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ヘビー級映画3本立ての夜

タイトルに月を冠する映画を2本鑑賞した。もう1本は月は関係ない。
すべてAmazonプライムにて。然し、そのうちの1本は、400円ほどかかる。無料ではないのだ。
で、ネタバレは一応書く。然し、対して筋には触れていない。

で、奇遇にも、どれも2023年の公開の映画だ。もう2年も前だ。時間はすぐに経過する。そんなもんだ。
まずは『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』。

スコセッシだ。ディカプリオだ。デ・ニーロだ。
もう、それだけで、ついに、と、いう、万感の思い、けれども、上映時間は長すぎる、なにせ、3時間26分。206分だ。そのうち、エンドクレジットが10分ほどある。スコセッシは、『アイリッシュマン』が激烈に長かった。これは3時間29分だ。え、3分しか変わらんやん……。

そんなこんなで、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を鑑賞する。これは、2023年に、劇場で観たかった、の、で、ある、が、長すぎて、もう、なかなか興が乗らず、重い腰が上がらず、結句、上映は終了する。で、家でも、こう、なかなか、腰が上がらない。だって、長いんだもの。

で、正直、もう、粗筋は、公式ホームページを見てほしいのだが、然し、この映画、もう、端正な映画だ、見事な映画だ、然し、長すぎる、どう考えても長い。

レビューでは、つまらなくないが長く感じる、と、いう言葉をよく見かける。そういうものはよくある。だがしかし、思えば、それは、つまらないのではないだろうか?1シーン1シーンは悪くはない、が、もういい、早く終われ、と、いう気分が勝つ、これは、つまらない、と、同義ではないだろうかと、そんな風に思う。つまらなくはない、というが、結局、5段階で、5ではない状態、常に、3〜4が続く状態だろう、それは、面白くないのではないか?

で、系統は、『グッド・フェローズ』、『カジノ』、『アイリッシュマン』、とかと、同じである。メインキャラクターはギャングやマフィアではないが、然し、ノリは同じだ。いつものギャングやマフィア映画と同様、
白人たちがネイティブ・アメリカンを殺しまくり金を求める、金と暴力の国の映画だ。だから、そのタイプのスコセッシが好きな人には刺さるだろう、私も好きだが、然し、如何せん長すぎるのだ。なんでも長ければ、原作を巧く汲み取っていれば大丈夫って問題じゃない。

スコセッシは天才だ。『タクシードライバー』、『キングオブコメディ』、『グッド・フェローズ』、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』、『沈黙-サイレンス-』などなど、大好きな映画はたくさんあるが、然し、『ニューヨーク・ニューヨーク』も、『アビエイター』も駄目だった。長い映画に耐えられないのだ、私は。然し、私、『アビエイター』のハワード・ヒューズ、あの、潔癖、便所で手を洗うシーン、あそこは痺れたね、気持ちがわかるのよ。
で、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』、ちょうど、買って読んだ『ヴィンランド・サガ』最終巻と1000年近く隔てていて、然し、どちらも、原住民と侵略者との融和が出来ず、搾取、暴力、破壊、絶望、という、同じような話だった。『ヴィンランド・サガ』のトルフィンの希望は、1000年後も叶えられず。で、ディカプリオはもう、いつもと同じだ。同じ演技だ。デ・ニーロもだ。映画評論家たちは口を揃えて二人の演技力を絶賛する、が、私には、最早、この二人はただのデ・ニーロとディカプリオでしかなく、何を演じても、同じなのだ。ブラピもだし、ジョニデもだ。全員演技は上手い、が、然し、もう、新鮮味がないので、まぁ、普通にいいね、と、しか、思えない。それよりも、ここ数年でメキメキ人気も知名度が凄いことになっているジェシー・プレモンスとか、他の俳優さんの方が新鮮で良かったね。

