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遠藤周作が愛した街へ、眠れぬ三等列車で。

この文章は世界の街を切り取った旅エッセイです。
題して「見知らぬ異国で、ひとりごつ」


デリーの駅は、すでにカオスだった。
人々の群れが、押し合いへし合い、けたたましいクラクションの音と、様々な叫び声がごちゃまぜになって空気を震わせる。その熱気の渦の中、わたしはバラナシ行きの列車、三等寝台の車両に乗り込んだ。

車内は、まさに人、人、人。
指定された寝台へ向かうにも、足の踏み場がない。通路は、座り込む人々や荷物で埋め尽くされている。なんとか自分の場所を見つけ、よっこいしょと体を押し込む。

夜行列車は、カオスの縮図だった。
誰かが歌い始めれば、それに合わせて手拍子を打つ人がいる。売り子たちは、ちゃりん、ちゃりんと小銭を鳴らしながら、「チャイ、チャイ」と大声で叫んで通り過ぎる。その声に混じって、赤ん坊の泣き声が響き、男たちの話し声がわあわあと聞こえてくる。

眠ろうと目を閉じても、とても寝られるような状況ではない。ガタン、ゴトンという列車の揺れと、耳をつんざくような音。鼻を抜けるのは、汗とスパイスと、そして何かわからない、様々な匂いの混じり合った、独特のむわっとした空気だ。

約12時間の旅路。疲労は、肉体の奥底からじわじわと湧き上がってくる。
旅の始まりの頃のわたしなら、この状況に耐えられず、逃げ出したいと叫んでいたに違いない。だが、一年半の旅は、わたしをずいぶんと変えた。完璧でないこと、不完全であること、その中にこそ、生きているというエネルギーがあることを、わたしは知っていた。それでも、この列車のカオスは、わたしの体力を根こそぎ奪い去った。

夜が明け、朝日が窓の外を照らし始める。汚れた窓ガラスの向こうに、見渡す限りの広大な大地が広がっていた。その風景を見つめるうちに、わたしの胸には、別の感情がぐわっとこみ上げてくる。それは、この先に待つ、聖なる場所への高揚感だった。

わたしは、遠藤周作の『深い河』を読んで以来、いつかこの目でガンジス川を見てみたいと、ずっと考えていた。多くの人々が、この川に人生のすべてをゆだねる。生と死が、ごちゃまぜになって、ひとつの大きな流れをつくっている場所。

燃え尽きたろうそくのような体を運んだ先に、あの物語の舞台がある。この列車の旅は、ガンジス川へと続く、心を整えるための時間だったのかもしれない。

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―ああ、またひとつ、見知らぬ異国で、ひとりごつ。


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