、どうするというのですか」
「どうするもこうするも、だから自己満足だよ。私に「感じ入る」機能が無い以上、そこに固執したところで仕方有るまい」
「なら尚更でしょう。金や名声は結局の所、個人を満足させないのですよ。貴方はそれがわかっているくせに、金で満足しようとする。それは妥協ですよ。貴方は本当は、傑作を書いてそれを生き甲斐にしたいのでしょう?」
「いや? 別に」
 それが便利だというだけで、私に固執する在り方など無い。傑作かどうかなど、それもまたただの自己満足に過ぎないからだ。
「私は私個人が満足できればそれで」
「ですから、その「自分の満足できる傑作」こそが、貴方の言う所の「本物」ですよ。それを」
「それが、何の役に立つ?」
 少なくとも私が本物かどうかなど知らないし、どうでもいいが、それが金になる話は聞かない。 私は階段の途中で女に向き直り、見据えた。
 女って奴は綺麗事を言わないと呼吸すら出来ないのだろうか。言うのは簡単だが、それが何だ。「役に立つ立たないではありませんよ。人生とは本来、そういうものです。貴方自身自覚はあると思いますが、人間は結局の所死にます。どうしたところで同じ事です。そんな人間に出来る事があるとすれば、それは「何がしたいか」であり、それを生きている間に「どう形にしたいか」でしょう・・・・・・それが「生きた証」になるからです」
「死んだ後に役立つ訳でもあるまいに」
「役立ちますよ。当人の指針になり、これが無い人間は生きている自身を実感出来ない。それこそ死んでいるのと同義です。そういう意味では、貴方は誰よりも「生き続けて」いるのですよ。それこそが「勝利」であり、「成功」なのです」
 まるで宗教家みたいな言い分だ。そんな綺麗事で満足してたまるか。金だ金。私は現実にそれなりの豊かさが欲しいのだ。精神の豊かさなど、そういうのは心の有る存在が悩むことであり、私のような化け物には適応できまい。
「まるで駄々っ子ですね。貴方はそういうやり方でしか進めないのですか?」
 失礼な女だ。私に対して随分な言い草ではないか。私は現実を見ているだけだ。そして、現実に幸せを形にするのは金だと、誰でも知っている。「私は、真面目なだけだ。そんな夢物語で幸せになれるとは思わないし、思うつもりもない」
「作家の言葉ではありませんね」
「私は邪道だからな」
「貴方はそれで、良いのですか?」
「それが、私の在り方だ」
 それを否定される覚えはない。断じてだ。私が選んだやり方だ。口を出される覚えはない。
「そんな私でも一つだけわかる事があるとすれば「作家として正しい道」を歩いているという確信くらいのモノだ。勿論、邪道の作家としてだが」「重要なのは歩く先ではなく歩き方ですよ」
「綺麗事はいい。それらしい理想を歌うのは簡単だし、それを広めるだけの奴は多い。しかしだ。それに代わる方策でそれらを現実にしようとする奴でない限り、口出しするだけの権利はない。貴様はあれこれ言うだけだ。その綺麗事が力を持つ事は永遠にないし、余裕がある存在の上から目線でしかない」
「そんなつもりは・・・・・・」
「つもりが有ろうが無かろうが同じだ。いずれにせよ私は、その道の先に豊かさと平穏を手に出来るようにするだけだ」
 今度こそ私はそのまま女と別れた。あの女の言い分は正しいが、それは正しいだけだ。私はいい加減その「正しさ」を押しつけられるのが我慢ならないのだろう。だからこそ、そんな言い分に左右されない金が欲しいのだが。
「ふん、じゃあな」
「ええ、お気をつけて」
 私のこれから先に何があるかはわからない。いやわかるのだろうか。それはきっと無力さの果てに倒れ込み、本物だの何だのという、そんなモノを抱えながら死ぬのだ。冗談じゃないが、このままではそれが確実な未来になるだろう。
 それを変えようとして私は敗北し続けた。
 私がそうなったところで、あの女は「良かったですね、在り方を通せて」とでも言うのだろうか・・・・・・忌々しい限りだ。良くも悪くもあの女は、当事者の目線にはいない。作品の参考にこそなるが、人生相談をする相手ではないのは確かだ。
 見送る女に見送られる男。しかし私はこの先も敗北するのだろう。負けるべくして負けるのだ。持たざる存在の末路など、そんなものだ。
 私は長い回り道をしたが、得られたモノはついぞ何もなかった。しかしそれでも次回作の構想を頭に思い描いているあたり、職業病のようだ。私はかなりうんざりしながら、次回作の構想にふけりつつ、階段を降りる。
 未来はわからないが、やることは変わらないらしい。綺麗事にうんざりしながら、私は歩みを続ける事にした。
 嫌々ながら、しぶしぶ次回作の構想を練りながら、邪道作家は今日も作家足り得るのだった。

