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命よりも愛しているんだ 『リビング・エンド』と『ティーン・アポカリプス・トリロジー』 

今月、米国で公開される、グレッグ・アラキ監督の最新作、『I WANT YORE SEX』だが、当然、日本では公開されるかはわからない。

グレッグ・アラキは一般的知名度は皆無だが、クィア映画の先達として、ニュー・クィア・シネマ運動を牽引し、80年代から90年代、そして00年代以降も活躍している日系人の映画監督だ。

そして、天才である。ただ、描いている映画の内容が、あまりにも一般映画と乖離しており、かつ、性に関する態度などが、娯楽映画の括りとしては凸しすぎており、機能していないため、あまり観られていない。一般的な知名度は絶無に近い。

一番評価の高い作品は、2004年に公開されたスコット・ハイム原作の『謎めいた肌』を映画化した『ミステリアス・スキン』だろう。
『ミステリアス・スキン』には若き日のジョセフ・ゴードン=レビットが主演しており、もう一人の主役を、昨年『ブルータリスト』を監督してアカデミー賞を取ったブラディ・コーベットが務めている。

少年二人に対する性加害の話だ。つまり、ジャニーズ事務所や、その他の、少年に対する非道な行いの末、二人の少年の人生が狂わされてしまった話だ。

ちょっと文章が長くなりすぎるので、『ミステリアス・スキン』に関しては別記事で述べようと思うのだが、この記事では監督の代名詞とも言える、三部作、続き物ではないがー、『トータリー・ファックト・アップ』、『ドゥーム・ジェネレーション』、『ノーウェア』の三本について。その中でも、ひときわ傑作だと思う、『ドゥーム・ジェネレーション』と、これはトリロジー外の作品になるが、私の好きな、『リビングエンド』について描く。

まず、三部作、これは、1993年、1995年、1997年に発表された作品郡で、まとめて、『ティーン・アポカリプス・トリロジー』という総称で呼ばれる。
10代の性について、彼らの衝動について描かれた映画だが、基本的には、みんな脱ぐし、絡みもガンガンある。なので、家族で観るべき映画ではない。not family movieなのだ。

私が一番好きなのは、『ドゥーム・ジェネレーション』で、これは2作目、1995年の作品だ。一般的には、3本目の『ノーウェア』が最高傑作と言われるが、これは、冒頭から、主人公がシャワールームでオナニーしているシーンから始まるので、要注意だ。

で、『ドゥーム・ジェネレーション』、これがメジャー作品としての1本目にあたり、それ以前にインディーズ作品がある、の、だ、が、然し、インディーズ時代(つーても、常にインディーズ映画みたいだが)は先述した1992年に公開された『リビング・エンド』が好きで、これは、ゲイの映画評論家と、ゲイの風来坊の二人の駆け落ち的ロードムービー。

『リビング・エンド』の肌触りは、『ティーン・アポカリプス・トリロジー』の中なら『ドゥーム・ジェネレーション』に一番近いだろう。

この映画は、冒頭に、『グレッグ・アラキによる異性愛ヘテロセクシャル映画』と、高々と宣言される。

反対に、前作の『トータリー・ファックト・アップ』は、Another Homo Movie by Gregg Araki、と、グレッグ・アラキによるゲイ・ムービーであることが、、冒頭に荒れたフォントで映し出される。

で、『ドゥーム・ジェネレーション』は、破滅の世代、というタイトル通り、『ティーン・アポカリプス・トリロジー』の中で、最も破滅的だ。いや、まぁ、全部破滅的だが、今作は特にだ。

メジャー映画とはいえ、インディーズの香りが濃厚な本作は、90年代の空気が作中に横溢しているが、メジャー俳優はローズ・マッゴーワンのみだ。
ローズ・マッゴーワンは、ロバート・ロドリゲスの『プラネット・テラー』に主演している。あれは、私は、もう一人の女医さんのマーリー・シェルトンが大好きだったのだ。

そんなマッゴーワン、グレッグ・アラキのアルターエゴ的な俳優のジェームズ・デュバル演じるジョーダン・ホワイトの恋人役だ。名前をエイミー・ブルー。この二人の間に、もう1人、美しく野生的な男性であるゼイヴィア・レッドが入ることで、妙な三角関係が生まれる。デュバルは三部作全てに出ている。重要な俳優だ。
この三人、ブルー、ホワイト、レッドで、アメリカの星条旗を表していると言われている。

で、グレッグ・アラキの音楽センスと、色彩感覚、は、中毒になるほどにたまらなく心地よいが、この3人は、コンビニでその店主を撃ち殺すという犯罪を犯し、地獄の逃避行が始まる。ここで、アジア系の店主は首が吹き飛び、その生首が喋りだすシーンは、チープな美術で、ふざけているのかなと思う。然し、それが後々効いてくる。今作では、お会計すると、全てが6.66$、悪魔の数字、ダミアンの如し、で、あるが、事あるごとに6.66$なので、ふざけているのかな?と、思うが、然し、これもまた意味があるのだ。

3人は逃亡する先またその先で、妙な連中に因縁をつけられて、その度に暴力を振るい、セックスもする。だが、ジョーダンはエイミーを抱けない。HIVが怖いのだ。90年代中盤、エイズ禍の最中、ゲイであるグレッグ・アラキは、ニュー・クィア・シネマの旗手として、これらの問題を作中に、深刻ぶらずに持ち込む。そして、ゼイヴィアは、睦み合う二人を盗み見ながらオナニーをする。ここで、彼は射精し、彼の精液は画面に大写しになり、手についたそれを自身で舐め取る。

