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好ましくない人から、年に1度送られてくる本なのに。どうしても、開いてしまう。

note、35日目。

書いていると、わがを振り返りたくなるのが、noteなのかな? って。

振り返りたいわけじゃないのに、振り返らされてる。これまでにも、なんでこんなに開示してるんだろうって、われに返ることがたびたび。

とりわけ家族のことなど。

計画では、ぜったい墓場までもっていくはずだったし。
墓場までもっていくことは、そんなに難しいことやないと思ってたのに。

あっさり、崩れ落ちてしまった。

先月の父の日。

父の日だわって思うけれど、あの父はわたしの父ではないみたいなところが未だにあって。ほんとうに父の日は好きになれないのだけれど。こんなん、書いてしまいました。父のことというよりは弟のことだけれど。⇩

      (よろしければ、およみくださいませ)

SNSさえ手を出せなかったのにって。

父のことを思い出すと喉の奥がつつつと詰まってくるようなところがあって。はじまりは算数だったと思う。4桁ぐらいの引き算でつまづいて。

それから、夜の特訓みたいなことがはじまって。(いきなり話し始めていますが)

台形の面積の解き方がわからないばっかりに、父親に洗面所まで髪をひっぱられたまま導かれ、給湯器にごんとぶつけられた。
ここからなにかリズムを刻むんじゃないかと思うほど、ごんごんと。
わからないことがあると殴りはしなかったけど。そんな感じだった。

それは会話のひとつのように、まるで接続詞のように。

ま、そういうどよんとした季節の中に放り込まれて、時間が経って。

父はもともと組んでいた家族とは別の別チームを組んでしまうのだけれど。
離婚and再婚パターンですね。いわゆる機能不全家族っていうやつでしょうか。そのことは、どうでもよくて。

なし崩し的に封印した過去みたいな感じで日々が過ぎ、いろいろなニュースに触れる度。のちのちあれは<ぎゃくたい>だったねっていうことを自覚し始めてから、うっすらとしていたその輪郭があらわになって。
周回遅れの何乗かい! っていうぐらい遅れすぎた怒りみたいなものがこみあげてきたりして。それでも忘れようとしていたら。

なぜか父から、年に1度、クリスマスの日に本が送られてくるようになって。その状態に、なんでなんでなんでなん? を思いつつ。

それに加えて、とても美化されて編集されまくった手紙も、いっしょに同封されていて、それを喉を詰めながら読むわけですが。

忘れもしないちばん初めて送られてきたのがこれ⇩でした。

いやいやいや。いやちがうやん。

家族が崩壊しまくった後に選ぶ1冊がこれかい! って。

忘れもしない、ゆうパックで送られてきた茶色の包装紙をびりびり開けて、この1冊を思わず目にした時。

はぁ? え? なにふざけてんの? って感じで。酔っぱらってたんやろか? って。酔うとなんでもあげるひとでしたから。

でも、本は本やんか。本書いた人に罪はないやんっていうんで、開いてみたら、コクトーおもろいやんってなって。読んでしまうわけ。

太陽と月の夫婦と、手に負えない悪さばっかりする子供ふたりって。なんなん? しゃれならんやんとか思いつつ、コクトーすっきゃ! ってなって、読み終えてしまうん。

そして、次のクリスマスに送られて来たのが⇩です。

本を読め読めっていつも叱られてて、その小学生の頃の夜中の猛特訓の時に。

食事中も漢字テストはしょっちゅうやったんやけど、このタイトル見た時は、どこまで、ねちねち言われんとあかんねんとか思いつつ、ページを開くと。

もうなんていうの? この人映画『ブリキの太鼓』の作者の人やんか。
ってなって。

あの白と赤の新選組デザインみたいなギザギザの太鼓叩いてた男の子オスカル君の顔が浮かんできて。ぜったい浮かぶよね!

もうこの1冊を前にあの子の特技、超音波でガラスを破壊するっていうあれ。あの芸をいま身に着けてたらって、どれだけ地団駄踏み倒したかったことか!

のちのち。クリスマスを迎える度にわたしの部屋の本棚には1冊ずつ、ありとあらゆる本が、収まることになって。

谷川俊太郎さんの詩や、洲之内徹さんの随筆「イマジネーション中也」っていう写真家の方の中也愛たっぷりの写真集、アンディ・ウォーホルの「ぼくの哲学」などなど。

あんなに、我が子をいじめることが生きがいだったみたいな人が、何で今頃みたいな時期に、クリスマスプレゼントを贈ろうと思ったんか謎やし。

なんで? って聞いたことないけど。まとめますと。

●じぶんにとって好ましくないひとにもらった本なのに、とてもいいことが書いてあって、びっくりした。
●書かれていた人のことはすきだったので、ずっと大事にしている。
●ひどいことをさんざん言ったり、ひどい態度で接していたそのひとが、どうしたことか、本の選び方は、どういうわけか好みのものが多くて。
いまだにぜんぶ持っていたりする。

っていう話でした。

後日談ですが、あの日さんざんいじめたことへの罪滅ぼしかと思って、そのあたり探り入れつつ話した時。

父は、そんな算数の特訓なんてパパしてへんよって。誰の話?
みたいなことを電話口で話されたことは、新たななんかどうでもいいような傷をこしらえてしまったみたいで。記憶調査団みたいなことしたくないんでそれ以上こっちも深堀しないまま。まぁ、いらんこと言わへんかったらよかった。トラウマがこのまま海月のように溶けてしまえばと思うこの頃です。

ほんとうに、ながいながいひとりごとにお付き合い頂きまして、ありがとうございました!


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ゼロの紙 /歌人 いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊

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