石田哲也Wikipedia
初めまして。中長歩パート新1年の石田哲也です。今回このようなnote執筆の機会を頂きましたので僕の現在に至るまでの人生をお話ししたいと思います。拙い文章ではありますが最後までお付き合いください。まずは簡単な自己紹介です。
名前:石田哲也(いしだてつや)
生年月日:2007/11/22
出身:大阪府堺市
出身校:帝塚山学院泉ヶ丘高等学校
自己ベスト:800m 1分58秒86
好きな食べ物:たまご(生、半熟)、グミ
嫌いな食べ物:たまご(完熟)、人参
ひとこと:実はピアノが人並に弾けます
幼少期

いつまでもガキな4歳上の兄と
今ではベリーベリービッグな7歳下の妹
2007年11月22日午前4時28分に身長58センチ体重約3800グラムのビッグな体で生まれました。保育園の時はレゴがすごく好きでした。走るのは速い方ではあった気がします。年長の時に他の保育園との交流会でリレーをした時にバトンもらってどこ走ったらいいかわからんくて逆走したような記憶があります。
小学校に入ってからも走るのはちょっと速い方ではあったけどスポーツは週1で水泳をやってたぐらいで陸上には何も関わりがなかったです。それどころか3年生の時に兄が中学に進学して気づけば陸上部に入っていたので被るのが嫌で自分は絶対陸上しないなって思っていました。唯一のランニングとの関わりとして地元の堺市が開催してるマラソン大会に3キロの部で小学校5年生と6年生の時に参加しました。それぞれ20分ちょいと16分ピッタリとかで自分の長距離の才能のなさに絶望した記憶があります。
中学時代
〜陸上人生スタート!!
ガチムチ少年の決断〜
中学は結局なんだかんだで陸上部に入りました。最初はもちろん小学生の時の苦い経験も踏まえて短距離パートに所属していました。初めて出た試合は100mで学校の運動靴で出場して13.80(+1.0)でした。そして陸上を始めて3ヶ月ほど経った1年生の9月ごろ、自分が練習を余裕で終える一方で中長距離パートの同期や先輩たちが毎日皆でヘトヘトになるまで走っている姿を見てすごく羨ましいなと思うようになりはじめました。ここで僕の陸上人生一つ目のターニングポイントが訪れます。
①ガチムチ少年800mを専門にすることを決意
パート移行を悩んだ末にとりあえず中長距離の中でも最短の800mに一度出てみて決めることにしました。結果は2分26秒50。まさかの組1着!!
これで僕の心はほとんど決まりました。一応100mもあと1試合エントリーしていたのでその結果も踏まえて決めようと思いました。その当時のPBは13.10(+0.7)でした。12秒台出たらもう一回パート移行悩もうかなと思ってました。結果は13.10(+3.6)
これにて綺麗さっぱり短距離とはおさらばすることを決めました👋

シューズはズームペガサス36
その後10月の体育祭でアップ無しでいきなりダッシュした結果左お尻を肉離れするといった怪我はありましたが、その期間以外は順調に練習を積むことができました。中1が終わった時のPBは2分16秒05でした。
中学2年生は春に坊主にして以降シーズン中ずっと坊主にして気合いを入れてました。特に怪我はなく順調に進み、夏にはPBが2分7秒まで上がり、秋の総体では6位入賞、また秋と冬には駅伝にチームとして挑戦するなど自分に自信をつけたり陸上の色々な面白さに気づくことができた大事な時期でした。

人生初駅伝🎽ガチムチまさかの1区やった😃
中学3年生は覚悟を持って陸上に臨んでいました。春先に2分5秒、夏には2分3秒と着実にベストタイムを上げて、通信陸上での全中標準800m2分0秒50切りに向けて日々練習に励んでいました。
迎えた通信陸上当日。この日に向けてずっと準備してきたので気持ちも体もコンディションはバッチリでした。バッチリのはずでした。いざレースが始まると一周通過は59秒。完璧でした。そこからもペースは落ちることなく600mを通過。まだ余裕はある。さらにペースを上げました。迎えたラストホームストレート。電光掲示板の下あたりの1分44秒が僕には見えました。その瞬間「俺みたいな何者でもない平凡なやつが全国行ってもいいんかな」という弱い気持ちが一瞬頭によぎりました。その時突然僕の足は止まりました。急いで気持ちを切り替えて走り抜けましたが結果は2分0秒88。あと0.38秒。たった0.38秒。されど0.38秒。その後この大会の決勝と夏の総体の2回チャンスはありましたが結果は2分1秒70と2分00秒97。幸い総体で3位に入って近畿大会行きの切符は掴みましたが、全中には届きませんでした。全部が終わってみるとやっぱりすごく悔しくて悔しくてたまりませんでした。


中高の恩師と苦楽を共にした同期
その後突如目標を失った喪失感から燃え尽き症候群のような状態になり調子が全く上がらなくなりました。その後トラックシーズンが終わりヌルッと駅伝シーズンが始まるのですがここで2回目のターニングポイントを迎えます。
②敗北
僕はこの時期に調子が上がってこなかったけどチームとしては実力が上向きになってきてて駅伝での近畿大会(府駅伝5番以内)を目標に練習していました。皆んなできつい練習も励まし合いながら越えて、毎日練習終わり円陣で気持ち高めて日々取り組みました。結果としては9位で近畿には行けず。自分は2区を走って後半区間に勢いをつけないといけなかったのに全く役割を果たせず。メンバー皆んなと終わったあとすごく泣きました。人生で1番泣きました。悔しくて情けなくてチームにすごく申し訳なかったです。
ここでやっと中学陸上の山場となる大会が全部終わって今まで張り詰めていた糸がプチンと切れました。そこから肩の荷が急に軽くなって陸上を楽しいと思えるようになりました。そしてこの1週間後の記録会3000mは今までの不調が嘘かのようにそれまでのベストを24秒更新する9分18秒を出すことができました。以上が僕の中学3年間です。

