世界は汚くて美しい。デリーの街角で知ったこと。
この文章は世界の街を切り取った旅エッセイです。
題して「見知らぬ異国で、ひとりごつ」
日本に帰国して、もう三年がたった。
あの長い旅から戻ってきて、いつしか日々に埋もれてしまっていたわたしは、再び旅に出ることにした。次に選んだ場所はインド。
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デリーの街は、熱気とけんそうに満ちていた。
クラクションがけたたましく鳴り響き、人々の声がごちゃまぜになり、様々なスパイスの匂いがむわっと空気にただよう。そして、その全てに混じって、道のいたるところに転がる牛のフンが、鼻をつく臭気を放っていた。
初めてデリーの街を歩いた時、わたしは思わず顔をしかめる。避けようにも、どこを歩いても牛のフンがある。それを踏まないように、見ないように、まるでダンスを踊るようにして歩いた。
ふと気づいた。人々は誰も、このフンを気にする様子がない。子どもたちはその横で遊び、露店はフンのすぐそばで営業している。この街では、牛のフンは日常の一部なのだ。
慣れてくると、わたしは牛のフンに興味を持つようになった。乾いたフン、湿ったフン、大きさも形も様々だ。朝にはなかったフンが、夕方にはいくつも増えている。そして、夜になると、人々はフンを拾い集め、平たい形に整え、壁にぺたぺたと貼り付けていた。まるで、太陽の光で焼き固める、アート作品のようだった。
ある日、わたしは牛のフンを壁に貼り付けている男性に近づき、身振り手振りで尋ねてみた。すると彼は、これは燃料になるのだと教えてくれた。
そうか、この街では、命の恵みは最後まで使い切る。フンは汚いものではなく、人々の暮らしを支える大切な資源なのだと知った。
それまで、わたしにとって牛のフンは、ただの汚物でしかなかった。
だが、この街に来て、その見方が変わった。このフンは、人々の暮らしに寄り添い、静かにその営みを支えている。それは、見方を変えれば、汚いと思っていたものが、実はとても美しいものになりうる、ということを教えてくれた。
帰国から三年。
日本での生活は、綺麗で、整っていて、何の不自由もなかった。しかし、その完璧な日常に、わたしはどこか物足りなさを感じていたのかもしれない。それは、牛のフンのような、不完全で、でも力強く生きる、そんな「生」のエネルギーが足りなかったからかもしれない。
デリーの街を歩く。
クラクションの音、人々の声、スパイスの匂い。そして、牛のフンの生臭さ。それらすべてが、わたしに「生きている」という感覚を思い出させてくれた。
わたしはまた歩き始めるのだ。
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―ああ、またひとつ、見知らぬ異国で、ひとりごつ。
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