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大野楓護という人物



みなさんこんにちは!中長歩パート新1年の大野楓護です!入ってすぐに執筆の機会を頂けて光栄です!今回は僕自身のこれまでの陸上人生を陸上以外も少し交えながら、時系列に沿って(自己紹介の尺を大幅に超えてそうなくらい長いですが)お話しようと思います。

生粋の道産子、陸上に沼る


生まれも育ちも北海道帯広市、生粋の道産子です。かわいい幼稚園時代を過ごして…

何故かアルバムには変顔の写真しかありません…
この頃の無邪気さを取り戻したい…


やんちゃな小学生時代を過ごして…そして中学1年で陸上との出会いが…!実は小学校の頃に同級生の男子が1500mで北海道何位だったんだ!なんていう話をよく聞いていて、幼いながらというかむしろ幼いからこそなのか、やっぱり走るの速いってかっこいい!と思い、同学年の男子に憧れて陸上やりたい!なんて思ってました。でも実はお父さんがバスケ部で部活はバスケ部に入って趣味でランニングしよう!みたいなことを考えてたんですよね。ですがなんと部活体験に行ったあの日、半ば強引に陸上部の先輩方(名前は伏せますが、今でも札幌で競技をしている人もいる自分にとって大好きな先輩方です!)に連れてかれちゃったんですよね。笑そこでさあ体験してみよう!ということで人生初めてミニハーやラダーを使ったり、様々ドリルをやったり、走ってみたりして、みんなすごいすごいと褒めてくれてそれはもう楽しかったです笑それでまあ、バスケ部の体験に行くことなく陸上部に入ることになりました。そこからは陸上の楽しさにのめり込んで、走って走って走りまくってました。この時はまだ専門的な知識もなく、がむしゃらに、そして根性論でやってました。中三の全道大会、中足骨が折れてる中、決勝まで行けたのはいい思い出です笑

大野楓護という人物のバックグラウンド


実はそんなこんなでやってたものですからそれはそれは怪我がとんでもなく多い。おそらく陸上をやってて経験する可能性のある怪我はほぼコンプリートしてるんじゃないかな…というほどです。そこで中学3年生の私はネットや本で筋肉とか骨の知識とか、いわゆる運動解剖学を勉強してみたり、運動生理学を学んでみたり、トレーニング理論を調べてみたり、陸上に活かせることは片っ端から調べまくりました。ここが僕の陸上人生の第2の出発地点だったのかなぁと思います。中学時代は勉強も公立中学で学年5位以内をキープ出来てたので、そんなこんなで高校にはスポーツ特待兼学業推薦として白樺学園高校の特進アスリートコースに入り、陸上と勉強に励む毎日を送ることになります。ここから華のある陸上人生かと思いきや…待っていたのは試練の連続でした。

地獄(天国)の始まり


まず、入学前に白樺の恒例冬合宿で福岡に行き1週間のトレーニングを積むことになりました。ですがそこで両ふくらはぎ肉離れと足関節捻挫、中足骨の疲労骨折の再発と一気に畳み掛けてきました。そこからは同期に置いていかれないよう出来ることをして、またトレーニングを再開して、やっと走れると思ったら今度は膝の怪我、腰の怪我と続き、そんなこんなで1年生の10ヶ月と少しという時間を棒に振りました。ですがここでまた気づいたことがありました。それは、中学時代に学んだ理論ベースのトレーニングはそのまま使っても意味が無い、というかトレーニングの5原則で言うところの個別性の原則を無視していたことです。そこで初めてRPE(主観的運動強度)やRHR(安静時心拍数)などを始めとする主観的な疲労度や客観的な数値を使ってトレーニングの管理をすることを覚えました。ここからはトレーニングに対する考え方がガラリと変わり、さらに貪欲に学んでいくようになりました。

