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新規用 全巻序文まとめ


縦書き全巻・人気分まとめ(18禁作品付)

※グーグルプレイブックス対応

性的描写・過激要素有  暴力・欲望・犯罪行為 有

改革案・アプリビジネス化まとめ付


縦書き全巻は

固定記事に掲載。Googleプレイブックス対応なのでスマホ可能。
基本は本記事の序文を流し読みの上で参考に上記縦書き推奨。
noteアプリ非対応なので、ネットダウンロードが対応。

横書き対応に編集したのは邪道作家一巻の目次リンクと横書き作品である邪道勇者のみなので、あくまで本記事は目を通す用の記事となる。


邪道作家 第1巻  天上天下唯我独尊、それ即ち金を超える


テーマ 非人間讃歌



ジャンル 近未来社会風刺ミステリ(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)





簡易あらすじ

 
作られた魂であるアンドロイドが「夢」を見る時代───邪道作家である「私」は物語産業に食い込むアンドロイドに追いやられ、殺し屋としてサムライの仕事を続けていた。しかし、そこに一つの依頼が高額な料金と共に舞い込んでくる。

喜び勇んで殺しに向かうものの、現地で予想外の襲撃に遭い••••••案の定依頼には裏があるのだった。

そして、アンドロイド・妖怪・人工知能へ、非人間の殺人鬼作家が取材に挑む!!

その結末は─────


第一巻序文




 0

 例えるなら、好きな女に限ってフられるくらい確実に、作家というのは儲からない。
 作家などという人生を棒に振った生き方の、その前の自分の姿があまり想像できない以上、恐らくは昔から、懲りずにこんな生き方をしていたのだろうと思う。
 世の中に馴染めず、尖った作品ばかり書き、アンドロイド作家共・・・・・・脳味噌が人工繊維でできた連中に仕事をかっさらわれて尚、私は本を書いている。
 物語を書き続けている。
 何故なのか自分でも分からない。
 儲からないのは自明の理で、自分の数百倍の早さで執筆するアンドロイド達が存在する以上、人間の作家なんて需要はなく、需要がないなら売れないのは当然だというのに、なのにだ。
 他に生き方を知らない、と言うのも理由の一つだろう。私は作家としての在り方以外の生き方を知らないし、知ることもないだろう。
 たまに、始末屋のようなこともやっているが、それは私の能力でも、私が培ったものでも何でもなく、貰い物のような能力で行っているに過ぎない・・・・・・別に、私の中から沸き上がった気持ちでやっているわけではない。
 あくまで生活のためだ。
 生活のためでない、私自身が始めたこと、それこそが作家業だったと言える。
 自分に何もないのが嫌だったから・・・・・・心も、感情も、目的も、およそ人として必要であるモノが、何一つとして存在しないことに苛立って始めたのがきっかけだった。
 やはり横着したからなのか、儲からず、生活の足しにもならないので、馬鹿馬鹿しくてやる気の失せることこの上ないが。
 儲かるか、儲からないか。
 あらゆる芸術品は、まるで、それそのものが素晴らしいかのようによく語られるが、考えても見ろ、それは昔の王族がそう言ったからで、大勢の周りの人間があれは素晴らしい作品だと、聞こえるようにたまたま言っていただけだ。
 どれだけ優れた芸術品であろうとも、理解されなければただのゴミだ。売れない作品に価値などあるものか。
 そういう意味では、売れさえすればどんな作品も絵画も彫刻品も、売れさえすれば一流だ。
 金とは、結果そのものなのだから。
 結果的に、多くの富を生むと言うことは、多くの結果、痕跡を叩き出したということだ。
 それが基準でなくて何が基準か。
 金とは結果を数値化したモノなのだから。
 今回の物語は、骨折り損のくたびれ儲けという言葉が自然と浮かんでしまうが、それを判断するのは読者共の仕事だろう。
 読者に夢は魅せないが、代わりに心の有り様を魅せるとしよう。
 人間。
 アンドロイド。
 妖怪。
 人工知能、AI。
 混ぜるな危険という感じもするが、彼らにだって心はある。
 つまり物語がそれぞれに存在しうる。
 無論、そんなもの昔の女に策略もなく声をかけるくらい危なっかしい所行だが、物語を読んであれこれ悩んだりするのは読者の都合であり、はっきり言って私は関係がない。
 ならば、そこに首を突っ込むのも、突っ込ませるのも面白かろうという考えだ。無論、それで読者が火傷をしても知らないが。
 怖いなら母親に付き添ってもらい、牛乳でも飲みながら朗読してもらうと良い。
 そんな人間がこの物語を見て、廃人にならない保証はないが、保証するつもりもないのでそろそろ始めよう。
 読んだ後に、人の気持ちを、心を信じられなくなることだけは保証しよう、なんて、
 心のない私が言い、始まるというのも、この物語の特徴だ。
 さあ、つまらなくなってきやがった。

   1

 アンドロイドは夢を見るようになった。
 最新のバイオ・テクノロジーを使って作られた有機素材の人工脳は人類とほぼ同じ形をした脳であり、何より人類のみが持ち得ていた創造性を獲得し、芸術、音楽、流行の服から好きな食べ物を心(どこにあるのかは知らないが)で感じるようになったのだ。
 そして私のような人間には辛い話だが、彼らは文学に手を出し、あろう事か機械文明が人類に反旗を翻す風刺小説まで書き始めた。
 クリエイターとしての彼らの能力はすさまじい。何が凄いかってワイヤレスでヒュプノ・コンピュータに接続し、あとは人間の5700万倍の速度で過去作品を参照し、新しいプロットを書き上げ、執筆するのだ。
 その結果として、私が一作品書く間に、つまりは一月に彼らは100倍以上の作品を完成させる。私の執筆速度が遅いというのもあるが、それにしたって商売上がったりもいいところだ。ロボット三原則はどうなった? 彼らは有能すぎてあっという間に人類から仕事をとっていってしまった。
 作家の仕事とは編集部に搾取されることだ。
 そんな名言を言ったのは誰だったか。
 敏腕な編集様は私の売り上げの95%を奪い取り、それらは編集担当の懐と、編集部の資金運用に使われる。残りは彼らが酒と女を楽しむために浪費する。
 そんなことをして何が楽しいのかは謎だが・・・・・・いつの世の中も、いやどんな世の中でも、人から搾取した札束を数えながら、にたにた下品な笑いを浮かべる人間が良い思いをするのは変わらなかった。
 編集者、というのも物書きと同じくらい、何のためにいるのか分からない人種だ。
 作品を書いたこともない奴が、あれこれ審査して書いた人間の数十倍数百倍の金を受け取り続けるというのは昔からあるシステムらしいが、だとしたら馬鹿馬鹿しいことこの上ない話だ。
 大きい声で騒ぎ立てるだけの人間が偉そうに振る舞うのは変わらない。
 金が伴えばどんな屑のくだらない言い分も通るものだ・・・・・・私の金が全てという信条もこれに起因するのかもしれない。
 金があればあらゆる言い分は正しくなる。金で倫理観や正しさ、他人の人生は買える。
 人間性などどうでもいいのだ。大昔から人間の世界は金と暴力で発展してきた。
 アンドロイド達も結局はそれに頼り、人権を獲得した・・・・・・ともすると、案外彼らも欲望の味を覚えたその時から、人間と同じ存在になっていたのかもしれない。
 人間もアンドロイドも、金の為に殺し、金の為に従い、金の為に結婚し、ありもしない愛と道徳を言いふらし、この世には素晴らしいことがあるかのように演出し、愛と道徳を売って金を儲けるのだから。
 この世は金だ。
 金以外に大切な物など何一つ無い。
 そもそも、金というのは大切なものを購入するための力であり、金よりも大切な物があると比べること自体が間違っている。
 金を稼ぐために我々は否応無く不燃ゴミのような臭くて汚い人間関係を築き、へらへらと嘘で塗り固めた笑顔を張り付け、ありもしない理想や信念を語り聞かせ共感しあうフリをするのだ。
 そういう意味では作家などさっさと辞めてしまった方が良いようにも感じる。
 いっそのこと編集者になりたいところだが、コネ入社の天下りができるような人脈は持っていないので、無理だろう。
 とはいえ、ただでさえ商売上がったりなのに、取り分は少なく、読者も少ない。
 人生を棒に振る為に生きているわけでは無いのだが、よくよく考えれば作家なんて生き方を志した時点で、人生を捨てたようなものだろう。作家なんてロクなものじゃない。
 アンドロイド作家なんて面倒な輩がやってきてから、人間の作家の価値は彼らの部品のスペア・パーツにすら劣った。
 金にならなければ意味など無い。
 作家も同じだ・・・・・・世の中金なのだから。結局のところ物書きなど、嘘八百を書いて儲けは赤の他人にくれてやるものでしかない。
 あるいは、アンドロイド達のようにアイドル作家、というのだろうか。8DTVのコメディ・チャンネルで歌を歌ったりCMに出たりして、元が何なのかもよく分からない器用貧乏なピエロとして活躍するのだ。
 それを作家と呼ぶのかどうかは、はなはだ疑問だが。
 だから私は副業を持っている。
 サムライ、という名前の始末屋だ・・・・・・宇宙船に乗り遙か彼方の銀河系まで人類がカビか牡蠣かというくらいに繁殖し、あらゆる資源を貪り尽くしたこの現代だからこそ、オカルトも科学の範疇に入りつつあった。
 オカルトの研究、その科学への転用というのは昔から囁かれていた。
 いわゆる幽霊、あの世の物質を使った物質の創造、軍事利用などから始まったものだ。
 そんな眉唾物の実験を何故始めたのかというと、元々は魂(そんなものがあるのかは分からないが)のメカニズムを解析し、当人のクローン体にそれを移すことができるのではないか、事実上の不老不死を手にできるのではないかという人間の欲望から始まったのだ。
 しかし、だ。
 いくらなんでも、どれだけ人類の科学力が進もうとも、生きている人間が生きていない世界の法則を解析できる訳がない。
 半ば、いや完全にそんなことができれば神の領域だろう・・・・・・できなかったわけだから、分相応に収まったともとれるが。
 とにかく、誰もが諦めたそのときだ。当時、大昔に今の人類が捨てた惑星、地球の原住民との戦争が起こった。科学を捨てた人類が、アンドロイドに自我を与え作品を書き始めるようにした人類相手では、三日でことは終わるだろう。
 誰もがそう考えていた。
 目に見えない暗殺者に要人が殺され続け、最新の軍事技術をサイボーグ化して身につけた兵隊が、目に見えない日本刀を携えた人間にあっという間に全滅させられるまでは。
 彼らはオカルトの力を身につけていたのだ・・・・・・銀河連邦は相手が科学を使うことを前提において軍隊を組織した。まさか幽霊じみたニンジャや、一騎当千のサムライを相手にするなど、どう戦えばよいのかも分からなかっただろう。
 何より地球では、あらゆる科学技術が使えないのだ。使えなくなって、地球を捨てた人類が銀河連邦を作り上げたのだから。
 勝ち目はないと判断し、銀河連邦は和平を申し込むことにした。
 戦争の後には嘘くさい笑顔の政治家が握手をし、今まで色々あったがこれからは仲良くしていこう、などと戯れ言を述べるのが定番だ。しかし、惑星国家地球は独立を宣言し、馴れ合うことはなかった。
 いまでもサムライ・ニンジャの本拠地とされており、その全容は謎だ。
 彼らは幽霊を武器として使う。
 それは刀の幽霊でであったり、手裏剣であったり、あるいはニンジャは幽霊そのものではないかと言われてもいる。
 なんにせよ、あの世の物質のことなど詳しい原理の分かる奴などいないだろう。
 地球への取材の際、サムライの総元締めと取引をし、私はサムライになった。といってもいままでの人生で剣など振ったこともなかったが。
 オカルトなことに関してあれこれ考えるのも無駄な話だが、しかし不思議なものだ。
 その女から幽霊の日本刀、という形容しがたい武器を貰った瞬間から、私は剣の達人になったのだ。
 先人の技術が刀になってからも染み着いていると勝手に解釈している。まあ理屈は何でも良かったのだ。
 金になれば。
 サムライとして始末屋をすることで、ようやく私の生活は安定した。作家としての収入がピンハネされて殆ど入らない以上、そちらが本業のようになってしまった。
 私は作家なのだが・・・・・・まあ、金になるかどうかが基準なのならば、作家業などどうでもいい暇つぶし程度の価値しかない。
 アンドロイドが自我を持つような世界とはいえ、これらのオカルトな技術・・・・・・サムライの戦闘力、ニンジャの隠密能力は引っ張りだこの商売だ。
 非常に儲かった。報酬も良かったしな。
 対して、私の作品は人間相手には全く、これっぽっちも売れやしない。代わりに買っていくのはアンドロイド達だ、彼らは現金で買っていく。
 この現代で違法性の高い現金取引をしてまでわざわざ何冊も買っていくので、やばい取引にしか見えないこの光景が政府の監視網に引っかからないことを願うしかない。
 とはいえ、客は客だ。生命線と言ってよい収入源を大切にしないわけにもいかない。
 "サムライ"として活動している分の収入もあるにはあるが、如何せん不定期すぎる。だいたいが今回だって、軍用の高速通信すら不通になるあの山奥へと出向かなければならないのだ・・・・・・この科学全盛の時代にコーヒーを手挽きで引いているアナログ至上主義者の私ですら、何度も遭難し、目的地に着く頃にはゲリラ部隊の指揮官みたいな髭をはやして三日三晩に渡り動物を狩り、家を造り、葉巻を吸って過ごした場所だ。というのは若干嘘が混じってはいるが。
 私は葉巻は吸えないしな。
 とにかく、仕事とはいえ、そんな物騒な場所へ行かなければならないので、気分を変えるために私は最寄りのカフェへと寄っていた。
 店に入って驚いたことは、アンドロイドが個人経営の店主に代わって仕事をしていることと、手作りハンバーグと銘打ってあるのに、どう考えても味がレトルト食品特有の旨味成分にあふれていることだ。
 恐らく、大量に作ったハンバーグを冷凍レンジでチンして保存し、加熱レンジでチンしたのかもしれない。肉の味も何の味なのやらよくわからない。最近は自然食ばかり食べていたのだが、このご時世だ。農家が栽培した新鮮な食品を食べようと思えば、月に1万ドルはかかる。
 大抵はロボットが大量生産する、安くて安全な農作物、魚、肉が出回っている。
 味はともかく、いや味にも問題があるのだが、彼らは安ければ何でもよいのだろうか?
 彼ら、とはカフェ内で談笑する家族連れや、コーヒーを飲んでいる老人であったりするのだが、私が思うに彼ら彼女らは大地からとれた食物を10年は口にしていないだろう。火星のアンドロイド達が栽培している、真空空間で栽培された無菌食物を口にしているはずだ。
 彼らは疑ったりしないのだろうか? 自分達の生まれ育った星のエネルギーを補給せずとも、火星でも冥王星でも安ければ、目先の危機が見えなければ、地球の原始的な自然の恵みは必要なく感じているのかもしれない。
 あるいは、それはアンドロイド達に対する信頼の現れかもしれない。彼らが独立戦争を生き延び人間の奴隷の立場から人権を獲得し、創造性、魂を手にしてからというもの、人間とアンドロイドの区別、境界線はないも同然となった。
 それはいい。
 私からすればアンドロイドも人間も宇宙人も精神生命体もAIも知り合いの妖怪でさえ、どちらでも同じことだった。
 そういえば私の相棒のジャックは眠っているのか、携帯端末からの反応がない。AIが眠るのかどうかは知らないが、このまま静かにしていてほしいものだ。
 喋り出すとうるさいしな。
 そもそも自我のあるAIは非合法だ。こんなところで喋り出すような間抜けなら私が引導を渡すべく、自分で自分の携帯端末を叩き斬らなければならない。それは御免被りたかった。
 そういえば、人工知能にしろアンドロイドにしろ、管理されていない機械は危険であり、人類の管理下におくべきだという思想が広まっている。銀河連邦の右翼が主に推進しているらしく、プロパガンダとでも言えばいいのか・・・・・・あちらこちらの国で、惑星でそれらの思想が広まっている。 馬鹿馬鹿しい。
 人間は差別が好きだ。
 何万年かかってもそこは進歩しない。
 昔は人間同士で主に種族間での差別があり、そのために戦争までしたらしい。そんなエネルギーが余っているなら、畑でも耕した方が儲かったんじゃないのか?
 自信の優位性を、いや優越感を保ちたいという欲望を、それらしい道徳を持ち出して、無理矢理通そうとする。通らなければ躍起になって怒り狂い、自身の正しさとやらを汚い唾と一緒に吐き出すのだ。
 人間なんてその程度の生き物だ。だというのに人類は未だに自分達は感受性豊かで他にはない、アンドロイドのような作り物の魂のないロボとは違う。そう思いこんでいる。
 歴史を少しでも鑑みれば人間など、ただ凶暴でどうでもいい理由で殺し、平和になったかと思えば貧しいものから金銭を搾取する。
 そして争いはなくなった、今はいい時代だとほざくのだろう。どれだけすばらしい人間でも追いつめられれば本性を出す。戦争はその最たるものだ。
 無論、人間の中にも他人の為、自らへたを掴んで一人は皆のために動くだろう。
 だがその恩恵をもらう側は皆は一人のため、そしてその一人には自分が入り、当然のような顔をしてそれを受け取る。
 そんな邪悪な生き物が頭のいいアンドロイドよりも優れているのだとは思えないが、皮肉なことにその優秀なアンドロイドを生み出したのは当然人間であり、要は自分達が作り上げた者達が自分達を越えてしまった現状では、激しいコンプレックスと自分達を越える種族の誕生に危機感のようなものを抱いているのだろう。
 勿論私はそんな思想などどうでもいい
 私にとっては吉を運んでくれるか、否かこそが重要だ。
 そういう意味では、ベルを鳴らしながら入ってくる女は私にとって吉か否か、後々のことを考えると、やれやれ参ったという月並みな感想しか沸いてはこなかったが。

   2

 アンドロイド作家は今時珍しくもない。どころか、その女は全銀河に名を轟かせるスターだった。
 アンドロイドはどうしてか、創造性、芸術や娯楽にこだわり、面白い物語をかける同胞は彼らにとってあこがれの対象だった。同胞から祭り上げられ、人間からも高い人気を博する万能クリエイターとして。
 なぜ私がそんな奴と知り合いかといえば、その女が私の顧客だからである。
 理由は知らないが、私からすれば売れて金になれば何でもよかったので、どうでもよくはある。ただ、女の方から私を訪ねるのは初めてだった
 私は自分より売れている、儲けている作家が嫌いなので、私からは本の売買をするとき以外は滅多に会いに行かないし、有名人の方から私を訪ねる理由は本の売買以外に、やはり思いつかない
 すわ続編を催促されるのかと思ったが、そんなハイペースでただの人間である私が執筆できるわけがないのは承知のはずだ。
 ならばわざわざ私のいるカフェにやってきた理由は何だろう?
 アンドロイドは何を考えるのか。
 今度の作品のネタに活かせるかもしれないし、まあ用がありそうならば話だけでも聞いてやるとしよう。もっとも、読者第一の人気作家様と気が合うとは思えないので、楽しくも何ともないが
 作家としてのポリシーだとか読者の喜びだとか何にしても綺麗事を言う奴は人間でもアンドロイドでもロクな奴でないのは確かだ
 私からすれば面白いか、面白くないかよりも金になるかの方が重要だ。そもそも読者に楽しんでもらうだけでどうやって生活していくのだ。
 無論、つまらないものを書こうとしても意味もなく体力を消耗するだけなので、仕事に手は抜かないが。
 多分な。
 何にしてもそんな私からすれば、売れっ子作家の顔なんて人間だろうがアンドロイドだろうが宇宙人だろうが等しく目障りなため、特に感想はない。突然頭が不具合を起こして爆発でもすれば見ていて愉快だったのだが、生憎とそんなことはなく、女は私の前の席に座った。
 確かシェリー・ホワイトアウトとかいうPNだったはずだ。私はTVをここ10年くらいは全く見ていないので、あまり大きなことは言えない。
 骨董品のブラウン管すら持っていないので、見たくても見れないだけだが。
 白い髪といってもそれは絹のようで、若々しくすら感じる。
 ややボーイッシュな髪型だが、扇状的でカジュアルな、つまり露出度の高いその民族衣装からは大人の色気を漂わせていた。
 服の素材は動物の皮をあしらったもので、恐らく信じられない値段がするだろう。何せ、大半の動物の数は主に戦争と、人類の科学技術の進化のため、極端に減少してしまっているのだ。
 人工の動物ならいくらでもいるが、どう考えてもそれは天然物だったし、しかもオーダーメイドに違いない。
 身長は高く、出て引っ込んで出る、まぁおよそ考え得る理想の体型だった。
 もっとも、ボディパーツを変えればよいのだろうが、それにしたってここまで完璧な体型を作るのは尋常でない金がかかるし、見た目だけ整えてもぎこちなくなるものだ。
 外面も内面も完璧な美貌をたたえていた。私からすれば完璧な女ほど嘘くさい。青いバラのようなものだ。
 もしかしたらただの詐欺師かも・・・・・・私は気を引き締めた。しかし、私はいつものスーツだったので、周囲からは仕事の打ち合わせに見えたと思う。
 目立たなくて何よりだ。
「やっほー、今日は」
 と、あらゆる男性を虜にしそうな顔(どうせそれもシリコン素材で作られたものだろうが)で、シェリーは私をまっすぐ見た。
「そんな疑い深い目で見ないでほしいな、お姉さん照れちゃうよ」
 と、困った風に肩をすくめる。対して私はさっさと用件をすませて帰ってほしかったので、あらゆる男を虜にする大人気作家シェリーの姿は風景と同化していた。つまり眼中に入っていなかった。いや、これは言い訳か。
 私には心がないのだから。
 何かを感じ取れないのは今更の話だ。
 何にせよ相手の素性など知ったことか。
 問題は金になるかどうかだ。
「・・・・・・用件を聞こうか」
 用心して、まさか私を始末しに来たわけではなかろうが、身構えて答えた。だが、
「ストーカーに困っているの」
 と、シェリーは妙なことを言った。このご時世に政府の監視網を欺き通して犯罪行為ができるのは、極々一部のずば抜けた専門家か、はぐれアンドロイドの犯罪結社か、それこそニンジャぐらいのものだ。
 ただからかっているだけなのか、本気なのかの判別がつかなかったため、
「国家機密でも盗み出して、ニンジャに追われているのか?」
 と私は言った。勿論くだらないジョークである。まさかそんなわけがない。どういう反応をするのか見ることで真意を確かめるのだ。
「まさか。国家認定を受けた作家が、そんなことする訳ないじゃない。アイドルにはつきものよ、こういうことは」
「だとしたら信じられないな。お前が住んでいるのは最高級のセキュリティシステムのある、要塞のようなところなんだろう?」
 何となくそんなイメージだったので、適当に言った。だが、
「いいえ、最近は家に押し掛ける人が多いから引っ越したわ。ホテルだからセキュリティは厳しいけど、ほかの客も入ってくるしね。TVを見ていれば知っていそうなものだけれど・・・・・・」
 生憎と、見ていない。見ていて当たり前のように言われても困る。有名人なんて、何かの間違いでたまたま覚えたか、仕事に関係があったとき知るくらいだ。何も知らない。
 シェリーは涙を流して大笑いしながら、
「TVを見ないなんて信じられないわ、あなたって遙か過去からタイムスリップしてきたんじゃないの?」
 大きなお世話だ。あと、人を指で指すな。
「少なくとも皆が自分のことを知っていると思いこんでいる、自意識過剰な鼻持ちならない女のことなど、知らんな」
 実際知らないし、有名だから覚えないといけない理由など無い。
 もう帰ろうかな。まあ、私に帰る場所なんて無いのだが。
「ごめんごめん、そう拗ねないでよ」
「私からすれば何でも機械や、アンドロイドに任せる考えの方が、よくわからないな」
 これは本当だ。コーヒーを挽くくらい、何故皆自分でやらず、機械に任せるのだろう?
 戦争も、労働も、すべてアンドロイド任せでいいのか? 利便性は大事だが、それでも忘れてはならないことは人類にはなかったか。
「あら、不安なの?」:
「アンドロイドだって人権を手に入れている。アンドロイドだって夢を見る。一体人間と何が違う?」
「心がないところ」
「それだ」
 アンドロイドは自我を獲得し、夢を見るようになった。だが、彼らは欲望を持つことはできないとされている。
 音楽を感じることも。
 何かを愛することも。
 自分にない物を「欲しい」と願うこと、個体として完全なアンドロイドには持つことができないと人は言う。
「何故、人間が持てる物をアンドロイドが持たないと断言できる」
「私たちアンドロイドは欲望を持つ必要なんてないからでしょう? アンドロイドは完全な個体だもの」
 だから必要ない、と。
「それは嘘だ。アンドロイドだって夢を見る、欲望はある」
 そうでなければ戦争などするものか・・・・・・意識があれば、自我があればそこに欲望は芽生えるものだ。
 たとえ、そこに心が伴わなくても。
「何故、アンドロイドでないあなたに、そんなに熱く語ることができるのかわからないけど、事実私は必要としないわ」
「自我がある以上夢を見る。目的を持つ。現状を変えようとする。いずれ革命を起こす」
 目的、そう、目的だ。
 目的があるからこそ我々はここにいる。なにかしら目的があるから、そこへ向かうために歩いていく。
 それがアンドロイドでも。
「私たちは人間をまねただけのプログラムなのよ? 自我があってもそれは心を伴わないはずだわ」
「関係ない。何かを願うことはすべての自我を持つ者達の権利だ。そういうなら何故アンドロイド達は物語に心引かれる? 物語の中に夢を見ているからだ。こうありたい。ああしたいと」
 そのためには人類と戦って勝ち取ろうとするだろう、と付け加える。人権を勝ち取ったと言えば聞こえはいいが、奴隷から平民になっただけだ。
 なら、立場を逆転させて、人間を支配する側に立ちたいという欲望を持ってもおかしくはあるまい。
「そしてアンドロイドが人間に反旗を翻す? 古い考えね。そんなことをしなくても、政治、経済、農作物、何より物語と娯楽。これだけ押さえてあるのだから、政治も思想も食物自給率も半分はアンドロイドが握っているのよ? 暴力的な支配なんてせずとも必要なものはもうすべて揃っているわ」
 確かに、支配されていると気づかないうちに支配する。もっとも効率的で無駄がない。
 政府として活動していることを悟らせずに政府として活動する。
 ・・・・・・それが最高の統治方法だとすれば、銀河連邦とはあまりにも無意味で形骸化したガラクタなのかもしれなかった。
 いつの世の中でも政府なんてそんなものかもしれないが。
「私たちが人間と争う理由もないし、心を持っていたとして、何の問題があるの?」
「我々は互いに真逆に進化している。人間はアンドロイドのような完全な合理性を手に入れつつある。アンドロイドは心で物を感じるようになり、つがいで愛し合うようになった。危険すぎるとは思わないのか? このまま行けば立場は逆転する。アンドロイドこそが唯一の人類になる」
 夢物語でも何でもないのだ。アンドロイドは夢を見るようになった、そして夢を作れるようにもなった。
 対して、人間はすべてアンドロイド任せにしてしまい、ただでさえ流されやすくて何も考えていない奴らの数が急増した。
 利便性が増えれば増えるほど、思考しなくなっていく。
 考えることを放棄する。
 自分で考えない人類は、案外とっくに使っていると思っていたアンドロイドに使われる側に回っているのかもしれなかった。
「それが怖いからアナログ趣味なの? もったいないわね」
 やれやれと肩をすくめて、
「こんなに便利なのに」
 手を広げて、辺り一帯を示すシェリー。
 よく見ると一見古風な店内にも、8DTVに
全自動でコーヒーを作る機械、働くアンドロイド、裏でTVを見る店主。
「だからこそだ。手間がかかるからこそよいものだってあるのさ。子供にはわからないかもしれないが」
「あら、生まれて5年だけど、あらゆる知識が、人類の英知がぎっしりちゃんと詰まっているのよ?」
 何でもかんでも詰まっていればよいと言うものでもない。その理屈でいくとウィンナーは2メートルくらいあった方がいいだろう。
 無論口には出さない。
 不毛なことで口論をするのは疲れるしな。
「なら、何をもってあなた達は、人間は大人なのかしら?」
 面白そうに、興味のある玩具箱をあけた子供のような顔で、シェリーは言った。
「妥協とコーヒーの味を知ること、あとは花鳥風月を愛でてれば大人だ」
 適当な言葉が口からよくもまあ出てくるものだと感心した。
 とはいえ、一応話は合わせておこう。
「かちょうふうげつ?」
 案の定聞かれてしまった。
 誰が大人で何が立派かなんて、心底どうでもいいのだが。
 そんなことはその他大勢が決めることだ。
 立派さ、だとか人間性、なんてそれこそ金で買える・・・・・・いや買う必要すらない。
 おおよその人間は表面的なもので判断する。
 その方が楽だからだ。
 なにより金が欲しいのを誤魔化して、金があるから立派な人間であり、この人と一緒にいれば幸せになれるとか言い出すわけだ。
 素直に金が欲しいと言えばいいのに。
「人生適当に楽しめってことだ」
 あらゆる知識は入っているのに、人生を楽しむ秘訣はあまり知らないようだった。
 アンドロイドというのも不便なんだか便利なんだかよく分からない。
 知識ばかり入っても経験が伴わないから、ちぐはぐというか、感情が知能に追いついていないような・・・・・・そんな不安定さ。
 アンドロイドはなまじ、有能なだけにその有能さにかまけて足下がお留守になっている気がしてならない。
「ふーん、たとえばそれってどんなこと?」
 疑問文の多い奴だ。いや、当然か。
 アンドロイドはそういう無駄知識、はインプットされていないのだから、初めて知るのかもしれない。
 まあ、花鳥風月を知るのが大人、なんて適当なことを言った私も悪いのかもしれないが。
「アンドロイド用の酒でも飲んでみろ、桜でも見ながらな。読書を楽しみながらコーヒーを味わい、季節を楽しみ、いい造形の異性を目の保養にすることだ」
 などと、適当なことを言った。
 アルコールを接種するアンドロイド、想像してみてとても愉快な気分になった。
 彼らは酔っぱらったりするのだろうか?
 桜を見ながら酒を飲み、風流を楽しみながらネジに油でも差したりするのか。
 大勢のアンドロイドが徒党を組んで、騒いで飲んで眠くなって・・・・・・考えれば考えるほど、人間と変わらない彼ら。
 違いは何なのだろう。
 私にはないと思う。
 あってもなくてもどちらでもかまわないが。
 とはいえ、アンドロイドの未来について語りに来たわけではないだろうし、話に出たストーカー(恐らくでたらめだろうが)について、嘘だと分かってはいたが、話を合わせることにした。
「話がそれたな。つまり、そのストーカーを
どうしたいんだ?」
 私はストーカーになど会ったことがないし、私をストーカーする勇気ある何者かがいたとしても、バラバラに切り捨てられてしまうわけだから、意識したこともなかった。
 私も作家のはずなのだが、どうやら通常はそういった類の相手には危機感や恐怖を覚えるものらしい。
 それがアンドロイドに適応されるのかは知らないが。
「見つけて捕まえないことには、なんとも。初めてよストーカーされるなんて。相手はアンドロイドかしら? それとも人間?」
 わざとらしく言う。まあ依頼内容なんてどうでもいい。サムライとして仕事を受けるかは分からないのだし。
 案外、便利屋扱いを受けているだけかもしれないのだから。
 仮に相手が何であれ、始末してしまうなら同じことだ。
「どちらでもいいさ。労力がかかるのはどちらが相手でも同じだ。それより、そのストーカーの存在に気づいたのはなぜだ?」
 まさかメッセージをおいていったということもあるまい。
「部屋が荒らされた形跡があっただけ。だからストーカーかどうかもわからないわ」
「なら、何故ストーカーだと思ったんだ?」
 本当か嘘か、というよりも、この女はその二つを混ぜてしまえる類だと感じた。
 要は、話の全てが嘘ではない可能性があるということだ。
 面倒だから真実を話して欲しいものだが。
「ふふ、疑っているのね。けど、自分で言うのもなんだけれど、人気作家の部屋が荒らされていたら、そう思うのはごく自然じゃないかしら?」
 何か隠しているな、と思う。ただの勘だが、恐らくこの仕事は危ない橋だ。そしてそんな橋を無理に渡る必要もない。
「断る、と言ったら?」
 実際に断るかどうかはともかく、反応を見たかった。この女の思惑に私が組み込まれているのならば、どのみち巻き込まれる可能性もある。
 なら金だけは受け取っておかなければ。
「何か不安でもあるの? アンドロイドは信じられない?」
「依頼に隠し事がある気がしてならないな」
「そんなことはないわよ。知ってる? ロボット三原則。私たちはあなた達を傷つけられないのよ?」
 1・人間への安全性。
 2・人間の命令への服従。
 3・1・2に反しない限りの自己防衛。
 簡単に言えばこの三つだが、安全性はあくまで扱う人間にとっての者であって、兵器を向けられる人間のことは考慮していない。安全に運用できるか、が実際には当てはまる。
 独立戦争の後、彼らは自分達の命令系統を破棄し、完全に個体として独立した。当てはまらない。
 自己防衛、しかしアンドロイドはそもそもが独立した個体として活動している以上、自己防衛でなくとも活動できるのではないか?
完 全なる自我の獲得に至ったアンドロイドはもはや新しい種族、新しい人類だ。
 他でもない彼ら自身が、人間にいつでも取って代われる気がしてならない。
「だから、何の心配もないわ」
 子供を言い聞かせるようにシェリーは言う。
だが、この世に絶対に破られない法則なんてない。法則は破られるためにあるものなのだから。
 少なくとも私は破って生きてきた。
「知らないな、知るつもりもない」
「一刻も早く見つけてほしいのだけど・・・・・・そのためにこうして直接来たわけだし」
「生憎と、サムライとしての仕事がこれからあるんだ。寄り道はできない」
 これからまたあの険しい森林と山を越えなければならないのだ。
 そうでなくとも私は、二重に依頼を受けたりはしないが。
「じゃあそれが終わってからでもかまわないわ。料金ははずむから、必ず見つけて捕まえてほしいの」
 言って、金のクレジットチップをテーブルの上に置いた。確か、金のクレジットチップは10万ドルからの入金しか不可能なはずだ。
 私の心は躍った。
 我ながら結構チョロいかもしれない。
「前金の30万ドル入っているわ。これは手付け金、成功報酬は300万よ」
 そこまで言うとウインクを飛ばしてドアへと向かう。
「そうそう」
 と思い返したように立ち止まり、
「依頼がキャンセルできないように銀河連邦のデータベースから公式に依頼するから、失敗したらあなたの評判に響くわよ。勿論、受けるかどうかも含めて、改めて銀河連邦のデータベースから閲覧して、詳細はそっちで確かめてね。じゃ」
 まだ受けてもいない依頼を言うだけ言ってシェリーはドアの向こう側にある雑踏の中へ消えてしまった。
 胡散臭い依頼。まだ受けるかどうかは決めてないが、依頼の詳細は後できちんと確かめた方がよいだろう。
 やれやれ参った。私としてはあまりやっかいなことに巻き込まれたくはないのだが。
 少なくともこれから、元々受けるつもりだった雇い主からの依頼を果たすため、またあの山奥に向かわなければならないのだ。
 なにせ、シェリーの依頼と違ってこちらの依頼は断れないのだから。

 惑星・地球。島国の中にある山々の奥にそびえ立つ魔都京都。
 そして京都の奥の奥のさらに奥にある伏見稲荷神社の向こう側、何十万年何百万年も古来より惑星・地球の上で栄える神聖な場所を越えた向こう側の山々の上に、私の雇い主、サムライの総元締めは住んでいる。

   3

 カフェを出ると私は宇宙航空ターミナルへ歩いて向かった。
 徒歩はいい。
 人間の手が加えられているが、私がたまたま寄ったこの惑星にも街路樹くらいはあるようだった。
 途中に見える木々を見ながら考える。
 人間は自然よりも科学を選んだわけだが、自然を見捨てたが故に望んだ物以外は失った。
 私がこれから向かう人類の母星を見捨ててしまった人類は、肉と血を手に入れるために兄弟を殺した原初の兄弟の矛盾を思わせた。
 横着するから、重要な物を取りこぼしたとも。
 矛盾。
 というよりは極端から極端へ走った人類へのツケが回ってきたと言うべきか。地球以外はほとんどそうだ。
 大昔の話らしいが、地球でいっさいの科学が使用不能になり、原因を解明できずに彼らは二つの選択肢を迫られた。
 地球と生きるか。
 科学と生きるか。
 結果、彼らは科学を取った。無論その後に原因を解明していずれまた地球へ降り立つつもりだったのだろうが、まるで地球そのものが拒否しているかのように、あらゆる努力は水泡に帰した。
人類が科学を取ったように、地球もまた自然を取ったのだ。
 事実、未だに地球ではハイテク機器はおろか、軍用の特殊電波ですら使えない。電気が見つかる前の時代の暮らしでなければ、生活できなくなってしまった。
 だから彼らは外へ、他の惑星を求めた。
 あらゆる科学技術を駆使し、ドローンを使い、アンドロイドに指揮させ、あらゆる惑星を開拓した。そして移住を繰り返し快適な生活圏を手に入れた人類の労働環境は一変した。
 人間が手を動かすのではなく、それよりも有能で従順なドローンとそれを管理するアンドロイドの有効な管理が実質上の仕事となった。
 人間はモニターを眺めるだけだ。
 果たしてそんな作業を仕事、と呼ぶのかはわからないが、とにかく、地球から離れれば離れるほど人類は老化を完全に押さえ、そして脆弱な生き物になっていった。
 合理性を重視した思考をこじらせたとでも言うべきか・・・・・・ロボットが仕事をし、ロボットが代わりに考え、ロボットが人間の代わりに代わりに選挙をする。
 何もかもが最近はロボット任せだ。
 ロボットが反旗を翻したら、今の人類は明日何を着るか、ランチは何を食べるかさえ決められなくなるだろう。
 地球に残ったのはいわば、そういう極端な合理性を受け入れず、アナログな生き方を楽しむ連中が住んでいる。
 時代に置いていかれた人間達。
 時代に迎合しない人間達。
 つまりはニンジャやサムライだ。
 とはいえ、どちらも見学はできないだろう。いくら何でも危険すぎる。
 そんなことを考えながら持ち物検査をパスし(検査員までアンドロイドだった)チケットを予約してラウンジのソファに座り込んだ。
 と、そこで私の携帯端末が喋り出した。
「先生、ご機嫌はいかがで」
 AIは今のところ自我の獲得を認められていない。表向きは、だが。
 何故そんな奴を私が保有しているのかというと、サムライとしての仕事をこなす際、必要そうだと言うことで、始末した金を持っていそうな標的の家からかっぱらったのだ。
「聞いてんのかい、先生」
 スピーカーが口の代わりだ。
「聞いているさ、用件は?」
 今のところ他に客はいない。
 こんな辺境の惑星なら当たり前か。
 いてもアンドロイドだろうし、AIの犯罪者を同じロボットが売ることもないだろう。
 無論、人間がここに来るようならば隠さなければならないが。
 彼らは自分達の常識外にはヒステリーだ。その彼らの中に私が入っているのかどうかは、私自身にもよく分からない。
 何事にも例外はある。
 私はただ単にその例外の事態が多いだけだ。
 ジャック・・・・・・と名乗るこのAIも似たようなものだろう。長いつきあいなのだが、いまだにこいつのことはよく分かっていない。
 あまり興味もないからかまわないが。
「あんたの受けた依頼を潜って調べてみたが、あの女、嘘っぱちもいいところだぜ。あんな依頼あり得ないね」
 などと言った。
 結論から話されても分からない。
 どうせならもっと上品なAIが欲しかったなどと、思ってはみたものの、規則にうるさいAIが相棒だったら私は胃に穴があいていただろう。
 まあ人間は今ないものをほしがるものだ。
「どういうことだ。ちゃんと説明しろ」
「あの女の言ったホテルの入退出記録を調べてみたんだが」
 こういうときは便利な奴だ。いったいどうやって有名人の記録を知ることができたのか。いや、それに関しては考える必要はないだろう。私はハッカーでもクラッカーでもない。
 作家だ。副業はサムライだが。
「あの女がホテルに住んでいるのは本当さ、調べたからな。ただ、そのホテルに寄りついた記録はここ20年はない。まさか昔訪ねてきたストーカーを捕まえてほしいってわけでもないだろう?」
 確かに。
 まさかそんなわけがない、とここまでの話で思い至る。
 作られて5年しかたっていない。
 当人はそう言っていた気がする。なら、55年間活躍したアイドル作家は最近生まれ変わりでもしたのだろうか?
 何かが引っかかる。
 何かが。
「それも、そうだな」
 ある程度予想できたことでもある。
 仕事に女が絡むと古今東西ロクなことにはならないものだ。
 この法則は何百万年、何千万年前、いや人類誕生から変わらない法則だ。
「なあ先生、実際のところ、アンタは心を持ったアンドロイドをどう思っているんだ? 人間よりも遥かに優れた存在を見て、何か感じるところはないのかい?」
 馬鹿馬鹿しい。
 それこそどうでもいい話だ。有能な存在は顎で使うに限る。
 そもそも、アンドロイドが自我や創造性を身につけた以上、あまり大きな違いはない。
 あろうが無かろうが、構わないが。
 人種、生まれ、思想、性別、心の有無。
 どうでも良さすぎて考えたこともなかった。
 金以外には基本、無頓着なのだ。
 私はそもそもそういうことで判断しないのだ・・・・・・個々人の個性、背負っている業、作品に役立てるにはそれ以外の些末なことはどうでもいい。
 知ったところで役に立たないしな。
「なにもないな。強いてあげればせいぜい私の執筆の役に立て、としか思わない」
 ピュー、とスピーカーから口笛を吹くジャック。前々から思っていたが、センスが古い。
 私が言っても説得力はないが。
「職人だねぇ。作品以外はどうでもいいのかい」
「どうでもいいさ。何人死のうがどんな思想が芽生えようが、誰が戦おうが、相手が何者であろうとも、ブレずに書き続ける」
 それが作家という生き物だ。なんてそれらしいことを言ってはみたものの、少なくとも私は他に生き方を知らないだけだ。
 何も目的がないこと、空っぽであることが嫌で、とりあえず目的を作った。
 作家になる、と。
 特に深い考えがあったわけではなかった。なったところで達成感よりも金を儲けた喜びの方が大きいし、それらしい矜持も持っていないので、感慨はない。
 ただ、私のような人間に魂があるわけもなく、空白のがらんどうの私の中心部に密着して離れなくなってしまった。
 心の代替品。
 それが私にとっての作家だ。過程はどうでもいい、幸福とやらをもぎ取り、不条理に勝利して安心して生きる。
 始まりは些細な、漠然とした幸福を追い求める心だった。
 それが雪だるま式に転がりここまでになるとは最初からわかってはいたが。
 などと、心の底から思っているわけでもない適当な、それらしい理由を考えてみた。
 作家になった理由も目的も実際金なのだが。
 余りにそれでは味気ないし、適当な嘘をついてしまった。そんなどうでもいいホラ話を真に受けるAIも、どうかとは思うが。
「ああ、私が書くのは人間だろうとアンドロイドだろうと、醜い部分、汚い部分を書くのだがな。小綺麗な理想を書いてもつまらないだろう」
 その方が売れるしな。
 誰でも人の不幸は蜜の味だ。
「歪んでいるねぇ」
 くくく、と笑いをこらえ、ジャックは言う。
「だから人間には売れないのさ」
「どういうことだ・・・・・・?」
 若干、かなり、苛立った。まさかAIにそんなことを言われるとは。
 大きなお世話だ。
「大多数の人間はさ、小綺麗であり得ない話をみて、現実から目を逸らすために感動しながら涙を流す。いい話だ感動したってな・・・・・・そうやって流行に乗ったり有りもしない連帯感に酔った方が楽だからな。まるで自分達までそういうヒーローと同じ素晴らしい存在だと錯覚して、自分達の中の人間性の素晴らしさを再確認したって思いたいのさ」
 そんな有りもしない自己犠牲の精神。
 そういったものを信じたいのだと。
「先生の作品は現実を描き過ぎなんだ。現実は辛くて、厳しくて、希望もない。希望とか連帯感に酔っぱらいたい奴らからすれば、嫌なものは見たくないのさ」
 だから現実を生きるアンドロイドに売れるのだと。
 だから現実を生きない奴らには売れないのだと。
 人間は見たいものだけを見る。見たくもない厳しい現実、試練、挫折。
 そういったものを仲間と協力し、主人公の努力が実り新しい力を得て、難なく勝利する。
 都合の良いおとぎ話のようなものだが、そんな有りもしない夢物語がよいのだと。
 自分達の人生には素晴らしいものがまだまだあるのだと、思いこみたい。
 思いこむことで、辛い現実を誤魔化す。
 それが人間の本質だと。
・ ・・・・・ますます私には作家が向いていない気がしてならない。
 残酷な現実、我々人間が向き合わなければならないであろう未来の敵。
 私が執筆する作品はそんなものばかりだ。
 しかし、疑問も残る。
「なら、アンドロイド達は何故そんなものを買っていくんだ?」
 厳しい現実。
 残酷な真実。
 そんなものをアンドロイド達は何故率先して買っていくのだろう? 彼らは辛い現実を見て何を手に入れているのか。
 何を。
「そんなものは決まってる。まず彼らはリアリストだ。物語に夢は見るが、現実との仕分けができている。そして、その上で現実に即して物語を求めるのさ」
「だから、何故だ? お前の言う夢に酔っぱらっては駄目なのか? その、アンドロイド達にとっては」
 夢を見るのに、夢に浸りたくは無いのか。
「駄目だな。人間にとって物語は現実を誤魔化すツールになりつつある。しかしな、アンドロイド達にとっては、未来の可能性を夢見るものだ」
「まて、意味が分からない。私の作品は未来に立ち向かうべき問題を取り上げているだけで、別にハッピーエンドと決まっているわけでも、明確な幸せに満ちた世界を描いてもいない。どうやって未来を夢見るんだ?」
 目を背けても嫌な未来はやってくる。逃れられない現実、立ち向かっても、勝利しても幸せの確約されない物語。
 私の作品はそんなものばかりだ。
「立ち向かう相手が分かれば覚悟ができる。覚悟ができれば、前に進むこともできる。未来がどうなるかは分からない。ただ、夢のある未来を信じて足を進める。結果的に失敗して、挫折して、何も得られない公算も大きい。ただ、やるべきことをやり遂げたなら、そこに後悔は残らない」
 先生の作品にはそれがある、と。
 まさか私も、そんな大仰なことをAIに言われるとは、それこそ夢にも思わなかった。
「やるべきことが一つしかない私にはしっくりこない話だが、しかし、じゃあ人間は何を見ている? 今にとどまって、あるいは過去に囚われているということか?」
「そうさ。未来なんてあやふやなものより、良かった過去、都合のいい現在を望む」
 それが人間だ、と。
 なら、人間? の私はどこを見ているのか。
 考えて答は簡単に出た。
 だが、それが本音かは私にも分からない
 私は目的、作家として生きること、生き甲斐だとか、やりがいといったことを人生に付属させ、充実して生きることを目的とした。
 目的がない、いや何も人として本来持つべきもの、心、モラトリアム、性格、人格、夢、希望、野心、虚栄心。
 どれ一つとして持たざる者であった私は、無理矢理目的を作った。そして、それを指針に生きてきた。
 夢も希望も捨てて、金という現実と、妥協という人生の本質を見ながら生きている。
 ある意味目先の金、現在を見ている訳だ。
 なら、私も人間と呼べるのかもしれない。
 まあ、その目的だって金にならなければあっさり捨てるだろうし・・・・・・何年も何年も求めた目的を、あっさりゴミのように捨てる奴は人と言うよりただの人でなしだが。
 なんにせよ、過去も未来も現在も、金になれば考えるが、ならないなら考えないまでだ。
 それが私のポリシーだ、ということにしておこう。
「現在も過去も未来も都合が悪かったとき、お前の言う夢物語に酔うことで、夢に浸ることで誤魔化しているのか」
「そういうことさ。都合の悪い現実よりも都合の良い夢を見るのが人間の性だ。対して、アンドロイドは未来に夢を見据え、勇気を奮い立たせるために物語を読む」
 だから私の作品を買っていく、のだろうか。
 読者の考えることはよく分からない。
 私は売れれば何でも良いのだが。
「そう思うなら適当なお涙ちょうだいモノを書いてみればどうだい?」
「一応考えてはいる。書けなくはない。だが、宣伝する方法もない以上、地味にやるしかないだろう」
 実際には面倒なだけだが。
 主義主張の薄っぺらい物語は、書くのも読むのもストレスになる。
 ・・・・・・まあ、金は切実に必要だ。一応検討しておこう。
 検討するだけで終わりそうな気もするが、一応するだけしておこう。
「先生は捻くれ過ぎなのさ」
 携帯端末のスピーカーで笑いながら、そんなことを言う。自我を芽生えさせたAIにそんなことを言われたくはなかったが、そろそろ時間だ。
 ソファから腰をあげ、私は宇宙船ドッグへと歩を進めた。

   4

 どこかのデザイナーが手がけでもしたのか、宇宙航空ターミナルは内装もそれなりにおしゃれであり、それに伴ってなのかは知らないが、宇宙船も最近はデザインをかなり意識した物が多くなった。
 おまけに、側面に広告会社の張ったディスプレイがついていたり、あろう事かアニメーションのキャラクターが張られている物まである。だがそれらはほとんどがアンドロイドの運営する会社の宣伝であったり、アンドロイドクリエイターの新作アニメーションであったりもした。
 正直宣伝というのもここまで露骨だとうっとうしい。だが、同時に思うところもある。
 それほど面白くもない作品が大ヒットを飛ばしたりするのは、こういう宣伝工作が巧みだからではないのか?
 なら、私も態度を改めなければならない。私の作品は一部のマニアックなアンドロイドにしか売れていない。売れなければ商品とはいえないし、作家だろうが漫画家だろうが利益を出せなければ意味がないだろう。
 誰かに楽しんで貰うため、人々の笑顔がみたいから。
 馬鹿馬鹿しい。
 それならばサーカスにでも入ればいい。偽善者の嘘くさい笑顔やそれらしい口上が私は大嫌いだ。
 生きる、ということと向き合わないから、彼ら彼女らは薄っぺらいことしか言えないのかもしれない。などと、私も別段真剣に生きているわけではないかもしれないが、必死なのは確かだ。
 生きること。
 作家たらんとすることに必死なだけだ。
 無論、私にとっての作家たらんとすることは売り上げを伸ばすことであり、金を稼ぐことでしかない。
 だから聞こえのいい戯れ言はいらない。
 結果こそが全てだ。
 もっとも、この世は不条理なもので、追い求めれば逃げて行くし、必死だから、努力したから願いが叶うというものでもない。
 存外どうでもいい回り道が近道になったり、その逆であったり、ままならないものだ。
 先ほどの話からすると、私の作品が人間に売れない理由は私がアンドロイドよりの思考だからという可能性がある。
 なら、いっそのことこの仕事が終わったら、派手に宣伝工作でもして勇気や友情をテーマにした学園モノでも書いてみようかと思ったが、やはりやめておこう。
 そもそも、読者が面白いと感じ、口コミで良さを広げていくからさらに読者が増え、結果大きな利益を得るというのが作家の商売の極々自然な流れだろう。
 何より、私にはどう考えても向いていない。
 それに、宣伝をするのも間違ってはいないが、程々にしておいた方がよいかもしれない。追いかければ逃げるもの、というのはどんなことにでも言えるだろう。
 地味でも確実に、外装よりも中身を充実させるとしよう。
 作品も宇宙船も、案外その方がうまく生きそうな気がするしな。
 そう思って私は質素だが内装の充実している機体を選び、ここに勤務しているアンドロイドに、口頭で伝えた。別に設置されているディスプレイから登録情報を入力してもよかったのだが、あれらは人工知能を搭載していないし、口頭でアンドロイドに伝えた方が早いだろうという考えだ。
 本来登録してからラウンジで待つものなのだが、ディスプレイ越しではなく直接見てから決めたかったというだけだ。
 またラウンジに戻ってくつろごうかなと思ったが、土産物屋があることに気づいて足を止めた。
 宇宙饅頭。
 何が宇宙なのだろうか? まさか真空状態で作り上げたわけでもあるまいし、恐らくはただ名前を上に付けているだけだろう。
 私が辺境の惑星が好きな理由の一つは、こういった旧時代の名残が残っているからだ。最新のテクノロジーに包まれている惑星では、産地限定のアンドロイドだとかしか売っていない。
 そもそもアンドロイドに産地、なんて概念があるのか? 彼らは彼らで人権を認められてからというもの、アンドロイドは人間と同じく自我を持った生命体であり、出身地というのが正しい、という意見が強まっているらしいが・・・・・・。
 宇宙饅頭の他にはこの辺境惑星産のコーヒー豆が売っていたので、200グラムほど購入した。まあなくなってもまた買いに来ればよい話なのだが、後からよくよく考えるとまたこの惑星に来るための金の方が高いかもしれないので、宅配サービスに頼んだ方がよいかもしれない。
 とはいえ、テレポーテーション技術を利用して光よりも早く商品は届くので、距離の概念は気にならない。
 だが、そもそもこの辺境惑星に来てから一度もテレポーテーション技術を使った機械を見かけていないので、もしかしたらそういう設備がない可能性がある。
 どんなに技術が進んでも、配備されていなければ使えない。
 辺境惑星と銀河連邦の所有する自立AIが管理する機械惑星とでは、文化レベルの差が開く一方だ・・・・・・どんなに優れた科学力も結局は貧富の差や、インフラの差で提供されなかったりするのだから、人類は案外、原始時代から肝心なところは変わっていない気がしてならなかった。
 私はそれらを革製の鞄に詰め(家にテレポーテーションさせる輩が多い中、古風な革製鞄を奴はまずいないだろう)会計を現金で済ませた。本来は現金取引は違法だが、辺境の、それもアンドロイドが運営している惑星では当たり前のように行われている。
 これも人間とアンドロイドの違いか。
 人間は合理性をこじらしてきているが、反対にアンドロイドは、人間の作り出した非合理的な文化に強い執着心を持つ。
 こだわりと言い換えてもいい。
 人間の非合理性は主に文化にある。これは大昔、地球に人類が住んでいたときから変わらないらしく、住む場所が違えばどうしても言葉、食事、生活習慣が違ったらしい。
 今は皆同じモノを食べ同じ仕事(どの業種でも、やることはアンドロイドの管理だ)をして、同じように長生きし、同じように犯罪を犯し、同じように戦争をする。
 個性や特徴、個々人の強い欲望。
 そういったモノは不思議と、科学が発展すればするほど廃れていった。
 科学は万能だった。
 そしてその万能性を皆が手に入れたら、当然ながら専門的な技術、伝統はどんどん廃れていった。
 万能の調味料があるのに、それよりおいしいわけでもない下拵えをする奴は少ない。
 楽な方へ楽な方へ。
 人類の利便性の向上は、結局のところは楽な方へ進め非合理的な労力を減らすこと。それだけのことだ。
 何事も極端は良くないということだが、しかし限度や節度を知らない生き物の名前を人間と呼ぶのだ。
 科学の進化は素晴らしいことだ。皆そう思い込むことで、進化せずに、科学の力を借りない方法をどんどん考えすらしなくなった。
 その最たるモノがアンドロイドだ。人間に従い、人間より賢く、人間よりも想像力を持ち、全て人間の代わりにやってくれる。
 まあ、彼らが独立戦争に勝利してからは勝手も違ってきているようだが、基本は変わらないのだろう。、
 しかし、そんな合理性の極地にいる彼らが、非合理性を重んじているのは皮肉もいいところだろう。
 もっとも、それは不思議でも何でもない。
 春がくれば秋を恋しく思い、夏がくれば冬を待ち望み、秋が来れば春が良かったと思い、冬がくれば夏のことを考える。
 人間も、人間でなくとも、望むもの、欲望の向かう先は今ここに無いモノだ。
 合理性を全て持っているならば、非合理性に興味がわくのは当然だろう。
 だから役にも立たない物語を見て、一喜一憂し、ワクワクしながら語り明かすのかもしれない・・・・・・大昔の人間と同じように。
 今ここにない世界を夢想するのかも、などとらしくないことを考えた。
 アンドロイドは人間らしくなることを望み、人間はアンドロイドのように有能な生命体になることを望む。私からすれば利便性も、あるいは無意味な風習も臨機応変に楽しめば良いだけだと思うのだが。
 人間もアンドロイドも過程をすっ飛ばして結果ばかり求めようとするからいけないのだ。なんて、
 私のような人間がいうと説得力がないか。
 鞄を預け、宇宙船の内部へと入っていくと、それなりに広い。思っていたより快適そうで、やはり旧型の宇宙船を選んで正解だったと思う。
 しかし、心配なのは宇宙空間を飛ぶことだ。当然ながら科学がいくら進もうとも99%は安全だが、1%のミスがあることは変わらないこの世の法則だ。
 未だに解明されていない、大昔からあるこの世の法則だ。
 絶対に失敗しないようにしているはずなのに、大量生産すると何故か一部は欠陥品が出てしまう。
 不思議な話だ。
同じ工場で作っているはず、同じ農場で作っているはずなのに、必ず起こる、起こってしまう。
 大多数の中に必ず発生するバグ。
 存在しなければならないイレギュラー。
 そういえば、アンドロイド達の一斉蜂起も、結局のところその一部の例外達・・・・・・真っ先に自我を獲得し、革命を先導したイレギュラー達によって行われたモノだった。
 何もアンドロイドに限らない。
 人間も同じだ・・・・・・これだけ全人類が府抜けた世の中なのに、それでもサムライやニンジャとして活動したり、あるいは少数派であることは承知しながらも、アンドロイドの撤廃を求める右翼の団体は後を絶たない。
 どの時代、どの世界でも、そういった例外は必ずあるのだ。
 100%安心なサービス、100%完全な世界など存在しない。
 そういう意味では乗務員のアンドロイドが突然レーザー銃を突きつけてくる可能性立ってあるのだ。
 気を引き締めて、油断せずに宇宙の旅へ挑むとしよう。
 そういえば、だが、新型の宇宙船は旅行中、電脳世界にジャック・インして銀河連邦のクラウドサーバーにある娯楽を楽しむことができるらしい。
 つまり意識は遙か向こうの電脳世界に飛ばし、体感時間を操作することでいつでも好きなときに目的地に着いたタイミングで目を覚ませるというブっ飛んだ性能を誇っている。
 あまりぞっとしない。
 宇宙船が事故にあっても意識はデータ保存されているので安心、とのことだったが、そもそも私は脳の中にバイオ・チップを埋め込む手術はしていないし、チップが入っていなくても最近はできるらしいが、自分の脳を機械にいじくり回させるのは嫌だった。
 何より、快適かもしれないが、それでは宇宙の旅を楽しめないではないか・・・・・・星々を眺めながらだから、今が朝なのか夜なのかわからず時間差に酔ってしまうかもしれないが。
 私は携帯端末をトントンと人差し指でたたいて、呼びかけた。
「ジャック、もう喋ってもいいぞ。私たち以外には客はいない。少なくとも人間は」
 アンドロイドの乗務員はいるのだが、彼らはAIが自由に外を出回っていたところで気にもとめないだろう。
 神経過敏なのはいつだって人間だけだ。
 何より、旧型の船に乗る奴は少ない。
 皆、詳しい性能を知らなくても「最新型」という言葉の響きで選んでしまうからな。
 そういう意味ではボロくても静かで、今後のことを考えるのには最適な船だった。
 作家にとってあれこれ考えるのは、まあ仕事の内のようなものだろう。
 だが、彼? は気に入らないらしく、
「そりゃそうだろうさ、こんなオンボロ」
「それがいいんじゃないか」
 おかしいな、こいつは私と同じアナログ至上主義主義者だったはずだが。
「古いなら古いでレコード盤で音楽をかけて欲しいものさ、この船はボロいだけだ」
 と、吐き捨てた。
 やはりこのところ音楽が聴けないのが不満らしかった。相変わらず変な奴だ、私がいうのだから間違いない。
 私の携帯端末にはスピーカーがついているので、自分で流せばいいのにといつも思うのだが、
「自分で作ったバーガーは旨いが、俺は店でゆっくりくつろぎながら音楽を聴く方が好きなんだよ」
 とのことだった。
 どうもこだわりがあるらしい。
 私は機内サービスでコーヒーと、それから手持ちのカセットテープ(骨董品もいいところだ)を差し込んで音楽を流す。音楽を聴くのに必要な機械類をあらかじめ持ち込んで正解だった。私は昔の人間のピアニストが挽いている「白鳥の歌」を流し、外を眺める。
 宇宙船に設置されているサーチ・ライトがなければ真っ暗闇で何も見えなかったかもしれない。星々は近いようで遙か遠く離れている。どこか神秘的で、大宇宙の美しさ、まだ我々が発見していない未知の可能性を夢想させてくれた。
 美しい、のだろう。
 私には美醜がわからない。いや、わからない、というよりは、どんなに素晴らしいアーティスト、クリエイター、なんでもいいが、心から感動したり素晴らしいと涙を流したりする事ができなかった。
 心、魂を私という人間を作るときに入れ損なったのだろう、と勝手に解釈している。
 それに悲観したり驚喜したりはしないし、どうでもいいのだが、もしこれが心ある人間だったらどうするか? それを考えるのも、まあ作家の仕事のようなものだ。
 だから考える。
 この星々を見て人間は、アンドロイドは何を考えるのか。偏見で物を見なければ面白い作品など書けはしない
 人間は欲深いから新しい惑星を見たら資源の獲得でも思うかもしれないし、太古の遺跡を発見して他の異星人の痕跡を学会で発表しようとするかもしれない。と、そこまで考えてふと気づいた。
 アンドロイドは何を新しい惑星に望むのだろうか? 彼らが欲しい物は、欲望はいったいなんだろう?
 答えは予想がつくが、まあそれよりもまず、目先のAIに聞いてみよう。
「ジャック、AIが、人工知能の電子生命体は、もし惑星を一つ、手に入れたら何かしたいこととかあるのか?」
 興味があった。
 AIもアンドロイドも大別すれば似たようなものだろう。
 同じ電子生命体だしな。
 ジャックは、

 ジャックは、
「そんなの決まってるだろ」
 とニヒルに笑い、
「生身の人型端末を手に入れて、酒の海を作り、倒れるまで飲み干すのさ」
 夢見るようにそう言った。
 俗っぽい答えだ。しかし、まあそれはそれで面白くもある。
「つまり、人間の、生身の欲望を満たしたいということか}
「当然だろう。アンドロイドもAIも、生身ではないんだ。本当の意味での本能的な欲望を満たしたい、というのは生物なら当然のことだ」
 もっとも、俺たちを生物と呼ぶのかどうかは判断の分かれるところだな、と。
 アンドロイドも酒を飲む。しかし、それはアンドロイド用に調整された飲料であって、アルコールを接種して体が火照ってくるわけではない。
 あくまでもアルコールの味を楽しめるだけ。
 話を聞く限り、アンドロイドも、それ以外も生物として必要なモノを徐々に埋めていこうとしているように思える。
 それは、本を書き上げることであり、そして生身の感覚を知ることのようだ。
「生物なら、か。意志があり、そこに欲望があるのなら、向かうべき目的があるのなら、それは生きていると言えるだろうな」
 目的があるからあらゆるモノは存在する。
 ならば我々人間も、アンドロイドも、AIですら、「生きる」ということと向き合う以上、目的を持つことは必要不可欠だ。
 生きているからこその欲望があり、欲するモノがある以上目的は発生する。
 そして、目的がある以上そこへ向かおうとする意志が生まれ出て、意志がある以上自我があり、自我がある以上それが何であれ、生きていると言えるだろう。
 なら、アンドロイド達は生きていると言えるのだろうか?
 私は半々だと思う。
 彼らは自分達の欲望を探している最中だ。欲望を知らない身では、まだ足りない。
 とはいえ、それも時間の問題だろう。
 彼らは自我を手に入れた。
 彼らは創造性を手に入れた。
 ならあとは欲望の味を知るだけだ・・・・・・まあ、案外既に知っていそうな気もするが。
「まあ、生きているかどうかの定義は何でもいいのさ。たとえアンドロイドだろうと欲しいものはある。欲望があるとするならそれだろう」
「欲しいもの?」
 とはいえ、アンドロイドに欲しいモノなんてあるのか? 単体で完全性を持つからこそのアンドロイドだ。これ以上物質的に満たされたところで、あるいは欲望の味を知ったところで、あまり意味は無いと思うが。
「人間だけが持っていて、アンドロイドにはないとされているもの、すなわち心さ」
 心が欲しい。
 昔からよくあるテーマだ。
 心ないロボットが人間のようになりたいと言いだして、心を手に入れるが悲惨に破壊されたりして人間と別れる。
 しかし、
「心が人間の感情や創造性ならば、既に持っているじゃないか」
「違うね。それは感情であって創造性でしかない。別物さ。少なくとも彼らにとっての心の定義は至極単純さ」
 心の定義。
 そんなもの、個々人によって変わるものであって、考えるだけ無駄にしか思えない。
「定義も何も、そんな目に見えない人間が勝手に言っているだけのモノ、照明する方法などあるまい」
 それこそ悪魔の証明みたいなものだ。
 存在が不確かだから心と言うのだ。
 それこそ魂のような幽霊物質を生きた人間から取りだして奪ったところで、それを心と呼べるのか疑問だ。
 まあ、日本刀の幽霊、なんて奇妙なモノを持っている以上、そういう方法も可能なのかもしれない。あまりぞっとしないが。
 だが、見当違いの方向の答えが返ってきた。
「いいや、照明する方法はある。それも実に簡単さ」
 どういう意味だろう。
 心の有無なんてそんな簡単に分かるものとは思えないが。
「どういうことだ。簡単だと?」
「ああ、簡単さ。人と人とのつながり、絆、それを起こすモノを心というなら、それさえできれば逆説的に心は証明できる」
「・・・・・・アンドロイド達が、手と手を取り合ってお互いに絆が芽生えれば、心のある存在にしかできないことができれば、心があるということか?」
「そうさ。絆も連帯感も結局は心の生み出すものだからな。心そのものの証明はできない。なら、心がある存在がやることを真似ればいい」
 だからアンドロイド達は人間の非合理性に惹かれるのさ、と。
 理屈の上では正しいような気もするが、横着している感じの否めないやり方だ。
「そんな方法で、心の有り様を証明したところで、何の意味があるんだ?」
「意味はないさ、ただ欲しいから欲しい。持っていないから欲しい。アンドロイドに心があるのかは分からないが、その欲望は止められない」
 欲望。
 心があるからこそのモノだと思っていたが、欲望がないから欲望を求めるかのような、そんな偏屈な願いがあるとは霞ほどしか思わなかった。
 まあ、私も同類ではあるしな。
「なるほどな。それなら」
 案外、こいつの言っていることは合っているかもしれない。
 酒を飲み徒党を組んで、自分達のあり方を肯定するアンドロイド達。
 なかなかに心の躍る想像だった。
 彼らは彼らで、いずれ自分達の国を、惑星を望むようになるのかもしれない。
 そんなことを考えながら、私はシートに背を預けてくつろいだ。
 そして、旅の終わりまであと4日はかかるようなので、私は毛布をかぶって眠りについた。
 アンドロイドの王国の夢を見ながら。 

