姉のエクステを、返しそびれている
私と2個上の姉は、声を発しなければ双子に見えるほどそっくりらしい。
もちろん、本人たちにその自覚は全くない。
ただ、私たちには明確な違いがある。
駅で道を尋ねられるのが姉。他人に絶対話しかけられないのが私だ。
『阿佐ヶ谷姉妹』であれば、江里子さんも美穂さんも、等しく話しかけられるだろうが、私たちはそうではない。
姉はあたたかい雰囲気を醸し出しているが、私はなぜだか少し邪悪なのだ。
身バレもいとわない覚悟で例えると、うちの姉は、”野呂佳代”に似ているとよく言われるらしい。
そっくりではないが、持つ雰囲気のことなのだろう。それからば納得。
一方の私は、『DEATHNOTE』の”メロ”にそっくり!と言われてきた。自分でもあぁそうだね。という感じ。メロがわからなくても、『DEATHNOTE』という響きだけで察しがつくだろう。
顔はそっくりなのに、”野呂佳代”と〝メロ”ってどんな対比なんだとは思うが、それもこれも、私の邪悪さのせいなのであろう。
姉は大学を卒業するまで地元に住んでいた。ひと足先に上京していた私が大学2年の夏、地元に帰省したときのことだ。
駅からタクシーに乗って住所を伝えると、運転手さんが親しげに声をかけてきた。
「あ、お客さん、前にも乗せたねえ!久しぶり!元気だった?」
どうやら、姉と私を間違えているようだ。
「あ、それは多分、姉です」
「あれぇ〜! あ、本当だ、ちょっと違う」
運転手さんは振り返ってメガネをずらし、私の顔を確認しながらガハハと笑った。
ある大雪の日、運転手さんは姉を駅から自宅まで乗せたのだという。その道中、事故の渋滞に巻き込まれるというアクシデントがあったのだが、姉は一切イライラした素振りを見せず、ずっと楽しく話をし、温かい缶コーヒーを運転手さんにプレゼントしたらしいのだ。
確かに。エピソードを聞くと、それはまさしく姉がしそうな行動であった。
タクシーが自宅に到着し、お会計を済ませて車を降りようとしたとき、運転手さんが言った。
「妹さんにも会えてよかったよ。お姉ちゃんによろしくね。あ、それと、おじさんは、やっぱりお姉ちゃんのほうが好きだなあ」
「わかりました。姉に伝えておきます」
パタン、とドアがしまり、タクシーを見送りながら、ふと思った。
あれ、私、なんで姉と比較されたんだ?
でも、不思議と怒りは湧いてこなかった。だって、姉のほうが圧倒的に人当たりが良く、圧倒的に"柔らかい人"であることは、紛れもない真実だからだ。
姉の"柔らかさ"は、生まれ持ったものなのだと思う。しかし、その柔らかさが失われてしまいそうな出来事が、彼女の人生に起きなかったわけではない。
高校受験に失敗し、『クローズZERO』の舞台かと思うほど荒れた高校に通うことになった頃のことだ。当時、姉は「行くしかない」と自らを奮い立たせながらも、毎日のように泣いていた。
ある日のこと。
私が中学校から帰宅し、曾祖母と夕方の再放送ドラマを観ていると、「ちょっと高校に行ってくるわ」と、母が血相を変えて出かけていった。
数時間後。連れ帰ってきた姉の顔を見て、息を呑んだ。まるでお岩さんのような大きなたんこぶを作っていたのだ。目の上に。
なんと、体育の時間に、クラスを牛耳っているギャル集団から顔面にわざとソフトボールをぶつけられたのだという。明らかに悪意のある暴挙を目撃していたクラスメイトが、こっそり担任に一部始終を伝えてくれたらしい。
しかし姉は、「私がボールを受け止められなかっただけだから」の一点張りで、決して被害を訴えようとしなかった。
その兆候はあった。
高校受験に失敗したとはいえ、その高校では、姉の成績は学内でダントツの1位だった。それが気に食わなかったギャルたちがいたのであろう。ノートに「ガリ勉」と落書きされていたことを、私は実は気づいていた。
深くは触れず、自分が持っていた新しいノートを差し出し、「そんなノート、捨てちゃいなよ」と言った。しかし姉は、落書きされたノートに書き留めていた数学の公式を、黙って新しいノートへと書き写すだけで、理由は何も教えてくれなかった。
誰かのせいにすることがとにかく苦手なのだ。姉という人間は。
さすがにソフトボールの一件で、先生からマークされることになったギャル集団は、それ以上、目立った何かをしてくることはなかった。しかし、人の悪意というものが突然消え失せるわけもない。
そんな日々が続いた、ある日のこと。
ずっとショートヘアだった姉が、突如30cmほどのエクステを数十本装着し、ロングヘアに変身して帰ってきたのだ。
エクステをつけただけでカットがされていなかったため、とにかく地毛とのバランスが奇妙奇天烈。地毛の延長線上にしっぽが何本もぶら下がっているような、カブトガニのような後ろ姿に、私は思わず笑ってしまった。
姉は生まれてからずっと、元美容師の母によって強制的にショートヘアにされていた。一方私は、おかっぱか、ロングヘアにすることを許されていた。
幼い頃、姉は、私の長い髪を「いいなあ、うらやましいなあ」と言って、いつも優しく撫でてくれていた。
それなのに私は、小学校高学年の時、自分の髪をハサミでザクザクと切り落とした。
姉が憧れているロングヘアを、私だけが特権のように与えられていることが、たまらなく嫌だったからだ。姉がショートを強制されて泣いている横で、自分がのうのうと髪を伸ばしているわけにはいかない。だから私は自ら進んでショートになった。