運命の出会い〜僕と競歩(笑)〜


それでもやはり怪我はするものでした。高校2年の春、そこで出会ったのが競歩です。競歩なら練習を継続しながらも怪我を予防してボリュームコントロール出来るし、何よりコーチの存在が大きかったです。私は怪我をきっかけに中学の頃から知り合いだった方に外部コーチをお願いして、白樺学園の練習とコーチの練習を繋ぎ、自主的に考え、こなしていく中でメキメキと力をつけました。そして迎えた高二の夏、インターハイ北海道予選は惜しくも6位、あとひとつという所でインターハイの切符を逃しました。ですが400mもラップ51秒台はあったので経験という名目で福岡インターハイにマイルの補欠として参加しました。他の選手のサポートをしながらも、来年こそはと誓った大舞台の景色を目に焼き付けました。運のいいことに落合選手の800m1'44"80という日本記録を目の前で見ることができました。これはもう鳥肌もん、というか感動で涙が出ました。会場が見たことの無い盛り上がりを見せた最高の瞬間でした。その他にもたくさんの活躍する全国の同学年の選手たちを見て最高に刺激を受け、帰ってからはより一層陸上に熱が入りました。

高2秋


そしてその後迎えた北海道新人大会。800mと5000wに出て、800は1'57"というPBを予選で出し、決勝は時間が空かずに疲労度の高い中ではあったものの1'58"で走り5位入賞と自分の中ではそれなりに満足のいく結果になりました。また5000wは800をこなした後日だったのもあり、3位で表彰台という結果でした。悔しいと思う反面収穫も大きく、個人的には狙った動きを狙ったレースで出来た初めての大会でした。その後はDTTで1500m4'05"を出したおかげで駅伝の補欠に入れたものの、当然の如く正選手にはなれずサポート業務をして、そのままシーズンオフとなりました。

高2冬、そしてその先へ


ここからの冬季練習はあっという間でした。練習の計画が明確になっていたし、鮮明なイメージが見えていたからです。そして、そのまま順調に冬季を越して迎えた高校三年生の春、サイエンスベースを意識しつつではありつつも疲労管理を覚えた私は、高体連支部予選までに出た試合全てで狙った動き、狙ったタイム、狙ったレース展開(全て単独レースではあったが)を当然のようにこなしました。そして迎えた高体連支部予選、800mも順当に1'57"で楽に全道大会出場権を獲得し、5000wはPBとなる21'28"82をたたき出し、大会記録を1分24秒更新し、十勝記録にあと2秒のところまで迫りました。その後は暑熱順化を本格的に開始しました。

十勝毎日新聞より

陸上の厳しさを知る


迎えた全道大会は800mを棄権し、5000mwに照準を完全に絞りました。それは正午近くのレースで会場の気温は38度超えでした。スタートと同時に先頭に立ち後続を突き放して優雅に独歩していた僕ですが、中盤に差し掛かる前に突如鼻血が大量に出てきました。こんなものに負けぬまいと、給水の水で顔を流したり、うがいしたりして頑張り、なんとか血は止まったのですが、レース後半、残り1000m地点からでしょうか、嗚咽が止まらず何度も立ち止まりました。それでも歩いては止まり、歩いては止まりを繰り返して残り550m地点、なんとついに嘔吐してしまいました。ついに完全に止まってしまったここで後続に追いつかれ気づいた時には先頭との差は80m程、彼は既に鐘を貰っていました。ここからはほぼ意識はありませんが、だめだとは思っていたもののもうリミッターは外れていました。気づいたら限界を超えたスピードで前を追い、気づいたら逆に50m程の差を付けて優勝していました。

十勝毎日新聞より


この時のタイムは23'24"71。何故でしょうか、勝ったのにちっとも嬉しくありませんでした。むしろ悔しくて、悔しくて人生初めてこの規模の大会で優勝したのに悔し涙を流しました。何かに本気で取り組むってこういうことなのかと後になって身に染みました。この日を境に熱中症になった僕はもちろん練習も上手くいきませんでした。そしてここで追い打ちの左橈骨遠位端骨折。自転車事故でした。そして学祭前日でした。インターハイ1か月前でした。この時は本当にこれまでの陸上人生約5年ちょっと、全てを否定された気がしました。ですがここで折れないのが大野楓護です。何とか手術をしてもらったおかげでインターハイに出ること自体は叶いそうでした。

