人生が、マンガのコマのように過ぎていけばいいのに。#創作大賞2022
通学に使っている如意線の車窓はもはやマンガのコマだって、久助は思うことにしている。日常のややっこしいことをフィクションのように眺めて心の平静を保とうとしている。
そう、うっかり死なないために。

電車が走っている時は、そのコマが横長に伸びている感じで、流れていく。
停車駅<干し草山>で止まると、開いたドアのコマは突然途切れて座席の後ろの窓のコマに人々が描かれる。人のいないコマは殆どなくって、どこかしらに人々が配置されてゆく。そこに登場するのは、たいてい急いでいて社会のしがらみをたっぷり背負ったような人々で。
久助とは違う他校の中学生もいる。前は向いているけど斜め四十七度くらいの角度、若いってぜんぜんうれしくないって表情で歩いていたりする。でもオジサン達に言わせると、それが若いっていうことらしい。若いって…。
今、ちらっと車内を見渡すというか、視線をずらすっていう感じだけど。
マスクのムコウの視線は無防備なままだから、ちょっとはじかれた気分になる。
みんなほんと、あの顔もあの顔も昨日もそこにいたし、おとといだっていたけど。それってみんなスマホパラサイトだし。
久助は電車の中でスマホすると酔ってしまうので、なるたけしない。
だから、そこにいる誰かと挨拶するなんてことはないし。かと言って挨拶したいわけじゃないけれど、どうして、こうなんだろう。
平日の雑踏とか満員電車の中って殺伐としてみんな、知らねーよカンけーねよみたいな雰囲気。
みんな仲良くした方がいいとかっていう話じゃなくてね。
こうやって毎日馴染んだ電車でさえ、敵地に乗り込むみたいな風情に厭世的な空気がじぶんの口から鼻から、瞬く間に致死量近くまで入り込んでしまうようで、いやだっていうか、なんとかしろっていうか。
でも、ある日の停車駅、「翼4丁目」は違っていた。

停まると、開き切ったいたドアのマンガのコマには、そこにホームにいる人々が配置されてゆく。
その日は、荷物を背負っている主体がみえないくらい、荷物だらけのおばあさんが歩いていた。恐ろしく速く前かがみで歩いてゆく。あっという間にひとつのコマの中から消えた。
その隣には父親とその娘と息子らしき子供がいた。幼稚園生らしかった。制服を着て帽子をかぶってマスクをしていた。彼らが乗り込んできた。
女の子が持っていたカンカンの中のキャンディを、フロアにぶちまけてしまった時。
父親がすぐさましゃがんでそれをひとつひとつ拾って、もう食べられないねってことを女の子に話していた。
マスクの子供は、すべて知っているよっていう眼差しでうんと頷いて、父親がキャンディを拾うのをじっとみていた。
お兄ちゃんらしき子が、女の子の頭を一瞬撫でる。大丈夫だからねっていいながら父親は立ち上がって、子供とふたたび手をつないだ。
電車が走りだすと、ときおり人のいない絵がそこに描かれて、時計と停車駅の名前とモールの広告の看板が倦んだように、過ぎ去って行く。
雑踏の人々はみんな違う顔した人間だけど、みんな違うのか。違うってなんだって、見た目なのかタマシイとかいう代物のせいなのか知りたいと思うこと、それが最近の久助の思考の癖だった。
世界は遠くにはない。ここにある。
今この時代に一瞬、中学生であるこんな日々を物語の始まりのように久助は感じようとしていた。あんなふざけた病が世界中を席巻するほんの少し前のことだ。
仁丹中学に着くと臨時担任、蛍原がやってきた。
前の担任、細腹弘子が出勤してきても担当教室の扉をくぐれないという精神の病を抱えてしまい欠席が続いていた。そして柔和な表情の蛍原先生が赴任してきたのだ。蛍原は例によってほとちゃんと呼ばれた。さらさらヘアじゃなくてほとんどもじゃもじゃだった。
ほとちゃんは、クラス担任になってしばらく経った頃、みんなに用紙を配った。
久助に配られた紙には、<本多ヘイスケ>って書かれていた。隣の道田ハルヒの紙には、<東雲瑠香>って書かれていた。
一瞬、謎の4文字熟語かと思った。
東の雲でしののめさんって読むんだって、その日はじめて久助は知った。
同じクラスだからといって、まんべんなく喋るわけじゃないから、ほとんど他人だ。
なにこれ? ってみんなでペラペラの紙をひらひらさせていたら、ほとちゃんは、君たちが今日から1週間、なってもらう人の名前が書いてあります。って平然と言った。
なってもらうってここはワークショップかい? って心の中で独り言ちてたら蛍原先生は「久助君、大正解」って突然名指しされた。
「そう、ワークショップみたいなものだね」