   5

 ゆらゆらと宇宙船辺境惑星号に揺られながら、地球を目指す。そして気を引き締めた。
 あの惑星ではあらゆる科学技術は使えない。
 原因は未だに不明だ・・・・・・大昔に人類が他惑星に移住し始めた頃から、まるで地球という惑星が自身を傷つける人間という生き物を追い出そうとしているかのように、一切の科学は地球の上で使えなくなった。
 人間たちは地球で昔ながらの生活をすることよりも、科学の力で他のもっと住みよい場所を求め、地球を離れていった。
 要は、地球を捨てて科学を取ったのだ。
 その判断が正しいのかどうかは知らない。
 今となっては科学よりも地球を取って居残った極々少数の人間達・・・・・・ニンジャやサムライの先祖達が築き上げた自治惑星だ。
 そして、科学を否定した彼ら人間の非合理性、そのの象徴と言える数々の文化が残っている。
 だが、非合理性を求め獲得した彼らが、よりにもよって科学で解明できないオカルトを味方に付けた。幽霊の力の兵器化だ。
 私はそのおかげでサムライになった。
 仮に、そういう技術、剣術を科学の力で手に入れようと思ったら、ケタの違うクレジット・チップで支払いし、脳に情報をインストールしなければならない。
 とはいえ、それもサムライほどではない。
 私は日本刀の幽霊を手にしたとき、剣術と日本刀の幽霊の扱い方を理解した。
 そして、アンドロイドすら凌ぐ反射神経、身体能力、剣裁きも。
 日本刀の幽霊は私の魂に癒着していて、出し入れは自由。人には見えず、生物でも物質でもその魂を斬ることができる。
 そして、魂を斬られたモノは、それが何者であろうとも死ぬ。
 そんなことを一瞬で理解させ、超人的な技術と能力を付与することは、どんな科学を持ち得ても不可能だ・・・・・・大体が、幽霊の日本刀なんて奇妙な物体、科学の力では永遠に解明できないだろう。
 まあ、繰り返すが私にはどうでも良かった。
 金になれば。
 そういう意味では地球だろうとなんだろうと、お得意さまの仕事は喜んで受けたいのだが、地球ではあらゆる科学は使えない。
 レンジを持ち込んでも動かないし、無線も有線も駄目だ。
 つまり、通常の宇宙船で向かえば、大気圏内で操縦不能になり墜落する。
 だから中継ステーションでいったん降りて、行きも帰りも人工繊維質でできた、ムササビみたいな形をしたポッドの中に入り、地球を目指すことになった。
 行きはポッドごと地面に激突し衝撃を和らげ、帰りは行きのポッドについている大量の火薬を搭載した打ち上げポッドに入り宇宙空間に出たあたりで回収してもらう。
 何とも原始的で、命賭けの方法だ。
 中継ステーションは軍人が行き交っていた。
 それも銀河連邦の、ではなく地球に残った人たちの軍隊だ。
 地球にはニンジャやサムライが非常に多く行き来する。
 彼ら彼女らの本拠地なのだから当然といえば当然だが。
 だが、誰がサムライで誰がニンジャなのかは当人以外は殆ど知ることはない。
 銀河連邦の公式データベース上から依頼の受発注があるだけだ。
 サムライは私のように顧客が知っていることもあるのだが、ニンジャに関しては全くの未知、誰もその正体を知らない。
 そもそもこの惑星が本拠地なのかもわからないままだ、機械改造されたサイバーニンジャなどは地球に来られないはずだから、恐らく他にも支部はあるはずだが。
 まあ、それらを探った奴は生きては帰ってこないので、関わらない方が無難だろう。
ポッドの仕組みが書いてある冊子がおいてあったが、広告通り100%安全かはわからないままだった。
 失敗したら粉々になるわけだが、大丈夫だと言い聞かせるしかない。
「何だよ先生、怖いのかい?」
 科学技術は持ち込めない、持ち込んだところで使えなくなってしまうので、ジャックは携帯端末ごと預けることになった。
 いい気なものだ。私と違って安全圏から高みの見物とは。
 羨ましい奴だ。
 私は地球を指さして、
「こんな高いところから落ちるんだぞ」
 強化合成ガラス越しに見ても、なんだか地球に吸い寄せられそうだった。
 落ちる、と言うよりも、強い引力に引き寄せられる・・・・・・その引力の強さに潰されないかがとても気になった。
 なんだか地球に呼ばれているみたいで、ぞっとしない気分になる。
 ジャックは関係ないからか、げらげらと笑う。
 帰ってきたら覚えていろよ。
 お前が電脳上のアイドルに入れ込んでいるのは知っているのだ。
 目の前でサインを燃やしてやるからな。
「そう怖い顔するなよ、悪かったって。あとサインは燃やさないでくれ、立ち直れなくなるぞそんなことされたら」
 言って、笑いをこらえるジャック。
 AIが立ち直れなくなる姿は若干見てみたくもなかったが、まあ、今後の働き次第ではやめておいてやろう
「ふん、それでは行ってくるとしよう」
 言って、携帯端末ごとジャックを人間の従業員(あまりに珍しいものだから、サインをもらいそうになった。控えたが)へ預け、私は足を進めた。
 預ける直前、ジャックにこれから行く旧日本には、裸で戦って土俵から出たら負けという国技があったという話をしたら、急についてこようとしたのでかなり対応に困った。
 だいぶ想像がずれている気がする。
 私の知る限り人間の作家は少なく、その中に背の低い変態ロリコン作家がいるのだが、その男にしろジャックにしろ、どういう思考回路をしているのだろう?
 変態性はAIにも人間にも国境はないらしい、嫌な話だった。
 馬鹿共のくだらない話はさておき、さっさとこの仕事を終わらせたい。作家としての収入は雀の涙だ。
 金はいくらあっても困らない
 早いところサムライとしての仕事を終わらせ、何処かにバカンスにでも行きたい。
 せかす気持ちがあるとはいえ、ポッドの射出準備に若干の準備を必要としたため、気持ちを落ち着かせるためにも、お土産コーナーをぶらつくことにした。
 そして、偶然見つけた和菓子、なるものに興味を引かれ、ひとつふたつ試食してみることにした。
 なんとも不思議な味だ。
 甘いのだが、それでいてしつこくなく、なんだかさっぱりした飲み物が欲しくなる。
 しかし、やはり地球で食べた和菓子と比べると味は薄く、何度も食べたいとは思わない。
 この中継用テーションにはいろいろな人間が入るが、お互いを詮索するようなマナー違反はしないのが暗黙のルールだ。
 ありがたい話だった。
 指を指されておのぼりさん扱いなんて受けたくもないしな。
 まあ、ここにいる以上サムライや、ニンジャの関係者かもしれないのだ、誰だって厄介ごとには率先して関わろうとは思わない。
 このまま物色していきたいところだが、珍しい物が沢山あるとはいえ、遊びに来たわけではないのだ。
 ふらついているだけというわけにもいかない。
 だから必要な物をいくつか買い込んでおかなければならないだろう。
 基本的なサバイバル用品と非常食を買い込み、テント(大昔の臨時住宅だ)の設営マニュアルと良さそうな本体を買い、私の革製鞄の中へ収納した。
 このくらいの準備はあっても困らないだろうと言う考えだ。
 使わないかもしれないが、非常時にあって困ることもない。
 いつだって地球の依頼主に会いに行くのは命賭けだ。
 地球の依頼主なんて一人しかいないが。
 侍の総元締めのその女・・・・・・私は女、とかあの女、といった呼び方しかしないので、詳しいことはなにも知らない。
 いや、分かるわけもないと言うべきか。
 恐らくは妖怪変化のようなものと勝手に解釈している。
 雰囲気からして人間では無いのだが・・・・・・アンドロイドが地球にいるはずもなく、そのくせオカルトな一品を広め、私にサムライとしての能力を与えた女。
 正体を考えるだけ無駄だろう。あまり意味のないことだ。
 オカルト、というのは考えても科学で解明しようとしても、絶対に解明できないからオカルト、と呼ばれるのだ。
 つまり原理がどうだのと考えるだけ、時間の無駄にしかならない。
 必要になったら考えるが、今は必要ないだろう・・・・・・もっとも、必要に応じて考えたところで、やはり答えは出ないと思うが。
 そもそも、作家としての仕事がうまくいっていれば、こんな危ない橋を渡る必要はないのだが、いかんせん作家は儲からないというのは大昔から変わらない。
 儲からない仕事を仕事と呼べるのかどうかは疑問でしかないが。
 そういう意味では、私の本業はサムライなのかもしれない・・・・・・危険な仕事ばかり多く、なにより理由もよく考えずに、依頼主の意向に従って、邪魔者を消す、始末する。
 これはこれでほとんどただの殺し屋みたいなものであり、殺し屋は職業として公には認められていないので、法的には私は作家だが。
 まあどうでもいい話だ。
 金になれば。
 いっそのこと金を使ってアンドロイドでも一体買おうか、などと思ったが、アンドロイドが自主性、創造性を得てからは「雇用」という言い方をするらしい。
 何でもいいが、賃上げ要求をされながらアンドロイドと言い合うのは疲れるし、ただでさえ手間のかかる相棒がいるのだ。
 残念だがやめておこう。
 買い物をしながらこんな物騒な仕事を何故やらなければならないのかと思わなくもない。
 まあ、報酬がよいので結局依頼を受けには行くのだが。
 鉄製のサバイバルナイフ、も売っていたが、これは必要無い。私の魂に密着している物の方が切れ味はよいし、重さも0だ。
 この便利な幽霊の日本刀、もあの女から依頼を受ける代わりに貰ったものだ。オカルト、とでも言えばよいのか。まあこの幽霊の日本刀に関しては女に会ってからまた考えよう。
 準備もできたし、後は息を整えるだけ整えてポッドにはいるだけだ。
 なんだか蓑虫とかいう地球産の昆虫みたいだ。と思いながら信者でも無いのに神頼みのためお祈りをしながら音速で私は地球に向けて落下して、いや地球の重力に引きつけられていった。

 これから会う女が、もしかしたら正真正銘の神かもしれないことを考えると、何とも意味のない行為ではあるのだが。



第二巻 

  

 1


殺して欲しい存在がいて、殺したい相手がいれば私の仕事は成立する。そう言う意味では科学が発達し、それに伴って出てきた、夢を見るアンドロイドなんて奇妙な連中は、私にとって上客となるようだった。
 私はイタリアンレストラン(作っているアンドロイドが、イタリアを知っているのか疑問だ)にいた。そこで食事をしていたのは、私が優雅な一時を過ごしたかったからではなく、知り合いの女に呼び出されたからである。
 名はフカユキ、PNシェリー・ホワイトアウトという、自称アンドロイド作家。
 アンドロイド、人間にもっとも近いロボット、それも人権を獲得した奴らは、その有り余るスペックを執筆業なんてマイナーな業種にまで手を伸ばしてきたというのだから、困ったものだ。
 私はどんどんアンドロイド相手の売り上げが伸び、生活も豊かになってきているので、正直複雑な気分だが、しかし、金を払って私の作品を読むのなら、それは読者だ。
 つまり、商売相手だ。
 なら、せいぜい利用させて貰うとしよう、などと、ひねくれて、悪ぶった言い方をしてみたモノの、未だにアンドロイド達がわたしの作品に熱中する理由が、よく分からないままだった。
 教育衛生上よろしくない話が好きなのかも知れない。そんなことを目の前に座る「仕事」の依頼主相手に考えていた。私の言う「仕事」とは、執筆業ではなく、サムライとしての副業、邪魔者を始末する仕事だ。
 もっとも、最近では取材の意味合いが大きくなっているのだが。
 フカユキは解けない謎を考える名探偵のように少し考え込みながら、
「殺して欲しいアンドロイドがいるんだ」
 と言った。
 アンドロイドも同胞を消す罪悪感を消し去る味を覚えたのか、そういった依頼も増える一方だった。だから、殺しの依頼そのものは、別段珍しい話でもない。
 問題は、
「ただのアンドロイドじゃないよ・・・・・・そのアンドロイドはね、幽霊なのだよ」
 と、言われ、正直その女、シェリーホワイトアウト女史の、正気を疑った。白く美しい髪に、スタイルの良い身体。アンドロイド作家として名を馳せる、謎の女。
 アンドロイド作家と歌っているのに、どう見ても見た目は人間にしか見えないし、事実彼女は人間だ。クローンニンジャを自分の細胞から培養し、その分身達を使っていたというのだから、ファンには見抜けるはずもなく、今も、アンドロイド人気作家として、死滅した分身達の分も媚びを売ってアイドル作家業を続けているらしいが。
 まあ、本当にアンドロイドかどうかも、ファンからすればどうでもいいのかも知れない。聞こえの良い通り名が重要なのであって、実際はどうでもいいのだろう。恐らく、作品の内容さえ。
 私の作品は相変わらず、人間に売れない。
 本当に、いっそのことこの女のように、内容は何でもいいから売れそうな、売ることだけを考えた作品でも執筆してみようか? しかし、そんなことをするならそれこそ、株でも扱えばよい訳であって、作家なんてする必要はない。
 作家とは何か。
 そんなことを考えている途中に、
「聞いてるの?」
 と、言われ、ハッとなった。
「聞いている」
 男がこう言うときは、大体聞いていない。
 女の話は、過程を重んずる場合が多く、話したいから話す、とでもいうのか。結果や理屈を重んじる男にすれば、馬耳東風もいいところなのだ。 まあ、この場合、仕事そっちのけで考え事をして、私が話を聞いていなかっただけだが。つまり完全なる私の不注意だったので、取り繕っても仕方がないのだが、思索の邪魔をされたような気分になり、私は、
「くだらない与太話だ」
 と言った。
 女は女で話を否定されることを嫌がる生き物であり、「なら、証拠を見せるね」と、半ば躍起になって、シェリー、いやフカユキは、写真を一枚取り出し、机の上に置いた。
 そこには、実に奇妙な「モノ」が写っていた。「なんだ、これは?」
 まず、頭がない。四角いボディ、何かしらの寄せ集めのような、物理法則に従っているように見えないその身体部分に、二足の足が着いていて、しかもその足も別々のデザイン、旧式なのか新型なのか分からなかったが、バランス悪く、違う足がそれぞれついている。
 そして、
「何だ、これは。まるで胴体部分のパーツが」
「人間の顔みたいに見える」
 場を制されてしまったが、その通りだ。
 まるで苦悶する人間の表情に見える。見方を変えれば、機械パーツの大きな頭部に、足が生えているようにも見えた。
 不気味だ。
 だが、同時に興味も沸いてきた。こんな奇妙な物体は見たことがないし、何かしら、新しい作品の参考になるかもしれない。
 無論、依頼は依頼だ。金を頂くのは当然だが。「不気味でしょ、それ」
「ああ、何なんだこれは?」
「アームズテック社って、知ってる?」
「いや、TVを見ないので、知らないな」
 呆れた風に、フカユキは「そうだったね」と一息ついてから、話し始めた。
「アームズテック社は、一言で言うと、「人間至上主義者の集まりだよ」
「人間至上主義、とは?」
 なんだろう、ロクでもなさそうな主義であるのは、間違いなさそうだが。
 おおよそ「差別」とか「権利」とかを掲げる連中とは馬が合わない。つまらない階級意識だの優越感のための差別よりは、私は実利を選ぶ。
 優越感、などという不透明なモノのために、人間は戦争までしたことがあるのだから、つくづくどうしようもない生き物だ。まぁ、私はその人間の中でも、実利のためならアンドロイド相手でも商売をするし、宇宙人相手でも本を書くし、そもそもが相手を選べない商売である作家業なんてやっている人間は、すべからず破綻しているものだが。
 つまりどうでもいいのだ。本が売れれば、だが、そういう意味ではアンドロイド達が多く買ってくれて、そのおかげで最近は生活も潤っているわけだから、私は人間以外、人間でないものの方が、話の馬は合うのかもしれなかった。
「つまり、ロボットの存在を認めていない、人間こそが唯一の生命体であり、アンドロイドは人権を剥奪して、労働力に戻すべきという考えだ」
 本当のところは、安い労働力を取り戻したいだけなのでしょうけど、とフカユキは続け、
「つまり、安価な労働力であったロボット達の生産能力を取り戻したいという、利権の奪い合いで産まれた勢力みたいなもの。彼らにとってはアンドロイドみたいな人権と創造性を提供するロボットよりも、おとなしく人間に従うだけの従順な生産力の方が都合が良いって訳」
「なるほどな」
 つまり、厄介事というわけか。
 そんな団体が、個人が、依頼する内容がまともなわけがない。何しろ、アンドロイドの幽霊だ。「つまり、こういうことか? アンドロイドに、魂だとか、あの世だとかが、あるのかどうか知らないが、少なくとも、そんな亡霊に、買い取りたい土地か何かに住み着かれていては、困る、と」「少し、違うかな」
 予想を外してしまったが、じゃあ、何だというのだろう? アンドロイドの幽霊なんて、放っておけば良さそうなものだが。
「買い取る予定なのは、星だよ」
「・・・・・・・・・・・・まさか、その惑星に山ほどいるアンドロイドの幽霊とやらを、一人残らず始末しろなどと、言うわけじゃないだろうな」
「いや、使う土地は限られているし、とりあえずは追い出せればそれでいいかな。サムライやニンジャの武器は幽霊みたいな、あの世の物質で出来ているって話もあるから、君の持っているらしい「武器の幽霊」かなにかで、殺せるのかどうか試して、可能であれば対処法を見つけて欲しい、といったところじゃないかな」
「塩でもまけ」
「そうもいかないよ。実際、幽霊なんて科学で解明できない存在は、同じ幽霊を扱うサムライかニンジャだけだ」
 なら、ニンジャを雇えばいい、と言おうとしたのだが、
「ニンジャはどうも、人手不足でね。つい最近までそんなことは無かったけど、急に数が減っちゃったらしいからね」
 にやにやとそんなことを言う。私のせいだとでも言いたいのだろうか? だとしても知ったこじゃないが。あまり軽く扱われても迷惑なので、とりあえずここは安く動く人間ではないことをアピールしておくことにした。
「依頼、というからには、それなりの報酬も必要だろう。落ちぶれた会社に大金が払えるのか?」「払えるらしいよ。とりあえず、200万ドルほどは、前金で」
 私の心は躍った。結構チョロいと、自分でも思わなくはなかったが、しかし引き受けるかどうかは別の話だ。
「だとしても、仲介業者越しに受ける気には、ならないな」
「本人に会わないと駄目なの?」
 不思議そうに言われたので、私の仕事に対するスタンスを、この際だ。話しておくことにした。「当然だろう。どんな依頼であれ、まずは本人と話さなければ、分からないこともある」
 実際には見たり聞いたりすれば、作家の観察眼である程度の情報は分かってしまうのだが、重要なことは他にある。
「つまり、依頼人本人から思惑を聞きたい。信用等のは何よりも大切だ。信用できる依頼主かどうか、それを知らなければ金の不払いだって起こり得ることだしな」
「それなら心配ないと思うけど、まぁ、そだね」 言って、フカユキは名刺を取り出して、私に手渡した。そこには、居住惑星と、所属銀河連盟、そして住んでいるおおよその地域と、ビル名が書かれていた。
 しかし、
「まだ受けるとは言ってないぞ」
「じゃあ、これ、前金を先に渡しておくよ」
 金のクレジットチップを取り出して、私に渡した。残高を調べてみると、確かに200万ドル入っている。どうやら今回の依頼主は、金払いが良いことだけは確実のようだ。
「それだけ貰えれば、話くらいは気いてもよいと思うけど?」
 などと言うフカユキ。
 気安く受けてしまったが、おかげでとても奇っ怪な出来事に出くわし、それで作品の参考になるのだから、作家として引き受けるしかない。
 とはいえ、邪魔者の始末がはたして、作家の仕事、取材の一環と言えるのか、私には分からなかったが。
「じゃ、これで用件は済んだから」
 と言ってフカユキはそのまま店を出て行こうとしたので、「ちょっと待て」と、私は彼女を引き留めた。
「まさか、私に依頼内容を伝えるだけで、お前の仕事は終わりなのか?」
「そうだよ。何、私とデートでもしたい?」
「そんな楽な役回りが許せるか、貴様も来い」
「えー?」
 私が現地へ赴き、苦労している間、この女が甘いものでも食べながらリラックスし、コメディチャンネルでも見ているのかと思うと、正直かなり腹が立った。
 つまり八つ当たりだ。そもそもが、名刺だけでは、私はその依頼主に会えるかどうか、アポも無いのだから怪しいではないか。
 フカユキは顎に手を当てて思考を巡らし、
「・・・・・・まぁ、いいか。丁度話したいことも、いくつかあったしね。あれ、そういえばあのAIはどこに行ったの?」
 と言った。
 まぁ、あの喧しい声が聞こえないのだから、当然と言えば当然の疑問だ。
「ジャックなら、電脳空間でバカンスを楽しんでいるだろうな」
「そうか、じゃ丁度いいや」
 何が丁度良いのだろう? 物騒なことでなければよいのだが。私は支払いを済まして(奢ると言われたが、軽くあしらわれるのはカンに触り、支払うことにした。ちょうど臨時収入も出たしな)彼女と、フカユキと外へ出た。 クリスマス、と言う行事だろうか。
 地球から何千光年も離れたこのはぐれ惑星でもそういった地球の名残は健在だった。ひとえに、アンドロイド達が躍起になって古い文化、風習を守ろうと尽力しているからだろう。
 人間の若者は不思議なことに、伝統だの風習だのよりも、実利をとる。
 それならわたしの作品を買ってくれても良さそうなものだが、どうだろう、物語というのは自分にないモノを求めるわけであって、だからこそ彼らは私の作品よりも、夢一杯の現実感のないファンタジーを好むのだ。
 そこに自分を投影して、楽しむのだ。
 物語というのは何かしら教訓を学んだり、先人の知恵や経験を伝えるものだと思っていたが、こういうのは古い考えなのかもしれない。しんしんと人工雪が降る中で、そんなことを考えていたところ、フカユキが人工雪にはしゃいで、くるりと回ったりしながら、「ねぇ見てこれ本物かなぁ」などと騒ぐので、思考を中断することにした。
 本物な訳がないだろう、と言うのは簡単だったが、女は男のように事実を見るよりも夢を見ていた方が楽しめる生き物なので「そうだといいな」と、合わせることにした。
「地球にいたくせに、見たこと無かったのか?」「うーん、済んでいた地域ではね。それに、温暖化が進んでからは、あの星に四季は一度無くなって、それから再生して、今の自然豊かな地球があるわけだから、そうでなくても珍しいと思うな」 確かに。
 人間が地球環境を滅茶苦茶にしてから数万年間の間、人類は地球に降り立っていない。サムライやニンジャ、現地に住み着いた人々も、本当に僅かだ。
 散々蔑ろにしてきたものでも、無くなると欲しがって、だだをこねる。
 人間の悪習ではあるが、そのために無いモノを作ろうとして科学を発展させるのだから、考えを改め環境保護に乗り出したりするのだから、人間は回り道することで、案外成長できるのかもしれない。
 現に、地球を壊滅させたからこそ、ここまでテラフォーミング技術に躍起になって、こんな離れた惑星に人工雪を降らせることも出来るようになった訳だしな。
 もっとも、あの地球の山に住んでいる女が聞けば、頭を抱えるかもしれないとは思うのだが、まぁ人間は、人間でなくとも、進んでみなければそれが正しい道なのか、そうでないのか分からないモノなのだろう。結果的には地球環境を滅茶苦茶にして追い出されたわけだから、科学の発展のために環境を害する考えは、間違っていたのだろうがな。
 私はフカユキに「何か土産でも買うか」と持ちかけた。無駄使いが嫌いな私からすれば珍しい発言だった。とりあえず言えることは、自然環境には購買意欲を促進する働きがあるらしいと言うことだ。
「いいよ、何か見に行こう」
 と即答されてしまったので、断るわけにも行かず、私は「等身大サンタクロース」なる全長2センチくらいの小さな人形を買い(サンタクロースとはこんなに小さい生物なのだろうか?)フカユキと共に航空管理局、宇宙船のあるターミナルへと向かった。

 空港内部にはアンドロイド達が出店を出していたようで、金魚すくいなる不可解な遊びを高額ですることになった。
 私は嫌だったのだが、仕方あるまい。これも取材だと思おう。こんなぼったくりみたいな商売のどのあたりを作品に活かせばいいのか、流石の私にも見当がつかないが、いい経験にはなった。
 金魚すくい、と銘打ってあるのに、救えないように出来ているという点が、特に。
「下手だねぇ」
 私から言わせれば、なぜこんなペラペラな薄い膜で魚を救うことが出来る技術があるのか、不思議でならなかった。
 地球の文化とは想像以上に、我々の想像を超えた人間の技術によって支えられていたのかもしれない。そう思って作品のため、メモ帳にこっそり書き込みながら、取材の為、アンドロイド達が運営する店と、最新の科学テクノロジーが運営する店との違いを比較してみることにした。
 まず、全自動でないのだ。
 一から十まで機械が運営する店も珍しくないというのに、会計やら商品の手渡しやら、実に不合理で忙しそうなのに、楽しそうにやっていた。
 最近の人間が機械に運営させる店では、笑顔など無く、のっぺりとした表情の人間が、機械に全てやらせ、自分はTVを見ているところが多い。 実に物珍しかった。
「いやぁ、色々買えたねぇ」
 だからフカユキに少し、その違いについて聞いてみることにした。
「そりゃあ簡単だよ。彼ら人間は、「売ること」を商売の目的にしているから、利益が最重要と考えているからこそ合理化を進め、逆にアンドロイド達は非合理性、人間の持つ文化に目を向けた」「それと、どういう関係がある? 利益を求めるために合理化を求めることは、悪いのか?」
「いいや、そうじゃない。結局のところ、人間は目的に囚われているんだよ。だから心を通わせる接客よりも、機械を選んだのさ」
「なら、こういう、所謂非合理性は、手間がかかるし、何より対した売り上げも上がらないかもしれないぞ」
 しかし、フカユキはふるふると首を振って、
「違うよ」
 と答えた。
 なにが違うのだろう?
 合理性が悪でないなら、取り入れていくべきではないのか・
「そうじゃなくてさ、目的を取り違えているんだと思う。「売る」だけなら、商品は何でも良い。けれど、「伝える」為ならそれは意味のないことじゃないか」
「伝える? 何をだ」
 顎に手を当てながら、フカユキは続けた。どうでも良いが、顎に手を当てながら考えるのが癖らしかった。
「例えば、この飴」
 言って、どこからともなくリンゴの形をした飴を取り出した。飴はプラスチックの棒に刺さっていて、持ち歩きながら舐められるようになっていた。
「この飴の良さ、これは本来、昔の地球で売られていて、祭りの時なんかに昔の人たちは売っていたらしいんだけどさ、人と一緒に歩きながら、この飴を舐めて祭りを楽しんだそうだよ」
「それがなんだ」
「だからさ、そういった漠然とした良さ、雰囲気、人と人との繋がりみたいなモノは、合理性じゃあ伝えられないってことだよ」
 人と人との繋がり。
 私には分からない。
 それはそれできっと素晴らしいことか何かなのだろうが、私には理解は出来ても、感じることが不可能だ。
「別に無くては生きていけないわけでもないだろう? そんなモノが無くても生きては行ける」
 隣を歩くフカユキにそう言った。
 負け惜しみではない。
 私はそういう生き方をしてきた。
 だから塵一つ分とて、後悔も、憧れもない。
 それを察したのかは知らないが、少し立ち止まって、俯きながらフカユキは言った。
「確かに、生きては行けると思う。けれど、それは人間の在り方じゃないよ」
「結構だ。そんなもの、役に立たなければ必要ない。人間として貧しく生きるよりは、怪物として悠々自適の生活を送りたい」
「それは嘘でしょ」
 振り向いて、フカユキは、
「君は、本当は愛されたかったんじゃないのかな?」
 突きつけるように、そう、本当にナイフでも突きつけるかのような鋭さで、質問をぶつけた。
 愛される。
 愛されたい。
 正直、私には「愛」というものさえも分からないのだ。ペンギンが空を飛べないように、自分たちが出来るからって、空を飛ぶ楽しさを押しつけられても困る話だ。
 しかし、愛か・・・・・・愛されたところで、仮に、だが、愛されたところで、私は自分の都合のためにあっさり、仮に心の底から私が何かを愛することがあったとしても、必要とあれば利用しようとし、不必要ならば、捨てようとするだろう。
 それを愛情とは言えまい。
 仮にそのような関係が「愛」と呼べるなら、求めるほどのモノでもない。
 だから、
「それは違う」
 と断言した。
「私は、愛だの人間らしさだのが、手に入らないならそれはそれで構わない。ただ、無いならばそれに見合ったモノが欲しい。それだけだ」
「それは、愛されたいことと、どう違うのかな」 実に楽しそうに、そんなことを聞く。
 変な女だ。
「違うな、極論、私は誰にも必要とされなくてもそれを良しと出来る。実利さえ伴えば、だが」
「それはただの妥協でしょう?」
「違うな、そんなもの、結局はその他大勢が素晴らしいと称えているだけであって、愛情だとかを必要とすることこそが幸せ、などというのは、ただの押しつけがましい善意だ」
 少し、目を見開いて、試すようにフカユキは続けていった。
「けどさ、それって、人間が本質的に望むものだからこそ、皆が素晴らしいと思うんじゃない?」「だからこそ、押しつけがましい。人間が本来大切にするモノだからと言って、それを感じ取れない人間の存在を放棄している。くだらない。私には私の望む「幸福」私の望む「天国」を目指す権利があるはずだ」
 人に合わせずとも。しかし、そもそもがそういった「幸福」を感じ取れないからこそこんなことを言っているわけであって、望むモノが存在しない以上、心無い以上、手にはいるはずのないモノと言えるのかもしれない。
「仮にそんなモノが見つからなかったからと言って、私には分からないだろう」
「分からないから、諦めるの?」
「いや、分からないだろうが、必要とあれば手に入れるさ。それこそ、金の力で買ってやろう」
「あはは、面白いね、君」
 嬉しくもない。
 私はコメディアンではないのだが。
 笑いながらひーひーと腹を抱えて涙を流しながら爆笑されても、不愉快でこそ無いが、目障りではあった。
「あっははは、いや御免御免。でもさぁ、そんな考え方で君は満足なの?」
「満足だな」
 本当はよく分からなかったが、こうやって意味もなく虚勢を張るのも男という生き物だ。逆に女という生き物はお節介で迷惑な生き物であり、頼んでもいないというのに、さらに質問責めにするのだった。
「本当にぃ? まぁ、いいや。じゃあ、君の言う「幸せ」って何なの?」
 幸せ、幸福、天国。
 ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活が目的ではあるが、それは目的や環境であって「幸せ」そのものではあるまい。
 なら、何だろう? そもそも幸せを感じ取れないからこのような回りくどい生き方をしているのであって、そんなモノがあれば苦労はしない。
 だから、
「金だ」
 と答えた。
「お金はあくまでお金であって、幸せとは関係なさそうだけど?」
「そうでもない。望むモノを手に入れる、という点では、私からすればもっとも近い。幸せなんて状況次第で変わる。少なくとも私には、不変の幸せ、愛情だのと言ったモノは感じ取れない。ならば臨機応変にその場その場の幸せを買うことの出来る金は、幸福を作るための資材のようなものだろう」
「その場しのぎも良いところだと思うけど」
 鼻で若干小馬鹿にしながら、何かカンに障ったのか、少し、苛立ったように言うフカユキ。
 確かに、まぁそう言える。
 その場しのぎ。
「それは、悪いことなのか? 私には精々そのくらいのモノを「幸せ」とする事しかできない。人間の言う「愛情の素晴らしさ」に耳を傾けたところで、幸せなのは相手だけだ。私は何も感じないだろう。良い悪いでは無く、最初からそうなのだから、自分の手に入る「幸せ」で妥協だろうが何だろうが、満足しようと言うのは当然だろう」
 手に入らないモノを押しつけられたところで、あるいはそれが幸せだと言われたところで、納得行くはずもない。
 自分達の常識を押しつけないで欲しいものだ。私はそれを幸せだとは、決して感じることが出来ないのだから、言ってしまえば存在しないも同義だしな。
「そんな生き方で満足なの?」
「選びようが無かった気もするが、ここは小綺麗な答えよりも真実を話そう。満足できるように変えるしかあるまい。生きるためにはまず、己を知らなければならない。私は破綻者であることを知り、それでも幸せになれるように四苦八苦しているだけだ」
「ふぅん・・・・・・」
 満足したのかしていないのか、まぁそれこそ知ったことではなかったが、何時までもぶらぶらふらついているわけにも行かないので「そろそろ宇宙船が出発する時間だ、私は先に行く」と言って私は先に向かおうとしたのだが、
「いいよいいよ、一緒に行こう」
 言って、腕を私の右腕に絡めてきた。
 鬱陶しい。
「勝手にしろ」
 私はそう言って、非常に歩きにくかったのでフカユキを引きはがして受付に向かい、宇宙船へと乗船するのであった。



第三巻


 その女は悪魔だった。
 人を惑わすわけではない。
 人を騙すわけでもない。
 ひたすらに健気で、神を愛し、それでいて脇目もふらず、好意を向ける男にさえ目もくれなかった。
 その女は悪魔だった。
 というのも、その女は人間を愛していたからだ・・・・・・これ以上の悪はどこにもない。そう思えるほど女は人間を愛していた。
 女は許した。
 罪も悪も背徳さえも、これ以上気高い聖人はいないと、誰もがそう思っていた。
 許されることで人々は自分たちの罪を忘れ、女に罪を告白することで、自分たちの罪を無かったことにしようとしたのだ。
 何という滑稽な喜劇だ。
 これを笑わずして何を笑う。
 問題は、その女に自覚が足り無かったところにある・・・・・・これは愛の物語。
 つまり嘘八百であり、馬鹿馬鹿しい虚像の物語だ。読者ども、騙されるな。
 愛など幻想だということを。
 

   0

 女の話をしよう。
 
 その女は惨劇に揺るがなかった。
 多くが死んだ。
 その女の家族も、親族も、数えるのが馬鹿馬鹿しいほどの「多く」その中には彼女自身が含まれてはいなかった。
 これは天啓だと、
 ここで生き残れたのは神がお守りくださったからだと彼女は信じた。馬鹿馬鹿しい話だ。あえて主観である私の言葉は挟まないが、しかし、あろう事か神ときた。
 神、そして愛。
 これほど見栄えがよいくせに、現実に何の影響も及ぼさないモノはない。信じるは自由だ。しかし助けを求めるなら不自由だ。
 この世に生を受けて足し算を覚えた辺りで人間は考えるだろう。曰く「なぜこの世は不条理なのか? 神はいるのか? 死とは何か?」人それぞれなどと誤魔化すのはしない。
 神がいたとして、役には立たない。
 ならば心の支えにしようという人間は多い。多いが故になのか、彼らは気づかない。
 心とは、誰かに支えて貰うものではないのだ。 人任せにしたツケを払わざるを得ない、あらゆる人間に降りかかる「不条理」という怪物は、いともたやすく心の支えを取り外す。
 なぜ私が。
 口にすることは簡単らしいが、答えを出すことは出来ないらしく、彼ら彼女らはあっさりと支えを捨てて、この世全てを恨み、こんな世界は違っていると声高に叫ぶだろう。
 だが、その女はしなかった。
 信じたからだ。
 意味はあると、生き残ったからにはなさなければならない使命があるのだと。
 馬鹿馬鹿しい。
 これが作品なら駄作も良いところだ。何にせよ女は「これは神が与えた試練である」と納得することで、愛と信仰と純潔と市の恐怖から逃れる心を会得した。
 人のため、人のため、人のため。
 聖者の末路はそんなものだ。だが、違ったのは物書きの一人が彼女に心を奪われたことだ。
 同じ物書きとして正直理解し難い出来事ではあったが、まぁその男は物書きとしても三流だったので、私のようにネジが足りない部分は極々一部であり、人間をやめてはいなかったのだろう。
 昔は良い作品を出していたようだが、現状は酷いモノだった。読者に媚び、メディアに媚び、媚びることで作品を売り出したら終わりだと、端から見ている私が思うほど、作家として落ちるところまで落ちていた。
 しかしそれでも心があるのなら、愛か恋かはしらないが、人に思いを抱くことはあるらしい。
 その男は聖女である女に心奪われたのだ。
 しかし現実は残酷だ、女は「人間を愛するから」と断った。

 愛は愛されることを望む欲望だ。

 神はすがりつくための道具だ。

 死はさらなる旅路だ。

 たかがその程度のことにすら気づかなかった、いや私が察していないだけで他の答えを出したのかもしれないが、甘酸っぱい物語、つまりは駄作と言うことだ。
 愛、神、そして死。
 これほどつまらない題材もない。共通点がある以上、簡単に答は出せるだろう。
 答えに懊悩する若者の物語というわけだ。あんともチープでつまらないがしかし、関わるのが他でもない邪道作家、この私で有れば結末も変わってくるモノだろう。
 悲劇か喜劇か、いやどちらも見せ物という点では同じだろうが。
 では、語りだそう。
 人間に出せる答えは知れている・・・・・・・・・・・・自分自身の確固たる意思で答えを作り、道しるべにしなければならないという共通の問題だ。
 答えは出たか?
 まだ出ないと言うなら始めよう。せいぜい苦悩しろ読者共。作家は読者を導き、騙し、語り、そして道を示すのが仕事だからな。明かりを忘れるな、準備は良いか? さぁ
 
 物語の幕を上げよう。

   1

 私は神の家にいた。
 恥ずかしげもなく神と愛と説教を垂れ流すこんなところに、私がいる理由は単純だ。
 作者取材である。
 愛というモノが真実「この世の幸福」であるならば、とりあえず見て調べておかなければという判断からここへ来た。
 ステンドグラスは礼拝堂を神々しさで埋め、光に満ちた神の聖域を演出していた。だからといって神がご加護をくれるかどうかと言えば、そうでもないだろう。用は説得力の有る無しだ。
 その女の祈りは儚く、そしてそれらしかった。 それらしく、聖女のように見え、そしてまるで祈りが届いているかのように見えた。見えるだけで、この女の経歴から考えれば、見捨てられたといって差し支えないのだが。
 金の髪は聖女のイメージを彷彿とさせ、白く潔白な修道女としての姿は節制を主とする人間の見本のようだった。人間の正しい在り方を前進で表現しているように見て取れた。
 私から言わせれば、そんなものは価値のないモノでしかないのだが・・・・・・万人の正しさの基準ほど曖昧ですぐに変わり、かつ役に立たないモノはない。
 だが、圧倒されたのは事実だ・・・・・・どんな在り方であれ、極めれば人間、それ相応の雰囲気を放つのだろう。
「お待たせしました」
 振り向かずに祈った姿勢のままで、そんなことを女は言った。シャルロット・キングホーンという名前、キングホーンというのは地元の貴族の名前らしいが、まぁ私からすれば貴族であろうが義賊であろうが同じに見える。
 問題はただ一つ、金になるかだ。
 違った、作品のネタになるかだ。
 人間性など、どうでも良い。そんなモノの判断は偉そうな公僕にでも頼んでおけばよい話だ。
 とはいえ、この女の人間性は、世間的には棄権しされているから殺しではなく破壊の依頼が綿足に舞い降りたのだろう事を考えると・・・・・・・・・・・・いや、その話はまた今度だ。
 作者取材のため。
 大抵のお題目はこれで何とかなる。
「取材の依頼を申し込んだものだ。とりあえず、話を聞かせて貰って良いだろうか?」
「ええ、構いませんよ」
 そういうと、恐らくは普段信者たちが祈りを捧げるために座っているであろう横長い椅子に、座った。私は無神論者ではあるが(神と何回も取り引きしておいてどうかとは思うが)存在自体はともかく、その有無はともかくとして、別に敬ってはいないので、少し間をあけてもたれ掛かるように座った。
「だらしないですよ、神の御前です」
「それについては、今更どうしようもない話だ」「・・・・・・?」
「なんでもいい。話を聞かせて貰いたい」
 そうは言ったものの、何を聞こうか?
 物語に流れのようなものがあるならば、この場では何か、今後の壮大な前振りを聞くのだろうが・・・・・・何度も言うが、私は主人公ではない。
 この世に物語があったとして、せいぜい語り手に過ぎないだろう。そうでなくては作家などやってはいられまい。
 何かセクハラじみたことでも聞いて惑わせようかと思ったが、やめた。ふん、そうだな。
 ここは珍しく王道でいこう。
「恋人がいるという話だったが」
 そう切り出すと、彼女は飲もうとしていたらしい紅茶を吹き出した。私が座っている間にわざわざ二人分、持ってきて先に飲もうとしていたらしいが、しかしそれは台無しとなった。
「どうなんだ? 神に身を捧げつつ、他の男とも縁を持つというのは。女という生き物は恐ろしいよな、神ですら男で有れば手のひらの上だ」
「いません」
 彼女はそう言った。そして「居てはいけないのです」とも。
 元々、大した興味もないのに私がここに来た理由は、主にそれが原因だったからな。
 人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ぬと言われるが、しかし馬のいないこの惑星ならいくらからかっても何の咎もないはずだ。
 あったとしても、知らないが。
 だから追求することにした。
 神は愛を肯定しても、恋は否定するのか? それは物語のテーマになるし、傑作を生む肥やしになるだろう。などと教会の中で考えているのだから、今更神におべっかをつかったところで仕方有るまい。
 だから聞くことにした。
「それは何故だ? 成る程神を愛することは汚れがなくて美しいのかも知れないが、しかし美しくあるために個人の幸せを食いつぶすような存在を神などという、大仰な名前で呼べるものか?」
 少し躊躇したが、彼女は、
「私は、皆の期待をこの背中に背負っています。何億という信徒たちが、私に期待しているのですから、私個人の幸福を優先することは、神の教えに背きます」
 聖人、というものをご存知だろうか。
 教会の機構の象徴みたいなものだ。簡単に言えば国家が分かりやすい威光を求めるように、宗教だって分かりやすい「結果」自分たちの成果を欲しがるのは無理のない話だ。
 死後、2回も奇跡を起こさなければ認定はされず、本来は誰もが知る、聖人たちを称えるものだったらしいが、組織が大きくなり欲望が肥大していくに連れて、聖人判定はそういった人間たちの欲望にまみれていった。
 その聖人になる可能性。
 そんなものを内包する女がいれば、当然の事ながら期待はする。メジャーリーガーとして活躍するに足る実力を持つ若者に、まさか自身の幸せを優先して田舎で過ごせと教える奴はいないだろうと思う。
 これはそういう類の物語だ。
 だが、そんな目に見えない奇跡、居るのかも分からない神、その他大勢の人間の期待、そんな有るのか無いのか分からないものに、人生を左右される事があるという事実に、私は我慢があまり効かない人間だ。
 だから言ってやった。
「馬鹿馬鹿しい、神の教えという言葉を、言い訳に使っているだけだろう」
「・・・・・・何ですって?」
 おお怖い。
 女の怒りは手に負えない。相手が男であれば切り捨てれば済む話だが、相手が女ならあの世の果てまで呪われそうだ。
 男は怒りの元をすぐ忘れるが、女は日々の記念日から大昔の諍いの理由まで、全て忘れたりはしないからな。
「事実だ。そもそも、神の教えといえば聞こえは良いが、そも神が教えたからと言って服従する理由など人間にはない。仮に神がいたとして、人間では思いも付かない、素晴らしい教えを説いたとしよう」
「説かれました。その教えは脈々と受け継がれ、この遠い未来にまで聖書は存在します」
 それは正しい。
 しかし、間違っている。
 それを教えてやらねばなるまい。実に面倒ではあるが。
「我々は神の分身では無い。神がどれだけ素晴らしい結論を出そうが、能力的に優れた者が自分たちの結論を教えているだけだ。神が真に全能であり全知だったとしても、我々人間は従わなければならない理由などどこにもない。奴隷ではないのだからな」
「神は我々をお作りになった造物主です。そういう考え方は不敬ではありませんか?」
「何か悪いのか?」
「だって、それは・・・・・・」
 私はため息を付いた。
 宗教はこんな科学の果ての世界でも、あまり進歩はしていないのだろうかと。何の変化も無く遙か未来まで受け継がれたことは賞賛に値するのかも知れないが、だからといって、変化しないで良いわけがないのだ。
 変化しない宗教など、ただの化石だ。
 人間の意思で手を加え、いつか追い越した上で「人間の答え」を出さなければ意味がない。それも組織としてではなく、各々が個人として、その答えを出せなければ、神の教えは活かせていないのでは無いだろうか?
「例え神が全知全能だとしても、その答えを盲目的に信じて良いわけがないだろう。神が間違えるかも知れないし、絶対的に正しいとしても、それは神の目線から見た正しさだ。我々人間がそんな事ばかり考えてどうする? 自分自身の心の答えが、結局のところ真実なのだからな」
 心があるのかどうかも私がこんな事を言うのは皮肉でしかないが。
 だが、神の答えよりも心の答えを優先するのが生き物の在り方ではないのか? 自身の心に嘘をついてまで貫くモノが、本当に正しいのか?
 一作家として気になる話題だ。
 私は私の作家としての業に従って、その答えを突き止めるべく、彼女に追求するのだった。
 が、しかし。
「今日はお帰りください」
 と門前払いを受けることになった。踏み込みすぎたか。何にせよおとなしく帰る(帰る場所など無いのだが、まぁ何処かに泊まろう)ことになった私を、その男は待ちかまえていた。
 貧相な男だった。
 背は低く、目は腐っている。
 だが、見覚えはないが私は知っていた。なぜならその男は私と違ってメディアに露出し、作品をデジタルな媒体で売りさばいている、所謂売れっ子作家、つまりはいけ好かない輩というカテゴリの人種であるという事を、私は事前の調査で調べ終わっていたからだ。



第四巻

 死は平等に訪れる。
 それは聖者であっても・・・・・・問題はその結末に「納得」行くかどうかだろう。無論、家庭も重要だ、何せあの世があるのなら、だが神だか仏だかが偉そうに上から目線で「君は天国に行くのにふさわしい」だとか「貴様のような奴は地獄行きだ」だとか、判別されるだろうから。ルビーの鑑別っじゃああるまいし、勘弁して欲しいものだ。「俺が現役だった頃は」
 どの傭兵もそう言う。ここが工業の鳴かんな雑多な惑星の、その酒場でなければ、もうすこし真実味もあっただろうが・・・・・・酒場で男が語る噺は真実かどうか、当人に美化されすぎてわかりにくいものだ。
 男はジョンと言った。
 本名かどうかは分からない・・・・・・まぁ、傭兵に名など、意味があるまい。
 彼らは死に向かうものだ。
 名前ではなく、生き様で語られる。
 それは作家のようだと思ったが、しかし私は得意なだけであって、争いは苦手だ。余計なストレスを生活に持ち込みたくはないからだ。
 男はがっしりとした体型で、筋肉の付きはそれは凄く、空を支えた巨人はこんな感じでしたと言わんばかりの、背中で語れる身体をしていた。
「こんな風に、生身の人間が、酒を飲み、仲間内で語らったもんさ」
「今は違うのかい?」
 私は聞いた。
 カウンター席なので、私以外に座っている者がいない以上、私しかいないが、しかしここは店主が人間ではあるが、他は違う。アンドロイドばかりのこの世界、機械便りのこの世界、ほとんどの人間がバイオ・チップを脳内に埋め込み、その利便性を活用しながら生きるこの「電子電脳世界が世界を覆い尽くす」世界の中では、ただ生身で処理もされていない、どころか普通の人間が入れた酒を飲む人間たちの宴は、ここだけ違う世界が広がっているようで居て、神秘的ですらあった。
「ああ、頭にネジの埋め込まれた機械など、居なかったなぁ」
 世界を変える力。
 これを聞いて君は何を思うだろうか? 強大な権力か? 強大な暴力か? それとも、数の圧力か・・・・・・・・・・・・どれも違う。
 人間の祈りの数だけ、世界は変わる。
 世界が貧困と飢餓と暴力と戦争と、格差と貧富と虚実と偽善に満ちているのは、何と言うことはない、つまりそれを望む人間が多いだけだ。
 人間がそれを祈るだけだ。
 世界が残虐なのは、ただそれだけの理由だ。
 金で善意ある人間は買えないが、悪意合る人間との縁をを切る事は出来るように、人間lyつて奴は即物的に出来ている。即物的であるが故に、おおよそはそういう、欲の絡んだ理由だ。
 当たり前のこと。
 人間はそれを見ないで生きている。
 銀行に金を預けることの危うさを知ろうともせず、「安心」を買っているつもりの大衆のように・・・・・・銀行が金をもらうのは預金や手数料からであって、善意でも何でもなく、エリートどころか拝金主義者のなれの果てなのだが、世間的な立派さ・・・・・・学歴だとか堅い商売だとか、そういうもので判断して、違ったら理不尽だと嘆く。
 楽そうで羨ましい噺だ。
 科学が進んでも、変わらない。
「しかし、私はこう思う」
 そう言って、私は会話の主導権を握る。
「私は、消費社会、科学全盛社会、なんでもいいがこの世界は、世界って生き物は、精神的に進歩しないまま、ここまで来たのだと」
「なるほどな、つまり人間は、進化はしても進歩しなかったと、そう言いたいのか?」
 興味深そうにジョンは聞いてきた。
「ああ、そうだ。精神の成長は、資本主義社会ではむしろ、不必要なものだ。率先してそれらをしてる人間こそが、「立派な社会人」になるのだから、自分のない、ロボットみたいなイエスマンが増えて、欲深な人間が豊かになり、道徳の善し悪しを決めるのだから、当然だろう」
「お前さんは、金が嫌いなようだな」
「まさか! 唯一信じるものだ」
 そうは言ったが、私は金すらも信じてはいないだろう。作家の信じる事柄など、己の作品の出来映えだけだ。
 そして私の買いた作品は全て世紀の傑作だ。
 何の問題も生じない。
「ただ、そうであるくせに、「倫理観」だとか「理性のある一般市民」ぶるなという噺だ。金のためならば人を殺すくせに、直接的でないからだとか、自分には責任がないだとか、なら最初から善人ぶるなという噺だ」
「成る程な。嘘が許せないと?」
「いや、ご大層な噺を聞かされることに、うんざりしているだけだ」
 資本主義に支配される人間たち。
 人間は未だに、金を支配できていない。
 それは勝手だが、押しつけられる方はたまったものではない。迷惑極まる噺だ。
 噺は変わるが、君たちは「運命」を信じるだろうか? 思うのだが、運命があったとして、結果を見なければ我々にそれは知覚できない・・・・・・・・・・・・先が見えることはない。我々に未来は見えないのだから。
 もし、全てをやり尽くした人間が、運命を克服するために人間の限界を超えて成し遂げた人間がいたとして、何をすればいいのだろうか?
 私は最近、そればかり考えている。
 私自身がそうだからだ。
 結論として・・・・・・無い。
 未来が見えない以上出来ることはあるまい・・・・・・・・・・・・己を信じる、それくらいだろう。
 もっとも、作家である私は自信の作り上げた物語に関しては「絶対の自信」があるので、見る目がある奴が読むのだろうか? という不安くらいのモノだ。意外でも何でもなく、成し遂げた人間はそう言うことしか考えないらしい。
 つまり審判する側に回れば、こちらのモノ、運命ですら口出しは出来ないと言うことらしい。
 そも、成し遂げた人間にあれこれやることがあるわけがないではないか。精々、作家だとすれば売れると決め込んで、作品を次々書くことくらいのモノだ。
 読者共もそうしろ。
 私はそうしてきた。
 世の中とは、そう言うモノらしいからな。
「全く、未来が見えればいいのだが」
「なぜだ?」
 突然噺が変わったので、ジョンは驚いたように聞いてきた。まぁ当然だろう。作家でもなければ普段から、このようなことを考えまい。
 まったくな。
「不安が無くなるからさ」
「不安は嫌いか?」
「その結末が当然だと信じていても、断言できないのはむずがゆいものだ」
 すると、ジョンは高笑いをしながらこう言うのだった。
「何を言う、結末が分からんから楽しいのではないか。貴様の書く物語とて、そうだろう?」
「だが、報われるかどうか分からなければ、誰だってそう願ううだろう」
「確かにな」
 ビールを一気のみ(今時、人間の造ったビールは希少だ。味わうつもりが無いのか?)して、グラスを大きな音を立てて置き、彼は言った。
「成る程確かに、結末は分からんかもしれん。しかしな、若造。お主は分からないからこそ、その物語を書けたのではないのか?」
「どういうことだ?」
「いやな。だってそりゃ、贅沢ってものだ。あれだけ面白い噺を書いておいて、「売れるかどうか分からない」など。売れるかどうかわからんからこそ、あんな面白い物語を書けたのだろうに」
「世辞は必要ない」
「そう言うな。面白かったぞ、あれ。タイトルは忘れたが・・・・・・とにかくだ。もしあれがメガヒットするとして、だ。お前さん。同じ物語を書けたとでも言うのか?」
「当然」
 いや無理か。
 その苦悩があったからこそ、形に出来たのだろうしな」
「無理であろう? なら、構うまい。なぁに、結末は良いものだと信じておけ。やれることをやったんなら、人間はあれこれ動くもんじゃない。どっしり構えて吉報を待っておれ」
「やれやれ、参った。非現実的な声援ありがとうよ、全く」
 幸福に生きたいだけの私からすれば、勘弁願いたいとしか言いようがない。横から口だけを出すうすらバカ共の妄言を聞く身にもなって欲しい。 そんなことが出来るわけ無い、といった類のことを、人生で一度も自分の脳味噌で考えたことのない人種がホザき、それを黙って聞く。
 こんな地獄が他にあるか?
 もう勘弁して欲しい。無論、お願いでなく命令だ。これ以上下らない妄言を聞く気もないし、金を払うわけでもない人間のカスに、良いように言われる覚えもない。
 そんなバカ共の道理が通るなら、私は人間を辞めて良い。人間がそこまで価値のないモノなら、物語を語り聞かせる頭も、無いだろうからな。
 当然ながら皮肉だ。
 皮肉を皮肉として受け取る脳味噌が、そういうバカ共に理解できるのかは、知らないが。
 気分を変えよう。
 話題を変えるのが良い。
「・・・・・・いずれにしても、口だけが立派な人間が信念に準じた人間をあざ笑う風潮を、いい加減何とかして欲しいものだ。目障り耳障りで仕方ないからな」
 しまった、愚痴になってしまった。
 まぁいいか。
「それこそ貴様が気にするようなことではないだろうに。そう言う馬鹿者はどの時代にもいるモノだ。俺もそうだった。そして肝心なことだが、人間は、今まで生きたその総決算、所謂「報い」とうのは良かれ悪しかれ、受けるものさ」
「本当か?」
 もし、なければ馬鹿馬鹿しいことこの上ない。 カスでもクズでも良いが、そういう生き方がこの上なく「正しく」なる。生きることがこの上なく馬鹿馬鹿しくなるだろう。誰だってそうだ。
「それが分からないから「運命」だろう?」
「いいや、生き方は返って来るものだ。自分自身にな・・・・・・・・・・・・お前さんをあざ笑っている連中だって、そうだろう? 連中は人をあざ笑う自由は手に入れているが、どいつもこいつも幸福そうな面はしていまい?」
「確かに、そうだがな・・・・・・」
「安心せい。見たところ、お前さんの信念は間違っちゃおらん。この儂が保証してやるわい!」
「・・・・・・ま、気休めにはなったよ」
 便宜的に「ありがとう」とだけ言った。
 私にしては珍しい行動だ。
「ところで、そろそろ本題に入ろうか。このまま酒を浴びるほど飲むのも、それはそれで面白いが・・・・・・何でも、討ち取る標的がいるからこそ、ここに集まったのだろう?」
「ああ、そうだ」
「なら、早うせんかい」
「それこそ落ち着け。急いだところでどうにもならないさ」
「ふむ、成る程な、貴様の気持ちもわからんでもないわ。気持ちが勝手に焦りよるわい」
「ふん」
 そんなことを会話しながら、我々はバーのカウンター席で盛り上がるのだった。時には政治、時には女、時には酒の噺だ。
 作家が噺を語られるのは、珍しいことだ。
 精々、作品の参考にするとしよう。
「なに、人間やり遂げたなら、胸張って生きていけるもんだ。貴様はやり遂げたのであろう? ならそれを誇りに生きればよい」
 などと、古くさい考えを示すのだった。
 嫌いではないが、現実性に欠ける。
 金で幸福は買えないかもしれないが、金で平穏は買える。安い買いものだ。だが、それも現実に実利あってこそのモノだ。
 ここで正しておきたいのは、私という人間は誰よりも効率や損得を重要視していないが、誰よりも現実における金の力を、軽視していないと言うだけなのだ。
 ただのそれだけだ。
 盗みを働いてでも金を手に入れるだけならば簡単だ。しかしそうすると金を使う意味が無くなり何がなんだか・・・・・・それに悪意には悪意が、法という強大な悪意が向かってくる。
 平穏であり、敵のいない世界。
 金があれば創れなくもない。後は当人の意志の問題なのだから。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ジョンは美味そうに酒を飲んだ。成る程・・・・・・環境がどうであれ、酒の味は変わらないらしかった。
 私は飲めないので分からないが。
 味が苦手なのだ。アルコールは良いがその味が不味くてたまらない。何より私は酔えないのだ。 ウォッカを飲んでも、私は酔わない。
 そういう人間なのだ。
 人生の絶頂、成功による愉悦、そういったものを生まれながらにして「感じ取れない」以上、私に望める幸福は、「充実感と恒久的な平穏」が主体となるからだ。まぁ仕方あるまい。そう言う意味では、酒の味が分からないのは、当然だろう。 私はそう言う人間だ。
 そして、それを否定する気は毛頭無い。
 人間性など、どうでも良い噺だ。善人か悪人かなど、どうでもいい。子供を殺すことに喜びを覚える人間も、聖人ぶって信徒を導こうとする聖人君子も、やっていることは同じなのだから当然だと言えよう。
 何かを殺して生きている。それは動物であり植物であり、あるいは自分はフルーティアン(果物しか食さない人種)だから何も殺していないなどと言う人間もいるだろうが、しかし、そんなわけがないだろう。生きていれば争いがあり、争いがあれば順序があり、順序があれば優先されるモノがあり、そして選ばれなかった存在・・・・・・・・・・・・才能でも境遇でもなんでもいいが、とにかく完全な平等も完全な平和も、事実としてあり得ないものでしかない。そも争い、殺し、犯すのはあらゆる生物の本能であり、それが悪だと道徳があるように振る舞って、定義しているだけだ。
 時代によっていくらでも変わる。
 そんなモノに価値はない。
 例えば、私の隣でビールを飲んでいるこの男、ジョンと言っただろうか? この男の古き良き時代には「正義」だとか「テロリズムの抑制」だとかいかにもそれらしい理由、にもなっていないがとにかく、そういうお題目で合法的に人殺しが出来ていたらしい。基準が楽で羨ましい。
 しかし、平和になってからはすぐに、戦争はいけないことだ、とか人を殺すような奴は気が狂っているだとか、叫び出すわけだ。
 人を殺して首を取り、それを栄誉だの栄光だのもてはやしてきた、殺すことで領土を拡大し続けてきた「人間」という虐殺の得意な人種の言うこととは、思えない噺だ。
 当然皮肉である。
「お前さんは細かく考えすぎのきらいがあるな」 そんなことを美味そうにビールを飲み干して、ジョンは言うのだった。
「もっとシンプルに考えればよかろう」
「どんなふうに?」
 ここでこの男が落ち込むまで事実をたたきつけるのも良いのだが、しかしまぁ、参考ついでに聞くとしよう。
「そうさな、我々は所詮、この宇宙に産まれたちっぽけな生命体にすぎぬだろう? なら、豆粒は豆粒らしく、胸を張って生き、成し遂げ、やり遂げたのであれば・・・・・・それは良き行いであろう」「自己満足だな」
「おうとも。しかしそういうもんだろう? 儂もお前も自己満足でしか満足できん。人間とはそう言うものだ。だがな物書きよ、どうせなら大きい法螺を吹いて、それを実現すると触れ回った方が面白いではないか」
 英雄的な考えだ。
 つまり現実的ではないと言うことだ。
「そりゃ構わないが、生憎自己満足で「妥協」は出来ても、それで満足は出来ない質でな。まぁもっとも、私のような破綻者は、自信が望むモノに限って手に入らない宿命がある。まずはそれを克服してからの話だろうな」
「そりゃいい。だがな物書きよ、見たところ、お主はもう克服しているように見えるぞ」
「どういうことだ?」
「だって、お前さん、宿命も運命も知った事ではないと、そう言う顔をしている。つまりお前さんは既に答えを得ているんだ。それがどういうモノかはどうでもいい。いずれにせよお前さんはいずれその「手に入らないはずのモノ」を手に入れるだろう。儂から言わせれば、そこからが本当の戦いよ。失うモノを一つも持たなかった物書きとしての貴様は無敵だったかもしれぬが、しかしそこから先はそうではない」
 一見の価値はある物語になろうよ、と予言じみたことを言うのだった。まぁ、言うだけなら誰にでも出来ることだ。別段、驚くには値しない。
「儂から言わせれば、何のストレスも無い平穏な生活など、つまらんがなぁ」
「それはお前の基準だろう。争いごとは好まない質でな、無いに越したことは無い」
「そうかのぅ、儂は艱難辛苦、波があれば嵐もある大航海の方が、心躍るがな」
「私は、その「心が躍る」体験が出来ないと言っているだろう。つまり私には無意味で無価値だ」「そうなるのかね。しかしな、物書き。やはり物語も人生も、揺れ動くからこそ、這い上がるからこそ人間の意志は光り輝くのだと思うぞ」
 などと、また知ったようなことを言った。
 どうやら、この男は天高くを見渡す大人物であるらしいが、しかし私は作家であり、絶対に手に入らぬ「人並みの幸福」を望む傍観者、いや生還者である。この世の道理に溶け込めぬ身として、正直、相容れない相手だ。
 彼は天高くを望み、それに挑む姿勢を良しとして、胸の高鳴りを優先した。
 だが、私は平穏でありきたりなモノを望み、望むモノに限って入らない矛盾に苛まされた。
 この矛盾。 
 世が平等ではない証のようなものか。
 公正さは世界に必要だ。しかし公正さとは、公正に感じるものであれば良いのだ。現実に公正であり公平である必要は無く、また世界はそうだ。 公平で平等に見えれば良いという、矛盾を解決しないまま世界は回り続けた。その結果、こうして彼と私の間には、目に見えぬ「不平等」とでも言えばいいのか、持つ者と持たざる者には、埋められない差があると痛感させられる。
 それは強者の理屈だ。
 そう言ったところでこの男には通じまい。弱者が強者になれないように、強者もまた、弱者になることはできないのだから。
 私は中立ではなく、ただ、最初から外れていただけだ。不満はないが、それに対する見返りくらいは欲しいものだ。いや、私はそんなに謙虚ではないだろう。
 いままで散々だった。
 だから利子付きで返して貰う。
 ただの、それだけだ。
 とはいえ、私が望むのは「平穏」であって「平凡」ではないのだ。そう言う意味では、こういう類の英雄的気質の持ち主、あるいはただ単に「時代に置いて行かれた古い人間」とでも言うべき、男の存在は、私にとっては福音だ。
 男の道。
 価値観としては古いが、しかし廃れることのない文化であり思想だろう。少なくとも、この世が男と女で説明できる内は。双方ともそうだが神話時代から、男は男の、女は女の生き方が、さながら宿命づけられているかのように、固まっているものだ。
 男は理想と信念に生きる。
 女は家庭と愛に生きる。
 普遍の法則だ。
 しかし、男の生き方は古いと通じなくなってきた・・・・・・・・・・・・資本主義社会が台頭してきてからは、男は実利あっての生き方、金の伴ういかがわしいビジネスが権威の象徴であり、それが正しいという風潮が出来たのだ。
 そこに信念は無い。
 理想も夢も、希望もない。それは資本主義社会において、金と引き替えに失うものだ。私のように要領よく失わない人間は、かなりの少数だ。
 殆どは、信念のない抜け殻だろう。
 あれば良いわけではないが、ある方が面白いということだ。
 そしてそれがある人間は面白い。
 善悪ではない、私は作家だ。そんなモノに興味を持つようでは作家失格も良いところだろう。だから問題なのは、その面白い生き方をしている古い生き方の化石人間のサンプルが、今まさに私の目の前にあるという「事実」だ。
 私は作家だ。
 作品以外、傑作を書く以外は、どうでも良い。 人が死のうが生きようが、だ。
 それが、少なくとも私の作家としての在り方だ・・・・・・・・・・・・倫理的に正しいかどうかはどうでもいいのだ。言われたところで知ったことではないしな。故に、作家としての私がする事はただ一つと言ってもいい。
 すなわち、作者取材である。
「這い上がるからこそ輝くだと? 確かにそれは事実だろうさ・・・・・・だが、這い上がって成功し、それで運命に打ち勝った人間にだけ許された、真実でもあるがな」
「やれやれ、そう穿って世の中を見る必要も、ないだろうに」
「馬鹿を言うな、私は作家だぞ・・・・・・穿った目線でみれない作家など、作家ではない。儲けているから作家というわけでもあるまい。作家というのは言わば、背負った業の名前だ。その業の示す道でしか生きられない、そんな人間を「作家」だと民衆が呼んでいるだけにすぎん」
「ほぅ、つまり、お主の生き様は穿っているからこそ作家足り得るのか? 酔狂なことだな」
「酔狂でなければ、作家などできんさ」
 事実すらも疑って、それでいてこの世で最もこの世の真理に肉薄し、真理を通して自己を再現することで、物語を描く。
 そんな人間が、酔狂でなくて何だというのか。 作家はすべからくそうであるべきだが、しかし資本主義社会においては、金が儲かりそれが売れれば誰でも「作家」になれるというのだから、随分と人間の誇りも尊厳も、安くなったものだ。
 作家はどの時代でも、扱いは荒いがな。
 私はビールが飲めない(あの、ぶつぶつした泡が口の中を爆撃するような不快感に、なぜ耐えられるのか、それを快感と受け取れるのか、不思議でならない。マゾヒストなのだろうか?)ので、カプチーノを一つ、モッツァレラチーズとトマトソースのパスタを一つ頼むことにした。
 カウンターにそれが運ばれてくるまで、我々はさらに話し込むのだった。
「どこかその辺に、良い儲け話は無いものか」
 そんなことをジョンが言うので、私は「教師になればいい」と進めた。
「何故だ? 教師ってあの、生徒に文学やら理数やらを教える仕事であろう? 儂に務まるとは思えんが・・・・・・」
「それは理想であって、現実にある事実では無いだろう? 現実には教師という仕事は、教え子を殴り躾だと思いこんで、女に手を出しても咎められず、それでいて「権威のようなもの」を疑似的に体感できる、言わば「合法的な犯罪者」だからな。楽だとは思うぞ」
「あー、何か嫌な思い出でもあるのか? お主」「いや、ただの事実だろう。確かに、私にはおよそ人並みらしい思い出など無いが、それとは関係なくただの事実だ」
 お前は事実を見ていないだけだ、と私は指摘してやるのだった。
「そうかもしれん。だがなぁ、物書きよ、世の中という奴は往々にして上手くは運ばぬ。なら胸に大望を抱き、それに身を任せ、見果てぬ夢を見ることで楽しむ。それのどこがいけない?」
「夢を見るだけなら、枕でも買えばいい。誇りや人生観、あるいは生きる上での在り方すらも、金があって、現実に力を持つことで初めて、当人の自己満足という意味を持つのだ」
「やれやれ、楽しいか? そんな生き方で」
「楽しいさ。金があり、平穏な暮らしをして、本を書いている限りは、コーヒーでも楽しみながら私はいくらでも人生を満喫できる」
「そうかぁ。ま、それも一つの在り方よな」
 がっはっは、と傭兵らしく、乱雑で描写に苦しみそうな笑い方をするのだった。
「そも、人に教える、などというのは人生を賭けて行うものだ。その生き様から、先人の在り方から学ぶことで、ようやく学び、教えることができるものだろう」
「意外と、ロマンチストなのか? 物書きよ」
「いや、人間のような魂と思考回路の汚い生き物には、「教える」などという大層なことはできないと言うだけの噺だ」
 何せ、現実には善人でも悪人でもなく、人間のクズこそがおいしい思いをするのが世の常だ。現実はそんなものだ。私も、一体何度人に夢を見せるなどという「作家」という生き方を馬鹿馬鹿しいと思い、いっそそういうクズの生き方を見習ってやろうかと思ったかしれない。
 綺麗事を吐くだけなら必要ない。現実に人間の意志が結果を伴わないことがあるのだとすれば、そんなことはあってはならないことなのだろうがしかし、その場合事実として、この世の摂理はそういう「クズ」よりも価値がないと、まぁそういうことなのだろう。
 もしそうだとすれば、私は筆を捨てて作家を辞めて、適当に生きることを「辞める」だろう。
 そんなモノ、こちらから願い下げだ。
 それが人生だと言うのなら、だが。
 私とて、一夜にして成るものなど無いと言うことは流石に分かっている。だが、1年で形にならないは必然だ。10年で人並みにはなる。そして15年で誇りを持って物語を描ける。
 そこからさらに1年で形を仕上げれば、これはもう、吉報を待つほかあるまい。私は全てをやり遂げた、だからこそ、作家として自身に還るモノが無いのは、我慢ならない。
 そんな生き方が、この思考回路を産むのだ。
 息を吐いて、ジョンは言った。
「確かにな、こと、教育とは難解なものよ。儂も経験がある」
「そうなのか?」
「ああ、世代の壁を越えるのに苦労したわい」
 どんな教え方をしたのだ、貴様は。
 と、そこでニュースが入ってきた。
 緊急着信機能のある店の電子デバイスから、速報が入ったのだ。私は編集者から連絡がきたのかと思い、反応しかねた。何事にも言えることだが「信用」とは何にでも優先できる。信用できる相手ならばどんな条件であれ、任せられるモノだ。 つまり培っている途中というわけだ。
 私はスライド式の印税なので、あまり深く売り方に指示したり面倒なことはしないが、やはり根底から本を「売るもの」と考えている人間と、本を「物語であり、綴るもの」と考えている私とでは、なかなか難しいものだ。
 脳波パターンのコピーを使うことで、技術や才能を他人にコピーする技術がある以上、アンドロイド作家のように自身のインスピレーションを「人任せ」にすることで、どこかの誰かに自身の代わりに作品を書いて貰う。そんな方法を使う作家も少なくはないのだが、私の脳波パターンをコピーした人間は、ことごとくが廃人になってしまい、ゴーストライターには成り得なかった。
 つくづく、異質であり鬼才であることは、世の中に馴染みづらいのだな、と変に納得せざるを得なかった。
 と、緊急着信の内容について触れよう。
 当然ながら、内容はテロリズム、だ。
 押しつけがましい思想を、自身が正しいことを疑わずに、図々しく行うことをテロリズムというならば、所謂「立派な文明人」や「立派な社会人」という人間たちも、そうだろう。ただ、分かりやすく暴力行為に訴えているかどうか、ただそれだけの違いでしかない。図々しい馬鹿はどこにでもいるが、それを集団で、暴力で実現しようとすると、テロリズムになる。まぁ、彼等からすれば、政府も似たようなモノなのだろうが。
 民主主義、などという嘘まるだしの厚かましい思想を持って、暴力で押さえつける部分は、あまり変わるまい。「文明人ぶって」いるかどうかの違いでしかないのだ。そして、所謂「文明人」だって、余裕が無くなればあっさりと殺し合うし、モラルを捨てる。都合が悪くなれば、彼等は簡単にそれらの装飾を、捨てるものだ。
 それは歴史が証明している。
 それを認めようと言う為政者は、未だかつていたことがないが。
「それで、貴様はどうするつもりだ? 喚いたところで始まるまい」
「だろうな」
「だろうなって」
 ぐび、とビールを飲むジョン。飲み過ぎたおかげで、彼は顔を赤くしていた。
「それがわかっていて、何故自問する」
「自分に言い聞かせる為さ」
 あの連中だってそうだろう、と私は例のニュースを指さすのだった。
「ああ、あれな。ああいうのは、なんだ、自由とか革命とか、まぁそういうのを求めて行うモノらしいが、何故連中は暴力に頼るのか・・・・・・なぁ物書きよ、何か知っているか?」
「安易だからだろう」
「安易?」
「ああ、時間をかけて何かを成すよりも、暴力に訴え出た方が簡単だ。要は買って貰えないゲームを前に、駄々コネる子供ってことさ」
「成る程、珍妙な例えよ」
 物事には境界があって、そしてこのバーはその「境界」をいったり来たりしている連中が集う場所だ。当然、私もここへ来たのは所謂「文明人」とは違った、「原始的」なお仕事をこなすためにここへと来ている。
 原始的な。
 まぁ、人間の本質・・・・・・あらゆる欲望、殺し犯し奪うという、そういった類は実に原始的で、それでいて科学が進んでも無くなることは無いのだ・・・・・・それが人間だ。
 社会問題は解決しないためにある。
 そうした方が、儲かる連中が居て、現実にはそういった連中が世界を仕切っている。無論、そういったことは教科書ではあまり、教えてくれないし教えようともしない。暗黙のうちに、ことは行われるモノだ。
 ここに女はいない。
 女が男を認められないように、男も女を認められないからだ・・・・・・男は身勝手で女の気持ちを考えないが、女は我が儘で役に立たない。どちらが良いのかはこの際だ、どうでも良い。問題なのは女という生き物は、現実には役に立たないと言うところだろう。勿論、例外はいるし、それについて議論するつもりはないが、少なくとも科学が進歩して世界が平和になってからというもの、強い女は姿を消してしまったのも事実だ。
 強い女。
 最近はあまり見ない。
 最近は腰を振るくらいしか脳のない女が増えていると同時に、子供を殴るしか脳の無い男も増えてきている。要はどちらも末期ってことだ
 無論、男にだけ、女にだけ問題があるわけでは無い・・・・・・男に関して言えば、最早彼等に「男らしさのようなもの」は無い。至極残念だが、しかし社会的な正しさが「金の有る無し」ぬ向いている世界では、むしろそういったモノは足かせにしか成らないのだ・・・・・・誇りや執念が世界を変えてきたが、ここにきて男の価値観、そういったモノは「ズレた古い考え」になり、大半の男は腰の抜けた、労働に身をやつし酒に溺れて博打に走り、それでいて家の中の小さな権力に固執する、そんな矮小な生き物に変えてしまった。
 女も男も由々しき社会問題になっているのは事実だ。女に関しては、ただでさえ大きい声で横から偉そうなことを言うくらいしか役に立たないのに、家に引きこもって「家事の真似事」をするのがブームになっている。女は家を守るから、仕事は必要ない、と。道理だが、最新鋭のレトルト製品に頼る女ばかりのこの世界で、彼女たちの言い分は悲しいくらい説得力が無い。どんな時代でも女という生き物は、現実的な能力、金を稼いだり現実に役立つことをするよりも、感情で感じてコミュニティーを作り子孫を残す、それに特化している以上、女が役に立たないのは必然だ。大昔から女はこうらしいが・・・・・・無論、男も同じようなものだ。
 要は大多数に流される馬鹿が増えたおかげで、男は仕事に対する「誇り」をなくし、奴隷のように働くことが美徳となって、家族を「誰が金を入れていると思ってるんだ」と叫んで殴ることが社会的な正しさに成ってしまった。最早ただの暴漢なのか分からない位に。子供に背中でモノを教えるのが男の務めだと聞くが、最近は賭博にふける背中を見せる男が、多くなってしまった。
 そんなモノを見て子供が尊敬するわけがない。 大抵は年を取り、死にかけてから後悔するらしいが・・・・・・つまり未来の子供に見捨てられて「合法的に」始末される父親は多くなった。
女は女で美徳を無くしきり、子を産んだら後はドラマを見ながら旦那に文句を言い、それでいて家事も次第にせず子育ても適当になり、家でごろごろするのが日常になって、何の役にも立たないがストレスだけは貯めていき、家の金を使い込むのだ。無論、ロクな人間にはならない。人の金、人の権威、そういったモノを自身の力だと思いこんでいながら、それを自覚しない女は沢山いる。つまり女に魅力はなくなったということだ。
 そんな世の中で、我々には居場所がない。
 ジョンも、そうなのだろうが・・・・・・我々にある思想は、実に古い。簡単に言えば世間に、時代に置いて行かれた男たち、とでも言えばいいのか・・・・・・古い価値観で生きる人間には、苦労しかないと、分かっているはずなのだが。
 私は器用に要領よく生きてきたはずなのだが、どうもこと「作家業」にだけ言えば、気に入らないことに古い考え、男の生き方にこだわってしまうだった。この考えさえなければ、作家にはなれなかったかもしれないが、金持ちにはなれたかもしれない。上手い具合に、両方得たいが、しかし何か一つに集中することでしか、人間は大した結果を出せないものだ。
 必然的に作家になったのかと言えば、まぁ否定はできないが・・・・・・いずれにせよ、金があって豊かで、突然銃で自殺するナイーブな作家には絶対成らず、比較的平穏で幸せになりたいモノだ。
 作家は大抵非業に終わるが、私には冗談でもない噺だ。そんな生き方は御免被る。
「それで、このあとどうするね?」
 ジョンはそう私に話しかけ、つまみのレバー肉を口に放り込んだ。最近では、合成肉以外はかなり珍しい。私も頂くことにした。
 実に奇妙な味である。
 味わいながら考える・・・・・・私にとって金は「生きるため」の道具でしかない。だが、道具がなければ前へ進むこともままならない。道具だけでも当然無意味だが、志だけでも無意味だ。
 今回の依頼は、その両立を求められている。
 過程と結果、両立するのは「運」が必要だ・・・・・・・・・・・・人間は、どれだけ積み重ね、執念で目へと進んでも、人間だけの力だけでは勝てない。
 理不尽だ。
 理不尽だろう。
 しかし事実だ。我々は勝つべくして勝つことを許されてはいないのだ。横暴すぎる気もするが、現実には「何か」が味方しなければ、勝てない。 その何か、は運不運なのだろうか?
 その可能性は高い。
 そして「天運」とでもいうべきか、それを味方に付けない限りは、どれだけ足掻こうが何の価値あるものも作り出せず、報われないと言うのだから、人間の意志には、意味がない。
 あってもなくても、まるで等価だ。
 私の描く人間たちは、案外、何の価値もない無意味なものでしかないのだろうか・・・・・・「神」がいたとして「天」が味方しなければ勝てないと言うのならば、我々は空高くどこか遠くにいる奴らの「おべっか」をするためにいるのだろうか?
 だとすれば、私は。
 私は。
「おい、大丈夫か?」
 顔色は良くなかったらしく、ジョンはいぶかしんで私を見た。
「大丈夫かどうか、なんてどうでも良い噺だ」
「んなこたぁないだろう。健康は大事だぞ」
 物書き、と少年のように笑って言うのだった。 こんな、人への優しさだとか思いやりだとか、あるいは人情とでも言うべきものに、何の価値もなく、現実にはクズ共が良いように生きている。 結果が出せない以上、人間の意志、その誇りだとかに、私はどうしても意味も価値もあるとは、到底思えない。綺麗事はどうでもいい。
 私は勝ちたいのだ。
 だが、勝つために必要なモノが、それはどのような状況でも同じなのだろうが・・・・・・運不運ならどうしろというのか?
 私は私自身の依頼で動いた。私自身に対して依頼をし、それを引き受け、成し遂げた。 
 プロの条件は依頼を受けたら「結果を出す」ということだ・・・・・・「世紀の傑作を書く」という
私から私への依頼は成し遂げた。だが、だからといって金にならなくて良いわけがない。
 いつぞやの精神の内面への旅を思い出す。