その後、ゼイヴィアはエイミーとも寝るし、そのせいで、三人の関係が変化していく。エイミーは、非常識で雑で俺様野郎なゼイヴィアを嫌うが、然し、身体は重ね合う。身体は魅力的なのだ。で、ジョーダンもエイミーも肉体の交渉を持ち、最終的には、ゼイヴィアとデュバルも、互いに肉体を求め合う寸前、に、なりそう、そんな空気になる。ゼイヴィアは、ペニスにキリストの入れ墨を掘っていて、これは、相手に、イエスが入ってる、と言わせたいからだが、この紋々もんもんが、後半、照応の伏線になる。

こう、最後まで、のんびりとした、暴力やセックスを伴っても、どこか夢のような映画だが、然し、ラスト、ここで、夢は、悪夢へと急転直下する。

ここで、キリストを彫られたペニスと相対するかのように、マリア像を使ったレイプがネオナチにより今まさに行われそうになるが、ここで、まぁ、私は、これ以上は言わないが、私的には、汎ゆる映画よりも芸術的な悪夢を見せられた心地になったものだ。きっと、観たらあなたは傷つくだろう。画面がパタパタと何度も漆黒と交互に明滅する。その中で行われる暴力の局地。尊厳の破壊。その地獄を数分間で描き切る。

この悪夢からの現実への一瞬の覚醒こそが、『ドゥーム・ジェネレーション』が傑作たる由縁だ。夢から醒めたような、喪失感を感じる演出は天才の技だと思う。

グレッグ・アラキの映画は、いつも、ラストが素晴らしいのだが、『リビングエンド』も同様だ。『リビングエンド』は、20万ドルで制作されたインディーズ映画で、70万ドル弱稼いで大ヒットした(この規模の単館系としては)。

『リビング・エンド』のVHS。こいつは私の私物。LOVEとVIOLENCEとDOOMを足すとROMANCEになるんだって。

そんな『リビングエンド』、1992年、エイズ禍、HIV陽性の主人公である映画評論家のジョン、半裸状態が多い、ライダースジャケットを着た無頼漢のルーク、二人の男性のラブストーリーだ。どちらも、HIV陽性だ。なかなかそんな映画はない。少し前に、『ダラス・バイヤーズクラブ』とかあったが、あれよりも、はるかに悲壮感がなく、後半は悲壮感が出てくるが、然し、もっと攻撃的だ。

『リビング・エンド』とは、最高!或いは、最低!という口語表現だ。

主人公の1人ジョンは、冒頭、自身がHIVポジティブであることを医者に宣告されて、酷く狼狽し、自らの運命に恐れを抱いている。もう1人、ルークはというと、冒頭、レズビアンの強盗に襲われるが、車を奪い、拳銃も奪う。そして、この拳銃で、ネオナチの警官を殺し、ジョンとの逃避行が始まる。ここのシーンがまたよくてね、真っ暗な部屋の中、息がかかるほどに近い二人、ルークが震えながら人を殺してしまったと告白し、その言葉に衝撃を受けるルーク、この画作りが素晴らしいんだよ。

20万ドルって当時だとどれくらいだろ。3000万円いかないくらいだろ。それでも名画だよ。

ルーク役のマイク・ディトリはマーロン・ブランドに似ていて大変魅力的だ。このマイクは刹那的で、暴力的で、然し、ジョンを愛している。ジョンは、映画評論家のくせに、暴れん坊のルークを事あるごとに殴りまくる意外性がある。けれども、反対に、ルークはジョンを殴らない。優しいのだ。
二人は、まさに、タイトル通りのリビングエンドだ。最高であり、最低の状態にいる。愛する男同士、シャワールームでセックスをする。その刹那的な感じと幸福感は、不思議といやらしさなどなく、愛しさというものが映画の時間そのものとなってフィルムに刻印されている。

この映画は、ラストシーンが心に残る。

『命よりも愛してるんだ』

これは、ルークがジョンに放った台詞で、この後、ルークを銃口を咥えながら、ジョンを貫くように抱く。

『命よりも愛してるんだ』、これは、モリッシーの1988年の曲、『Angel, Angel, Down We Go Together』の歌詞から取られている。
ザ・スミスのモリッシーがジョニー・マーを思って書いたこの曲は、彼のジジョニー・マーへの思いが溢れている。

『リビング・エンド』、作中のジョンの部屋、映画評論家である彼の部屋には様々な映画のポスターが飾られており、ゴダールのものもあれば、ウォーホルもある。ウォーホルも同性愛者だ。これらのきれいでセンスの良いポスターの中、ザ・スミスのツアーポスターが飾られており、それを背にしたテーブルで、二人は向かい合って朝食を食べる。この映画は、ザ・スミスが根底に流れている。

このポスター、めっちゃレアなんですよ。50万円以上しますから。しあわせな朝餉です。

そして、全てが終わり、夕暮れ、黄昏、二人だけの浜辺で、ジョンはルークの手を握り肩に寄りかかる。波音が聞こえる。聞こえないはずの、二人の心臓の音が聞こえる。私の耳だけに。いや、観客全ての耳に。きっと。



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