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「自宅で最期を迎えたい」という希望をかなえるための覚悟と準備

しばらく記事を書く余裕がなかったのですが、やっと少し書ける状況になりました。親を自宅で看取るという経験をしたので、まずは参考にした本など紹介したいと思います。

自宅で最期を迎えるための準備

親が高齢になったら、あるいは自分が高齢になったら、どこで最期を迎えるかについては元気なうちに考えておかなければならないと思います。救急車を呼んだら、病院でいろいろな検査や治療をすることになるでしょう。もし延命治療を望んでいないなら、救急車を呼ばない覚悟が必要です。とはいえ、何もしないわけにはいきませんし、スムーズに死亡確認をしてもらうためには、訪問診療の契約をするなどの準備が必要になります。

自宅で死亡した場合、どのような対応が必要になるか、少し古いですが下記の資料が参考になります。

日本看護師協会 提出資料
(その1)(PDF形式:389KB)


https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg4/kenko/151023/item1-1-1.pdf

「主治医」がいても、往診を行っていない場合はこのようには進まないでしょう。一般的には、訪問診療の契約をして定期的に診てもらっていないと、死亡時に来てもらうことは難しいようです。

父の場合は、昨年から訪問診療に切り替えていたので、一番スムーズな形で死亡診断書を発行してもらうことができました。

本人も延命治療を望んでおらず、自宅で最期を迎えたいと言っていたので、下記の本で予習をしました。希望がかなえられた事例、かなえられなかった事例なども参考になります。



在宅医療でできることの限界

本にも書かれていましたが、救急車で搬送された病院で「このままだと危険です。◯◯をしますか?」と言われると、多くの場合、家族は「してください」と答えてしまうそうです。けれども、「延命治療です」という説明がないことが多く、例えば一度人工呼吸器をつけたら、もう助かる見込みがないとわかって本人が苦しがっていても、簡単に外すことはできません。

『人はどう死ぬのか』(久坂部羊 著)には、少しでも助かる見込みがあるから、家族は治療してほしいと思うけれど、治療してもよくならない可能性もあり、そうなると悲惨な延命治療が続くことになると書かれていました。

つまり、救急車で病院に行けば助かる可能性もあるけれど、悲惨な延命治療をすることになるかもしれない。救急車を呼ばないと多くの場合は助からないけれど、悲惨な延命治療をすることもない、ということです。

どちらを選ぶかは、死生観や年齢、本人の体力などによっても違ってくるでしょう。けれども、治療を希望した場合にはどのような可能性があるか、緊急時に調べる余裕はないと思います。治療をするかしないか、即答しなければならないのです。

在宅医療でできることには、医療機器などの関係で限界があります。急変したときに、医師や看護師にすぐ来てもらうことも難しいでしょう。他の患者さん宅を訪問中の場合もありますし、そもそも車で移動してくるので、病院のようにすぐ来てくれるわけではありません。そういったことも覚悟した上で、救急車を呼ばないという選択をすることになります。

そのような中でも、看護師さんたちは最善を尽くしてくれましたし、父の場合は長く苦しむこともなく最期を迎えることができたのだと、穏やかな表情からも思えました。亡くなった後も、看護師さんがエンゼルケアを丁寧にしてくださり、とてもありがたかったです。

『死にゆく人の身体と心に起こること』(玉置妙憂 著)には、「最大の教育は自分の死に様を見せること」だと書かれていましたが、まさにそうだと思います。自宅で父を看取ったことで、人の死について多くのことを学びました。短期間にいろいろなことを教えてくれて、父には感謝しています。

家族の考えや仕事によって、在宅医療が難しい家庭が多いと思います。実際には難しいとしても、考えてみるだけでも、今のうちにできることが見えてくるかもしれません。元気なうちに考えるきっかけになればと思い、この記事を書きました。

noteではあまり個人的なことは書かない方針なので、もっと詳しく書いた方が参考にできるのに・・・と思われる部分があるかもしれませんが、そこはご理解ください。

通常の記事を書くには、まだ頭がついていかない感じなので、もう少し、経験した中で気づいたことなどを書いてみようと思っています。


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