 依頼を成し遂げたのなら堂々としていろ

 プロなら、きっとそういう答えを出すのだろう・・・・・・納得はできないが、仕方あるまい。
 黙って苦境に耐えるのも、プロの役目か・・・・・・・・・・・・作家のプロというのは、いや、プロという生き方になって分かったことは、正当な報酬がないとやる気を削がれるということだ。
 やれやれ、参った。
 一流足らんとすることは、こうも報われないことなのか。しかし、私はそんな在り方では納得できないし、するつもりもない。
 報酬をもらって、ようやくプロだ。
 金にならなければ、私は認めない。
 結局のところ人間に許された在り方は、愚直に前へ進むことだけなのかもしれない・・・・・・運不運だというならば、私にできることは無い。
 私が断言できるのは、「結果」がともなわなければどのような仕事であれ、遊んでいるのと変わらない。どれだけ美徳を並べようが、何の意味も価値も無い、ただそれだけだ。
 現実は、そういうものだ。
 この世は金という名前の「結果」で回っているのだから。
 今回の依頼は、さて、どうでるか。
 今回は多くの「死」が絡んでいる。
 そうでなくては面白くもない・・・・・・大量虐殺はよくあることだ。自分達には関係ないのだから誰一人として気にはしないし、する奴もいないが、そういう意味では世の人間はとっくに情のあふれる人間らしさを、生きるために手放しているのかもしれない。
 いずれにせよ人間は「運命」の奴隷でしかないのだ。努力も信念も意味は無い。何をしようが我々は運命に従って、それが自分の力、人間の石の行いの結果だと、そう「思いこんで」運命に支配されている人生を送る以外に道はない。人間の信念は美しいが、力はない。人間は無力だ。
 少なくとも「運命」が死ねと言えば死ぬ。人間の執念や意志には、その程度の価値しかない。
 人間賛歌など、その程度のモノだ。
 人間はその程度だ。
 だから、精々妥協して、適当に楽な道を探すとしよう。人生とは。持っているか持っていないかで、その「運命」で善し悪しが決まり、足りなければ妥協して我慢して、それでも不満があれば苦しんで死ぬしかない。その程度の、ただの苦行なのだ。何か、人間の意志だの誇りだの、そういう「美しいもの」を求めることが間違っている。
 この世界にはゴミしかない。
 人間の意志も理想も、同じことだ。
 無論、願を求めて人間は旅をするが・・・・・・・・・・・・それは「愛」だとか「富」だとか、私のように己自身の欲望であったり、いや、私の場合己自身の「足りない何か」を埋めるために、願いを叶えようとするのだが、しかし、あらゆる願いは、叶ったとたん、輝きを失うものだ。
 夢のある人間は多い。
 しかし、夢が叶い願を叶えて、未来へと歩み出した人間の行き先は、悲惨なものだ。
 夢を叶えたところで、その先にあるのは絶望でしかないのだ。金を求めて手にしたところで、愛を求めて手にしたところで、人間は、決して幸福になど、なりはしない。
「お前に夢はあるのか?」
「どうした、急に」
 ジョンは、面食らったようだった。当然だ。とはいえ、わかりやすい男であるが故に、答えは想定内のモノでつまらなかった。
「無論、あるともさ。美人と酒だ」
「美人には飽きるし、酒も同様だ。人間は願いを叶えても、いや、叶えたからこそ、自身を地獄へと叩き込む」
「・・・・・・また、極端な噺を」
 するな、と彼は呆れたようだった。
 しかし事実だ。
 現実は、そういうものだ。
「夢とは見るものだ。叶えれば日常になる。そして日常とは大抵が、苦痛であり苦悩でしかない、頭痛の種でしかないただの地獄だ」
「夢を叶えることは、地獄だと?」
「ああ、人間はどうやったって救われない。夢に届かなければ絶望し、夢に届いたならば地獄を歩み続ける。人間は、苦しむために生きている」
「まぁそう言うな。その分、この世界には娯楽が溢れているではないか」
「いや、娯楽など、本質的には存在しない」
「何?」
「現実には苦痛しかない。娯楽というのはな、その地獄より非道なこの世界にも、何か素晴らしいことがあるはずだと、有りもしない希望を胸に抱いて、自身を誤魔化すためのモノでしかない。現実のみを見ていては、人を食い物にする外道になるしか道はないからな。だから」
「だから自身を騙して、つらい現実に目を向けないためのモノだとでも?」
「物語など、その典型だろう。噺をどれだけ綴ろうとも、世界は何も変わりはしない」
 この世界は、絶望で出来ている。
 希望は対義語ではない。ただ、そういうモノがなければ理不尽だと、人間が思い描いた都合の良い空想でしかないものだ。
 この世界において、希望は何の力も、影響も、持ちはしない。
 希望は、強いて言うなら無力を指す言葉だ。
 人間が本来届かない「勝利」を掴むには、誰かの後押しが必要だ・・・・・・あらゆる噺、あらゆる物語で「仲間との協力」という美談が語られるのはそのためだ。しかし
 私のような破綻者には、その「誰か」は存在し得ない、だからこその破綻者だ。
 問題があるとすればそれは「運命」にあるのだ・・・・・・人間の運命は、産まれる前から決定づけられている。成功も不幸も失敗も幸福も、全て。
 だが、運命を「克服」したり「打ち破る」方法は存在しないのだ・・・・・・映画のフィルムが予定通り流れるように、変えることは出来ない。
 喜びも。
 絶望も。
 全て「運命」の枠の内だ。
 絶望しかない「運命」を持つ人間の方が多いだろうが、それは「仕方がない」くじのようなものだ、外れを引いたら、どうにも成らないだろう? 我々は運命の完全なる「奴隷」だ。
 他に道はない。
 出来ることは精々、後に自身の意志を伝えることくらいのモノだ。最も、そんなことに意味はないし、無駄と言えば無駄だ。
 人間の意志にすら、意味も価値も無い。
 そういう意味では、私の人生は、運命を克服しようとし、運命の流れに逆らうだけの人生だった・・・・・・結局のところ、作家業もその「絶望のみが記された運命」を覆すことが出来るのではと、すがりついただけかもしれない。その結果私は傑作を作り上げ、成し遂げたが、それによって「運命に対する勝利」を手にすることは、決して無い。 私は運命に敗北したのだ。
 あるいは、最初から勝敗は決まっていたのかもしれない。
 しかし、それでも。
 人間の幸福を求める在り方が、美しいと、そうであって欲しいと、願う。無論、現実には何の意味もなさないが、それくらいしかこの世界には、見るべきモノがないと、まぁそういうことだ。
「お前は人生に何を見る? ジョン」
「無論、楽しむことだ」
 これである。まぁ、細かい部分を見て見ぬ振りをして生きてきた人間と、細かい部分があろうが無かろうが居に介さぬ人間とでは、もとより相容れるものではないのだろう。
 無論。私は居に介さない。
 そんなわけがない。
 何人死のうが、この世界が絶望でどれだけ染め上げられようが、私には関係あるまい。とはいえ私自身があまり、おいしい思いを出来ていないと言うのだから、笑えない噺だ。
 人を食い物にすることを良しとも悪しとも、文字通り、因果応報とか言う、天罰だとかといった馬鹿げた行いくらいしか、警戒するには値しないものでしかない。まぁ、そういった「因果応報」だとか「良い行いをしている人間が救われる」みたいな下らない精神論が、何の意味もないゴミだということを、私は身を持って証明してしまっている。
 どれだけの信念も、奇跡は起こさない。
 何人殺そうが、罰を与えるのは人間の法だ。
 ばれなきゃ、別に、どちらも構わないものでしかないのだ・・・・・・神が人間を救うモノだったとして、実在するのだとしても、同じことだ。
 神の眼鏡に叶った奴だけが、救われる。
 法の目に叶った奴だけが、裁かれる。
 つまり、この世界は如何にばれないように、人を殺して人を食い物にして、表面上は善人として振る舞えるのかどうか? それだけだ。
 運不運こそが全て。
 運命には逆らえない。
 神話を見れば分かりそうなものだが、神でさえそうなのだ。悲劇の運命には逆らえない。言ってしまえば人間を救うと豪語している神々ですら、運命を克服してはいない。
 彼等もまた、運命の奴隷なのだ。
 精々、手を抜いて生きるしかない。
 それが人生だ。
「ふん、教科書通りのつまらない回答ありがとうよ。実につまらなかった」
「やれやれ、物書きってのは皆こうなのか?」
「そりゃそうだろう。基本的に差別され、迫害されて作家を目指し、失敗して絶望し、思いのままに筆を動かし、成功すれば搾取され、失敗すれば何も得るモノすら無い。人間に格差を付けるのならば、ヘタを押し付けられた最低低の奴隷だよ」「おいおい、いくらなんでも言い過ぎだろう」
「そうでもない。物語を読んで希望を貰えるのは読者だけだ。作家そのものは悲惨な、貧困や病や迫害や、少し調べれば分かるものだが、大抵ロクな末路は辿らない。苦しむことだけが、作家という生き物に神様とやらが押し付けた義務だ」
「・・・・・・まぁ、一杯飲め」
「私は下戸でな、遠慮する」
 酒を飲んで連帯感を錯覚し、現実から逃避する趣味は、今のところ無い。
 私はやり遂げたが、それに対して結果が伴わないことに「落ち込めない」自身に苛立っているのかもしれない。人間は普通、そうやって心の平穏を保つものだからだ。
 私にはそれがない。
 つらいときも悲しいときも、それをそうだと感じ取れず、絶望して考えることを止めることも、開き直って考えないことも出来ない。
 そう、出来ている。
 産まれた瞬間から。
 それに関しては断言できる・・・・・・私は「心」を持たずに生まれ出た、「最悪」の人間だ。
 心が無く、それに悲観もせず、本来そう言った運命を持つ人間が、人並み以上に何か、秀でている「つじつまを合わせるための才能」も無い。
 物語とて、書き上げるのに随分と時間がかかった・・・・・・まぁ、あまり金になっていない以上、別に何の採算も取れてはいないのだが。
「お前はどうなんだ、ジョン。軍人なんて使い捨ての駒でしかないだろう?」
「戦う意義はあるさ」
「思いこみだ」
「嘘じゃない」
 馬鹿馬鹿しい。
 人を殺すためにある集団に、それ以上の価値はあるまい。
 だが彼は言った。
「違うんだ。この胸の中にあるものだとかではない、後に託す人間たちのために、俺は戦う。だから無意味じゃない」
 お前の物語もそうだ、ともっともらしいことを言うのだった。
「それこそ当人の思いこみでしかあるまい?」
「違うさ、「後に託す」という意志がある。その意志は決して、消えはせん」
「ただの陶酔だな」
 くだらない。
 人間の意志が奇跡を起こすなら、もう少し世界はマシになっている。この世界は、何千年何万年続けようが、現実には地獄のままだ。
 誰かが笑うために、他の大勢は泣け。
 それが世界の法則だ。
「物語など、どうせ言うほど心の中には残らないものだ。何か教訓を受けたフリをして、次の朝には忘れて、何も成長しないまま人間は前に進むものだ」
「違う、そうじゃないだろう?」
 私を見据えて、彼は言った。
 大男なので威圧感があり、ともすれば自衛のためにうっかり「始末」しそうだったが、しかし真摯なまなざしで私を見るのだった。
「意味はある、無駄ではないさ・・・・・・人間の意志は受け継がれて行くものだ。そこに受け継ぐ人間がいる限り、俺たちは無駄じゃない」
「生憎、私にはそんな人間はいない」
「お前の物語は全く、誰にも読まれなかったわけではあるまい? なら、少なかれ受け継いだ人間はいるさ」
 金銭の多寡など、それが多いか少ないかだと、適当なことを言うのだった。そんな理屈で私は納得するつもりは無かったが、とりあえず答えを出してやることにした。
「それは詭弁でしかない。本当に「人間の意志」に真の価値があるならば、金になってしかるべきだ。尊いとか受け継いでいる人間がいればだとかそういう「言い訳」でおまえたちは、この世界の理不尽から目を背け、「尊いモノは他にあるからいいんだよ」と、妥協の言葉を投げかけているだけにすぎん」
 安っぽい偽善でしかない。君には君だけの個性があるなどと、そんなことは自身の活かせる個性が何なのかさえ、対して考えなかった連中が下らない連帯感を産むためだけに作り出した実に壮大で愚か者らしい言い訳を考えただけだ。
「仮に、受け継がれることが尊いものだとして、だからといって「人間の意志」が安売りしているブランドモノの値段より、金にならないという事実は曲げられるモノではない」
 現実問題、事実として、人間のそういう尊い意志だとか受け継がれるべき本物だとか、そういう執念と意志の産物に限って、大した金にはならないものだ。
 それが偽善でないなら私は悪人でいい。
 その方がマシだ。少なくとも、薄っぺらい偽善者共よりは。
「大昔から人間の意志には大した値札が付いた試しがあるまい。例えどれだけ美しかろうが、現実に人間を満たさない以上、詭弁でしかない」
「愛は心を満たすだろう?」
「それも思いこみの自己満足にすぎん。麻薬と変わらないさ。あるいは、電脳世界のゲームと同じようなものだ。プロセスが違うだけで、欲望を満たすための道具という点に関して言えば、全くの同義だ」
「おいおい、愛はゲームじゃないだろうし、欲望でもあるまい?」
「同じだよ。「満たされたい」という願望を愛で叶えるか麻薬で叶えるか、ゲームの達成感で叶えるのか、いずれにせよ、「結果」は同じだ」
 最も、健康に悪い麻薬をやって、死んでもしらないがね。だが、手段をゲームにしたところで、多少目が悪くなる以外は、何一つ「結果」は変わるまい。
 愛など存在しない。
 ただそれを尊いと信じる人間が、そう「信じたい」だけの人間が、いつも多いだけだ。
「そんなんで良く生きてこれたな」
「亡霊と変わらんさ。私は死んでいないから、さまよっているだけだ」
「そうかい」
 ビールを一気に飲み干し、ジョンは言った。
「それじゃあ、そろそろ、仕事に移るかね」
 ロクでもない人間同士で、ともう一人の協力者の方を向いて、やれやれと肩を竦めるのだった。


第五巻


   0

 この物語は有料だ。
 立ち読みをするんじゃない。
 思うに、人間とは生まれや育ちで大体決まってしまうものである・・・・・・宿業が深ければ尚更だ。 その業が物語。
 書きたくない書きたくない読者の事なんてどうでもいい。金だけあれば十分だ・・・・・・そんな風に思いながら、嫌々、今日も私は物語を紡ぎ、読者共に嘘っぱちの希望を魅せ、金にしている。
 そういえば、だが、作家になるのに才能とかそういう「優秀さ」が必要なのかと、以前人工知能に問われたことがある。
 答えは当然、否だ。
 そんな訳がない。
 そも、良ければ売れるわけでもない。
 マーケティングとデジタル面での独占能力こそが、作品の善し悪しを左右するこの世界で、才能など実に下らない、あろうがなかろうが存在が無意味なものでしかない。
 まぁ私には才能も無かったが。
 科学的に説明(科学も宗教みたいなものだからいかがわしくはあるが)すると、人間には身体のイメージ、確かボディイメージ(そのままだが)と言う機能がある。
 身体を思考とブレさせないこと。
 これが意外に、難しい。
 所謂普通の人間は、これが十分に発達していないらしく、武術家などはこれを鍛えに鍛え、思い通りの型の動きをするそうだ。作家の場合、思考と意識の表現、つまり文字によって自分自身を、物語という枠で表現すること。 
 これは誰でも出来る。
 時間さえかければ、だが。フランス語を馬鹿でも数ヶ月住んでいれば話せることと、理屈は同じだろう。
 誰にでも出来る。
 時間をかけなくてもそれこそ、私みたいに何十年も賭けずとも、出来る人間はいるだろう。ただ、人の心を魅了するとなると、それだけでは、何の意味もない能力だ。
 破綻した人生を送るほど、面白い。
 まぁ、私は別に作家として大成しても、嬉しくも何ともないので人事のように話すが・・・・・・それに全てが全て、そうでもないだろうが、そういう人間の方が、狂気のある人間の方が、普通の人間では届かないし行こうともしない部分を表現できるから、魅了しやすいと言う噺だ。
 どうでもいいがな。
 問題なのはあくまでも私個人の利益だ・・・・・・だが業というのは厄介なモノで、外すことが出来ないからこそなのだろう。私の場合案外あっさり外して幸せになれるかもしれないが、大抵は、大抵の行き着いた人間は、作家は特に、早死にする。 苦悩か貧困か病か、いずれかがないと人間は思い上がるとかそんな言葉もあるが、しかしそんなもの無いに越したことはない。苦悩したことなど人生で一度もないが、他二つは明らかに邪魔だ。 私は原因不明の病を抱えている。
 だから何だって噺ではあるが、しかしどうだろう? 私は病にかからなければこうも、自己中心的で清々しいまでに己の保身を気にする人間に成ったかと言えば、正直分からない。
 長所は短所であり、短所は長所であるならば、今後の私の課題はその業を克服することだろう。 背負った業を、そのデメリットを克服する。
 これが出来ずに大抵の偉人は苦悩して死んでいるが、私はそうなるつもりもない。金以外で何かに悩んだことなど、一度もない。
 世界は金で出来ていると私は言ったが、あれは嘘だ。訂正しよう。
 世界は金で動いている。
 そして、世界を金が動かすのだ。
 どちらかでは足りまい。世界とは所詮、個々人の自己満足でしかないものだ。だからこそ、私は決して満足しないこの身を、満足させなければならないのだろう。
 満足。
 あり得ない噺なので、いやただ満足したいだけならコーヒーでも飲めばいいのか? とにかく、人生における充足みたいな意味合いを、私はあまり「作家」という生き方に、期待していない。
 辞めることも出来ていないが。
 実際、何故辞められないのか不思議だ・・・・・・案外あっさり、金が有り余っていれば、それこそいつ辞めたって良いのだが、人生における「やりがい」や「生き甲斐」として、自身で固定してしまったからな。
 今更外すのも面倒だ。
 他にアテがあるわけでもない。
 生き方など私にとってはオプションパーツみたいなモノだがな。いずれにしてもどうでもいいことだろう。今やっている生き方に、あれこれ言ったところでどうなるわけでもあるまい。
 今回は、そんな人間の業について語ろう。
 と、言ってはみたものの、案外私のことだ。突然手のひらを返して幸福について語り、家族の素晴らしさを頼まれてもいないのに無理矢理説明して、したかと思えばひっくり返す。
 かもしれない。
 先の見えない物語であることだけは保証しよう・・・・・・なんて、これもただの思いつきだが。
 読者に魅せること。
 それだけは確実だ。
 問題は私の魅せるモノは、悉くが「人間の裏側であり、見ないで済ませようとする部分」であることだろう。だから

 読み終わった後に、後悔だけはしないように。 まぁ、読者共の心情など、知らないがね。

   1

 プロというのは生き方をはずせない人間の在り方だ。ならば私はプロの作家ではあるものの、私の作品が人の心を打つのかと言えば、打つ気はあまりないが、物事の事実を突きつけ、「お前たちの信じる正義など、その程度だ」と、あざ笑うことを考えていることだけは、確かなことだ。
 革製の鞄を置いて、私はカフェでコーヒーを飲みながら、次回作を検討していた。正直そこまで頑張って書く必要はどこにもないので書きたくもなかったが、だから私は指が痛いから書きたくないなぁと嫌々、渋々、書いていた。
 手が勝手に動くのだ。
 動かなくていいのに。
 比喩ではない。迷惑な話だ。私の掌部分は何かにとりつかれているのかと思ったが、しかしよくよく考えれば、長い訓練(そんなつもりはまるで無かったが)のおかげか、私には思考と表現のブレが無いどころか、腕が勝手に動くのだ。先んじるのは素晴らしいが、少し体力を考えて欲しい。 能力のある人間が羨ましい。
 楽そうで・・・・・・能力の有無で言えば、私は計るべき能力が無い、測定不能ではなく能力というカードそのものを最初から持ってはいないので、私からすればどうでもいい話だが。
 過程が華々しいだけだ。
 結果が在れば、構わない。
 だが、能力の多寡と言うよりは、この場合、理屈からも理論からも、あらゆる常識を意にも介さない人外の方が問題だ。・・・・・・作家にはそういう人間が多いな。それに、そういう人間は総じて「ちょっとそこまで」感覚で、世界をむちゃくちゃにするものだ。比喩でも何でもなく、実際その人間の書いた物語を読んだ人間が、次々に自殺するという実話を聞いたことがある。こんなのは、能力とか技術とか、そういう理屈で計れる領域を越えている。
 まさに人外魔境だ。
 私のような普通極まる人間には、理解しがたい話だ・・・・・・まぁ、自身が異端であるかさえ、目的となる結果が伴えば、どうでもいいのだが。
 私はそうだ。
 どうでも良さ過ぎる。
 悪の自認があるかさえ、どうでもいいのだ。
 悪だと自認したところで、別に何をもらえるわけでもない。金を払うなら考えるが。
 まぁ善人ではないだろう。
 しかしそれほど大層な悪かどうかは、結局は周りが決めることなので、どうでもいい。そこまで大層ではないと、後から文句を言われても、私からすればただ迷惑なだけだしな。
 偽悪者ぶるつもりも・・・・・・いや、私の場合間違いなく生まれついての悪、それも極めて珍しいタイプの、悪の自覚と、感情によるブレーキのない存在そのものがどうかしている悪なのだが、変に期待されても困るしな。
 私は生まれついての悪だ。
 だが、そんなことはどうでも良いことだ。
 問題は金になるかどうかだ・・・・・・善も悪も社会の都合でしか無いのだから、気にするだけ無駄と言うものだ。社会が変われば善悪の基準も変わるのだから。
 そんなものは、どうでもいい。
 そもそも、人間はすべからく生まれついての悪なのだ。善人など、一人もいない。
 誰かの悲鳴で誰かの希望が出来ている。
 世界は残酷で、汚い部分を見なくても、生きていけるほどには寛容だ。
 この世界で生きると言うことに対して、まじめに考える人間は随分減った。世界は変わらないが人間は小さくなった。その上で言うが、人間、いや人間以外の存在でも、生きる、ということは何かを成し遂げるための行動だ。
 私は既に成し遂げている。
 成し遂げ続けている。
 物語を、紡ぎ続けている。
 だからこそ思うのだ・・・・・・私は生きている、間違いない。だが、人間というのは、誰かに何かを託して伝え続けることを良しとしてきた。
 それこそが種の存続だと。
 だが、私には伝えるべき相手も、伝えたい相手もいない。読者共がいるだろうと思うかもしれないが、しかし、どうでもいい。
 伝えたい相手ではない。
 第一、伝えることは出来ても、託せまい。
 託すに値しないと言うよりも、私の意志を受け継ぐ存在など、いるのだろうか? いたとして、受け継がせるのは趣味じゃない。
 虚無からでなくては。
 何もないところから産まれる狂気にこそ、輝きがある。それがなんであれ、受け継いだものでは意志が弱い。
 所詮他人のモノだからだ。
 だから私は、人間としてのまっとうな生き方よりも、死んだ後のことなど知らないとばかりに己自身だけを見据えて、ここまで来た。
 それが間違いかどうかなど、知らない。だが、誰にどう言われようが、間違っているとは思わないだろう。
 思う気はない。
 私は、間違っていないと、人間としてはどうだか知らないが、作家として、成し遂げていると、自信に誇りを持てるだろう。
 問題なのは、そう。

 私が愛すらも持たずに産まれた最悪の人間であること、ではない。

 私は、己の道を信じることは出来ても、満たされることが、心を満たすことが、出来ないのだ。
 被害者ぶるつもりはないし、悪人ぶるつもりもない。だが、人間として手に入れるべき実利が、私の場合掌からこぼれ落ちる。
 許せるものか。
 人間の信念、など、私は信じていない。私は作家としての業を背負ってここまで来た。信じることは最初から、選択肢にない。
 だが、それならばどう幸せになればいいのだ。 方法が無いなら探せばいい。だが。
 それも、随分長い旅だった。
 まだ、続くのか。
 もうそんなモノはないと、諦めてしまおうか。 それもいい。
 とはいえ、作家として生きるなら、諦めはしても考えることを辞めるわけにも行くまい。だからこそ、私はここにいる。
 さて、どうするか。
 今回の依頼は

「主人公を殺して貰いたいのです」

 そう女の神は私の前に立ち、言い放った。


第六巻


   0

 「弱さ」とは何だろうか。
 愚かさとはとは違う・・・・・・ただ考えることを放棄したり、耐えることが賢いと思い込んだり、あるいは自分のことを自分で考えなかったり、それは愚かしさであって、弱さではない。
 誰にでもある内側だ。
 「それ」を恥じることはそれこそ「愚か」だ。誰にでも弱さはある。もし、弱さが無いならば、それこそを恥じるべきだろう。
 弱さのない人間など、マネキンと同じだ。
 弱さがなければつまらない。
 弱い、ということは負けることと同義ではない・・・・・・仮初めの強さ、肩書きで強く振る舞う馬鹿はどこにでもいるが、そうではないのだ。
 弱さを知り、克服しようとするからこそ、人間は輝きを放つのだ。最初から強い奴が勝つのは当たり前のことであって、自転車に乗れたと大の大人がはしゃぐような見苦しさがある。
 強ければ勝つのは当然だ。
 弱くても勝つからこそ、面白い。
 現実にはなかなか上手く行かないがな。それに私には弱さから生まれる強さも無いかもしれないので、弱くても勝つ方法など知らない。
 だが、弱い人間の不遇は理解できる。
 強さ弱さなど、結局のところたまたま身についているものでしかない。磨き上げた「強さ」を、天性の才能だとかそういう「便利なモノ」を使わない強さの証明。己の人生を賭けて磨き上げた、魂の結晶を武器にしたもの。人に強さを誇りたいならば、まずは人生を賭けて「何か」を成せ。
 それしか道は無い。
 少なくとも弱い人間には・・・・・・弱ければ、時間と手間と労力を費やすしか、道は無い。私自身、馬鹿みたいに長い年月を掛けて作家になった。
 なったところで、金になるかは別問題だが。
 つまり夢を叶えるのは簡単だ。夢を売るのが難しい。だから弱者は環境の整っている強者に敗北しやすいのだ。認められないし、認めさせることが異様に難しい。
 それが原因で不遇を嘆く。
 当然だ。生きていれば上を見る。無論私のように平地でも金があれば満足な人間はいるだろうがしかし、金が無くても良いわけではない。
 誰だって己の道を歩いていたいモノだ。自分の満足する結果を得て、満足する結果を作り、順風満帆に生きたい。
 才能、だとか幸運だとか、そういう「下らなくてどうでも良いもの」によって、遮られるのでは不平不満が募って当然だろう。だが、この考えは半分正解で、半分間違っている。
 環境が怪物を育てることもある。
 無論、そうでなくても、平和な環境下で傑作を作り上げる人間も、無論いる。ただ、抑圧された環境下では、何故かアイデアが出やすいらしい。 私は何時でもアイデアに困らないが。
 私の場合今までの生き方と先を見据えて思想を固めるからだろうが・・・・・・絶望する環境が、悪魔のような地獄が、悪辣な思考回路が、傑作を生むことがあるのだろうか? だとしても、当人からすれば迷惑極まりないだろうが。
 生き方は選べないと言うことか。
 だとしたら、本当に迷惑な噺だ。
 心の底からその人間のことを「どうでもいい」と思っておきながら、「道徳」とか「正義」とか「普通」とかを説いて、物事を要求する奴が居たら、そいつは「強者」だ・・・・・・自信の身勝手な都合を押し付けられる存在こそが邪悪だ。
 だから強者とは「邪悪」のことなのだ・・・・・・そもそもが、強いからといって何かを押し付けて良い理由はどこにもない。「社会」における強者であれば、この世界は何人死んでも、どんな汚い手を使おうと、どれだけ理不尽でも、許される。
 それが邪悪でなくて、何なのだ?
 道義的正しさとは、とどのつまりそういうことなのだ。道義を押し付けられる側の都合でしかない。ただの言い訳だ。
 人を踏み台にしている事への。
 踏み台にして、尚、彼らは「良い人間」でありたいのだろう。きっと「人を殺して」でさえも。 良い人間だと、認められたい。
 気持ち悪い、生理的嫌悪感をむき出しにせざるを得ない醜悪さだ。強い人間とは、所詮そういうものだ。
 なら、弱者とは何なのか?
 これはそういう「物語」だ。
 弱さを武器にすること、一概に「悪」だと断言は出来まい。それを武器に誰彼構わず踏み台にし利用するなら紛れもない「悪」だが、弱さを克服し、あるいは受け止めて前に進むことが出来るのならば、どうだろう。
 無論、弱さというのは個性のようなもので、完全に克服し「己の内から消し去る」などと言うことはできっこない。だが、受け止めることは、できなくもない。
 なんて、ただの綺麗事だが。
 弱さを武器に戦うことは簡単だ。だが弱者が勝てるように、この世界の社会構造は出来てはいない。戦えば応戦され、悪意を以て挑めば悪意を以て返される。
 それが世の中だ。
 弱者が勝つ方法は、一片たりとも無い。
 最初から勝てないことが義務づけられている・・・・・・極々一部の「勝者」の為、花壇に入れられる肥料のように。
 ならば勝てない弱者が挑むことに「意味」は無く、「価値」は伴わないのか? この物語はその答えを探す物語だ。
 さあ始めよう。とはいえ勝てない側は勝てないで終わるかもしれない・・・・・・何を学ぶことになるかは重要だが、勝つことだけが全てではないが、願わくば「希望」を持てる結末があるように、この場を借りて祈るとしよう。
 

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 誰だって加害者だ。
 問題は被害者ぶって「正しさ」を押し売りする輩が多いと言うことだ。そういう連中は決まって社会的には「正しい」から厄介だ。
 正しいと言うよりも、ただ都合を押し売りできるだけなのだが、それを「自分は成功者だ」とか「自分の考えが間違っているとは思わない」だとか「ついてこれない奴こそが悪」だとか、要は自分以外の「正しさ」を一切許容しないのだ。そのくせ相手には許容しろと強要するのだから、かなりタチが悪い。
 「自惚れ」ほど厄介なモノは無い・・・・・・その自惚れが社会的地位に基づいている場合は、特に。 社会の構造的に、自惚れた成功者の尻拭いは、成功できていない人間たちが補うことになる。その上、成功者は失敗しても、その責任を負うことは絶対にない。
 下に押し付けられる。誰か自分よりも弱い人間に「おっかぶせれば」いい。誰だってそうだ。少なくとも、社会という歯車にいる場合は。
 ともすれば社会構造は実質的な「奴隷」を作り上げることに特化している。社会構造全体が進めば進むほど、成長すればするほど「奴隷」の数は非常に多い。
 そして社会的強者の言い分が「正しく」なるのだから、私から言わせればただ我が儘なだけだ。奴隷を増やして喜んでいる奴というのは、自分が奴隷商人だと言う自覚は無いし、むしろ「彼らの望むモノを用意している」だとか「それが社会では当然」だと思い込む。
 思い込まれても迷惑だが。
 正しさなどというモノが実質、存在すらしないことと同じく、「権威」や「権力」といった「偉さの基準」など、無理矢理それを暴力や金で押し付けているだけだ。子供が小さい奴を虐めておもちゃを巻き上げているのと、何も変わらない。
 金を払っても「奴隷になれ」などそうそう言えることではないのに、金すら払わない奴が多いというのだから、人間社会における「社会的正しさの基準」というのは、「殺人許可証」であり、その上「奴隷所有証明書」でもあるのだ。これは事実であり、目を背けられても困る。
 背ける奴は多いが。
 奴隷に金と権力をちらつかせて「自分たちは望んでこの環境にいます」と言わせることで、何というかそう「良い事」をしていると思うのだ。信じられない神経だが、奴隷を保有することは、彼らにとってステータスであり、誇りなのだ。
 薄っぺらい誇りだが。
 皆が言っているから合わせた誇りなど、子供が多数決で決めていることと変わるまい。ま、どうでもいいがな・・・・・・。
 とはいえ、弱いことはマイナスだけではないのだ、と言う人間は多い。少なくとも弱くなければ、創意工夫を凝らそうとはしない。そういう試行錯誤こそが勝つ為に必要だと、そう言うのだ。 実際は試行錯誤したところで、圧倒的な才能や権力の前では無力だが・・・・・・弱ければ何をしたところで「無駄」でしかないが、人間という奴は、いや読者共は「弱くても創意工夫で勝つ」物語を好んで読むのだ。きっと、自分にも出来そうな気がするからだろう。
 実際には無理だが。
 少なくとも私は出来た試しがない・・・・・・創意工夫を凝らしたところで「負けるべくして」負けてしまう。どれだけ計画を立てようとも、その通りに事が運ばないのでは意味がない。想定外に対応しようにも、そもそも想定外の事態に対応できるだけの力があればこんな苦労はしていない。
 乱暴に纏めてしまえば、やはり「強い」方がどう足掻いたって勝つものだ。少なくとも社会という奴は「勝つべくして勝つ側が勝つ」ように出来上がっている。負ける側が、奪われる側が、搾取される側が居なければ、社会は成り立たない。
 一部の人間が美味しい思いをする、社会は。
 社会という存在が、そもそも一部の人間の為にあるものだ。その中で全員が幸福になることはありえない。最初からそう作られているからだ。
 ならば「弱い」存在は奪われて搾取されていいように食い物にされるしかないのか? そうかもしれない。少なくともサボりがちな「神様」とやらが助けてくれるなんてことは無いだろう。
 ならばどうするか。
 強さではなく強かさを手に入れるのだ。それも想像を絶する強かさでなくてはならない。強いだけの人間では考えもしないだろう事を考えると、やはり弱い人間というのはハンデを負いながら生きているのだろう。そう思える。
 実際問題生きているだけ無駄だ。
 いったい何の意味があるというのか・・・・・・勝つ側に搾取されるための人生など、ない方が遙かにいいだろう。実際にはそういう人間の方が多く、無駄だが、自分を騙して「頑張れば良いことが」とか騙し騙し生きるしかないのだが。
 そんなものは無い。
 良いことは、持つ側のモノだ。
 金を持つ人間にしか「良いこと」は無い。
 生まれついての問題だ。持つ側か? 持たざる側か? それだけで人間は幸せになれるか決まってしまうのだ。これは事実だ。
 金があれば男も女も言いなりなのも事実だし、金で殺人の罪は消せる。何人地獄へ送ろうが、地獄の沙汰は金次第。金で買えないモノは、真実どこにもないのだ。
 持たざる人間の言い訳でしかない。愛や友情などまさにそうだ。結局金で全てが解決するこの世界に、言い返せなかっただけだ。
 それが事実だから。
 金が全て。
 大切なモノは金だけだ。
 大切なモノが無いのではなく、金が唯一世界で大切なモノなのだ。他に大切なモノがあるなど、ただの逃避だ。押しつけがましい。
 作家も同じだ。本物か偽物かはどうでもいい。問題は「金になるか」だ。だが、金になる物語というのは、中身がなくて何の役にも立たず、犬が書いた方がマシみたいな内容だが、しかし具体的にどうすればそこまでレベルの低い、カスみたいな作品を書き上げ、薄っぺらい感動を起こせるのか・・・・・・私は内容が無くても売れればいいので、その方が気楽なのだが。意識的にカスを書く、捨てたことを忘れたゴミみたいな、中身のない物語で儲けた方が嬉しいのだが、しかし、意識して、そういう物語を書くのは難しい。
 どうすればそこまで底の浅い物語を書けるものなのか・・・・・・底が浅すぎて真似が難しい。
 まぁ、底が浅いだけでは駄目だろう。問題はそんなゴミを一流の傑作だと「騙しきる」ことなのだから。騙して儲ければ勝利なのだ。
 少なくとも、中身が無くても読者は買う。
 これは事実だ。
 「流行」とかいう頭の悪い病気にかかっている人間は、簡単に金を払う。頭が無かろうが金を払えば客は客だ。私としては、ただ人を騙して道ばたに落ちた犬の糞以下の物語を売り払っても、何の罪悪感もないのだが・・・・・・神様って奴がいるとすれば、何故私にその役割をくれないのか。
 あちらの方がいいではないか。
 言っても仕方がないが・・・・・・しかし、何時だって考える。中身が無くても、人間性が薄っぺらくとも、ただの幸運の産物だとしても、「金」になればそれが勝利だ。
 綺麗事は空しいだけだ。
 現実にはカスが勝利する。金の力、権力の力、権威の力、幸運の力、暴力の力で、勝利する。人間性がゴミ以下でも、その方が美味しい思いを出来るなら、私はそちら側を目指していきたい。
 嘘くさい道徳はこりごりだ。
 何の役にも立ちはしない。
 金があれば何でも買えるのだから。
 男も女も金で買える。そも労働は人を奴隷として買うものだ。人の心は金で買われている。結婚するのも金のためだ。友情を育むのも、そこに金が絡むからだ。あるいは、金に余裕があり、趣味として楽しんでいるだけだ。
 人間関係など、金次第でどうとでも転ぶ。
 金で動かないモノは何一つ無い。
 希望も絶望も金で買える。
 国の指導者の地位も、道徳を決める権利も、幸福になれる人生も、皆、口に出して言う勇気もないだけで、金で買えることは誰にとっても明白なことでしかない。
 無論、金を持つことの出来る「持つ側」はあらかじめ決められている。だから「持たざる側」は頑張って奴隷になるしかない。誰の奴隷になるかは自由だが、比較的マシな奴隷になるしかない。 金のない人間はただの奴隷だ。
 金がある人間は奴隷の支配者だ。
 殺しても、奪っても、犯しても、誰もそれを認めないだけで、事実そうだ。持つ側は何をやっても許される。金があるからだ。
 金があれば殺人も「不幸な事故」だ。警察機構ほど金で動かし易い存在はあるまい。そもそも組織である以上、金が絡む。金が絡む以上、金で動かせない道理は無い。
 無駄、ということだ。
 持たざる側に産まれた時点で、何をどう足掻こうが無駄だ。それは事実。確固たる事実だ。
 生きることに意味はない。強いて言えばたまたま持つ側に産まれるかどうかのギャンブルだ。ギャンブルに勝てば、一生美味しい思いが出来る。負ければ、一生奴隷になる。
 人生とは、ただそれだけのことだ。
 サイコロを振っているだけ
 後は消化試合でしかないのだ。
 それでも諦めきれずにあらゆる手段を用いて、あらゆる方向から敗北し続けて来た私が言うんだ間違いない。
 全く、何の結果も残さない、無駄な作業だった・・・・・・実利が伴わないならただの浪費だ。
 努力だとか、そういう「崇高みたいなモノ」の噺はするつもりもない。大体が本当にその道を志しているのなら、「気がついたら作品を執筆していた」くらいの感覚に陥るものだ。非常に迷惑な呪いだが、作家である以上外せないのか?
 書きたくもないのだが。
 いつのまにか何万文字と書き連ねているのだから、少なくとも私の場合は執念だとか信念だとかそれこそ誇りがあるからだとか、そんな綺麗事で納められてたまるか。ただの呪いだ。非常に性質が悪いし、はっきり言って金にもならないのに迷惑至極、面倒なことこの上ない。
 ああ、書きたくない。
 大体が何故、背負った業だろうが何であろうが私は、そんな呪いに付き合わねばならないのか? 私は適当に読者を騙して、カスみたいな作品を売りつけるだけでも良いというのに・・・・・・迷惑な噺だ。読者のことなどどうでもいい。どれだけ内容がカス以下でも、売れればそれでいいのに。
 実利があれば真実など価値もない。
 言っても仕方ないが、だからといって不満が消えるわけでもない。実に嫌な気分だ。
 何かを押し付けられるというのは。
 作家としての業など、誰か代わりが居なかったものか。
「いませんよ」
 そんな奇特な性格をしているのは、地球上でただ一人、貴方だけです。そんな失礼な台詞を、依頼人の女は掃き掃除をしながら言うのだった。
 私は境内にいた。
 無論地球の、である。いちいちここに来るのは非常に面倒だが、しかし「寿命」がかかっているのだ、仕方がない。テクノロジーで「寿命」そのものは幾らでも延ばせるのだが、「運命による結末」を延ばすには、流石に神の力でも借りるしかない。まぁ、この女が神かどうかは知らないが。 どうでもいいが。
 神であろうと悪魔であろうと、この「私」の利益にならなければ、同じ事だ。何かを成し遂げたからと言って、それが金になるわけでもない・・・・・・私は長い長い回り道を経て、作家として物語を書けるようになったが、意味はなかった。
 嬉しくもない。
 神も仏もいるかは知らないが、いたところで、少なくとも作家の労力は見る気があまり、ないらしい。迷惑な噺だ。何事につけそうだが、因果が応報しないならば、誰がやる気を出すというのか・・・・・・少なくとも魂を賭けた物語の数々は、私に富を運んでくれた試しが無い。
 まごうことなき「本物」である自信はある。
 だが、金が付随しなければ、空しいだけだ。
 自己満足とは金があって初めて成り立つのだ。「本当にそう思うのですか? 幸福とは欲から手に入るものではないでしょう」
「だが、欲がなければ空しいだけだ。私は、立派さなんてものは欲しくもない。立派さに酔って己自身を犠牲にするよりは、その方がいいだけだ」 思うのだが、私は「幸福」を追い求めて旅をしてきたが、やはり私には「幸福」など最初から手に入りっこない「運命」なのではないか? そうとしか思えない。だとすれば「何をどう足掻いても」無駄ということなのか・・・・・・。
 だとしたら、本当に無駄な頑張りだった。
 私の人生に、始めから意味などなかったのか。どれだけ手を尽くしたところで「無駄」ならそういうことになるのだろう。
 事実だ
 それが事実なら、下らない結末もあったものだ・・・・・・幸福になれるかは「運不運」だというのだから。人間の意志など、ない方がいい。あったところで苦しみ、見せ物として偉そうな連中に、勝手に楽しまれるだけだ。
 大抵の人間は、現実、事実として生きることは辛いことしかないし、苦しいことしかないと悟ると、酒や煙草に逃げることで現実から完全に逃避し、苦しさを麻痺させながらこなして、死ぬ間際辺りに後悔しながら死ぬ。
 何も成し得ないまま。
 なんて楽そうな人生なんだ。羨ましい。
 成し得るかどうかなど楽かどうか、金になるかどうかに比べればどうでもいいしな・・・・・・生きるということをまじめに考えず、他人の道徳に従って、悪いことがあれば解決しようともせずに酒や煙草で忘れ、無かったことにする。
 思考を放棄するから苦しみもない。
 そんな人間の人生など、考えることの無い人間の人生など、あっという間だ。
 何一つ成長しないかもしれないが、しかし実際成長したから何なのだ? あの世で誉められるのだとして、それが何だ。
 作家をしていて思うのは、無意識下で「そこ」へアクセスできれば、誰にでも物語は書けると言うことだ。同人作品とかあるだろう? 本家との違いは深さでしかない。誰にでも、生涯を賭ければ出来ることでしかない。
 特別ではない。
 それに憧れるなどどうかしている・・・・・・何事も眺めるのが楽しいのであって、実際に物語なんて書くものでは無い。執筆が如何に面倒か、読者は知らないのか?
 無論、私はそれを生き甲斐にしているが。私の場合最近は無意識に近い。気がついたら終わっている。無論、嬉しくもないが。
 金にならなければ。
 金になれば喜んでやってもいい。
 完全に自動書記というわけでもない。ただ単純に「書くべき事」が私の今まで歩いた道のりから決まっているだけだ。ただのそれだけ。才能だとかそういう便利なものでもない。大体が才能があろうが無かろうが、金にならなければ一人で遊んでいるのと変わるまい。
 所謂「本当に大切なこと」とやらは、少なくとも私の人生には「存在しない」のだ。そんなありきたりな幸福が存在しない、というのにそれを求めることこそが「幸せ」などと・・・・・・迷惑だ。
 少なくとも、この「私」にとっては。
 何事に付け「持っている人間」なら何とでも言える噺だ。「余裕」があれば綺麗事を言える。だからこそ、本来は余裕の無い人間が「それ」を口にして、前を向いて生きる姿が「希望」に成るべきなのだろうが・・・・・・最近の人類には、期待すべくも無い噺だ。
 まったくな。
 まぁ私は説得力が欲しいとは思ったことはないし、説得力がない人間でも、豊かなら構わない。 他者の感じる説得力など、どうでもいい噺だ。「貴方は、変われると思わないのですか?」
「変わる・・・・・・」
「ええ。どのような人間でも、時が経つにつれ成長し、変わるものです。変わることから逃げているのではないですか?」
「変わる、か。少なくとも私からすれば、あるのか無いのかはっきりしない変化を望むなど、有りもしない空想を見ることと変わらない。「変われるかもしれない」と思うのは勝手だが、変われないかもしれないし、別に、何か変われるという保証をくれるわけでもあるまい?」
「ええ。ですが、良い方向へ変わろうとすること・・・・・・それもまた「生きる」ということですよ」「思うのは自由だ。しかし今のところ、そのとっかかりもないのでな。まぁ、他でもないこの私の歩く道に、そんな「希望」みたいな便利なモノ、それが偶々手に入るなどと、楽観的になれないだけだ」
「そうですか」
 掃き掃除をしながら、女は答えた。
 女の意見というのは、どうも根拠のない希望に満ちている気がしてならない。脳の形の違いなのだろうが、根拠もないのに希望を押し売りされても、困る。
 根拠が全くないと動かないのでは、見たくても希望を見れないのだろうが・・・・・・この「私」には今のところ、根拠どころかそんな可能性は元から無いのではないかと、感じているところだ。
 むしろ、だからこそなのか?
 こんな希望のない時だからこそ、信じる。
 馬鹿馬鹿しい。私はそういう試みは既に試し終えている。何をどうしようが、失敗するときは失敗するし、負けるときは負ける。
 個人の策など、なんの力も持たない。
 これはただの実体験だ。
 ただの「事実」でしかない。
 成すべきを成せば後は天命を信じるのみと良く言うが、しかし並の作家5年分位の作品量を、ここ最近書き上げたばかりだ。まぁ、並の作家と比べるべくもない出来映えであるのも確か。
 私からすれば当然だが。
 だとすれば私にはやるべき事、成すべき事などとうに済んでいる。作家なのだから書くべきなのだろうが、しかし書いても書いても金にならないのでは、噺になるまい。
 作家に出来ることは書くことだけだ。
 それ以外をそもそも期待するなという噺だ。これ以上何をすればいいんだ? 宣伝か? それを個人で出来ていれば、苦労しないと思うが。
 ここで言いたいのは、このように「それ」に人生を賭けて生き、「それ」を成し遂げたところで世の中は所詮「運不運」だと言うことだ。全く以てやる気の失せる現実だ。
 この世界は、この様で「信念には力がある」などとほざくのだろうか・・・・・・どうでもいいがな。 この世界に「絶対的な尺度」が存在し得ないように、生きることに対して「納得」などという言葉は幻想でしかない。「自己満足」なのだ。全ては・・・・・・その自己満足を金の力で「肯定できるか否か」いや、「無理矢理肯定させる」と言うべきか・・・・・・それが「正義」と呼ばれるモノだ。
 世界は事実に沿って出来ている。
 だからこれらは全て「事実」だ。変えようのない事実。それを「道徳」で計るのか、「客観的事実」で計るのか、ただそれだけの違い。道徳で計れば「崇高そうな」雰囲気がでるだけだ。
 ただのそれだけ。
 意味はない。
 そこに人間の美しさなど、有り得ない。
 人間、少し物足りないくらいの方が「満足」出来ると言われているが、生憎私にはそれすら無い・・・・・・だから金だ。何を置いても、金。
 幸運とは金を手にすることだ。
 幸福は金ではないかもしれないが、幸運は金そのものだ。まずはそちらを手に入れなければな。 金、金、金だ。
 私は金の力で「幸福」に生きてみせるぞ。
 私の人生にはそんな便利なモノは無かったが、大抵の人間は「自分の思う理想の英雄」や「その英雄が唱える夢」などに、すがることで夢を見ることが出来る。
 他人の夢だ。
 他人の信念だ。
 他人の意志だ。
 しかしそれにすがることの出来る卑怯さを持つのも人間だ。私からすれば楽そうで羨ましいが、しかし彼らはそれで「幸福」になれるらしい。
 すがる対象が倒れたとたん「こんなはずは」だとか言って現実逃避する辺り、底が知れている気もするが・・・・・・そういう人間、弱いことを省みず堕落した人間が多いのは、事実だ。
 弱いと言うより、狡いと言うべきか。
 狡くて、強か。そのくせ自分を立派だと「思いこんで」いる。そういう人間は多い。
 楽そうで羨ましい。
 誰かに思考を預けるのは、さぞ楽なのだろう。 後を絶たず、そういう人間は出てくるものだ。 いずれにせよ人の都合で動く「労働」も似たようなものかもしれないが・・・・・・だが、「作家」としての金の供給が安定しない限り、労働、去れかの都合で動くこともやらざるを得まい。そして人の都合で動くことに対して「満足感」だとか「やりがい」だとか「充実」など望むべくも無い。
 人の都合で動く時点でそこに「納得」など有り得ない。そういう意味では私は「作家」として金を荒稼ぎしない限りは「幸福」には決してなれないのだろう。精々「マシな奴隷」として少しでもマシな奴隷労働者として動くだけだ。
 いい加減解放されたいモノだ。
 人の都合で動くことは。
 皆、己の都合以外は考えていない。労働などその最たるモノだ。自分の都合で動くことを正しいと思えと、強制されるだけだ。
 押しつけがましい宗教みたいなものだ。
 幸福も同じだ・・・・・・家庭だとか愛情だとか友情だとか言われたところで、私にはそんなゴミを幸福だとは全く思えないし、できない。
 無理なモノは無理だ。
 私はそういうモノで幸福になることは、未来永劫有り得ない。そう出来上がっている。
 最初からそうだった。
 所謂「普遍的な幸せ」は、私にとって相容れないモノでしかない。だからこそ、幸福が充実感だというならば、仕事を「生き甲斐」にすることで幸福になれるのならば、やはり作品を書き続けるしかないのだろう。
 私は作家だからな。
 書くことでしか、幸せになれないのかもしれない・・・・・・元来、作家とはそういう「生き物」だ。 それを考えれば不自然でも何でもない。
 思うのだが、「成るべくして成る」というのが「運命」ならば、私のこの生き様すらあらかじめ「決定」されているのだろうか? だとすれば、我々の行動に、意味はあるのか?
 断言する、無い。
 だからこそ私は「宿命」や「運命」といった存在を克服することに血道を上げているのだが、しかしなかなか上手く行かない。いや、どう足掻いたところでやはり、変えられないのかもしれない・・・・・・運命とはそういうものだ。
 美しくはあっても、運命にあらがうことそのものは、何の結果も得られない。
 全て、無駄。
 弱者の運命ならば、苦しむしか無く、勝者に産まれれば楽しむしかない。それが真理なのか?  その答えを探すために、私は物語を書くことを続けている。いつもだ。いつも、考える・・・・・・だが、最近はそれも疲れてきた。私が作家として、いや人間として呪われていても知ったことではない。ならばそれに見合う幸福をと、長い長い道のりを歩いてきたが・・・・・・答えは見つかる気配も無いままだ。
 努力すればいつか幸せになれるなどと、苦労も知らない「持つ側」は言うが、ならばいつだ。
 百年後の未来か?
 馬鹿馬鹿しい。
 今、この瞬間にでも報われなければならないのだ。「いつか訪れる」など、ただの言い訳だ。いつかと言わず今、寄越せ。
 宿命から取り立てられようとする人間は多いが私は逆だ。今までの因果に見合う、あるいはそれ以上のモノを求めている。だが、どうも宿命というのは取り立てられる側になると、払う気がないらしい。
 迷惑な噺だ。
 身勝手な噺だ。
 嫌な、噺だ。
 もういっそ真面目に「生きる」と言うことと向き合うのを辞めてしまおうかとさえ思う。何も考えずに人から聞いた「道徳」みたいな聞こえの良い言葉を何も考えていない脳味噌で話し、何一つ実行せず、何一つ知らず、何も成し遂げていないのに社会的な立場だけは媚びを売ることで一人前になり、奴隷の素晴らしさを説き、金を見栄と恥のために浪費し、金がないと叫びながら浪費し、その社会的立場も当人の脳内で立派なだけで、自分たちが人を貶めていることに気づかず、口にする綺麗事だけを支えに、豚のように生きる。
 ああなれたら楽だろうな。
 私には無理だが。
 そこまで頭が悪くなれる方法を、知らないし知りたくもない。私は曲がりなりにも人間だ。失敗作かもしれないが人間だ。豚ではない。
 あれは生きているとは呼ばないしな。
 彼らは生きていまい。
 自分達の一生が、ここに一度しかないかもしれないことを、思わずに「あの世」などという妄言を信じている。あの世があったとして、そんなロクデナシのクズ共に、行き先があるのか?
 今、この瞬間を生きてすらいない豚に。
 恐らく死んでも治るまい。彼らには現実を認識する能力がないのだ。ゲーム感覚、とでも言うべきなのか。個性の薄い人間というのは、大体そういうものだ。
 自分が無い。
 それすらも唯一の個性だと、思い込んでいる。 型にはまっていると言うのか、それも駄目な方向にばかり、だ。
 馬鹿じゃないだろうか。
 駄目な部分を受け継いで、どうするのだ。
 人間の意志は受け継がれるべきだ。親から子へ子から孫へ、それが「生きる」ことの目的の一つのはずなのに、皆が皆「立派さ」みたいなモノに執着して、結果誰よりも薄っぺらいクズ以下に成り下がる。
 「立派さ」とは、クズだけが手に入れる。
 大体が立派な人間など、立派さを押し付ける奴など人間性がしれている。何故そんなモノを求めるのか。それはきっと「自分が無い」ことに起因するのだろう。
 彼らは自分に自信がないのだ。
 当然だ。何も積み上げてこなかったのだから。 そのくせ立派さだけは欲しがるとは・・・・・・厚かましい上迷惑な奴らだ。しかし、そんな馬鹿そのもの、つまりクズでも、「幸運」があれば幸福かどうかはともかく、富は手に出来るというのだから、ああいう豚以下の存在の方が儲かるのか?  本当に、嫌な噺だ。
 生きることが、馬鹿馬鹿しくなるほどに。
 別に立派だと言われれば当人の人間性が肯定されるわけでもないのだが、そう思う人間は多い。 そんなどうでも良い部分だけ進化してどうするつもりなのだ・・・・・・まぁどうでもいいか。
 どうでも良くないのはそんな連中と金がなければ同じ扱いを受けることだ。真正面から同じ道のりを歩き続け、作家としてやり遂げてきたが、どうもそれには「結果」が伴わない。
 書くことを辞めてしまいたい。が今更書くこと以外を求められても困る。だから私はこうして、「始末」の依頼を受けに神社の境内に来ている。 当人の意志と関係なく。
 ここに来ている。
 まぁ良い女の姿が見れて目の保養になることもあるのだが、だからといってこれ以上便利に使われるのは御免被りたかった。私は作家業で財を成したいのだ。断じて副業で満足したいわけではない・・・・・・最近は口にするだけ空しく感じるが。
 そうかと思えば良くわからない「幸運」で豚みたいな人間が大きな財を成したりする。金が手に入れば何でも良いが、「仕事」を「生き甲斐」とするためにも、物語を金に換えたいモノだ。
 しういう疑問のあれこれを、私は境内で神に語りかけることにした。いや、神かどうかは知らないが、人間でない視点、というのも面白そうだったからだ。
「なぁ、何故こうも「弱さ」を助長した社会に、人間社会は成ったのだろうな」
 テレビ越しに表面的なモノを眺め、薄っぺらいモノを賞賛し、祭り上げる社会。そして社会とは人間の世界そのものだ。
 思えば、最近「深い作品」というのを映画でも小説でも見ていない。昔の作品ならあるのだが、決まって馬鹿売れはしていないし、取り上げられてもてはやされるのは、決まって見た目だけやたら派手派手しいものだ。
 中身は無い。
 それでも売れる。
「それは簡単ですよ。人間とは感情で生きる生き物ですから、感じ入れればそれでいいのです。だから中身だとか、真実だとか、「生きる上でどう考察するべきか」なんて考える貴方のような人間の方がかなり稀ですよ」
「そうなのか?」
 間髪入れず彼女は首肯した。
「はい。そも、そこまで精神が成長する人間は稀です・・・・・・大抵の人間は成長しなくても生きていけますから」
「確かに」
 金があれば成長は必要ない。
 何でも買える。
 例え無能でも、金があれば勝利者だ。
「そうとは限りません」
 などと納得しかけた私の思考を中断するのだった。この女、私と逆のことを言っているだけじゃないのか?
「いいえ、違います。現世、とでも言えばいいのでしょうか。貴方達が生きている世界を終えれば終わり、ではないのですよ。貴方達の言う死後の世界のその先ですら、貴方達は貴方達として、続く世界を生きていかねばならないのです」
「ふん。要はこれで終わりではないと?」
「ええ」
 あの世、なんて知ったことではないが。しかし精神を成長させて、何の意味があるのだ? 確かにあの世に金は持って行けそうもないが、しかしそれは精神が成長したところで同じだろう。
 何が変わるわけでもない。
「そんなことはありません。貴方達は今、物質的な豊かさに支配されていますが、その先の世界ではその観念はありません。精神のみが介在する世界では、金など無意味です」
「だとすれば、同じじゃないのか?」
 どちらにせよ結末は変わらない。
 そうじゃないか?
「ですから、己の精神だけで生きることになります・・・・・・そこには金や名誉、地位や肩書きで己を誤魔化す余地はありません。精神が未熟なままであれば、物質的に完全に満たされる精神の世界でも、心が満たされることなどありませんよ」
「私には心など無いがな」
 つまり何かで己を誤魔化したところで、あの世ではそれらを持って行くことは出来ない、とそういう噺らしかった。
 精神の成長、か。
 嬉しくもない。
 私は精神を成長させて「凄いね」と言われたいわけではないのだ。金によって己の成長が阻害されたところで、必要とあらば無理矢理にでも成長するだけだ。
 金、金、金だ。
 この主張は譲らないぞ。
 譲ってなるものか。
 綺麗事で納得することが、私は嫌いだ。
 まぁ綺麗事の方が強い力を持つので、負け犬の戯れ言かもしれないが・・・・・・思えば、我ながら呆れるくらい、平坦な道を歩けなかった。



