僕の中の怪物。
僕の口元には大きなアザが在る。そのアザはまるで怪物のように、僕の思考や感情を支配している。道行く人の視線が怖い。道を歩く度に、突き刺さる視線たち。僕はそれらを睨むのでもなければ、平然を装うのでもなく、ただ怯えてビクビクしている。時にはヒソヒソとこちらを見ながら話している光景や、指まで指されたりすることもある。
だから自宅を一歩出れば、そこに安心と呼べる場所はない。四方八方から視線が突き刺さる恐怖と、いつも隣合わせだ。恐怖が増大すればするほど、僕のアザの存在感も大きくなっていく。アザが僕の思考や感情を支配していく。
そうして大きく肥大化したアザという存在が、僕という存在を呑み込んでいく。アザが「在る」とはこうしたことを意味する。身体のアザの表面積以上に、心に巣食うアザは大きく強大だ。
物心ついた頃には、アザが僕の思考や感情の拠り所となっていた。例えば初対面の人と会って話すとき、その人は僕の目を見て話すのか、それともアザに目が奪われるのか。会話の最中にアザの話題に触れるのか。そうやって相手の動向を窺って、人を判断する、そういう習性が身についてしまった。
その習性は、まず第一に自分の身を守りたいがためだ。害をなす人なのか、そうじゃないのか。敵か味方か。今思えばそれは、相手を値踏みしているのとさほど変わらない。とても失礼な態度であり、誠実さに欠けている。でもそうした生き方で身を守る他に、考えられる術がなかった。
身体の成長と共に、心に巣食うアザも成長を遂げていく。口元のアザの大きさは止まったままなのに、心に巣食ったそいつはどんどん精神を蝕んでいく。何より怖いのは、心に巣食ったアザであるこの怪物だ。
怪物は朽ち果てることなく、いつだって僕の心に巣食っている。その怪物を退治しようとしてくれるのは、皮肉にも、あんなに怯えていた人という存在だ。人と関係を築き、その関係の渦を紡ぎながら、一本一本糸をほどいていくように、少しずつ怪物を弱らせていく。完全に退治することはできなくとも、弱体化させることはできる。
恐らく僕の生ある限り、この怪物が朽ち果てることはないだろう。それでも、限りある生を怪物に呑み込まれた状態で、終わりを迎えたくはない。僕にだってやりたいこと、達成したいことは沢山ある。怪物を飼い慣らそう。そうすれば今より少しは、より良い生を歩めると、そう信じている。
