「見る者」と「見られるもの」を理解するためには?岡本直人「はじめての非二元・ノンデュアリティ」島岩「シャンカラ」
「見る者」と「見られるもの」を理解するためには?岡本直人「はじめての非二元・ノンデュアリティ」島岩「シャンカラ」
覚者:「見る者」と「見られるもの」がどうしても、理解してもらえない・・・。(でも、この点について書いた前の記事は、スキが比較的少なかった。だから、わかっている人は、結構多いのかも?。もはや、オレみたく悟っている人もいるかもしれないよね・・・。)
ボク:この「見る者」・「見られるもの」を理解しただけでも、実は、だいぶ高い悟りの状態なのかもしれないよね?(笑)
昨日も、別の人と話したんだけど、「心をも「見る者」」という説明で、いいんじゃないすか?と言っていた。
なるほどー、直接的だね。「心をも「見る者」」か!?(笑)
でも、その人も、「五感をも「見る者」」と言ったら、「五感はやっぱり自分のものじゃないっすか?」と、抵抗感を示していた。
前に言ってたことのふりかえりになるけれども、仏教の唯識の教えは「認識=世界」という考え方だった。
そして五感は自分のものという前提だったわけよね。
そういう意味では、唯識の教えのほうが、サーンキヤ哲学や、不二一元論=アドヴァイタ・ヴェーダンタよりも理解しやすいかもね(笑)。
だって、後者は、「五感をも「見る者」」だったんだからさー。
五感も自分のものじゃないんだからさー。
うーん、「心をも「見る者」」はOKでも、「五感をも「見る者」」が納得出来ない人もいるんだよね。実は、根が深い問題だったんだね・・・(困惑気味!)。
ここら辺を深堀りせずにズーッと不二一元論について話してきたのは、チョット良くなかったかも・・・(反省!)
純粋意識(シュッダ・チャイタニヤ)と意識(チェタナ)が微妙に意味が違うのも、混乱を加速するよね。
純粋意識は、ブラフマンそのもので、無明や現象世界の影響を受けないのに、意識は、影響を受けるわけだから、厳密には意味違うやんってことだよね。
だから、前回の記事のように、意識と心はちがうやんって説明も、半ば確信犯的に使ってたけれども、厳密には純粋意識と意識も意味違うよねっていうのは度外視して使ってたからねぇ・・・。
とりあえず、「心をも「見る者」」・「五感をも「見る者」」で強引に納得してもらうしかないか・・・。
もうこれ以上簡単に説明するのは、少なくとも今のオレにはムリそうだわ(苦笑)。
わからない読者のアナタは、不満かもしれないよね・・・(心配!)
とにかく、「心をも「見る者」」「五感をも「見る者」」で強引に納得してもらうしかないかも・・・。
まあ、強引に納得してもらって、時間をかけて咀嚼してもらうしかないよね?
そうだね。時間をかけてもいいから、咀嚼してもらうしかないかもね。
わからないアナタも、純粋意識=「見る者」は「心をも「見る者」」・「五感をも「見る者」」と一旦覚えてしまい、徐々に時間をかけて、納得していけばいいと思うよ。
そうだね。わからないアナタも、純粋意識=「見る者」は「心をも「見る者」」・「五感をも「見る者」」と一旦覚えてしまい、徐々に時間をかけて、納得していけばいいと思う。
いつか、キット悟れる日が来る!(笑)
いつか、わからないアナタにも、キット悟れる日が来るよ!アナタにその日が来るのを、オレは心から信じてる!!(確信!!)(・・・というか、始めに戻るけど、オレみたく悟っている人も、結構いるかもしれないね!(笑))
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