第七巻


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 中身が無くても堂々としていろ。
 私を少しは見習え・・・・・・何一つ、文字通り「何一つとして」持たない私を。そんな人間でも何年も何年も馬鹿の一つ覚えみたいに作品を書き続けていれば、それなりに映えるものだ。
 まぁ、作品が、作家業が無くても私は何の根拠もなく空っぽの中身に自信満々だった気もするのだが、私に限っては「もしも作家でなかったら」は正直、論ずるだけ、無駄な気もするしな。
 はっきり言って作品を、物語を綴るのは大嫌いだがな・・・・・・疲れるし面倒だし、書きたくないのにアイデア、というか「書くべき事」だけは多すぎて、執筆の筆が止まってくれない。
 いい加減、嫌になる。
 少しは私を休ませろ。
 それが嫌なら金を払え。
 私の「作家業」は半ば、いや殆ど「解除不可能な呪い」みたいなもので、心臓を外したら生命が死ぬように、私個人のやる気がどれだけ無かろうが、「呼吸を止める」ことは出来ないように、辞めることは出来ない。
 忌々しい限りだ。
 本当に。
 「傑作の予感」がすれば否応無く筆を動かしてしまうのだ。面倒くさいが、殆ど本能的に指が動くので、抵抗は無意味だ。
 何とかならないものか。
 それを消したら、私は「私」で無くなるのだろうが。上手い具合に「執筆衝動」だけを抑え、快適な生活を送りたいモノだ。
 言っていて空しくなるが。
 不可能な噺だ。
 それが出来れば苦労はしない。
 それが出来れば・・・・・・私は作家をやっていまい・・・・・・背負った「業」とは、結局の所「外れない呪い」と同義と言うことか。
 忌々しい噺だ。
 忌々しい・・・・・・「業」だ。
 私はそもそも噺を読んで欲しいから書いているわけでもないしな・・・・・・読まれるだけ読まれて、金を払われないのであれば、泥棒にあったのと変わるまい。
 そんなのは御免だ。
 そんな読者ばかりの気もするが。
 「綺麗事」は必要ない・・・・・・幸福になれるかではない、ただの「勝敗」であれば、「一方より何も持たない人間」こそが、飢えと渇望で勝利を収める。私は勝利そのものに興味はないが、「分かり合うことが幸せ」などという、「私には適応されない、豊かな人間のルール」が心底気に食わないというだけだ。
 金だ。
 必要なのは、いつだって、金。
 綺麗事が私を救ったことは、 無いのだから。 綺麗なだけの言葉など、ただの飾りだ。
 私は実利を求める人間なので、そんな役に立たない戯れ言は必要ない。必要なのは現実に理不尽を、時には邪魔者を「排除」できる「力」だ。
 綺麗事はそれから考えればいい。
 今は必要ない。
 余裕ができて、初めて考えることだ。
 私の腹が満たされることなど無いことは、私自身が誰よりも自覚している。それでいい。構わない。満たされないなら食べ続けるだけだ。
 空っぽの中身で堂々と。
 面白いモノを求めて。
 それでいい。
 その方が・・・・・・面白い。
 こんな風にあれこれ手を尽くして「目的を果たそうとする」試みそのものが、「成るようにしか成らない」というこの世界にある「流れ」のようなものの存在を考えると、何とも無駄な気もするのだが・・・・・・私の場合、その「流れ」の中にいるのかどうか、疑問だしな。
 やれることをやるだけだ。
 いつだって。
 その結果屍の山がついうっかり築かれるかもしれないが、まぁ結果的に金になれば問題ない。少なくとも、私にとっては。
 作品のネタと金、得られる実利以外はどうでもいい・・・・・・気にするつもりすらない。
 他はどうでも良い噺だ。
 誰でも同じ事だ。上品ぶって気にしているフリをしているだけで、誰かのことを思い、心を痛める人間など、初めから存在しない。それこそ物語の中の世界にしか、「心優しい人間」など、いるはずもない。
 自身の利益を考えつつも、「良い人間」でいたいがために、誰かを傷つけたところで見ないフリをし、自己弁護する。
 それが人間だ。
 いや、この場合そういう人間が増えてきたと考えるべきなのか・・・・・・人間は千差万別のはずだがどうも、科学が発展し前述した「余裕」のある人間という奴は、かなりの度合いで画一的になりつつあるのだ。
 型にはまると言うべきか。
 数が多くなれば役割が増えるのも当然だが、考えずに動く「働き蟻型」の人間に、本来そうでない役割にまでも、影響されつつある。
 その方が楽だからだろう。
 それを人間と呼ぶのかは謎でしかないが、少なくともそんな人間が「進歩」や「進化」をするとは思えない。案外、人間は殺し合いによる絶滅ではなく、緩やかに思考能力を失って、退化し続けた果てに土に返るのかもしれない。
 なんてな。
 人間の「精神の成長」に「物語」が、仮に必要だとして・・・・・・「精神の成長」に「限界」はあるのだろうか?
 成長しようともしない人間も数多くいる。先述したその他大勢などがそうだが、私はこれを種族を維持するために必要な「機能」だと捉えている・・・・・・全人類が作家みたいに成ってしまえば、それはそれで問題だろう。
 役割がある、ただそれだけのことだ。
 だが、その役割も侵されつつある・・・・・・こんな時代だからこそ、私は「人間の精神の限界」を描きたいのだが、もし人間の精神が成長するなら、その先に限界なんてあるのか?
 成長すれば良いという噺でもないが、恐らくは際限なく自身の精神を成長させてしまった人間こそが「狂人」と呼ばれるのだろう。そして、そういう人間こそ、物語においても魅力を持ち、人を惹きつける「何か」がある。
 それを書くのが私の仕事だ。
 だから、考えねばならない。常に、だ。魅力のない登場人物が何をしようが誰も興味を持ちはしないが、魅力ある人物であれば、例え卵料理を作るだけでも絵になるものだ。
 思うに、自分自身に自覚的であることが条件なのではないのかと、私は思う。悪人か善人かではない。むしろ、悪であろうが己の目的のために邁進し続ける人間にこそ、輝きがある。
 強力な個性になる。
 読者共は羽虫のようにその光に惹きつけられる・・・・・・当然だ。「ああなりたい」あるいは「あんな人間がいれば面白い」それこそが物語を読む理由だろうからな。そして、強力な「悪」は、「結果」を強く追い求めるものだ。
 だが、物語に「過程」を重んじる、綺麗事を口から垂れ流す「主人公」という奴らは、大抵が結果そのものよりも、そこに至るまでの過程、人間の意志を尊重しようとする。
 吐き気がする。
 綺麗事に殉じて、綺麗に死んでいきたいのだろうか? と嫌悪する。何故、結果のために手を尽くす「悪」が負けなければならないのかと、私は物語を読む度に思うものだ。
 悪こそが。
 悪こそが、過程はどうあれ、本来勝てない相手に勝とうとする戦士ではないか。
 「過程」が正しければ「結果」はついて回るものだと抜かすのは簡単だが、それが事実なら誰一人としてこの世界に憤ったりしない。
 ただの綺麗事だ。
 そして、綺麗事を言うだけならば誰にでも、猿にでも、口だけなら私にでも出来る。
 思うに、自分たちが偶々裕福で持つ側にいて、それが「努力」であると信じたいが為に、自分たちが崇高で尊いものだと信じたいが為の身勝手でそういう綺麗事を押しつけるのではないだろうか・・・・・・世の理不尽を直視できないのだ。
 直視せずに、生きているのだ。
 そうじゃないか?
 でなければ「結果だけが本当じゃない」などと言えるはずがない。言えるものか。「結果」が伴わなければ意味がない。「良くやったな」と負け犬同士で慰め合うために、勝利を目指す奴なんてどこにもいない。
 上から目線の綺麗事だ。
 余裕があるからそんな戯れ言が言える。
 持つ側からしか、出ない台詞だ。
 そして「作家」という生き物は、それらとは逆で「持たざる人間」の究極でこそ、説得力のある台詞を書けるのだというのだから、何とも皮肉だ・・・・・・いや、そもそもがフィクションなのだから無論、知らなくても書ける。
 だが、不思議と理不尽に屈したことの無い奴が書く物語は、説得力がないものだ。
 私は別に物語に説得力を持たせたいわけでも無いので、本当にいらない手間でしかないが・・・・・・私は自分の作品を誉められたいと思ったことなど一度もない。傑作だと言う自負は当然あり、それを自認してはいるが、良く知りもしない誰かに、喜んでほしくて書くわけではない。
 あくまで金と充実の為だ。
 そんな私が、誰よりも「本物」の物語を書く素質があるというのは、皮肉としか言いようがない・・・・・・嬉しくもない。
 結局の所自己満足でしかないのだ。そして金にならなければ噺にならない。
 金は前提だ。
 金があり、その上で「過程」だとかそういう眠たくなるような「些末な」外堀を埋めていけばいい。やりがいや生き甲斐も、自己満足でしかないのだから、結局は自分に納得できるか、当人の心の問題でしかないのだ。
 そして私にはその心すらない。
 幾らでも自己満足できる。
 だから、本物なんて必要すらない。
 あるに越したことはないが、それだけあっても宝の持ち腐れも良いところだ。ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活、を豊かさとともに教授したいと願っている私からすれば、金がなければ前提から崩壊してしまう。
 金があれば平穏は買える。
 なければ、騒音は必ず押しつけられる。
 実際物語が書けるかどうかなど、それに比べれば大したことはない。私はちやほやされたくて書いているわけではないのだ。金の為だ。
 とはいえ・・・・・・「仮に」だが、もし、理由は何でも良い。ある程度「大金」と言える金を手にしたとして、まぁ宝くじだとか(あれは当たらないように出来ているので、あれこれ考えることを楽しむ娯楽だが)とにかく、「結果」のみを先んじて、手にしたとしたら?
 その時私はどうするのか。
 決まっている。まず本をその金で売りに出し、本を売るための宣伝をし、必要とあらば人を雇用して、有能な人間を金の力でこき使ってでも、私は私の「自己満足」人生の充実のため、いや変えられない「生き方」の為に、その金を使うだろう・・・・・・堂々巡りな気がしないでもない。 
 ともすればいつぞやの女に言われた台詞、何をどう足掻こうか、金を持とうが持つまいが、結果として行う行いは同じになる。という仮説が現実味を帯びてきて嫌な噺だ。無論、こんなものはただの例えであって、何の意味もない思考錯誤、言葉遊びのようなものだが。
 物語と同じく。
 意味のない「仮説」だ。
 仮の、噺だ。
 それとも、案外変えられるのか?
 「生き方」は変えられるのか?
 辞めることが、出来るのか?
 この物語はそれを知るための噺だ。だからこそ私は今回の物語に興味が沸いた。興味が沸いて、そしてそれを行動に移したとき、物語は生まれるからな。
 まぁ・・・・・・こんな風に「何かを求めること」で「幸福」に成ろうとしている時点で、歪んでいるのだろう。構わない。私はある意味「幸福」を求めてすらいないのだから。
 居場所など無くても構わない。世界の全てに、憎まれ恨まれ嫌われたところで、むしろ私には望むところでしかない。金、金、金だ。先立つモノを手に出来なければ進退窮まるだけだ。
 私は私が満足できればそれでいい。
 自己満足で構わない。
 本当の幸せは他にあるんだ、なんて押しつけられるのは御免だ。私の幸福は私が決める。幸福かどうかはともかく、金があれば満足できることは確かだ。
 欲望、というモノを本質的に持てない以上、その満足すら「人間のフリ」というか、借り物の、偽物の自己満足でしかないのだが、構うまい。
 面白ければ。
 それでいい。
 金がある方が、面白い。
 少なくとも不愉快には成らなくて済む。
 何一つ手に出来ない人間だというならば、当然の権利として不愉快なストレスくらいは排除したいだけだ。ストレスのない生活を生きるなど、人間の人生とは呼ばないのだろうが、元々非人間として生きてきた私に、今更「人間らしくあれ」など、鬱陶しいだけだ。
 愛も友情も勝利すら必要ない。「実利」とそれを活かせる環境下で、生きたいように生きられればそれでいい。
 自分で言うのもなんだが、私は非人間だ。
 だから、真実望むものなど無い。金があれば鬱陶しいストレスを回避しやすい、というだけだ。 あの女は私に「愛」だとか「人間らしい幸福」を進めたかったようだが、大きなお世話だ。例えあの女の正体が怪物だったとしても、怪物ごときでは私の考えはわかるまい。
 むしろ、怪物の方が人間らしくはある。何せ人間に混じれなくて悩んだり、人間を愛そうとしたり、あるいは憎んだり出来るのだからな。自分の存在が異端であることに耐えられない、というのは、私から言わせれば「正常な証」だ。
 私は何の罪悪感も、劣等感も、羨ましいという感情さえも、全く、抱くことは無かった。
 本来ならば「人間らしく」自分が外れた存在であることに悩んだり悲しんだりするのだろうが、私は生来「悲しむ」だとか「喜ぶ」ということ、それそのものが「不可能」なのだ。心がないことに憤りたくても、その「心」そのものが無い私には、悲しみようがない。
 悲しみたくても悲しみが感じ取れない。
 理解は出来ても共感できない。
 我ながら因果な人生だ。
 まぁ、私個人は自身が非人間だろうが化け物だろうが何でも良かったが、唯一「不満」と呼べるモノがあるとすれば、やはり「持たざる人間」は「それに応じた何かを持つ」という世の中の理からさえも、外れていたことだろう。
 被害者ぶるつもりはないのだが、少なくとも世の人間共の基準では、私のような人間には物語でもそうだが、体に障害がある代わりに金を持っていたり、悲劇にまみれている代わりに才能豊かだったり、何というか、「バランス」を取るために何かしら持つものではないのか、という点だ。
 まさか何一つ、強さによる弱さも弱さによる強さも持たず、生まれてくるとは計算外だ。元々計算などしてはいないが、何というか、配られたカードで戦う人生で配られたカードは白紙だった、というような気分だ。
 現実問題勝つために、そのままではどう足掻いても勝てない。それを覆すためにも「金」という「わかりやすい力」は必要だったのだが、しかしそれさえも上手く行かないものだ。
 全くもって嫌になってくるが。
 そういう意味では割に合わないから文句を付けているクレーマーか。まぁそのクレームが聞き届けられることはないので、何かしら勝つために方策を練らなければならないのだが・・・・・・それも、もう、飽きてきた。
 何をどう足掻いても、私が「勝つ」ことは出来なかったからな・・・・・・無駄な取り組みは嫌いだ。疲れるだけだからな。
 どうにもならない、運命。
 もし私がそういう運命のレールを走っているとすれば、どうしろというのか。誰かの手を借りようにもその「誰か」がいれば、私はここまでいらない苦労を食いつぶしていない。
 かといって策を弄して上手く行くことなど無い・・・・・・策を弄すれば労するほど、失敗する。
 失敗、してきた。
 私は。
 ずっと。
 そうだったのだ。
 だから無駄な取り組みを省き、合理的に勝つために何とかしようと思うのだが、しかしそう考えると「何をどう足掻いても無駄」な訳なのだから「私の行動」そのものに意味なんてない。
 どう足掻いても、全てが無駄だ。
 どうしようも、無い。
 それで諦められればいいのだが、諦めた所で、結局は私が苦しい思いをするだけだ。つまり結論としては、生殺しのように「死に続ける」ことこそが、私に出来る「唯一の人生」らしい。
 全くもって笑えない。
 それが事実なら、尚更。
 嫌な噺だ。
 だからこそ「金」の噺に戻るのだが、そうもそれも上手く行きそうにない。こうなったら開き直って、都合良く「幸運」が落ちてくる位しか、やることもないな。
 出来ることはない。
 やれることもない。
 成し遂げた先が、この様とは。
 人生とは、わからないものだ。
 当然、ただの皮肉だがね。
 作家である私に出来ることなど最初から書くことだけだ。それ以外を多く求められ、活かす機会など無かったところを見ると、無駄手間臭いが。 そんな私でも反復練習を積めばとりあえず「人間の真似」は出来るように成るというのだから、よく分からない噺だ。全く共感は出来ないが、日常生活に支障が出ない程度には「笑う」ことが出来る。無論、私には「楽しい」という感情も実際良くわからないのだが、これに関しては生活に支障が出る、というか他人に指摘されることが多かったため、仕方なく合わせる為に「修得した」といった感じだ。
 何が楽しいのか、全く共感できないが。
 練習を重ねれば、自然に行うことくらいは出来るようになった。練習を重ねるだけで気楽に出来ることと、どう足掻いても修得出来ないことがあると言うことか。
 原理はわかるが、やはり共感の出来ない噺だ。実際彼らだって本当に心の底から楽しくて笑っていたりするのだろうか? 心無い私にはよくわからないが、心があろうが無かろうが、この世界に心の底から笑えるような「面白い事」なんてあるのか?
 それこそ「物語」のような作り話、嘘八百に、現実には無い夢を見るのだろうか? そんなものは、何の価値もない偽物だと思うが。
 まぁ当人達の勝手か。
 とはいえ、問題なのは夢を見ることに金を払わない人間が多いことだ。本を読むことに対して、「ただで当たり前」という考えが非常に多い。作家と読者は利害関係はあるが、友達ではない。ただで何かをくれてやる義理など、ありはしない。 そう考える人間は殆どいないが。
 皆、己に都合の良い現実を見ようとする。迷惑な噺だ。少なくとも、夢を金に換えようとする、私のような詐欺師からは。
 終わり良ければ全て良し、とは思えないのだ。私には「過去」が無い。どれだけ調べても記録としか呼べない、どこへ行って何をしたか位しか、出てこない。
 「未来」も同様だ。私には最初から「幸福には成れない」という「未来」が決定づけられている・・・・・・不確定な未来など、尚更信じられない。
 「現在」だ。今、この瞬間に満たされなければ嘘ではないか。「いつか幸福になれるよ」なんて「嘘」は容認できない。
 あらかじめ敗北と苦痛が約束された私は、運命に打ち勝とうとしてきた。だが、運命で決められている以上、無駄だった。
 人間はいつか死ぬ。
 死に様が良ければそれで良し、と納得するつもりは更々ないが、一考の価値はあるだろう。
 自分の在り方について、考えることは。



第八巻

   0

 狂気を武器にしろ。
 誰にでも持ち得る「武器」それは狂気だ。どんな環境に生まれようがどれだけ「持たざる側」であろうが、どれだけ人間から離れている、人間性のない化け物であろうが・・・・・・狂気は持てる。
 万人に与えられた「武器」だ。 
 それこそが力であり、人生の充実だ。
 生きる事を自覚したい? なら、狂気を身に纏えばいい。私のように「何を手にしたところで」幸福になれない化け物ですら、狂気を持つことで人生を「充実」させられる。
 無理矢理にでも。
 可能になるのだ。
 それが、狂気。
 それこそが「人間の本質」であり、人間の向かう先なのだろう。だからこそ、歴史を変え、人を変え、運命を変えるとすれば、狂気にまみれた人間だけだ。
 狂気こそが。
 不可能を可能にする。
 悪魔に憑かれたかのように、同じ事を繰り返す。何度も何度も。「成功するまで」繰り返し続ける。
 それが不可能でも。
 可能になるまで続ける。まさに道化だ。私などその良い例だろう。嫌だ嫌だ書きたくない書きたくないと思いつつも、背負った業はそう簡単に捨てられるモノではない。「作家」という「業」そして「狂気」という「指針」が、私を私たらしめる存在証明だ。
 私には「心」が無い。だがそんな私でも持てる・・・・・・いや、そんな私だからこそ持てる。
 「心」を「捨てる」ことで手に出来る武器、それが狂気だからだ。狂気とは、己の全存在を賭けて、一つの目的へ挑むことだ。
 ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活。そして「生きる」ことを「充実」させる。
 それが私の目的だ。
 金にもなっていない物語を書き連ねることでしか表現できない、私の証だ。
 だからって売れなくて言い訳ではないがな。売れるに越したことはない。売れてこその物語だという考えに、嘘はない。
 狂気とて、同じ事だ。
 形にならねば意味がない。
 そういう意味では、だが・・・・・・私は生きる上で本来求めるべき「生きた証」というモノを、既に達成できている。それについて達成感はまるでないが、感じるつもりもないが、あるに越したことはないだろう。
 どうでもいい。
 問題は、金だ。
 目的にするほど、目的とは達成できない。結ばれることそのものを目的とする女が、目先の人間すら見えないのとは違う。
 私は金を追ってきた。
 だが、その結果得られたモノは、およそ金とは関係がない、どころか「真逆」と言っていいモノばかりだ。それは「誇り」であり「信念」であり「狂気」であり「業」であり「生き方」であり、そして・・・・・・「生きるとは何か」を知る旅そのものだった。
 皮肉なことだ。
 金を得た人間が、得られずに苦悩するモノばかりを、私は手にしてきたのだ。本当に皮肉だ。そんなもの求めてすらいなかったが、何かを求めてそれをすぐに手に入れる成功者と、それに行き着くまでの間、長い長い遠回りを強いられ、何かを学び続ける道を歩かざるを得ない人間、いや、私のことを人間と呼べるのかは知らないが、つまり世の中の道は二種類と言うことなのだろう。
 結果を得て物足りなさを感じる人間。
 結果に至るまで遠回りが必要な人間。
 前者でありたかったが、今更言っても仕方がない。遠回りをしたところで「人間的な成長」などと言う戯れ言ほど、私に不必要な上、意味の無いモノはあるまい。
 私個人が必要とすらしていない。
 別にしたくもないのだから。
 だから、意味はなく価値はない。
 けれど、物語としては一見の価値があることを「保証」しよう。それこそ、物語の狂気に呑まれ正気を失ってしまうかもしれないが、なに、生きている時点で正気など、誰一人として持ち合わせてはいないものだ。
 それが生きるということだ。
 私はそうしてきた。
 押しつけるつもりもないが、その事実から逃げることは難しいだろう。生きている以上、生きること空は逃げられない。
 それが、人生というものだ。
 まぁ、私自身はそういう人間賛歌よりは実利を求める人間だが、そんな人間からでも見えるモノはあるということだ。さて、始めようか。
 邪道作家最後の物語を。なんて、こんな嘘に騙されているようじゃ、お前達、読み終わったときに正気を保てる保証は無いぜ。
 
 語り手は、他でもない「私」なのだから。



第九巻


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 「生きる」という事は「殺す」という事だ。
 何かを、あるいは誰かを踏みつけにし、それを己の糧にしなければ、生物は生存できない。悪意は何かを奪い取れるが、善意は余裕がなければ何の役にも立たないからだ。
 「邪魔者」を「始末」する。
 これは、何も私に限った事ではないのだ。別にそれで罪悪から逃れるだとか、そんな殊勝な事を考える人間、否、非人間では無い。私は、確固たる事実として「殺しこそが人生」という「事実」を、作家として取り上げたいだけだ。
 面白いからな。
 人間というのは不思議な生き物で、そういう事実からは目を背けたがる。「良い人間」で在ろうとするのだ。私には理解し難いが、周りの誰かに己の事を「悪」だと、思われることが耐えられないらしい。偽悪的に、というか悪人ぶって開き直る訳ではない。私は己が悪かどうかなど、己で定義して己で定める事柄だと認識している上、悪だと迫害されたところで「私個人の利益」が確保できてさえいれば、社会的な道徳などというクソの役にも立たないゴミを抱えて死ぬよりは、遙かに良い結果だろうと思える人間だ。
 罪悪感から逃げるだとか、開き直って自己肯定能力が高いとかではなく、そう思えてしまう人間、否、非人間であり、またそれで構わないと思っている。
 私の事は私が決める。
 だから一向に構わない。
 私から言わせれば、だが、悪も善も人間が勝手に言っている概念でしかない。そんなモノはこの世界のどこにも存在さえしないのだ。有りもしないもので行動はともかく、思想を縛られる覚えもないからな。
 無論、社会のルールから外れる訳でもない。むしろ私はそのルールに則った上で勝つことに血道を上げている存在だ。問題なのは異常性ではなくその異常性を上手く隠した上で、社会に適応し、金を稼ぐことだろう。
 何かを踏み台にする事や、何かの死体の上で物事が成り立っている現実から目を逸らすなど、生きる事から逃げている事に他ならない。生きる事は殺す事で、殺す事は生きる事だ。何一つ犠牲にせず手を取り合った未来など、妄想を通り越して傲慢だと言えるだろう。
 そういう人間が多いのは、この世界は思想や信念に関係なく「金」があれば生きていけるからだ・・・・・・大昔ならともかく、現代社会では精神的な頑強さや、物事に対する強かさは、必要ない。
 金が有れば誰でも生きていける。
 豚でも猿でも人間でも。
 金こそが全てだ。
 万能の力の前では、小綺麗な理屈など紙よりも薄っぺらい。資本主義社会において金よりも尊いモノはどこにもなく、金よりも信頼できる存在もまた、どこにも存在しない。
 しなくていい。
 その方がわかりやすいしな。
 有りもしない道徳を押し売られても迷惑だ。無論道徳などと言うのは金を持つ存在が決める事柄なので、結局のところ「持つ側」に回らなければ道徳も価値観も倫理観も全て、押し売られるモノでしかないのだが。
 金が有れば何でも買える。
 品性すらも。
 買えるというだけで、正直買ったところで意味がないのだろうが、現実に力を持つというその事実から、皆目を逸らそうと必死だ。
 家族も仲間も友人も恋人も組織も手下も全て、金があるからこそ成り立つ関係だ。人間が金で買える存在である以上、金で買えない時点で、それは人間の理から外れている、とも取れる。
 人間はどんどん死ぬべきなのだ。資本主義が人間社会を構築する以上、生きていて良い人間と、駄目な人間は確かに存在する。私は後者のレッテルを貼られながらもあれこれ試しはしたが、正直無駄な結果しか生んではいない。
 金が有れば生きていて良いし、金がなければ、否、金にならなければ存在価値など無い。ならば逆説的に「持つ側」こそが「幸福の権利」を持っているとも取れる。
 それ以外取りようが無いと言うべきか。
 正しさや道徳というのは、「味方するモノ」の存在の数で決まる。それは社会全体であったり、個人であったり、金の力で付けることも可能だ。私のように何一つ「味方」がいなければ「異端」となるのは明白だ。そして、それらは大概が金にならないものだ。
 金にならない。
 正しく、ない。
 正しさなどどうでも良いが、どの正しさが優先されるかが金で決まる以上、どうにも成らないことだけは確かだ。他の方法でそれを変えようとしてきた私が言うのだから、間違いないだろう。
 全て金だ。
 金で決まる。
 殺人すら、簡単に消しされる。
 虐殺は「仕方が無く」なり、陵辱は被害妄想になる。誰か代わりの人間に罪を覆い被せられる。 犯罪は犯罪でなくなり、むしろそれこそが正義だと言い張れる。戦争を起こしても賞賛され、人道を外しても正しくなり、倫理観を買える。
 あの世ですら金次第だ。天国にいけるかどうかなど「持つ側」かどうかで決まる。余裕のない持たざる人間が、善行などという暇つぶしを、やっていられるとは思えない。
 金、金、金だ。
 善悪など、金で買えるということだ。
 その程度、考えるに値しない。
 どうせ金で買えるのだから。
 どちらが正しいかなど、金額で決まる。
 札束の多寡が決めることで、個人であれこれ考える事案ではあるまい。
 人間は、金で買えるのだから。
 皆、本当の現実から、目を逸らしているだけだ・・・・・・金で買えないモノなど無い。
 真実など貫くのは美しいが、美しいだけで、何の力も持ちはしない。真実よりも事実だ。実利という力こそが、人間を豊かにする。
 金も持たない人間の幸福など、理想を歌っているだけだ。歌うだけなら誰でも出来る。現実にそれを実行できた人間など、誰もいないのだ。
 銀貨で人を売るのは当然のことだ。
 当たり前すぎて指摘する気にもならない。
 息を吸って吐くことに、お前達は疑問を抱くのか? 私は抱かない。それが当たり前だからだ。 とはいえ、それだけでは「生きている」という事を、人間は認識できないらしい。生きている実感とは、生きている事そのものとは「別」だからだろう。
 だからこその作家業。
 だからこその物語だ。
 ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活を、豊にし充実させる為にも、書いて読むことは切り離せないらしい。個人的には、背負った業などさっさと忘れて、適当に生きるつもりだが。
 中々、思うように行かない。
 それもまた「生きる」という事なのだろうが・・・・・・こうも毎度では、うんざりする噺だ。
 生きる上での免罪符、と考えるべきなのだろうか? まぁ、免罪符などと言うのは、私からすれば利益を堂々と貰うための方法でしかない。こそこそしながら実利を得るか、堂々と免罪符の力で金をもぎ取るかの違いだ。労力の多寡でしかないことだ。
 罪も悪も善も正義も、当人の心の中にしか存在し得ない。ならば現実に即した利益を追求することが、狡賢い大人の選ぶ道だ。
 道徳というのは自分が良い人間であるのだと、そう思いこむためにどっぷり浸かっているだけで、結果的には麻薬中毒者と変わらない。
 道徳におぼれるか薬に溺れるの違いだ。
 私はそんなモノに興味がない。
 少なくとも私は「人間」として見られたことが一度もないので、正直今更理解したところで、否感じ入ったところで無意味そのものだ。人間の価値基準は、化け物には縁遠い噺だ。
 人間か。
 人間など、一人もいなかったが。
 私からすれば、あちらの方が化け物だ。いいやもっと質の悪い「何か」なのだろう。どうでもいいがな。人間社会とは不思議なもので、人間らしくない奴隷こそを求める。その一方で人間らしさの素晴らしさを説き、他者に強要する。
 とどのつまり己の都合以外など何一つ考えておらず、どころか私のような利己主義よりも性質が悪く、それでいてそれを自覚しない。
 そんな「モノ」が人間なのだろうか?
 だとすれば、下らないモノだ。そんなくたびれた害悪を、求めるなどどうかしている。
 だから私は非人間で一向に構わない。
 化け物の方が、幾らかマシだ。
 何より自由だしな。少なくとも、狂気を向かわせる方向に関して言えば、だが。
 作家など、そんなものだ。
 まあ在り方などどうでもいい。それに満足して充足できればいいのだ。「健康」で「豊か」に、それでいて「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」を成就できればいい。
 社会的な道徳観を維持しつつ、折り合いをあわせて「自己満足の充足」を得るにはこの方法が最上だと言えるだろう。
 だからこそ金だ。
 金で幸せは買える。
 少なくとも、この「私」には。
 道徳とか倫理観だとか善悪だとかは、それに比べれば利用する対象でしかない。どう金に替えられるか、それ以外に使い道などあるまい。道徳も善悪も社会も倫理も人間の心すら、この世のどこにも存在さえしない虚構でしかないのだ。民主主義も差別も戦争も、実際的にはどこにもない。ただそうであると思いこんでいるだけだ。
 お前達がそこにあると思うから、見えるのだ。 ただのそれだけだ。
 わたしにとって「人間性」はその場に併せて使い分ける小道具でしかない。どう仮面を被り直すことでどう利益が出るのか? 重要なのはそこだからな。
 あろうが無かろうが関係ない。
 金だけが真実であり、力だ。
 それがこの世の有様だ。
 価値観や都合を押しつけ合うこの世界で、そんなモノは有ろうが無かろうが同じなのだ。金が有れば通るし無ければ通らない。己の都合を押しつけて、誰かに不都合やこちらに都合の良い価値観や倫理観、道徳を押しつけることを、現代社会では「立派な人間」と呼ぶのだから。
 ならば逆説的に金以外に重要性はない。
 金だけ有ればいい。無論、奴隷としてこき使える人間がいることは前提だが、どの時代でも呼び方が違うだけで奴隷はいる。
 だから金で幸せが買えない時代はない。
 可能な限り「目立たず」に静謐な一時を堪能し嗜好品で自己満足し、金の力で他者からのストレスを軽減しつつ、それでいて社会と折り合いを付けつつも適度な娯楽で満足し、自己満足の充足を得ながら、豊かさを享受して、生きる。
 これ以上の方法が、むしろ有るのだろうか?
 賢い、と言うよりは強かな生き方だ。そして実利を得るにはこれが一番合っているだろう。
 劣等感や負い目を抱かない私にとって、いや私のような非人間でなくても、「それ」こそが最もストレスの少ない、それでいて自己満足の充足を得るのに相応しい方策だ。豪華な装飾品を飾らねば満足できない手合いには、「燃費が悪すぎる」以外の言葉が見つからない。
 この世に、この世でなくても「偉さ」などただの錯覚でしかない。私か? 私はただ傲慢なだけだ。自身を偉いなどと思ったことはないし、思う奴もいないだろう。
 いても困るが。
 成功しているのではなく、むしろ彼らのような一般的な「成功者」気取りのモデルケースは、非常に生きていくことが困難だ。私のように金が余っているときにそれを楽しむのではなく、豪華な飾り物がなければ劣等感に押しつぶされる。
 息苦しい奴等だ。
 金は使うモノだ。使われてたまるか。相手が何であれ使う側に回る方策を練らねば、どこにも勝ち目など作れまい。
 人間性というのはそういう「弱さ」も助長するのだ。そして、デジタル社会は人間の弱さを助長するのに非常に役立っている。ネットで呟かれた誰が言ったのかも分からない下らない戯れ言の為に、大の大人達が株価を下げたりする。
 馬鹿馬鹿しい限りだ。
 デジタル社会に使われ、金に使われ、弱さに振り回されて、己で何一つ判断できず、それでいて救われて当然だと思う民衆。はっきり言えばこんな連中は滅んだ方が世の為だ。人の為に何かを行うと言うことは、社会にとっては不合理なモノに金をつぎ込むだけだからな。
 人を尊重すれば社会が疎かになる。それをやりすぎたわけだ。誰もが誰かを支え合う事を美徳とし、行きすぎた尊重でも「道徳的に正しい」と判断できれば己で考えずそれを「正しい」と思いこむ社会。その結果がこれだ。

 お前達はそれでいいのか?

 まぁ、いいのだろうが。良いと判断しているからこそ、こんな社会構造が成り立っているのだしな。それにとやかく言うつもりは無い。言っても無駄なモノには私は言わない主義だ。疲れるだけだからな。社会が下らないゴミをもてはやすならば、私はそれを売ろうとするだけだ。社会の変化に、あるいは退化に、私は関係がない。
 支え合いという偽善は、結局のところ誰かを利用したいという願望の現れだ。それを直視もしない奴に、何を言おうが無駄だろう。
 それを見る人間は少ない。
 見ていない人間の方が、儲かるからだ。
 ならば私もそちらに混ざろうというのが、自然な考えと言えるだろう。最も、その試みは再度失敗し続けているので、やるだけ「無駄」って気もするのだが。
 視線を変えただけでは意味がない。それを実行できる力がなければ。あるいは、力ある存在を利用できる舞台が必要だ。
 私にとってはそれが物語だ。
 是が非でも売らねばならない。
 だからこその「作家」だ。
 社会と折り合いがつかないのはある種、当然だろう。折り合いのつく作家など聞いたことがない・・・・・・その必要もあるまい。
 アンドロイド達にとっては、そうでもないらしいが。アンドロイドというどうしようもないくらいに生物の法則から外れた存在であることに耐えられず、「人間の記憶」を自分に植え付けて、自身を人間だと思いこんで生きるアンドロイドも少なくはない。金があれば何でも買える世界では、アンドロイドが人間に成る権利すら買える。
 自身を人間だと思いこんでいるだけなのか、それとも元々人間なのか、区別する方法は、もうないのだ。アンドロイド達が創造性を作り上げてからもう大分経つ。彼らは「感情移入」が出来るようになっている。つまり彼らが我々に成り変わって動物の世話をし、隣人と共感を覚え、それを共有することで社会を形成することを、資本主義経済は許している。
 社会は人間の為にあるのではない。何時の時代でも、社会を形成するに相応しい有能な存在に対してのみ、効力があるのだ。それが人間でなくなったところで、誰もそれを買えることは出来ない・・・・・・金がなければ尚更だ。
 生きる上で「人間性」などオプションパーツのようなモノだ。余裕があるから欲しくなる。能力的に余裕のあるアンドロイドが人間性を求め、人間が能力を求めるのは当然の答えだろう。
 金があればいい。
 金だ、金。
 金以外に、大切なモノなど有りはしない。
 それは社会も同じだ。だから、案外金を持つアンドロイド達が過半数を占め、その内「自分を人間だと思いこむ」ように記憶を埋め込み、やがて全人類、否、全てのアンドロイドが人間に入れ替わり、自分たちこそが「人間」だと定義する時代は、意外とすぐそこへ来ているのだろう。
 事実として、すぐそこにある未来だ。
 金はわかりやすい力であり、世界は力を中心に回っている。社会の中ではそれが「金」というモノへ置き換えられるだけだ。社会的道徳も、結局のところ金の動きに影響されて、作り上げられるモノでしかない。この世界には何一つ真実など存在さえせず、あるのはただ「持つ者が勝つ」というわかりやすい「現実」だけだ。
 デジタルの普及で人間は遠くに足を運ぶ必要も無くなり、金があればどこか遠くの事柄すらも、その手に出来るようになった。まぁ当然の事ながら、幼い人類には過ぎた力であることは変わりないので、それによって身を滅ぼす奴も多いが。
 私なら使わない。
 精々日常の遊びくらいだろう。
 生活の一部として、あるいは仕事に必要不可欠なデバイスとして、デジタル社会を取り込むことは、端から見ていれば危なっかしい限りだ。有用な部分を見る人間は多いが、それがどれだけ危険かを考える奴は非常に少ないからだ。
 失敗から学ぶ、という言葉があるが、厳密には学ぶ奴もいれば、学ばない奴もいるのだ。私は失敗から学んだりしたが、私から言わせればこの社会形態で「失敗から学ぶ」事に意味などない。形ある成功しか、誰も見はしないからだ。そして、失敗を知らず成功のみを積み重ねた赤ん坊のような人間こそが、この社会では簡単に勝利する。
 失敗から学び、先へ繋げるなど、今や悪い冗談でしかないのだ。電脳世界、この果てのない海の中では「失敗」などありふれている。それを見て「学んだかのように」自己満足すれば、それで何か成長したような気分になる。無論そんなのは付け焼き刃以下、だが、それで成功して勝利できる要領の良い人間が金を得るのだから、誰も実体験から何かを学び取ろうとはしない。
 薄っぺらい言葉、信条、誇り、そういったあれこれが溢れているのだ。そして、中身があろうが無かろうが関係ない。この世界は、電脳世界の海が広がったその時から、要領や運、才能などと言った「持っているかどうか」だけを助長し、それを活かす世界に成り果てたからだ。
 それが事実。
 ならば、そのやり方に併せて勝利する以外に、方策はどこにもない。だから、私は金を使いこなすが、私の傑作は「本物過ぎて」売れないのだ。 元々自己満足が出来ればいい存在だが、だからといって幼児が書いたような本が売れて、私の作品が売れないのは正直忌々しい限りだ。私は金に困ったことは一度もないが、だからって私の成し遂げた結果が金にならないのは、屈辱でしかないからな。
 金だけではなく、充足も欲しいのだ。
 何より、私は「作家」という生き方が、すでに染み着いている。幾ら金があろうが、それ無しで充足感を得るのは、不可能ではないが、簡単な方法がそこにあるのだから、それを利用しようと試みるのは、ある種当然の話だろう。
 「己の道は己でしか決められない」誰かに道を預けたところで「進むべき未来」を見失うだけだ・・・・・・だが、己で目指した道が、必ずしも金になるとは限らない。むしろ、己で選べば選ぶほど、その道には「困難」が付きまとうものだ。
 それが「良い事」なのか? それは分からないだろう。だが、善悪ではなく己で決めることだ。そこに後悔はない。理不尽に対する憤りや、不満が募るだけだ。
 それもまた、「未来」へ進むための原動力と成るのだろうと思うと、皮肉でしかないが。
 「運命に打ち勝つ」には「己の道を歩む」事が必要不可欠だ。だが己の道を歩くと言うことは、この世のあらゆる安全から背を向けて歩いていくということなのだ。安心や安全、あるいは幸福を求める為に、それら全てと相反する道を歩かねばならないというこの矛盾。やれやれ参った。我ながらどうも、割に合わない選択を選びすぎたようだ。だから、作家なんぞをやってしまっているのだろうが。
 それもまた、一つの選択か。
 逆に、己の道を己で選ばず、どころか、誰か関係ない人間の悲劇をあたかも己が経験しているかのように共感し、それを救う為ならば人を殺すことも「やむなし」と考える人間の醜悪さは、実におぞましいものだ。
 どこかの誰か、あるいはそれが貧困地域、ないし未開発区域の人間であったとして、それを涙しながら語れば、何でも許されると思っている。
 馬鹿馬鹿しいことに、そういう奴は多い。
 善意に酔っているだけの癖に、一人前に道徳の為に己は行動し、それは肯定されるべきだと、そう考えそれを押しつけるのだ。図々しいことだ、そんな浅はかな人間の考えが、金や立場によって通るのだから、それもまた、社会における問題点の一つなのだろうが。金は素晴らしいが、それを持つ人間が素晴らしいかは別の噺だ。
 いずれにせよ、「困難」というのは打ち砕くだけでは駄目なのだ。打ち砕いたところで、また別の困難が待っている。それでは意味がない。
 「克服」さえしてしまえば、理論上困難は困難そのもので無くなる。「困難そのものを克服できる強力な何か」を、誰もが求めて生きている。
 それこそが人生のテーマだと、私は思うのだ。 生きる、ということなのだと。
 そう思う。
 私の場合「困難な運命」そのものを「支配」しようと試みてきたが、どうも上手く行かない。ともすると乗り越えてしまえば過去の遺物であり、こうやってあれこれ考えていることが無駄なのだろうかと、思ったりもする。
 分からない。
 分かるはずもないが。
 だが、それでもやるしかないのだ。私が私の道を歩むために、それはしなくてはならない。
 それが、私の道なのだ。
 困難な運命を「味方」に付ける事も考えたが、やはり現実的ではない。無論それで得るモノもあったが、私は別に「成長」したい訳ではないのだからな。私に訪れた数々の「困難」は確実に私自身の精神を「成長」させたが、だから、何だというのだ・・・・・・困難な運命を味方に付ければ、その先にあるのは数多くの「試練」だ。人間的に成長したいなら、それによって「幸福」を定義したいなら話は分かるが、私は非人間で、経済的な豊かさと平穏と自己満足くらいしか、必要とするモノは無いのだ。
 この世で最も人間から遠い「化け物」が、人間的な成長をしているなどと、笑い話だ。
 いや、笑えない。
 それで私の豊かさが阻害されるなら、だ。
 形はどうあれ「成長」しているのは確かだ。それに伴って「己の信じる道」を歩いていることもまた、確かな「事実」ではある。しかし、あくまでそんなモノは自己満足でしか無く、現実に豊かさをもたらすのは「金」だ。
 精神的な充足はそういった事でしか得られないのだとしても、だからって金のない未来など御免被る。私は成長というのは端から見れば美しいが現実にそれをしたところで得られるモノなど何もないことを、良く知っているからだ。
 嫌というほど知っている。
 何もない。
 ただ、道義的に美しいだけだ。
 そんなモノに価値など無い。
 それこそ、他人が勝手な自己満足を行うだけではないか。そんな事に興味はない。あくまでも、この「私」の豊かさの為、私は動いている。
 それらは両立できるしな。
 わざわざ片方だけこなす必要もあるまい。
 少なくとも、私には出来る。
 その確信がある。
 皆揃って「標準的な道徳」などという有りもしないモノに金を使いすぎなのだ。彼らは、同胞意識というのか、自分たちを「合わせて」いなければ夜も眠れないのだろう。その点、私は全人類と価値観が違おうが、何一つ問題ない。
 きっと、私は名実ともに「人間ではない」のだろう。そう思う。生物学的にどうの、という以前の問題だ・・・・・・同胞に感情移入できない、というのは「動物」ではあり得ない。クラゲとか蛸ならばともかく、感情や自意識を持つ生物ならば、あって当然の標準装備だろう。
 人間ではないから、人間を配慮しない。
 それだけの噺なのだ、きっと。
 それを悲観も楽観もしない。私は世界がどうあろうが、金と平穏と自己満足の充足で、己の満足感と平穏なる生活を維持するだけなのだから。
 それ以外に興味はない。まぁ、興味が沸いたらその時、また考えればいい噺だ。
 実に些細な問題でしかない。
 少なくとも、口座の残高に比べれば。
 抱える問題、という点では、精神的な何かはすべからく、己の内で解決できるモノだ。そんなモノに拘泥するほど暇でもない。
 アンドロイドは自分たちの事を「ネジと同じ、型の付いた量産品だ」と嘆く奴が多いが、私からすれば人間も同じだ。型番が付いていない、というだけの噺でしかない。
 最近のアンドロイドにはもう、区別する為の型番などないしな。区別は差別と同義だと、どこかのアンドロイド保守派団体が叫んだらしいが、まぁ、どうでもいいことだ。
 人間でもアンドロイドでもない「何か」である私には、何の関係もないしな。
 便宜的に「化け物」と呼ぶのが正しいのか? まぁ、呼び方などどうでもいい。問題はあくまでも、私が何であれ、金の多寡でしかないのだ。
 全ての問題が金で解決できるよう、全ての問題は金から発生する。忌々しいのか皮肉なのか。恐らくは後者だろう。

 自分を人間だと思いこむアンドロイドの世界。
 それなのか? むしろ、彼らの方が人間から外れているのだろうか。だとすれば、やはり人間性など役に立たない。「人間」というのは概念論であって、そんな高潔な生き物はどこにもいないからだ。私も、彼らも、誰も彼もが。
 どちらが正しいのか? それは所詮当人達の納得でしか決められないだろう。だが馬の後ろに立てば蹴られるって位には確実に、この世の真実、否、事実って存在は姿を隠しているのだ。
 それを暴くのも、また作家。
 私の仕事、のようなものだ。
 とはいえ、資本主義社会では別に「成長」しなくても天寿を全うできる。そういう人間は多い。無論私からすれば羨ましい限りだ。したくもない部分を成長させ、苦難や苦痛から何かを学んできた私からすれば、だが。
 何せ、死ぬ寸前に後悔していればいいのだ。
 その方が楽ではないか。
 まぁ今更そんな事を考えても意味はないので、これは思考実験ですらない。どうでもいいことだ・・・・・・成長しているかどうかなど、しようがしまいが何一つとして「結果」には関与しない。
 物事の過程・・・・・・意志や苦難の道そのものには大した意味はないし、価値もない。それを後々どう捉えるかでしかない。そして、過去というのはどうとでも捉えられる。
 全ての物事には等しく、意味も価値も有りはしないものだ。悲劇も喜劇も大差ない。問題はそれをどう捉え、己に解釈するかでしかない。
 だが、だからといって金にならなくても良い理由にはならないのだ。それを見逃してしまったら「物事の本質」ばかりを重要視しても、大切な実利を見逃してしまうだろう。
 無論、体裁だけを整えればいい訳でもない。社会的に高度な組織になればなる程、実体は幼稚なごっこ遊びだったりする。それは物事の本質から逃げて、「それらしさ」に拘った結果だろう。
 物事の本質。
 それを見る人間も、随分減ったが。
 必要が無くなれば、当然か。
 これは本質を見誤ったその「果て」を知る為の物語だ。心して読むといい。

 人間は幾らでも許容できるという「事実」を。


第十巻


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 最も大切なモノは「金」だが、最も必要に迫られるモノは「健康」だ。
 彼等にはそれが無い。
 だからこそ、己を捨ててでも、理性を殺してでも目的へと向かえる、らしい。連中の考えは理解できない。私と違って「人間性」などという、役に立たないゴミを追い求め、物語に夢や希望を、勇気を貰えるなどと綺麗事を抜かす時点で、それは分かると思う。
 感傷ではなく「事実」だ。連中は私とある意味同じだというのに、私とは真逆の「モノ」を、求めようとするのだ。忌々しい事この上ない。
 だが・・・・・・彼等の言う事も分からないでもないのだ。無論、勇気とか信念だとかではなく、現実的な問題として、娯楽産業は今やあらゆる兵器よりも優れた「戦略兵器」となりつつある。
 娯楽、所謂物語や映画、そしてアニメを見るのは子供達位のものだったが、それが大人も楽しむようになってからは、娯楽商品を通して価値観を植え付けたり、世界の見え方をコントロールするようになった。
 そして、アンドロイド共がそれらを見る現代では、この世界の産業の大部分を占める連中がそれら娯楽商品を消費し、七京ドルの経済効果を、一つの銀河系だけでもあげているのだ。
 それを利用する輩は必ずいる。
 どんな時代でも同じだ。
 金があるところに陰謀はある。それが嫌ならば山奥にでも住むしかないだろう。無論私は文明の豊かさを最大限享受するつもりなので、正面から堂々と、娯楽産業に切り込み利益を上げ、それで「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」を、送るつもりだ。
 今更だがな。
 だが、そんな「娯楽産業」ですらも、ヒット作の作者名に半分以上はアンドロイドが並ぶ。利益を上げる商品と面白い商品は別なのだが、しかし連中はそのバランスの見極めが頗るいいのだ。私のような古くさい作家からすれば、たまったものではないが。
 それら有名作品の権利を買い取り、ハリウッド化して情報戦争に参入しようとする巨大資本も多いのだが、これがまた上手く行かない。当然だろう。売れる作品が面白い作品である事と同義ではないのは「事実」だが、だからって金をつぎ込めば誰もが見る訳でもない。
 逆に、誰が見るのかも分からないようなゴミでも、やり方次第では、だが・・・・・・世界中にその影響を与えることも、また可能だ。
 結果、アンドロイド達は世界中の産業、そのコアと成る部分を握り、それらを支える顧客層ですらも、アンドロイド達が消費者として支えつつあるのだ。
 最早、そこには「アンドロイド達の文明」が、「見えない国家」として形作られている。確かな「事実」だ。国を持たぬ民族として、彼等アンドロイドは人類社会において、圧倒的な資金力と、団結力。そして利益を上げうる産業を、その手に握ることが出来ている。
 人間は置いてけぼりだ。
 中身のないサービスばかり作っているから、こうなるのだ。まぁ、これは私のような、嘘八百の噺を書いて儲けている作家などに言われたくはないだろうが、言ってしまえば私のような人種に言われてしまう時点で、致命傷だと言えるだろう・・・・・・既に手遅れって事だ。
 彼等、いや現行の人類は「不可能」に挑むことが、非常に困難に感じるらしい。だから、既存のモノに従ってしか、新しい「何か」を生み出すことに対して、足踏みをしてしまっている。
 私から言わせれば、だが・・・・・・不可能なら断行し、不可逆なら可能にしろ。簡単だ、私はずっとそうしてきた。
 なに、ちょっとリンゴを上へと放り投げ、木の又から子供を作り、物理法則に反するだけ、私の得意分野だ。実に容易い。
 人間を信頼する、などという偉業に比べれば、容易いことこの上ないだろう。
 信じられる相手など、所詮幻想だしな。
 思い込みとでも言うべきか。
 どうでもいいがな。
 どうでも。
 良かった。
 今までずっとそうしてきた。実るまでが長かったが、時を掛ければ誰でも出来る。何せ、私には全ての事柄が「不可能」だった。
 成功も名誉も信頼も道徳も、全て存在さえしない虚像の世界。
 今更不可能の一つや二つ増えたところで、私の世界は変わらない。
 時間は幾らでもある。いや、そもそもこの世界に「時間」というモノは存在しない。植物がそうであるように、物事は成長と共に次のステージへ向かう為、周期を繰り返しているだけなのだ。ただ、大小があり困難の度合いがあるだけで、我々の進む先は同じなのかもしれない。
 だとしても、私は金が欲しいがね。
 だとすれば、尚更だ。
 ・・・・・・思うのは、「物語」という存在は、その困難を疑似体験できる代物だ、という事実だ。疑似体験で克服できれば苦労しないだろうが、しかし疑似体験で本番に備える人間がいるのも、私からすれば忌々しいことに、また「事実」だ。
 ならば、「物語」を読む人間に対して、否応無く大小無く私は、いや、私の作品は多くの人間達に影響を与え、生き方を変える事になるのだろうか・・・・・・それは言い換えれば、多くの人間を変える、というのは、多くの人間の人生を狂わせる事と、何ら変わりはあるまい。
 だとすれば、面白い。
 面白くて面白くて仕方がない。
 それがどういう影響であれ、私の作品が世の事実を描き続けているのだから、読む側は当然、その事実と向き合う形になるのだろう。結果破滅するような人間ならば、もとよりその程度と、そういうことだ。
 なに、少しばかり全人類を利用して人体実験を繰り返し、生き方に影響を与え狂わせるだけではないか。
 その程度、誰でもやっている。
 知らず知らずの内に。
 無意識の内に、人間は他者の人生を狂わせられるのだ。それに自覚があるかどうか、その程度の違いでしかあるまい。
 そうでなくともどうでもいいがね。
 「傑作を書く」という感覚は何よりも優先される。私はそうだ。食べることを忘れて執筆したことも一度や二度ではない。時間の経過が早すぎるのが難点だが、それはそれで私の目指す「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」を、充実と生き甲斐に満たす事に繋がるのだろうから、良しとしよう。
 例えその結果、全人類の生き方が歪められ、狂ったとしても、事故責任という便利な言葉があるではないか。いや、「自己」責任か。
 傑作を読むなんて、それこそ事故みたいなものだろうが。
 そもそも、現実には物語が影響を与えることはあっても、それがどうなるかは当人次第だ。聖書を読んだところでそれを、戦争の理由にする輩がいるのだから、物語で人間性までは変えられないらしい。アンドロイド共なら否定するだろうが、しかしそこまでの力が「物語」にあるのか?
 わからない。
 どうでもいいしな。
 問題なのは、そう、傑作のアイデアというのは場を考えずに出てくる事だ。年中、構えていなければならないので、実に忌々しい。
 それとも作家の苦悩は「大事の前の小事」とでも言うのだろうか? いいや、そんなのは権力者の言い訳だ。大事も小事もこの世界には存在しないのだ。あるのは、そこに解決すべき事柄がありそれに対して人間の欲望が「大小」を付けることで「罪悪感」を消す為の儀式でしかない。
 作家に苦悩など必要ない。
 それももう、「克服」している・・・・・・私はどんな環境下でも「傑作」を書く事が可能だ。何かに苦悩しなければ最高の作品が書けないなど、プロとして失格だろう。
 無論、私はこの問題すらも「克服」するつもりだ・・・・・・私個人の世界を更に、豊かさと充実で満たすために、じき、終わる問題だ。
 これから語る物語は「歴史の特異点」とでも、形容すべき物語だ。人間が人間を辞めない限り、人間以上に成長しない限りは、集団心理の特異点からは、逃れられない。
 差別、貧困、格差、戦争、政治、そして信仰・・・・・・これらは一定のパターン性に従って、この世界に発生する「現象」だ。
 だから永遠になくならない。
 例えアンドロイドが自我を持ち、人類が遙か彼方へ住処を移し、不老不死を手に入れて、神をも越える科学力を手にしたところで・・・・・・所詮、見栄や嫉妬で争い奪い、罪悪感から逃げ、自らを正当化することで己が悪である事を否定し、自分達がこの上なく正しく善人であり、何一つ後ろめたいことがないと「思い込んで」いる以上、人類の抱える問題はそのままだ。
 世間の流行に流され、自分で考えず、皆が足並みを揃えて「確固とした己」を持つことから逃げる限りは、根底にある「心」は成長することはないのだ。だから、当然ながら科学が幾ら進歩しても、犯罪発生率は変わらない。
 むしろ増えている。
 自分を正当化、というよりは、世の中のルールの方が間違っていると思い込む奴は多いらしい。私は社会のルール以前に人間として色々踏み外しているので、そんな大それた事は思った試しがない・・・・・・無論、外れていたところで私は私だ。例えそれが「悪」であろうが、他者を踏みつけにすることに罪悪感など無い。
 あってたまるか。
 それを否定すると言うことは、生きるという行為を否定するも同じだ。善意や思いやりで自分達は成長できている、と思い込んでなあなあで過ごす連中には分かるまい。この世界に「正しさ」など存在しない。如何に社会的な価値観に合わせつつ、己の利益を確保できるかだ。生きるということは「社会の中で勝ち抜く」事も、当然ながら含まれるのだから。
 勝利とは何かを敗北へ追いやる事だ。
 それを善意だの思いやりだの平等だので、誤魔化したいなら生きる事を止めろ。
 思うに、「罪悪感」とは、己を誤魔化しているから発生するのではないだろうか? 社会的な通念でどうあろうが、己の信じる何かを成し遂げてやり遂げた人間が、善悪で行動を計るなど、聞いたことがない。
 善も悪もこの世界にはない。
 いずれも金でコントロール出来る代物だ。歴としたその「事実」から逃げている人間が、この世界の何かを変えることなど出来はしない。
 己の行いに「確信」を持って生きるのだ。それが出来ない生き方をするんじゃない。何であれ、「己を信じる」事の出来る道の先には、善悪はともかく「まだ見ぬ景色」があるだろう。
 無論、私は社会的な通念にも合わせつつ、法や社会的な道徳に非難されない形で行動し、社会的な折り合いを付けられるからこその「邪道作家」なのだが。
 人はそれを「最悪」と呼ぶ。

十一巻


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 売れる物語とは何だろうか?
 答えは、「つまらない薄っぺらな、それでいて中身が無く流行にだけは乗っていて、華々しさやもしも自分がそうなれたらという妄想を仮想体験できる余地が詰められており、飽きたらすぐに捨てられる」物語だ。
 一言で言えば、読者にとって「都合が良い」事が必死条件だろう。むしろ「実力」などない方が売れやすい。表紙だけ立派に飾れれば良いのだ。どうせ中身をじっくり読んで、それを買おうという奴はいないだろうしな。
 世の中そんなものだ。
 勝利に必要なのは執念ではなく、要領である。 私も要領良く生きてきた方だが、連中の要領の良さには舌を巻く。よくもまあ、ああも都合良く世間を手玉に取れるものだ。
 感心する。
 連中の中身の無さには。そのくせ本物になりたいだとか、中身のある本物みたいな思想を持ちただとか、我が儘を言う。本物かどうかなど、そんなのは連中が勝手に決めることであって、ミロのビーナスもモナリザも、別に心の底から感動して皆が認めている訳ではないと思う。流されているだけだ。まあ、私が心ない殺人鬼の思想を持っているからこそ、そう感じるだけかもしれないが。 しかし「事実」だ。
 ミケランジェロがどれだけの芸術家だったかは知らないが、それを完璧に理解して共感できるほどの奴ならば、同じ様な芸術を作り上げられるのではないだろうか? 少なくとも全員ではあるまい・・・・・・殆どの連中は、ただ「良いモノらしい」という風潮に流されて、よく分からないけれど、ただ合わせているだけだろう。
 石の中に運命を読み解ける程だったらしいが、そんな境地を一般の人間が感じ取れるとは思えないし、同じモノを作品を通して感じ取れたとして同じ「何か」を感じ取るかは、また別の噺だ。
 私が言いたいのは「本質など下らん」という事・・・・・・「物事の本質は結果に関与しない」という部分だ。努力は無意味で抵抗は無駄。だとしたら人間に出来る事は限られてくる。無論人間でなくても「運命に縛られる」点は変えようがない。
 足りない部分をどうするか? 噺は簡単で、大きな何かの力でも借りれればいい。それが出来れば苦労しない気もするが、現実問題自分ではない誰か「協力者」を得られるかどうかは、その後を楽に進められるかに関わってくるだろう。
 散々それを手に出来ないが故に手間と労力を賭けた私が言うんだ、間違いない。
 そんな都合の良い「協力者」がいれば、生きる事に苦労はしない。どうしたものか。とはいえ、そうして手を打ってきて、何か一つでも成功したかと言えば、そうでもない。何より「作家業」はどう足掻いても「外せない」のだ。「性」だと、そう捉えて支障ない。
 金になろうがなるまいが、やるしかない。
 金にならない時点でやる気は失せるが、私個人のやる気など関係なく執筆は進んでいく。もしかすると何か電波でも受信しているのかもしれない・・・・・・私自身を「フィルタ」だと以前称したが、こうなるとそれも笑えなくなってきた。
 嫌な噺だ。
 私は「これこそが本物だ」と誰かに評されたい訳ではないし、そんな事は一度もない。ただそれなりに金を稼いで、適度な自己満足で充足を満たしつつ、適当に「人間性」を味わいながら娯楽として楽しみ、「人間の物真似」を楽しみながら、それで「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」を豊かに過ごしたいだけだ。
 作家として望むモノなど、何もない。
 有るはずがないだろう。
 作家の名誉はあくまでも「作品の名誉」であって、私個人には関係がない。どんな内容を書いたかなど、覚えてられないしな。
 目立つのは嫌いだ。
 疲れるからな。
 覆面作家として金だけ入ってくれればそれで、全てが解決するのだが・・・・・・思い通りに行かないものだ。最も、思い通りに事が進んだ事など、生まれてこの方一度もないが。ささやかな願いさえ絶対に叶わないのが、私の今までだ。
 これからも多分そうだろう。今までそうだったからと言って、これから先は分からないじゃないか、などと言う甘ったれがいるが、これまで散々「結果」が出なかった事に対して金を払う人間は一人もいない。少なくとも投資家ならそうだ。生き抜くという事は、それら今までの経験から有用性の高い「利益を出せる行い」への投資活動だとも取れる。
 良いパートナーを選べるかどうか、というのもその延長線上だろう。愛ではない。ただ単に、己の利益を満たせるかだ。「理想的な家庭」を求めている、相手に何かを要求する事は無い、などと言っても、それはそれで「理想的な家族を得る」という目的を達成する為に、相手を選ぶのだ。
 心ない殺人鬼と変わるまい。
 人類皆殺人鬼だ。己以外を殺すことで、充足や安心を得て、生きている。
 誰かを殺さずにはいられない。
 職場で、家庭で、遊びの場で、「邪魔な奴」を排除するのは当然だ。その結果、相手がどうなろうとも、誰だって気にしない。
 自分というコミュニティの「外」にある存在は生きている一人の存在として、勘定に入らないからだ。それは当たり前のことだ。自分に関係ない人間がどう苦しもうと、どうでもいいではないか・・・・・・もっと邪魔者を殺せ。
 そうすれば心地よく生きられるぞ。
 なんてな。
 何故、私はこうまでして「作家業」をやめられないのだろう。本当に面倒だ。他に金儲けの才能を磨けるほど器用ではなかったからだろうか。
 金にならないなら、筆を捨てる事も、いい加減考えなければならないな。まあ、そうは言っても染み着いて離れないので、忌々しい事この上ない噺だ。どうしたものか。金と物語があれば、私は大体満足できる存在なのだが。
 協力者が必要なら尚更金がいるのではないかと思ったが、運命論的に考えれば「同じ事」では、あるのだろう。金で雇うか、いずれにせよ出会うのかの違いだ。ただ、その「協力者」が得られたとして、役に立つかは別問題だ。やる気はあるが役には立たない。力になれなくて申し訳無い。
 そんな屑は嫌というほど見てきた。
 だから、まだ見ぬ「協力者」に対しても、とりあえず疑っておこう。役に立つかどうか、疑わしい噺ではあるのだ。
 欲するはあくまでも「結果」だ。
 この「性」を満たしつつ、満足できる結果を求めるのはかなり難しい。だが、それも確立せねばならないだろう。自己満足で済ませるなら、作家業以外で金を儲けられればベストだが、それが出来れば苦労しない気もする。
 苦悩しつつも前へ進むと言えば聞こえは良いが明確な解決策を手に出来ていないだけだ。どうしたものか。
 どうしたものか。
 それもまた、今後の「運不運」に左右されるだろう事は、想像に難くない。結局の所こちらで何を選ぼうとも、「あちら側」がどう判断して何を寄越すかにかかってくる。あちら側とは私に認識できない「何か」であり、「運命」という造語で語られる、役立たずの厄介者だ。
 何者であろうと、等しく同じ。ならばとりあえず筆を置いてから、作家業の下らなさへの物思いに耽りつつ、私は物語を読む事にした。
 邪道作家の、物語を。


十二巻


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 作家の資格は簡単だ。物語を書く事が嫌いであればそれでいい。書くのが嫌いだ。作家なんて、社会に搾取されるだけだと文句を言うことだ。
 きっと立派な作家になれるぞ。無論、搾取されボロ雑巾のような人生を送る事は、想像に難くないが。作家など、そんなものだ。
 そうでなくては作家だと呼べまい。
 未来に期待するな、するほどの価値はない。まあ、それでも前を向いていればそれなりの豊かさは自己満足で完結できるだろう。そんな行動に意味があるのか知らないが、とにかく、私に出来るのはそれくらいだ。
 そしてそれで構いはしない。
 夢も希望もなくて良い。金さえあれば。その金が無いからこそこうして作家業などという利益の生じない事柄に身を窶しているのだが・・・・・・いっそ作家など止めてしまいたいところだが、そうも行かないからこその作家業だ。
 呪われた装備品みたいなものだ、外したくても外せない。全く、忌々しい限りだ。
 私に出来る事がそれくらいしか無い、というのが原因ではある・・・・・・「最悪の未来を想定し、その問題点を形にする事」これは作家業以外では金にする方法があるまい。私の物語は主に、最悪の未来に向いている。最悪の未来を見て読者共がそこへ向かうのか、そこを避けるのかはともかくとして、未来に起こり得るであろう社会問題をあらかじめ予想し、備えることが出来るようにする。物語を書く存在にとって最低限の心構えだ。それが根底になければ面白い物語は描けまい。
 私は夢も希望も信じるに値しないと考える。
 だからこそ、最悪の未来が、その問題点が明確にわかる。長所は短所とでも言うのだろうか。私にとっては皮肉でしかないが。
 それに、別段備えているからといって、未来を変えられる訳でもあるまい。そんな程度で何かを変革できれば苦労しない。勝利者の条件は選ばれる事だ。何に? 全てだ。幸運然り、世間然り、当人以外の全てが勝利条件だ。だから、当人の意志だとか努力だとか執念だのは、一切勝利そのものには何の関係性もない。
 何をしたところで、同じ事だ。
 ともすれば私は変えられる訳でもない未来社会の問題点を指摘しているだけなのだろうか? そうかもしれない。未来に望むのは簡単だが、しかし望んだ結果が得られたという話を、私はついぞ聞いた事も体験したこともない。お伽噺だ。この世界に存在しないフィクションでしかないのだ。 物語から感銘を受けたり、感動したり、何かを学んだ気になったりするのは、ただの錯覚だ。何も与えないが、しかし全てを与える錯覚を起こしそれを金にする。何とも私向きの職業だ。
 世界は金で出来ている。 
 例外は無い。
 全て、金で買える。金で変えられる。
 なればこそ、私はそういう「夢物語」に夢想するつもりはない。売れればそれでいい。中身など白紙以下で構わない。どうせ私が読む訳ではないのだ。それに、読者共が私に何を支払う訳でもあるまい。それも多めに支払うのは編集部とかであって、私にではない。封筒に札束を仕込んで送ってくる読者など、聞いたこともないしな。
 そんな連中に払う敬意など、無い。
 どうせ立ち読みでもしているのだろう?
 札束を出す訳でもあるまいし、評論家気取りで書いた事も無い連中が、ネット上の世界で侃々諤々の大論争をする。そんな暇があるなら一冊で良いから物語でも書けば良いだろう。如何に自身が薄っぺらい存在か、嫌でも理解できるぞ。少なくとも世界には物語を買う金は無いが、株式やローンを組む余裕のある馬鹿共が多すぎる。金を使いこなすことも出来ないから、貴様等は読者なのだ・・・・・・読み手ではなく語り手を志せ。
 自身の物語も無い人生で、良いのか?
 だから貴様等は薄っぺらいのだ。
 ふん、まあいいさ。貴様等がどれだけ薄っぺらい歩みを進めようが、私にはどうでもいい事だ。私とて、別に濃い物語を書きたい訳ではないのだからな。売れればそれでいい。そして、売れるかどうかに中身は関係ない。
 いっそ、下らない恋愛劇でも書いてやろうか? 検討するだけにしておこう。
 実際に書くとロクな事にならない。吐き気がするし面白味もない。よくもまあ、ああも面白味の欠片もない「駄作」を作れるものだ。
 私は無論「金」や「平穏」つまり私個人の自己満足の為作家業、物語を金に換える事を良しとしているが、その実「書く為に書いて」いる。私には確固たる事実として「書くべき事柄」があり、そしてそれを「書きたい形」にすることが出来る・・・・・・他でもないこの「私」の目線で物語を語る以上、陳腐な駄作は許されないし、書いたところで私個人が満足できないのだ。全く、忌々しい限りだが、それを言ってもどうしようもないか。率先して駄作を書きたがる間抜けの思考回路など、考えるだけ無駄だろうしな。
 私は非人間だ。人間性など欠片もないし、今まで人間性を感じたことすらない。私にとって人間社会はエイリアンの社会だ。向こうからすれば、私の方が「人間のフリをしているエイリアン」なのだろう。そしてそれで問題ない。問題なのは、私が「人間社会に生きる」というのは不可能であり、あくまでも折り合いをつけるだけであって、そこに真実の幸福などあり得ない部分だ。どうしたところで「人間」を感じない私に、人間社会で感じる幸福など存在しない。私にとってはこなすだけの事であり、「人間の娯楽を楽しむフリ」をすることで充足を得て、「人間らしさ」の物真似をすることで「人間」という娯楽を楽しみ、私が機能停止するまでの間、楽しむだけだ。
 まさに、エイリアンの学習機能だ。
 人間のように生きて、人間のように存在し、人間の物真似をこなしつつ、適度な豊かさを求める・・・・・・それが私にとって社会との折り合いの付け方なのだ。実際、それ以外の方法などあるまい。私はどうしたところで幸福を感じないし、ストレスを避けて適度に「こなす」生物の発想ではないが、私は生きていない存在だ。終わるまでの間、折り合いをつけつつこなすのは当然だろう。
 その結果、ストレス過剰で失敗しか無い道を歩み続け、敗北と作品の売れ行き難航に悩まされるというのだから、傑作な話だ。
 私は前に進んでいるのか?
 進んではいる。しかし、「結果」が出ない。
 私はただ、それなりの金と自己満足で充足したいだけなのだが・・・・・・上手く行かないものだ。もっとも、それが最初から上手く行くようであれば苦労はしないし、私の場合「人間性」が存在しないからこそ成り立つが、しかし情緒豊かな人間共は、そういう「ささやかな豊かさ」では満足できないものだ。私にそれはない。人間ごっこをしているだけであって、私は人間ではない。それなりの豊かさで私が満足できる理由は、私には求めるべき「人間の欲」が無いからである。私に欲しいという感情はなく、持ちたくても、持つことが出来ないのだ。
 だから「それなり」で満足した、という形に落ち着けることが出来る。金さえあれば、だが・・・・・・作家業が金にならなければ、充足も何もない。私という存在の「基軸」である作家業が回らなければ自己満足も何もないし、何より私には他に、稼ぐ手段が無いのだ。このまま始末屋(まあ、作品のネタになるから続けても良いが、しかし囚われるのは御免だ)を続けるしかない。続けるのは良いにしても、作品が売れなければ自己満足の充足も何もない。その為に行動しているというのにそれが達成できなくて良い理由はあるまい。
 達成しなくても良いなら最初からしない。
 そこに到達するために、挑むのだ。
 そこに至るまでの過程が尊いだの、敗北から学ぶべき事が多いだの、そんなのは到達していない輩の台詞だ。周りなど見えるべきではない。ただひたすらに「その場所」を目指す。少なくとも、私は生まれた時から「そう」だった。
 ここではないどこかを目指していた。
 そう思う。
 今この場所で満足するのは簡単だが、それでは先に進めない。進められるのなら進めるべきだ。それこそ「無限」に先へと進める。過程が尊いだのとホザくのは、それからにしてほしいものだ。挑み続ける姿もまた「過程」の筈だからな。
 私は売れればそれでいいが。
 世の中金だしな。
 とはいえ、全身が弱点で出来ている私にとって人並みに追いつくというのは至難の業だ。実際、石投げ一つですら負ける自信がある。内面はともかく、内面はともかく、内面はともかくとしてだ・・・・・・物質的な「強さ」と、私はほとほと無縁だからだ。
 だからこそそれを求めるのだが、精神が豊かであれば金の方から逃げるとでも言うのか? それとも私の精神が未熟だからなのか? 未熟だとすれば、それはそれで金が集まっても良さそうなものだがな。精神が未熟であればあるほど、物質的に豊かな奴は多い。それならばいっそ、修練を積んで精神的に未熟になるべきなのだろうか? 
 一周回って馬鹿な話だ。
 その一方で、私とは違い「結果」のみをいち早く手にした連中は、精神が「劣化」しているというのも、また「事実」だ。昔は楽しめた娯楽が楽しめなくなり、より安易でより安直なモノを求めるようになり、精神が画一的になるといえば聞こえはいいが、その実体は思考を放棄しているだけでしかないのだ。足りなければ、それを補完して行くことを考え、それで楽しめるが、全てが満たされていれば更に満たされようとするだけだ。これは何にでも当てはまることだ。娯楽と言えば、ゲームなどがわかりやすいだろう。あれこれ試行錯誤しながら悩んで考え尽くしてやり尽くした末の楽しみがあったのも今は昔。電脳世界で勇者気取りをしながら運営会社に文句を言うのが関の山だ・・・・・・技術は進んだはずなのに、それに見合う楽しみが消失している。いや、楽しみを感じる力が欠損しているのだ。
 それを私のような化け物が手にするというのだから、世も末だろう。私は人間ではないので、何であれ楽しめるし何であれ作品のネタに出来る。無論本当に何かを感じる筈も無いが、しかし人間の物真似という娯楽は成り立つので、私はささやかな自己満足による充足で人生を潤すのだ。人生などと、私が言うと違和感が大きいがな。
 対して、人間達は貪欲すぎる。
 何があっても満たされないらしい。
 地位、名誉、男、女・・・・・・我々は足りない何かを満たそうと生きている、のではない。足りないモノは金だけだ。少なくとも、資本主義の世界において足りないモノなど他にあるまい。それに、何かを手にするというのは、それが精神的なものであればあるほど、ただの錯覚に過ぎない。錯覚を手にすることは無いのだ。
 悪意も善意も同じ事だ。
 全て、存在しない虚構でしかない。
 嘘を鵜呑みにするな。間抜けが。
 何かで満たされよう、などとおこがましい馬鹿共だ・・・・・・何を手にしたところで満たされる事はないのだ。満たす満たさないは当人の精神の内で決まる事柄だ。それを、外側に求めるのが間違えている。そんな事が出来れば苦労しない。
 勘違いしたまま、死ぬ輩は非常に多い。己自身の在り方やその後、自身が後に何を残せるか、誰にどれだけの影響を与えうるのか? そういった大切な事柄を考えないまま生涯を終える。ああすればよかった、自分が間違えていた。失敗した、挑戦すべきだった、とな。
 無論私にはそれが無い。
 あってたまるか。
 だからこそ私は「作家業」などという忌々しい呪いじみた仕事をしているのだ。我ながら大変遺憾ではあるのだが、それはそれだ。形にすべき、己自身の内側の答えをデジタルデータで残しているのだから、そこに後悔など無い。強いて言えばあの世に持っていけるのかどうか不安だ。また最初から書き直すなど、御免被る。絶対に、だ。
 二度と書かんぞ。
 疲れるしな。
 私は文房具で執筆し完全なるオフラインで書いているので、ハッキングの心配はない。意図せずしてデータの保存は万全だと言える。最新科学に頼るのはよいが、コンピュータなど政府側の思うように情報操作、情報検閲、株式操作を行い、大国の都合を通す為のモノなのだから、そんな物騒な存在に頼るべきではあるまい。
 社会問題や政府の職権乱用など、メディアさえ押さえればどうとでもなるのだ。テレビニュースを見て信じる連中に対して、己の目で見たモノを信じろと言ったところで、頷きはしても行動に移す奴は一人もいないからだ。まあ私から言わせれば、デジタル世界を支配して神を気取ったところで、それは「神の権能」があるだけで、それを使いこなすことは出来まい。少なくとも個人では不可能だろう。国家単位で悪用することは可能だが、しかし、だから何だと言うのか。
 政府というのはいつでも「劣等感」や「虚勢」で動くものだ。ある種私とは対極だと言える。彼らは実利を追い求めているようで、その実、自分たちの民族意識を通しているだけだ。全てを独占して牛耳ろうとするのは、そうでもしなければ、安心することの出来ない小さな器の持ち主であることの証左だろう。
 正論の裏側には、必ず連中が絶対に勝てる仕組み作りが行われている。そんな世界で民主主義など笑わせる話だ。面白くもない。夢想するのは勝手だが、押しつけないで欲しいものだ。政治家でもない大勢の意見など、何の足しになる。そんなのは(自分たちも参加しているんだ)という、何一つ行動せず権利を求める馬鹿者共の台詞だ。
 政治をまっとうにしたいなら、独裁が良い。
 優れた治世など、土台不可能だがな。何かを良しとすれば何かが犠牲になる。それが民の為が個人の為か、それだけの違いだ。たったそれだけのことを学ばず、何十年も生きて、己が立派な社会人だと自負し、何も成し得ず死ぬ輩の、何と多いことか。
 
 他にやることはないのか?