高校時代〜葛藤〜
高校時代ターニングポイントは入ってすぐにやってきました。
③挫折と学び
僕は高校のデビュー戦でスパイクを新品の状態で使ってしまいアキレス腱を軽く痛めてしまいました。ですがしばらく放置して痛みに耐えながら練習していました。すると何もしていなくても痛みが出るレベルまで症状が進行してしまいました。5月前半大阪総体の地区予選がありました。練習は4月の間ほとんどしていなかったです。そこで僕は800mと3000mSCにでたのですがあっけなくどちらも予選敗退。同期たちはほとんど皆んな1年生ながら地区予選を突破していました。ここで初めて陸上人生で挫折を味わいました。一応中学で近畿大会に出場した、2分0秒台の持ちタイムを持っている、と言ったプライドが全て砕けました。その時はとにかく早く走り始めて復帰したいという思いからアキレス腱がちょっとでも痛みが和らげば走り出して痛んだらまた休むといった愚行を繰り返していました。その結果この怪我は9月末まで長引いてしまいました。
しかしこの怪我はマイナスなことしか無かったわけではありません。僕はこの怪我によって陸上"部員"としてすごく大切なことを学べました。うちの高校の陸上部はマネージャーという制度がなくタイム取りやビデオ撮影などは全て部員内で協力しておこなっていました。しかし僕はそれまでは競技者として記録を高めることにしか注力できていませんでした。いざ自分がトラックに立てなくなった時に周りを見わたしてみるとそこには競技者のサポートのためにビデオを撮ったり氷を買いに行ったりと色々と走り回って働いてくれている人たちの姿がありました。
そのとき今自分にできる最大限の仕事はこれだと思いました。そこからは自分の陸上部員であることの意味を今一度考えて、積極的にサポートへの参加するようになりました。
この怪我があったからこそ自分の視野を少しは広げれた気がします。
今までもわかっていた気ではいたけど改めて陸上部で陸上をするということは色々な人に支えられて成り立っていることなんだと認識し直すことができました。

競技に復帰後すぐに駅伝シーズンが始まったのですがトラックシーズンをほとんど走らず終えてしまったので当然うまくいくわけがありません。復帰戦の3000mは10分59秒、1500mは4分59秒。これが現実でした。さらには冬の駅伝では今までで初めての駅伝メンバー外。高1の間の結果は今思い返しても苦しい結果ばっかりだったけどそれに耐えたことは後の高2、高3になってからの陸上競技や受験時代のメンタル面に生きたのかなと思います。ちなみに高1のSBは11月の2分2秒でPBは中3の時の2分0秒88のままでした。
高1の3月今までに追い打ちをかけるかのように椎間板ヘルニアになりました。ですが僕には前回のアキレス腱の反省があったので適切に対処することができました、と思っていました(伏線)。去年挫折を味わった大阪総体の地区予選では2分1秒で去年の雪辱を晴らして府大会への切符をつかむことができました。これで満足したらダメなのはわかっていたけれどいざ府大会進出が決まった時は今までのしんどかったことを思い出して泣いてしまいました。
夏になるとついに2年待ち侘びた待望の瞬間(最後のターニングポイント)が訪れます。
④殻破り
2024年7月31日試合当日朝のトラック練習をおえたとき自分の持っていたスパイクが壊れていることが発覚。仕方なく練習用として使っていたスパイクを使用しての出場。逆にこれであんまり自分に期待しなくなって肩の力が抜けたのかなんと結果は1分59秒53。とにかく中3以降うまくいくことがなくて2年間引きずった2分0秒88のベストをやっと破ることができました。この時に言い過ぎかもしれないけど今までのしんどかったこととか努力っていうのが報われた気がしました。

1年前怪我させられたエアビクで反撃の1分台
トラックシーズンはその後チマチマベストを更新して1分58秒86(今のPB)で終了。
さぁここから何度目かの駅伝シーズンに入るのですが、ヘルニアの影響で1600m以上の長距離レース全レース撃沈。今まで対処できたと思っていたけど800mまでは耐えれていただけだったということに気づきました。これ以降高2冬から引退の高3春は全くと言っていいほど高1冬から高2春と被っていてヘルニアと戦いながら走っていました。最後の最後まで怪我続きの高校の陸上生活でしたが今では全部楽しかった思い出なのでオールオッケーです🫡
<追加>
高校時代の最後の試合として前期試験が終わってから走り出して3月29日に800mに遊び感覚で出たのですが2分12秒05(SB)でした(笑)
以上が高校時代の陸上人生です。
大学時代〜野望〜
目標
800m1分50秒切り
1500m3分50秒切り
全日本インカレ出場
最近のことなのですが長距離をするか迷っていたのですがやはり自分には中距離の方が性に合っている気がするので大学の間、トラックレースは中距離をすることにきめました。
1年生の間は勉強も頑張りたいので陸上に関しては2年生以降の爆発に向けてフォーム改善や肉体改造などの基礎を積み上げる期間として頑張ります。夢は大きく、2.3年後石田哲也の名を全国に轟かせるので応援よろしくお願いします!
最後になりますが殴り書きのような文章を最後までご覧いただきありがとうございました。これから頑張ります!
