アドラー心理学の責任性をわかりやすく解説|主体的に生きるための思想
「人生の責任は誰にあるのか」──アドラー心理学の責任性を考える
アナタは人生がうまくいかないとき、何を思うだろうか。
環境が悪かった。
親との関係が影響している。
運がなかった。
もちろん、それらは人生に影響を与える。
アドラー心理学も、その事実を否定しているわけではない。
しかしアドラー心理学は、そこで思考を止めない。
もっと根本的な問いを投げかける。
「それでも、アナタはどう生きるのか」
という問いである。
アドラー心理学の責任性
まずは引用を見てほしい。
5.責任性
人間は自分の運命の主人である。
(アドラー)
個人の人生の責任は、すべてその個人にあります。このことを如実に知り、自分の行為の全責任を引き受ける人が健康人です。人生が自分を呼んだ時、「はい、私はここにいます」と答えること。
この言葉は、アドラー心理学の中でも特に重みのある言葉である。
なぜなら、責任というテーマは、自由と表裏一体だからである。
責任とは「自分を責めること」ではない
責任という言葉を聞くと、
失敗の責任。
過失の責任。
罪の責任。
そんなイメージを持つ人が多い。
だから責任という言葉に苦しさを感じることもある。
しかしアドラー心理学が語る責任性は、それとは少し違う。
責任とは、自分を責め続けることではない。
責任とは、
「自分の人生の主人公として生きること」
なのである。
たとえば失敗したとき、
「誰かのせいだ」
と言い続けることはできる。
しかし、その瞬間、自分の人生の舵も他人に渡してしまう。
アドラー心理学は、その状態から離れることを勧める。
人生は代わりに生きてもらえない
誰かが励ましてくれることはある。
支えてくれる人もいる。
助けてくれる人もいる。
しかし、人生そのものを代わりに生きてくれる人はいない。
最終的に選ぶのは自分である。
歩くのも自分である。
決断するのも自分である。
この事実は厳しい。
だが同時に、人間の尊厳でもある。
アドラーが責任を重視したのは、人間の主体性を信じていたからなのである。
「はい、私はここにいます」
引用文の最後にある言葉は、とても印象的である。
人生が自分を呼んだ時、「はい、私はここにいます」と答えること。
人生には避けられない出来事がある。
失敗もある。
挫折もある。
病気もある。
別れもある。
思い通りにならないことばかりかもしれない。
しかしアドラー心理学は、
「なぜこんなことが起きたのか」
だけを問い続けるのではなく、
「その状況の中でどう生きるか」
を問う。
人生から呼びかけられたとき、
逃げるのではなく、
ごまかすのでもなく、
「はい、ここにいます」
と応答する。
そこに責任性の本質がある。
健康な人とはどんな人か
アドラー心理学では、完璧な人を健康人とは呼ばない。
失敗しない人でもない。
悩まない人でもない。
むしろ、
自分の人生を引き受けている人。
自分の選択に責任を持とうとする人。
そうした人を健康人と考える。
人生には不確実なことが多い。
未来もわからない。
それでも選択しなければならない。
それでも生きなければならない。
その覚悟こそが健康さなのである。
人生の主人として生きる
アドラー心理学は、ときに厳しく聞こえる。
なぜなら、
「人生の責任は自分にある」
と言うからである。
しかし、それは人を追い詰めるための言葉ではない。
逆である。
人間には選ぶ力がある。
変わる力がある。
未来を創る力がある。
そう信じているからこその言葉なのである。
過去は変えられない。
環境にも限界がある。
しかし、今日どのように生きるかは選ぶことができる。
人生の責任を引き受けるとは、自分を責めることではない。自分の人生を、自分の人生として生きることである。
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