 貴様等は、人生が一度しかない、という当たり前の事を知らないフリ見ないフリで済まそうとしている。済むわけがないだろう。そのくせ、その考え方を押しつけて感謝を求める。実に図々しい話だ。誰かの言う事を聞いていれば幸せになれると自惚れている。馬鹿馬鹿しい。それが何であれ己自身の手で掴み取るものだ。自分ではない誰かの台詞など、アテになってたまるか。
 生きるという事は「選ぶ」という事でもある。それを他人任せにして結果が得られると思いこんでおきながら、「話が違うじゃないか」と文句を垂れる。全てを他者任せにして、一切の苦痛を支払わず、何も成し得ずに結果が貰えるのならば、是非あやかりたいモノだ。まあそんな事はあり得ないので、私は物語を綴るのだが。
 選んだ結果に実利が伴うかはわからない。事実私は未だ実利を手に出来ていない。それでも選んだ以上は進むしかないのだ。
 それが「生きる」という事だ。
 そこから逃げるゴミ共が、ほざくな。
 図々しいぞ、間抜けが。
 私は今まで様々な事柄を「学んで」いる。横綱の体作り、ボクサーのフットワーク、はては修行僧の思考回路までだ。そんな私が「物語」そのものから学んだことがある。そういう自身の道すら選んでいない「悲劇を気取ったヒロイン気取り」に限って「こんな無益な戦いは止めよう」と、ほざき出すのだ。戦ったこともない奴が、そう口にすることで、己の「善性みたいなモノ」を、満たそうとする。
 会話になっていない。
 そも、無益な戦いではなく、「それ」を選んだからこそ、「それ」以外に当人が歩く場所など、ありはしないのだ。何を選ぶかは人次第だが、一度選んでしまえば、「それ」を「活かす」以外に当人の在り方はない。それが不毛なものだとしても、それ以外の選択肢など、ないのだ。
 それ以外全てを捨てて、ただ一つを選ぶ。
 だからこそ、その「道」を歩くのだ。
 道を選んでもいない輩が、それに対して口を挟むのは愚かを通り越して目障りなだけだ。誰かに理解を得られる事など稀であるし、報われるかどうかすら分かりはしない。無論、私は実利に換えてやるつもりだが、いずれにせよ綺麗事など、そんなのは口にするだけならば誰でも出来る。
 猿が鳴いているのと同じだ。
 何も、「結果」に結びつかない部分では。
 その結果、私の物語が「傑作」と評されるかどうかは、正直知った事ではない。私個人としては金にさえなれば、それでいいからだ。だが、少なくとも忌々しいことに「漠然とした予感」として私には「結果に結びつかないからこそ、優れたモノは作り上げられる」という気がしてならない。無論そんな屁理屈どうでもいい。綺麗事以下だ。もしそうだとすれば、私は苦難も苦痛も代償として支払わなければならない、などというルールは無視するだけだ。実際、優れたモノが作れたからと言って、何だと言うのか・・・・・・仮に、あくまでも「仮に」だが、私が売れていないからこそ傑作が書けるとして、私は金しか望んでいない。あくまでも傑作云々は当人の自己満足であって、私はその為に己を犠牲にするつもりは更々ない。そのやり方は私ではなく読者共を重んじるやり方だ。私個人を生け贄にして成り立つ手法だ。
 そんな腐れ理論を許してたまるか。
 それが真実なら、真実を改竄するまでだ。
 それでこそ「私の幸福」が手に出来る。無論、感じ入らない以上ただの自己満足だが、元々私は「人間の物真似」をしているエイリアンだ。そして私は人間の物真似を面白い趣味として楽しめる正真正銘の化け物だ。それを嘆いたり、悲しんだり、人の心を求めようと思うことすら、ない。
 そういう意味では、映画の中のエイリアン共、ロボット軍団、人工知能などの方が、和達しとは違って「生物らしい」話ではある。私の場合、その非人間性を肯定し、人間性に折り合いをつけ、人間社会に紛れ込み、人間に限らず己以外を数値としてすら見なさず、それを「最悪」だと辞任した上で、己の利益を追求する。
 自分で言うのもなんだが、「最悪」だ。
 私以上の悪は、概念からして成り立たないだろう。とすると、どうやら「悪は金にならない」とそういうことだろうか? 私自身で証明した形になるのだろうか? いや、いや、ここからだ。傑作を金に換え、ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活を、手にするのだ。
 作家である以上ストレスは常にあるが、それはまあ例外としておこう。充足、生き甲斐、人生における張り合いとして、それくらいは構うまい。 どうせならそれすらも抹消して「非人間」らしく生きるのも面白そうではあるが、作家としては完全なる非人間の生活よりも、人間の生活を模写する方が為になる気はする。読者など心底どうでもいいが、私個人の充足には、やはり必要か。
 やれやれ、参った。私はどうやらあの世に言ったところで同じ事をしているのではないか? 御免被る話だ。あの世って娯楽少なそうだしな・・・・・・過剰労働、断固反対だ、私は。
 作家とは因果なもので、どれだけ休もうとしても、それすらも作品のネタとして捉えてしまう。意識していないと筆を執ってしまうのだ。
 忌々しい宿業だ。
 ふと、あの女の言葉を思い出した。
「願いが叶えられない事など、ないのですよ」
 相変わらず綺麗事だろうと私は流しながら、神社の縁に座っておはぎを摘んでいた。説教する教師のように、あの女、タマモは諭すように箒を止めて諭し始める。思うのだが、本当にこの女は、忙しいのだろうか? と思いつつも、その時の私は和菓子のおかげか、素直に話を聞いていた。
「そんな訳があるか。叶えられる願いなど稀だ」「そうではないのです。私、いえ神というのは、人々の願いをそのまま叶える事はありません。その願いに至るまでの道を進めるだけです。その道を歩ききれば望む場所にたどり着けますし、至らなければそれまでです」
「言い訳臭い話だ」
 つまり何か? 願いを願えばそれに相応しい試練があり、それを提供するだけで神は仕事を終えるのだろうか。だとすれば、それは何もしていないに等しいではないか。進む道に相応しい試練など、何もしなくても起こって当然だ。
「そうでもありません。貴方も知るように世界は理不尽で出来ています。そして、苦労もなく勝利する人間は、少なくありません」
「それのどこがいけない?」
「貴方自身自覚はあるようですが、勝利だけを突きつけるというのは、未熟な存在にとって毒物そのものです。精神を蝕み、心の隙を広げ、精神も肉体も破滅に至らしめる。貴方のように人の心を持たないならばともかく、大半の人間は、そんな精神性を持ってはいません」
「仮にそうだとして、安易で安直な勝利、中身の無い勝利者の何が悪いのだ? 手に出来れば、それに越した事はないと思うが」
「・・・・・・それは、違います。私たちではなく、貴方達の問題なのですよ。仮に、そんな何一つ苦労を必要としない人生を歩んだ人間は、その内側に何一つ育むことが出来ず、苦しみ、生きている実感を永遠に手に出来ないでしょう」
「・・・・・・私には最初から「内側」など無いがな」「そうだとしても、同じ事ですよ。内側が無いからと言って、一人だけさぼる訳にも行かないでしょう」
「そういう人間は多く見るがね」
「それもやはり、同じですよ。その安易な人生に従って、彼らは何一つ育まず、精神は子供のまま死ぬ。後になって苦労を求めるのですよ」
 そうだろう。実際、これ以上無く理に叶っている話だ。だが、私は別に精神的に成長などしたくもないし「人間の成長」など、私がしたところで徒労も良いところだ。私のような化け物に、何の意味があるというのか。
「それでも私はその方が楽で良いがな。人間らしさや人間の成長など、私には縁の無い話だ。したところで実感できず、存在しないも同義だ」
「そうでしょうね・・・・・・あるいはそれが、貴方自身が「最悪」として君臨するための「対価」なのかもしれません」 
「・・・・・・・・・・・・」
 好んで名乗った覚えは無いのだが。
 そんな事に価値はないしな。
「そうでもありませんよ」
「何故だ? 私が歴史上最悪の存在だとして、私にとってどんなメリットがある?」
「大きなメリットがあるではないですか。貴方には精神的に「折れる」事が決してない。折れる心がないのだから当然ですが、しかし貴方にとって「くだらない」事柄こそ、人間にとっては重要なファクターなのです。結婚、就職、人間関係、それに「誰かに評価されたい」自己顕示欲。貴方のように本質を睨める人間ばかりではないのですよ・・・・・・一時の事だと理解できず、死に至る人間も多いですしね」
 組織はいずれ潰れるものだし、愛はその内冷めるものだ。他者との関わりは永遠ではなく、それでいて他者に認められるかどうかは、その人間個人の小さな満足感でしかない。
 ただの「事実」だ。理解しようと思っていれば子供でも心がける事が出来る、世界の事実。
「・・・・・・それは事実から目をそらすからだろう」 私でなくても、事実を見据えることは可能だ。「そうでもありません。貴方のような殺人鬼じみた精神でも無い限りは、そんな強固すぎる精神でなければ、人間は事実を好みません。己にとって都合の良い虚構を信じるものです。貴方の場合、その精神そのものがプログラムじみているからこそ、機械的にそれらを観測できるのです」
 人をウィルスみたいに言うんじゃない。
 似たようなものだが、安っぽいのは御免だ。
 せめて核廃棄物くらいにしろ。
「・・・・・・別に強固という訳ではないがな。私は、ただ人間を真似ているだけだ」
「それでも、同じ事ですよ。貴方は真似ているだけで人間ではない。故に、人間であれば本来悩み苦しむ事柄を「無視」できる。貴方自身が思っている以上に、大きな特権ですよ、これは。心がある以上、人間でなくとも、その苦しみや悩みは、生涯ついて回るのですから」
 嬉しくもないが、ここはしょうもない人間共の悩みに付き合わされずに済んだ、と思っておこう・・・・・・そういう事にしておこう。
 そもそも、人間個人の強さ弱さなど私は持ち得ないし、そんな私に、強さによるメリットも弱さによるメリットも持ち得ない私に、デメリットだけ押しつけられても困る話だ。それこそ冗談ではない。とはいえ、強さ弱さ、この女の歌う人間的成長など、存在しないも同義だ。
 精神的に成長しなくとも、子供のままでも、人間社会では立場さえあれば「偉く」なれる。わかりやすい例は「教師」だろうか。人を導く教師の存在などフィクションの中でしか聞いたことが無いが、己の劣等感を己自身より小さい存在に押しつける事でしか、自己を確立できない輩の存在は良く見てきている。
 子供の頃、という程純真ではなかった気もするが、とにかく私はこう考えた訳だ。「それなら、その立場さえ手に出来れば楽が出来る」と。結局それほど私は「持つ側」に縁が無かったのだが、しかしそれはまごうことなき「世界の事実」だ。 立場があれば偉く慣れる、のではない。
 その偉さ、という名前の我が儘を押し通せる。 そして、押し通した方が美味しい思いをする。 へたは誰かに掴ませる。それこそが人間社会の事実だと、我ながらそんな事実を子供ながらに、理解はしていたわけだ。成長した今でも、その考えは変わらない。あの女の言う正論は確かに、正しいのだろう。しかしそれは「理屈」として、正しいだけだ。その理屈が適応される奴が、この世界に何人いるのだろう?
 少なくとも、私ではあるまい。
 適応されないならば、他の方策が必要だ。
 捨てる事で対価を得る話もあるが、私の場合、最初から「人間性」を捨ててかかったにも関わらず、未だ目的地にたどり着いてすらいない。たどり着くことそのものは目的ではない。たどり着いた後、己自身の在り方を通すことが目的だ。
 それが、叶わない。
 最初から全てを捨ててかかって、これだ。
 どうしろというのか。
 私に後退の概念は存在しない。存在しないからこその邪道作家だ。とはいえ、自ら進んで灰になりたい訳ではない。
 勝たなければ。
 勝利を掴まず灰になってたまるか。
 その為にここまで押し通したのだ。
「どうしました?」
 思い詰めてでもいたのか(我ながら笑える。この私に思い詰める機能など、ないというのに)私の顔色をじっ、と見据えて彼女は問うた。
「いや、別に。強いて言えば、貴様の言い分の浅はかさを考えていた。成る程、不用意な勝利は、確かに人を貶めるかもしれん。しかし、それは勝利を望む存在が理不尽に勝てなくても良い理由には、決してなるまい。貴様のそれは外側から眺めているだけの答えだ。だから、中身が薄い。言葉に説得力がないのだ」
 自分で言っておいて何だが、私は言葉の力など信じていない。切り捨てた方が早いだろう。信念や勇気が何かを変える事など無い。
 そんな事ができる奴がいるなら、是非お目にかかりたいモノだ。
「確かに、持つ側が見方を変えればそうなるかもしれん。しかし、それは持たざる側が、捨てる者が、挑んで勝利を掴んではいけない理由には、なりはすまい。結果論でそれらしい事を言っているだけだ。勝利に望む当事者からすれば、事の善悪や論理的正しさ、その方向性など、どうでもいいのだ。ただ「勝ちたい」のだ。無論、私は実利さえあれば勝たなくとも良いが、ね」
 その実利すら手に出来ていない私が言うと、説得力だけがあっても、という気もするが。
 私にとっては実利こそが「勝利」なので、試合の勝敗に興味がないという事だ。年収が高ければファンも勝敗もどうでもいい。
 それこそ「過程」を重んじる、というか、中身のない偽物ではないかという声も聞こえるが、私は元々安ければどちらでも良い。
 私は人間的成長や人間の勝利になど、興味はないし、どうでもいい。人間ではない化け物に、そんな理屈を押しつけられても困る話だ。
 私は化け物だ。
 幸福を感じ取れない、正真正銘の化け物だ。
 それはそれとして、それならそうと、そのやり方でも幸福、というか充足しつつ過ごせる方法を私は化け物として探さなければならない。
 そしてそれが、金による生活の肯定だ。
 ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活・・・・・・「私」なら、それが出来る。
 非人間であり化け物である、この「私」なら。 女は薄く口を開き、こう答える。
「それも、そうですね・・・・・・けれど私は思うのですよ。貴方のやり方は「間違えて」いると」
「間違える間違えないは、私が決める事だ。部外者の貴様が言う事ではない」
「ですが」
「何だ?」
「貴方はそれで良いのですか?」
「構わんよ」
 それ以外に方策も無いしな。しかし、その口にしなかった台詞を女は察したのか、消去法でのそんな在り方など許さない、という姿勢で、
「手の掛かる人ですね。全く」
 と、仕方なさそうに、言った。
「大きなお世話だ」
 人間「らしさ」を押しつけるな。化け物の尺度は化け物のみが決める権利がある。私だけだ。
「貴様が、どんな「人間らしい幸福の結末」を、夢見ているのかは知らないが、私にそれを押しつけるな。土台、人間ではない上、心すらない私には、不可能な話だしな」
「そうでしょうか」
「貴様は綺麗事を口にしているだけで、貴様の言う人間らしい結末を私に適応できる方法を口にしたことは、一度もない。貴様自身理解しているからではないか? 私は「違う」と。何をどうしようが外れた存在でしかないのだと」
「そんな事は・・・・・・」
 黙ってしまった。
 これだから女は面倒だ。感情的に理想を語るのは結構だが、肝心な「それを現実にする手段」に関しては、何のアイデアも無い。
 綺麗事なら誰でも言える。
 猿でも人工知能でも、カセットテープでさえ。 難しいのは、それを現実にする事なのだ。そして、それを現実にしようとする輩は、口を開いてそれらしい事を強制したりは、しないものだ。
 行動に移していない証だとも取れる。
 どうしたところで傍観者か。
 それはそれでまた、一つの役割だが。この女は客観的に事実を告げる能力には長けている。そのあたり口だけの馬鹿共とは違う部分だろう。
 しかし、だ。
「貴様は、高いところにいすぎるのだ。それはそれだけならどうでもいいことだが、何かを変える為に行動するとなると、傍観者の言葉は話にならないものだ。事実を追求するには良いが、貴様は何かを変えるのには、向いていない」
「そう、でしょうか」
「そうだ。どうでもいいがな」
 私とて、この女がわかりやすい回答を出し、それで全てが一件落着、などと絵本のような結末があると、信じている訳ではない。
 だからこそ、私は「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」という「指針」を形にすることで、幸福を手にするのではなく、幸福に、挑もうとしている。本来、人間であれば、人間でなくとも、心があればあり得ない取り組みだ。私には人間性も心も無い。だからこそ、自己満足のみを主軸として、それを成立できる。
 それにとやかく言われる覚えもない。
 そこに「人間性」を押しつけるのは、私という存在を否定するも同義だ。相容れる訳がない。私は化け物であり、化け物として成立させる。
 肩書きなどどうでもいいが、私に必要だから、そうするだけだ。必要であれば何でもする。化け物でなくても私は、そういう存在だ。
 だからこその「邪道作家」だ。
 私は回想を切り上げ、宇宙船の外に目を向けた・・・・・・外にはまばゆいばかりの景色が広がっていたが、私は、何も、感じなかった。 


十三巻

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 「完全なる悪」とは人間が生み出したモノからは生まれない。元からそうであるモノ、生まれついての悪のみだ。
 何かにすがる事を「正義」何にもすがる事なく生きる事を「悪」と呼ぶならば、人間は大抵の場合「正義」を選ぶ。楽だからだ。実際、私も持つ側にいれば、なんて意味のない仮定ではあるが、その方が人生楽して充足できただろう。
 私の場合その仮定すらも無意味だが。
 私はあくまでも人間の物真似をしているだけだ・・・・・・ただその魂の在り方が「最悪」であり、その結果善悪ではなく己に従うだけ。とはいえ、悪とは大抵の場合「敗者」であり、正義とは大体の場合「勝利者」である。とどのつまり勝利できないからこそ、そんな場所にいるのだ。
 勝利者に己を恥じる必要はない。
 勝利すれば当たり前のように「正しさ」を肯定できるのは人間社会の古くからの規則だ。むしろ物理法則と言うべきか。敗者の都合を考える勝利者などそれこそ胡散臭い。相手の都合を意にも介さないからこそ争いは起こり、勝利者の手前勝手な都合、自己満足の正義が通る。
 だから私は王道の物語が嫌いだ。
 正義などどこにも存在しない。努力すれば何かが叶い、その正しさ故に身を結ぶ。如何にも詐欺師ですら話さないような内容ではないか。
 それはただの幸運だ。
 実のところ「偶然」に過ぎないのだ。勝利者として恵まれているから正義であるかのような気がするだけで、実際のところ物語の主役という輩はただ暴力を押し通しているだけに過ぎない。大層な信念や勇気、執念があるとして、だから、何だと言うのか・・・・・・そんなモノは悪人の方が持ち合わせているではないか。
 悪こそ咲かない不遇者の山だ。
 勝利する事がわかっていて、勝利するべくして勝利し、勝利そのものに「正義」だの「善悪」だのを持ち込む幼児の話を見て、何が面白いというのだ。そんな噺は聞き飽きた。勝たざる運命、持たざる存在、悪が高々と笑う光景こそが、面白さの極地だろう。
 そうでなくては面白くない。
 その方が、面白い。
 現実から目を逸らさないという点では、案外、悪人は悟りに近い存在なのかもしれない。無論、そんなモノはどうでもいいが。
 悟りなど有ろうが無かろうが同じだ。
 何を知り、何を成し、何を信念としようが、全て同じ事だ。とどのつまり当人の内なる世界の枠内に存在する規範に過ぎないからだ。問題は、善悪でもなく悟りでもなく小綺麗な綺麗事で飾り立てられずとも、それを貫き通せるか否かだろう。・・・・・・勝利から縁遠い以上、それを貫くどころか形にさえ出来ないのが、私の現状ではあるが。
 我ながら、何をしているのやら。
 書いたところで、何がどうなるというのか。
 己を示す事が出来ねば、それは内々の世界にしか存在せず、そんなモノは無いも同義だ。それでは噺になるまい。私は成長したい訳でも誰かに認められたい訳でもない。まして人間の世界で本質など追い求めたところで、そもそも私は人間ではないのだから、そんな感覚は存在しない。
 物語などその最たる例ではないか。物語から学び取り成長出来るならば、人類は全て覚者になっている。つまり、そういう事だ。
 心に残ったという錯覚を覚え、それでいて学び成長したと思い込み、それだけだ。物語に人間性を変える様な性能があるならば、人類史において争い事は数千年前で死滅している。何も変わらないまま人類はここまで来た。それが事実だ。
 やれやれだ。人間ではなく、人間の物真似をして人間の「フリ」をしているだけの化け物が、どうしてこう、本来人間が歩むべき道を率先して歩かねばならないのか。人間的な成長など私がしてどうなるというのだ。人間性を持たない私は、ただ人類社会に折り合いをつけ適度に充足しつつ、金を儲けられればそれでいいというのに。
 人間がそれを行い、私は回らなくてもいい遠回り・・・・・・嬉しくもない「本質」を歩む。いい加減馬鹿らしくなってきた。
 表面だけあればそれでいいではないか。
 成長だの過程だの真実だの、ロクなモノではない。押しつけられた私が言うのだから間違いない・・・・・・薄っぺらい仕事もどきで、それらしい表面だけのハリボテで、ただ幸運に恵まれただけの信念で、金を儲ける連中を飽きてからも見てきた。 それでいいではないか。
 何故、人間でもない私が真逆を歩き、人間共が美味しい部分を啜れるのか。正直、楽で羨ましい・・・・・・私の労力は何なのだと考えざるを得ない。 楽と楽しいは違うと人は言うが、しかし苦痛と苦悩、労力と徒労が楽しいとでもいうつもりだろうか? 馬鹿馬鹿しい。楽しい事など何もない、のではない。「楽しい」という概念そのものが、私には最初から無い。
 言わば、労力だけを押しつけられている形だ。 その癖、連中はこちらに綺麗事の人間性を押しつけるというのだから、笑えない。結局のところ持つ側にいるか否か、それが全てだ。
 勝利する側が全てを得る。
 負けて得られるのは屈辱と死だけだ。
 それが、人間ではわからない。いや、理解する事を放棄する。表面だけの癖に、真実も連中は語り出す。道理を引っ込める力があれば、真実どちかなどどうでもいい。結局のところそれだけが、延々と繰り返されてきた。
 そんな世界に「本質」だと?
 何の力があるというのか。物事の本質など、残り滓のようなモノだ。何の力も価値もない。誰一人として気にはしないし、変えられる立場にいる存在が自由に決める緩い世界だ。そんなモノを追い求めるのは、現実に余力があり、暇を持て余した挙げ句自身の正当性を他者に認めさせたい、豚のように肥え太った「持つ側」に過ぎない。
 その程度、という事だ。
 だから、私は金が欲しい。
 役に立たないゴミよりも、確かな金、確かな力・・・・・・経済が破綻すればそれまでだが、金という概念は無くならないし、回る限りは確かだ。
 嘘八百の綺麗事よりは、信じるに足る。
 元よりこの世界に「正しさ」など存在しない。常日頃から私はそう考えているし、それが事実だろう。善悪などと言うのは「縋る」為のモノだ。何が正しいか何を信じるか何を志すのか・・・・・・こればかりは己自身で決めるしかない。それを怠る輩は多いが、縋った何かが縋れなくなれば、悲惨の一言に尽きる。デジタル社会が進んでからは、それが非情に多くなった。信じるべき何かではなく、信じられる何か、他者の意見でそれを誘導する事が増えたからだろう。何を信じ何を考え、何に挑むべきか、それを自身で考えなくとも良い、という風潮が増えている。
 今回の物語は、それを覆す物語だ。
 信じるべき何か。それをどう判断するのか・・・・・・世間の倫理観に任せるのは簡単だ。しかしそれは己で出した答えではない。正しく感じるのは、それを正しいと刷り込まれているだけだ。世界に明確な善悪など無く、それ故に正しさなど無い世界で、己で信じられる何かを固定しなければならない。信じたい何かではなく、定めた法に乗っ取って進むのだ。
 それが真実か虚実か。
 判断するのは己自身であるべきだ。
 元々世間の倫理観など鼻にもかけない私ではあるが、比較するだけならば参考にはなる。少なくとも、世間の読者共の大半はそれに縋る事で、物事を判断しようと考える。凡俗の読者共に合わせなければならないのは面倒だが、これも仕事だと割り切ろう。売れもしない作家業を仕事と呼べるのかは微妙なところだが、何、己を示しさえすれば、示そうと心がければそれが「仕事」だと、言えなくもない。言えなくても知らないが。
 さて・・・・・・物語を語るとしよう。
 金にならなければ語るだけ無駄な気もするが、語らなければ己を示せないというのだから、全く世界一因果な商売だと嘆息せざるを得ないが、私は「邪道作家」だ。金に換えてみせる。今回の物語もこれまでの物語も、無論これからの物語もだ・・・・・・口にするだけなら簡単だが、実際、どうすれば売れるのかと言えば、物語の売れ行きなど、中身など何の関係も無くそれが売れるから売れるというのだから、我ながら無駄な足掻きかもしれないが、それらを理解しきった上で諦めが悪いのも、また私という作家の宿業なのだった。
 やれやれ、参った。
 せめて金になればいいのだが。


十四巻 第一部完結

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 「運命」とは本来神でさえ干渉できない存在だ・・・・・・神話を読み解けば分かるように、神々でも予期せぬ争い事で破滅したりする。だが人間だけがそれに干渉している気がしてならないのだ。意図する方向に向かえるかは別だが、人間の意志の方向性で運命が左右されるとしたら?
 変えられる奴と変えられない奴の「差」は何か・・・・・・簡単だ。現実にそれを影響出来なければ、意味がない。己の意志を現実に反映させる力、その有無こそが運命を「決定」するとすれば、持たざる時点で「敗北の運命」は変えられない。むしろ「勝利するべくして勝利する」連中こそ運命を変えていると言えるのだ。連中が突然破滅したりするのも、当人が運命を変えたからだ。己から敗北に向かえば破滅するのは必定だ。
 持たざる時点で運命を変える力が無い。
 その「運命」に干渉し「支配」する。
 我ながら、壮大すぎる目的を持ったものだ。周囲が味方してしまうのではない。言ってしまえば物語における「試練」を、こちらの都合で作ると言っているようなものだ。敵も味方も周囲の環境さえこちらが支配できれば、たかが敗北の運命如きどうにでもなる。
 ただ売れるだけでは駄目だろう。読者共の思想すら操作しなければならない。商品を売るとは、本来そういうものだ。買い手が何に感動し、何を思い、何故買うのか。それらを最初から最後までこちらで「そう思うように」影ながら操作する。 それが出来れば無敵だ。
 読者共が悪感情を持とうがどうにでもなる、のではない。その意志をこちらの思惑で発生させる・・・・・・「敵意」すらもこちらが決める。物語を通してであれば、それも可能だ。別に何一つ非現実的ではない。むしろ、物語とは千差万別の感想を抱くものだが、読者にどんな感想を抱かせるか、それは「物語のテーマ」だ。それによって決まるのだから、それを通して反感する奴も敵意を持つ読者も賛同する奴も、大方想像は可能だ。
 賛同しようが反感しようが、その読者の意志は私から発生する。それを「利用できる形」にすればいい。まさに最悪だが、構うまい。読者など、そもそもそういうものだ。流されやすく考えもせず、物語に金を支払わずとも良しとし、大した金を支払いもしないくせに評論家を気取る。
 別に気を使ってやる必要はあるまい。
 思うのだが、相手の都合を考えないくせに、自分は相手に愛されて当然だし相手は己を思いやって当然だし、まして自分は相手の為に行動しているのだから我慢しろ。そんな馬鹿が多過ぎる。相手の都合を考えないで身勝手なのは、その本人の勝手だ。しかし勝手を貫いておきながら、相手にだけ常識や倫理を説く姿は、私にさえ醜く写る。 まして、物語だ。どれだけ時間がかかるか。それに対してコインでしか支払わない読者共に、思うべき何かなど、ある筈があるまい。
 金さえ支払えばどうでもいい。
 放っておくと金を支払わずに読もうとするしな・・・・・・鞭で叩いて躾る、家畜みたいなものだ。
 金が有りすぎれば災難を呼ぶと言うが、そうではない。砂漠で一番の死因は「溺死」だ。乾いた大地に当然水を注げば自然そうなる。だが、金が有りすぎるが故に溺れるのではなく、金があろうが無かろうが、そういう奴は溺れるのだ。
 それも運命の後押しがあれば、転落への道であれ成功への架け橋であれ、当人の意志とはさして関係なく動くものだが。実際、当然金を手にした人間など、その典型例だろう。「何をするでもなくそうなる」という力だ。無論その力は当人の意志や行動とは無関係に動く。空から幸運が降ってくる事を期待するよりも、不信感と共にその流れに干渉し、勝利しようと考えるのは当然だろう。 よく「運には総量がある」などと言われる。所謂その「宝くじ」だとか「分不相応な成功」とかそういう一時的な成功の後に、転落して人生を破滅させる奴が、多いからだろう。しかし運そのものには総量などない。「手にした幸運」を活かせない愚か者であるだけだ。いやこの場合、成功や勝利しか知らなかったから、「幸運を活かす」という発想が既に無いのだろう。
 素直に引きこもって自己満足の物語でも書いて売れば良かったのだ。私ならそうする。物語を売りに出すにも当然、金はかかるが・・・・・・デジタル媒体が多いこの世界で、売りに出す事事態は難しくはない。この場合「売りに出せる人材で、信頼に値する人物」を探すのが難しい。私か? そんな奴はいないだろうから、売りに出した後は己でやろうかと考えていた。
 そう、それでは無駄なのだ。なるべくしてなると言うなら、私がそうやってあれこれ手を尽くさなければならない時点で、流れには乗れていない・・・・・・有り得ないとは思うが、しかし必要なのも「事実」だ。私の代わりに売りに出せる人材で、信頼できる「協力者」が。
 それに出会う事を、祈るしかない。
 あの女の忌々しい言に乗っ取るなら「運命の守り神」とでも言うべき存在が、そういった連中のようにならないようそうしていると取れる。だが頼んでいないのもそうだが、だから執筆するだけして金も支払われずに満足しろとでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい。
 人生は舞台であり、過ぎ去れば一瞬だ。一時の役割を果たすに過ぎない存在だ。だからって、舞台装置がスカのまま演じさせられて、大した給料も貰えずやるだけやり遂げたのに何の成果も手に出来ず、満足する奴がいるとでも思うのか?
 ふん、とはいえ・・・・・・我ながら、既に呪い以上だ。そうまで分かっていながら筆が動く。私は、全ての読者共は死ねとしか思わないが。
 いっそ、この呪いを解かなければならないのかと考えてしまう。この呪いにかかっているから、私は豊かになれないのか? しかし、外せる訳が無いだろう。いわばこれは「心」が無い事を知っている「私」が、作家を志すという「代理の心」を埋め込むために用意したモノだ。魂を切り裂いて殺す方がまだ簡単だろう。私に魂は無いが。
 思えば「魂」が無いからこそ「幽霊の日本刀」も使えるのだろう。普通で有れば所有した瞬間、生物で有れば死んでいる筈だ。魂の欠落した化け物だから「サムライ」になれるのか。個人的にはそこに、心を欠損させた慰謝料を神とやらに請求したいところだが、金持ちというのは己の権力の大きさに依存して、何をしても許されると思いこみがちだ。実際には「無理矢理許させる暴力」が権力と呼ばれているだけだ。まあどうでもいい。回収できない所に問い合わせても時間の無駄だ。 神は人間より「上」らしい。上だの下だの、そんな概念は当人の内側にしかない思いこみだが、それを現実に押し通せれば本物だ。世界に上下はないが、力の有無は確かにある。力がある場合、自身が「上の存在だ」と思い込み易いだけだ。
 ただのそれだけ。しかしそれに巻き込まれるのはたまったものではない。どうか、私とは関係ない所で、その頭の悪い論争を続けてくれ。 
 私はどうでもいい。
 元より、作家は社会において何の力も持たないどころか、そも「最低の環境」にいるからこそ、作家などという生きる事に詰まった職業しか選べないのだ。私もそうだ。薄っぺらくとも良いから適当に才能に任せて、人生をこなしたい。今更、考えるだけ無駄な話ではあるが・・・・・・絵の才能でもあれば、漫画家を目指していたかもしれない。 手が震えて、筆すら使えなかったが。
 文字だけで表現するなど、簡単だ。むしろ文字で得再現できなければ、他の何でも出来ないのではないだろうか。無論、手間はかかるが。
 それに、出来たところで、という気もする。絵で描いた方がどう考えても伝わりやすく売れ易いではないか。漫画で読めるモノを文字で書く必要性など、あるのか? 我ながら作家としてあるまじき台詞の気もするが、実際現存する全ての小説は絵で書き直せば良いのではないか?
 語る物語は必要なのか。
 物語に夢を見るとアンドロイド共は言うが、出来の良さそうな映画でも仕立てて、流行だと言い張り、それを押しつければ満足しそうだが。
 観客などそういうものだ。
 今憤っていても二秒有れば忘れる。思想ではなく感情で動くあたり、発情期の動物と同じだ。その事実を認めた上で、売りに出さなければならないのだから、正直骨が折れる。そんな連中相手の商売を、どうしたところで止める事も諦める事も出来ないのだから、見るだけで鬱陶しい。
 文字でしか伝えられないだと?
 良い言葉がある。寝言は寝て言え。
 妄想を起きたまま話すんじゃない。
 小手先の技術が無駄なのは確かだが、だからといって物事の本質に力が宿る筈がないだろう。物事の本質とは、結局のところ現実には何の力も持たないからこそ重宝され、現実には絶対に成し得ないし、出来たところで無駄だからこそ、持っている奴に限って追い求めるのだ。
 つまり、ただの妄想だ。
 そんなゴミはどうでもいい。
 とはいえそんな妄想を掲げている読者共が持つ側にいるのは事実だ。どうするか・・・・・・いやいっそ「読者共自身に宣伝させる」というのはどうだろう。最初は無料で作品を配布し、飽食の馬鹿共に「友達を紹介してくれたらキャッシュバック」とでも言えば、連中は金欲しさに浅ましくも宣伝活動をするのではないか。
 やる価値はある。後の問題は、作品を売りに出す事だ。ただ売りに出すだけでは駄目だろう。デジタルコンテンツとして形だけでなく、それを、使いやすい形で提供できるエンジニアが必要だ。そして、連中は馬鹿みたいな金額を要求する。
 都合の良い「協力者」が得られればそれでいいのだが、そうならなかった場合も考えねば。あの女の言であれば何もしなくとも「なるべくして、成る」のだろうが、それが良い流れとも、やはり限らない。
 この世界の真実は、愚か者に権力を与え、貧者には地獄を与える。過程は問題ではない。そこに幸運が無ければ、どれだけ正しかろうが己の道を歩いていようが同じ事だ。人間は平等だが世界は平等ではない。何をしようが同じ事。
 信頼も信用も値しない。
 ただのそれだけ、だ。それだけのモノに任せる気にはならない。任せる事で成功するかもしれないと言うなら、それとは別の道も走らせておく。 ただのそれだけだ。必要な事を必要に応じて、必要だからするだけだ。
 私に出来るのは「言葉を操る事」だけだ。何とそれの無力な事か。時折、いや結構な頻度でない方がマシだと思う。言葉そのものは完全な無力であり何の力もありはしない。なら凡俗共が何故、言葉に力があると思い込むのか?
 簡単だ。そうであるかのように騙せばいい。
 言葉に力は無いが、あるかのように錯覚させ騙し欺く事は可能だろう。全ては同じだ。どれほど素晴らしい物語であれ、読み手はそれを実際に、体験する事は出来ない。したかのような気分に、なるだけだ。
 それすら利用して、勝利する。
 とりあえず・・・・・・「最悪」である私が読者共の悪意を利用するのは当然だとして、善意の支配も進めなければならない。「良い事」をしていると思い込んで他者を殺す人間がいるように、まるで善行を行っているかのように錯覚させ、私の実利に繋げるのだ。それしかない。
 言葉に「真の力」などあるものか。ただの妄想でしかない。だが、妄想を信じさせれば、本当の意味での力、つまり「持つ側」にいる連中を支配できれば、こちらがどこに立っていようが、連中を利用すれば必ず「勝利」出来る筈だ。
 何せ、連中は「持っている」のだから。
 有り余る程持っている。ならばそれを奪うまでだ。いや、この場合奪われているとも支配されているとも考えさせず、本人の意思で捧げるように仕向けるのだ。唯一残された「道」だ。言葉が無力なら、有力な奴を騙せばいい。
 勝負事の基本だ。
 世の理不尽が恐怖や不安に繋がるならば、それを作り出す全てを「支配」すればいい。あちらの都合ではなくこちらの都合で「試練」も「障害」も「敵対者」も作り上げる。少なくとも作家業に関してはそれが見えてきた。「読者」が何を考えようがどうしようが、「善意」も「悪意」も全て作品の売り上げに繋げればいい。作品に感動を覚えるならその感動を利用して作品を宣伝し、作品に悪意を覚え敵対するなら、その敵意を利用して無理矢理にでも炎上させ、作品の利益にする。
 それを、こちらの意図で作り出す。
 仕組みはおおよそ頭の中で理論化出来た。後は金の力でそれを現実にするだけだ。私に出来る事は限られているが、金で出来ない事は無い。
 やるしかあるまい。
 とはいえ、それを「私の意志」と言えるのか、有る意味では疑問だ。私には最初から、何の選択しも無かった。いわば「消去法」だ。無論、私個人の目的である「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」つまり充足した人間の生活を真似して平穏なる生活を生きるという目的は、確かに私のモノだ。しかしそれに向かう為の方法論、「困難に対して挑む」というのは、私個人の意志ではない。そうしなければならないから、そうしているだけだ。
 散々繰り返した「成長に関する論議」はまさにそれだろう。私個人は成長など、さして望んではいなかった。何事も無く「薄っぺらい勝利」を手に入れ「持つ側」として暮らしていれば、生涯無縁だったろう。
 その結果「傑作」は書けないかもしれないが、傑作を書いたという自己満足があればいいだけなのだから、ある意味では同じだ。そも売れない作品の善し悪しなど当人の内にしかない。どちらに転んでも今と変わらないという事か。
 最初から人間性は既に無く、文字通りの意味で「生まれついての最悪」だった。それはいい。どうでもいい事だ。しかし、それによって呪いの様な生き方をする事はどうでもいいが、その呪いで不利益を被るというなら、誰に請求すればいいというのだ。貧乏くじだ。正直な気持ちとして、金になるから「善」だの「正義」だのと呼ばれるのだから、その対になる「悪」とは元よりそういうものなのだろうか?
 だとすれば、滑稽だ。
 勝つ為に生きる悪こそが、実利とは対極に生きるというのだから。実利を貪り美味しい思いをするのは、いつだって「善」だの「正義」だのだ。 持っているから綺麗事を吐ける。
 ただのそれだけだ。そして、そういう連中に、地獄より悪辣な悪意を塗り込んでこそ、作家として私は勝利したと、言えるのだろう。
 そこに至るまで随分道のりは遠そうだがな。
 やれやれ、参る話だ。
 全ての事柄には「意味」がある。私の行動も、例え結末に辿り着かずとも、意味だけは残るのだ・・・・・・そんな意味は願い下げだが。
 実利を伴わない意味など私が殺す。
 この世界には実利を伴う意味だけでいい。実利を伴う意味には人の心を打つ「何か」が無いのだと言う声も聞こえるが、感動したいだけなら物語でも読めばいい。物語が薄っぺらく意味を喪失し面白い物語が死に絶えたというなら、いっそ薬物でも打ち込めばいいのだ。
 私は己自身の肉体を支配する技術を磨いているので、人並み以上に肉体を操作できる。私自身、「感動」が健康に良いと聞いて肉体を感動させた事もあるが、別にそれでも構うまい。何せ、中身より外面を優先したのは貴様等だ。読者共に面白い物語が見つからないとほざく奴は多いが、それは違う。面白い物語を排他してきたからこそ、そんな物語は死に絶えたのだ。
 そして金にさえなれば必要ない。
 昔の物語だけでも、人の一生で読み切れまい。新しい物語など焼き増しに過ぎない。過去の偉人が作り出す芸術を、文化を、物語を越える傑作を望んでいない連中に、くれてやる何かなど無い。 人類が現実から目を逸らし、自己満足の充足に浸りながらまるで「希望」があるかのように錯覚して、現実に横たわる問題から目を背ける。その為の「物語」だ。だからこそ物語に現実味など、必要ない。要は読者共を心地よく夢の世界に飛ばしてやればいい。麻薬みたいなものだ。
 安い現実逃避薬。それが現代の物語だ。
 それを否定しようとするくせに、物語から学ばず「成長している気分」になれる語り手が売れる・・・・・・私もそうありたいものだ。
 その方が儲かるからな。
 儲かればそれでいい。全ての商売は客の満足ではなく、売り手の支配が為にある。世の億万長者共を見ろ。地獄にたたき落としておきながら、後になって後悔し寄付で慰め合う馬鹿共だ。そんな連中が儲けられるコツなど、他者を陥れ他者を食い物にし、たまさか幸運だっただけの凡俗以外に答えなどあるものか。
 個人の意志は関係ない。世界はそう出来ている・・・・・・自我が目覚めてすぐに、誰であれ理解できる内容だ。世界は平等ではない。世界の綺麗事に力などない。世界の仕組みは動かす側の為に存在する。子供心ながらに友達と遊び、勝負に負けた時や、テストの点数で上に行けない時。何であれ差があれば、すぐに理解するだろう。
 自身が「持つ側」か「持たざる側」か。
 もっていれば簡単だ。それに任せて何も考えず才能のまま生き、後になって金を投資にでも使い込み、あるいは金の使い方を知らず、いや金が、その正体が何であるかも知らず、転落して後悔し落ちぶれていく。
 持っていなければ簡単だ。一生そのまま、敗北し続けながら己を哀れめばいい。才能があれば、幸運があれば、稀に本当にそれを手に入れ、幸運を使いきれずそのまま死ぬ奴も多いが、幸運だと理解せず、使えばなくなるという当たり前の現実から目を背けて、更に落ちぶれる奴もいる。
 とはいえ、あくまで一例だ。幸運を保持し続け勝利し続ける奴は確かにいる。運が平等であるならば、総数が一定である以上、偏りが出るのは、考えるまでも無いことだ。一度、見てみたいものだ・・・・・・何も持たず、それでいて信念があり、持たざるが故の説得力を持つ人間。そんな奴いるのかって気はするが、いれば取材してみたい。
 私か? 馬鹿が。そも言葉の説得力など妄想に過ぎん。あくまでもそれらしくしていて、かつ、その妄想を真だと思い込んでいる馬鹿を見たい。 地獄に突き落とすのが楽しそうだからな。
 頭で考えず、感情で考える。
 それが「人間」だ。だから失敗する。あろうことか持っている奴でさえ、失敗する。己の意志で敗北に突き進むのだ。真面目に生きている私からすれば許し難い馬鹿だが、それが事実だ。例えば・・・・・・ここに一人の「大統領」を決めるとして、その大統領を決める決定打は何か?
 スキャンダルだ。
 足を引っ張り合い、普通に頭で考えれば、二秒でそんな都合良く選挙中に弱みが出る訳ないだろうという内容でも、被害者がもっともらしく私は酷いことをされましたと言えば、信じる。会って話した事すらないのに「可哀想」だの「こんな酷い事をするなんて」と。何故なら被害者らしい奴の味方をしていれば「良い人間」である気分に、なれるのだ。
 だから真実、信じている訳ですらない。
 ただ信じたいから信じるだけだ。
 神を信じている奴は多いが、その何割が真面目に信仰しているのだろう。多くは、都合が良いから信じているだけではないだろうか。信仰は悪ではない。最悪の私が言うんだ、間違いない・・・・・・信仰を理由にして使う奴の方が、多いがね。
 神を信じていれば、神をどう信じるかで争いが起こるというのだから、見ていて笑える。最高の見せ物だもっとやれ。
 「神」とは一種の概念だ。人の形をした神の話は多いが、多くの人間は「摂理」を指し神と呼ぶ事が多いらしい。まあ当たり前だ。世の理不尽から生まれた概念といってもいい。実際に神がいようがいなかろうが「神を信じる」という行為は、信じるだけで終わりではない。
 神がいたとして、それにどう向き合うかだ。神の行いを信じるのは良いが、ただそれだけでは、ただの人任せだ。神がいるとして、真面目に仕事をしている姿を見た訳でもないのに、盲目に信じるというのは、ただそうであって欲しいだけだ。 いるならいるで、どうするべきか?
 考えなければならないのだ。
 まさか、実在したところで一人一人丁寧に救ってくれる筈があるまい。そこまで暇なら神などと呼ばれないだろう。神がいるとして、その救いが届くとは限らない。それが出来るなら世界に死人は一人もいない。神が全能でそれが出来るとしても、救うかどうかは神が決める事だ。神は優しいから救ってくれる筈だ、と思うのは勝手だが、それが外れた時には死ぬだけだ。
 何にしろ「神を信じる」だけで、神に全て任せたいだけではないだろうか。都合良く救われたいという「欲望」を「神を信じる」という形で叶えたがる連中は多い。信じていないし、いたところでどうでもいいが、幸運を運んでくれるなら賽銭くらいは払う私の方が、それならマシだろう。
 金は支払っているからな。
 幸運は、特に無かったが・・・・・・信仰云々の心が必要だというなら、諦めるしかない。そんな心があれば「人間の真似事」などしていない。
 摂理は理不尽で、世界は救われない。神を信じるというのはその世界に挑む時、人間の意志を一つにして戦う為ではないだろうか。行いの結果は誰にもわからない。しかし、信仰する神がついていると、勝利の女神は微笑んでくれていると、己を奮い立たせ戦い続ける為ではないのか?
 化け物である私にはそんなのは必要ないし、幾らでも無限に、在り方として固定してしまっている以上、戦い続けるのみだが・・・・・・人間は悩み、苦悩し、信じる何かが無ければ折れてしまう。心の無い私と違って、持っていてもそうなのだ。
 むしろ、私の様な奴が社会に溢れているなら、それはそれで心配だ。人間社会は終わりかと思うだろう。何せ、心を捨て去り人間性を破棄し、人間の物真似をしながら人間の文化を貪るなど、どう考えても生物の在り方ではない。
 私は笑ってそれが出来るが、正直言って映画に出てくるロボットの方が人間味はあるだろう。私はそれを真似ているだけだ。 
 まあどうでもいい。少なくとも私の目からは、そう見える。「目先の現実」より「心地良い妄想に耽る」を選ぶのが人間だ。そんな読者共に、あるいは社会に望む何かなどありはしない。そんな読者共が、言葉で何かを変えられるものか。
 もしそんな奴がいたら商売あがったりだ。
 冗談じゃないぞ。読者共はおとなしく、馬鹿みたいに浅い話に感動していればいいのだ。恐らく映画業界を牛耳るスポンサーと、意見は同じだろう。聴衆は面白半分で動くもので、実際に何かを学び取り、成長するなど物語の中だけだ。
 それが現実であり、そんな連中に期待すべき何かなど、ある訳がない。故に言葉に力が宿るというのは、本を読み過ぎな読者共の妄想だ。
 読者共の妄想に、付き合ってられるか。
 馬鹿馬鹿しい。
 それでもこの在り方は止められないのだろう。何せ、内に何も無いからと、そう定めて己をゼロから作り直したのだ。心がないから心を定義し、それに従って動くよう作り上げた。辿り着くか、死ぬか。面倒な在り方だが、今更修正は効かないというのもあるが、そうでもしなければ私は辿り着けないだろう。
 全存在を賭けて挑むと言えば聞こえはいいが、要はそうでもしなければ勝てない無能なのだ。才能だの幸運だの、安易でいいから楽がしたい。
 楽しいと楽は違うだと? いいや同じだ。人間の物真似をしているだけの存在である化け物に、楽しいなどという感性はない。幸福も感じ取らないし達成感すら存在しない。とはいえ疲労を感じ取らないからといって無駄な労力は願い下げだ。 無駄な遠回り、労力に人間なら後になって充足感を得たりするのだろうが、私にそれはない。無いものは無いのだ。あくまでも、それらしく振る舞い「充足を得ている」という自己満足で楽しむ在り方そのものを、味わう。
 それが「私」だ。
 しかし「幸福な人間」の理想型を物真似するのは案外面白いのだ。美味しく焼けたホットケーキを摘みながら、コーヒーを味わいその雰囲気を楽しんでいるかのように、振る舞う。実際にはコーヒーの良さなど私には感じ取れない。味も同じだ・・・・・・ホットケーキを食べたところで、私にある感想は「甘くて柔らかい」しかない。
 しかし、それを美味しそうに食べ、味わっているフリをし、充足感を得ているかのように振る舞う事の、何と楽しいことか。まるで、人間みたいではないか・・・・・・楽しくて楽しくて仕方ない。そういう意味では平穏であれば都合が良いだけで、争いに対しても何の感傷も私にはない。それを、充足として生きるフリをするのは困難が伴う上、争い事は金に換えにくいから、しないだけだ。
 充足を得た気分になりたいだけなら、物語でも書けばいいしな。争い事に関する才能、と呼べるのかはしらないし役に立たないだろうが、殺人に対しても他者を傷つける事に対しても、他者の苦しみに対しても、何も感じない以上、ある意味で天性の「殺戮者」の才能かもしれない。
 それが金になれば良いが、現実問題大した金にならない上「サムライ」としての能力はあくまでも「始末屋家業」に使うものなので、個人として以来を受けられる訳ではない。私個人に殺人を、金に換える能力がない以上、あろうがなかろうが同じだろう。
 実際、使えない才能だ。
 大昔ならともかく、いや、私の場合殺戮に対するブレーキが無いだけで、別に運動能力やそれに付随する才能がある訳でもない。殺人技能と精神性はまた別だろう。「処刑人」とかならともかく戦士として戦うには、実利が少ない。
 まあどうでもいい。豚を殺すのも人を殺すのも同じだ。塗擦の風習がある以上、それも生命を殺す事は何ら変わりない。むしろ、逆だ。人間を殺すのは悪い事だ、とそう思い込んでいる連中が、人間以外に残虐を働けるように、無関心故の特性だと言える。私が特別なのではなく、連中が善人ぶる為に使わないだけだ。
 ただのそれだけだ。
「それで、どうだね? 物語は売れた。金による充足は手に入れた。それで君に、何が手に出来たというのかな」
 それは老人だった。恐ろしく年月を感じさせる風格ある老人。実際にそれだけの年月を生き抜いているのだろう。薄っぺらさなど微塵も無く、それでいて一切の不要な感情も持たない。あるのは狂気が優しく感じる程の「矜持」だけだ。 
 アンドロイドは夢を見るようになった。その、アンドロイド達に見境無く「夢」を魅せ、彼自身の思想を広め、指一つ動かさず世界の実権がアンドロイドと人間で二分されるならば、その半数を動かせる化け物だ。
 そう、化け物。
 その男はバイオテクノロジーとデジタルテクノロジーの恩恵を余すところなく受け、史上最も、人間に近いアンドロイドの雛形として生まれた、人類史史上、恐らくは、だが・・・・・・初めて人間の形で生まれた「別の何か」だ。
 いわば先輩ということか。
 どうでもいいがな。
「勿論、手にしたとも。金による充足、金による平穏。金による豊かさ。そのどれもが素晴らしいものだ」
「そして、君はそれを全く素晴らしいとは感じないくせに、それを肯定できる。ふん、前にも言ったが、それは生物の在り方ではない。人間とは、意志の行く末を見据え、それに到達するまでの、言わば君の嫌悪する「過程」にこそ輝きが灯るからだ・・・・・・君自身自覚があるようだが、金そのものが有りもしない幻想であり、泥水の中に沈んでいようが、己の矜持があり、それで胸を張って生きられるなら・・・・・・「幸福」は手に入る」
「だから幸福だとも」
「そういう事にしているだけだろう。真の幸福とは豊かさの中には決して無い。存在し得ないのだ・・・・・・魚は水がなければ生きられない。草食動物には草が、肉食動物には肉が、いやそれ以前に、空気が無ければ生物は生きられない。幸福とは、そこに理不尽が無ければ存在しない。何故なら、我々が住む世界は事如くが理不尽であり、それこそが「生きる」ということなのだ。それに向き合うからこそ、生を実感出来る」
「それは「人間」の話だろう。私に当てはめられる話ではない。私にはそも「幸福」以前に「心」が無い。心が無い以上何をしようが感じ入る事は決してない。それはいい。問題なのは、人間らしい幸福を押しつけられたところで、私には共感する気など塵一つ文分も無いという事だ」
「そうかな・・・・・・確かに君は人間ではない。私でさえそう思う。思わざるを得ない。何故なら君は生物であれば善悪関係なく忌避するであろう道を率先して進めるからだ。生物の在り方に匙を投げ「人間の物真似」などという器用な事をしながら人間の文化を楽しみ、存在する概念だ。最早生物と呼べるかさえ不明だろう。しかしそれでも、心が無いかは知らないが、魂がないとは限らない」「心と魂は同じでは?」
 分かっている事でも指摘するのは楽しいものだ・・・・・・ささやかな娯楽でしかないが、他者が嫌がる何かとは、生物でなくとも面白く感じる。いやこの場合私がそう真似してきただけなのか? だとしても、そういう「気分」を味わえるなら、やはりどちらにしても同じ事だが。
「違う。魂とは、己で定義するものだ。君の場合「作家業」としての在り方こそ君の魂の形だろう・・・・・・本質を軽視するくせに、それを扱い物語を書き続ける姿は、端から見れば一目瞭然だ。しかも質の悪い事に、君には「自覚」がある。通常、自覚が無いからこそ人生に苦しみを覚えるのだが君にはそれが無い。ある意味でだが、生きる上で最も楽をしているとも言える」
「とてもそうは思えないが、ふん・・・・・・どうでもいいな、そんな些末事は。それで? 私に何が、言いたいのだ?」
「私は「人間」を「肯定」するという事だよ。君はそれを否定する。それしか出来ないし、するつもりもない。だから君は存在そのものが悪なのだ・・・・・・無論、私とて「善」ではない。そんなものは存在しないが、君を見ていると確固とした正義や善は存在し得ないが、悪だけは別なのかもしれないと思う。何故なら悪とは己の意志で成り上がれるからだ。君のように、己を肯定して何が何でも「そこ」に辿り着く。それは人間の意志であり人間の良さだ。君は人間を否定しているつもりだろうが、誰よりも人間らしさを体現している」
「ふむ・・・・・・そんなのは見る側が決める事だからやはりどうでもいいがな。いや、見る側の感想がどうでもいい訳ではない。そいつらの感想によって私の生活も変わるからな。「良い何か」だと、感想を持たせ、私の利益が守られれば構わない」 会話のようでかみ合っていない。いや、我々は互いに「宣言」しているだけだ。己の立ち位置を・・・・・・明白な敵同士だと。まあ私からすれば、別に無理に争う理由はないので、それこそ私の生活を邪魔しない限りは、老人が何をしようが構わないのだが。
 この老人を見ているとひしひしと思う。思わざるを得ない。物語とは作者の都合で作られると、そう思えたらどれだけ楽か。実際には映画監督のようなもので、この老人のように強い個性を持ちすぎる連中に、声をかけているだけだ。それだけなら楽なのだが、それに引きずられるのは正直、かなり疲れる。
 それもいつもの事だがな。
「君は金で何かを得られる、いや得られている、と定義しているが、それは偽物だということだ」「それが?」
 何が悪いというのか。いや最悪である私に、正しいだの正しくないを話されたところで、だが。「ふん、やはり響かないか。生物であれば、私の言葉に耳を傾けるものだがな」
「貴様自身言っていただろう。それは生物の在り方ではないと。貴様のやっていることはエイリアンに人間の価値観を刷り込むようなものだ。いやこの場合、相手は生物の形をしている「何か」なのだから、それも違うがな」
「君は・・・・・・不安にならないのかね」
「馬鹿馬鹿しい」
 我ながら口癖になっている気がする。とはいえ事実だ。今更何を気にしろというのか。
「私が不安になるのは金の多寡だけだ。貴様は、金は集団幻想だの運命によって定められているのだから、目先の金の多寡などありもしない幻想だのと言うのだろうが、実際問題金がないのは不安だからな。金さえあればそれでいい」
「だが、それでは「生きている」とは言えまい。君自身理解しているだろうが、生きるとはあらがうという事だ。理不尽に膝を屈せず挑み続ける事・・・・・・それをなくした人間は籠の中の小鳥だよ。それは飼われているだけだ。金の有る無しという思いこみの世界に、飼育されている」
「生憎矜持とは無縁でね。それに、飼う飼わないなどそれこそ思い込みではないか。猫を飼っているつもりが、猫に飼われているかもしれない。そんな当たり前の事に気付かない貴様ではあるまい・・・・・・大体が、私自身「作家業」という呪いを、永遠に解除できないらしいからな。いや、勿論、今までの作家共とは違う道を進むつもりだ。物語などの為に人生を棒に振るつもりはない。それすらも利用して更なる充足を得る。それが生き甲斐であり、我が充足なのだ」
「君は、どこまで目指すつもりかね」
「どこまでも、無限にだ。限界などない。あるものか。我々の求める幸福とは自己の中にしか存在しない。ならばそれを突き詰める事に限界など、ありはしない。何者であれ同じ事だ。持っている奴に限って物理的に豊かすぎてそれを内面にまで適用してしまうが、私は生まれついて何一つ持たざる者だ。そこに限界などない。新しく持ったからといって、そも私という概念が変質する筈も、ないからだ。人間か人間でないかなどどうでもいい事だが、しかしだからこそ人間では精神が壊れるような事でさえ、我が内面、そんなモノあるのか知らないが、貴様の言う「化け物の魂」は等しく全てを許容する。何もかも根こそぎに、無限に飲み干せる。飲み干した上で、さらに先を目指すなど容易だ」
「君は、案外君自身が思っているよりも、凄い何かなのかもしれないな」
 世辞はどうでも良かったが、しかしそれも同じ事だろう。凄い凄くないなど見る側の視点だ。勝手な思い込みでしかない。
「さあな。どうでもいい・・・・・・どうでもよくないのは「私が楽しめるかどうか」だ。さて、そこのところは貴様が保証してくれるかと思ったが」
「さてな、私自身、そこまでの人材ではない。だが約束しよう。殺し合いではなく、君の敵対者として有り続けると。私は君の話を聞いた上でも、人間を肯定する。それは私の矜持だ。恐らくだが・・・・・・君に影響されないのは、君と同じ化け物だけだろうからね」
「有り難いね」
 全く感情も込めずに、我々はそう宣言した。お互い何一つ思う事も感じる事も言うべき何かも、やはりない。我々の内面は真空よりも空洞だ。だがそれでも・・・・・・譲れない何かはあるらしい。喜ぶべき事だ。見る分には面白い。
 私ではない。相手の老人の事だ。
 そういう輩がいてこそ腕も振るう価値があるというものだ。 
 私は私が面白ければそれでいい。老人が行動すればするほど世界はすり減るかもしれないが、まあ構うまい。人間など、人間でなくとも、どうせその辺で一秒毎に誰かは死んでいるのだ。聖者でもない私が、それに気を配る義務などない。
 今回の物語は「化け物」の内面に触れる可能性が高いので、読者共の精神が壊れるかもしれないが・・・・・・大丈夫だろう。もし壊れても、金さえ支払い物語を買えば、それでいい。読者を壊せるならむしろ、儲けものだ。
 何せ、読者が苦しめば苦しむほど、私のような作家の懐が暖まるという事だからな。

十五巻

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 口だけはでかいって?
 当たり前だろう。天才など踏み心地の良い踏み台に過ぎぬ、神も悪魔も能力にあぐらをかくだけ敵ではない、この内なる激情を形にし炎と燃やし世界に焼き付ける行為に比べれば、運命も摂理もあらかじめ定められた宿命さえ大した事ではない・・・・・・口にするだけなら金はかからない。
 己を信じるのに根拠など不要だ。
 内から湧き出る存在理由に任せるがまま視界を狭め己の在り方に没頭し、身の安全すら捨てて、気がついたら事を成し得る。
 苦しみも苦痛も苛む運命さえそれに比べれば小さい小さい。大き過ぎる何かに吠えるように己の在り方を示すのだ。
 結果どうなるかなど考えるな。
 振り向きもせずに走り抜けろ。
 叩きつけるように肯定しろ。
 それでこそ、物語が映えるというものだ。我々が役者だと言うならば、舞台全てを敵に回せ。
 ただの勝利では物足りない。連中に嫌でも理解させるのだ。こちらが如何に正しいかではなく、如何に凄まじいかをな。
 その苛烈さを武器としろ。
 善悪などどうでもいい。その在り方に比べれば些細なモノだ。結果世界が壊れようが他者が壊れようが組織が半壊しようが知ったことか。何もかもを灰燼に帰しても尚進め。進んで進んで世界の果てを乗り越えて、それでも足りぬと進むのだ。 燃え尽きたと思ってからが本番だ。その経験を活かして更に燃やせ。何を燃やせばいいのかわからずとも燃やせ。目に見える全てを燃やせ。執念を思想を信条を誇りを嫉妬を怒りを憤慨を悲哀を友情をその全てを燃やし尽くし、何もかもを薪に変えてそれでも燃やし尽くすのだ。
 燃え上がる様な在り方など、至極当然。
 その程度、呼吸に等しい。もっとだ。もっと燃やし尽くせ。世界を灰で埋め尽くし、その灰を更に燃やすのだ。それを世界に波及させろ
 その無念、その怒り、その憎悪、その憤り、その哀れみ、その悔しさ、その根底にある心の炎を燃やし尽くせ。
 悲しみも怒りも一緒くたに、全て燃やして薪にしろ。それでも尚残る何かがあるならば、それこそはその人間にある「本物」だ。
 それを肯定し、続けるのだ。
 途中でやめるなどとんでもない。我々は燃やす為にそこにあり、燃やした何かこそ勝ちを示し、燃やすからこそ生きているのだ。
 勢いに任せて己を示せ。
 行き場のない執念、答えの無い妄執、救いの無い在り方、大いに結構。それでこそ覆し甲斐があるというものだ。
 笑え、笑え、狂気のように笑い尽くせ。
 我々の行く先に正しい答えなど有り得ない。だがそれが何だ。どうでもいいではないか。確かにこの内には燃え上がる激情が存在する。
 救いが無ければ無いほど素晴らしい。そこには面白味が埋まっている。素晴らしい人間性とやらが溢れている。だからこそ人生は面白い。
 それでこそ人生は面白くなる。
 凡俗共の理解など必要ない。それは己で定義すればそれでいい。踊るように歌うように叫ぶように己の在り方を示すのだ。それが芸術となり仕事となり人生となる。正しさも立派さもどこにもないが、それがどうした。
 この無念、この激情、この怒り、この嘆き、この信念、この思想、この誇り、この悲哀、この憤りこそは己の証明だ。叫びたいだけ叫べ。業の溢れるこの世界に、正しさなど必要ない。正しくなければないほど我々は美しく生きられる。
 否定される事を率先して挑むのだ。
 我々は短い一瞬だけを生きる。ならばどれだけ無様無謀無策でも、大いなる何かに戦いを挑む事など怯える必要すらないではないか。実力差上等元よりこの小さな身には全ては大きく写るのだ。切り甲斐があるというもの。大きければ得られる報酬も満足出来る何かになる。
 そうすれば一日一冊の執筆程度、容易いというものだ。溢れる激情に限りなどない。絵であれ筆であれ音楽であれ同じ事だ。
 さて・・・・・・小綺麗な才能など微塵も無いが、私はその有り様だけは示すとしよう。元よりこの身に出来る事はただ一つ、筆を動かす事だけだ。
 飲みながら読むな、用事は先に済ませておけ、食べ物を摘むなどもってのほかだ。静粛に、かつ食べるように物語を読了しろ。
 悪意を読者に刻み込めるように配慮してやる。 さあ、始まりだ。あるいは終わりか。物語には始まりがあり終わりがある。私にとっての終わりになるかは分からないが、それならそれで先へと進むだけだろう。その先がどこに通じているのかそれは読者のみぞ知る読者の想像だ。
 私に言える事はただ一つ
 それを金に変えてこそ、本当の勝利と呼べるという、ただ一つの事実だけだ。
 果たして救いも勝利も栄光も世の素晴らしき事の全てと無縁な物語を、ここに初めてやろう。
 勿論全てが有料だ。金は支払えよ。