え? 俺声にしてないよねって思ってたら、蛍原が「驚いてる? 怪しい? 久助君は、時々声にしないのに唇が動くでしょ。不満がある時は特にそう。今その唇の形を見てたんだよ。それだけ。驚かしてごめんね」
こえーわ、ほとちゃん。って心の声で叫んだ。
ほとちゃんは、種明かしのようなことをしたや否や、他の生徒たちがナインしてるって、してるそういうのって口々に言い出した。
してるっていうのは、声に出さずに唇が動くことを彼らが確かめ合っているという意味らしい。
ナインってのは、説明するのもばからしいけれど、久助の久の音からきていた。当たり障りのないあだ名は、あるだけましだということを、ここ数年で覚えたので言わせておく。九じゃねーよとは言わない。ありがたく頂戴しておく。
「君たち、みんないつかイジメられるだろうって顔して座ってるね。自分らしくあれとか、君のままでいなさいとかって言うよね、大人たちは。いい気なもんで。でも、まんまでいたらえらいことになってしまうってこと知ってるのは、君たちだけ。そういうのはやめにしよう。らしくとかは、もういいから。知ってる限りでいいから、7日間だけ他の誰かになってみるんだよ。佐藤一二三さんなら、篠田天さんになるの。それって、たぶん誰かになるためには自分以外の誰かをよく観察することになるよね。ウザイだろうけどやってみよ。いつイジメられるかって考えるよりは、ましじゃない? あ、見た目とかは真似なくていいよ」
蛍原は熱血漢っていうのともちがう。なんていうか。教室という空間を今とは違う場所へと、変えようとしていた。窓を開けて換気したら、この匂い何? っていう脳天をささやかに刺激するような、たとえて言うとイランイランの風がふいに入り込んできたような。
イランイランが嫌ならクリアミントの匂いでもいい。たしかにウザすぎる。でも、生徒らはちょっとその気になっていた。日常なんとかしろよって気分だったから。
久助もその気になって、本多ヘイスケになろうとした。本多は、1年ののっけからいろいろと盛るタイプで、まぁ根っからの嘘つきだった。だったというかそう思われていた。
いつだったか、ヘイスケは言った。
満月の夜にカタツムリが歩いてゆくんだって、って言った。
誰も何処に? とか聞かないけれど久助は、密かに心の中で何処に? って問いかけていた。
満月の夜は東に。新月の夜には、西に向かって。どや顔じゃなくて知ってた? っていう素振りもしないけれど、知らないうちにみんなヘイスケの言葉に耳を傾けていて側にいるみんなが、見たんかい? 知らんわいとかツッコんで嘘だろって言っても、ヘイスケは動じなかった。
嘘ってなに? って逆にみんなを一瞥した。

地球の磁力を感じとってるからだよ、あいつらの身体の中にはそういうセンサーがあるんだって。嘯いたような眼をした。その時、みんなと同じようなリアクションを久助もしたけれど。この動じなさに、ちょっとだけ心の奥底で惹かれていた。
いつだったか、遠くでクレーンから何かを落としたような振動が教室まで響きわたる工事の音がしていたことがあった。場合によっては、教師の声さえも遠くで聞こえるような。
町谷が授業中、隣の席の花山君に向かって大きく口を開けてぱくぱくさせた。すべてにピュアすぎる花山君は、耳が一瞬聞きとれなくなったのかと思って、耳を押さえたり左右に振ったりした。
ヘイスケは町谷の子供じみた態度を侮蔑するように視線で秒殺しながら、あの音、夜もしてるよって久助に言った。そして花山君に大丈夫だからって耳元でジェスチャーして付け加えた。花山君は、はにかんでいた。
そして付け加えるように言った。
クレーンの音階は銀色に見えるし。田代の怒ってる時の声はオレンジ色でさ、養田先生の咳払いは黄土色。でさ、俺の好きなサカナの<宝島>、あたらしバージョンは紫色。あのサビは紫色にみえるんだって言って、微笑んだ。
今僕に微笑んだよね? って確認したくなるぐらい久助に笑みで返した。その顔が、久助の視界の中に突然フィックスされた。前に座っていた前田がそんなのあるかよ? って小声で振り返り呟いた。お前は見えてないのその色? ってヘイスケが問い返した。授業が終わった後も、その話がぶり返されてまたフェイクのヘイスケが言ってる。ハイハイとかってなおざりにされても動揺しなかった。ヘイスケは、挙句の果てにフェイスケって呼ばれるようになっていった。
久助は出来うる限り、ヘイスケになろうとした。
ほとちゃんの、あのワークショップみたいな変な課題ね、ヘイスケになるんだけどってヘイスケに言ったら、うん、やってみてっててよって、照れてるのか怒ってるのかそういう返事が返ってきて。
