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【書籍】われら闇より天を見る(クリス・ウィタカー)あらすじ・考察|「わたしは無法者だ」——13歳の少女が背負った、大人たちの終わり方

クリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』(鈴木恵訳/早川書房・2022年)のあらすじと考察をまとめました。

英国推理作家協会賞(CWA)最優秀長篇賞を受賞し、日本でも2023年本屋大賞・翻訳小説部門第1位をはじめ各種ミステリランキングを総なめにした一冊です。ミステリの体裁をとりながら、読み終わったあとに残るのは犯人の名前ではなく、13歳の少女の背中だった——そういう小説でした。

※この記事には結末までのネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。

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あらすじ

舞台はカリフォルニアの海沿いの町、ケープ・ヘイヴン。30年前、この町でひとりの幼い少女が命を落としました。車を運転していたのは当時15歳の少年ヴィンセント・キング。彼は長い刑期を終えるまで、30年間を塀の中で過ごすことになります。

そして現在。町の警察署長ウォークは、少年時代の親友を告発する証言をした過去に縛られたまま、変わらない町でひとり時計を止めています。亡くなった少女の姉スターは、アルコールと薬に沈みながら、ふたりの子どもを抱えて生きている。その娘が本作の主人公、13歳のダッチェス・デイ・ラドリーです。

ダッチェスは自分を「無法者(アウトロー)」と名乗ります。母を起こし、弟のロビンに朝食を食べさせ、学校に行かせ、母の男を追い払う。子どもが担うべきでない役割を全部ひとりで引き受けて、その重さに潰されないために、彼女は先祖の無法者の血を持ち出して自分を武装させているのです。

刑期を終えたヴィンセントが町に帰ってきたところから、危ういバランスが崩れはじめます。そしてある夜、スターが自宅で殺害される。逮捕されたのはヴィンセントでした。彼は早々に、自分がやったと認めてしまいます。

ウォークだけが納得しません。彼はかねてから土地を買い漁っていた地元の顔役ダークを疑い、署長という立場を踏み越えてまで独自の捜査を進めていく。一方、母を失ったダッチェスとロビンは、モンタナで農場を営む祖父ハルのもとへ送られます。

モンタナでの日々は、この小説のなかで数少ない、光の当たる時間です。ぶっきらぼうな祖父と反抗的な孫娘が、少しずつ距離を測りながら家族になっていく。けれどダッチェスは、ケープ・ヘイヴンを発つ前にダークの店に火を放っていました。その過去が彼女を追いかけてきて、祖父の命を奪ってしまう。

そこから先、ダッチェスの転落は容赦がありません。児童保護施設へ、そして里親のもとへ。弟だけは幸せにしなければという一心で立ち回るほど、彼女は事態を悪くしていく。守ろうとしたロビンから「おねえちゃんなんかいないほうがいい」と言われる場面は、この小説でいちばん息が詰まります。

裁判が進むなか、ウォークは自分自身の期限とも戦っていました。彼はパーキンソン病を抱えていて、震える手で銃も握れなくなりつつある。動けるうちに友人と子どもたちを守り切るという、たったひとつの目的のために、彼は警官として越えてはならない線を何度もまたいでいきます。

そしてすべての謎が解けたとき、読者は原題「We Begin at the End」の意味を理解することになります。ヴィンセントがなぜ30年ものあいだ罪を背負い続けたのか。なぜ即座に自白したのか。ダークがなぜ、あそこまで血眼になってダッチェスを追ったのか。彼らはそれぞれ、自分の終わりから逆算して行動していた——大人たちは全員、もう自分の人生は差し出す前提で、目の前の子どものために選択していたのです。

見どころ・考察

「無法者」という鎧の話

ダッチェスが繰り返す「わたしは無法者だ」という自己紹介は、強がりであると同時に、彼女が自分の人生を物語として編み直すための装置でもあります。ただの不運な子どもではなく、無法者の血を引く一族の末裔なのだと言い切ってしまえば、母の失踪も暴力も貧困も、宿命という筋書きの中に収まってくれる。

けれど鎧は身を守ると同時に、人を遠ざけます。彼女が差し出された優しさをことごとく蹴り飛ばしてしまうのは、優しさを受け取った瞬間に鎧が要らなくなり、そのとき自分がただの13歳だと認めることになるからでしょう。この小説がつらいのは、彼女の防御反応そのものが、彼女の状況をさらに悪くしていく点です。

ボタンの掛け違いが悲劇を生む構造

本作の事件は、悪意ではなく情報の欠落によって拡大していきます。ダッチェスが恐怖のあまり処分してしまった防犯カメラのテープ。それが見つからないことでダークが追い詰められ、追い詰められた彼がモンタナまで来て、祖父ハルが死ぬ。誰も殺意など持っていないのに、誰かが黙っていたせいで人が死ぬ。

しかもそのテープの行方は、真相が明かされる場面で「そこにあったのか」と読者を脱力させる位置に置かれています。伏線というより、この世界がどれだけ意地悪にできているかを示す注釈のような仕掛けです。

大人たちの「終わりからの逆算」

ウォーク、ヴィンセント、ダーク。三人の男は立場も評判もばらばらですが、行動原理は同じです。自分の残り時間はもう勘定に入れず、誰かひとりを救うために使い切る。ダークの正体が明かされる終盤で、それまで悪役の顔をしていた男の行動が全部裏返って見えるのは、本作でもっとも鮮やかな瞬間でしょう。

面白いのは、この「終わりからの逆算」が、必ずしも子どもを救えていないことです。ヴィンセントの自己犠牲はダッチェスから母の死の真相を遠ざけ、ウォークの越権は町の秩序を歪める。善意の設計図がそのまま悲劇の設計図になっている。ミステリの解決編が、そのまま倫理の問いになっているのがこの小説の厚みです。

タイトルの「われら」

原題の「We」も邦題の「われら」も複数形です。闇の中から天を見上げているのはダッチェスひとりではない。ウォークも、ヴィンセントも、ダークも、それぞれの闇の底で、それぞれの空を探している。誰も救われきらないし、誰も完全には堕ちない。その中途半端さこそが人間の実物だと、この小説は言っているように思います。

最後の一行について

刊行時から「翻訳ミステリ史上最高のラスト一行」といった惹句がついてまわった作品ですが、あの一行が効くのは、それまでの600ページ弱でダッチェスがどれだけ何も受け取れずに来たかを読者が知っているからです。技巧としての一行ではなく、積み上げの結果として着地する一行。ここだけを切り取っても意味がないので、ぜひ本文から辿り着いてほしいところです。

まとめ

『われら闇より天を見る』は、ミステリとしてきちんと難しく、そして人間ドラマとして相当に重い小説です。犯人当てを楽しみたい人には長く感じるかもしれませんが、登場人物ひとりひとりの「終わりの見据え方」を追いかけていくと、最後にすべての行動が意味を持って回収されます。

読み終えたあと、ダッチェスの「わたしは無法者だ」という言葉の響きが、序盤とはまったく違って聞こえる。その変化を体験するためだけでも読む価値のある一冊でした。

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