配信映画を観続けて廃人になるまでの日記㉒ 御伽噺映画 『上海ルージュ』と『狩人の夜』 幻想とは一体何なのか
チャン・イーモウ監督の『上海ルージュ』を観る。1995年の映画だ。コン・リー主演だ。
この映画を観たいと思ったのは何故か忘れたのだが、何故か、猛烈に、90年代のアジア映画が観たくなったのだ。で、今作。
上映時間が短い。1時間45分くらいだ。最近は2時間半を超える映画がザラだ。長すぎるし、しんどいことこの上ない。
最近、『アベンジャーズ・ドゥームズデイ』の予告編も公開されたが、2時間45分もあるのだという。而も、新アベンジャーズの面々も、こう、パッとしない連中ばかりで、クリス・エヴァンスや、ロバート・ダウニー・ジュニアがドクター・ドゥーム役で出るわけだけれども、然し、そういう問題ではない気がする。
あれは、2010年代の幸福な時代、2008年の『アイアンマン』から始まった物語が、きちんと積み重ねられて生まれた興奮と感動であり、現在の、ほとんどの観客が観ていないよく識らない(マニアやファンの方には申し訳ないが)ヒーローたちが集まろうが、そもそも、こいつらは何のために戦ってるの?と、困惑する事必定、で、あり、こう、『FF13』における、ファルシのルシ、コクーンにパルス、的な、そういう、いきなりそんなこと言われてもなぁ〜って感じ、乃至は、途中まで進んでいたが暗礁に乗り上げたプロジェクトを丸投げされた感じ、で、どこをどう観たらいいのか、観客は皆わからないのだ。
で、『上海ルージュ』。いやぁ、御伽噺みたいな映画で良かったなぁ。舞台は1930年代くらいの上海ですが、田舎からおじさんを頼ってやって来た14歳の少年の目から観る黒社会の闇と、そこで生きる女、姉御の悲哀を観る、そうして、大人へと変化していく、そんな話を、こう、幻想的に描いていて、暴力シーンもあるのだけれども、実際に殴ったり、血を吐いたりしない、いや、血は出てくるんだけれども、こう、刺してビシャー、みたいな感じではなくて、あくまでも、事後みたいな感じでね。
ボスがカチコミされるシーンではね、ガラスに映った影と、男たちの声や物音だけが慌ただしく聞こえる。ここはスクリーンに映った影の動きと声にならない声だけが聞こえて、何か起きているんだけれども、恐ろしいことが起きているんだけれども、主人公にはまだわからない。このシーンは素晴らしかったなぁ。なんか『風立ちぬ』で、ドイツの夜、スパイとそれを追う男たちの影が壁に流れるように映し出される、あのシーンを思い出しましたし、何なら元ネタかもしれない。


主人公の少年は、黒社会のボスの愛人のコン・リー、お嬢と皆から呼ばれている、高飛車な歌手の女の世話役として働くことになる。おじさんは黒社会の一員なのだ。で、このコン・リーと少年のほぼ1週間くらいの物語なのだが、前半は上海、で、綺羅びやかな空間、巨大なお屋敷、でもそれもまた幻想的な、絵物語に出てきそうな館でね、後半は、襲われたボスと愛人が、身を隠すために島生活へとガラリと変わるんですけれども、そこもまた、汚い島、みたいな感じじゃなくて、こう、御伽噺めいた、風にたなびく草や木、藁で出来たような家で、周りは湿地帯でね、静かで、虫の鳴き声と、風のそよぐ音、それから、水音だけが聞こえる。夕日が綺麗な、そんな場所。
なんか、前半と後半が、トーンは一緒なんですけれども、舞台がガラリと変わって、それはなにか、『アウトレイジ最終章』を思い出しました。
で、美術もどこか懐かしい、ノスタルジーめいた、赤い感じのライトを当てた照明でね、こういうのは、少年の目を通して語るからかもしれませんが、どこまでも紗がかかったような、不思議な余韻がありまして、それはほろ酔い気分のようであり、人々の会話もどこか舞台劇のそれのようだけれども、そこに人生の真実の一片が紛れているような、そんな感じ。
何か、こう、『狩人の夜』的なものを思い出します。あれもまた、一種の御伽噺映画で、中盤から映画のムードが一気に変わって、幻想譚になりますけれども、私はああいう幻想映画が好きでねぇ。幻想映画、って、どうしたら幻想的になるんだろう、これは小説でも思っていることでして、『ハリー・ポッター』や、『ロード・オブ・ザ・リング』って、幻想ですし、ファンタジー、なんですけれども、こう、世界観がきちんと作られている作品は、ファンタジーであっても、幻想ではないんですよね。

幻想というものは、結局、現実と地続きであることが必要条件で、触れた途端に消える。それが幻想である気がしましたね。
