見出し画像

興味がないんじゃない。物理的に無理なだけだ

「最近の若者は車に興味がない」
ニュースでそんな言葉を耳にするたび、私は少し苦笑いしてしまいます。
なぜなら、その言葉を聞くたびに頭の中に浮かぶのは、自分の家計簿だからです。
私は30代、福祉の現場で働いています。
はっきり言わせてください。興味がないんじゃない。持つのが「物理的に無理」。

「買う」よりも恐ろしい、維持という名の固定費

車の話になると、よく車両価格の話が出る。

でも、私の生活を本当に圧迫するのは、買うときの値段ではありません。その後ずっと続く、維持費という名の固定費

駐車場代、自動車税、車検、任意保険、ガソリン代。都市部なら、車を置いておくだけで毎月数万円の出費になります。乗っても乗らなくても、お金は出ていく。

福祉の仕事の手取りは、20万円前後。そこから家賃・食費・光熱費・スマホ代を払えば、決して余裕があるとは言えない…。

そこにさらに数万円の固定費が加わる。

これはもう「節約の話」ではなく、生活そのものが崩れるレベルの負担

電車は「選択」ではなく、消去法の結果

私の移動手段は、基本的に電車です。

でもこれは「あえて電車を選んでいる」わけではありません。それしか選択肢がない。ただ、それだけ。

仕事帰りにスーパーで重い荷物を買ったとき、雨の日、荷物が多い日——「車があれば楽なのに」と思うことは、正直よくあります。

でも、その便利さを手に入れるための入場料が、今の日本ではあまりにも高すぎる

欲しいのは「興味」ではなく、まっとうな余裕

地方では、車は趣味ではなく生活インフラです。通勤、買い物、通院。それなのに、そのインフラを維持することさえ、今の現役世代には重い負担になっている。

もし福祉職の給料がもう少し高かったら。もし車の維持費や税負担がもう少し軽かったら。

きっと私も、普通に車を持っていたと…思う。

車が嫌いなわけではない。ただ、普通に働いて、普通に生活していくその「普通」の枠の中から、車がはみ出してしまっただけなのです。

「車離れ」という言葉を聞くたびに思います。

離れたのは、私たちではありません。

普通に働いていても、車さえ持つ余裕がない。この社会の余裕のなさが、私たちを置き去りにしている。

30代になり、自分の暮らしを整え、必死に守ろうとすればするほど、その現実に直面します。

ハンドルを握る代わりに、今日も自分の生活という手綱をぎゅっと握りしめています。

それが今の私にできる、「暮らしを整える」という精一杯の選択なのだと思います。


いいなと思ったら応援しよう!