これを北大に入学する3週間前まで入れてたよ


ですがもちろん必要のない人生初手術、体への負担も大きく、また練習出来ない期間も長くなり、ほぼぶっつけ本番で広島インターハイに臨みました。タイムレース決勝だったため私は当時全国18位(?)19位(?)だったのでギリギリA決勝、つまり実質、全国の高校生でいちばん早く歩ける人達の組に入りました。詳しいレース展開は端折りますが、想像に容易いはず。もちろん全60人弱のうち1人だけが骨折していたのですから。スタートから置いてかれ、ゴール時にはまたまた嘔吐しました。この時レースの平均心拍は198bpmでした。極限状態でも意地と根性でラップを刻んで前からこぼれてくる人を丁寧に拾っていきました。よく頑張ったと思います。同時に、やっぱり夢の大舞台というだけあって、歩ききれたのはいわゆるインハイマジックがあったんでしょうか。そんなこんなで陸上は1度引退しました。

受験のハナシ


ここからは受験のお話です。
まず、僕はフロンティア入試TYPE1という珍しい方式で工学部応用理工系学科応用マテリアルコースに合格しました。実はこれが自分でもびっくりなんですね。実は工学部なんですがうちの高校にはカリキュラムに物理がなく(設立2年目のコースなのでまだ環境が整いきってなかった)、生物選択というおそらく工学部全受験生で自分だけなんじゃないかなと思っています。実はフロンティア入試となればまあ受からないだろうということで対策は1回もしませんでした!今考えるとこれが正解だったとも思うんですが、一般受験に心血を注いで3年間やってきて最終的に入試も一般で合格するつもりだったんですが、なんとびっくりフロンティアの合格通知が来たんですね。物理を知らない工学部なんて前代未聞です笑合格後から高校物理はざっと学んで準備しましたが…ちなみに塾に行ったこともなければ、授業を真面目に受けていた訳でもない自学自習を極めていた効率厨だったので、授業というものに抵抗があり大学の授業には絶賛苦しんでます…笑

こんな活動もしたり…
帯広農業高校Xより


と言った感じで、まだ書ききれていないことが多すぎるんですが、かなり変な人生というか、特徴的な人生を歩んできました。「中々こんな人いないよ」みたいな人がまさに僕みたいな人なんじゃないかなと思ったり思わなかったり。そんなこんなで自分語りに熱くなりすぎたんですが(駄文本当に申し訳ありません!!)、最後は陸上の具体的な話に移ります。

陸上のPBと目標


[PB]
800m/1'57"52(高2)
1500m/4'05"91(高2)
5000m/16'39"(中3,非公認のロードレース,小数点以下は記憶にないです)
5000w/21'28"82(高3)
[最終目標]
800m/1'50"00
1500m/3'52"50
5000w/18'45"00
10000w/39'10"00
[1年次目標]
800m/PBを出す
5000w/20'59"99
10000w/43'59"99
とりあえず今は最高目標は高望みもしつつ、1年次目標は現実も見つつで高めに設定しようと思います。まずは現役時代の動きと感覚を取り戻して、狙った大会でしっかり結果を残せるようにしたいです。

総括


文から分かるように書いたり喋ったりしながらどんどん考えが湧き出てくるタイプなのと、自分の興味のある話とか思い出話になると次から次に喋りたいことが出てきて、簡潔にまとめるのがちょびーっと苦手です。勉強でもなんでも要約するのは専門外なので社会に出る前にこの能力を仕上げたいなと考えております。それでは今後もフロンティアを開拓していく大野楓護の活躍をご期待ください〜!

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