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構造化された迷路で

「欧米人は大食いでデブで老けやすい」といったステレオタイプは、もはや過去のものになりつつある。InstagramやTikTokを開けば、田舎のローカルな風景のなかにすら、驚くほど洗練された引き締まった若者たちが溢れている。彼らは最新のウェルネス知識をハックし、自らのビジュアルを完璧にプロデュースしている。
しかし、そうしたきらびやかなハイライトの裏で、アメリカという国は強烈な二極化の渦中にある。街の一歩外に出れば、深刻な肥満や健康格差に満ちた現実が横たわっている。モデルとして美しい側に生きる人間が同世代の崩れゆく体型に危機感を抱くように、そのコントラストは残酷なほど鮮烈だ。
では、日本はどうだろうか。
日本に目を向けると、あのような極端な分断やジェットコースターのような格差はあまり見当たらない。コンビニの棚に並ぶ惣菜の栄養バランス、日常的な歩行や電車の移動、そして「周りと大きく外れたくない」という同調圧力。それらが絶妙な防壁となり、国民全体の体型の平均値を一定の高さで保ち続けている。日本はさながら、大きな外れ値が出にくい穏やかなプラトー(台地)のようだ。
だが、そのフラットな美のプラトーの裏には、別のシビアな構造が隠されている。
グローバルな美の基準、すなわちファッションやメディアが提示する「スタンダード」は、長年にわたり白人の骨格や立体感をベースに設計されてきた。高い鼻、彫りの深い目元、そして手足の長い頭身バランス。その土俵に立つ限り、どれほど日本人が努力しても、設計の初期値の差は埋めがたい。
さらに言えば、日本人は平均的に低身長で平面的な骨格を持つ。だからこそ、西洋的なトレンドの服を美しく着こなし、すっきりとした縦のラインを作るためには、欧米の基準よりも「さらに細く、引き締まっていること」が視覚的な調整弁として要求されてしまう。
つまり、日本人が日常的に払っている体型維持や身だしなみへの努力は、単なる美意識の高さだけではない。それは、「自分たちに有利ではない設計のゲーム」で美しく立つために課された、構造的なハンデをクリアするための知恵なのだ。
白人たちは、少しの努力でその基準にハマりやすいという「得」を背負う代わりに、紫外線や肌の老化という生物学的なハンデと、常に高いメンテナンスコストを支払い続けている。一方で日本人は、骨格のハンデを日々の丁寧なセルフマネジメントと驚異的な平均値の底上げによって相殺し、独自の美を維持している。
どちらが優れているかという話ではない。ただ、私たちが生きる世界にはそれぞれの「設計図」があり、その枠組みの中で誰もが必死にバランスを取っている。
画面の向こうの華やかなインフルエンサーの姿に感嘆しつつも、ふと街を歩く人々の整った佇まいに目を向けるとき、私たちはこの見えない構造の面白さと、そこに生きる人々の静かな努力の尊さに気づかされるのである。

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