手袋をつけて食べる、成都のザリガニ。
この文章は世界の街を切り取った旅エッセイです。
題して「見知らぬ異国で、ひとりごつ」
本場の四川料理。
麻婆豆腐を注文したら、真っ赤な皿が出てきた。赤い。とにかく赤い。唐辛子と花椒が、豆腐の上を完全に覆い尽くしている。これは豆腐料理なのか、それとも香辛料料理なのか、一瞬分からなくなった。
一口食べる。辛い。
いや、「辛い」という言葉では足りない。舌が痺れる。口の中が燃える。額から汗が噴き出す。日本で食べていた麻婆豆腐は何だったのか。あれは麻婆豆腐ではなく、別の何かだったのかもしれない。
「日本人には無理かもしれない」
でも、周りを見ると、地元の人たちは普通に食べている。会話をしながら、笑いながら、ビールを飲みながら、普通に食べている。これが「普通」なのか。
水を飲んだ。でも、水では消えない。この辛さは、水で消えるようなものではなかい。
そして、ザリガニが出てきた。
店員が手袋を持ってきた。ビニールの手袋。これを付けて食べるらしい。ザリガニは山盛りで、大きな皿から溢れそうになっている。真っ赤なソースにまみれている。またこの色か。
手袋を装着して、ザリガニを手に取る。
殻は硬い。エビよりも、むしろカニに近い。
頭をひねって外し、尻尾の殻を剥く。
中から、小さな身が出てきた。思っていたよりもずっと小さい。
この手間に対して、この量。割に合うとは言いがたい。
それでも、口に入れた瞬間、予想が変わった。
ザリガニの身は、エビともカニとも違う。
淡い甘みがあり、そのあとから例の真っ赤なソースが追いかけてくる。
辛さが舌に残るのに、なぜかもう一口ほしくなる。
痺れるのに、手が止まらない。
手袋をした手で、次々とザリガニの殻を剥く。効率が悪い。一匹むくのに、けっこう時間がかかる。でも、不思議と苦にならなかった。むしろ、この作業が楽しくなってきた。殻を剥く音、ソースの香り、ビールの冷たさ。それが全部、混ざり合っている。
隣のテーブルでは、家族連れが同じようにザリガニを食べていた。子供も、器用に殻を剥いている。この光景が、成都では日常なのだ。
結局、一皿を全部食べた。手袋は赤く染まり、テーブルの上には殻が山積みになった。満足感があった。でも、それは満腹感とは少し違う気がした。何かを成し遂げた、という感覚に近かった。
成都の四川料理は、日本人には無理かもしれない。でも、無理じゃなかった。ただ、覚悟が必要だ。辛さに対する覚悟。痺れに対する覚悟。そして、ザリガニの殻を延々と剥き続ける覚悟。
ホテルに戻って、鏡を見たら、唇が少し腫れていた。翌朝、まだ舌が痺れている気がした。でも、後悔はない。むしろ、またいつか食べたいと思った。
―ああ、またひとつ、見知らぬ異国で、ひとりごつ。
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