ヘイスケは誰になるかと思ったら、クラス一どんくさいと言われている花山圭太君だった。
花山君は、ちょっとした段差で躓いたことがあった。クラスのみんなから芸人か? ってからかわれていた。いじられキャラだった。
ある日、花山君は、廊下の隅でひとり何かをしているなって思ったら転ぶ練習をしていた。芸人か? って囃されたのを機に芸人のようなものになろうとしていた。その花山君が誰になるんだろうって思ってたら、久助だった。でも花山君は翌日から欠席続きで、あろうことか、そのまま転校してしまった。
花山君は前の学校でも苛められていたそうだし、だからこの学校へ転校してきたのだけれど、再び転校してしまった。
ヘイスケは、いなくなった花山君を演じていた。クラスで挙手させられるときは、花山君がしていたように一度上げた手を耳のあたりまで下ろして、挙げているようにもいないようにも見える、曖昧なそのスタイルを踏襲していた。気が付くと久助は、花山君を演じているヘイスケの事ばかり目で追っていた。花山君のことは、一度たりとも目で追わなかったのにだ。
ヘイスケになった久助は、一週間だけ陸上部に入ることになった。ヘイスケが入っていたクラブだったから。
先輩らしき人が久助を見るなり君のクラスの事情は聴いてるって言って、耳のあたりで指をくるくるさせた。それが何を意味するのかわからなかったけど、ヤな感じだった。
軽くジョグやってとか言われて、それがウォーミングアップだと知ってたらたら走ってたら、いつ終わればいいのかわからなくなった。先輩面した人がヘイスケ君はさ、なんかケツワレが平気でさ、ちょっとクレージーじゃないのって思ったの。じゃ、君、久助君もケツワレやってみますか? って謎のワードを投げかけられた。その意味が身体で理解にできたのは500mあたりの中距離を走っていた時、ケツから太ももへの痺れのような妙な痛みに気づいた時だった。
その痛みは、学校帰り自転車のペダルを漕いでる時も止まなかった。陸上部の先輩のいい人そうな一人にこれヘイスケ君にって、練習メニューが書かれたプリントを渡された。久助はヘイスケん家に行くことにした。
ラインで連絡して家の前で約束したら、久助の眼の前にヘイスケが居た。
木立の中でフードを被った10代くらいの女の子が、こっちを向いて笑ってるみたいな風情だったのでヘイスケだって気づかなかった。

「家にいる人が気にするからさ、外で話してると」って言って、久助を玄関まで入れてくれた。
靴箱の際の壁は波打ったような楕円の磨りガラスがはめ込められて、街灯の灯りが靴箱の上にまで差し込んでいた。みると家族写真のようなものが飾られていた。フードが風に吹き飛ばされそうなのか、両耳あたりを手で押さえながら立っているヘイスケだった。
久助の視線に気づいたのか、「あぁこれ。今日と同じ服だね。こういうの昔はたくさんあってさ、俺嫌だから全部とっぱらったの。だから残ったのはこれだけ。家の人が一枚ぐらいいいでしょって言うからさ」
母親のことを家の人っていうのが、耳に残った。
撮ったのは彼のお母さんで。今は別居していてヘルシンキ在住らしい。
それってほんとかなって思いも過ったけど。そんなことはどうでもよくて。ちゃんとファインダーを覗いていたお母さんの視線が、まるごとヘイスケにまっすぐだった。
<うそからでたまこと>。
ヘイスケが呟くので、え? 何?って聞き返した。母親がつけたタイトルだった。だって俺笑ってるでしょ。嘘笑いしてたらマジ、可笑しくなってさ。
いつにもまして遠い目をして答えていた。そんなヘイスケが突然、苦しそうに息を吐き出すように言った。
噂だけど、花山君が死んでしまったって。TwitterのDМでも送られて来てさ。ヘイスケの目の中には久助が映っていて、久助は、何も答えられずにただ黙っていた。
その噂は、次第にクラスに広まっていた。ただ、それは花山君が死んだことではなくてヘイスケのフェイクだよなっていう噂の方が拡散していった。
蛍原が提案した一週間違う誰かになってみる計画は、2週目半を回っていたけれど。保護者からの総スカンをくらって即刻中止になった。
久助がヘイスケになることは、もうなかったけれど。ただひとりヘイスケだけは、ずっと何故か花山圭太君を演じていた。
それはまるで花山君を追悼しているかのような感じで。その姿はまさにそこに花山君がいるようだった。クラスのみんなもヘイスケのことをフェイスケっていつしか呼ばなくなっていた。
所作は板についていて今は第二段階とでもいうような、朗読する時の息の継ぎ方や作文を書く時も、ぜんぜん要するにじゃないのに要するにって書いてしまう所までも似せていた。