で、次に観た映画も長かった、が、良かったね、『月』だ。邦画だ。石井裕也監督だ。

相模原の津久井やまゆり園で起きた大虐殺事件、19人を殺して、26名を負傷させた植松聖容疑者、あの事件をモチーフにした小説の映画だ。
144分、2時間24分ある。これも長い映画だ、然し、今作は、一部、気になる演出もあるが、然し、本当に本当に重い重い映画で、まずは『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』だってとんでもない殺戮の映画だし、重い、の、だが、然し、今作は、その重さが現在、この現実社会と地続きであると同時、永久に解決不可能な問題を提示しており、観る者全てに、それぞれの価値観を思案させるだけのパワーがある。それは、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』よりも、遥かにそう思える。

宮沢りえ、オダギリジョー、磯村勇斗、二階堂ふみ、スターが勢揃いしている。事件そのものは当然多くの方がご存知だろうし、なので、もう、あらすじは公式ホームページを読んでほしいのだが、然し、何せ、今作、もう、救いようがないくらい暗い中で、人間性、命、と、いうものに関して、向き合おうとしている、大変に勇気のある作品だった。

心がなければ人間ではないのか、この映画の命題の一つである。意思疎通が出来ない相手は、社会の重荷ではないのか?犯人はそう問うてくる。主人公に、主人公の夫に。夫婦には、3歳で亡くなった息子がいて、彼は重い病気で、生まれてから喋ることはなかった。その事実が、後半、犯人の問いかけにより、観客にも突き刺さってくる。
とにかく、メイン4人の演技、特にオダギリジョーさん、磯村勇斗さんが良かったなぁ。磯村勇斗さんは、本当にいい役者だなぁ。この役を演じるのは大変に勇気がいることだろうし、心労もあるだろう。見事な仕事だと思う。

最近、NHKの番組で観て気になって買った本、文化人類学者の猪瀬浩平さんの『野生のしっそう』を重ねて観た。これはミシマ社から出ている。ミシマ社はいい。

『野生のしっそう』では、猪瀬浩平さんのお兄さん、障害を持つ彼の失踪から、お兄さんの疾走について枝葉が広がる本で、私は馬鹿なので、あまり理解できない箇所も多く、これは読み直さなければならないなーと、そんな日々、今作で、宮沢賢治の『春と修羅』が持ち出されていて、猪瀬さんも、お兄さんも、どちらの心にも修羅がいることに述べる。誰の心にも修羅がいるだろう。春と修羅があるだろう。俺は一人の修羅なのだ、そう言うように、様々な修羅がこの世にはいて、意思疎通が出来ない相手の心に、春がないとも、修羅がいないとも、誰が言える?

で、最後は、『ザ・ホエール』。フレイザーだ。ブレンダン・フレイザーだ。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』にも出ていた。そこでもかなり太っていたが、然し、『ザ・ホエール』は、特殊メイクもあり、最早、太っている、で、済むレベルではない。

一人の男の贖罪の話ともいえる。
まぁ、あらすじは公式ホームページを読んで欲しいのだが、この男、200キロを超す巨漢のため、部屋から一人で出られないどころか、ソファから立ち上がることも出来ない。そんな彼は同性愛者で、アダムという恋人を失って過食症になった。おそらくは、昔は、『ハムナプトラ』に出ていた感じの爽やかナイスガイだったのだろう、然し、その恋で妻子を捨てた、の、で、娘は、彼を、蛇蝎だかつの如く憎んでいるし、もう、金蔓としてしか見ていない、上に、大変なトラウマを与えたせいで、大分闇落ちしている。基本路線は、この娘への愛を、メルヴィルの『白鯨』に関する8歳の彼女が書いたエッセイをベースに伝える物語である。


作中で何度も何度も『白鯨』が言及される。これは、元が舞台劇、とのことで、映画を観ていても、すぐに、舞台劇を連想させる、そんな作りになっている、舞台は数部屋に限定、登場人物は5名〜6名ほど、外はほとんど雨が降っていて、閉塞感が半端ない。その閉塞感が、最後に開放される。この開放のシーンの美しさは筆舌に尽くしがたい。これはぜひ観ていただきたいが、大変に美しいシーンで、カタルシスが頂点、天上、天国へと導いてくれる、最上のシーンである。

流石はダーレン・アロノフスキー監督。毎回毎回、暗黒からの駆け上がりがお上手だ。然し、今作は綺麗だった。美しいものは、常に、その瞬きの中にしかない。


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