『サド侯爵夫人』のおかしみ
雪の舞う中
宮本亜門と成宮寛貴がタッグを組んだ
三島由紀夫の戯曲『サド侯爵夫人』を観劇する為
朝から出かける準備をした

今日のお出かけの音楽は
Rin音 素敵な音楽だ
寒い日のお出かけもなぜか苦ではなくなる
観劇前に珈琲でも飲もうと
以前素敵だと感激したカフェを探したが
生憎、日曜日はお休み
パン屋さんでクイニーアマンを買って
劇場ロビーで食べた
ほとんど動きはない
朗読劇と言ってもいいぐらいの
ずっと難しい長ゼリフを
感情豊かに語っている
サド侯爵を取り巻く6人の女達の
会話劇をオールメール版で表現するという
そこにサド侯爵はいない
ひとつひとつの言葉が
考えが
とても超越していて
思わず笑みがこみ上げる
ルネの盲信ぶりはとても興味深く
おかしみとして笑えてくるのだ
笑いは
ボケてツッコむだけの世界だけではなく
こういう時にも発生するものだ
と改めて思う
「幸福というものが、アンヌ、 泥の中の砂金のように、地獄の底にもきらめいているものだとわかったんだわ」
ルネは
人が幸福としない幸福を
求める
サド侯爵に対しての世間からの見立を
「それは知識」だと一蹴する
「悪徳を利用して美徳を唱える」世間代表のルネの母VS
貞淑を履き違えてすくすく育ったルネ(皮肉)
そうこうしているうちに
「アルフォンスはね、
たった一つしか主題を持たない音楽なんです。」
ついに
「私はジュスティーヌ!」
なんで?
最後に
「美徳を守ろうとする者には不幸が降り掛かり、悪徳に身を任せる者には繁栄が訪れる」と悟った暁には
老いぼれたアルフォンス(サド)は
もはやアルフォンスではない
神格化されたアルフォンスの魂は
もうそこにいないかのように
容赦なく切り捨てる
この極北を理解しようとすると
笑わずにはいられない!
確かに音楽だ!
確かに芸術だ!
となる(笑)
だいぶ病気…

浮世離れした概念が飛び交う世界から
抜け出すと
劇場の外はすっかり雪もとけていた
夕日のさすとても綺麗な日常
魂が戻った私は
帰りの電車に揺られながら思いにふける
この時間が大好き
いつもの日常
いつもの風景が
遠い世界から戻ったみたいに
懐かしさであふれる
とても綺麗な世界
男性劇を観たせいか
何も食べていなかった空きっ腹に
牛タンが入れたくなって
ガツガツ食べた
性転換された私は考える
私の性が男だったら
私はろくな男になっていなかったなと

そしてルネにも心を寄せる
多分、女とはこういうものだ(笑)
相手を思いやる風に自分に酔いしれるものだと