音楽の時間。合唱の時ひとり半音ずれる所もすべて。それはヘイスケのライフワークになるんじゃないかというぐらい。花山君の生真面目さまでをも演じていた。
花山君が居なくなる前日の午後の体育館の裏で、久助はふたりをみかけた。
ふたりは取っ組み合いをしていた。取っ組み合いのふりをしていたら、ほんとうに喧嘩になってしまったような雰囲気が漂っていた。
花山君の腕がヘイスケの背中に回り込んでいて、ヘイスケの腕は花山君の首元に巻き付いていた。誰もそこにいなくて、止めに入るものはいなかったけれど。久助は何か見てはいけないものを見た気がしていた。息遣い荒く汗を掻いたふたりのおでこはてらてらと光っていた。
腕を外す瞬間、ふたりは離れ難いかのようにぎゅっと抱きしめあった。
久助は自分の視力がどうかなったのかとおびえた。花山君はヘイスケにみえたし、ヘイスケは花山君にみえたから。
久助はその時、花山君地獄に堕ちろ、そしてじぶんも。そう強く願った。
花山君が学校を辞めてしまった時、久助は驚いた。歪んだ念が通じたのかと怖くなった。
花山君が死んでしまったと噂を流したのは、ほんとうは死にたくなっていた久助だった。ヘイスケのせいにした自分を一生悔やむだろう。いやいつか忘れてしまうだろう。でも自分は、フェイクな男、本多ヘイスケになるんだよね。嘘つきヘイスケを演じるんだよね。だからそれでいいんだって。だからちゃんとフェイスケになったんだって、久助は言い聞かせようとしていた。
あの日から10年ほど経って。久助はしがないサラリーマンになっていた。
その日、花山君の姿を見たのは電車内のデジタル広告の中だった。
通学の時に使っていた、如意線だった。あの頃の風景となんら変わらない。ただ人々の口元はマスクでおおわれてはいなかった。
あの後、マスクを外すことが怖くなる恐怖症の人たちが増えた。慣れって
そういうものだ。顔の一部にマスクがなってしまったほうがいいって声を
SNSのコメントでもよく聞いていた。そのせいで、カウンセリングを受けて
いたことがある、同僚もいたけれど。久助は、隠したいほどじぶんが大切ではないのかもしれない。
その日、如意線に乗ったのは営業の新規開拓のためだった。
ぼんやりと広告を見上げていた。スマホは相変わらず電車の中では見ない。中学の頃よりも酔いやすい体質になって、目眩が酷くなっていたせいだった。
<美味い居酒屋シリーズ突撃レポート>
そこにいたのは、どうみても花山君だった。
彼はは本当に芸人になっていた。久助は驚きつつも眩しく見つめながら、花山君が生きていてほんとうによかったと心の底から安堵した。
あの日花山君が死んだと噂を流したことはヘイスケのせいになっていたことを、ヘイスケ本人に謝った。
ヘイスケは知ってたよって、体育館の裏でぼそっと言った。
夕焼けがヘイスケの左の顔に差していて、泣いてるみたいにも見えた。その頬の夕焼けがそこに焼き付いてしまえばいいのにと、久助は一瞬夢想した。
久助、俺久助のこと好きだったけどな。今はわからんわ。
軽蔑されたのだと知った。人一人が死んでしまったと嘘をつくことの残酷さの意味を考えろと言った。ヘイスケは自分が悪者になっていたことを訂正しろとは一言もいわなかった。ただひたすら花山君のことに思いを馳せていた。
花山圭太君は、その後とても偏差値の高い大学を出たって聞いた。
車内のちいさな資格りデジタルな映像を見上げながらあぁ、花山君は芸人になったんだと、再び視線を注いだ刹那久助は愕然とした。あれは花山君ではない、紛れもないヘイスケだった。
ヘイスケには、首筋に赤紫色のあざがあった。握るマイクのその先の少し上、そのあざがそのデジタル広告の画面に映しだされていた。
ヘイスケは花山君がなりたかった芸人になって、その後の人生までをも完コピしていた。
久助はその日、ふたたび花山君にひどく嫉妬している自分に気づいた。
こんな嫉妬を抱えたままじぶんはおじさんになってしまうなんて、サイアクだとすぐにでも電車を降りたくてたまらなかった。
斜め四十七度の視線が似合う年頃ではもはやない。
電車の車窓には、自分がそこにいるはずなのに空っぽのコマが、ただ過ぎ去ってゆく景色ばかりが見えている気がしていた。
ヘイスケ、ぼくと君がはじめてカラオケボックスで熱唱したのこれだった。
1000年後にも花占いしているといいよねって歌詞が好きだって言ってたやつ。1000年経って許してもらえなくても、ぼくは花をちぎってるよ多分。
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