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それはあなたの世界観

さて、一念発起して片付けを、と前回思い立ったからではないのですが、いま私の机の上には、極彩色の世界が広がっています。

それはたとえば、レイモン・サヴィニャックのエールフランス広告の空色、星野道夫さんのアラスカの白銀、ジョージア・オキーフの花弁の紫、シャンパングラスを手にしたオードリー・ヘプバーンの背景のショッキングピンク、アンリ・マティスの室内の真紅、火山灰の街ポンペイ出土の女性の肖像画の茶、ヨハネス・フェルメールの静寂の青、藤田嗣治の透き通る乳白色、寄り集まって眠る子犬たちのクリーム色、高砂淳二さんの夜の虹ナイトレインボウの七色、島成園描く麗人の纏う玉蟲色、オーブリー・ビアズリーの妖艶なるサロメを彩る金。


それらは私の持つポストカードの図柄であり、どうにか種類別に分別しようと、いったん全種類を机の上に広げてみたのです。

もちろんそれなりに整理はしつつホルダーにしまってはいるものの、数が増えるにしたがって分類はあいまいになり、容易には確認不能な様相を呈していました。
ホルダーを開く度それがちょっとしたストレスとなっていたため、いい加減片をつけようと、突然思い至りました。

そして、そんな思いつきは消えないうちに実行に移すに限ります。でないと、下手をするとまた一年間はこのまま、という事態にもなりかねません。


そもそも、なぜそれほど大量のポストカードを所持しているのかというと、それは私が自らに課しているルールのせいです。
ルール自体は単純で、どこかの美術館や展覧会を訪れる度、必ず最低一枚はポストカードを買うこと、というものです。これは、記念と回想、入場料以外のささやかなお礼のためでもあります。

それには値しない、あまりにひどい美術館や展覧会には幸いまだ巡り会ったことがありませんし、昨今はどこもギャラリーショップが充実していて、選ぶのに苦労することもしばしばです。


前話でも触れたのですが、私はコレクターではなく、好きなものを惜しげなく使っていきたいタイプのため、これらのポストカードも実際に活躍させています。

誰かに送ることもありますし、たいがいは季節やその時の気分によって、家のあちこちにある額に入れて飾っています。それが洗面所でもリビングの壁であっても、見慣れた空間が一枚のポストカードで新鮮な変化を見せるのですから、その効果は侮れません。

私がもっとお金持ちなら、本物の油彩や水彩の絵画を買い、限定ナンバー付きの版画なども求めて大得意で飾るのですが、あいにく資金とスペースが不十分なため、ポストカードで身近な満足を得ています。


そんな使い道があるからこそ、選ぶ時も気合いが入るというものです。
観たばかりの展示の感動も醒めやらないため、下手をすると端から端まで全部、という買い方をしてしまいそうなのですが、そこは堪えて理性と自制心を総動員し、どうしても欲しい数枚に絞り込みます。

そうして折れたり汚れないよう用心して家まで持ち帰り、ホルダーに納めて一安心、ということを続けた結果が、目の前の机の上に現れているというわけです。


それでもなんとなく楽しくなって俯瞰で写真などを撮っているうち、友人の心理学教授から、雑談交りの連絡が入りました。
ちょうど今は、外出先の偶然見つけた喫茶店で、ミントティーを堪能しているそうです。
洒落た店内を背景にした、涼やかなグラスの写真まで送られてきて、もはや嫌がらせ寸前のうらやましさです。

素直にそれを伝えつつ、私など家で黙々と片付け中です、とこちらも机の上いっぱいのポストカードの写真を送ると、すぐに返事が届きました。
「素晴らしい!これはあなたの世界観ですね」


いかにも教授らしい言い回しに笑みを誘われつつ、その意味をよく考えてみます。

これが"あなたの好きな世界観"というならわかります。これらは私の趣味の反映で、私のことをまるで知らない人が見たとしても、ああ、こういうものが好きな人なのだな、とすぐに察しがつくはずだからです。

けれど教授は“あなたの世界観”と書きました。
いつも極めて正確な言葉遣いをする人のため、その表現をそのまま解釈すると、私はこのような世界観のもとに生きている、あるいはこのような世界観を持っている、という意味として受け取れます。
ここには、私の持つ世界の見方、世界の捉え方が映し出されている、ということです。


確かに、これらは全て私自身がこだわって選んだものであり、そこに自分自身が色濃く現れていることに何の不思議もありません。
そういった視点で改めてポストカードを眺めてみると、本当に統一性がないなと思わされます。

犬に動物の写真、野山の風景、海中、尾形光琳をはじめとする琳派に、鈴木其一などの大阪画壇、華宵に夢二に中原淳一の美人画、アンリ=カルティエ・ブレッソンの旧いパリの景色、オランダ室内画、洋画のポスター、印象派、ナビ派、浮世絵、絵本画、世紀末のドゥミ・モンドの肖像写真、日本語に英語にフランス語の有名な詩文、天体写真、昔の看板のデザイン画、素描、耽美派絵画など、どれも本気で惚れ込んでいるものばかりです。


人間は周囲をただあるがままに見るのではなく、網膜や神経、脳の処理を経て画像を結んでいるのと同じく、世界をありのままに見ている人はまずいません。もしいるとするならば、そんな人は聖者か神様に近い人でしょう。

大抵の人はあらゆる色眼鏡やフィルターを通して世界を認識しているはずで、そうであるなら私は世界をこのように、雑多な趣味と好みでもって見つめているのです。

何人かの人たちと街中を歩いていても、見ているもの、気にかかるものはそれぞれに違うでしょうし、それは各々の人が自分の関心というフィルターを通して周囲を見ているからです。


そうであるなら、そのフィルターはなるべく精緻で美しいものに反応する、光への感度の高いもの、生きるに値するものとしてこの世をとらえるものを装備していきたいと思います。

そのためにはより一層、自分の"世界観"によくよく気をつけ、物事のどの局面に着目するかで、その意味や考え方も変わることを理解していなければ。


いま目を上げて見た先には、ジャック・タチの映画のポストカードが飾られています。そこにはこんなフランス語のタイトルも書かれています。
JOUR DE FÊTE祝日

パリ祭の日を舞台にした破天荒に明るいコメディで、ポストカードも、陽気な映画の雰囲気そのままに、とにかく賑やかで華やかです。

人生はこんな風にいつも祝祭日のようとはいきませんが、たまには浮かれた楽しみに浸る時間があっても良いもの。これも、私の世界観です。


そして、自分の中に数多くの世界観を持つことは、案外悪くない気がします。パレットの上に多彩な色のある方が多様な表現が可能なように、多くの視点や好みを持つことは、世界を広げ、深みと面白さをもたらすことにもつながります。

では私は、大いに楽しみながら、ポストカードたちをホルダーに並べていきましょう。
景気づけのブラジル音楽に合わせて歌いつつ。



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