しかし、そんな小細工だけでは、やっぱり姉の救いにはならなかった。
というより、当時の姉は、すり減っていく日々をやり過ごすために、劇的な変化を求めていたのだろう。なんでもよかったのかもしれない。「エクステ」でなくても。あの頃の姉には、とにかく「自分で選んだ何か」が必要だったのだと思う。
しかし、そんな付け焼き刃のようなエクステを、母が許すわけはなかった。
キッチンの換気扇の下でマイルドセブン・スーパーライトを吸いながら、煙と一緒に冷たく言葉を放った。
「あんた、それ、かっこいいと思ってやってるわけ? そんなんじゃまたギャルにいじめられるよ」
はっとした姉は、「じゃあ、私はどうしたらいいの……」と、リビングのテーブルに顔をうずめて泣き始めた。
空気の重さに耐えかねた私は、庭に出て犬を散歩に連れ出した。完全に日が暮れるまで家に帰らず、散歩が大好きなはずの犬も、私がいつまでも住宅街を彷徨うものだから、最後の方は「もう帰ろうよ」と言わんばかりに犬が私をグイグイと引っ張った。もはやどちらが飼い主かわからない図だった。
犬に引きずられるようにして帰宅すると、リビングでは母が姉のエクステを一本ずつ取り外しているところだった。
ちりちりになった結び目を隠すように、母は姉の襟足にハサミを入れ、ショートヘアを整えていく。ハサミの先を見つめながら、母は泣いていた。もちろん、姉も前をまっすぐ向いて涙を流していた。
そんな状況でも、姉は立派に持ちこたえていた。
学校の帰りにコンビニでアルバイトを始め、バイトがない日は部活に打ち込み、教室に残ってひたすら机に向かった。そうして彼女は、その荒れた高校から、見事に国立大学への合格を掴み取ったのだった。
それから15年ほどが経った、ある朝5時のことだ。
姉からLINEが届いた。
『悲しいことがあって、さらにお腹が痛い』
慌てて電話をかける。姉はしばらく沈黙したあと、つらつらと話し始めた。
結婚を前提に付き合っていた男がいた。自分の職場に姉を連れていき「俺の彼女」と紹介してくれるような、優しい人だと思っていた。
しかし前夜、その男から『地元の元カノの父親が亡くなって放っておけないから地元に帰る。転職して引っ越しをするからもう会えない』というLINEが届いたのだという。
「優しい彼の決断だから応援しなきゃいけない。でも悲しい。そして、死ぬほどお腹が痛い」
"優しい人の、優しい決断"。姉は本気でそう信じていた。
私はとにかく朝イチで病院に行くよう告げ、電話を切った。数時間後、姉は盲腸と診断され、そのまま緊急手術を受けることに。
姉が手術室に入っている間、私は男の痕跡をネットの海から拾い集めていた。
あの手の男は、痕跡だけは妙に残す。
案の定、職場であるアパレルショップのインスタライブで新商品を紹介していた。姉の手術の日にだ。そして、その一週間後も、一か月後も。いつだってインスタライブで笑顔を振りまいていた。
おいおい、転職や引っ越しはどうした。
事実を知った母は、「あの子のどこが悪いのよ!」と怒り狂っていた。その姿を見て、私はふと、あの日の換気扇の下で煙草を吸っていた母の姿を思い出していた。
「そんなエクステは外しなさい」と怒り、髪を切りながら泣いていた母。
そして「そんな男、さっさと捨ててやればよかった」と怒る母。
どちらも、姉に不似合いなものがまとわりつくのを、力ずくで剥ぎ取り、姉を守ろうとする愛情の裏返しだった。
姉は時々、自分に全然似合っていないものや、自分を幸せにしてくれないかもしれないものに、あえて手を伸ばしてしまう。
あのエクステが不恰好だったことも、胡散臭い男のことも、本質的には気づいていたはずなのだ。きっと。
姉は今、自分の意志で、綺麗なロングヘアを保っている。
その髪を見るたび、泣いている姉に何も声をかけられなかった夜のことを思い出し、胸をちくんとさせている。
実家のゴミ箱に捨てられたあの毛束を、心のどこかで拾い上げたまま、自分の記憶の引き出しに隠し持っているからだ。
あの時、あの頃、私は、姉になんと言うべきだったのだろう。
正直、あのエクステはめちゃくちゃだった。
後ろ姿なんて、本当にカブトガニみたいだった。
だけど、私は今でも、
「おかえり。それ、かっこいいじゃん」
という言葉を、姉に返しそびれているように感じてしまう。
カブトガニみたいだと吹き出している場合じゃなかった。あの時、自分で自分を変える何かを選択した彼女の背中を押すのは、まさしく私の役割だったのだ。
柔らかい姉のことだから、あの男のことも「本当は優しい人だった」と未だに責めていないかもしれない。そして、顔をお岩さんにしたギャルたちのことも「私がボールを受け止められなかっただけ」と許しているのだろう。
でも、私は絶対に、誰一人残らず許さない。
だって、私は「怒り」や「憎しみ」といった負のエネルギーで動くタイプだから。私たち姉妹の決定的な違いは、積んでいるエンジンに注ぐ燃料の種類なのだ。
タクシーの運転手だけではない。
私はこれまで何度も、「君より、お姉ちゃんのほうが好きだな」と言われてきた。
だけど、そう言わせてしまう私のこの「邪悪さ」は、きっと私たちが姉妹として生きていくために必要な役割だったのだ。
いつかまた姉が不器用なエクステを選択したとき、今度こそ絶対に、その選択を「かっこいいよ」と言ってやりたい。
そして、その選択がもしまた彼女を傷つけることになったなら、今度こそ私が、そのエクステをゴミ箱から拾い上げる。だって、それが私の役割だから。
