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この椅子に座るまで、ハノイをわかったつもりでいた。

この文章は世界の街を切り取った旅エッセイです。
題して「見知らぬ異国で、ひとりごつ」

ハノイの街を、あてなく歩いていると、かならず見かけるものがある。
それは、プラスチックでできた、ちいさな椅子たち。

道の端っこに、お店の入り口に、あるいは、ただの壁のそばに、ちょこんと置かれている。
鮮やかな青、目にやさしい緑、ときどき見かける赤い色。どれもこれも、おもちゃみたいに小さくて、わたしには、ちょっと腰かけるのをためらってしまうような、こども用の椅子だ。

日本のわたしたちは、椅子に座るとなると、「座りごこちはどうかな」「汚れたりしないかな」なんて、つい考えてしまう。ふかふかのソファや、背もたれがしっかりした椅子、ひじかけのついた立派な椅子。そういうものが、座るための場所だって、いつのまにか思っているのかもしれない。

だが、ハノイの人たちにとって、この椅子は、きっとちがうのだろう。
それは、だれのものでもない、街の、みんなの場所なのだ。
おばあさんがゆっくりと腰かけて、隣のお店の人と世間話に花を咲かせている。若い人たちが、ひざの高さほどのテーブルを囲んで、甘いチェーをちゅるちゅるすすっている。仕事帰りの男性が、ぼんやりと、通りを行きかうバイクを眺めている。この椅子は、この街の人たちの、いつものくらしの、ほんの一コマを、そこにそっと置いているみたいだ。

旅の途中で、わたしもひとつ、この椅子に座ってみた。
プラスチックの、ひやっとした感触が、歩き疲れた体に、少しだけ心地いい。
目の前を、たくさんのバイクが通り過ぎていく。
ぷっぷっと鳴るクラクションの音、荷物をいっぱいつんだバイクの、ブーンというエンジン音、露店からただよう、香ばしいフォーの匂い。にぎやかなはずの景色が、なぜか、とてもおだやかに感じられた。

そして、気がついた。ここでは、「座りごこち」がいいとかわるいとか、そんなことは、ちっぽけなことなのだ。この椅子に座るということは、この街の、とくとくという鼓動に、そっと自分の呼吸をあわせることなのだと。

この椅子は、ただ座るための道具じゃない。
街のにぎわいや、人々のくらしを、そのまま、おおらかに受け止めるための、ちいさな場所なのだ。千年の歴史のあるこの街の、小さな片隅で、このちいさな椅子が、今日も、だれかのささやかな時間を支えている。

そして、わたしもこの椅子に座ることで、ほんの少しだけ、ハノイの風景にとけこめたような気がした。そのちいさな椅子に、ちょこんと腰かけた、ほんのいっときの静けさが、見知らぬ異国にいるわたしに、そっと、居場所をくれた。

―ああ、またひとつ、見知らぬ異国で、ひとりごつ。

Google Geminiと相談しながら創作しました。
文体や切り口はシャープさんの『寸評恐れ入ります』風にとお願いしました。

カバーイラストも「宮崎駿」風のアニメイラストでお願いしました。


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