8月の詩
8月12日から15日頃、盛夏の時期をあらわす季語のひとつが"寒蝉鳴"
ヒグラシは7月始めから9月にかけて日本中の至る所で見られる蝉で、その特徴ある鳴き声で知られます。
怪談物に留まらず、日本文化の研究でも多くの書籍を残した小泉八雲は、1900年刊行の〈Shadowings〉の一節にて、ヒグラシをこのように描いています。
他の多藪の蝉はその樂を燃える日盛にだけ奏して、雨雲が日をかぎらふ折にさへ中止するのに、これは未明と日没にだけ歌ふ特別な黄昏の樂師である。
其驚くべき──カナ、カナ、カナ、カナといふ──叫声は、いつも高い明瞭な調子に始まつて、徐々に低うなるが、いかにも上等な呼鈴を極早く振る音に酷似して居る。
乱暴に振る時のやうな、ヂャリンヂャリンといふ音では無くて、速くキマリがついて、兼ねてまた驚く許り清亮な音である。
ヒグラシの叫は、金属の反響の如くに、力の強いそして貫通す音ではあるが、優雅とも思へる許り音樂的である。
そしてそれには、暮れ初める時刻と調和した一種特別な悲哀な調がある。
蝉の鳴き声さえも情緒と詩情に満ちた音楽としてとらえる、八雲ならではの感性がうかがえる文章です。
同じくヒグラシの鳴き声を印象的に取り上げた詩が、山村暮鳥の『ある時』です。
短い断章を重ねたこの作品で、ヒグラシについて書かれた箇所はことさらに短いものです。
けれど、常に曇りのない目で身辺の自然を見つめ続けた暮鳥らしく、この平穏で静かな詩は、不思議な余韻と清冽さを湛えています。
また蜩のなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい國があるんだ
◇◇◇
暮鳥が思いを馳せた"いい國"が、果たしてどのような場所であるかは知れません。
けれどその場所は、アメリカの詩人エミリー・ディキンソンが描いた世界に近いのではとも感じられます。
暮鳥同様、深い眼差しを自然に注ぎ、そこから安らぎとインスピレーションを汲み上げていたディキンソン。題名のないこの詩の中でも、人間には及びもつかない神秘な世界の一幕が描かれます。魅惑的な、大いなる謎と共に。
鳥たちよりも遅く、深まる夏に
草むらから物哀しげに
小さな種族が祝うのは控えめなミサ
聖餐式は見受けられない
恩寵の動きは、あまりにもゆるやかで
物憂げな風習となり
孤独を押し広げている
正午に感じるのは、古めかしさの極み
八月が燃え尽きようとするとき
沸き起こる、この亡霊の詠唱
予期されし休息
恩寵はまだ差し戻されてはいない
輝きの上に、皺は刻まれていない
けれども、ドルイド教的な変化が
今、自然を高めている
◇◇◇
ディキンソンの神秘と孤独に、人間の存在を加味したかのような詩。それが伊東静雄の『八月の石にすがりて』です。
伊東は九州の温暖な土地で生まれ育ち、大阪で教職に携わりつつ詩作を続けました。その生い立ちゆえか夏を主題とした作品が目立ち、1940年に発行された詩集のタイトルもまた〈夏花〉です。
そしてこの詩の執筆の際、詩人はおよそ三日三晩、盛夏の大阪の街をひたすらに歩いたそうです。
八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。
運命? さなり、
あゝわれら自ら孤寂なる発光体なり!
白き外部世界なり。
見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木蔭をつくれ。
われも亦、
雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。
◇◇◇
真夏の灼けつくような陽光と、白昼の曰く言い難い空白。
フランスの詩人ジャック・プレヴェールの『美しい季節』でも、それは作品の重要なモチーフとなっています。
詩、戯曲、小説、作詞と、あらゆるジャンルで余すことなく才気を発揮したプレヴェール。1945年発刊の詩集〈Paroles〉に掲載のこの詩でも、明るい陽射しと寄る辺ない少女の姿、光と翳の織り成すコントラストを、わずか5行の物語に仕立てています。
空腹で 身体は冷えて 途方に暮れて
ひとりぼっちの 一文無し
16歳の娘が立ち尽くす
コンコルド広場
8月15日 正午のこと
◇◇◇
降り注ぐ光の明るさだけでなく、仄暗さや一抹の不安、不可思議さえも感じさせる"寒蝉鳴 "季節の詩。
光と闇、明と暗という強い対比を四季のうちでも最も鮮烈に浮かび上がらせるのも、夏の魅力の一部かもしれません。
されど、陽の部分の勝る良き日々を、心楽しく送られますように。
ラムネ飲む人魚のゐない水族館
篠崎央子
(訳詩・ほたかえりな)