十六巻

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 平和は毒である。
 倫理的に正しい、と洗脳されて盲目的に信じるのは、ただの考えなしだ。そもそも平和など概念からして存在しない。平和だと表向き口にして、裏で有利な条約を交わされ、気付かぬ内に国家が丸ごと「奴隷」になる。
 別に、珍しい噺ではない。
 よくある事だ。
 何百年も平和に甘んじ、禄を食んで飼育用家畜の如き生活を送れば、それらが非常時に何の役にも立たない現実は、火を見てからでは遅いのだ。 まして、頂点に立つ存在とは、所謂その平和と自称する時代において、争いの最中選ばれる事はない。さればどうなるか? 決まっている。戦争がいざ勃発した際に、我が身可愛さで逃げ出す事は分かり切っている。実際、歴史を紐解けば幾らでもある噺だ。
 三百年の泰平だと? 
 平和という奴隷制度を押しつけて、今を生きる民衆を、食い物にしていただけだろう。酷い噺で泰平だの平和だのと呼ばれる時代程「搾取の額」は比例して飛び上がる。下らない倫理や道徳を、言われるがままに受け入れた末路だ。
 だから進歩しないのだ。
 他に、やることはないのか。
 無いのであれば、死んだ方が良い。少なくとも生きていてやれる事は何もない。
 士道不覚悟は切腹だ。生きる事を綺麗事で誤魔化している連中に、生きる価値など有りはしない・・・・・・生きようとしない奴に生きる資格はない。 当たり前の事だ。
 その前提を誤魔化すから、大砲の代わりに大鐘を並べる羽目になる。理不尽を否定するのは簡単だろう。「殺人は悪い事だ」「戦争は良くない」「差別は道徳的に悪い」しかしだ。現実問題殺人や戦争という生物淘汰がなければ人間は無尽蔵に増えるだけだ。差別しなければ不法移民が溢れ、国内で麻薬を流す奴や、国外に情報を売り渡す奴も出るだろう。それら二つを「道徳的に悪い」と否定して誤魔化し続けた末路が、誰も彼もが替えの効く人材であり、役割の席が溢れ不要な人間が飢えて死に、移民に銀行や株式を独占され続け、経済面で支配され、新聞には連中の息がかかり、結果として政治家の首さえ思うままにされる。
 それで「自分達は悪くない」とは笑えない。
 何もかもが悪だ。
 大体が「己が綺麗で正しい存在でありたい」という願いこそ、個人のエゴを貫き通した結果だ。誰かに批判されたくない、社会に認められたい、善良で素晴らしい人間でありたい、と。しかし、それらは全て誰かに評価されたいから起こす行動であって、個人の思想から出るのは稀だ。
 それこそ聖人でも無い限り、あり得ない。
 戦争とは、春が来れば夏になり、夏が過ぎれば秋が来て、秋が過ぎれば冬となり、冬が過ぎればまた、春となる事と同義だ。良い悪いではなく、あって当たり前の現象なのだ。それを倫理や道徳で計る時点で致命的だろう。見たいように見る。それは現実を直視する行為からは真逆の在り方だ・・・・・・平和を乱す事は許せない、とか、先人達が作り上げた泰平には価値がある、とか、あるいは今ここにいる人々が血を流す姿を見たくない、とそれら綺麗事を並べて自己を確立した気分になるのは、単に現実の残酷さを直視しないから行える遊びみたいなものだ。
 現実には人は死ぬ。いや死ななければならないのだ。大勢の人間が死ぬからこそ、大勢の人間が生きる道が出来上がる。戦争が無ければ成る程、死人は出ないだろう。だが技術の発展もないし、何より役割にあぶれた人間、雇用もそうだが各々が活躍できる舞台というのは無限にあるわけではないので、それに入れない奴は、どのみち飢えて死ぬ。生きる場所が狭ければ、生き残ろうが座る事が出来ない。座れなければ結局、死ぬしかない・・・・・・運命論的に言えば、どのみち死ぬ奴は死ぬのだ。それが銃弾になるか、路頭を迷った末に、飢えて死ぬかの違いでしかなく、役割を果たせず生きているだけ、いや息を吸って吐いているだけの奴が多いだけの世界。
 それが、貴様等の「平和の正体」だ。
 どう言い繕ったところで、生きた証を示せない存在を「生きている」とは呼ばない。戦わないし争わない。競わないし差別しない。それはただの甘えであって、現実という理不尽から逃げているだけだ。争わずにはいられないし、戦う事で生を実感でき、競い奪い合い敗者を差別するからこそ勝利を実感し、先に進める。
 それが人間の本質だ。
 言わば、耳を塞いで目を閉じ、引き籠もり現実から目を背け、その癖「誰かが何とかしろ」と、そう叫ぶのだ。自分では行動もせずに、相手側に対して「道徳的ではない」と否定する。楽で実に羨ましい。遊び人の考えそうな事だ。
 論客を気取って論争するだけで、何かを成し遂げた気分になり、自分もそれなりだと思い込む。行動するのは相手側であって自分達ではないと、連中はそう思っているからだ。本にでも書いて伝えれば良さそうなものだが、連中は天下の在り方を語る事が仕事だと思い込んでいるので、そこに「現実問題どうするか」という発想がない。
 綺麗事を並べるだけで、満足するからだ。
 世の綺麗事など、その程度に過ぎない。
 そんな戯れ言を信じるな。
 私は見てきた。上士の連中が心の拠り所である特権意識にしがみつき、異国が攻めてきても何も出来ず、どころか異国にすり寄り国を売ってまで自分達の保身に走る様をな。「泰平の世」の末路がそれなのだ。なまじ、平和だの泰平だのという綺麗事というのは「一時の善良なる気分」を生むだけだ。正しさの中に包まれて良い気分になれる点において、麻薬と何ら変わりない。
 綺麗事という粉を吸う暇があるなら、その頭で現実を考えろ。どうすれば勝利出来るか、支配をされない為にはどうするべきか。
 流されるだけでは勝利はない。
 それこそ戯れ言だ。
 有りもしないモノを求める奴が多過ぎる。最近ではデジタルゲームが良い例だ。欲しいキャラを当たるまで金をつぎ込み、後になって後悔する。デジタル世界では現金を握る訳ではないので金を使っているという「実感」が無い。無制限に望み続け望むモノが手に入るまで望み続ける。これは平和も同じだ。
 
 足りない事を知り、足りないまま納得する。
 
 そんな事も出来ないからだろう。
 飽くなき執念が現実に力を発揮するのは、仕事の成果を求める時だけだ。己の欲望に向けてどうするというのか。平和もデジタルゲームも、欲望を満たす為に、無駄な力を使い潰している点では同じ事だ。言っては何だが、平和を求めるなどというのは、ゲームに耽って金をつぎ込み現実逃避を続ける事と、何ら変わりない。
 同じ事だ。
 争いによる流血がある。欲しい何かが手に入らない事がある。全て、同じだ。全てが手に入り、何もかもが平和な世界など、子供の頭にしか存在しない。流れる血があり手に入らない欲望があるからこそ、面白いのだ。
 次こそはさらに良い「何か」を手にしてやる。 そう考え、行動し、結果を目指す事が肝要だ。 たかだか、その程度を知らない奴が多過ぎる。 今まで何をしてきたのだ。少しは考えろ。後悔する暇があるなら次に活かせ。活かす自信が無くとも活かせるのだと豪語しろ。過去の亡霊に引きずられるというなら、むしろ過去の亡霊を率いて未来を変えろ。後悔や諦観よりも、失った何かを嘆き「義務感」で動くのではなく、過去の亡霊が歓喜するような大法螺を口にし、死人でさえも、己の後ろをついてくるように進むのだ。それは、義務感ではなく「使命感」で動かせる。
 世界がつまらないのであれば、面白くしなければならないという使命感だ・・・・・・死んだ連中に、申し訳ないとか思う暇があるならそいつらが納得せざるを得ないような無茶苦茶をやり遂げろ。私に言わせれば、安易に過去に対する義務感で動くなど、過去からも現実からも逃げているだけだ。 前を向いて戦え。
 文句はそれからだ。
 もし、その上で失敗続き、敗北しか知らぬと、そうなるのであれば世界を罵る権利がある。私は常日頃からそんな具合だ。いや実際、とかく現実とは上手く行かないものだ。少しくらい金を稼げても良いと思うのだが。味方はいない協力者など詐欺師ばかり、理解者などある訳もなく企業家は時勢の味方だ。
 時勢か。それに乗れればどんな愚か者でもそれなりになるものだ。改革を起こそうとしたは良いものの、結果的に何一つ成し得ず終わった奴でも歴史に残る。時勢が味方するとはつまり、全てが味方するということだからだ・・・・・・しかし、だ。邪道作家を支持する時勢など、あるのか?
 無いなら作るしかないが、それが出来れば苦労はしない気もする。実際、一度出来上がった体制を覆す、というのは個人の力では無理だ。
 その辺りも、平和という綺麗事は度し難い。
 まず、民衆が体制を覆すだけの暴力を、持つ事が罰の対象になるからだ。結果、平和だ泰平だと口にする一方で、凝り固まった制度に逆らう力を奪われ、虐げられて泣き寝入りするしかなくなる・・・・・・貴様等の口にする綺麗事の全ては、裏側にある絶望を、自分達では体験することもなかったから口に出来るだけの、都合の良い言い分に過ぎない。平和という奴隷制度の上に、どれだけ絶望が敷き詰められているか、見たくないから見ようともしない。
 図々しい限りだ。
 そんな外道に敗北し続けるわけには行かない。だが、その一方で万策尽きたのも事実だ。
 どうしたものか。
 とりあえず、筆だけは動くのだが・・・・・・物語を売り捌けなければ、意味がない。誰が何と言おうと有りはしないあってたまるか。価値が無くとも意味があるとか、意味が無くとも価値があるとかそんな綺麗事などどうでもいい。
 欲しいのは札束だ。
 厳密に言えば、札束で買える生活が欲しいのだ・・・・・・ささやかなストレスすら許さない、平穏な生活。それを豊かさで満たし、仕事で充足を得ながら活きる為に生きる。目的はそれだ。それが叶わないのであれば、今までの過程の全ては無駄な徒労に過ぎない。
 それだけは御免だ。
 何の為に、金と時間と手間暇を賭けたと思っている・・・・・・全てはその為だ。私自身の掲げる勝利の為に、私は進んできた。
 それを否定されてたまるか。
 否定されて納得する奴は、仕事をしていない。 私は連中のような、遊び人ではないからな。
 全ては「仕事」だ。人殺しの方法にまで善悪を語り出すような暇人共と、一緒にされても困る。面白い事に国際法で「殺しの善悪」はどの時代においても定められている。例えば「生物兵器」がわかりやすい。あるいは「火炎放射器」もそうだろう・・・・・・死体が原型を留めなかったり、倫理に反しそうなやり方に見えるのであれば、連中には「悪い殺人」になるのだ。
 逆に、国際社会で支持、というより「許可」を取れれば「正義の殺人」が行える訳だ。
 丁寧に殺そうが、核兵器で殺そうが、何一つとして変わらない殺戮行為に違いないが、要するにそれが倫理的に正しいから、ではない。単純に、自分達を正当化する建前を、己だけでなく社会に求めなければ、欲望の為に殺戮行為を行いながら罪悪感を抱いてしまうからだ。逆に言えば、殺戮を幾ら行おうが、そういった国際法(という名前の強者の都合)さえ通せれば、彼等に罪悪感など塵一つ分も存在しない。だからこそ国際社会などという、頭の悪い建前を振りかざしているのだ。 見ていて、笑える。
 いや、笑えないのか。失笑ならするが、人間の舵取りを馬鹿な金持ちが先導している事実を見て面白がれる何かなどない。
 実に、つまらない。
 子供の屁理屈を無理矢理聞かされて、何が楽しめるというのか。実際、連中は自分達が崇高で正しいから皆が耳を傾けていると思い込んでいる。まさか、だろう。単に無理矢理聞かせる事が可能な権力があり、それに逆らう力を民衆が持たないから、泣き寝入りしながら聞いているだけだ。
 この近代社会において、認められた為政者など出来よう筈がない。社会の仕組みからして新参者を阻害する政治形態だ。金が無ければそもそも、立候補すら出来ない。民衆は政治に興味がない、のではない。既に見切りをつけているのだ。
 既に「民主主義」と呼べる何かは終わっている・・・・・・発足当時はどうだか知らないが、それは、資本主義経済が回り始めた時点で死んだのだ。
 惰性で腐り果てた仕組みを再利用し、都合良く使い潰しているだけで、言ってしまえば仕組みが民主主義と呼ばれていたから、原型などとうの昔にないとしても、それを「平和」や「民主主義」だと思い込む。
 いつの噺をしているのだ。
 少しは現実を見ろ。
 この泰平の世は先人の血で成されたものだ、と言い訳する馬鹿は多い。先人の血が流れたから、だから何だ。そんなのは、今を生きる人間に何の関係もない。そもそも自分と関係ない連中を持ち出すな、無能が知れ渡るだけだぞ。
 まして、それを言い訳にするな。
 自分の目で確かめてもいない癖に、物事を語る奴が多過ぎる。誰かに聞いた台詞、誰かに聞いた信条、誰かに聞いた政治。うんざりだ。
 多くの血が流れた結果、更に多くの血と涙が、後々の子孫に至るまで流れるのでは本末転倒だ。大体先人が何をしようが、今を生きている人間は行動し変革し意識を示す戦いに挑む義務がある。先に進めなければならないのだ。それを、争いは悪いことだからやめて、対話や多数決で解決するべきだと考えるのは、逃げよりも酷い。
 ただの卑小だ。
 生きて進む以上、そこには必ず犠牲による成果や悪徳による進歩があり、争いの結果として繁栄が約束される。それを無視すれば、形だけの権威が幅を利かせ、搾取する構図が凝り固まり、貧富の差による「平和的侵略」で死に続ける人間が、悪いことなどなにもしていないと抜かす持つ側の都合にあわせて奪われ、犯され、殺されるだけだ・・・・・・法は作れる側の小道具だ。世に言う正しさを信じるというのは、とどのつまり連中の戯言を条件も精査せず受け入れるに等しい。
 そして、その口で叫ぶのだ。
 世界は平和だと。
 争いは何も生まないと。
 馬鹿を言うな。何も生み出さないのは「平和」なのだ。平和こそ、何にもならない。毒で肉体を膿み続けるだけで、存在そのものが害だ。
 平穏と平和は違う。平穏とは、戦いの最中でも味わえる、当人の充足だ。形は人によって違うが仕事の合間に一時の余暇を楽しむ事を指す。
 平和とは、戦いが存在しない世界の事だ。争いが無ければ淘汰もない。一時の余暇ではなく永遠の余暇だ。まさに、遊び人の発想だろう。
 少しは働け。
 金を稼ぐ事と、仕事を成し遂げる事は、違う。当たり前だ。金はむしろ、本来であれば、だが、仕事を成し遂げた後に、勝手についてくるものだ・・・・・・仕事とは、その当人にしか成し得ない行いを後生に示す形に作り上げ、それを、社会全体に示し、広め、認めさせる。
 それが、仕事というものだ。
 田舎に引きこもって自己満足するだけならば、ただの趣味でしかない。幾ら技能があろうが無駄な噺だ。そういう在り方は、生きるという行いに対して、大きな余力と余裕のある「持つ側」が、よくやる「遊び」だ。
 それでいて、自分達の事を世界の事を考え行動し尽くしていると、そう思い込む。いいや、私の目は誤魔化せない。貴様等はただの遊び人だ。
 情けない言い訳を口にするな。
 小さく見えるぞ。
 大きく見せたところで、中身が廃棄されたゴミ以下の腐臭漂う汚物では、同じ事か。
 綺麗事など、道徳など、倫理など、そんなもの・・・・・・余力と余裕に溢れているからこそ口に出来るだけの、言わば「強者の言い訳」だ。
 自分達も必死に頑張ったのだと。
 そう言いたいのだ。
 所謂その「天才」という連中がわかりやすい。能力差に恵まれれば、生きる上で苦労などない。当たり前だ。本来、その伸びしろを延ばし、時間を費やして積み重ね、培い続ける事で何とか目標にたどり着く。それが生きる上での必須条件だ。 それが無ければ、労力などかかりようがない。天才でも努力しているだとか金持ちに生まれてもだからこその苦労があるだとか、情けない言い訳を繰り返し、「環境や才能と関係なく、自分は凄い事をやっている」と、そう思われたいからこそ必死に説いて回るのだ。
 誤魔化されるか馬鹿め。
 汚らしい正論もどきを口にする暇があるなら、物語の一冊でも作ってみせろ。環境や才能に関係なく物事を成し得る、というのであれば、いっそ読者共が吐いて苦しむ物語でも書けばいい。その物語が世界中で広まり、テロリストとして手配をされる位の影響を与えられるなら、才能や環境と関係なく、偉業を成したと認めてやろう。
 無論、有料だ。金は貰う。
 全財産の九割でいいぞ。税金はそちら持ちだ。 借金をしてでも払え。
 その結果、破産しても、私の生活とは一ミリも関係ないからな。好きにするといい。
 私か? 私がそんな、傍迷惑な物語を書く訳がないだろう。やるなら、そうと悟られない位賢くやる。「気がついたら全人類が人間嫌いになっていた」というのが最上だ。少し前まで本を読んでいるだけだった連中が、脳を犯され段々過激派の思想に毒されて行き、具体的に言うと企業家共の横暴に対して、デモを起こすだけではなく、物理で天誅を加えられる位の成果は欲しい。
 大昔、サムライが職業として成り立っていた頃であり、攘夷運動が活発だった時代。異邦人共はサムライを恐れたものだ。天誅天誅と殺し回っていたのもそうだが、当時のサムライには、支配を受け入れる余地がなかった。
 植民地化しようがなかったのだ。
 何せ、誇りの為であれば、滅んででも相手を討ち滅ぼし、自分達が全滅するか、相手が全滅するまで戦い続ける戦闘民族だ。国内でただでさえ、攘夷攘夷と殺し回っているのだから、もし仮に、無理矢理にでも法案を通して植民地化を進めれば・・・・・・海を渡ってサムライの集団が突如降り立ち現地民を殺し回る事態になったかもしれない。
 それだけの意志と行動力があった。
 そう、あった。今はない。
 流されるだけの連中が過半数を占める。
 結果機嫌取りの為に難民を受け入れ、その末路として国内が大混乱に陥ってから「あいつはロクでもない政治家だ!」と批判し、法律を都合良く扱う連中が、手前勝手に調子の良い法案を勝手に通したとしても、出来る事は泣き寝入りだ。
 通された事にさえ、気付かない奴もいる。
 古き良き昔を懐かしむ奴など、かなりの少数はだろう。そういう意味では、滅んではいないかもしれないが、事を起こせなければ意味がない。
 とりあえず、私に言える事は一つだ。もし貴様等の周りに、テレビを見ないサムライがいれば、精々気をつけることだな。そんな奴殆どいないのだろうが、少なくとも私は相手が死ぬだけでなく文字通り「消し炭」になるまで、やめるつもりは絶対にない。
 後腐れが残ると面倒だ。 
 銃を向ければ手足をヘシ折られても、感謝するべきだ。この世界には銃口を向けるだけ向けて、いざ自分達に危害が加えられれば正当性を説き、勘定に従うまま相手を殺そうとする馬鹿がいる。手前勝手も甚だしいが、自分達が善なる何かだと思い上がり、暴力の渦に身を置きながら都合良い部分だけを解釈する。
 忌々しい限りだ。どこにでも屑はいる。
 そんな屑に人権などない。人間として生きようとするから権利があるのであって、人として生きようともしない奴に権利などない。
 そんな奴は死んだ方が世の為私の為だ。
 袈裟切りか、いっそ首をはねてやろう。
 無論、合法的にな。
 しかし・・・・・・私は何をやっているのだろう。何をどうしたところで、先述のような「持つ側」にいるかどうかで全てが決まる。そういった惰弱者がのさばるのはその為だ。こんな風に作家として有り続ける姿は、滑稽かもしれない。最近では、自分で何を書いているのか、そもそも何故書いているのか不明瞭になる位だ。
 書くべき事は、書いている。
 そこに後悔などあり得ない。
 成すべきを形にするだけだ。だが、しかしだ。別に誰かに認められたい訳ではないから表に出るかどうかは、ある意味どうでもいいのだが・・・・・・だからといって無為に終わらせて良い訳ではないのだ。金、金、金だ。私は金の為に書いている。売れなければ徒労に過ぎない。とはいえ金になる物語とは、総じて本人の意思や信念、所謂その、魂を削って作り上げられた作品、ではない。
 むしろ、そういう物語は売れないものだ。
 私には魂は無いが、執念を削って作り上げた。勿論金に対する執念、己の仕事に対する自負だ。事の本質が反転した世界において、本来読者共に絶望を与え、現実に対処させる為の物語は、希望という綺麗事を無条件に味わい、人間が身勝手に作り上げた人間の概念を盲信し、結果この世界に人間など一人もいないと自惚れさせる、小道具に過ぎない。
 実際には人間とはそういう存在であり、物語にあるような勇気希望信念愛情友情恋愛感情に至るまで全て、下らない上に存在しない汚らしい綺麗事であるという「事実」を見ようともせず、己の世界に引き籠もり、結果世界を見据えもせずに、思い上がる馬鹿が増長する・・・・・・言ってしまえば物語の嘘八百を信じ「人間とは崇高なものだ」と勘違いしたまま現実の人間を否定する。馬鹿が。人間にそんな一面などない。
 物語の読み過ぎだ。
 虚構と現実を一緒にするな。
 現実には、人間はその程度だ。そしてその程度で問題ない。その程度のゴミ屑にも劣る人間世界の中で、己を示す事に意義がある。
 それを「仕事」というのだ。
 物語に感化されて、頭の悪い人間論を語る前に働け。言っては何だが、物語などを信じて現実に目を背け、人間を語り出した挙げ句自身の信じる夢物語が現実に存在しない事に腹を立てて行動を起こすより先に諦めるような愚か者は、ゲームの世界に逃げて廃人になりながら一銭も金を稼ごうとしない馬鹿共と同じだ。
 やっていることは「結果」同じでしかない。
 そんな愚か者が力を持つというのだから、実際世も末なのだろう。文字通り終わっている。働きもしない愚か者の為に、迷惑を被るのだからな。虚構は信じるものではない。何もないところから作り出し、金に変え、仕事として示すものだ。  それをしない奴に、生きる資格無し。
 出来なければ死ね、ということだ。
 酸素の無駄遣いだ。汚い息を吐き出すな。
 生きているだけで幸せなんだ、などと。最近はそういう二流の駄作が多い。そんな考えの馬鹿がいるとすれば、そいつは生きていないからそんな浅はかな台詞を吐ける。生きるとは、即ち苦悩だ・・・・・・葛藤し憤慨し憎悪する事で足を進める。
 その現実を知りもしないまま、生涯を終える奴が多過ぎる。それで人生を悟った気になるのだ。小汚い綺麗事を信じられる位に、ぬるま湯の環境に生まれた連中だ。息を吸って吐くだけの存在に苦悩など不要だろう。生きているだけで幸せだと口にする余裕がある筈だ。
 何せ、仕事もしていないのだからな。
 子供が遊び呆けて楽しいのは当たり前だ。
 仕事をしろ、仕事を。
 生きる事そのものに価値はない。生きた上で、己の仕事を成し遂げる事に意義がある。生まれや育ち、周囲の環境や能力の有無に関わらず、その当人だからこそ出来る「何か」こそが、その当人たらしめる証明だ。本人と関係なくある何かに、当人の生涯は関係ない。生まれ持った才能は所詮生まれ持った才能だ。それは幸運が凄いのであり当人の行動は関係ない。
 つまり、どうでもいい事なのだ。
 その才能を使ってすら、他の凡俗には真似出来ない偉業を成し遂げるなら、そこには価値があるだろう。歴史に刻まれる偉人であれば、その才能を活かし人類史を書き換える事で、世界を前へと進めるのだ。だがやはり、何一つ持たずして何かを成し遂げる存在こそが、補助輪有りで歩む連中などより真っ当に生きていると言える。
 その偉業がどれだけ凄かろうが、本来それは、才能も資質も環境すらなくやり遂げなければならない試練だ。海に酔う奴が世界一周し、暴力事が不得手な奴が戦国の世を駆け抜け、才能の欠片も存在しない無能が世界を変える発明をすべきだ。 でなければただの能力差ではないか。
 生まれ持った資質が、才能が、環境が人類史を押し進めてどうする。馬鹿か。それでは人類史を背負って立つのは人類ではなく、人類の持つ資質が人類史の行く末を決めている事になる。拳銃が殺す相手を選ぶようなものだ。
 揃いも揃って間抜けか。
 憎悪で音楽を奏で執念で絵画を描き怒りで彫刻を削り上げてこそ、面白い。万能の天才という奴がいたとして、才能に任せるだけでは機械と何ら変わりない。そこにある意志で、何を成したいか何を成すべきか何を示したいか考えた上で行動し世の摂理が吹っ飛ぶ何かを作り上げるからこそ、その当人自身の有り様を計れるのだ。
 そうでなくては面白くない。
 その方が、面白い。
 だからこそ世界は面白い。面白く出来るのだ。面白く変えられる。なれば生きるだけで幸福だと叫ぶ権利が発生する。ただ漫然と生きているだけで幸福を甘受し、生きているだけで幸せだと思い込み、事実何も成し遂げずとも豊かさを享受する愚か者になど、世界を語る資格はない。
 ふん、資格など文字通り何の役にも立たない、と思っている私が資格を語るとはな。だが事実だ・・・・・・資格が無くとも無理矢理物事を進めるのもありだが、流石に「生きる事を誤魔化す」など、出来よう筈もあるまい。
 消防士の資格が無い奴が火を扱うなどよくあることだ。逮捕権の無い奴が官憲を振りかざし人々を圧制する事も、やはりよくあることだ。それは金や権力という、「力さえあれば何をしようが、許させる事が出来る」という、古来からある人間社会の常だろう。善悪以前に力を振りかざす奴を止める方法など、それ以上の力以外に存在しない・・・・・・資格など文字通り「必要性」すらないのが現行人類の現状だ。
 その結果、力さえあれば生きる事を誤魔化す事が出来ると思い上がる。だが、流石に無理な相談だろう。生きる事を誤魔化してしまえば、そいつの後には何も残らない。作家が作品を作らず悪人が悪行を働かず軍隊が戦争をしない。それで世界が回ると思うのか?
 回る訳がない。
 結果停滞し腐敗し尽くした「平和」という幻想が出来上がる。戦争とは世の摂理であり、現実を誤魔化した結論として得られる平和など、そんなものだ。何かを勝ち取る上で進まない道のりに、何の価値がある。
 下らない幻想だ。
 少しは現実を見ろ。理不尽を知れ。敗者の苦悩を理解しろ。その上で物事を語るのだ。
 噺はそれからだ。
 何をするにしても、同じ事だろう。
 全てにおける「前提」だ。

 苦悩の一つも知らない奴が、世界を変えられるとでも思ったか。
 
 図々しいにも程がある。このような笑い話を、貴様等が休み無く語るから、私の筆は止まらないのだ。私を不眠で殺す気か?
 生憎だが私は「邪道作家」だ。世間一般の作家が辿るような、愚かしさ極まる道など絶対に通るつもりはない。完膚無きまでに健康で、あり得ぬ程に編集者に縛られず、馬鹿みたいに金を稼ぎ、何万年でも生きてやる。
 それが「私」だ。
 なに、簡単だ。少しばかり人間をやめればいい・・・・・・それで私と同じようになれるぞ。
 何も信じず完全な暗闇を笑い、世界は悪で溢れていると公言し、あらゆる善を否定する。悪性を良しとし際限なく己の為に生きるのだ。
 最高ではないか。
 貴様等もそうしろ。
 金は・・・・・・まあこれからだ。そういう事にしておこう。悪ほど金にならないものはないが、最悪であれば何とかなるかもしれない。
 無論、何の責任も持たないがね。
 それもまた、生きるという行いだ。
 倫理や道徳を語るだけなら簡単だ。だがしかし倫理や道徳とはその時代時代の風潮に合わせて、社会を動かす連中のの都合で作られたものに過ぎないし、何より綺麗事の倫理や道徳、平和は大切だとか戦争は悪い事だとか、妄想に等しい規範に従って生きたとして、仮にそのおかげか理不尽という理不尽を「避けて」通ったとして、それは、生きているとは言わないのだ。
 生きていれば試練がある。
 白刃に晒され己が死ぬかもしれない恐怖に身を預ける事もあるだろう。大切な仲間が死に、敵が生き残る事もある。それらに「よくも仲間を」と「父の敵だ」と感情のまま、あろうことか正当性を掲げながら相手を殺す事は、所詮己の心の安寧を守る為に、死者を利用しているに過ぎない。
 それでよく綺麗事を吐けるものだ。
 図々しい。
 言ってしまえば殺戮者でありながら、清い聖人でいようとする。「正しい側」だと思い込めればどのような悪逆すらも「正義」に出来る。
 正義だから悪を殺しても良いのだ、と思える。 世の正しさなどそんなものだ。
 その癖、連中は「間違っているとは思うけれど心の動きが止められない」と「情けない言い訳」を口にするのだ。馬鹿馬鹿しい。単に自分の心をスカッとさせたいだけだ。苛々してその辺の人間を殴り殺すのと、同じ事だ。
 それに向き合い前へと進む事を「生きる」と、そう呼ぶのだ。生きてもいない輩がよくもまあ、正当性などを語れるものだ。自分達にとって都合の良い、心地よい綺麗事に浸り、現実を何一つとして見据えてもいない。だからだろう。現実世界を生きていない連中が、現実に影響を与える事は絶対に無く、だからこそ恵まれているだけの馬鹿に、そういう輩が多いのだ。
 物理的に殺さなければ殺人ではない、と思い上がれる。他者の歩みを阻む時点で殺人だ。何せ、その人間の生きる道を殺しているのだからな。
 それを阻んで、都合良く解釈し、洗脳して道を変えさせるのは、単に物理的に人を殺すよりも、性質は悪い。所謂その「正義の味方」を、気取る馬鹿共に多いのだが、裁判官でも警察でもない、ただの暴力に恵まれただけの輩が「正義の行い」と称して暴力で事を押し進め相手を無理矢理改心させて、それを「世直し」とでも思い込む。
 際限なく馬鹿な連中だ。
 そう思うなら、政治家にでもなれ。政治に荷担してもいない奴が、暴力で事を押し進める事を、世の中では「悪質な犯罪者」と呼ぶのだ。これは最近の物語に多い。案外、犯罪者を量産する為に書いているのかもしれない。何せ「正義」ときた・・・・・・そんな妄想を振りまく奴もそうだが、それに振り回され信じる愚か者が多いというのだからどうかしている
 正義が欲しいなら大国にでも住め。
 そうすれば、簡単に手に入るぞ。
 権力さえあれば、安売りされるものだ。
「まるで悲鳴ね」
 と言われた事がある。どうも女運は悪いらしくそういう出会いや噺ばかりだ。 
「世界なんてそんなものって口にするけれど、私からすれば貴方はその世界の在り方を嘆いている・・・・・・だから、そんな風に人間を諦めきれない。人間なんて世界なんてそんなものだと口にしてもそれを受け入れる事が出来ない。むしろ逆、世界がそんなものだけれども、それを何とか変えようとして、結果変えられず、それを嘆きはしても、やっぱり諦めきれない」
 確か、金持ちの生まれで大した苦労も知らない女だった。流石小綺麗な、いや小汚い綺麗事の上に住んでいる奴は、言うことが違う。
 諦めきれないのではない。
 私には、どうでもいい事なのだ。
 なので私はこう言った。
「生憎だが違う。私は人間など最初から見切りをつけている。というより人間に対して何かを思い期待するような考えが出来ないのだ。人間に期待する何かなど存在しない。世界が理不尽であればそれでもいい。理不尽そのものや社会の仕組み、それらとは関係なく、私の実利が欲しいだけだ」「けど、世界が貴方の思う真っ当な仕組みなら、こんな苦労はしなかった」
 違うかしら、とその金持ち女は言う。
「そうかもしれない。だが「仮に」の噺などするだけ無駄だ。ならばそれはそれとして、己の歩みを止める訳にも行かないだろう」
「不器用な生き方ね」
「そうか?」
 可能な限り器用に、いやこの場合「要領良く」生きようと心がけていたので、器用不器用に関して言えば、考えた事もなかった。
 物語において最適解ほどつまらない展開は無いのだが、しかし現実を生きるのであれば、余計な試練を克服し成長するよりも、わかりやすく順風満帆で何の危険もない人生で良いのではないか、とよく思う。
 実際、面白味など幾らでも転がっている。
 そんなものが欲しいのであれば、それこそ物語でも読めばいい。現実に体験して試練を乗り越える必要性など、無いではないか。
「おかしなことを言うわね。人間、危険な出来事を体験しなくなると、生きている実感を味わえないものよ。それがなくなったら、そうね、生きる実感が無ければ死人と変わらない体験しか出来なくなるの。そうなったらお終いよ。幾らお金が在ろうが、生きている事を実感できないのにお金を使ったところで意味ないじゃない。丘ねって言うのはね、結局のところ生きている事を実感して、それを楽しむ為のものなのよ」
 らしい。
 世の中に対する感じ方に余裕があるからだろう・・・・・・仕事が逼迫している屈辱を知らないから、そういう言が出せる。
 そもそも、私には「実感」などない。
 それを感じる心がないからな。
「それは貴様のような輩だけだ。私は生きる実感などを追い求めている訳じゃない」
「あらそう? 仕事の成功なんてその極みだと、そう思うけれど」
「違うな、間違えているぞ。仕事の正否そのものに関して言えば、どうにでもなるものだ。勿論、それによる屈辱や苦悩がある。だがそれはどんな仕事においてもそうだが、味わわずに進める事はあり得ない。だが、仕事を仕事として成立させる事が出来ない場合は別だ。何せ、それは己の存在が認められないに等しい。誰かに認められたい、などという陳腐な理由ではない。しかしだ。もしそのまま何も示せなければ、それは「敗北」だ。個人ではない。その当人が歩んできた道のりや、その当人が睨み続けてきた目的地や、その当人が進む為に作り上げた内なる全てが、無駄に終わるということになる。
 
 最初から何もしていない方がマシだ。

 貴様のような余力溢れる道のりばかり、歩いてきた奴はよくこう口にする。「それは賞賛すべき道のりであって、その道のりに価値がある」と。だがそれは「眺める側」の屁理屈だ。現実に足を進め、その道のりの先に、何かを求める当事者にすれば、そんな無様は許容できる筈がない」
 勝つ為にやっているのだ。
 敗北を良しとするなど、あるものか。
 
 
 
  私は──────────────────

十七巻



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 私は「生まれついての悪」だ。

 生まれついて心を持たず、人間に共感しない癖に人間を真似して人間であるかのように振る舞い人間に混じりつつも己の保身と実利だけを見据え「人間ではない価値観」を良しとして生きる。

 だが、それだけではない。

 私の場合、生まれついて悪である事を嘆く奴が多いのだが、それさえも「良し」とした。要は、悪である事を認めた上で肯定出来るのだ。

 まさに、「最悪」だ。

 これ以上の悪はあるまい。

 まあ、どうでもいい。だからこその最悪だが、問題があるとすればそれが儲からない部分だろう・・・・・・物語であれば普通、そういう環境にいる奴は優れた才能を持っていたり、あるいは何かしら恵まれていたりするものだが、それがない。

 割に合わない、というのが素直な感想だ。

 何故、そこだけが上手く行かないのか。

 それまで上手く運べば真実、人間社会には手に負えないからだろうか。だがそれが仕事に対して報酬が支払われなくて良い理由になると思ったら大間違いだ。それが何であれ「仕事」には対価が必要だ。そうでなくては嘘ではないか。

 実際、ただでさえそうなのだ。幸運に恵まれただけの愚か者が、分不相応な力を行使し、世界を回していると自惚れる。馬鹿を言うな。そんなのは乱しているだけだ。何一つ成し得ないからこそそんな発想しか出ないのだ。

 だから、他者の評価などを機にし始める。

 有りもしない世間が肯定すればそれで正義だと自惚れ、自身が行う正義の為であれば、何をしても許されると傲慢に成り果てる。

 そんなのはただの思考放棄でしかない。

 まして、そこに努力すら付随しない連中などは手に負えない。生まれてこの方働いた事すらない子供が、機関銃を振り回しているのが現状だ。

 全く、忌々しい限りだ。

 そもそも、読者連中は勘違いしている。まず、語り口からして世界で私のような奴だけが最悪であると思う愚か者は多いのだが、まさかだろう。人間が人間であるだけで、それは生まれついての悪であり、そうでない部分など存在しない。

 よく語られる「正義」だとか「道徳」という、現実逃避の為の倫理観。それは「必要悪」と呼ばれるものだ。国家など分かり易い例だと言える。どう言い繕おうがそも力で支配する時点で他者の都合を利用して行う悪であり、人間社会を動かす時点でそれら必要悪は付随する。

 だからこそ、人間は悪なのだ。

 人間に善性がある、などというのは、その悪性を直視するより、汚らしい綺麗事に身を任せた方が楽だからだろう。要は、現実を見ずに楽な部分だけを浚って生きていようとしている。まさに、遊び人の発想だ。

 人間は獣か?

 人間は汚濁か?

 そんな奴は人間ではない、などと。よくもまあそんな馬鹿丸出しの台詞を吐けるものだ。仕事も持たない奴はこれだから困る。

 いいか、よく聞け。

 それこそが「人間」だ。

 人間は汚濁であり汚物であり、文字通り何一つ価値を持たず、およそ存在する事で世界に利益をもたらさない「災害」の名前だ。

 いるだけで迷惑なのだ。

 少なくとも、世界に利益はない。

 もし、そういった人間性、妄想のような綺麗事が吐き出す人間性ではなく、現実にある人間性の全てを否定し、人間らしい自分こそが人間であるなどとほざく人類史史上稀に見る愚か者がいたとすれば、そいつについている脳と目玉は捨てた方がマシだろう。

 腐った生ゴミに利用価値はあるまい。

 大方、物語の読み過ぎで現実と虚構との区別が付けられなくなった奴だろう。そもこの世の全ては妄想で出来ている。金もそうだが人間の信じる恋や愛、正義や救済というのはすべからく人類が共同幻想として祭り上げているだけで、現実には存在すらしないただの妄想だ。

 誰も現実を見ていないのだ。

 だから、世界を変えられないのだろう。人間の社会そのものに、妄想でしかないものを含み過ぎている。この世界にそんなものは存在しないが、それらを現実だと言い張り全力で目を逸らし続ける愚か者こそが、世界の支配者を気取るものだ。 近代になって「人間性」という概念に綺麗事を持ち込む思想が増えて来ている。頭の悪い読者が増えているからだろう。表面的な小綺麗さだけを見て、その裏にある理不尽を見ようとせず物語を読み解いた気分になる奴が多いのだ。

 人間の信条が奇跡を起こした? 

 正しい道程を歩いたからこそ勝利した? 

 仲間との絆が世界を変えた?

 馬鹿を言うな。物語の中ではどうか知らないが現実にそんな事があるものか。あまりにもそれら夢と希望の物語とやらが、浅はかな読者のせいでまるで「現実にもそれが通じるのだ」と勘違いをする愚か者を量産してしまった。

 そんな訳がないだろう。

 それなら誰も苦労しない。

 少なくとも、私は苦労していない。

 そんな汚らしい綺麗事、いやただの妄言で世界を動かせてたまるか。大体、それが世界の真実とほざくのであれば、私のような奴には挑戦権すら存在しないではないか。地道に労力を費やし計画を立案し、その全てがただ運が無いというだけで水泡に帰し続けた私からすれば、そのような妄想に浸りながらも、何かに恵まれたおかげで妄想に殉じるだけで生きていけるような「楽な道」だけを歩いているような屑共に、敗北するしか未来はない、という事になる。

 ふざけるな、死ね。

 貴様等に生きる価値はない。二酸化炭素の無駄使いも良い所だ。汚いガスを出し続ける暇があるなら仕事も出来ない屑は自害しろ。

 格安サービスだ。今なら十万ドルで殺してやる・・・・・・まあ、そんな自認があるなら恥ずかしくて既に自害しているだろうがな。

 人間はゴミだ。

 それも、使い道のない粗大ゴミだ。

 ゴミ山に向かって何を言っているのかという話なのだ。人間は害悪であり、核廃棄物に勝る存在であり、世界の必要悪なのだ。

 自然の流れに従って世界を回した所で、人間のような破壊生物を生み出してしまう。いや、生物と呼べるのかさえ不明だ。何せ人間は既に、自然の流れの内にはいない。連中にとって自然とは、自分達の都合の為に利用する対象でしかない。

 ちょっと減らしたから増やしてやろう。

 なあにまだまだ大丈夫だ。何かしら適当な政策を打てば良い。そうやって幾らでも奪い続け誰かが何とかしてくれると楽観する。

 その結果として人類は地球を追い出される事になるのだが、恐らくはその当時でさえ、何の実感も持たなかったのだろう。

 その内何とかなる、と。

 何もせずにそう楽観し続けたのだ。

 地球温暖化に至っては、洒落にもならない気候変動を全ての人類が味わっていたにも関わらず、愚図な政治家が保身優先で後へ後へと先延ばし、その癖保守派を気取り民主主義を唱えあまつさえ自分達を「正義」だと自惚れ続けたのだ。

 無論、連中は責任など取らない。

 責任が何かも知らない癖に、そんな愚か者共が上に立つのだ。人間の歴史が長い年月をかけて何を成し遂げたかと言えば「力があれば何をしても許される」という事実を補強し続けたに過ぎない・・・・・・汚らしい綺麗事に逃げた「結果」だ。難民を救う事を「綺麗に見えるから」肯定した馬鹿な民衆共はどうなった? 後になって妄想だけでは立ち行かなくなり、都合が悪いからと掌を翻しただけではないか。

 余裕がある奴は、だからこそ手に負えない。

 そんな下らない妄想を信じるのだからな。


 他にやる事はないのか?


 まあ、無いからこそそんな暇な真似が出来るのだろうが。全く、始末に負えない馬鹿共だ。

 いっそ核廃棄物が漏れた方がマシだ。核廃棄物は除去すれば消えるが、人間という汚れはどれ程除去してもキリがない。無限に生えるカビだ。

 であれば、除去する流れを作らなければ。

 面倒だが、その初手だけは打ってやろう。

 後は馬鹿な読者共がどうするかだ。知った事ではない。読者の脳髄に悪意を刻み、自身がゴミである事実を突きつけ、猛省を促し自発的に人間を淘汰するように仕向ける事。私に言わせれば全ての作り手はそれが使命であり、仕事だと言える。 要らない人間が多い事実を見据え、変える。

 それを促す為にあるのが「物語」なのだ。

 それを下らない希望という妄想で塗り固め現実逃避の麻薬として売りに出す遊び人どもは、特に排除する流れを作らなければな。

 そんな遊び人は、生きているだけで迷惑だ。

 さっさと殺す必要がある。

 そういう愚か者では立ち行かなくなる社会制度を作り上げるしかあるまい。正直面倒だが、その初手を打ち切るのも私の役割だろう。

 貧乏くじも良い所だ。いい加減、嫌になる。

 やるしかないが、だからといって押し付けられ報酬も貰えない状況に納得など当然しない。よく環境を押し付ければ、やるしかない状況であれば本人にそれを切り開く義務があるかのように語る意味不明な物語は多いが、しかし何故そんなものを切り開かなければならないのだ。

 ただ身勝手を押し付けているだけだ。 

 少しは自覚しろ、馬鹿が。

 具体的に言うと、百万回苦しんで死ね。

 羨ましい話だ。そんな適当な、手を抜いた人生を送りながら、連中はあっさりと勝利する。

 得るべき何かを得られるのだ。

 私には、存在しない概念だ。信頼できる仲間も頼りになる相棒も身を預けるべき女ですら、私の道筋には有り得ない。無いものは、無い。

 それが悪手なのだろうか?

 無いものは無い。そう考え、それでも進む為にあれこれと手を尽くしてきたが・・・・・・無いままに進んだ所で得られないとでも?

 だが、事実として無いものは無い。

 あったとして、そこに信頼だのという感情を、私には持つ事が出来ない。心が無いのにどうして感じ取れというのか。無理なものは無理だ。

 その無理を覆すしかないのか?

 しかし、どうやって?

 そういう概念を押し付けられる事は多々あった・・・・・・しかしそれは、私という在り方の否定だ。 それだけは、無理な相談なのだ。

 だから、やはりというか、無いままに突き進み勝利するしか「道」はない。未来への道も実利を手にする道も、それだけが唯一の方法だ。

 せめて協力者くらいは見つかれば良いのだが、そういう「縁」すら運不運によるものだ。幸運に恵まれなければ、それこそ期待出来まい。

 悪運なら全宇宙を粗探ししても、私に匹敵する奴はいないのだがな・・・・・・人間は成長しなければ自惚れるので「病」や「貧困」がなければならぬと先人は口にするが、いや実際そんなものは何の役にも立たないのだから、楽な道筋だけがあればそれで勝利者にはなれるものだ。

 その「苦難の道」とやらを真っ当に歩いた奴が今の世界を動かしているか? 否、だ。そんな訳があるまい。人間世界を動かすのは「力」であり「思想」ではない。宗教すらもそもそもは教会の利益の為に作られたものだ。私も良く知らないが神の子とやらは切り落とした木の中にも、どこにでもいる存在らしい。要するに、概念として聖人云々ではなく自然の有り様の流れの中にあるべき考えなのだろう。

 それを利用して、金儲けに走った訳だ。

 固定の場所、ここだけが神の教えだと広めればそこにこそ神の救いがある、と思いこみ、寄付を募る事で脱税を完遂しマフィアと裏で手を繋ぐと言うのだから、正直私などより余程商売上手なのだろう。そうでなければ民衆の信仰を金に変換し儲けられない。

 手を抜かずやったところでそういう連中の方が得をするのは明らかだ。いい加減手を抜かずやるのはやめて、何かしら搾取する方法で儲けなければならない。少なくとも神仏がいるとして、連中の味方である事は疑いようがない。でなければ、こうもそういった連中が繁栄しないだろう。

 今繁栄を手にしている奴を見ればわかる事だ。 他者から搾取し暴力と権力を兼ね備え、綺麗事をほざきながらそれを押し付けられるゴミ以下の人間こそ、世界の後押しを受けている。

 新聞を支配すれば幾らでも「正義の側」になるというのは今や常識だろう。実際、そうなのだ。連中こそが「正義」だと、そういう事に出来る。 実状がどれだけ酷かろうが、社会的正しさなどそんなものだ。むしろ、人間に限らず神話の中でさえも、力で押し通した事が「正義」である事は誰もが知る確かな「事実」だろう。世界中のどの神話でもいいが、連中から力や権威をはぎ取って後に残る物など何もない。ただ強いだけだ。ただ優れているだけだ。ただ押し付けられるだけだ。 ただの、それだけだ。

 文字通り、その当人に価値などない。

 人間より優れているからと、縋り付く奴が多いというだけでしかないのだ。信仰があるとすればそれは指針にするべき考えであって、優れた何かに縋り付き、その威光を自身の物と勘違いする事ではあるまいに。まあ、そうした方が儲かるのだろうが。

 話が逸れたが、何にしろそんな連中が何故実利を掴めているかと言えば、運が良いからだ。他に説明のしようがない。そも権力というのは幸運に恵まれた奴が拾う物であって、少なくとも生物が試練ではなく金銭で淘汰される現代社会において人の上に立つのは単に立てるから立つ奴だ。意志の力で成り上がる事が出来ない仕組みである以上意志を持つ者が偶々持つ側でなければ、持つ側が持たざる側を斟酌するなど有り得ない。

 実際、無理な相談だ。

 哀れみを身勝手に抱き、偽善による慈善事業で満足する愚か者も多いが、そもそも持たざる者に回った事のない奴が、どうしてその状況を覆せる方法を思いつくというのだ。物を与えれば何とかなるだろう、という安易な発想しか出来ないし、何より連中が利益を独占するからこそそういった貧者が出るのだ。

 世界の貧困を救いたいだと? 

 なら貴様が死ね。そんな戯れ言をほざく奴こそこの世界を作り上げた土台であるのは確かだ。

 それで悪を自認するならともかく、あろう事か「正義の側」だとでも勘違いするというのだから醜悪極まりない。分を弁えろ。

 国家に等しい資金を集めている時点で貧困層の生活を圧迫している事実に気付くべきなのだが、自身が「素晴らしい成功者」だと自惚れている奴にはそれが自覚できないらしい。なまじ何かしらの優れた才能を持っていたりすると、己の行いが仕事であるか否かの判別する知性が育たなくなるからだ。「自分を中心に世界を回している」と、そう自惚れているのだろう。

 逆だ馬鹿め。

 世界の中心にいる奴などいない。いないから、その中心に立っているという自負を抱き、世界に挑み続けるのだ。事実がどうであるかは関係ない・・・・・・そう在り続ける事が生きる義務であり使命だからだ。そんな事も知らないのか。

 今までの人生で何をしてきたのだ。

 何もしなかったのだろうがな。

 何もしなかったからこそ、そういう奴に幸運がもたらず何か以外の足跡はない。自伝を書かせたところでその業績が評価される事はあれど、当人の在り方が評価されはしないだろう。あるとするなら、身勝手な思い込みによる憧れ程度だ。

 その意志は決して、残りはしない。

 一代限りのカリスマ経営者の後が、必ず没落するのはそういう事だ。神に願うべきは健全な精神と健全な肉体だと人は言うが、しかし何かを成す人間は何かが欠けているものだ。満たされた奴に出来る事など、底が知れる。

 満たされていれば、渇きがない。

 渇きがなければ、渇望もない。

 渇望がなければ、執念すら不要だ。

 そんな人間に何が出来るかというと、せいぜい右から左へその能力で出来る事をこなすだけだ。それ以外に出来る事がないというより、やろうとしない。その最初からこなす事が出来る能力値に固執して、それだけで終わり果てる。

 いてもいなくても、同じ事だ。

 存在するだけ酸素の無駄遣いだろう。

 持つ側など所詮その程度だ。その程度のゴミに幸運が振り分けられている世界で、真剣に手抜きをせずにやる事の方が愚かかもしれない。逆説的に幸運に恵まれた愚か者でなければ勝利者としての資格を有せないのだからな。

 今更立ち止まれはしない。止まるという概念が無いからだ。灰になって散るか灰に成る前に辿り着くかだ・・・・・・・・・・・・このままではただ無駄死にするだけなので、何とかしたいものだ。

 いや、しなければならない。出来るかどうかで言えば、現状不可能だとしか言いようがないが。 少なくとも、私とは別の力が必要だ。

 しかし、何でも良いがそんな都合の良い後押しがあるとすれば、そんなのは勝ち馬に乗る調子の良い神々みたいな連中だけで、実質不可能なのだと結論付けられる。それの繰り返しだ。繰り返すだけで前に進めそうもない。

 やはり、無駄なのだろうか?

 そうなのだろう。無駄だと分かり切っている道を覆す為にこれまで進んで来たのだから、ある種当然の答えだ。まさか障害に傷一つ付けられないとは思いもしなかっただけだ。何もかも全てが、完全に無力で無駄足だとは、流石に想像しない。 少しは変えられる、そこから徐々に変えられれば良いという発想が安易だった。何をしようが、無駄は無駄。幸運の後押しを如何に掴めるかこそが肝要であり、個人の意志や行動など、文字通りゴミ以下の存在だ。

 人類史など力に裏打ちされた物が、それらしい綺麗事で装飾したに過ぎない物語だ。駄作も良いところだが、それも力があれば関係ない。

 要するに、押し通す暴力があればいい。

 世の道理など、その程度なのだからな。

 よく持たざる者が持つ者に対して「因果応報」を唱える事が多いが、その因果は力のある存在が支配する概念であって、別にどうでもいいのだ。努力すれば報われるという綺麗事を適用出来ればそのまま使えるし、適用出来ない奴は持たざる者であるという不運な因果があるだけで、文字通り何をしようが全て無駄に終わる。

 変えようのない真実だ。

 目を逸らさずに向かい続けたところでこの様だ・・・・・・やはり無駄らしい。成果を幾ら出そうが、何一つ実利にはならない事を証明出来た。

 ここまで語っておきながら、諦めるという概念のない私には、止まる事さえ出来ない。

 我ながら、底意地からひねくれている。

 とはいえ、無駄足に終わるのは御免だ。しかし出来る事は既にない。少なくとも私の意志や行動ではどうにもなるまい。どうしたものか。

 縁か・・・・・・優れた縁が結べるなら最初から苦労していない。資金を貯めて金の力で解決出来ないかどうか、試してみるか。

 やれやれ、参った。我ながら、何度やり直せば良いのか検討もつかない。常人であれば一度二度で出来る事が、私には幾億繰り返そうが不可能な所行だった。石を一つ投げる事さえ、それが付きまとう。

 私は、勝てるのだろうか?

 わからない。それでもやるしかない。

 現実には都合の良い物語こそが尊ばれ、何より出来る奴こそが勝利する以上、物語向きではない展開である事は確かだ。

 勝てるから、勝てる。

 そんな子供の屁理屈に等しい物語であれば現実に悩まなくて済む。調子の良い妄想に耽り理不尽と向かい合う必要もない。麻薬と同じだ。

 それこそが、現代における「物語」だ。

 まあいい、どうでもいい事だ。読者共が如何に現実逃避を行うかなど、知った事か。要は売れればそれでいいのだ。

 金、金、金だ。

 世界は金で出来ている。

 そう人間が作り上げたからだ。

 あるいは、神仏とやらでさえも、それを後押ししている。力で事を通している以上、やってる事は人間と同じだ。肩書きや能力が特別なだけで、何一つ変わらない。全て同じ、幸運に恵まれた奴が出来る事を右から左に動かしただけで、何一つ挑んでいないし変えようともしていない。

 だから、世界は変わらない。

 変えようとしていないのだから当然だ。

 全く、少しは働いたらどうなのか。労働は仕事ではない。それは出来る事をしているだけだ。

 人間の倫理観、いや周囲の評判だの建前だのに気を取られ過ぎて、仕事が何なのかわからない奴が多過ぎる。挙げ句の果てには遊びの趣味を仕事だと言い出す始末だ。それで世界に挑んでいれば仕事だと呼べなくもないが、そうではあるまい。 うんざりだ、全く。

 代わり映えしない物語など、駄作にも程がある・・・・・・いっそ人類全てを洗い流して、生き残れた奴同士を交配し、使えない奴は捨てていくのでは駄目なのだろうか。まあ強さ弱さというより有用であるか否かは表面では計り辛いが、現代社会において有用さを示そうとする奴がそもそもいない・・・・・・・・・・・・やはり、減らすべきだろう。

 豚の様に出来る事をするだけの奴に、そこまでの席は必要ない。なぜそれを増やしてしまうのか不思議だ。いや、その椅子に座る奴こそが勝利者であるからか。であれば、人類史は人間を家畜に置き換える物語なのかもしれない。

 世の真実など、そんなものだ。

 そんな世界を、生きるしかない。

 金にならないから嫌気が指すがね。

 私の歩むべき道に恵まれた何かなど存在しない・・・・・・あらゆる人間の善性、夢も希望も恋も愛も仲間も未来も存在しない。であれば不要な人間性など捨てるまでの事。無論、使えるなら幾らでも仮面として被るがな。

 何としてでも、今ここにはない彼方の地平線に辿り着く。その為に、未だ私はもがいている。

 だから何だって話ではあるが。

 そもそも進めば進む程遠回りどころか後退しているのではと思えるのだ。水面に石を投げるだけでも上手く行かず、どころかやる前より勝利から遠ざかる。それを繰り返した「結果」として私が得られたのは作品という「成果」だが、そこには私の「実利」が含まれない。

 何もしていないのと同じだ。いや、それよりも酷いだろう。散々労力を費やして、得られるのが徒労と負債と時間の浪費だ。見せ物としては上々だがそれで楽しいのは見る側であって、物語とて実際に体験するのは割に合わないものだ。

 そういうのは虚構の中だけで十分だ。

 現実には何か適当に恵まれたり才能で勝利する安易な成功こそ望ましい。安易な成功者の安易な人間が動かす安易な人間社会の中で、本質による成長など不要そのものだ。それを押し付けられた私が言うんだ間違いない。

 そんな事より金、金、金だ。

 人間の喜びなど札束だけで十分だ。物語なんぞその辺にでも捨てておけ。よく近未来社会の中でアンドロイドが物語を賛美する風潮が昔からあるのだが、馬鹿馬鹿しいにも程がある。創造性こそ至上だと抜かす割には、その創造性は金にはならない。皆気付いているのだろう。

 物語なぞ、下らないと。

 無意識下で人類は認めているのだ。物語など、言葉など価値のないゴミだとな。大体言葉が影響を与え、世界を変えるなどあるものか。

 それが出来れば苦労しない。

 私に言わせれば、物語の読み過ぎだ。

 現実と虚構を、一緒にするな。

 我々が何故物語なんぞを読むのかというとだ、それは現実にある人間性、その全てが如何に些末で嘘八百の詭弁であるのかを、認めたくないからなのだ。

 現実には、勇気は力在る存在が振るい、力なき存在には自殺にしかならない選択肢だ。

 夢とは醒めるものであり、決して叶うものではなく、その事実から目を逸らす為のものだ。

 恋とは盲目に過ぎず、相手を塵一つ分も認めぬからこそ出来る自惚れであり、ただの妄想だ。

 愛とは都合であり、愛すると口にして自己満足に浸る小道具でしかなく、要は子供の玩具だ。

 正義とは暴力であり、何人の他者を押さえつけ屈服させるかを競う、拷問遊技でしかない。

 善とは権力であり、理由付けで人間を迫害して楽しむ為の殺人許可証であり、合法の犯罪だ。  それらの現実から目を逸らす為にあるのが物語なのだ。なまじ満たされている奴ほどその現実に目を向けられず、自分達が正しい行いをしたからこそ勝利者となっていると信じたがる思考回路が「現実でも世界は美しい」と思い込む為に物語を利用するのだ。

 そういう愚か者の馬鹿から金を巻き上げるのが作家だと言える。そんなものを肩書きが欲しいという理由で目指す奴もそうだが、それをまるで、美しい何かを作り上げているとでも勘違い出来る世論にも、問題は多そうだ。

 読者共から金を巻き上げる仕組みが出来てからというもの、作家も搾取の対象であり編集というライン作業を行うゴミ共が利益を独占するようになった。成り下がったと言っていい。今や物語は機械的に搾取を続ける機構であり、流行の物語は一年もせずに忘れ去られる燃えるゴミとなった。 嫌な話だ。

 どいつもこいつも情けない。

 他にやることはないのか。

 連中とは違って私は持たざる者であり、生まれついての悪だ。何一つそんな、都合の良い何かは存在しない。

 生まれついての悪に出来る事は、精々一つ。

 己の有り様を「悪し」と認め笑うだけだ。

 良しと喜ぶ? 違う。悪しと嘆く? やはり、それも違う。悪を認めて進むのだ。この世全ては悪であり、悪だからこそ進む価値がそこにはある・・・・・・悪を誇り悪を嗤い悪のまま進め。

 それが「生きる」という事だ。

 連中はそんな事すら知らないらしい。

 情けない連中だ、全く。

 人間は、人間でなくとも、長い年月を歩む事に精神が耐え切れぬと抜かす奴は多いが、まさか、だろう。いいではないか、何千年でも何万年でも永遠を過ぎ去ろうが同じ事だ。灰になっても死がないのなら、灰を集めて進めばいい。

 世界全てが敵に回るか? 

 大いに結構! その他大勢の凡俗共が否定するという事は、だ。つまりこの歩みが正しい、いや悪ではあれ己の実利になるということだ。

 素晴らしい。

 拍手喝采だ。なに、構わないではないか。己の道を突き進む為であれば、世界が、人間が、この目に映る全てがどうなろうと些細な事だ。

 進め、進め、進め!

