EP14:天上への祈りが、地響きに変わる時 ―― ジュネーヴ ft.サエコ
音とのある方へ
MC:サエコ
「神は、ある者を永遠の命へと、ある者を永遠の滅びへと、あらかじめ定めておられる。」
アルプスの冷たい雪解け水が流れ込む、レマン湖。
そのほとりに佇むジュネーヴの街は、空気がガラスのように澄み切り、そして、恐ろしいほどに静かだった。
ナポリの路地裏で聞いたような、
混沌とした笑い声や怒号は、ここにはない。
フィレンツェの生々しい槌音も、
マインツの暴力的な機械音もない。
ローマの教会を彩っていた、
金箔や大理石の煌びやかな装飾も、
ここには存在しない。
サン・ピエール大聖堂の中に足を踏み入れたとき。
冷たい石の床を歩く私の足音が、
ふっと、不自然なほど無音に
吸い込まれて消えた――。
視界が歪み、極限の静寂が耳鳴りのように響く。
鮮やかなステンドグラスが次々と叩き割られる鈍い音が、私をここに繋ぎ止めた。
慈愛に満ちた聖人の彫像が荒々しく引きずり下ろされ、豪奢な祭壇が解体されていく。
そして、剥き出しになった壁が、人々の熱狂的で冷たい手によって、ただの「白一色」へと塗り込められていく幻影。
パイプオルガンの華麗な音色はもう聞こえない。
堂内に響き始めたのは、感情の揺れや装飾を一切削ぎ落とした、信徒たちの不気味なほど揃いすぎた単旋律の詩篇賛美だ。
ローマ教会の腐敗と「不純なノイズ」を徹底的に排除した果てに辿り着いた、極限まで研ぎ澄まされた清潔な世界。
それが、ジャン・カルヴァンという
一人の指導者が作り上げた
「神の都」だった。
彼は、ローマ教皇という絶対的な「権威」から人々を解放した。
しかし、その代わりに「規律」という名の、もっと重くて冷たい鎖で人々を縛り付けたのだ。
酒場は閉鎖され、
賭け事は禁止され、
派手な服装も、演劇も、ダンスも、
すべてが「神の意志に反する罪」として
監視される。
生活の隅々までが、
白と黒だけで判定される息の詰まるような世界。
「誰が救われ、
誰が地獄に落ちるかは、
生まれる前からすべて
神が決めている(予定説)」
この恐ろしい教義の前では、個人の迷いや、弱さや、祈りさえもが無力だった。
ただ神から与えられた職業(天職)に黙々と従事し、禁欲的に生きることだけが、自分が「救われる側の人間かもしれない」と自らに証明する唯一の手段だったのだ。
私は、
冷たい石のベンチに座り、
ただ無地の壁を見つめていた。
ナポリの祠で、明日のパンを願って気さくに十字を切っていた女性。
ヴィッテンベルクで、自分自身の魂と向き合おうとした修道士。
彼らが求めた「祈りの自由」は、なぜこんなにも冷たく、完璧な「新しい監視システム」へと姿を変えてしまったのだろうか。
絶対的な権力を否定して手に入れた自由の行き着く先が、個人のノイズ(遊びや余白)を一切許さない、別の強固なシステムだったという絶望的な皮肉。
ジュネーヴの冷たい風は囁く…
「人は一つの石の塔から逃れると、
どこかで、また別の石の塔を建てる」
その、終わりなき繰り返しであると。
ここから先は
この記事が参加している募集
少しでも”考えるきっかけ”になる記事を投稿していきます。気に入って頂けましたら応援よろしくお願いします。
