八ヶ岳高原音楽堂という場〜務川さんのラヴェルを聴く
務川慧悟さんオールラヴェル💠ピアノリサイタル @ 八ヶ岳高原音楽堂
対話、がキーワードだった。
このところ務川さんの言う〈音で思考する〉をずっと考えているのだが、少しだけわかった気がする。……おそらく務川さんなら夢うつつでも造作なく弾けてしまうほど弾き込んだ曲を、更に深く対話しながらこの世界にどう放つのか、一音たりともおろそかにせず吟味しながら、かといって音楽の流れは停滞することなく圧倒的な推進力で音を織りなす。その圧巻ともいうべき音との対話を目の当たりにして(つまり、務川さんが音を作り上げていく、或いはその音をまさにこの世に放つ瞬間に立ち会えてる気がして)得も言われぬ感動に見舞われていた。。。!!!
そう、、、これはもしや、務川さんがかねてより理想としている、“演奏会であっても自宅で心ゆくまで自らの音に耳を傾けながら音楽を作っていくように弾けたら”、という、そのような過程をまさに聴けているのではないか?そういえば此処八ヶ岳音楽堂は務川さんの〈おうち〉だったな。もしかしたら、この親密な空間と相まってさらに〈親友ラヴェルさん〉の作品ということで、務川さんが理想とする演奏会のあり方が、ある意味実現していたのか。。??? もちろんここは演奏会の場であるので試行錯誤とかではなく、その放たれた音楽の完成度は最高純度だ!!
外との境目のないこの音楽堂、とりわけ初日は、虫も鳥も丁度よいタイミングでやってくるし
(「悲しい鳥たち」で鳥が啼き、やがて空模様が怪しくなり、「オンディーヌ」が始まる。…とともに激しい雨が……)、
あの水の精オンディーヌまでも、その長い髪をしとどに濡らしながら窓辺にまとわりついたのだもの。時々思うのだよね、務川さんは、動物や万物がその竪琴を聴こうと集まってくるというあのオルフェウスなのか?、と。アンコールの「ハイドンの名によるメヌエット」、この美しく愛らしい曲では雨はほぼ止み、代わりに再び鳥たちが合いの手を入れるように啼いたのだったなぁ。。
ツアー初日がこうした自然との交歓の叶う場であったことは、まことに良かった。
音との対話が深くなり集中が増すと、所謂ゾーンのような感じになるのかな、よくわからないけれど。それがまず第1日目の「水の戯れ」に訪れたような(全部私の思い込みに過ぎませんが。)これは何度かお聴きして務川さんの名刺代わりの一曲?にすらなっているのだが、なかでも今回会心の演奏だったのでは?弾き終わって務川さんもたしかに会心の笑みを浮かべていた。。?
そして、ゾーンというか、音の吟味とか対話とかかなぐり捨てて狂おしいまでのパッションで突き進む務川さんもいた!! それはもちろん「スカルボ」や「クープランの墓」終曲のトッカータのおそろしいほどの高揚感のことだ。「スカルボ」はそれ自体がそのような狂気的な曲である、とも言えるけれど。「クープランの墓」は各曲がそれぞれ故人に捧げられた追悼の曲ではあるけれど、弔いの音楽ではないから、むしろトッカータなど命の躍動感に満ちている。が、あれほどまでの高ぶり、嵐のように、降り注ぐ光のように、生命賛歌のように、聴き手を興奮の渦に巻き込む高揚感で弾かれるとは!!!整った古典派よりも意外と激しいバロックの気風だろうか、即興性もあったというトッカータの語法だろうか、とにかくすごかった。。🔥🔥🔥
この2日目のトッカータの前のメヌエットから、そのあまりの美しさに涙止まらず。もちろんそれはやすやすと自然に紡ぎ出された音だったと思う。とくに此処が自宅のように寛げる場であったとすればなおさら。でもあの音に到達するまでにはどれほどの研鑽と対話の日々があっただろう、、、などとふと思ってしまい。。。🥹
それに続く圧巻のトッカータ、そして最後は「妖精の園」。涙案件は揃ってしまったのだ。…
あぁ、そうだ、やっと生でお聞きできた「鏡」と「高雅で感傷的なワルツ」について語ってなかった。これらについても語りたいことは沢山あって、それはこれからまだまだ続くツアーの次回に書こう。