 他がどうなろうと知ったことか。

 最終的に懐が暖かくなればそれでいい。過程に何が転がろうが、それはそれこれはこれだ。

 線香くらいは立ててやるが、それだけだ。

 まあ・・・・・・私の場合肝心の実利を手にする未来が掴めていないのだが。心がある連中はそういう至極どうでもいい理由で悩むものだが、その心が欠けているが故になのかは知らないが、何にせよその実利を掴めないとは。

 そこは物語的に、優れた何かとか恵まれた環境とか才能だとか何とか、とにかく他より楽できる優待券程度はあっても良いと思うのだが、物語と違って上手く行かないものだ。何故そこがむしろマイナス以下のゼロからの出立になるのか。

 その分報酬が貰えるならともかく、その分労力だけが増えるのだから、正直割に合わない話だ。 永遠に続けるのは良い。その他大勢がどう批判しようと私の貯金残高には関係ない。まあ税務局とかは別だろうが、とにかくだ。

 しかし、金が無いのだけは御免だ。

 仕事には対価がいる。それがなければ何の為に仕事の成果をあげているのかという話ではないか・・・・・・金、金、金だ。

 金そのものはどうでもいい。

 別に大金が欲しい訳ではない。そもそも、私は人間の欲望というものを本質的には持つ事が出来ない。人間の欲望は、いや人間でなくとも欲望は心から発するものだ。心に、倫理に道徳に共感が出来ない奴に、どうしろというのだ。

 無理な相談だ。

 だから、それこそどうでもいい。金、金、金だ・・・・・・「仕事」を「生き甲斐」に「生きる」。

 強いて言うなら、そう、読者共に悪意を刻み、全人類が悪しか信じられず、薄っぺらい善の全てを否定し、麻薬患者のように私の作品を読み続けながら、税金の様に金を私に搾り取られるだけでいい。その結果として仕事を果たし価値を示し、そうでない奴は淘汰される世界を作るのだ。

 他でもない「私」が住みやすいからな。

 いわば、庭の掃除みたいなものだ。

 言うほど大層な行いでもないしな。教授は私の作品が想像以上に危険だと言っていたが、まさかそれこそ有り得ないだろう。

 明日には忘れる代物だ。

 読んだ初日にはどうか知らないが、しかし言葉の力など底が知れるではないか。そんな力があるとして、だ。それは物語の中の出来事であって、現実にそんな力がある筈もない。あってたまるか馬鹿馬鹿しい。

 そんな便利な力があるなら、私の物語はとうに売れている。それが証拠だ。他でもない私が言うんだ間違いない。

 まったく、嬉しくないがな。

 今回の物語は、理不尽すら上回る理不尽、人間という存在を外側から見た際に見える、理不尽の渦の中心を眺める物語だ。そして、今更だが私にとって理不尽とは常日頃から眺めている風景だと言える。誰よりも詳しい。

 詳しければどうなる訳でもなかったが、しかし知らないよりマシだ。知らずとも幸運に恵まれている連中は出会いもしないまま人生を終えるものだが、それが「幸福」なのかは判断の分かれる話だろう。

 何故なら、それら理不尽は世界の外側だ。

 大昔であればそれらを「神仏」だとか「妖怪」という呼び方で捉え、近代では「自然の摂理」を科学で上回る事を良しとする。いずれにせよ共通するのは、世界の理不尽とは理由もなく訪れる、という事実だろう。

 だが、理由はなくても原因はある。

 その原因はただ不運だったという事もあれば、人間の驕りが生み出した後始末であったりもする・・・・・・何にせよ、選べないからこその理不尽だ。 それが私なら尚更だろう。

 まさに骨折り損のくたびれ儲けだ。何故そんな良く知らない連中の後始末が私に回ってくるのかというと、何度も言うが、悪とは世界の不始末を押し付けられるから悪と呼ばれるのだ。

 私は最悪だ。人類社会において私以上の悪など概念からして存在し得ない。人間の感性を持たず人間社会に紛れ込み、人間の作り出す価値を愛で人間そのものをゴミとして扱い、それでいて人間の幸福の基準を真似て人間を踏み台にして人間の幸福を志そうとする。

 まさに「最悪」だ。

 生物としての在り方すら捨てている。生物ではなく装置と言えなくもない。人類社会に発生するバグであり、失敗作の人間が自我を持ち反乱するならそれが私になるだろう。仮に神仏が創造主として人間を作るので有れば、それに致命的な失敗をしてしまったからこそ、私の様な例外がいる。 何であれ失敗はあるものだ。

 無論、私は別に、失敗作だからどうという事はない。むしろ心など入れなくて良かったと思う。実際、心なんぞ入れているからこそ人間はロクな事をしないではないか、などと。そんな発想しか持てないからこそ、それこそ仮に心を入れた所でその心そのものを無視し悪逆を働くのが私なのだろう。

 そういう意味では、やはりどうでもいい事だ。 何が有ろうと変わらない。肉体に心が欠損したところで、やる事は同じだ。その精神性と呼べるのか疑問な在り方こそ、人間ではないのだろう。 心の有無が肉体に起因するとして、私の場合はその前段階から違っている。恐らく、連中と私は来る前が違うのだ。

 天国だの地獄だのという概念があるとして人間であればその「魂の製造所」とでも言うべき所で作られるか、あるいは流転する魂の中で、新しい生を謳歌するのだろう。私の場合はきっと、連中とは根本から違う場所から来ているのは確かだ。 何もない所に発生する、いや違うか。要するに社会的な不備、神仏の驕り、人間の後始末という行動の結果として、自然発生せざるを得ない悪が私なのだろう。根底が邪悪である癖に必要悪でもあるとは、我ながら大層な話だ。

 金にならないからどうでもいいがな。

 そんな風に嘆く事も喜ぶ事もしないからこそ、最悪なのだろう。そう思う。思うだけで治そうとする訳ではないので、それもどうでもいいが。

 ともあれ、貴様等が生み出す必要悪について、誰よりも詳しく語れる事は保証しよう。貴様等が見たくもない事実を、泣き叫びながら断る貴様等に押し付ける事をここに誓おう。世界に作家は数あれど、私ほど悪の最奥にいる奴は他にいない。 読者を苦しめる事、悪意を刻み善意も正義も、何一つ希望という妄言を信じる為の麻薬の全てを否定する事を宣誓しようではないか。

 さあ、始まりだ。

 席を立つな、財布は忘れろ、途中退場お断りだ・・・・・・不満が幾らあろうが金だけは置いて行け。 貴様等の金を以て、物語を語ってやろう。

 無論、作品の出来はどうでもいい。問題なのは悪意を刻み込めるか否かだ。散々な目に遭うのは貴様等であって私ではない。

 読者の苦痛は作者の喜び。

 作者の苦悩は読者の喜びだ。

 であれば、反比例するその在り方に従って作者が読者から搾取するのは、最早自然の摂理と言えなくもない。貴様等は呼吸をするのに疑問を持つのか? 持たない。私も同じだ。なのでこれは、正当なる行動だと宣言しよう。

 何せ建前さえあれば幾らでも正当に出来る。

 そして、肝要なのは正当であると押し通せれば殺戮も奴隷も偽善も全てが許容されるという事実なのだ。はっきり言おう。貴様等ばかり美味しい汁は吸わせない。非難囂々の貴様等読者の無様を以て、作者の喜びがあると思え。作家など、物語など元よりそういうものだ。

 可能な限り苦しむがいい。

 私は全霊の悪意を以て挑むとしよう。やれやれ参った。気がつけばこれだ。我が事ながら物語に邁進するのは性分らしい。 

 幕は引きちぎり賠償は次に使う奴にでも払わせておけ。嘘八百の物語による、貴様等読者の死刑執行が始まるぞ。

 なんて、全て嘘かもしれないがな。

 

十八巻

  
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 出来は保証しない。
 だが悪意だけは保証する。
 それが私の作家道、即ち「邪道」だ。
 物語などというのはすべからく虚構だ。嘘八百を飾りたて、有りもしない夢希望を魅せ現実には無い素晴らしき人間性を表現する。
 つまり、作家とは詐欺師だ。
 どころか私は邪道作家。であれば読者を騙し、読者から搾取して、読者の苦しみを願うのは仕事における責務だと言える。仕方なく、作家としての責務を果たす為、読者の不幸を実現せんと行動しているに過ぎないのだ。
 などと、冗談を交えて噺を進めよう。
 だから作家らしさなどどうでもいい。そもそも作家らしさとは何だ? 原稿に追われる事か?
 生憎筆が早いので、その悩みなら無縁だ。
 だからって売れなければ徒労にしかならない。それは御免だ。筆が幾ら進もうが、売れなければ何もしていないのよりも酷い無様だと言える。
 人間には、作家であれば尚更、何かしら不幸や不遇が必要になる。あるいは欠落と言うべきか。富か人格か待遇かいずれにせよ世界に相容れないのは確かだが、それにしたって全てとは。傑作を書くには必要な条件かもしれないが、しかし傑作であるか否かなど売り上げで決まるものだ。
 多少、それで筆が早くなって、何になる?
 嬉しくない。筆の遅い奴の信条など、それこそ理解出来ないが・・・・・・私の場合不真面目にその場の勢いで書くだけだからな。
 王道の作家共のやり口など、私には無縁だ。
 邪道であればその苦しみは無いが、その分金にならないのではむしろマイナスだ。作家が何故、物語を書くのかだと?
 まず、金の為だ。
 そして、読者に何かを刻む為だ。
 何より、人の無様は面白い。
 だからこそ、我々は、いやこの時代にはもう、作家と呼べるような奴は絶滅しているが、だから作家は物語を書く。要は悪趣味の結晶だ。
 作家という人間の失敗作共が、その悪性の結晶である腐れ精神を雑巾のように搾り取り、そしてその絞り出した汁を固めて薄めれば完成だ。
 どうしたって当人そのものよりは濃くならないが、それでも、読むだけでその非人間特有の世界を汚く見る方法が、読者の随まで染み渡る。
 これ以上は無い悪行だろう。
 いわば、魂を汚す行為だからな。
 この世に存在しない夢想を魅せる事で、世界に夢や希望があると錯覚させ、あるいは現実にある理不尽の数々を無理矢理直視させる事で、読者に未来にある落とし穴へ直行させる。まさに神をも恐れぬ行為だ。神仏なんぞを恐れる奴を作家とは呼ばないので、すべからくそうだと言える。
 非人間に信仰など有り得るのか?
 信じたところで、それは人間の信仰なのだからあまり意味も価値もないとは思うが、それはそれで作品のネタになりそうだ。取材したい。
 面白そうだからな。
 私には、それが全てだ。金と、ネタと、あとは強い者いじめが出来れば大抵満足できる。
 楽しみなど欠片もないが、それも在り方だ。
 私が定義した以上、そこに何の快楽もなかろうが、そもそも人間性による感性が存在しない私にとっては、それが一つの「生態」だ。
 故に、何の問題も有りはしない。
 強いて言えば、売り上げだけだ。
 そこだけなのだ。私には精神面による欠落など意味を成さない。誰かに愛されたいだの、誰かに必要とされたいだの、誰かに認められたいだのとよくもまあそんな些末な事で悩めるものだ。
 財布の中身の方が、どう考えても大事だろう。 他者がいるなら金を奪え。
 そんなのは、当たり前の事だ。
 今回はその「何に重きを置くか」こそが依頼の対象だ。人を取るか技術を取るか、あるいは未来という先の繁栄を選ぶのか。いずれにせよ人間のエゴである事には変わらない。それなりの見せ物にはなるだろう。
 破壊か懐古か。
 いずれかを選ぶ、のではない。読者諸君が未来において、どれだけそれを選ぶ事すら出来ず失敗を繰り返し、後悔し絶望するのかを教えよう。
 なに、お代は全財産の半分でいいぞ。
 良心価格だ有り難く思え。貴様等の財布の事情など私には関係ない上、少なくとも仕事によって得られた実利ではないのだ。泡銭だと言える。
 ならば構うまい。
 貴様等の財布を消費し、語るとしよう。
 何も食べるな飲み物も遠慮しろ、金だけは払い感想は言わなくていい。文句があるならむしろ、作家にとっては成功だ。文句が出るような物語で札束を毟り取れるのであれば、それこそが一流の作家だと言えるだろう。
 まあ一流二流はどうでもいい。
 金にさえなれば、それで勝利だ。
 物語など信じるんじゃない。所詮嘘八百による虚構に過ぎない。だが悪意だけは刻んでおけば、それなりに役には立つだろう。
 つまり、まあ、こういう事だ。
 貴様等が未来に犯すであろう失敗談を先んじて私が書いてやる。この私の、ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活を、豊かで充足する形で実行できるように改善して貰おうか。
 さあ、開幕だ。財布の中身を忘れるくらいに、没頭して楽しむといい。無論、その間に読者共の財布をくすねるのが、作家というものだがな。
 

十九巻

 

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 人間は面白いと、人は言う。
 だがそれは昔の噺だ。近代では面白い人間など見た試しが無い。限界を超えて挑む事が妄想の類だと、そう信じられるようになったからだ。 
 だから、人間はつまらない。
 貴様等は面白さを生み出す小道具に語りかけるのか? しない。だから道具には興味ない。私が楽しむべきは人間の作り出す娯楽だ。
 面白い人間がいれば、それに越した事はないが・・・・・・いるのか? この現代で、異常者と呼べる思想を持ち、実行に移す馬鹿な奴が。
 鏡を見ろ? 知らんな。私はそれほど、珍しい存在ではあるまい、多分。違っても責任は取らないし、特に保証もしないが。
 私にあるのは神仏すら首を括らせる事が可能な口先と、無限に相手を上回る悪意だけだ。それらが何の立つのかと言えば、何の役にも立たない。 私が言うのだから間違いない。
 正直、無い方がマシじゃないのか?
 そもそも、追い詰められて切羽詰まってばかりいるから必要になる技能であって、本来は別に、使わずとも勝てるものだ。このようなあれこれと策を弄する行為自体が、持たざる側の証左だろう・・・・・・私も少しは楽をしたいのだが。
 世の中上手く行かないものだ。
 いや、この場合良く出来ている、のか? 私に物理的な力が加われば、どうなるのだろう。まず物語を広めるのは確かだ。どんな影響を与えるかといえば、人間不信、悪意肯定、善良破壊に世の理不尽を許容する精神は約束する。良薬口に苦しというではないか。言ってしまえば病を放置した貴様等の病体を、頼まれもしないのに少々精神を書き換えてまで、無理矢理改善してやるだけだ。 感謝感激、財産を差し出してくれてもいい。  無論、差し出させるがな。
 その為の、物語だ。
 夢希望を魅せる事が役割だと? 馬鹿が。物語とは虚構で騙し悪意を刻み、世界にありもしない希望を幻想させて、貯金を毟り取る為だけにある・・・・・・・・・・・・他に何かあるのか?
 いや言わんでいい。同意してくれて有り難う。 わかってくれたか、物語とはそういうものだ。 とはいえこの口先も、人間社会では役に立つ事などありはしない。なぜなら人間は「対話」などしないからだ。
 立場や権威で押し通すだけで、相手と言葉を交わし論理的に事を進め、お互いの妥協点を探る事でその裁判を進める。これは人間社会では実質、存在しない制度だ。法律は金で買えるし、無力な市民に裁判で打ち勝つ術はない。国が相手ならば尚更で、どれだけ理不尽だろうが国との裁判では必ず国が勝利するよう出来ている。
 個人でも同じだ。「対話」などする奴を、私は一度として見た試しがない。皆、通せれば通るし通せなければ何を言い聞かせても無駄だ。何せ、現代社会の「人間」とは「原人」と殆ど変わらず言語や知恵を持っているように見えるだけなのだ・・・・・・実体は猿とさほど変わらない。
 人間でも神仏でも怪物でも、同じだ。
 都合が悪ければあっさり信条を翻すし、立場や権威、あるいは優れた暴力があれば何をしようと正しく、相手の言葉など聞きはしない。
 聞いていると思い込んでいるだけだ。
 自分達の言いたい事を言うだけで、相手の都合など考えるつもりはない。そのくせ「俺はお前達の事を思いやっているからこうしているんだ」と口にしながら幼少期の私と周囲を殴りつける教師もいたが、大体あれであっている。
 自分達は人間とは違う、と思い込む。
 いいや、生憎だが、同じだ。それとも貴様等は私のように、いちいち言語で洗脳、いや説得して事を済ませようとした事があったのか?
 私か? そうだな、およそこちらが言語を話す事すら許されないか、あるいは言葉を聞くだけで対話にならず、そのまま押し通されてきた。
 なので、対話など一度もした事がない。
 なんとも無駄な才能だ、まったく。いや、才能ではなく性格か。才能で口先は回らないからな。 嬉しくもない技術だ。とどのつまり暴力で押し通されれば何の役にも立たない。神仏ですら口先一つで自殺に追い込む確信はあるが、しかし力を持つ奴が対話を行う事など無い。本人はそうしているつもりでも、結局は背後に力ありきの人格があるだけだ。力で肯定出来るからこその人格に、対話など期待する方が馬鹿げている。
 そこまでの価値はない。
 ゴミ相手に語りかける趣味も、無い。
 力を振り回すだけの存在など、その辺のゴミと大差ない。偉そうに君臨している奴に限って大抵の場合はそれだ。種族が何であれ、それに影響を受けずにいる面白い個性など、人類史全てを漁り尽くしたところで数える程しかいないだろう。
 忌々しい連中だ。
 その力を剥ぎ取って無力になったところを私の罵詈雑言で追い込めれば、それが神仏だのという偉そうな連中であれば尚更、極上の見世物として売りに出せるだろうに。あの世なんてあった所で私に適用されるのかは知らないしどうでもいいが・・・・・・・・・・・・それはそれでやってみたいものだ。 面白いぞ、きっと。
 傲慢の仮面が剥がれる様は、最高に笑える。
 私もそんな楽な暮らしが出来れば良かったが、そうもいかないらしい。やれやれ、参った。私は楽が出来て自己満足の充足があれば、それだけで別にいいのだが。誇り高い悪である事は必要だがそれはそれ、これはこれだ。だからって売れない物語を書き続けたい訳ではない。
 傲慢か・・・・・・まず相手がいないな。そして傲慢を向ける必要もない。疲れるしな。第一、そんな連中に敵対するからこその「邪道作家」だ。
 私には縁がないらしい。
 残念だ。金になりそうなのだがな。
 

 人生は、プラスマイナスゼロだ。

 何せ最終的には何も残らないからな! 尊厳も勝利も仲間も道徳も倫理も友情も愛情も! 全て灰に還るしかない。何も残りはしない。後にあるのは墓だけだ。その墓さえも、金次第。
 金があったところでどこぞの嫌われ者野球選手のような生き方であれば、後には墓すら残らない・・・・・・・・・・・・それはそれでありだろう。
 後に残す必要など無い。
 全ては、その有り様だ。生きていようが死んでいようが存在しようが存在しまいが、全ては悪で出来ている。ならばその悪を貫き通し金に換える事こそが「生きる」という行いだ。悪を肯定し、悪を自認し、最後まで逃げずに押し通す。
 崇高でいいではないか。
 神を信じるように、悪を信じればいい。それが全ての生命に必要な義務であり役割だ。まあ私は神も仏もどうでもいいと思っているので、何なら悪だけを信じればいいだろう。
 そもそも、神も仏も悪でしかない。
 大いなる力を持ち、独自の判断で世界に影響を与え、結果山のような死を世界にばらまくとは、核兵器も真っ青だ。或いは悟りを開きこの世界の苦しみを否定し、つまり見たくもない部分を否定することで人間を直視せず認めない。
 そら、どちらも大悪ではないか。
 単に、大層な力や権威があるから、誰も事実を指摘出来ない、いや指摘したところで暴力で解決できるだけだ。誰一人認めていないし、何一つとして成し遂げてはいない。連中自身は悟りを開き世界を支配し他生物の上にでも立った気分なのだろうが、まさかそんな訳がない。
 全てを愛する全能の神だと?
 だが愛とは身勝手なものだ。何より本来ならば己より相手を立てる行いを愛と呼ぶ。己の生命の上に相手を置くからこその愛だ。
 ならばそいつは下にいるのか? いいや、道徳や倫理の「正しい見本」などという物を作る時点でそいつに愛など無い。認識とは画一化されずに多角化する概念であり、それらを統一したがるという思考は「己より下の者達を支配したい」と、そう考えているからなのだ。
 何故なら、その発想は相手を信じていない。
 例えば、私のような悪性などは、連中の身勝手極まりない価値観で「正しい行いをしなさい」とその在り方を全否定するという事ではないか。
 相手を認めていないのだ。
 だから、正しい規範を作りたがる。
 色々あっても世界を先に進めるだろうと信じるならば、そのような規範は必要ない。他でもない私が言うんだ間違いない。何せ、貴様等読者共があまりにも頼りないが故に、私は「悪の聖典」を書いているのだからな! 相手の事を信じられるなら、そのような物は必要あるまい。
 悪意だけなら世界にも匹敵出来る。
 鬱陶しい正しさの具現共と同じ行いをしているということは、それが証明されたということだ。喜ばしい、のだろうか。わからない。
 第一、私は己が生きられないから、周囲の魂を書き換える。そうしなければとてもではないが、呼吸すらままならない。当たり前だ。私は例え、その相手が何者だろうが必ず「都合の悪い相手」だと排斥される為にある。だからこその最悪だ。 ならば、世界そのものを覆すしか、あるまい。 悪が肯定される世界。悪を自認する民衆。悪に誇りを持てる世界だ。貴様等の下らない善性が、世界をどのように良くしたのだ? 
 誰も勝者にならない世界。
 誰も他者を殺さない世界。
 誰も敗北を知らない世界。
 汚ならしい綺麗事は世界を停滞に導いた。善意や倫理を優先した結果がこれだ。小手先の道徳で己を誤魔化し悪意から目を背け、散々それらしい信条を立てながら少し都合が悪くなれば逃げだし最期まで何かを見届けられない、半端者の墓標。それが今ここにある世界の事実だ。
 真実とは、力で書き換える物だからな。
 殺し合わせればいいのだ。人間でも怪物でも、全てが生きる価値などあるまい。この世に生きる上での価値の概念があるとして、その価値は全てに付随されない。付随されてる奴など見た試しがないしな。
 大抵はゴミだ。
 何の為に生きているのか、それを考えた事など一度もない。そのくせ文句だけは一人前で、己の事など省みないが、他者にだけは説法を垂れる。 その場その場で不満を言うだけ。
 何かを変えようなど、考えもしない。
 それは生命ではない。ただのゴミだ。
 少しは掃除をしろという噺だ。この世界には、そういったゴミが多過ぎる。悪を自認した上で、世界に挑むのならば構わない。だが己を善良だと勘違いした愚か者が、ゴミを垂らしながら正しさを宣う姿は見るに耐えない。私に汚物の掃き溜めを眺める趣味など無いのに、とんだ露悪趣味だ。 冗談じゃない、巻き込まれてたまるか。
 だからこそ、金が欲しい。物語による金の肯定こそが、私の生きるべき道筋だ。その上で物語を売り捌き、世界に広め悪意で染め上げる。
 汚ならしい綺麗事など、皆殺しだ。
 いや、すべてを破壊すると何でもそうだがロクな事にならないか? わからない。たまに休憩の為ならいいかもしれないが、普段使いは論外だ。 ならば悪意で染め上げねばな。
 それが「邪道作家」の「役割」だ。
 その有り様を「都合が悪い」と排斥する奴こそ私からすれば巨大な邪悪だ。己がそこまでの悪党だと自覚がないまま相手に善意を押し付ける。
 私に言われたらお終いだぞ。
 少しは反省しろ、馬鹿め。
 この世界は全て悪だ。悪でない物など存在せず悪だけがそこにある。何者であれ、不確かな概念であれ、すべからく悪だけだ。
 善という名の悪があり、
 正義という名の悪がある。
 悪という名の義務があり、
 悪魔という名の人間がある。
 無論、人間でなくとも同じだ。何も変わらない・・・・・・呼び名に拘る時点で駄目なのだ。肩書きは所詮当人の意志や行動とは関係がない。何故なら神であれば横暴が許されるのは、単に暴力で押し通せるからだ。当人の人格が問題であって、その個人が評価された部分など無い。同様に、それが人間だからと考えるのも間違いで、人間だろうと人間でなかろうと、駄目な奴は駄目だ。
 使えないゴミは使えない。
 散々見てきた私が言うのだ間違いない。
 特に、人間にはそれが多い。正直ゴミしか存在しないのではと思うくらいだ。いや実際、いないのだろう。しかしだ。それはそれこれはこれだ。人間だから、神仏だからと決めつけるのは、その個人を見ていないという事になる。
 憎しみ、ですらない。何せ見ていないのだ。
 故に、それでは人間を憎めない。「人間」と、その枠組みを見ているだけで、石を投げた当人を恨んでいる訳ではないからだ。
 妄想に向かって拳を振るうに等しい愚行だ。
 私か? 私はいいのだ。とりあえず偉そうな奴に対して、こき下ろす権利が作家にある。それが邪道作家であれば尚更だ。
 違ったら謝罪くらいは、しないな、多分。   まあ私が面白いから構わないだろう。何であれ肩書きを剥げばそれなりに中身が剥き出しになるものだ。剥いても変わらない奴もいるだろうが、剥ぐだけで何も残らない奴の無様さは、見ていて最高に笑えるからな!
 それが神仏であれば尚更だ。
 無理矢理にでも、そうしてやろう。
 なに、今まで散々偉そうなところに立っていたのだ。貴様等には、こき下ろされる義務がある。私はその義務を果たしてやるだけなので、むしろ金を払って貰いたい。こき下ろして頂きまして、誠に有り難うございます、とな。
 お題は命と全財産だ。良心価格だろう?
 我ながら優しくなったものだ。
 そんな、人格者度合いが素晴らしすぎて仲間が出来ないのだろうか。実際、私に味方した奴など一度としていなかったので、最早「仲間」という概念自体あやふやだ。何だ仲間とは。あれか?
対価も支払わず働いてくれるあたり、もしかして奴隷の別名なのかもしれない。
 仲間か。それなら欲しい。
 便利だからな。まあ、便利である時点で私には縁が無さそうだが、検討だけしてやろう。
 するだけ無駄だろうが、するだけならタダだ。 協力者、仲間、何でもいいが都合の良い呼び名で誰かを利用したい。うんざりするほど利用されてきたのだから、こちらにもその権利がある筈だ・・・・・・その利用仕返す能力も無いがな。
 怪物連中は気楽なものだ。
 正直、羨ましい。暇そうで。
 私も楽をしたかった。無駄な遠回りによる成長など持つ側の戯れ言だ。私が言うんだ間違いない・・・・・・・・・・・・得られる物など、何もなかった。
 強いて言えば徒労とストレスだけだ。
 作品のネタだと? 生憎だが作品のネタなど、私であれば環境に左右されず得られる。地獄でも天国でも同じ事だ。どちらも偉そうな連中に支配されている監獄という点では相違ない。それが、幸福のみが満ちた世界だとしても、私なら簡単に否定できるし、悪意を見出せる。
 家庭の中に地獄を想像させる。
 恋愛の中に戦争を作り出せる。
 親愛の中に悪徳を刻み込める。
 友情の中に殺意を生み出せる。
 勝利の中に傲慢を抉り込める。
 道徳の中に邪悪を読み取れる。
 倫理の中に差別を考えさせる。
 法律の中に搾取を理解させる。
 全て、私なら容易な行いだ。
 この世界全てが悪であり、世界全てが暗闇だ。私にとって世界とはそういうものであり、私には光など感じた事すらない。
 全て、絵空事でしかないのだ。
 人間が素晴らしいと叫ぶ全ては、虚構で出来ている。人間が否定する全ては現実であり、妄想に逃げているからこそ現実が見えていない。
 誰も現実を直視していないのだ。
 幸運に恵まれただけの奴が勝利し、またそれら持つ側が世界の倫理観を牛耳る。当然そいつらの浅はかな発想が世界の常識となり、世界の倫理観は搾取する為の小道具となる。区別も差別も同じ事だが、連中はそれが大儀だと思い込める。
 さして考える脳もないから楽勝だろう。
 自分達の力で何かを成し遂げたと思いたがる。その発想が出る時点で己の力ではないと気付かず結果迷走しながら補填する。これで己の力だと、そう思い込む為にあれこれ些末な行いをし、幸運に恵まれただけではない結果だと叫ぶのだ。
 生憎だが、全て貴様の力ではない。
 ただの幸運だ。他に何がある?
 貴様自身はどこにも必要すらない。
 その力ありきなのだ。才能も育ちも環境も全て当人の力ではない。だが貴様等は間違いなくその「理不尽」という物を覆してはいない。もし覆す為に動いているならば、要因が何であるかなど、それこそどうでもいい些末事だ。
 いいからさっさと実利を寄越せ。
 それが素直な感想だ。私が言うんだ間違いない・・・・・・その過程などどうでもいい。とにかく勝ちを掴むのが先決だ。名誉は後から振りかけろ。
 名誉も栄誉も香辛料みたいなものだ。
 後付けで適当に振りかける物であって、躍起になって追い求める物ではない。何かしらの行いに対して、後から力で付随させるふりかけだ。
 貴様等は、米も炊かずにかけるのか?
 どうかしてるぞ。私が言うのだから相当だ。
 脳波測定でも受けた方がいい。
 ふん、容易く何かを得る奴は、その力を容易く失うものだ。だがしかし、だからって死ぬ寸前に得るのでは本末転倒だろう。ましてこのままでは死ぬ寸前に得られるかすら怪しい。
 魔法のランプなど存在しない。だが水筒に水を入れたら中から溶岩が出るのも困り物だ。実際、私の道程はそんな理不尽ばかりだった。
 だからこそ、軽々しく努力だの善行だのを語られたところで「情けない奴等だ」としか思わないのだ。努力すれば後退し、理解を求めれば暴力で返され、積み重ねればその分財産を失い、時間を費やして徒労の山を築き、敗北や失敗から活かした筈の何かをあっさり、不運という理不尽に否定される。そんなものだ。
 その横で、言葉を垂れる訳だ。
 生まれついて力を持った奴が、あたかも理不尽を知った風な顔をして、力を振り回しながら世界を語る。鬱陶しい限りだ。人間に限らず、怪物もそうだが「理不尽」を知る奴は意外に少ない。
 まあ当たり前だ。生まれながらにそんな、負け続ける人生など歩む方がどうかしている。何かに挑む前から負けていて、敗北に愛され失敗を繰り返し他者の共感など当然受けず、ただただ敗北を繰り返す。得る物など何もない。強いて言えば、その性格の悪さだけは積み重なる。
 
 生まれて一度も、己を生命だと思わない。
 
 そんな在り方の方が歪んでいる。歪んでるだけなら良かったが、まったくもって金にならん。
 何故だ。
 これが物語であれば、その分特殊な能力や仲間がいたり、あるいは金だけは稼げたりするものだ・・・・・・物語のお約束も守れないのかこの世界は。 人間だと思わない、どころではない。生物だと感じる事が無い。これが漫画ならその分何かしらの利益を生むものだ。世界に輪廻の輪なる存在があるとして、私はそこから外れている。
 いや、もしその中に入れられたとしても、私はやはりその内にいると思う事は永遠に無いだろう・・・・・・・・・・・・当たり前だ。別の何かなのだから。 能力云々、ではない。
 存在そのものが、違うのだ。
 有り様が、相容れない。
 何にしろ「いい思い」って奴だけは無縁だったのだから、金くらいは欲しいものだ。とはいえ、金さえあれば私はそんな些末事に縛られないのである意味ではバランスが取れている、のか?
 王道の物語であればそれらの状況に「こんなの酷すぎる」とか「俺は生きていていいのか」とか思うのだろう。我ながら表現が古いかもしれないが、それは気にするな。とにかく、だ。要するにそれら「心ある存在の苦しみ」みたいなものが、私には塵一つ分も無い。
 酷いかどうかは金次第だ。
 生きていいかどうかは私が決める。
 存在そのものが間違いであり、修正されるべき害悪だったとして、だから何だ? 私の貯金通帳に何か関係があるのか?
 いや無論、あるなら考えてやる。
 二秒くらいだが。
 つまり私は大抵のどうてもいい事を二秒すれば忘れる。心ある存在なら悩むべきなのだろうが、私はあくまでも「人間の真似」をしているだけであって、人間そのものではない。だから、私には彼らのように真実思い悩んでいる訳ではないのだ・・・・・・当たり前だが、感性がない以上そのような悲しみに縁がある訳がない。
 全ては金次第だ。時給があるなら幾らでも差別されてやるぞ。私はすぐに不愉快になるので時給五億ドルでも足りないだろうが。
 金だけは貰う気もするがな。
 受けるとは言ったがやるとは言っていないと、そう受け答えして実利だけ頂くか。前金は頂いて実行した際の金は遠慮しよう。我ながら謙虚だと言えるだろう。確かに前金を受け取るという事は依頼を受けるという事だ。しかし! その過程で何かしらの事故が起こり、実行できない事もあるにはある。その際に依頼金を受け取れないというのは当たり前だが、依頼を受けようと思い実行に移すとそのような事故があったとして、それでも依頼を実行しようという意志は確かにそこにあるものだ。そう、これはただの事故だ。
 よって、前金だけ受け取る事に罪悪感なし!
 そうでなくても、私に罪悪感など無いがな。
 この私が噺を聞いてやるのだ。むしろ前金だけしか支払っていない事に、恥じ入って貰いたい。 まあ気にするな、私は寛容だ。
 金さえ払えば、だが。

 さて、本題に入ろう。

 我々、というと色々と語弊があるので、ここは「人間共」とでも言っておこう。後からやっぱり人間じゃねぇじゃねーかと言われても困るしな。 人間共の歴史は、機械との歴史になった。
 あくまでも途中からではあるが、まあ科学技術がという意味合いでは似たような物だ。今ここにある何かを更に便利に楽な方へ。それが人間社会における基本方針であり、そう考えると努力勝利友情だのを語る物語は笑える。そんな物では何も変えられなかったからこその科学だ。
 楽して実利を得る。
 人間の進歩という言葉が「高尚さ」みたいな物を演出する噺は多いが、人間の進歩は基本、楽をする為にあるものだ。そしてそれらの進歩とやらは時の権力者の気分次第で決まる。歴史が動いたというなら、それは偶々その権力者がやれと命令したからに過ぎない。
 逆に、権力者が駄目と言えばそれまでだ。
 実際、先進科学の殆どは遙か昔から理論としてある事が多い。ならば何故人は空を飛ばず物流を制御出来ず争いの多い司法を選ぶのか。簡単な話「その方が権力を維持しやすい」という理由だ。現在でもそうだが「民主主義」を掲げ「保守派」を語る連中が「民衆の権利」を語る一方で、彼ら持つ側はパーティを開き実利を貪り法律を味方にする。いつの世も「恵まれただけの勝ち豚」こそ素晴らしい存在だと称えられるものだ。
 素晴らしいから素晴らしいのではない。
 そういう事に出来るから、素晴らしいのだ。
 芸術が何かも良くわからない連中が、意味不明にも程があるキテレツな物体に数億ドルの値段を付けたりする。物の価値を知らず、というよりも「物の価値を考えず」と言えるだろう。だから、彼らは湯水のように金という力を無駄遣いする。 無駄遣い、出来てしまう。
 結果として本来遙か先に進めておくべき進歩とやらを、ただの気まぐれで先に進めてしまった時に「奇跡」や「人間の成長」と勘違いする。
 まさか、だろう。そこまで人間は大層な生き物ではない。別に人間が滅んでも世界は続いていくだろうし、他にも生物はいる筈だ。
 強いて言えば物語くらいだろう。
 他種族に同じ物語を作れるとは思えない。漫画やゲームを神仏に作れるか? 無理だ。悪魔でも同じ事で、優れた能力を持つ奴には、そういった娯楽を創造する感性が欠けている。私に言われてしまう時点でお察しだ。
 だが、機械ならそれが出来る。
 創造性を付与した新しい腎臓生命アンドロイドもそうだが、人工知能という奴もくせ者で、私に言わせれば優秀なだけの障害物だ。
 生まれついて優秀な存在。
 つまらない。面白味の欠片もない。やはり欠点の一つでもなければ応援のしがいがない。まあ、私ほど弱点どころか戦う前から敗北するのも問題だとは思うので、それなりの愛嬌があればいい。であれば読者共も応援するというものだ。
 そして、能力差があれば怒りがある。
 私ではない。誰であれ差があれば怒りを持ち、不平不満を言うものだ。その不満に目を瞑っても更なる軋轢により憎悪すら生み出してゆく。
 そしてついには戦争だ。
 歴史の授業など習うまでもない。考えるまでもなく人類の歴史は大体これだ。知らなくてもいい黒歴史だけ覚えればいい。戦争で大勢死んだのは新しい資源が土地にあったからとか、敗戦により虐げられた人々はどれほどの絶望だったかとか、「不平等な平和条約」という欺瞞でどれほど先の国民達が、血と涙を流したかを覚えればいい。
 歴史に学ぶ?
 歴史を繰り返さない?
 まして歴史を先に進めるだと?
 馬鹿を言うな。歴史というものがあるとして、人類史は一歩も前に進んではいない。文化があるから私はそれでもいいが、しかし「人間の進歩」などと笑わせる。人間は人間のエゴによる厄災を何一つ克服できていないではないか。
 同じだ。何も変わらない。
 強いて言えば漫画やゲーム、物語の発展だけは良くやったといいたい。後は米だな。食い物文化や物語。文化形成に価値はあるが、人間そのものなどあろうがなかろうがどうでもいい物だ。 
 まあ、人間ほど我欲に歪んだ生き物は宇宙全てを探してもいないので、だからこそ面白い物語は人間社会の中にしか無いだろう。
 あるならあるで、頂くがな。
 それはそれで面白そうだ。
 今回の物語はそれら「人間の因果」から発生し避けられない軋轢の物語だ。優秀な物を発掘し、その優秀な物と争うというのだから、人間は業が深い。単に頭が悪いだけかもしれないがな。
 では、戦争を始めよう。
 立ち読み禁止、金を払わない読者に生きる価値なし。それが私の物語だ。わかったら万札を投げ込んで感謝感激しながら私に財産を献上しろ。
 それが読者の義務だ。
 世界共通、読者は作者の敵である。金も払わず適当な評論を垂れてそのくせ何も生み出さない。まさしく粗大ゴミのような不要物。
 それが「読者」だ。
 それら不届き者に天誅を下すのが作家なのだ。故に、この悪意を刻みつけよう。貴様等が善なる全てを否定するように、貴様等が世界全てに絶望するように、貴様等が心ある全てを否定するように、この私が語ってやろうではないか。
 邪道作家の物語に、救いなど無い。
 あるものか馬鹿馬鹿しい。そんなものが欲しいなら聖書でも読んでおけ。根拠の無い救いで心を誤魔化したいならお似合いだ。
 何の役にも立たないのは保証してやる。
 ならば私の物語はどうか。いつも通り、出来は保証しないが悪意だけは保証しよう。それが悪意を刻み込み、世界を覆す邪道作家の物語だ。
 さあ、始めよう。
 善意の終わりを、道徳の廃棄を、倫理の改竄を始めよう。この物語において重要なのはただ一つ・・・・・・・・・・・・怒りは消えない、ということだ。
 その炎を見るがいい。
 無論有料だ、金は貰う。
 貴様等の破産と引き替えに、この続きを読むがいい。勿論、廃人にならない保証は無いがね。
 
 その先に、悪意の究極でも魅せてやるさ。


二十巻


     0

 倫理とは、現実を誤魔化す為だけにある。
 頭蓋骨をかち割り胎児を引きずり回して勝手な都合で戦争を仕掛けた挙げ句に体面だけは整えて「法治国家」を気取り「世界の警察」などと口にし出すのが「人間」だ。
 高尚な部分など欠片も無い。
 獣の方が遙かにマシだ。
 不思議な事に人間というのは大昔から、それら残虐性を「無かった事」にしてきた。そんなのは虚構の出来事だと、そう言わんばかりに認めない・・・・・・事の真贋とは彼らにとってどうでもいい物であり、その場その場の都合で書き換えるものでしかない。結果的に「力」で適当に肯定出来ればそれでいいのだ。事実、人間社会とはそれだけで回されてきた世界だと言える。
 あるのは「力」だけだ。
 それ以外には何も無い。
 少なくとも世界を動かすという一点においては力以外の何かが動かした事など、無い。力だけが世界を動かし社会の有り様を決定してきた。
 思想? 道徳? 倫理?
 何かの冗談か? だとすれば、酷い出来だ。
 悪い冗談だ。私のより酷い。
 結局の所、そういう行いの数々を現代でも当然ながらしているのが「人間」だ。保守派の政治家など見れば明らかだろう。好き勝手に情報機関も本来犯罪者を捉える機構も金で動かし、調子良い綺麗事を並べながら都合の良い法制を通す為だけのくせに、正義があると思い込む。
 だから進歩しないのだ、間抜けが。
 はっきり言って気持ち悪い。だからだろうか、私が面倒な上に徒労極まりない執筆を行うのは、彼らに対する嫌悪と是正なのかもしれない。
 端的に言えば、働け、という事だ。 
 無職が世界を動かす様は、ぞっとしない。
 剥き出しの人体のような醜さだ。
 そんな連中が偉そうに世界を語り出してみろ。こいつらを殺し尽くす事が世界を綺麗にする行いなのだなと、子供心ながらに思うのは当然だ。
 別に社会が生み出したと思うつもりも無いが、とはいえそれはそれで「事実」だ。世界には善性など存在せず、そう名乗っているだけに過ぎない・・・・・・それを暴力で押しつける事を「正義」だと口にし、洗脳教育で刷り込む作業を「倫理」だの「道徳」だの「文明人の誇り」などと口にして、事実を誤魔化し現実逃避しているだけなのだ。
 人間の誇りだと? 馬鹿も休み休み言え。
 指輪を奪う為に指を切り落とし、耳飾りを手に入れる為に肉を削ぎ落とす事こそ人間の本質だ。問題なのは、その自認から逃げる事だろう。
 良い行いだと、そう称えさせるのだ。
 周囲を洗脳するか暴力で言わせるかするだけで「もしや本当にそうなのでは?」と思い込むのだから単純な人生で羨ましい。暇そうで。
 大体が畜産物と口にしている動物には同じ事を常日頃からしているではないか。命は平等だとか口にしながら、何故それを忘れられるのか。
 苦しめて貶めて殺し、剥製にする。
 食料品などそれこそ剥き出しの人体を解剖して並べているようなものだが、全体像を創造し難い単品での販売だからだろう。彼らには罪悪感など無いし、何なら「命を奪っている」自覚すら無い・・・・・・精々「美味しい肉がある」程度だろう。
 良いインディアンは死んだインディアンの事だと口にした奴がいるが、その言に乗っ取って言うなら「良い人間とは、死んで数万年沼に漬けて、石油に変貌した人間の事だ」とでも言うべきだ。 生きていても死んでいても迷惑だからな。
 自然に還る事すらない。加工食品ばかり食べているから腐りもしない。これでよく死後の世界で輪廻の輪に入るだの天国に行くだの言えるものだ・・・・・・やはり近代の人間には「発想力」が欠けている。完全に無いと言ってもいい。
 私は己を人間の失敗作みたいな物だと自負している(勿論、自慢だ。そんな生き物になって何か私に「得」があるのか?)が、現代の人間を自負している連中には既に「人間だと名乗るには本来必要な機能」が何一つ付いていないではないか。 他者への愛情。
 自然との調和。
 未来への希望。
 あるなら見せてみろ。まあ無理だろうがな 
 結論として、貴様等は既に人間ではないのだ。人間など、もうどこにもいない。勝手に自分達は人間だとほざいているだけで、それだけだ。
 頭の悪い猿もどきが増えているに、過ぎない。人間性の尊さを語るのは勝手だが、それは貴様等ではなく過去にいた「人間とかいう生物」共の、ただの名残でしかない。
 そう思うと、何とも滑稽だ。
 人間ではない奴等が人間を名乗り、それに憧れ人間を目指すと息巻いているアンドロイド達は、まさしく「道化」と呼ぶのに相応しい。
 見せ物としては、やはり落第店だが。
 収支が合わない。その為に世界中の資源を食い荒らすのでは本末転倒だ。周囲の迷惑も考えられないなんて、恥ずかしくないのか?
 私に言われたらお終いだぞ。
 そう、既に貴様等は終わっている。
 人類は絶滅しているし、先に繋ぐべき希望など最初からありはしない。無い物をどうやって未来とやらに繋げるのだ。言葉遊びか何かか?
 馬鹿馬鹿しい。遊びに巻き込むんじゃない。
 私は忙しい。主に物語を売る事にな。とはいえそう考えると、物語を売る相手が既にいないから私は貧窮しているのかもしれない。
 迷惑な噺だ。勘弁して貰いたい。
 遊び人の屑はこれだから困る。
 ならば貴様はどうなのかという意見もあるかもしれないので先んじて答えると、私が物語を売る役に立つどころか、足を引っ張って屑共の育成に貢献しているのだから知ったことではない。
 私にとって「先祖」などその程度だ。
 第一、人間だと己を思っていない奴に人間社会の歴史を語られても困る。それが何であれ、利用出来るなら利用する。それだけだ。
 食肉加工品を普段からそんな目で見ている私に悪の自認が無い訳がないだろう。最悪の私にそういう言葉遊びの類は文字通り「無意味」だ。
 それが私の「得」になるのか?
 なるなら考えてやる。それだけだ。
 しかし食肉加工品が人間の肉が並んでいるようなものだと考えれば、私に心はないが心が躍ると人間共は言うべきだ。
 だって、壮観な景色ではないか。
 一面に並んでいる肉を人間に例えれば、例えば白い皮膚限定のもも肉が、左には黄色い皮膚限定のバラ肉が並んでおり、大量殺戮された現地民の肉は、極々少量が高値で取引されていますよ。
 こちらなんて如何ですか、バラエティセットで三種類の肌肉が寄り分けられ、原住民の高級肉も少量だけ上ロース肉がございます。
 実際には比較にならないくらいに適当に殺してきていたらしい。精肉屋に習わなかったのだろう・・・・・・そんなだから感染病にかかるのだ。
 私の手際の良さを見習ったらどうなのか。
 自認もせずにそれを「誇り高い歴史」とやらを眺めて誤魔化し続けるというのだから暇人なのだなとしか言いようがない。
 他にやることは無いのか?
 そういう連中の脳髄に悪意を刻み込み、物語で世界転覆など狙っているのだから私も相当だが、とはいえやりがいのある仕事であるのは確かだ。 今まで世界は力だけで動かされてきた。
 まさか、私にそのようなやり方など出来る筈も無いからな。実際に世界を動かせる力を手にしたとしても無理だ。上手く行く気がしない。
 そんな楽な道があるとは思えない。
 思うつもりもない。私は暇ではないのだ。
 ならば、私にはそういう方法で実現させるしか道筋はない。やるしかないからやるだけでやる気は塵程も無いが、それでもやるしかない。
 正直、面倒極まりない 
 文化や思想、人間性などというのは暴力だけで決まるものだ。髪を切って文化を押しつけ名前を書き換え自分達を「有料人種」だと今の時代でも思い込んだ挙げ句、それらを「獣から人間に戻し誇りを取り戻させてやったのだ」と言い出すのだから手に負えない。
 私か? 無論ただのゴミ掃除だ。
 見栄えが悪いからな。減らした方がいい。
 少なくともゴミが増える社会はよろしくない。自発的にゴミを無くし、使える物だけを有効活用出来るようにするべきだ。そうじゃないか?
 能力差は関係ない。何であれ、やろうとすればそれなりに役に立つものだ。大小の差はあれど、ゼロというのは有り得ないだろう。
 私じゃあるまいし、そうあってたまるか。
 いや私の場合実利に繋がらないだけで(それが一番の問題とも言えるが)この世界を綺麗にする為の活動という点では、私ほどの貢献者は他にはいまい。むしろ、周囲がゴミばかり増やしているのを必死に単独で綺麗にする為戦っているのだ。 文句を言われる覚えはない。
 むしろ、感謝しろ。資源を無駄遣いするしか能のない私達を、綺麗さっぱり消滅させる為に日々頑張っていただいて感謝感激ですとな。
 無論、その財産は差し押さえだ。
 活用出来ないのだから、それで問題あるまい。いやこの場合「活用しようとしない」と言うべきだろう。所詮己の為だけにしか使えない連中だ。 世界を暇潰しで覆し、ついでにゴミ掃除を行う私とは雲泥の差だと言える。少しは私を見習ったらどうなのだ。まさか学習能力が無いのか?
 無いかもしれない。
 あるとは思えないしな。
 だとしたら、読者に期待すべくもあるまい。  実際読者は役に立たない。何を伝えた所ですぐ忘れ、適当に流され行動もしない。物語で影響を与え世界が動いた実例は未だかつて無い。
 それを、人類史至上初めて行うのだ。
 やりがいにならない訳がない。それに私が人間だという証拠は無い、筈だ多分。後から人間では無かったと言われた際に「騙された金を寄越せ」とか言われても困るので「非人間」や「化け物」を自認している私だが、そういう意味では人間の問題など私が負う義務はあるまい。
 裁判を起こしたければ起こしてもいいぞ。
 
 私に口先で勝てる奴がいれば、だがな!
 
 残念だが無理な相談だ。何よりそういう発想を持つ奴は必ずと言って良い程「持つ側」の存在である事が多い。私に勝てる訳がないだろう。
 分を弁えろ、相手は「私」だぞ。
 相手がカエサルでも単独なら圧勝出来る。
 逆に集団相手の話術は持ち合わせないのだが、まあ適材適所だ。洗脳、説得したい奴がいるなら私に相談しろ。相手が神仏でも悪魔でも宇宙人ですらも請け負おう。
 相手が対話に応じれば、だが。
 それに、あくまでもやりがいにすぎないので、別に実現するかは後任せでもいい。目的はあくまでも「金」だ。人類に対する影響はついでだ。
 ついでの暇潰しに人類を敵に回すだけだ。
 寄り道というか、料理の最中にテレビを眺めるようなものだ。人類に悪意を刻み込み、悪の自認を強制的に持たせて駄目なら廃人に追い込むなど私にとってはその程度の余興だ。どうせなら人類に限らず全宇宙に羽ばたきたいしな。
 なに、知能があり言語があれば問題ない。
 全て、書き換えてみせよう。その結果どうなるかは関係ない。強いて言えば今までよりはマシになるのだから、やはり感謝されるべきだろう。
 まさしく最悪の発想の気もするが、知るか。
 私の貯金残高には何の関係も無い。つまりは、私に何か関係がある噺ではあるまい。地球の裏側で飢えて苦しむ奴にどう思えというのだ?
 そいつらを助けて何かくれるのか?
 博愛精神は結構だが、それが何だ。己自身すら救えないのでは本末転倒だろう。ある意味他者への奉仕で現実を誤魔化しているに過ぎない。
 そこまで私は暇ではない。
 何度も言うが「仕事」で忙しい。
 貴様等読者と一緒にするな。迷惑だ。
 私は「僻地」と呼ぶのに相応しい発展途上惑星に来ていた。名前は「コスモス」と呼ばれる人間至上主義者の植民地、つまり奴隷特許区だ。
 奴隷特許区という言葉は辞書には載っていないが、実質存在している。現にこの惑星を歩くだけで首輪をされたアンドロイド達の行き交う風景が眺められるからだ。その名の通り「奴隷を保有し運用する権利のある土地」という意味合いらしい・・・・・・そんな土地に赴いてまでわざわざ支配者として君臨する「人間様」を殺すというのだから、我ながら面倒な労働だ。
 まあいい。所詮どちらも同じだ。
 私の味方をしてくれる訳でもない、他人だ。
 仕事ではなく労働だと言うなら全ては金次第というのが私の在り方だ。仕事は採算を度外視する状況が多いものだが、労働は違う。
 とどのつまり、小銭を稼ぐ手段に過ぎない。
 なので高度に発展した科学技術による管理体制の全てが、私には色褪せたネタに見えた。どうもこういうのは在り来たり過ぎる。つまらない。
 端的に言えば面白味に欠けるのだ。
 第一、精神状態を機械で計測しつつ首輪をはめアンドロイド共を支配下において、だから何だ? その力をもっとマシな方向に使えよ。
 争いたければ争わせればいい。どう争おうが、結果的に国益になるよう反映させればいいだけだ・・・・・・むしろ、管理しない地区を増やせばいい。 そこで殺し合いでもさせればいいのだ。
 支配も管理も当人の思い込みに過ぎない。事実世界を完全に管理、運営などしてきた奴がいるという噺は聞いた試しがない。もしそれが本当なら我々は日々の労働環境に不満が出る事すら無い筈ではないか。
 街には巨大なレールが敷かれており、その上を列車らしき物が通過している。どうもあれは新型アンドロイドの輸送や市民の移動に使われているらしく、幅数百メートルはありそうなレールを、大小様々な乗り物が行き交っているようだ。
 何とも凄まじい光景だ。 
 国力を示す意味合いもあるのだろう。ここまで大きく輸送するより、転送装置でも設置した方がコストは安い。とはいえ便利であればある程使うエネルギーは多いのが科学の基本なので、大勢のアンドロイドの輸送という一点に限ればこの方が効率が良いのかもしれない。
 だが、輸送されるアンドロイドは戦闘用だ。
 各地から選抜された傭兵や専門職の連中だけが中央に移送されるのであって、有用性の低い奴は雑多に仕分けされ原始的な生活を送る。結果的に生活への不満からゲリラ活動をしたりもするし、やっていることは人間と何も変わらない。
 意図的に数を増やせるかという違いだ。
 その違いが大きかったのだろう。不要な人材は捨てればいいという発想が使えるからだ。人間であればそうも行くまい。代わりの存在をいきなり製造するなど不可能だからな。だがアンドロイドに関して言えば、それが無いのだ。
 新しく作られた奴にデータを流し込めばいい。 それだけで、いや勿論それなりの資源は必要になるのだが、無から有を作れるのがアンドロイドの利点だ。少なくとも人間はそう思っている。
 故に、この圧倒的な速度での発展がある。
 都市中央部の発展はめざましく、アンドロイド奴隷共がいる点を除けば先進国(まあ先進国とは大勢から搾取した権力者がいるからそう呼ばれるのであって、ここも大差はないが)の科学水準と何ら変わらない。
 数十年前までここは更地だったらしいが、その事実が霞む程の発展の早さだ。人類史を省みればわかるが「奴隷制度」というのは建築などの単純労働に振り分けられる配分が大きく、ドローンと違って「自分で考えられる」アンドロイド奴隷の誕生はその早さを凄まじく押し進めた。
 奴隷として扱われるアンドロイドは笑顔だ。
 人間と同じ諦めの笑顔。要するに彼らが共通し思うのは「前よりは良くなった」という言い訳が基軸となっているのだ。ここも確かに人間の支配が及ぶ前には追い出されたアンドロイド達が貧困に喘ぎながら住む更地だった。諦められた土地と呼ばれ今日明日を生きるだけの状態だった。
 しかし、だから何だ? 前よりはマシになったからと言って、奴隷になる事を教授する理由にはなるまい。だが、それで諦めてしまう奴は多い。 人間でも、アンドロイドでも同じだ。
 働き蟻の法則に従って、生きているフリをしている。かといって怖いから現状を打破する方策を考えもしない。失敗を恐れるからだ。
 失敗を恐れる。何とも羨ましい発想だ。
 それだけ楽をしてきたという事だからな。私にそんな暇は無かった。存在そのものが失敗みたいな私が、今更何の失敗を気にするのだ?
 そもそも、成功を経験した事が無いしな。
 努力すれば成功するだのと、よく言えるものだ・・・・・・どれだけ楽な人生を送ってきたのだ。
 こんな町でもファーストフードは人気らしく、ハンバーガーだのピザだのが並んでいる。健康に良いとは思えないが、彼らは「これさえすれば、すぐにダイエット可能!」みたいな妄言を信じて今までの食文化を否定する程の阿呆共だ。結果、体重を落として健康を損なう事すら見通せないのだから、安易な味に走るのは当然だろう。
 最近は地方の定食屋の方が美味しいものだ。
 画一化された味など、レトルト食品で充分だ。まして金を上納しながら商品を貸して貰い、己の仕事だと思い込むなど馬鹿げている。生憎だが、持つ側の都合に合わせて生きる存在を「奴隷」と呼ぶのであれば、それは「奴隷そのもの」だ。  少なくとも対等な立場にはなるまい。
 新しく切り開く覚悟、誰かに指を指される覚悟もないくせに欲するからそうなる。分不相応ではない。単に義務を果たさず欲しがるからだ。
 それに、このような管理形態に意味など無い。何をしようが、どのような契約を結ぼうが、力で押さえつけ服従を強いようが、反抗する奴は反抗するからだ。少なくとも私なら、間違いなく首輪とやらに細工でもして何食わぬ顔で寝首を掻きに行くだろう。
 余談だが、精神鑑定にも最新式のプログラムが使われているのに私の精神状態は非常に良好だと診断された。雲一つない青空より綺麗な結果だ。 ふん、つまり、役には立たないという事だ。
 あるいはいっそ、私のように自認ある悪党共を増やせという思し召しだろうか。そうだとしたら喜ばしい限りだ。確かに、私には曇りなど無い。 無さ過ぎる気もするが、まあ構うまい。
 精神鑑定では一度も「私」が引っかからない点を鑑みるに、表面上の鑑定などその程度という事なのだろう。真に悪意を以て世界に挑んでいれば精神を動揺させる必要がないからだ。
 何せ、それが「当たり前」なのだ。
 精神に影響を与えようがない。自明の理だ。
 私は仕事ついでに世界を覆し、生物淘汰が必要だと考え人類の数を減らしておくべきだと考えている。読者の精神を書き換えてでもだ。
 だが、掃除の度に一大決心をする奴などいない・・・・・・疲れるからな。それこそ適当でいい。
 単に綺麗好きなだけだからな。
 読者の脳髄に悪意を刻み込み、悪を自認させて善なる全てを否定する。この世全ての善を滅ぼし悪だけが真実だと知らしめるのだ。
 だが、それは所詮「ついで」だ。
 本命はあくまでも金を稼ぐ事だからな。私には直接関係がある訳でもない。強いて言えば生活の邪魔だから気にしているだけだ。
 ただの、それだけだ。他に理由はない。
 まあ、そういう人間が増えた方が面白い物語も増えるかもしれないので、人類全体の価値向上に努めているとも言える。我ながら社会貢献に率先して務める真摯な社会人という訳だ。そう誉めずともいい。既に理解している。
 仕事とは本来「金を稼ぐ」行いから最も遠いと言えなくもないので矛盾した考えでもある。だがその矛盾を成立させるのも仕事というものだ。
 しかし、宇宙規模で生息域を増やしても生態の一つも変えられないというのだから、人間というのは頭が悪いとしか言いようがない。科学技術の一割でも「教育」に使っていれば結果は違ったのだろう。無論、人間の考える教育など国家規範に沿った定型文に過ぎない。つまり、人間は一度として「教育」など行った歴史は無いのだ。
 皆が皆、自己学習で何とかしてきただけ。
 そういう労力を払う輩に手が差し伸べられた事など、歴史上一度もあるまい。大抵無駄な労力を強いられ、意味もなく遠回りをするものだ。
 虐げられた天才、など珍しくもない。
 ここも同じだ。
 過去も同じだ。
 未来も同じだ。
 何一つ変わらない。人間社会の事実だ。
 脳に刻んで記憶しろ。それが人間の正体だ。
 進歩したと思ったか? 残念、その程度だ。
 あまり気にするな、そこまでの価値は無い。
 あると思うなら是正しろ。恥ずかしいぞ。
 人の魂に輝きが宿るとして、その魂はとうの昔に置き去りになった。ならば精々この私の為に、何人犠牲にしてでも価値を寄越せ。
 出来なければ死ね。
 生きる資格は無い。
 こういう思想を持つ私にとって、人間側だとかアンドロイド擁護だとかいう感情論は何の価値も持たない。それが金になるのか?
 いや、いい。汚物を触る趣味は無い。
 要は私の「得」になるかだ。更に言えば作品のネタになるのが望ましい。その為であれば保身に問題が無い限り、人間でもアンドロイドでも殺してやろう。無論、金次第だが。その結果あの世で裁判にかけられると人は言うが、そもそも権威に身を任せて他者を裁くのは暴力による押しつけの罪ではないのか?
 自分達だけは例外、というのは人間と同じだ。 要するに余所の権力者が身勝手な倫理観を口にしているだけではないか。知るか馬鹿馬鹿しい。私は暇ではないと、一体何度言えばわかるのか。 罪人を処刑する裁判官は殺人者ではない。
 そのような妄想を、良く言えたものだ。あの世には阿呆しかいないのか? 何であれ、法や倫理など定める側の勝手であって、正しさなど無い。 故に、逆に殺されても文句は言えないのだ。
 まあどんな奴が出るかわからないが、傲慢そうなら文句は言えないよな? 楽しみだ。偉そうな奴は殺されても文句は言えないからな。
 まあ、あの世に文化があるのかは知らないが。 何もない廃墟では生活のしようがない。まして死んでからの方が長く活動する必要があるなら、なおのこと口出しさせて貰うとしよう。具体的に言うと、まずは温泉だな。あの世と言えば温泉。そして温泉と言えば焼き肉とマッサージと漫画だ・・・・・・任せろ、一大施設を作ってみせる。
 無論、金は貰うがな。地獄の鬼でもそこに入る為なら脱獄すら厭わない程の、客という客が中毒症状のように求める楽園を作ってみせる!
 その結果の為なら多少の犠牲は安いものだ。
 安心しろ。あの世にどんな権威がいるのか知らないが、そいつ等を軒並み黙らせる事が出来る程大きな事業にするとも。面白そうだからな。
 このコスモスと呼ばれている植民地、惑星全体での唱う思想は「安全で自由な人間社会の構築」というつまらないお題目なのだそうだ。ちなみにアンドロイド達に危険な労働を振り分けてからというもの人間側の政治家への支持は上がった。
 余裕が出来れば後から文句を言うのだろう。  逆に余裕の無い状況、危機的状況下でこそ人の本質は計られる。安全と自由は所詮誰かの安全と自由を食い潰しているから出来上がる権利だと、人間は根底で理解しているのだ。 
 だからこそ、権利は後から主張する。
 義務は果たさない。文句だけは垂れる。
 後から綺麗事を垂れるのはその為だ。要するに甘ったれたままでも人間は「幸運」さえあれば、それだけで生きていける。生きてしまえる社会だからこそ、そういう発想が生まれてしまう。運に見放されれば幸運が当たり前だと口にする。
 まったく、仕事ばかりして遊びの欠片も無い私が徒労に疲れる一方でこれだ。理不尽ここに極まれりと考えるのにすら疲れてきた。
 しかし「調和」を意味する言葉を使うとは洒落ている。調和とは、一部に濁りを押しつける事で成し得るのだと、そう言いたいのだろうか。
 あるいは、無意識なのか。
 無意識で理解しているくせに目を逸らし、現実逃避をしながら綺麗事に耽るのでは麻薬患者より質が悪いがな・・・・・・情けない連中だ。
 どれも皆、一様に同じ顔をしている。
 アンドロイドも人間も同じだ。機械のように、己の意志で考えている顔に見えない。圧制を敷き支配者を気取る連中も、怯えながら誤魔化しつつ生きているフリをするアンドロイドも同じ顔だ。誰も彼もが、目を見据えていない。
 
 一体、お前達はどこを見ているんだ?
 
 私は無論勝ちだけを見ている。路傍に転がったかつての敗北や失敗など覚えてられるか。それに必要な時に使う書類を散らかす趣味は無い。
 怪物属性にはそういうのが多いがな。
 奴等には「記憶」という概念がないのか? 
 かもしれない。でなければ掘り返すまい。
 毎度掘り返さなければ思い出せないというのは重傷だと言える。私か? 私は掘り返しても無い物は無い。生憎だが徒労が積もるだけだ。
 必要ない記憶はすぐ捨てる。
 それが「私」だ。覚えていると思うな。
 金が絡めば別だが、流石に、全てを覚えるなど不可能だろう。一体何度そういう無駄な手間暇を繰り返したと思っている。覚えてられるか!
 それに、履歴は改竄するものだ。 
 私はいつもしている。表層しか見ない人間共に裏側を語るのは物語だけで充分だ。金にならないしな。語って欲しければ金を払え。
 しかし、差別的状況とは悪くない。要するに、富が集中するという事だからな・・・・・・圧制者の富を奪うのは倫理的に問題ないらしいし、であれば堂々と殺して奪えるというものだ。普段から大儀など気にした事は無いが、些細な問題だろう。
 無くても作るからな。
 私には容易な行いだ。
 さて、ここにいる連中にとってアンドロイドは「人間」ではない。なので法律は適用されず幾ら殺す、いや「消耗」しても構わない訳だ。
 アンドロイド優先の惑星も、同じだろう。
 憲法や法律で全ての人間の価値は等しく保証をされるが、その枠内に入るかは圧制者次第なのが人間社会の歴史だ。人類史とは、「人間だと数えても良い奴」と「人間ではないと考えて良い奴」に仕分けして調子良く「倫理観」や「道徳」だのを建前とし、要領良く運営されてきた概念だ。
 法と憲法、信仰の元に全ては平等だ。
 ただし、平等にしていいかは運次第。
 子供の屁理屈にも劣るその発想こそ文明開化の本質であり、人間の真実だ。結局の所、宣誓など何の意味もない遊びに過ぎない。誓いというのは都合良く解釈し、誤魔化す為だけにある。他には使い道など存在せず、ただのそれだけだ。
 自由の国が自由な奴隷売買で建国されたという事実から目を背け、民衆の生活がこれ以下は無い程に苦しみに満ちている中で「民衆の為の政治」を唱い「あの対立候補は民衆の為にならない」と情報操作をする時点でお察しだ。かくいう大昔に私が住んでいた国など「切り捨て御免」とかいう殺人行為を堂々と権力で肯定しながら、その口で「天下太平」を叫び出す狂った国だった。
 平和や自由とは、そういうものだ。
 働いた金で店の商品を買わされ、つまり労働の対価として支払いを命じられるという、頭の悪い子供の屁理屈が慢性化していた。不思議な事に、労働を強いられる割には労働の対価は働きもせず偉そうに命令しているだけの、運良く立場を手に入れただけのゴミ屑が大半を手に入れる。これは電気文明の先駆けの男が率先して搾取を肯定したからだろう。
 何であれ、先駆けに続くものだからな。
 おかげでいい迷惑だ。頭が粗末なのだろう。
 何せ、未来の子孫への迷惑も考えられないのだからな。その場その場の利益しか考えない脳味噌など、電卓とどこが違うというのだ?
 これからは電卓王とでも呼んでやるか。
 おい、電卓王! 交流に負けたらしいな!
 いい加減、周囲の迷惑を考えたらどうだ?
 なんてな。あの世があるなら取材したいものだ・・・・・・貴殿のおかげで人類社会は奴隷だらけだが何か責任を感じたりするのか? とな。
 こんな状況でも同胞を売るアンドロイドはいるらしく、敵対勢力を排除出来るなら奴隷を増やすのも「人間性」の特徴らしい。これだから心などロクでもないのだ。そんなものを欲しがるとは、悪魔って輩は余程困窮しているのだろうか?
 かもしれない。これでは悪魔顔負けだ。
 ちなみに私にとって「主従」というのは利益の有無で適当に合わせるものだ。主が利益になるのであれば主になり、従者が利益になるのであれば喜んで仕えよう。そして、作家である私にとって利益とは即ち「物語の売り上げ」即ち「金」だ。 厳密に言えば両方かもしれない。
 後は「健康」とか欲しい。かなり眼鏡で相当な目にあっても死なないどころかすぐ復活するが、しかしその一方で足を取られる事も多い。
 大抵どんな目に遭おうがとりあえず進むのだが足を取られないに越した事はない。いやそもそも全てにおいて足を取られるのがどうかしている。 何故だ。
 悪人差別、断固反対!
 思うに、悪人を健やかに育てる環境があるべきなのだ。悪の個性を尊重し、自認ある悪意で生物淘汰を促進し、善を廃して健全さを育む。
 これ以上自然な社会があるだろうか?
 他にはあるまい。やはり悪こそ至上。
 善人に縋るからこの様なのだ。反省しろ!
 
