成功体験を話してみる。体育館の壁から壁まで飛んだ紙ヒコーキ
退屈な小学校生活を過ごした。
何を考えるか考えながら、45分の授業を受けた・・・
最も退屈な、忌々しき時間を6年間過ごした。
私は、座学が大嫌いで、実践タイプ(遊びなどから着想を得るのかな?)だと言われている、MBTI性格診断のESTP(起業家型)です。
小学校4年生の時、中学から小学校に活躍の場を変えた、後に校長先生になる先生に出会う事になる。
私は、差別用語を笑いに使う「卑怯な、姑息な、どうしょうもない小学生」だった。
この先生が現れて、私の道徳観が形成されることになる。「目立ちたい」「笑わせたい」という感情が強かった私に「道徳観」を殴り飛ばしながら教えてくれた先生だった。心底感謝している。
中学校の教諭が、小学生の教諭に転向する。そんなこともあるのか。
小学4年生で、この先生に出会い、いくつか自分の事を知る経験をする。
おっと、人生の恩師は3人だと、今までの記事に書いてきたが、人生の恩師は4人だったのか・・・ごめんなさい。
後に校長先生になる、スケールの大きな先生だった。
私は、とにかく授業が退屈で退屈で・・・
遠くに見える山や、遠くに見える新幹線を眺めながら、しょうもない授業を乗り切っていた。
山と新幹線が在る、広島県の生まれだ。
この先生が赴任して、私は自分の才能に気付く。
テストの答案を終えると、家に帰って良いというルールが適応された。
最後の授業が、「国語」や「算数」だった時に、答案を解くのが速いという事に気付く。
台形の立方体というのかな(笑) 計算式とどうしてその計算にしたか聴かれ、答えとヒアリングが合えば、家に帰してくれた。
私は、答案を速く解くことに、喜びを感じる様になる。
公文式に通っているクラスメイトより、速くテストを満点にして家に帰る事を楽しみに授業を受けるようになる。
同じ先生に、小学4年から小学6年生まで、受け持ってもらう事になる。
おそらく、私と数名だけだ。私は、先生が「こいつヤバいから徹底的に叩き直してやる」と思われていたと感じている。トレードによる、私を支配下に置いたに違いない(笑)
私の生まれ育った家は、目の前が子供が遊ぶ公園だった。
藤棚や、滑り台、鉄棒、ブランコや砂場が在った。
同級生の兄たちと、遊んだ。
中でも「紙ヒコーキ」は思い出深い。
同級生の兄や、年上の近所の兄貴分と遊ぶうちに、どの様な紙ヒコーキが良いか学ぶことになる。
滞空時間や、飛んだ距離を競う。
どんな紙ヒコーキの折り方をするのか、どんな紙ヒコーキを折れば良いのか、年上の知恵や年上の親の知恵を間接的に吸収する様になる。
小学6年の時か小学5年の時に、体育館で先生が紙ヒコーキの「出来」を競わせる。
2階の周囲ぐるりの通路から紙飛行機を飛ばす。
・距離
・滞空時間
・ビジュアル(綺麗さとか完成度)飛ばなくても良い。
私は、距離で1位を獲った。
滞空時間では、忘れたけど3位以内だったかな。
ビジュアルは・・・無い。割りばしなどを使いセスナの様なヒコーキを作っていた女子が1位を獲ったと記憶している。
私は、どうすれば遠くに飛ぶ紙ヒコーキを作れるか知っていた。
家の前が公園で、年上といつも紙ヒコーキを飛ばす遊びをしていたからだ。
私の紙飛行機だけ、体育館の縦ではなく横かな(短いほう)を壁から壁に当たるまで飛んだ。壁がなければもっともっと飛んでいた。
年上に教わったわけでもない。技術を盗んだ訳でもない。誰にも教わっていない。
私は、小さな紙で折るよりも、大きな紙で折る方が良いと知っていた。
折り紙の飛行機より、新聞に挟まれている広告の方が、遠くへ飛ぶと知っていた。
私は、文房具屋で「画用紙」を買い、カッターで薄く切れ目を入れながら、大きな「広告より重い」画用紙で紙ヒコーキを折った。
広告を二枚重ねて折ると、遠くへ飛ぶという事を既に知っていた。
画用紙は元々重い。画用紙を折るには切れ目を入れないといけないと知っていた。
「大きさと重さが必要だと知っていた」
私のリスペクトしていた経営者の「折口 雅博」さんが「どの仕事にも、ボーリングのセンターピンの様なものが存在する」と、インタビュー記事で見かけた。
今はリスペクトできていない。ニュース沙汰の信頼を無くす事が在った。
ボーリングのセンターピン理論だけは、今も応用している。
いわばバイブルだと思っている。
好きの延長、遊びの延長に、ボーリングのセンターピン理論は在る。
のんべんだらりと過ごしている人と、「コツ」や「成功」を掴もうとする人は大きな差が無いようで、有るな・・・
おわり
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