あの時に戻ることが出来るのならば 『ミステリアス・スキン』
『ミステリアス・スキン』は2004年に公開されたグレッグ・アラキの監督作品だ。
以下、ネタバレも交えて書く。今作はミステリーの体裁も取っているので、気になる方は読まないほうがいいかもしれないが、ある程度ぼかして書く。が、然し、ネタバレ前回にアクセルを踏む可能性もある。
原作はスコット・ハイムの『謎めいた肌』で、これは、少年への性加害を描いた作品だ。
同様の、少年への性加害が出てくる映画はいくつもあって、例えば、『スリーパーズ』とか、『ミスティック・リバー』とかがある。といっても、『ミスティック・リバー』は『スリーパーズ』をパクっている、と当時言われていたが。
『ミステリアス・スキン』は低予算映画で、100万ドルに満たない額で作られている。それでも、グレッグ・アラキの映画の中では高額な方だろう。
100万ドルの映画、と、言えば、例えば、『レザボア・ドッグス』が120万ドル、『ブルーバレンタイン』は100万ドル、くらいで、1億円規模のバジェットはかなりの低予算映画だ。そして、往々にして、監督の勝負作、くらいのイメージがある。
ちなみに、タランティーノの2作目の『パルプ・フィクション』で800万ドルだ。10億円くらいだが、ブルース・ウィリスやジョン・トラボルタ、ハーヴェイ・カイテルが出ているあたり、かなり格安だ。この頃は、サミュエル・L・ジャクソンも、まだ一線級ではない。なにせ、ジュールス役は一時彼のもとからすり抜けようとしていたのだから。
『パルプ・フィクション』は、役者のギャラは最低賃金で、毎週20万円にも満たないが、総興行収入の1%がインセンティブでもらえる契約になっていて、最終的に1億ドル以上を稼いでいるので、役者はボーナス的に1億円ほど懐に入った計算になる。無論、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、映画史を更新した傑作であるからしょうがない、普通の映画なら、精々数百万円くらいだっただろう。マーセルス役のヴィング・レイムスが喜んでいたのだ。
で、大河ドラマが1話3000万円くらいなので(連続ドラマとは予算構成が較べられないが)、日本の低予算映画よりは数倍はあると思うが、しかし、ハリウッドでは雀の涙なのだ。
『レザボア・ドッグス』はハーヴェイ・カイテルが脚本を読んで出演を希望したから予算が集まった。プロデューサーのローレンス・ヴェンダーはハーヴェイ・カイテルから電話が来た時、喉がカラカラになったという。
で、話がどこかに飛びそうになるので、強引に『ミステリアス・スキン』に戻すと、主役のニールをジョセフ・ゴードン=レヴィットが、もう一人の主役のブライアンを、『ブルータリスト』で監督を務めたブラディ・コーベットが演じている。
今作は、昨年、日本で初めて劇場公開されたが、Blu-rayは2018年に発売されており、既に廃盤で、入手が極めて難しい。数万円はするのだ。また、内容が内容なので、配信も難しいかもしれない。
性加害を扱った映画ではあるが、作中で、実際に、少年が被害に合ったり、肌を晒すシーンは存在しない。この点は、監督やスタッフがデリケートに扱い慎重にしたところで、子役には本編とは別の台本を渡し、接触を要するシーンはカット割りでそのように見えるように、対峙させているかのように別々に撮影し、監督曰く、「映画の魔法」を使って、成立させている。
まぁ、被害にあったシーン、といえば、それに該当する描写はあるのだが、直接的な接触はない、ということで、これもまた、逆に、映画の魔法が起きていて、直接的な描写がないのに嫌悪感が出るように演出されており、最後、真実が明らかになる告白のあたりは、その光景を想像するだに苦痛だ。言葉と演技だけで、観客を悲痛な思いにさせる。
冒頭、少年時代、8歳の頃から物語が始まり、リトルリーグに入ったニールは、コーチに恋をする。ニールは同性愛者だ。なので、異性愛者の被害者ではない。この点が、ニールが被害を受けたことへの受け止め方をおかしくする。感情が誤謬を招く。ニールは、初めてコーチに会った時、性的な欲望を彼に感じる。彼が性的な面で早熟なのは、母親の影響が色濃く、彼の母は男を取っ替え引っ替えしているのだ。それはもう、『8 Mile』のキム・ベイシンガーのようだ。
彼は8歳で精通を迎えて、それは母親と、他の男との交渉現場を目撃したせいだ。このシーンは、外のブランコで、母親の彼氏が尺八されているところを目撃し、普段は勇ましい彼が、快楽にうめいてなすがままになっているところに興奮する。
で、多くの犯罪者たちがそうするようにー、リトルリーグのコーチはニール親しくしてあげて、特別感を出し、信頼を勝ち得ていく。性加害者のグルーミングの手段は、日本公開時のパンフレットに詳しいが、ニールは、自分はコーチの特別な存在だと感じて(錯覚して)、やがて、共犯的、共依存的とも言える、コーチからの目線では巧妙に仕組まれているその図式に取り込まれていく。
このグルーミングは犯罪者の重要な手段で、物語にも関わってくる。
ニールはコーチと二人で映画に行くが、それはスプラッターホラーで、首チョンパシーンがあるのだが、米国でも8歳の子供は観られないだろ!と、思いつつ、まぁ、仲良くなり、そして、魔の手に落ちる。
ニールには親友の少女ウェンディがいる。彼女はニールの性的指向を幼い頃から識っており、そのため、二人の間には恋愛の感情も、性的な関係もない。これは、グレッグ・アラキ監督の作品に多く、『リビング・エンド』にも、ゲイの映画評論家ジョンの友人のデイジー、また、ドラマシリーズの『ナウ・アポカリプス〜夢か現実か!?ユリシーズと世界の終わり』の主人公でゲイのユリシーズにも、カーリーという女性の友人がおり、彼らは、性的な悩みもフランクに交わし会える、ソウルメイト的な関係として繋がっている。ちなみに、『ナウ・アポカリプス〜夢か現実か!?ユリシーズと世界の終わり』はドラマだが性描写が凄まじく、ほぼ毎回誰かしら男女問わずハメており、手コキで精液が飛び散りまくるシーンなどがあるので、注意が必要だ!無論、同性愛のシーンが多い。で、1話につき1分くらい喘ぎ声もあるのでね、鑑賞はイヤホンしてね。