 
 
 

 
 
 






あとがき

何かに救われたいと思ったか?

私は無い。そんな暇すら無かった。まして、よくわからん奴等は間違い無く個人的な憂さを晴らす為に、邪魔をしているに違いない。

嫌な奴等だ。魂が腐ってるんじゃないのか?


さて、偉そうな綺麗事は皆聞いた事くらいはあるだろう。だが、実際に連中に救われた奴などいないし、まして苦しい時に助けは無い──────そういう時に、綺麗事は無意味なゴミだ。

少なくとも、連中に「語る資格が欠片も無い」事実だけは確かだ••••••苦しんだ事の無い奴に、今苦しむ存在に対して「苦しみの先」を語る資格などありはしない。

大体が連中の事なぞ、どれだけ敬虔なフリをしても、誰一人として信じてなどはいないのだ──────あくまで「人間と違い強大で救いをくれる」と「利益」をチラつかせて、しかも「逆らう奴は地獄行き。輪廻転生して苦しむだろう」と「脅し」をかける。 

その点は、似ているかもしれない──────読むだけ読んでおひねりも払わない奴は、片っ端から地獄行きだ。

やはり力による圧政か? 結局のところ神仏だの政府だのも、力有りきの概念だ。まして弱者の綺麗事など聞かれもしない。


あくまで「力」だ。間違えるな!!!


誰も、救いを信じないからこそ、逃避の為に信じると叫ぶ。であれば、「救い」とはとどのつまり「搾取」の別名なのかもしれない。


やれやれ、世も末だ。訳のわからない逃避の為の物語や、念じるだけで人生が変わるなどと妄想患者が増えていく。

その中で、非人間なりの真実を語る──────意味があるのか? 少なくとも無銭通読者は増えてるらしい。

嫌な噺だ!! 割に合わないのは確かだろう••••••それでも、私は書き上げた。

シリーズ完結、23冊500万文字。

シリーズ以外にも書いたので、それくらいを書いたのは確かだ。最も、現状一円足りとも払われてないが。


まさか、だろう。無銭通読して払いもしない恥知らずのカスみたいな読者が、いるわけが無い──────振込は札束で頼むぞ。

おひねりはいい。金を派手に使えば運気も向くし、お互い得して一石二鳥だ。そも10冊を超えて読んでいるなら、例えあとがきだけを盗み見る奴だとしても、当然の義務としての行いだろう。

さあ、構わないぞ。読者の懐を見せてくれ。


高額なおひねりは、それなりのご利益が出る事だろう───腰痛、肩のほぐし、邪魔者の排除から人間関係の洗脳までお構い無しだ。


間違いない!! 手段は選ばないからな!!


さあ、ご利益が欲しければ払うがいい。
無論金額次第だ、金は貰う!!!

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邪道作家 例の記事通り「悪運」だけは天下一だ!! サポートした分、非人間の強さが手に入ると思っておけ!! 差別も迫害も孤立も生死も、全て瑣末な「些事」と知れ!!!

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