人は治るし死なないものだ
「私はラグビーが大好きです」
「週末にはラグビーを見に行きます」
「部屋はラグビーのグッズでいっぱいです」
こんな宣言にもかかわらず、私は好き嫌い以前にラグビーに関する知識がほぼなく、生で試合を見たこともなく、もちろんミニチュアのボールも持ってはいません。
ではなぜそんな嘘をしゃあしゃあと、と思われそうですが、これは私が使っている語学学習アプリに登場する例文です。
そのアプリのフランス語には、なぜかやたらとラグビー関連の話題が出てくるのです。もしかすると監修者が元ラガーマンか、熱心なファンなのかもしれません。
そのせいで、あるいはおかげでと言うべきか、私はしょっちゅうラグビーにまつわる文章を音読し、翻訳し、そこだけを切り取れば、日々ラグビー愛を昂じさせている状態です。
もっとも、他の例文にしたところで
「私はカンヌ在住のブラジル人弁護士です」
「従兄弟は英国ドラマに出演する有名な俳優です」
「バカンスではヨットでスイスの祖母宅を訪れます」
などと、大層なにわかセレブぶりのため、詳しくもないラグビーを熟知していると公言したところで、さほど気にする必要もないのかもしれませんが。
それでも、フランス語を学ぶ過程でラグビーへの愛を宣言し続けたせいか、思いもかけず、ラグビーの凄い選手だったという方にお会いする機会がやって来ました。私の潜在意識にラグビーが刷り込まれ、よく言う"引き寄せの法則"が働いたのかもしれません。
その方は名を山川載人さんとおっしゃり、ラグビー強豪校である天理高校在校時から、日本代表チームの一員として、オーストラリアやイギリスなど、海外でも試合を重ねてこられた名選手です。
現・東芝ブレイブルーパスにも長く所属し、引退後の現在もラグビーやスポーツ界と関わる活動をなさるなど、輝かしいばかりのキャリアです。
そんな方を囲む会に、自分のような門外漢が加わって良いものか。失礼に当たらないかと迷いましたが、人生で“元日本代表ラグビー選手”の方にお会いできる機会が、そうあるとも思えません。
するとどうしても好奇心が優り、なるべく隅っこでご迷惑をかけないようにしよう、と決めて私も会に参加しました。
開催時間ぎりぎりに到着すると、すでに会場のお店には多くの人が集っており、私は目論見通り最奥の席に腰掛けます。
皆、そこにいらっしやる山川さんのお姿に、実年齢より確実に10歳以上はお若く見える、さすがの体格だ、爽やかで優しそう、などと感嘆の声をもらしており、私もそれらに同意しつつ、ふと、自分が知るある人を頭に思い浮かべました。
格闘技の先生です。
私がかじったいくつかの格闘技のうち、最も長く続けたのは、フィリピンの接近戦闘術アーニス、別名カリです。
その先生の、曰く言い難い佇まい。威圧感とも違う、一目で丹田が決まっていると知れる気迫漂う静かな姿は、忘れられるものではありません。
山川さんの全く無駄な力みのない、寛いだ立ち姿が、なぜか先生のその姿と重なりました。とても楽そうな姿勢でいながら、内側には充実があり、柔らかく太い芯が、真っ直ぐに全身を貫いている気配が見て取れます。
数十年の長きにわたり、フィールド上での勝負を重ねてこられた方ゆえ、格闘家と同じような身体の練れ方なのは、ある意味当然と言えるのかもしれません。
山川さんの現役時代の体験談のうち、最も会場が盛り上がったのは、数多ある怪我のお話でした。
脚だけで7度の手術を経験なさり、そのうち最も大きな怪我では、膝の骨は外れ、膝周りの全ての靭帯が切れたそうです。そうなると膝は前後でなく真横に曲がり、腿から下は皮膚だけでつながって垂れ下がっているため、手で抱えて持ち上げなければならなかった、という件りに悲鳴が上がりました。
ご本人も“これはやばいと初めて思った”そうですし、医師からも再び歩けるようになるかはわからない、と告げられもしたそうです。
でも、と山川さんは晴れやかな表情でその先を続けました。
「治るんですよ、人の身体って」
よく“何を言うかより、誰が言うかが大切である”などと言いますが、私はこの時それを痛感しました。
人の体は治る。
それは誰もが知っている真実であり、前回の話で書いた私の右手親指も、すり傷に火傷、ちょっとした風邪やインフルエンザも、もっとたちの悪い病気でも、私たちの身体は休養や自己免疫、あるいは医療など外部の力を借りて、元の問題がない状態まで戻してくれます。
考えてみるとそれはあまりに有り難く、そんな素晴らしい回復力が自分にも備わっていると思うだけで、深いところで生きる励ましを得るような気さえします。
だってもしそうでもなければ、とても呑気には生活できず、ちょっとした怪我や不調を常に恐れ、細心の注意を払って安全策を取り、閉じた人生を過ごす他なくなるでしょう。
けれど本当はそんな必要はなく、私たちはたとえどのようなアクシデントにぶつかろうと、必ず立ち直れる、素晴らしい回復力を備えています。一人残らず、誰もがです。
山川さんが笑顔で何気なくおっしゃった一言に、私は改めてそう気付かされました。
以前、たった一人で海上を100日近く漂流し、ようやく救出された男性がいましたが、その方も
「いや、人ってなかなか死なないものですね」
などと朗らかにインタビューで語っていました。
その事実と全く同じで、人は案外なかなか死なないもので、どんな致命傷からも回復します。ですが、その"当たり前"には、実はもの凄い重みがあります。
一見ありふれた平易な言葉がそんな考えを誘ったのは、その裏に壮絶な体験があるからです。それはサバイバーの言葉であり、たとえ多くを語らずとも、その背後には、骨まで食い込むような苦闘の跡が隠されています。
あえて言葉にはされなかったそんな背景を感じたからこそ、私は山川さんの言葉に胸を掴まれ、図らずも人生の深い部分に触れたようにすら思いました。
その場では他にも多くの有益なお話を聞いたのですが、私としてはもうそれだけで、今日ここにいられて良かったという心境でした。
そしてこれは、山川さんや漂流者の男性に限らず、私たち全員に当てはまることでもあります。
練りに練った、考え抜かれた言葉より、自分にとっては何でもない、人生や生活の中からふと出た言葉が、他の人の心を揺さぶったり、胸に落ちることがあるのです。
ここには名文や優れた話芸に結びつく秘密が潜んでいるようにも思えますし、何かを伝える、表現するということの奥深さも思わせます。
もちろんご本人にこんなことは申し上げていませんし、山川さんがこれをお読みになるとも思えませんが、もし可能なら、かけがえのない体験談と、そこから受け取ったものについて、深くお礼を申し上げたい気分です。
そして、この際ですから
「私は熱心なラグビーファンのため今夜はテレビで試合を観ます」
機械的に口に出してきたフランス語の例文を、いよいよ実行に移すべきかもしれません。
