「つまらない物ですが…」
謙虚さは、日本人の美徳として受け入れられていました。
「つまらない物ですが」の言葉も、ほんとうに「つまらない物」と言うことはなく(多分)、あくまでも謙遜・謙虚さからくる言葉です。
……が。
昨今では「つまらないと思ってるなら寄越すな」と言われてしまう始末。
(こちらも、本当に「つまらない」と思ってるのではなく、軽く皮肉ってる程度と思われますが)
そんな風潮ですので、長いものに巻かれるタイプのわたしは
「ほんの気持ちですが」「心ばかりですが」と言い表してきました。
でも、ふと考えるときがあるのです。
あえて。
あえて、「つまらないものですが」を使いつつ、へりくだっているように見られなくする方法があるのではないかと。(あまのじゃく)
その言葉を使う際の体勢(姿勢)を考えてみてください。
大体において、緊張している・そのため腰が引けてるか恐縮しているような姿勢ではないでしょうか。
そこで、堂々と胸を張りつつ、輝かんばかりの強気な笑顔も添えて
「つまらないものですが」
と言ったらどうでしょう?
「全然そんなこと思ってないくせに」とツッコミは入りそうですが
「つまらないと思ってるなら寄越すな」とは思われにくくなるんじゃないでしょうか。
言葉が古いので、時代とともに言葉の使い方が違ってきて当然。
という言い分もあるとは思いますが、そもそもどのような経緯でこの言葉が生まれたのでしょう?
時は明治、5千円紙幣にも描かれている新渡戸稲造の著書にある内容です。
「あなたは立派な人です。どんな贈り物でも立派なあなたにふさわしいものはありません。あなたの足下に何を置いても、私の善意のしるしとしてしか受け取れないでしょう。
だからこの品物の価値ではなく、私の心のしるしとして受け取って欲しい。
最上の品物でもあなたに十分にふさわしい物といえば、それはあなたの価値に対する侮蔑となるでしょう」
これを読むと、相手に対して心からの敬意を払い、礼を尽くしている人が使う言葉であって、そうでなければ使う必要はないんじゃないかな、と思いました(暴言)。
まぁ、わたしは簡単に喜んでしまうチョロい人なので、どんな口上であってもありがたくいただくし、気にしませんけどね。
