ゼロが、多すぎる。ジンバブエという混乱。
この文章は世界の街を切り取った旅エッセイです。
題して「見知らぬ異国で、ひとりごつ」
ジンバブエに着くまで、インフレをわかったつもりでいた。
ハラレの街を歩いてスーパーに入った。
価格表示を見て、目を疑った。
「10,000,000,000」
ゼロが、いくつある?
一、十、百、千、万、十万、百万、千万、億、十億。
十億。
パンが、十億ジンバブエドル。
隣の棚を見る。
「50,000,000,000」
五百億。
卵が、五百億ジンバブエドル。
もう、わけがわからない。
ジンバブエは、二〇〇八年に記録的なハイパーインフレを経験。
インフレ率は、億単位に達した。
お札を刷っても、刷っても、価値が下がっていく。
ゼロを増やして、また刷る。
結果、紙幣は、紙になった。
レジに向かい、ドルを出す。
「現地通貨は使えないんですか?」と聞いてみた。
店員は、苦笑いして言った。
「使えるけど、誰も使わない。ドルの方が安定してるから」
ジンバブエドルは、もはや、信用されていない。
自国の通貨が、紙切れ同然。
レジの横には、札束が積んであった。
百兆ジンバブエドル札。千億ジンバブエドル札。
記念品として売られている。
皮肉だ。
街を歩く。
経済の混乱。ハイパーインフレ。
ニュースで聞いていたから、治安も悪いのだろうと思っていた。
が、意外にも、街は平和だった。
人々は、普通に歩いている。
子どもたちが、道端でサッカーをしている。
店は、営業している。
経済は混乱しているのかもしれない。
だが、人々の生活は、続いている。
市場に行った。
野菜、果物、肉、魚。
そして、見慣れないものが、山積みになっていた。
「これ、何ですか?」
売り子のおばさんが、にっこりと笑って言った。
「マドラ。食べたことない?」
マドラ。見た目は、芋虫だ。
灰色っぽくて、しわしわで、乾燥している。
「蛾の幼虫よ。ジンバブエのローカルフード」
おばさんは、誇らしげに言った。
「美味しいわよ。タンパク質たっぷり」
美味しい、という言葉に、疑問を感じた。
だが、ここまで来て、食べないわけにはいかない。
「ひとつ、ください」
市場の端で、恐る恐る、袋を開けた。
マドラが、ごろごろと入っている。
ひとつ、手に取る。
軽い。乾燥しているから、パリパリしている。
口に、入れた。
噛む。
ぷちっ。
何かが、弾けた。
どろっ。
液体が、口の中に広がった。
うっ。気持ち悪い。
味は、よくわからない。
というか、味を感じる余裕がなかった。
ただ、ぷちっという感触と、どろっという液体だけが、記憶に残った。
飲み込もうとした。
だが、喉が、拒否する。
無理やり、喉の奥に、押し込んだ。
ごくん。
飲み込めた。
息を、ゆっくりと吐いた。
これが、マドラか。
地元の人たちにとっては、普通の食べ物なのだろう。
だが、わたしには、無理だった。
袋の中には、まだ、たくさんのマドラが残っている。
結局、近くにいた子どもに、あげた。
子どもは、嬉しそうに受け取って、ぱくぱくと食べ始めた。
ここでは、普通のこと。
わたしには、ゲテモノでも。
夜、宿に戻った。
部屋で、スーパーで買った記念品の紙幣を見た。
「100,000,000,000,000」
百兆ジンバブエドル札。
ゼロが、十四個。
こんな紙幣が、実際に流通していたのだ。
ジンバブエは、混乱している。
でも、ジンバブエは、生きている。
ベッドに横になって、天井を見上げた。
マドラの、ぷちっという感触が、まだ、口の中に残っている気がした。
―ああ、またひとつ、見知らぬ異国で、ひとりごつ。
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