で、もう一人の主人公のブライアンは、ある夏の日の数時間の記憶がない。覚えているのは、雨が降っていたこと、地下の匂い、そして、思い出そうとすると、気絶しそうになる、或いは、気絶してしまう。鼻血が出る。


彼は、その数時間に、宇宙人にキャトルミューティレーションされたのではないかと、そういう妄想を抱いている。彼には、屋根裏で、母と姉と一緒に、青い円盤を見た記憶がある。この発光する美しいブルーが、この映画のカラーコーディネートの基調になっているが、幼少期は美しい原色で、然し、青年になってからは、それは対照的には、寒々しい色に見えていく。
子供たちの世界は原色、に近く、青年期には、寒々しくなる。カメラが収めている世界は同一のものだが、明らかに、夢現の、夢の部分が剥ぎ取られた実感だけが画面に残っている。
先ほども書いたが、今作では、子供たちは、徹底して肌を晒すことはない、然し、現代の俳優、特に、ジョセフ・ゴードン=レヴィットは、体当たり演技で、おっさんに尺八されていたり、シャワールームで暴力的な形で犯されてボコボコにされたり、大変な役だ。ニールは男娼になっていて、男に買われて、刹那的に生きているのだ。
彼は、彼を買う男達からは美しい、美しいと言われて、彼の親友で同性愛者のエリックもまた、彼の美しさに見惚れるが、然し、その感情は隠さなければならない。この小さな田舎町では、同性愛者は許されざる者として、時には銃口を向けられるのだ。まるで、『イージー・ライダー』のようだ。『ドゥーム・ジェネレーション』でも、『リビング・エンド』でも、ネオナチ的な同性愛嫌悪、ホモフォビアは、私刑の執行を確信犯的に行おうとする。
で、ブライアンは成長し、宇宙オタクになる。自分を拉致した存在、その秘密に迫ろうとする。その謎めいた記憶に迫ろうとし、彼は、自分と同じリトルリーグにいたニールの存在を識る。
ブライアンは性的にはアセクシャル的に描かれる。彼は、彼と同様、TV番組に出演していた、宇宙人に拉致されたという女性に会いに行く。彼女は反対にブライアンを気に入り、初めは文通、その後、彼の家まで押しかけて、性的なアプローチを仕掛ける。然し、ブライアンにはそれが堪らなく恐ろしい。
そして、ブライアンは、段々と、自分の過去に何があったのか、真相に近づいていく。
ブライアンには、幼い頃に離婚して疎遠の父がいる。然し、父は、どこまでも傍観者を決め込む。息子に興味がないのだ。これがブライアンの絶望の一つで、また、ニールも父親が不在だ。父親の不在が、一つのテーマでもあり、コーチが彼に取り入りやすい環境でもあった。そして、コーチはとても外面も良く、実際、ニールの母親は彼にすぐさま心を許してしまう。
ニールはというと、街から出てニューヨークで住み始めるが、そこでも男娼をする。様々な男たちがニールを抱く。ここはニューヨークだ、危険だから気をつけたほうがいい、とウェンディは諭し、ニールもそれに頷くが、然し、こういうときは、得てして、破滅的な男との、暴力的な男との逢瀬が待ち受けているのが物語の相場であるー。
物語は、最後、地元で、コーチの家に忍び込んだニールとブライアンの会話で幕を閉じる。コーチは既に引っ越して家には誰もいない。
ブライアンの過去をニールが話し、真相が明らかになるのだ。ここらへんは、相当きつい話が続くので、まぁ、観る人は辛い思いをするだろうが、気になる人は是非鑑賞してほしい。
今作では、日本公開時のコピーの、『8歳の夏、破滅的な恋をした。』と、あるが、まさにドゥームであり、この恋こそが、コーチのグルーミングの最たるもので、ニールは少年の健気な心を利用されて、共犯となるのだ。

今作は、グレッグ・アラキの作風が刻印されているが、然し、一般的に最高傑作と謳われるように、映画として、一般映画としての完成度が高い作品だ。
そして、だからこそ、悲痛さが浮かび上がる。そもそもの鑑賞自体、ハードルが高い作品であり、内容も中々にきついものがあるので、精神的なハードルも高い、けれども、このような感情と悲劇を真正面から描くことの真摯さ、誠実さが込められたクィア映画の傑作の一つであり、観るに値する。
