「母親の放任・怠だ」という言葉
児童養護施設への入所理由として一番多いのは、何だと思いますか?
それは、「母の放任・怠だ」なんです。
参考データ:児童養護施設入所児童等調査の概要”
このことを、初めてのThreadsで呟いてみたら閲覧数が18万回にも及んだので、びっくり。(他の呟きは1000回もいかない。)
その時詳しく書けなかったので、こちらではもう少し深掘りしながら、私がなぜこのデータを取り上げたのかについても書いてみようと思います。

ちなみに、「放任・怠だ」ってつまり、ネグレクトであり虐待に含まれるのではないか?と思ったので、こども家庭庁窓口にダメ元で直接問い合わせてみたところ、担当の方から丁寧な回答をいただいたので補足を加えて下記に説明しておきます。
児童虐待は以下の4つに分類されますが、
身体的虐待
心理的虐待
ネグレクト(放棄・放置)
性的虐待
この調査ではネグレクト(放棄・放置)を虐待の中には分類せず、「放任・怠だ」という項目をつくることで、「軽度の放置や養育能力不足も含めている」という見方をするようです。
回答の複数選択が可能であることから、一つの理由により入所が決まるというわけではなく、いくつもの理由が絡み合っている中の一つとして「母による放任・怠だ」の割合が多くなったとのことでした。
Threadsのコメントに一つずつ返信をしている中で感じたのは
「母の」
「放任」
「怠だ」
という言葉に反応した方が多いということでした。
「え、父親は?」
「母親ばかり責められているように感じる。可哀想」
「怠けているわけじゃないでしょう。児相の偏見で奪われた子もいる」
私も1人の母として、同じように感じました。
「母の放任・怠だ」という言葉だけを見ると、まるで母親だけに原因があるように受け取れてしまうからです。
でも、私がこのデータを取り上げた理由は、母親を責めたかったわけではありません。言いたかったことは3つあり、まず1つ目は
それは違うんじゃない?
子どもは男女の間に授かる命なのに、母親だけに責任を課されているように見えたのが悲しいと、ただ言いたかったのです。
「放任・怠だ」という言葉がまるで、怠けているあなたのことですよーと言われているみたいで、それぞれ色々な事情があることを汲んでくれないの?と、この表し方も悲しくなりました。
もっと他にないのだろうか…
2.そんな現実も実際にはある
一生懸命に子育てしている人から見れば、想像がつかないかもしれませんが、子どもを授かったけれど「育てたくない」と思う親もいます。
それでも育てる、育てなくてはいけない義務を放棄して自分のためだけにお金や時間を使いたい人、施設に預けていてもたまに会えればそれで親子として成り立つと考えている親もいます。
そこには様々な事情もあると思いますが、敢えて考えずに言えば、本当に「放任・怠だ」そのものが理由で入所に至る現実もあるということも知ってほしかったのです。
そして、一番言いたかったことが3つ目です。
3.親子分離をしなくても良い一つの方法が「家事支援」である可能性を伝えたかった
「軽度の放置や養育能力不足」が含まれているということを踏まえると、この「放任・怠だ」という言葉は、時に、どんな家庭でも起こり得ることであると感じます。そして逆に、「家庭の中に入って養育者を支える支援」があれば親子の分離を防げた例もあったのではないかと思いました。
子育て中は、うまくいかないことの連続です。
子育てをする誰もが、産んだその日から毎日母性に溢れ、子どもを育てるために必要とされる全てを与え続けることができるわけではありません。
眠れていなくて苦しい。
自分の食事は後回し。
片付けたいのに、体も心も動かない。
そんな中でいつしか、子どもを「かわいい」「大切にしたい」と思う気持ちが追いつかなくなってしまった。
この気持ちが「放任・怠だ」→施設入所・親子分離に繋がるのであれば、
その前の段階=家庭の中でできることがある、そう思っています。

私が児童養護施設の職員を辞めて、家事代行サービスという、家庭により近い場所で養育者を支える仕事を選んだ理由もそこにあります。
施設では、子どもたちの生活は守られます。
手作りの食事があり、清潔な衣服があり、規則正しい生活があります。話を聞いてくれる職員がいて、必要な物を買ってもらえたり、休日には一緒に出かけたり、季節の行事もきちんと行われます。
職員は昼夜を問わず、プライベートな時間を削りながら子どもたちと向き合っています。
それでも、私が施設で出会った子どもの中に、「施設に入りたくて入った子」「施設で暮らしていて良かった」と言う子は一人もいませんでした。
理由を知った上で「帰れんもんなあ」「嫌やけど仕方ないし」と諦めている子、
理由も分からないまま「何で帰れんの?」「家に帰りたい」と思い続けている子もいました。
その姿を見てきたからこそ私は、施設という場所は最後の砦として存在するべきで、まずは「家庭を守る」、そのために「養育者を支える」ことが重要であると考えています。
「母の放任・怠だ」という言葉をきっかけに、たくさんの方と対話ができたこと、そして改めて家事支援の必要性を自分の中でも強く感じました。
子どもたちを守ることと、育てる人を支えることは、決して別々ではありません。
これからも、家庭という一番身近な場所で、子どもたちと、育てる人、その両方を支えられる存在でありたいと思っています。