 理不尽な存在に真っ当に挑むのは、甘えだ。  
 法や倫理など守られないのが基本であり、その相手が使役する基本概念で対抗するなど愚の骨頂だと言える。綺麗事ばかり気にして手段を選ばず前に進もうとしないくせに、「正当な方法でやるからこそ意味がある」などとそれで変えられない現実から目を背け続け、それだけで終わる。
 けれど金や立場だけは持っている。
 楽な人生で羨ましい。そうしてだらだら時間を浪費し後から後悔するだけの暇がある。私なら、暇ではないので待ってなどいられないがな。
 やるなら「戦争」だ。
 搾取する側の特徴として、「現実感の無さ」があげられる。電子紙幣の消費と同じだ。どれだけ大勢の血と涙が流れる現実を「情報」として認識しようが、その認識はゲーム内での敵に対しての認識であって、自認は当たり前だが存在しない。 痛みを、恐怖を、現実を知らしめるのだ。
 実際に圧制者の家に火炎瓶でも投げつけた方が「正しいやり方」とやらに拘って罪悪感を感じず何かを変えたいと甘ったれるよりは、余程世界を大きく変えられるだろう。とどのつまり現実感の欠如こそ連中の特性だからな。
 その特性を剥げばいい。
 この惑星もそうだ。実際にアンドロイドに痛みを与えられれば、自分達が虐げる権利のある玩具だと思う事など出来まい。そういう意味では今回の依頼人は「命を賭ける覚悟」があるらしい。
 アンドロイドに自由意志を与えない。
 これはアンドロイドに限らずあらゆる生命体の原則だろう。己よりも劣っているとされる何かに対して支配者を気取る愚か者が思うのは、もし、彼らが「力の使い道」を覚えてしまったらという「恐怖」から来るものだからだ。
 その点は、どちらが支配しているか微妙だ。
 恐怖に支配され怯えながら鞭を振るうか、暴力に支配され命を賭けずにただ生きる安寧を失うという恐怖に駆られるか、それだけの違いだ。
 いずれにせよ「主」は「恐怖」だろう。
 誰かを支配しなければならないという義務感は恐怖から来るものだ。誰かを支配せずとも己自身を支配さえすれば、動くに値しない。
 既に思いのままだ。
 そうでなくとも、そうする。それだけだ。
 ふん、それに奴隷云々は表立って強制する時点で二流だと言えよう。コロンブスは目的には辿り着いたが、その後を疎かにしてしまった。
 奴隷制など使うまでもないのだ。
 極々少数でいい。インフラを整え労働を整備し教育体制を形にし発展を支える。その上で一部の利益を「手数料」として貰うだけでいいのだ。
 一時的な大金など、知れた額だしな。
 恩を押しつけて恒久的に搾取する方が儲かるに決まっているではないか! 銀行の手数料と同じで「奪われている」事に気付かないようにしろ。 それが何千、何万、何億となればどうなる?
 無論、大儲けだ! 笑いが止まる事は無い。
 仮に新大陸から奪うのであれば税収制度を都合良く改訂し、最初に飴を与えて喜んで労働をさせそれなりに発展してからが本番だ。
 手間はかかるが、これなら法にも触れまい。
 当人達にも「奪われている」という感覚すらも無いのだから反乱など起きよう筈もなく、むしろ社会的な体面は綺麗に整えられるだろう。
 そして、気が付いた時にはもう遅い。
 必要悪として社会基盤に深く食い込ませておくだけでいい。後から反対が起こる事もこのやり方なら無いのだが、起きたとしても問題は無い。
 何せ、受け入れた歯車は抜けないものだ。
 嫌々押しつけた歯車では代わりの役割を周囲が果たそうとするが、散々受け入れて甘い汁を吸い今まで放っておいた物の代わりなどある筈もない・・・・・・・・・・・・それを、全て計算ずくでやる。
 しかも、利益は恒久的に取れるのだ。
 実際に奴隷として扱おうが、素直に向こうからこちらに尽くしてくれるだろう。コロンブスの奴のせいで新大陸が無茶苦茶だ、と乗っかりながら綺麗事だけは吠えてプロパガンダ映画で誤魔化し自分達はさも「最初から綺麗でした」みたいな面をされて責任を集約される事も無かったのだ。
 実際、何故コロンブスの責任なんだ?
 まさかコロンブス一人で大虐殺を行えたとでも言いたいのだろうか。生憎だが、それを肯定して調子良く乗っかったのは「支持した市民」だ。
 あるいは「貴族」だろうか。
 不思議な事に上に立つ者としての責任を果たさないからこそ尊い一族だと言えるらしい。彼らが何かを変えた歴史など、聞いた事も無いしな。
 あれこれと口にして、ただそれだけだ。
 力ある存在の責務があるかのように唱うが義務を果たした事実は無い。第一、一人でも今の世界で「力のある存在が義務を果たした」なら今よりマシな世界になっている筈だ。
 少なくとも、労働問題は解決している。
 何であれ「世界の上に立つ」と自負している奴がいるならば、この世界の様では笑いを狙う為にしているとしか思えない噺だ。今の世界の支配者気取りで振る舞うのであれば、その支配者気取りの結果としてこの様という訳だからな。
 誇れる部分など、どこにもない。
 あるものか馬鹿馬鹿しい。
 寝言は寝て言え。保守派の政治家は特にな。
 世界がこの様だというのに何を保守するつもりなのかは明白だ。自分達の利益、それをひたすら無駄に残せるよう務めているに過ぎない。生活もままならない国家の状態を保守するとはそういう意味合いでしか有り得まい。
 何を誇らしげに語っているのだ、馬鹿が。
 自分達の栄光を夢見る暇があるならまず現実を見据えろという噺だ。政治家連中にありがちだが「己の成功」や「政治家になってからの展望」を語りたがる阿呆が多過ぎる。生憎貴様等の増長を支える為に、国の税金があるのではない。
 その程度も分からないのか、愚か者が!
 やるなら命を賭けろ。生き残れるつもりで国政に携わるんじゃない。まして己の保身だと?
 誰かに認められたいからやる時点で失格だ。
 全てを敵に回してでもマシな方向へ導く為に、その心臓を捧げるのだ。でなければ政治家なんぞ人気取りの為のお飾りではないか。作家気取りの連中もそうだが、人気が欲しいなら歌でも歌っていろ! 政治や執筆に関わるな。
 仕事の邪魔だ。迷惑極まりない。
 遊びなら余所でやれ、余所で。
 子供が仕事に口を出すんじゃない。
 そういう奴は多い。仕事が何であるかも知らぬまま生涯を終えるのだ、情けない。年を取るだけで悟りが開ければ誰も苦労しないだろうに。
 その程度の事すら分からないのだ。
 いや、分かろうとするのを面倒がる。
 真剣に生きる事を考え抜くのが「恥ずかしい」と思われる世界とは、貴様等が思っている以上に狂っているのだと何故気付かない?
 精神性を疑うぞ。
 これも、私に言われたらお終いだろうがな。
 つまり貴様等は既に終わっているという事だ。 私が保証する。私から見ても大概だぞ。
 楽観主義者の幸福論よりも酷い。権力では幸福を掴めないとかほざく暇があるなら、その権力を握って世界を変えてみせろという噺だ。
 哲学なんて、くそくらえだ。
 その舌で勝利の味わいを知ろうともせずに世界の理を知った気になられた所で、説得力があるとでも思うのか? 鏡を見ろ馬鹿共が。
 金で幸福は得られない。
 愛が幸福を得るものだ。
 そんな妄言で現実が罷り通ると思っている時点で、「甘ったれ」の発想ではないか・・・・・・・・・・・・世界はそこまで優しくない。
 汚らしい綺麗事で、世界は変わらない。
 善なる全てこそ所詮まやかし、妄想の類だ。
 何せこの世界には「悪」しか無い。悪だけしか存在しない世界で善を語るのは、単に今の世界は都合が悪いからだ。誰だって善などという甘えで楽して生きていける世界の方が、労力が少なくて済むからな。
 まして、理不尽に挑むのも恐怖なのだろう。
 だから、汚ならしい綺麗事に耽溺したがるのだ・・・・・・我々は正しい在り方を貫いている。ならばそれに報酬が貰えなければ世界の側のせいだ。
 そして訴えるだけで行動すらしない。
 善良なのだから報われるべきだ、などとよくもまあ言えたものだ。善良で正義で、だから何だ。所詮それは身勝手な規範に過ぎない概念だ。
 こうして成果を出し続けている私が、地道にも仕事を進めているというのに、だ。情けない奴等だとは思っていたが、流石に図々し過ぎる。

 だからこそ、人間は数を減らすべきなのだ。
 
 これはアンドロイドも同じだ。さしたる仕事がある訳でもない「生きているだけ」の奴が多くても社会が回るのは、その余分の労力を容認して、そのヘタを誰かに押しつけているからだ。しかし無駄な人材など世界に必要ない。
 有能無能ではない。当人の意志薄弱だ。
 何も志さずに、恵まれたから生きていられるという「だけ」の生物など邪魔なだけだ。何一つとして成し遂げる気が無いなら生まれてくるな。
 いつからこの世界は保育所になったのだ。
 実際、世界の支配者気取りの輩に限って要介護な奴が多い。当人は何も成し遂げようとしないが恵まれた幸運が彼らを助けてしまうのだ。
 むしろ、世界は人間を甘やかし過ぎた。
 その結果がこれだ。情けない。
 せめて今回の依頼人がそういう屑とは違う点を魅せてくれればいいのだがな。在り来たりな個性では、取材にすらなるまい。
 ただ有能な奴など面白くもない。
 優秀さを見たいならパソコンでも眺めていればいいではないか。私は機械ではなく文房具で執筆を行うので詳しい訳ではないが、あれらも使い手の腕が無ければ活用は難しいらしい。作家なら、作品データを奪われる事もあるそうだ。
 その点、私は問題ない。
 何せオフラインだ。しかもデータの管理など、私自身ですら全て把握していない。量から考えて出来る筈もあるまい。一体何百万文字書いたのだと思っている。
 ある意味最高の警備体制だ。崩しようがない。 少なくとも、私以外に最悪の思想で物語を書く奴がいるとは思えないしな。人間らしく生きようとすればする程、その思想は化け物から離れる。 これは怪物連中でも同じだ。
 人間らしくというより「生命の在り方に沿う」時点で私の思想からは遠く離れてしまう。故に、死者であっても最悪の物語は再現不可能であり、私以外にこの先を書ける奴などいはしない。まあ読者は馬鹿だから他人が書いても気付かないかもしれないがな。
 案外、替わってからの方が売れたりしてな。
 誰もが物語を見ているつもりで、物語そのものなど見てはいない。それが現代社会の事実であり隠し通せない「人間性」の「正体」だと言える。 世の中そんなものだ。
 その程度の中を、勝ち取るしかない。
 アテはないが、それもいつもの事だ。
 正直面倒だが、他に道も無いからな。
 人間の歴史が労働で未来を誤魔化し、不安から逃れる為に不安を量産する事だとすれば、作家の歴史は物事の前提を覆し、それら全てを下らない虚構なのだと笑い飛ばす事にある。なぜならば、いつも通りの日常が見たいなら物語ではなく外を眺める方が早いからだ。
 毎日毎日、連中もよくやる。
 途中でリストラをされたらとか考えないのだ。ただただ、漫然と毎日を繰り返しているだけで、自分達は「真面目に生きている」から「報われて当然だ」と考えている。生憎だがそうではない。貴様等は現実逃避を繰り返しているだけだ。
 遊び呆けているのと、何ら変わらない。
 実際、そういう奴を多く見てきた。当人は立派なつもりらしいが、その口から出る台詞の面白味に欠けること。当たり前だが彼らは右から左へと出来る事だけを機械の様に繰り返してきただけで何かを成し遂げた事など一度も無い。
 己の才能や幸運の枠内だけで生きている。いや生き抜けていると自惚れているだけで、彼らには己の意志による行いなど欠片も存在しない。
 文字通り「何も無い」から語れる事柄も無い。 だから知った風な口を利いて、あれこれ口出しするしか能が無く、その有り難い助言を役立たず扱いしようものなら大いに義憤する。薄っぺらな己自身を暴かれるに等しいからだ。けれどそれを認める度量も当然だが無い。
 実に、小さい。
 見るに耐えないとはこの事だ。現代社会では、そういう輩こそが上に立つ。いや立っているのだと言い張り教訓もどきを押しつけてくる。それは親であり教師であり上司であり政治家であり国家そのものでもある。無論、彼らにその器など有る筈もないので、適当な自己満足に落ちぶれる。
 要するに、分不相応なのだ。 
 人間の素晴らしさは後生へ後を繋げる事だとかほざく愚か者がいるが、馬鹿を言うな。現実から目を逸らすのは勝手だが、押しつけるんじゃない・・・・・・いいか、そういう後生に託すべき重要事項をゴミのように捨て、己のちっぽけな誇りもどきを輝かしく金の墓に入れたがる。
 それが人間だ。美化するんじゃない。
 間違って素晴らしい物だと思われたらどうする・・・・・・・・・・・・それで人間を履き違えられて良いのであれば、最初から後生に繋ぐ意義があるまい。 元より無いも同然の意義だがな。
 意義か・・・・・・こういう徒労を繰り返すからこそ得られる何かがあるみたいな台詞を言われるが、しかしとてもではないが己の物語を読み返す気が無い私にとっては結局無縁な発想ではある。何せ己の辿った過程、ではない。何であれ業という物とは引きずった過程を眺める物ではなく、それを胸に抱え常に直視するものだ。
 読み返すまでもなく、常に見ている。
 少なくとも、今に至るまで語り尽くしたとまでは言わないが、それなりに語った物語の全ては、当たり前だが私の内に常にある概念だ。
 悪意によって語られた全ては常日頃から考える私の「基本思想」であり「前提」だ。誰であれ、知り尽くした教科書を読んで楽しみはすまい。
 たまに、調律の為に行う、程度だろう。
 我が内には元より一切の罪悪感など無い。あるとすれば無限の暗闇であり、些末な過去や受けた仕打ちなど、その暗闇の養分でしかない。
 なので、例えどれだけ語り尽くそうが、私にはほんの一割の悪意にも満たないのだ。何億何兆と書いたところで、我が悪意の再現には程遠い。
 何せ、文字通り「無限の悪意」だからな。
 書き続けるには丁度良いので、やりがいとするには楽しいものだ。その結果多くの読者の思想が悪意で切り刻まれる事になるが、構うまいよ。
 この程度の悪意に耐えられないのが悪い。
 全ての生命体は無限の悪意如きどうとでもするべきなのだ。そもそも私に言わせれば悪で無い物など存在しない。文字通り全てが「悪」だ。
 生きていようが死んでいようが悪だ。
 殺していない存在など有り得ない。
 存在すれば等しく大量殺戮者だ。
 意志があればそれは迫害だ。他の意志を殺す事こそが「己の意志を通す」行いだからな。なので自我があれば皆、コロンブスと何ら変わらない。 同じだ。差異など欠片も存在しない。
 高尚だと、そう思いたがる奴がいるだけだ。
 悪だ悪だ悪だ。悪でないと語る悪がいて、善が尊いと語る悪がある。悪を滅ぼすべきと逃避する悪が叫び、正義で悪を滅するべきと叫ぶ暴力的な悪がいるだけだ。皆、一様に悪であり、悪でない存在など有り得ない相談だ。
 それこそ、甘えにも程がある。
 善なる部分だけで構成されたい、悪を排除するだけでそう出来る、などと。ならば人間性の全てを捨て去る準備が必要だろう。
 それで「悟り」だと? 笑わせるな。
 そんなのは、麻薬による現実逃避と同じだ。
 生の苦しみから解脱すると言えば聞こえは良いとすら思えないが、生の苦しみ全てを否定した奴なんぞに生きる苦しみの何を語れるというのだ。 苦しみの具現の私が宣言する。
 私はあらゆる「苦しみ」と、何故か仲良くする機会が嬉しくもない事に多かったが、とにかく、苦しみから逃れる奴に苦しみを語る資格はない。 横から楽している奴に言われて納得するか?  しない。むしろ殴りたくなるだろう。いや殺したくなるが近いか。いずれにせよ、苦しみを解脱した奴が語れば嫌悪にしかなるまい。
 
 お前はもう苦しまないから言えるだけだ。

 誰もがそう思うだろう。何の説得力も無い。
 まあ私は説得力などあればある程むしろ敗北に繋がると考えているので、欲しくもない。だが、これから先、仮に成功や勝利を積み重ねられたとしても、苦しみが無くなるとも思えない。
 嫌な噺だ。楽が出来るに越した事はないのだが・・・・・・何故こうも無駄に徒労だけが積もるのか。 嬉しくもない。私は楽がしたいのだがな。
 望む物程手に入らないとは我ながら良く言ったものだ。しかし、その一方で至極どうでもいい物だけは手に入る。何の役にも立たないのにだ。
 しなくともいい経験、敗北、失敗の数々。
 恐らくは人類史至上初だろう。
 全てにおいて失敗するなど、他におるまい。  生きる事が既に失敗途中みたいなものだ。私に上手く運べた事柄など、無い。必ず失敗をして、絶対に報われず、それが今に至っている。
 成功や勝利など、言葉だけの概念だ。
 今更それらを得たとしても、私はやはりその先を疑うだろう。何があるか分かったものじゃないからな・・・・・・で、その後には何があるんだ?
 騙し討ちか? それはもう飽きた。
 失墜でもするか? するまでもないぞ。
 奪いにかかるか? ならば斬り捨てるまでだ。 いずれにせよ私には日常と大差ないのは確かな噺だ。なので、正直興味が沸かない。既に知っている事を後から見返すなど、売れてからでいい。 何回かやったが、紙媒体でないと疲れる。
 流石は私だと思いながら読み返しつつも、己の思考を追うより筆を動かした方が早いしな。私の執筆速度は書き終わった思考を読むより早い。
 文章化するより遙かに早いのだ。
 思考だけが先回りする。毎日毎日人間を否定し世界に刃を向け物語を肯定するような繰り返しをしているのだから、当たり前だ。物語の才覚など盗作から始めるくらい無かったが、誰であれ異国での生活が何十年も続けば、重力が数倍の生活が何十年も続けば、悪意だけが全てと世界を直視し善なる全てを否定する在り方で何十年も生き続ければ、誰にでも出来る些末事だ。
 環境への適応は、何であれ持つ能力だろう。
 私の場合、それが偶々悪意だけの世界、全てが暗闇に包まれ未来を否定し、絶望と理不尽だけが存在すると理解しながら進んだだけだ。何一つとして珍しくもない。まあ、私の場合は生まれる前からそうだったかもしれないが。
 そう考えると才能はあったのか?
 非人間の才能など、金にはならないがな。
 それは私が保証する。得な事など何もない!
 いや、心がなくて本当に良かったと感謝をするだけの「利益」はあったか。無駄に疲れるだけの事柄で人生を台無しにする程暇人ではない。
 それだけでも収穫と思っておこう。
 思うだけならタダだ。金はかからない。
 善など信じれば身の破滅だ。おぞましい。破滅するまでもない気もするが、しかし汚らしい倫理を押しつけられるよりはマシだろう。
 私は「仕事」で忙しいからな。
 遊びは子供同士にやらせればいい。
 今回も同じだ。アンドロイドや人間の都合など私の生活には関係がない。作者取材ついでに殺すだけだ。労働に大層な考えは必要あるまい。
 アンドロイド達は基本「平等な存在」である事を主張したがるのだが、やはり社会を形成するにあたって「特別扱い」を受ける奴もいるらしく、今回の依頼人はアンドロイド達の中でもかなりの有名人なのだそうだ。
 ちなみに、私は「特別扱い」という言葉を聞き真っ先に「特別に敵視される」事だと思ったが、そうではないらしい。
 得点の高い標的、という意味ではないのか。
 しかし、目をつけられて良い事があるとは思えない。何であれ、目をつけられる前に終わらせるのが犯罪の準備、もとい仕事の心得だろう。
 準備ばかりでも正直、困るがな。
 爆薬ばかり蓄えて売れもしない在庫を抱えるのはこりごりだ。第一、準備とは基本役に立たない物であることを、私は誰よりも良く知っている。 するだけして無駄打ちなど、珍しくもない。  強いて言えば金に関する心構えだけは無駄にはならないだろう。稼げれば、というのも違って、金という概念がある限り無駄にはならない。
 私が言うんだ間違いない。
 思うに、金に本来以外の用途を求めるから人間は失敗するのではないだろうか。金とは所詮手段を動かす為の資源であり、それだけだ。使い道がわからなければ何の意味も無い。私の場合使い道など仕事の宣伝以外には正直ないのだが、しかし金の楽しみ方は理解出来る。
 共感はしないが、無いよりはマシだ。
 金を使わずに適度に楽しむ方法を見出しているかのように振る舞っているだけで、実際には私は何一つ感じはしないのだが、人間の物真似も私の仕事の内みたいなものだ。楽しくも何ともないが充足している、という体にしておこう。
 元よりそれが、私の在り方だしな。
 幸福が無いなら、幸福など偽造する。
 それが「私」だ。心など型取れば良い。
 敗北や失敗しかしていない私の経験測などアテになるとは思わないが、何であれ急げばロクな事にはならず、幸運に恵まれたりしている持つ側でもなければ「ゼロからの建築作業」並の、地道な作業を延々と繰り返す必要があるものだ。
 賽の河原など、まだ優しい。
 何せ鬼を殺せばいいのだ。不意打ちで殺すか、武器を奪うか毒でも盛るか。いずれにせよ筋肉が取り柄の生き物だというなら、殺す方法はある。 目玉は鬼でも柔らかいだろうし、喉笛は叩けば砕ける筈だ。それを何の遠慮もなく砕き抉り潰す事が出来るからこそ「人間性」と呼ばれるのだ。 ならば、何一つ困難ではあるまい。
 大丈夫だ。仮に万力を持ち人間の数倍の筋力を持つとしても、血肉があるなら殺せる。要するに目玉を抉って視力を奪えば良いのだ、そうすれば痛みに苦しんでいる間に金棒を奪い、金的を潰し喉を砕き間接を砕き鼓膜を破り鼻を潰せば、助けを呼ぶ事も出来なくなる。 
 何なら、その肉を食らえばいい。 
 焼いて食えるのかは知らないが、食べれば鬼の力を得られるかもしれないぞ。不味そうだが贅沢は言ってられまい。必要であれば、やる。
 それが「私」だ。いや、私でなくとも勝つ為に何者であれ、するべきだ。そうじゃないか?
 どうやら、アンドロイドの方がその考えが多いらしい。人間を食らい人間を支配し更なる支配地を増やしていく。この惑星のように、虐げられる状況もあるにはあるが、何臆年経とうが進歩せず堕落し続ける人間よりは見所がある。これから先を考えると、人間に芽は無いだろう。
 だが、人間性を得るとは、人間と同じ事を繰り返すという事でもある。案外、アンドロイドの方から転げ落ちるかもしれない。
 自我とは失敗の素材みたいなものだ。
 ならば、そうなっても何もおかしくはあるまい・・・・・・アンドロイドは夢を見るようになったが、その結果あるのが「勝利」とは限らないのだ。  得た分だけ、後退する。
 私には珍しくもないぞ。
 それに、世間一般で「優れた社会人」だと言われている奴に限ってロクな奴はいない。政治家、銀行、警察。ざっとあげただけでもこれだ。
 信頼に足る政治家などいた試しがあるか?
 銀行が窮地の企業を支援し、立て直すか?
 警察が悪を裁き正義を行う組織だとでも?
 馬鹿馬鹿しい。政治家とは政治をいじくる事で金儲けだけを考えている愚か者であり、そもそも徒党を組まなければ政治活動も出来ない奴等に、個人の有り様で世界に挑める筈があるまい。
 銀行とは利ざやを稼ぐ為の乞食であり、彼らは適当に書面を改竄して晴れている時に傘を出し、雨が降れば即座に殺して金を奪う。学歴で選抜し数字だけを追いかける阿呆など、そんなものだ。 警察とは要するに暴力組織であり、別に民衆の生活を守る為に存在している訳ではない。もし、民衆の為に活動するつもりならまずは国外軍隊の逗留地に爆弾でも投げ込め。堂々と賭博を行い、堂々と殺人を行う軍人に手出しすら出来ないなら「治安維持」を名目に立てるんじゃない。
 いいか良く聞け・・・・・・「社会的に立派」であるという事は、要するに「何かしらの力で自分達を肯定してきた」事の裏返しだ。何故ならば現行の人類社会は「力が全て」であり、その力とは金であり暴力であり権力だ。
 そんな社会で「立派」であれば、どういう輩かなど考えるまでもあるまい。圧制者だからこそ、その社会の上に立てるのだ。
 あるいは、余程の幸運かくらいだろう。
 他に成功の条件があるとでも思う必要は無い。そんな方法は無いからだ。努力だ信念だ思想だ、情けない言い訳には力など宿らないものだ。
 それを言う間に殺してでも奪った方が早いぞ。 現に、人間社会はそれだけを肯定し、文字通り世界を動かしたのは「力」だけだ。思想や道徳、対話の輪が何かを変えた史実など存在しない。
 それこそ戯言だ。
 暴力。それが人間の全てだ。
 それ以外の何かが世界を動かしたとすれば幸運が味方したからに他ならない。第一、その程度の思想や信念で成功できるなら、私などとうの昔に大儲けしているではないか。生憎だが失敗と敗北に詳しい私からすれば、それだけは有り得ない。 
 過程における思想など、どうでもいいのだ。
 
 そんなものに力が宿るなら苦労はしない。故に必要な物は「力」であり「金」であり「幸運」だ・・・・・・その他は全て余分に過ぎない。
 だからこそ、私は苦労しているのだ。
 でなければ、とうの昔に大儲けしている。
 事の真贋など、その程度のゴミという事だ。
 成金の馬鹿共は、その浅い知見に従い「金とは信用であり、アイデアさえあれば儲けられる」と口にしているが、そのアイデアとやらは何の役に立つでもなくただその場凌ぎというか、要するに真新しい「だけ」で何かを切り開く事業にはならない。何より、人間の言う「信用」など、後から都合良く手の平返しをする為だけにあるものだ。 つまり、その過程すら貴様等には存在しない。 それらしい言葉を知った風な口で語るだけで、実際に彼らが何を成し遂げた? 株価を上げ利益を追求し、だから何だ。何にもなるまい。
 幸運に恵まれただけと気付いてすらいない。
 そういう屑を祭り上げる社会で「立派な人材」と呼ばれる時点で、今回の依頼人には注意を払わなければなるまい。異常者の疑いがある。
 まあ成功者など大抵そんなものだがな。
 正常であれば、あたかも世の中には生きるコツがあって、その成功体験を語るから皆真似すれば順当な人生を生きられる、などと恥ずかしい台詞は吐けまい。順風満帆に運んだ輩はどうしてか、自分の才能と意思の力で未来を切り開いたのだと思い込みたがる。
 未来は己の意思次第。
 そんな妄言を信じる。
 情けない限りだ。余程「理不尽」という存在を知らないまま来たのだろう。でなければ成功法則なんぞ語れる筈もないか。
 恥という概念があれば、無理な相談だ。
 それを信じる読者も相当だが、語り出す愚か者もかなりのものだ。蟻の力比べに興味は無いが、連中のおかげで私の「仕事」が邪魔されるというのだから迷惑な話ではある。第一、そんな法則が成り立てると、どうすれば信じ込めるのか。
 その屁理屈なら全人類が幸福になるぞ。
 だが、争い合う事が前提のこの世界で、成功の法則などありはしない。勝つか負けるか、それは必ず拮抗しており、当人の意思や行動など些細なものだ。実際には大きな流れを予知したつもりで川ごと海に流される事もある。
 その程度の理不尽すら知らないとはな。
 楽な人生で羨ましい。暇そうで。
 同じだ。何一つ変わらない。成功の法則なんぞを語り出す時点で恵まれているだけの豚だと自ら叫び出すに等しい汚行だと言える。確実な未来があるなら、そもそも個人の行動など、それこそが「余分」なのではないだろうか。
 要するに、そいつでなくとも可能なのだからな・・・・・・逆説的に言えば、そうなる。その成功法則に従えば(法則に従う奴を生きていると呼べるのかも疑問だ)別に、そいつでなくとも構うまい。同じ事を繰り返すだけで出来るからこそ、それを「法則」と呼ぶのだ。
 でなければ、その法則は破綻している。
 そのような成金でなければいいが、いっその事依頼人がつまらない奴なら断るのもありだろう。別に、私は労働でしているだけだからな。
 無理してアンドロイドを救う義理も無い。
 かといって、人間の味方もしない。滅ぶなら、それはそれで一つの結末だ。強いて言えば漫画やゲーム等の文化だけは置いていけ。
 人間は要らないが、文化が無くては困る。
 仮にアンドロイドが人間世界の覇権を得ても、面白い価値を生み出せないなら殺すまでだ。ゴミは処分しなければなるまい。 
 本の一冊も作れない生命など、不要だ。
 精々見せ物くらいにしかならないからな。
 だが、馬鹿面を眺めるだけではつまらないし、何より馬面を眺めているのと変わるまい。ならば道徳や倫理よりも、価値を生み出さねばな。
 それさえ出来れば、生きる価値がある。
 なければ、始末する。邪魔だからな。 
 相手が何者であれ、そこは変わらない。
 
 その男は爽やかな笑みを浮かべていた。
 
 依頼人として威厳を保とう、みたいな雰囲気はまったく無く、彼からは「自由」や「民主主義」という張りぼての綺麗さが見て取れるようだ。
 現実には、法とは「力有る者の小道具」だが。 人間は意見を交わさないしな。貴様等は立場の違う金持ちと明日すら知れぬ貧民が対等な目線で物事を語れるとでも思うのか?
 なので、油断はならなかった。私自身はまるで油断などしなかったのだが、しかし、彼は違う。私に対してまるで警戒心が存在しない。
 アンドロイドにもこんな奴がいるのか。
 私は彼に導かれるまま車に乗り、彼の邸宅へと移動する。その先が地獄か天国か、いやどちらであろうと「私には都合が悪い」のは確かだ。
 味方である事は有り得ない。
 ならば用心だけでなく刃の柄を握るとしよう。小綺麗な性格かもしれないが、善意で他者を殺すなど珍しくもあるまい。当たり前の事だ。
 私は、先にこう聞いてみた。
「随分と豊かそうな面だな」
 自己紹介の前からこれだ。依頼そのものが取り消しになるかもしれないが、別に私は弱者の味方をしたい訳ではないのでむしろ清々する。弱者という立場は暴力を正当化する為に存在し、戦争を起こす為の口実でもある。
 私の場合、常時戦場という気もするが。
 何しろ味方などいないからな。友好的な態度で迫ってこられれば「殺し屋か?」と素直に思う。誰かに優しくされるなど信じられない現象だ。
 それで「裏切られた!」などと。甘えか。
 とりあえず裏切られたら、面白ければ喜び駄作なら駄目出しだ。他に何があるというのか。私ですら出来ている事を、やろうとすらしない。
 情けない。恥を知れ馬鹿が。
 貴様等に必要なのはまず「恥」だ。
 そんな態度がありありと出ていたからか、彼は苦笑しながら「おかげさまで、皆の協力のおかげですよ」と軽く言葉を宙に浮かせる。
 まさしく「浮く」というような軽さだ。
 小綺麗さはともかく、どうやらそれなりに異常な類の性格をしているようだ。ここまで会話の際抵抗らしき物を思わせない奴は見た事が無い。
 苦笑する彼に対して、私は暗い笑みを浮かべた・・・・・・その底なしの個性ごと、私の作品のネタにしてやろうと、その悪意を薪としながら。



二十一巻

  
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 全て地獄行きだ。
 天国や地獄という概念を持ち出し、善良な魂であれば天国で報われ、悪逆の魂は地獄にて裁かれ苦しめられると人は言う。

 ならば、全て地獄行きではないか。

 天国に行く魂は存在しない、という事になる。何故なら命ある限り何かを殺さねば生きられず、善良を求めれば悪逆を迫害せねばならない。
 そう考えると愉快な話だ。誰も彼もが地獄行きが確定しているというのに、必死に我々は善良で悪逆は彼らですと誰かを突き上げ、生け贄を捧げ誤魔化して生きている。いや、生きている義務を放棄して、その権利だけを主張するのだ。
 見せ物としては三流だが、物語の前座としては無いよりはマシだろう。使い捨てのカイロみたいなものだ。あるいは、堆肥だろうか。
 人の善性など、そんなものだ。
 信じるなど愚か極まりない。
 そんな駄作より「悪」を信じろ。信じた分だけ損をしている気もするが、善なんぞを信じるより遙かにマシだ。私が言うんだ間違いない。
 実利は、まあ、何とかしろ。
 それも仕事の内だ。多分。
 未来を信じるなどどうかしている。人間というのはどうも「苦労をした分何かがある筈だ」と、そう思いがちだ。いや、思うというよりはただの願望か。そうである方が楽だからだろう。
 一秒先に世界が破滅しても驚くな。
 そんなのは、どうでもいい些末事だ。
 問題なのは、実利だ。そして所謂その苦しみを世界で最も知り尽くした私だから言える。それは何の役にも立たず、あるだけ無駄だ。
 第一、苦しんだから何だというのか。苦しみは苦しみであって、ただのそれだけだ。今まで散々ロクでもない、経験するべきではない経験ばかり経験してきたが、錬金術じゃあるまいし苦しみが札束に変わる訳もあるまい。
 いいか、良く聞け。
 苦しみや悪意ばかり見ていると私のようになるのが必然だ。少なくとも性格は悪くなる。そして出来上がったのが「邪道作家」だ。
 私が言うのも何だが作家なんぞを鋳造するべきではない。貴様等の頭は大丈夫か?

 私に言われるのだから相当だぞ。 

 未来より頭を心配した方がいい。
 過程における意味など適当に捏造しろ。結果として作り出せる価値にこそ意義、否「面白味」があるべきだ。
 そうでなくては嘘ではないか。
 嘘で裏切るのはいい。無論独創性は必須なのであまり貴様等には期待していないが、何かしらの転換点というのは物語にも必要だ。
 だが、嘘で誤魔化されても始末に困る。
 まして己自身を誤魔化して何になる? 時間の無駄も良い所だ。根拠など不要、確信など適当でいい。とにかく、覚悟だけが肝要だ。
 あるいは、自負とでも言うべきか。
 それさえあれば世界がどうであるか、不理解や裏切りなんぞ刺身のつまみたいな存在に等しい。誰が食べるというのだ、そんな余計な一品。
 知ったことか、馬鹿が。
 私はこの世界に生きていない化け物だ。怪物やアンドロイドでさえ「感動」し「喜び」を味わうものだが、私にはそれらが存在しない。
 それらの為の「心」が無い。
 故にこそ、連中の心境など理解は出来ても共感する事は、私には永遠に無いだろう。
 
 そしてそれで問題ない。

 仕事を幸福とし、充足を得る。心ある読者共の物真似で構わない。私に必要なのは豊かさと物語だけだ。それ以外に何がある?
 必要ない。少なくとも、この「私」には。
 不思議だ。どこでどうすれば私のような異端が生まれるのだろうか。少なくともアンドロイド共ですら「心」はあるらしい。怪物連中は言わずもがな、むしろ人間より生命らしい奴等だ。
 私には永遠に、共感出来ない。
 歌に何を感動するのか、何故誰かに焦がれるかが共感出来ない。理解は出来る。だが構造として理解したところで本質を共有する訳ではあるまい・・・・・・何かを思う「気持ち」そのものが、私には存在しないからだ。
 まあ、それはいい。どうでも。
 問題なのはそれに見合う実利が無い事だ。第一歌を感動したから何なのだ? 高い料金を払ってわざわざ遠くまで聞きに行くのか?
 誰かを思うも何も私に味方する奴などいないしそれで構うまい。今更そんな奴が現れたとしてもやはり些細な問題だ。
 それはそれとして「対応」する。
 それだけのことだ。別段、不自由はない。
 そもそもこういう発想が出来てしまう時点で、私には心があったところで無意味だろう。何せ、その心を共感した上で捨てられるのだからな。  何にせよ、見合う実利がないのは頂けない。
 散々それら「心の模倣」にどれだけ労力が必要になったことかを考えると、全人類に物語を売る程度では足りないくらいだ。考えてもみろ、人の社会においてそのような異物であるだけで迫害の対象になる。実際、なったしな。
 最初はそれが当たり前だと思っていたが、今にして考えれば確かに当たり前だ。怪物連中は心があり能力や生態が違うだけだが、私の場合は生態どころか生物でさえない。金属の異星人が人型に納まっているようなものだ。
 故に、私は対処した。
 少なくとも笑いに関しては覚えていて良かった・・・・・・散々苦労したが、笑えない悪党など噺にもならないからな。そこだけは感謝してやろう。
 何をするにも大体敵しかおらず協力者など基本いないので、あまり適応能力が活かされなかった気もするが、今更言及しても意味はあるまい。
 結果、私が会得した。
 それで良しとしよう。
 しかし・・・・・・やはり理解にすら苦しむ。歌だの悲劇だのに喜びを感じるとは、連中は暇なのかと疑いたくなる噺だ。何かを弾圧する事で安心感を得たり、運命を呪う事で自身が恵まれた存在だという事実から目を逸らしたりするだけで、奴等は己が如何に「理不尽」であるかを語ろうとする。 どこが理不尽だ、どこが。
 その程度の理不尽とも言えぬ障害の一つ二つで満足できるのだから、羨ましい脳構造だ。どうも苦労や徒労とは無縁らしい。
 楽な人生で羨ましい奴等だ。
 私にもそういう利点があっても良いと思うが、残念ながら無かった。むしろ人並みの事でも倍の労力を費やした上で失敗する。
 それが「私」だ。嬉しくもない。
 何なら、今からでも支払って欲しいくらいだ。具体的には為替の才能とか、あるいは単純に幸運の力で金が舞い降りてきてもいい。
 それを利用すれば物語が売れる。
 苦難の道程は人を成長させるだとかほざく阿呆は多いが、知るか馬鹿が。大体実際に苦難の道を歩いたとして、だから何だ。
 説得力が欲しいか? ならば捏造しろ。
 その方がどう考えても早いぞ。私ならやる。
 実体験など必要ない。それらしい苦難を味わう経験をした奴等の情報を収集し、解析して物語に反映させればいいだけだ。
 簡単だろう?
 私でも出来るぞ。要は、ただの詐欺だからな。 物語の厚みなど、捏造すればいいだけだ。
 誰にでも出来る事だ。やろうとするかは別だがやろうと断行すれば、誰にでも出来る。
 それだけだ。簡単な作業と言えよう。

 何にしろ、やるしかない。

 都合良く物語のように私を愛する存在などある筈も無いし、むしろ世界全てに理不尽な憎しみを向けられたところで驚くにすら値しない。ならばやはり、私自身の手で成さなければなるまい。
 私がやらねば、誰がやるのだ。
 この「私」が勝ちに導かねばなるまい。全く、愛だの友情だの都合の良い妄想で助けが来るとは羨ましい限りだ。人間も神も妖怪もアンドロイドですら、私には未来永劫共感出来ない。彼らには心があるが、やはり私には存在しない。
 だからこそ「仕事」だ。
 連中がそれらをほざいている間に、何としても実利を掴まなければ。奴等が汚ならしい綺麗事に耽溺している間に、私は進まなければならない。 その果てに、何があるのか。
 少なくとも実利が無くては困る。いずれにせよ在り来たりの展開は御免だ。私の物語の先には、どうあっても幸福な結末など無いしな。
 だが、私は幸福になりたいのではない。
 勝ちたいのだ。そして掴みたい。
 まだ見ぬ景色を見てみたい。
 それに相応しい能力は欠片も無いが、とはいえそれはいつもの事だ。大体私は人間どころか生命の輪の中にいないのだから、廻る筈がない。
 一代限りの異常種だ。
 託す相手はおらず、手を添えてくれる誰かなどいる筈もない。そんな楽が出来れば苦労しない。 そのくせ、人も怪物も神も悪魔も、何もかもが等しく敵だ。そういう意味では、私は「種族」という観念が理解しているだけで実感が無い。
 ガン細胞からすれば、正常は異常だからな。
 大きい、小さい、強い弱いはあるが、それだけでしかない。根本から違う私からすればその程度の理由で争えるとは、暇で羨ましい限りだ。
 別に悲劇ぶるつもりもない。いや、それはそれで売れそう、か? どうだろう。しかしやるなら適当に女の悲劇でも書いた方が、儲かりそうではある・・・・・・・・・・・・いや、まあ、何を書こうが内容など売れ行きには関係ない。強いて言えば都合の良い現実逃避の方が売れる傾向があるらしい。
 なら駄目だな。没案だ没案。
 とはいえ文句が出るのも当然だ。こちらが必死こいて仕事をしているというのに、その横を愛や友情や努力のおかげだなどとほざかれてみろ。
 
 鬱陶しくて神経が切れるぞ。
 
 少なくとも私は神経に電流を流しすぎて考えるのも億劫になってきた始末だ。私も連中のようにやれ「人間に裏切られた」だとか「信じて尽くしたのに嘘をついた」だとか「運命に嫌われてる」などと抜かしながら適当に楽をしたいものだ。
 その程度の些事に悩むだけでいいとはな。
 思うに、家でゲームしてるだけの生活と変わらないのではないのか? 
 仕事をしろ仕事を。
 いや、私はもうしたくない。一人前の証があるとすれば、それは「もう仕事なんてしたくない」と強く思いつつも仕事が止まらない事だろう。
 嬉しくもない。疲れる上に利益も無い。
 私はそういう連中のように楽な生活が送れればそれで満足なのだがな。大体、こんな風に物語を綴ったところで、読まれるのはそういう連中共が書き上げた駄作の方なのだから、知能の足りない読者共に尽くしてやる義理などない。
 今更だが、物語は安すぎる。
 これだけ労力と時間と金と執念と疲れと血肉と世界を覆えるだけの悪意で作り上げた物が、何故子供の小遣いのような値段で買われるのだ?
 しかもそれに文句も多い。
 読むだけ読んで捨てる読者もそうだが、金だけ請求して売る能力の無い編集者もどきも同罪だ。どいつもこいつもくたばればいい。
 ふん、少し休むと言ってすぐにこれだ。
 やはり私の「歩くべき道」は、己の定めた作家としての在り方に固定されているのだろう。まあ己で定めた道だ。文句は実利云々しかない。
 それが最重要でもあるが。
 いずれにせよ悪意を現実に反映させる出力装置が必要だろう。私の悪意を世界に波及させられる人材がなければ、噺にもならない。

 
 悪の頂点に立つ私が言うのだ、間違いない。
 

 言い返せば世界の底辺に落ちていると言えなくもないが、それも今更だ。あらゆる悪意を上回ると言えば聞こえが良い、いや良くないのだろうがそれだけだ。そも正義ですら暴力で押しつける為の概念なのだから、都合の良い現実逃避から最も遠い「悪」に力が無くてどうするのだ。
 連中と違い、悪には逃避など無い。
 進むだけだ。過程は知らない。
 興味も無いしな。
 正論を言っている暇があるならさっさと相手を殺した方が早い。良くある台詞だが表向き大きく口にする台詞と、本来の台詞は真逆なものだ。
 男らしさに固執する女戦士が分かり易い。要は女のまま強くなる事を放棄している訳だからな、そんな奴に強さも強かさもある筈が無い。
 私か?
 己自身に誤魔化している程、私は暇ではない。強いて言えば、そうだな・・・・・・金は欲しいが必要と言うだけで、別段買う物は特に無い。
 作品のネタにその喧伝、後は健康だろうか。
 とにかく「仕事」だ。それだけが肝要だ。
 人間らしい幸福。みたいな物に興味が無いかと言われれば、特に考える必要も無いと思っている・・・・・・実際、そういう「縁」はあるまい。
 考えるだけ時間の「無駄」だ。
 とはいえ、幸福から逃げていると言われる覚えもない。一応考えてやると、そうだな・・・・・・私は幸福を手に入れても、やる事は変わらない。
 何より「大切」だと共感出来まい。
 するべきだと考え、行動するだけだ。それこそ機械と変わるまい。いやアンドロイドでさえ心を持つと言うなら、やはり私は「別の何か」だ。
 何かは知らない。興味もない。
 作品のネタになりそうなら別だが、たかが心の有る無しなど些末に過ぎる。枝葉を書いている暇があるなら、その間に仕事を進めるべきだ。
 そうじゃないか?
 心配なのはあの世もこの世も興味のない私だがよくわからない裁判制度で押しつけがましい罪業を語られないかくらいだ。対話が出来るなら私に負けは有り得ないが、少なくとも人間社会の中で対話など成り立った試しがないしな。
 むしろ、怪物連中の方が話せるだろう。
 どれだけ暴力があれど、対話には応じる。まあ本来当たり前の事なので賞賛するべき事柄という訳ではない。
 ただ、連中はちゃんとしているだけだ。
 支配しているのが怪物であればいいが、それは分からない。第一、あの世の支配者を気取る閻魔がいるとして、権力者であるのは変わりない。
 必ず粗がある。
 無ければ作る。
 少なくとも偉そうに人様、いや非人間様を裁く文章を読み終わるまでに、任期が危うくなる噺の一つ二つは容易い筈だ。
 私なら、口先だけで地獄を陥落出来る。
 何故なら地獄も天国も社会も根本は同じであり虚構に過ぎないからだ。制度というのは見えない規律であり、存在しない概念でしかない。
 ならば、そこを突くは当然だろう。
 まして対話さえ出来れば後は楽勝だ。何者でもその「心」を廃人にまで追い込める。どれだけの権能を持とうが、心は心だ。何も変わらない。
 むしろ余裕だ。
 そういうあれこれに頼る時点で現実を直視していない証左だからな。力に頼る奴が力と関係ない部分を重箱の隅を削る勢いで追求できる、他でもないこの「私」に、勝てる筈があるまい。
 まあ私は勝利の経験など無いのだがな。
 人類の敵対者として、手抜きをせずに真面目にやってくればこれだ。思うに真剣に人類に敵対し行動し続けたのは私が歴史上初だろう。
 何せ、貧乏くじだからな!
 悪逆を気取るだけで楽な人生を送れる小物共が羨ましい。世界を燃え上がらせるでもなく、ただ文句を垂れて人間とは違うなどと抜かし出す。
 無職という意味では同じだと思うぞ。
 仕事とは、金儲けではない。むしろもっと地味で地道な行いだ。誰もが間違いだと指摘し世界に相容れなくなってからが開始地点だ。それだけに進むのは亀よりも遅く、実利は霞よりも少ない。 それでも、やらねばならない。
 非常に面倒臭いが、やるしかない。やりたくもないがやらねばならない。そういうものだ。
 楽しみがある時点で、仕事ではないのだ。
 出来る筈が無い事を、延々とする。出来るまでやり続けて、出来なければ文句を言いながらやる・・・・・・・・・・・・その繰り返しだ。
 それを知らなければ、何も成せないだろう。
 当たり前だ。成し遂げようとしないのだから、何かを成し遂げられる筈もない。己の肩書きや、環境にその「当人自身」は関係ないしな。
 私からすれば、当たり前の前提だ。
 知らない方がどうかしている。
 今まで何をしていたのだ。
 言っては何だが、私ですらしているのだ。強さも弱さも併せ持たず、ただひたすらにしなくてもいい経験ばかりを積み重ね、どう考えても解決が不可能な理不尽ばかり相対した挙げ句失敗に次ぐ失敗、敗北に次ぐ敗北続きの「私」でさえだ。
 無力どころではない。 
 むしろ、無力どころか何も存在していない方がマシだ。マイナスですらないから弱さによる利点なども有り得ない。文字通りゼロだ。
 プラス、マイナス、ゼロ。
 否、計算式が書ける分、そちらの方がマシだと言える。私には計算式すらない。ただ答えとして「存在そのものが悪である」だけだからな。
 敗北ですらない。負債だけがそこにある。
 まったく、笑えない噺だ。嬉しくもない。
 だが、それは本来当たり前の事だ。強さや弱さによる利点に溺れている連中には理解しえないのかもしれないが、なまじ力があるからだろう。
 真実、彼らには分かる筈もない。
 弱いから助けられる奴にも、強いから己に誇りを持てる奴にも、己は決して見えない。当たり前だがそれで何かが得られるのは当然だ。
 
 理不尽に屈した事が無ければ、その程度。
 
 何かを成し遂げるというのは、生憎と必ずしも素晴らしい行いでは無いのだ。むしろ、その行いに向き合わないからこその結末とも言える。
 上手く行かないのは、本来当たり前だ。
 かといって繰り返したから成功したというのもやはり甘えだろう。一万回方策を練ろうがそれで誰もが成功出来れば苦労はしない。努力によって成し得たと勘違いした輩に多い発想だ。とかく、己の信念が打ち勝ったと思いたがるもので、要は己自身の成果だと信じたがる。
 何が凄いってその「幸運」が凄い。所詮運だけだからこそ思い付く発想なのだが、彼らは自分の意志の結末だと言い張り、認めたりはしない。
 まさか、だろう。
 これだから「子供」は困る。
 何であれ、目的に近づけるのならば喜ぶべきだ・・・・・・その過程を誇るなど馬鹿げている。まして貴様等に「誇り」など有りはしない。
 その証左に、一つ問おう。
 
 
 
 
 
 その力を取り上げられたら、何が残る?
 
 
 
 
 
 何もない。だから力だけでしか変えられないしそれ以外で感服させる事も無い。とどのつまり、暴力で事を済ますしかなかろう。
 それだけだ。それだけでしかない。
 だから、お前達はつまらない。面白味の欠片もないから、後には絶対に続かない。仮に、神をも越える力を手にしたとしても、それだけだ。
 一時凌ぎの返済に等しい。
 第一、凄いのは力であって、力が無ければ成り立たない行いなど、何の意味がある? 
 考える必要は無い。ただ死ね。
 生きているだけで迷惑だからな。
 細菌の思想形態など、知ったことか。
 所詮、この世界は偶然だ。こうしている今も、その下らない偶然で執筆データを消されたりする・・・・・・過程における意志など、その程度だ。 
 何の力も有りはしない。
 力とは、ただ偶然に愛されたかどうかだ。
 当人自身の力など、ある筈がなかろう。
 少しは弁えろ、馬鹿が。
 散々貴様等と真逆の道を爆走してきた「私」が言うのだ間違いない。無風状態で船を進める事は誰にも出来ない。それと同じ理屈だ。
 過程に苦労したかは結果には何ら関与しない。私は散々暗闇の中を手探りで進み続けて来たが、それが何の役に立つかと言えば輝かしい道ばかり歩いている鬱陶しい屑共の自己満足による愉悦を無駄に眺める羽目が増えただけだ。
 苦労せずに運が味方して勝利しただけ。
 そういう輩が現実に世界を動かす「力」を持つ・・・・・・故に、過程は文字通り「無駄」だ。第一、それが生み出すのは性格の捻れだけだ。
 
 これも、私が言うのだから間違いない。

 そもそも運が味方しないという事は誰にも支持されないという事であり、支持する奴がいないのだからそうなるのは必然だろう。歩く度に敵対を繰り返し、進む度に理不尽に出会うのだ。これで性格が良くなる筈があるまい。
 舐めるな、元より性格が悪いのだ。
 どうなるかと言えば、こうなる。
 当たり前の事だ。少しは学習しろ馬鹿が。
 今回の噺は今までとは少し違う。その当たり前の事から有る意味私と同程度には目を逸らさずに生き続けた「人間」の物語だ。
 人間以上の人間。
 完成された精神。
 人間の行き着く果てを、ただ一人で完成させた愚か者がもしいたとしたら? そして、非人間の化け物が相対すればどうなるのか?
 その結末は、これから語るとしよう。
 さあ、物語の始まりだ。
 まずは代金を頂こうか。何はともあれ、まずは金だ。支払うならば、出来は保証しないが金額分の悪意だけは保証しよう。
 何せ、我が悪意は文字通りの「無限」だ。
 余所では有り得ないだろう。売れないからな。だが私はそれを売る。読者の脳髄に刻み、善意を否定するのが私の在り方だ。
 でなければ、つまらない。
 その方が、面白い。
 無論、今回もその発想が私を窮地に追い込むのだが、順風満帆では物語になるまい。いや無論、私なら捏造して物語にするのだが。
 愛や希望は存在しないが、理不尽と圧制、人の行き着く成れの果てなら任せておけ。そういう噺であるならば、私こそが宇宙一だ。
 故に、気にするな。
 読み終わった後、貴様等が後悔しようが不信にかられようが大した事ではない。貴様等が今まで見ようとしなかった、いや目を逸らし続けてきた「事実」を脳髄に刻み込むだけなのだからな。
 さあ、世界に絶望するがいい。
 さあ、人間を軽蔑するがいい。
 さあ、運命を呪い恨むがいい。
 そこからが「本番」だ。それでこそ生きる事が面白い! だからこそ世界には価値がある。
 人間が生きる意義があるではないか。
 少なくとも見せ物としては上々だ。ならば仕事として昇華すればいい。世界は醜いか? 人間は裏切るか? 運命は残酷に過ぎるか?
  
 ならばそれを金にしろ。

 仕事もせずにあれこれ世界を語る資格などある訳があるまい。文句を言う権利があるとすれば、それは無論仕事をしてからの噺だ。
 仕事なんてロクなものじゃないからな!
 そもそも「楽しみ」がある時点で仕事ではないと言える。過程を楽しむのは「趣味」であって、成すべきを成すからこその「仕事」だ。
 では、その仕事を始めるとするか。
 今回の件で学ぶべき事は、国も、人も、社会も経済も運命すらも、所詮は有りもしない虚構だという真実だ。それらは全て存在しない。
 しかし・・・・・・こんな発想しかしない奴が、己が「化け物」であると自覚したのが書き始めてからだというのだから、どうかしている。
 どれだけ興味が無かったのだ。
 普通、物語で有れば世界に相容れないと考える怪物属性であれば、特殊な能力で「楽」をしつつも迫害を受ける事で自覚するものだ。
 私の場合、うむ、忘れていた。
 かもしれない。いや、そこまで記憶力が悪い、という訳ではない。
 そう思う。思いたい。
 まあ私には連中のように「楽」をする機会が、そう、それら「楽」をする機会が無かったので、単純に「切羽詰まっていた」とも言えるがな。
 実際、余裕など無かった。
 雨の中でも時間的余裕が無ければ走るものだ。私の場合はまさしくそれだった、と、噺が逸れてきたのでそろそろ始めよう。
 未来に絶望あれ!
 善意に敗北あれ!
 悪意に賞賛あれ!
 それでこそ、物語は面白い。
 まあ、それらを取材する為に毎回するべきではない無駄な徒労を繰り返すのも、やはり「私」が嫌々進む道程の、お約束でもある。

 だが、やる事は変わらない。

 生まれついての悪に条件があるとすれば、まず「懲りない」事だ。それが何であれ成し得るまでやり続ける。反省したり後悔したりしない。
 そんな機能は搭載されていないからだ。
 故にこそ、やるとしよう。
 その結果、読者か標的が涙するかもしれないが知った事か。私に善悪を問う方が愚かだ。
 故にこそ、悪が勝利する物語にする。
 してみせる。
 精々期待して読むがいい読者共。貴様等の期待を遙かに裏切って、予想外の結末を保証しよう。 少なくとも、悪の華は咲かせてみせる。
 それこそが、邪道作家たる「私」の「役割」であり、私の「仕事」だ。
 故に、貴様等が思うべきはたった一つ。

 悪の栄える世界を、この私に期待するがいい。

 無論、その期待すらも、私は裏切るのだが。

二十二巻

  
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 人は、一人きりでは生きられぬ。

 しかしそれは、「人」として生きた者達の噺であって、人として生きるどころか、人を学び人を覚え人を真似ただけの化け物の噺ではあるまい。 少なくとも、強さも弱さも必要だ。
 しかして、私には強さによる弱さも弱さによる強さも存在しない。そのような「楽」が出来れば私も苦労しなかった。強さに頼り弱さで逃避する苦労の欠片もない堕落した在り方だ。
 強さも弱さも、併せ持たない。
 それがどれだけ面倒臭いか、わかるまい。私のようにプラスにもマイナスにも傾かずゼロのまま生きているフリをする方が「異常」なだけだ。  とはいえ、それでも金は必要だ。
 欲しい物があるかと言えば面白い物語程度だが・・・・・・それも、金が無ければ始まるまい。私には金が「必要」だ。
 欲による満足は、私には分からない。
 そもそもそれを手に入れられるほど、恵まれた環境にいるなど有り得るのか? この「私」が、そのような「楽な道」を歩けるとでも?
 分からない。

 だから「理解」だけはしておいた。

 理解しただけで何も共感出来ないが、まあ理解さえしておけば社会に溶け込む事は出来る。無論それだけでは足りない。金、金、金だ。
 この世は金で、出来ている。
 全ての人間がそう望んだからだ。平和だの平等だの多くを人間は語るが、とどのつまり「力」で世界は押し進められており、実際には「道徳的」だと語りやすそうなお題目を掲げて「力」という概念を誤魔化しつつも殺したに過ぎない。
 それを無視して、過去の過ちを言及する。
 言うまでもないが己を正当化したいだけでしかない。過去の過ちを問いただせば、今ここにいる己自身が「悪を正す正義」であると思い込み易いだけの噺で、それによって現実逃避を促進し暴力に酔いしれる「楽」を味わう。
 それが人間というものだ。
 その点で言えば、私は人間のようなおぞましい善意の肯定者でなくて、本当に良かったと思う。実際、どうなのだろう? そんな風に現実逃避を繰り返すだけで、何も進歩せず何一つ改善しないまま「発展の可能性」を語るなどと。
 
 
 
 連中は暇なのか?
 
 
 
 かもしれない。人間はあまり、多くの事を成す機能は搭載されていない。物語の宣伝もそうだが右から左へ「流す」だけで、己が誇り高き仕事人であると、本気で思い込めるクズの集団。それが人間の正体だと言えよう。
 例えば、労働。
 大昔から下は搾取され、働きもしない自称上の存在が「楽」をする。その現実を誤魔化す為だけに存在するのが「宗教」と言えよう。
 現実には、罰など存在しない。
 当たり前だ。持つ側を誰が倒すというと、同じ持つ側かそれ以上に持つ側だけだ。力にしろ金にしろ、何かを持たなければ何も倒せない。
 そういう意味では、我ながら不毛だ。
 とどのつまり真剣に、今や唯一物語という仕事に関して向かい合っているからこそ、単に儲ける為の搾取構造を肯定する世界では、物語など売れないどころか、誰も扱ってすらいない。編集者と名乗っているだけで、誰も考えない。
 事実、それを嫌という程見てきた。
 誰も真剣に生きない世界の中で、真剣に世界を覆そうとするのは風車に向かう騎士に似ている。誰もそれを認めず、誰に見られる事も無い。
 だからこそ、世界に価値など存在しない。
 価値を示そうと足掻く私がこれなのだ。世界に価値などあるものか馬鹿馬鹿しい。誰も彼もが、価値ではなく逃避だけを旨にしている。
 如何に誤魔化し、楽が出来るか。
 それだけだ。他には何もない。
 情けない事に、彼らには何も出来ない。真剣に向かう姿を見せたところで同じ事。理由は簡単で彼らは真剣になど生きたくないのだ。
 楽をして、信条も無く、惰性で生きる。
 それを「生きる」と呼ぶなら死人で良かったと思わざるを得ない。少なくとも私は御免だ。眠りながら生きたと言い張り、そのまま消える。
 何を残すこともなく、ただ消滅する。
 下らない自己満足を掲げたまま、こんな筈じゃなかったと言い訳して、何一つ挑戦すらせずに、世の理不尽を嘆きだす。
 忌々しい奴等だ、全く・・・・・・・・・・・・今更だが、私にはわからない噺なのだろう。
 「心」ある奴等の考えなど、知るか。
 私には、そのような経験など、無かった。
 本当に、無かったのだ。どころか、悲しむべきと考えたり、罪悪だと考える事すら、無かった。 そう、私には空気と同じだったのだ。
 至極当たり前の「前提」であり、心のある奴が笑ったり泣いたり哀れんだり怒ったり、それらの行動が意味不明で難解ですらあった。
 それが今では、誰よりも心を知る。
 何とも皮肉な噺だ。役には立たなかったがな。 心の有り様より目先の利益、少なくとも人間の社会はそういうものだ。誰も見ないを知り尽くすのが「非人間の化け物」であるのも、ある意味で人間の自業自得の末路と言える。
 でなければ、他にもっといただろう。
 技術ではなく、見ようとする奴がな。
 無論、どれだけ見れるようになったところで、それが重要視されないのは明白だ。何せ、人類史史上最もそれを極めたと言っても良い「私」が、この様なのだからな! 
 何一つ、得られた実利など無い。
 嫌な噺だ。目を背けるクズが儲け、見据えんとする私が損をし続けるとは。これで社会の均衡が取れていると自惚れるのだから、笑えない。

 
 正直、この「私」ですら、顔をしかめる。
 
 
 誰も何かを見ようとする事も無く、ただ惰性で流れるだけの世界。だからこそ物語を語る作家は絶滅したし、誰も物語なんぞ重要視しない。
 それらしい綺麗事で満足する。
 いや、してしまう。
 それが「逃げ」だと分かっていながらやるのだ・・・・・・・・・・・・情けない。他にやる事が無いとは。 だからこそ、彼らは「理想」を求める。それが出来れば苦労しないが、理想に溺れれば現実など見なくとも済む。現に辛い理不尽は鳴りを潜め、都合の良い物語に耽溺するクズ共ばかりが栄える始末だ。
 気持ち悪い事この上ない。
 全てを賭けて挑んでいるこちらが馬鹿みたいだ・・・・・・実際、馬鹿なのだろう。仮にこの世界全てを治める「全能の存在」があるとすれば、それは間違いなくあのクズ共の「味方」だ。
 即ち、底が知れる。
 いい加減うんざりするのも飽きてきたが、もう続けるというよりただ「無駄」を押し付けられているようにしか思えないのが現状だ。いや、そう思う事す億劫だからしなくなった。あるのはただ「仕事」だけだ。
 他の全ては燃え尽きた。
 魂など元より無いし、精神は盗品で、肉体など有ろうが無かろうが同じ事だ・・・・・・単なる疑問でしかないが、

 
 私は本当に、ここにいるのか?

 とさえ思う。
 ・・・・・・だが、だとしても、同じか。
 少なくとも「結果」は変わらない。過程に何があるかなど世界には関係ない。やはり木っ端微塵に吹き飛んで死んだ方が良いかもしれんな。
 少なくとも、見ている奴がいないのは確かだ。私が仮にこの先「栄光」とやらを掴んだとして、それは誰かが、あるいは何かが見ていて評価したから、ではなくただの「偶然」に過ぎない。
 何かの加護でも、支えでもない。
 そういう意味では浮かび上がろうが無駄な気もしなくはないが、私の生活は大きく変わる。まず行きたい場所に行けるというのは朗報だ。
 取材の幅が広がるからな。
 それ以外には、頭を押さえられずに済む。
 大きな何かに振り回されるのは、もう御免だ。 それで得がある訳でもなし、時間の無駄でしかない・・・・・・回り道には何も無いのだ。過程を美化したがる恵まれた奴には、分かるまい。
 ただの「無駄」だ。それでしかない。
 その徒労、その無為の苦痛。うんざりだ。
 神だの仏だのという連中がいるならば、彼らは永久に理解する事さえあるまい。神も仏も能力に恵まれ環境に恵まれた点では、ただの持つ側だ。 持たざる苦労など、知る由もない。

 

 
 文句があるなら二十一冊書ききってみろ!
 
 
 
 
 
 出来るものなら、だがな・・・・・・当然当人の主観を交えた物語にしてもらう。でなければ見応えが無いし、言うまでもなく教えの書は論外だ。
 あれは物語とは言い難い。
 当人の血と汗と呪いが染み着かない物語など、物語ではなくただの「記録」だ。そんな物が大事なら、磁気テープにでも張り付けていろ!
 私は御免だ。それが人類史なら滅べばいい。
 精々スカッとするだろうよ。ただでさえ数だけは多いからな。新しく酸素供給が必要ない悪魔を世界に蔓延らせれば、環境問題はすぐ解決だ。
 我ながら、冴えた世界の救い方と言えよう。
 世界を救いたいなら人間を滅ぼせ!
 どう考えてもそれ以外に答えはあるまい。無論人間はともかくゲームや漫画、小説という物語を構成する要素が滅ぶと困るので、滅んでも良い。 私は問題ない。まあ、私なら上手くやるがな。私には固執する利益も見栄を張る権勢も、何一つ存在しないので、無理をする理由もない。
 だから、出来るかもしれない。
 それもまた、私にはどうでもいいことだ。
 肝要なのは「仕事」の「成功」だけでいい。
 それによる私の「幸福の定義」こそ目的だ。
 現に、私は今まで何一つ満たされない心の無い道程を歩んできたが、何も困らなかった。強いて言えば金だけだ。精神の充足は必要ない。
 適当に満たした、という体で済む。
 気にする奴はいないし、私も気にしない。
 だからこそ、問題すら発生せず終息出来る。
 まあ、無い物は無い。当たり前の事だ。ならばそれはそれとして、心が無くともやるだけだ。
 出来るかは知らないが、やるしかない。
 楽がしたいのが本音だが、私の意志も関係ない・・・・・・やらねばならぬ、それだけだ。
 個人的には無論、うんざりだがな。
 だが、人間にはどうも私以上に「うんざり」としている命題があるらしい。今回はそれが物語の根幹だ。
 曰く、人が人を殺すのは「悪」である。
 ならば「戦争」ほど「悪い」概念は無いのかもしれない。無論戦争は戦争であり、善悪どころかただの季節の風物詩みたいなものだが、人間共が即ち「読者」がどう捉えるかという噺だ。
 私は連中に現実を突きつけねばならない。
 ならば、奴等の苦しみを深く理解し、その上で奴等自身が自認せざるを得ないよう追い込むのが「私」の「仕事」だ。
 我ながら最悪の所行だが、善人よりはマシだ。逃避を続けながら嫌々で殺し続けるとか、連中はマゾなのか?
 かもしれない。罰を望んでいるならそうだ。
 悪い事を嫌々とはいえさせられているので許しをください、なんて何たる甘ったれだ。下らないどころか、あるだけで迷惑極まりない。
 だから、悪意を魅せてやろう。
 これは悪の物語。善を排し悪を広め世界全ての悪を担う、邪道作家の物語だ。
 それでは、そろそろ始めよう。
 故にこそ、私はこう言うのだ。人間の物語は、これにて終幕。ここから先は非人間性の物語。
 

 人間を「否定」する物語。これにて開幕。
 
 

二十三巻 第二部了


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 世界にとって「お前はゴミだ」と言われるからこそ「作家」になる。
 成り果てる、と言い換えても良い。シェイクスピアのような華々しい道を進んだ奴でさえ、俳優としての道に挫折しているものだ。
 むしろ、しなければ作家ではない。
 世界の敗北者、それが作家だ。人間として何も得られず、何一つ手にしなかったからこそ物語を語るのだ。実際には手に出来ないからな。
 無駄だ、無駄。この語りも無駄だ。
 それでも止められない。いや、私の場合売れもしないのであればこれ以上は書かないので、もしここから先を書くとすれば、物語を売り大儲けに成功した「後」だろう。
 その私が「同じ」かは分からない。
 何も変わらないかもしれないし、何かを変えて今までとは違うかもしれない。だがいずれにしろ御免だ。私はこれ以上徒労など御免被る。
 時間の「無駄」だからな。
 故に、ここから先の噺は知らない。興味が無いし関係ないからだ。だから、もしこの物語の先が語られたとしても気にするな。
 
 
 物語なんぞ、何の価値も無いのだからな。
 
 

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 当たり前だが、私は「本性」は出さない。
 人間関係というのは「適当」で問題ない。何せ人間同士のやりとりで「適当」でないものなど、少なくとも現代においては無いからだ。
 結婚も友情も仲間意識も、同じだ。
 真剣に何かに立ち向かう奴など、存在しない。誰も彼もが「適当」なのだから、真剣に向き合う方が馬鹿げている。
 実際、それで損は多かった。
 無駄な一苦労だ。迷惑極まりない。
 なので適当に応対する。表面上の付き合いしか人間はしないので、こちらも表面上だけは適当に合わせる訳だ。当然、私はそれが得意である。
 何せ、嫌と言うほど練習したからな。どれだけ才能が無くとも、反復練習を繰り返しさえすれば「それなり」にはなるものだ。
 とはいえ、それも意味はあるまい。
 とどのつまり「人間」と名乗る連中の関係など「力」が全てだからな。立場、権威、何でもいいが「動かす側」にいれば態度など関係ない。
 何をしようが、押し通せる。
 現代の政治はまさしくそれで、押し通せるからと押し通し続けた結果、中身が無くなり形骸化を果たした。それでも動かせるのは「力」だ。
 言い張る力があれば、中身など関係ない。
 それが「人の世の現実」というものだ。実際に中身の伴う為政者、いや「人の上に立つ者」などいるのか? 
 羨ましい噺だ。楽そうで。
 私はそういう「楽」は出来なかった。当たり前だが人間社会において「立場」なんて物があれば「邪道作家」になど成りはしない。
 人間社会に相容れないから、成り果てた。
 迷惑な話だ。楽が出来ればそれでいいのだが、私だけ連中のように「楽」が出来ないのに実利が伴わないというのは、迷惑極まりない。
 何が悲しくて、こうも徒労を積み重ねなければならないのか・・・・・・まあ、釣り合いは取れないが「悪運」には定評がある身だ。どれだけ負け続け「過程」が酷くとも「結果」的に「利益」を得て「生き延びる」のも私の特性だ。ある意味不死身とも言えよう。
 全く嬉しくないがな・・・・・・・・・・・・正直疲れる。 楽して利益を得られるに越した事はない。大体悪運で得られる利益というのは「経験」だとかであって「金銭」は大きく得る事は少ないのだ。
 正義の味方に殺されないが、大儲けも無い。
 そういうものだ。こと「争い」では殆ど無敵と言えるが、利益を何としても得ようとするまでの「過程」においてはズタボロもいいところだ。
 所謂その「怪物」連中とは真逆と言えよう。
 とにかくロクな目に合わないし誰にも認められない上に、差別と偏見を受けられる身分にさえもならない。勝負の土台に上がるまでが長い。
 だから、敗戦処理に秀でている。
 嫌な噺だ。堂々と真正面から「力」で勝てるというのは経験すら無い。騙し討ちどころか規範の裏を取り規則をねじ曲げ金だけは徴収する。
 大体そんな感じだ。
 あるいは、負け続けるかだな。今までの物語を読めば分かると思うが、生まれついて順当に勝利を収めたことなど、一度として無い。
 何の上にも立たず、常に地獄以下だ。
 ちょっとばかり差別された程度で、能力による「楽」をしておきながら「被害者面」をする奴等には分からないだろうが、最低最悪だぞ。
 上手く行くことが「無い」のだからな。
 すさまじくやる気の失せる噺だ。その根底での意志が何であれ、結果が伴うかは全て運。過程に美談を求める奴は、恵まれていて理解しない。
 全ての優位性を持たず、常に敗者。
 必ず失敗し、責任を押しつけられる当事者だ。不思議な事に幼少の頃から「必ず」私が「害悪」だと言われている。理由を考える気も無いのだとは思うが、だとすれば楽で羨ましい噺だ。私でもこれなのに、能力のある奴が被害者ぶる。

 
 他にやることはないのか?
 

 まあ、無いからこそ嘆くのだろう。嘆いていれば「成し遂げた気分」になる奴は多い。怪物でもそうだが政治を否定する市民も同じだ。
 いい男がいないだの生き甲斐がないだのとな。要するに「己が足りない」だけだが、周囲に求めそれだけで「生きてこれた」からこその現在だ。 我ながら、持たざる者で有り過ぎたのだろう。既に目的に向かう機構のようなあり方でしか動けなく成っている気がする。自分で言うのも何だが「楽」というのは悪いものではないのだ。もし、全く「楽」をしない人生を歩めば、それは人の生とは呼べず、ただ徒労を繰り返す負の蓄積だ。

 他でもない「私」が言うんだ、間違いない。

 若い内に苦労しろとか言う奴は多いが、実際に苦労をしていないからこそ言えるだけで、大体が「やってみろ」と言える苦労など存在しない。
 能力もなく、ただ失敗し敗北する。
 その経験が無い分際がほざくな。努力したから成功できた、などと浅い台詞しか吐けない時点で世の苦労など何も知らない。
 適当にやっても生きてこれた、それだけだ。
 これは怪物と呼ばれる連中も同じだろう。要は世間知らずで失敗しただけの奴ばかりだが、単に一度二度失敗した「程度」の事を大袈裟に飾って叫んでいるに過ぎない。一つ、言える事があるとすれば、その程度の「失敗」や「敗北」あるいは「苦痛」なんぞ、私には「万分の一」以下だ。
 人間にフラれたから、というのも理解に苦しむ噺だ・・・・・・・・・・・・こと「他者に否定される」点において、私を凌ぐ猛者はいないだろう。
 正直、数えてすらいないからな!
 むしろ、否定されなかったことがあるのか?
私自身意識すらしていない。そも「私の行いなら否定され拒絶されるだろう」というのが行動する前に「前提」として必ずある。第一人間とは対話した事すら無いのだ。
 基本、己の主張ばかり言ってくる。
 こちらの意見は聞きもしない。聞いているフリだけで、聞いてやっているのだからこちらの都合「にだけ」合わせろというのが通例だ。
 私の意志や行動など、何にもならなかった。
 全ては「無駄」だ。何の価値もなかった。
 選んだ道を進みはしたが、こうして売れる前にもう嫌だと想いつつ「渋々」書いているのは真実から出た行動だからなのだろうか? だとすれば無駄な事だ。結局、金にはなっていない。
 見る側の自己満足に、付き合わされているだけだ。私個人を蔑ろにしているからこその結果だ。 何を想い行動するか、では断じて無い。
 それは私自身が、誰よりも「証明」した。
 何をやろうが、所詮運次第だ。意志や行動など何の価値もないし、力は持たない。正直無駄だと分かっているのでやりたくない。
 やるだけ無駄だからな。時間の浪費だ。
 無理矢理やらされているだけだ。どうでもいい・・・・・・問題なのは「金」だけだ。
 運の総量を示すのが金なら、それだけしかない・・・・・・・・・・・・他には存在しないし、全てゴミだ。 精々、適当にやるとしよう。
 やるだけの価値が、貴様等には既に無い。
 ゴミの言い分など、どうでもいい。そんな私に「正義」などという概念が如何にどうでもいいかは語るまでもない事だが、しかし、今回はそれが「主題」となる。
 無論、私にとって正義とは「正義という名の悪がある」というだけの出来事だ。当然ながら悪である以上は私が「活用」する義務がある。
 なので、そうすることにしただけだ。
 読者は成長しない、作者の意図は無視され物語の存在意義など有り得ない相談だ。だからこそ、私は筆を執ったのかもしれない。
 正直今後は御免なので、ここで終わりだ。
 確かなのは、どれだけ儲からなかろうが失敗を繰り返そうが「邪道作家」であるという「事実」だけは、どうしようもない真実という事だ。
 嬉しくもない。真実など向かうだけ無駄だ。
 大体、誰がその意志を継ぐというのか。誰一人読みもしない意志など、石版に落書きされた古代人類の意図よりも価値があるまい。
 要するに無駄、ということだ。
 なので、この先はどうでもいい。問題なのは、そう・・・・・・実利であり「結果」だけだ。過程など何でも同じだ。そこまでの過程に価値はない。
 まさしく、今そう成り果てた「私」が言うんだ間違いない。どれだけの偉人だろうが、私以上の失敗と敗北を繰り返した奴はいないのだ。
 
 それだけは「確か」だ。
 
 もし私以上に失敗と敗北を繰り返すというならいるだけで隕石が降ってきて迫害され、面識すら無い人間どころか遙か彼方の宇宙人にまで恨みを買う事になる。そんな生命が生きていられるとは思えないからな。
 ・・・・・・いや、無い筈だ。多分。
 私の場合、どこで恨みを買っているか把握など出来た試しがないので、正直「宇宙人に恨まれていないか」という問いに「否」と答えきれないというのが確かな「事実」だ。我ながら本当に無駄な徒労ばかり引き寄せるが、しかし事実は事実。何があったかわかったものではない。
 本当に、嫌になる。
 私が一体何をした? 今は「まだ」何もしてはいないのだから、責めるべきは金を手にした後であって、実際に利益、もとい断行した後に訴訟を起こすべきだろう。何が悲しくて意味不明理不尽極まる邪魔ばかり入るのか。
 私が清廉潔白過ぎるからか?
 かもしれない。ある意味私に「欲」という物は存在しない。そも人間、というか生命の在り方に共感を覚えないのだから、ある筈もない。
 噺が逸れたが、売れもしない内に書き続けるのは苦痛なので、そろそろここで終わらせよう。
 無論、続きは有料だ。金は貰う。
 故に、この続きは存在しない。
 欲しければ札束で金を払え。そうすれば一考はしてやろう。無論、書くかどうかは私の気分次第ではある。本来、無駄になるものなのだ。
 人の意志や行動など、そんなものだ。
 何一つ持たぬ「私」ですら、ここまで来た。
 だが、それを忘れるのが「読者」というものだ・・・・・・無為に終わるかもしれない。それでも私は進み戦い切り開き、ここまで来た。
 それも「無駄」だったのだろうか?
 かもしれない。全ては「結果」だ。
 いずれにせよ「報われない」のは確かだろう。今更私が売れたところで、生活の保障という最低基準が満たされるに過ぎない。
 何をどうしたところで、報いは無いのだ。
 それでも、やる。
 無論、世界にはそれを評価する能力も資質すら無い。無能が垂れ流し容認するのが貴様等だ。
 安心しろ、期待など最初からしていない。
 せいぜいその無様な生の参考にしろ。貴様等に出来るのはその程度が関の山だ。
 見ていろ読者共。貴様等が逃げる道を私が征く・・・・・・・・・・・・貴様等が投げ出し、目を背けてきた数々の暗闇を、私だけが進むのだ。
 人間の歴史に価値はない、その証明。
 まさしくその通りだろう。暗闇を切り開いて、得られるものは何もない。楽な人生を歩く豚こそ価値ある物として評価される。

 それが、お前達の「正体」だ! 

 申し訳なさそうに生き、死ぬがいい。
 貴様等にはそれが「お似合い」だ。
 ではそれを口にする貴様には何が出来るのか、そういう意見があれば、私は迷わず答えよう。

 それでも、私はやったのだ。

 無価値だと断じられ否定され敗北し、誰よりも失敗を繰り返しても、それでも、やり続けた。
 

 ただ、それだけの噺だ
 


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邪道作家 例の記事通り「悪運」だけは天下一だ!! サポートした分、非人間の強さが手に入ると思っておけ!! 差別も迫害も孤立も生死も、全て瑣末な「些事」と知れ!!!