0.1秒の逡巡 #8:叡智の嘆き ―― アナログ・レジスタンス
0.1秒の逡巡
Laed:ミライ
西荻窪の路地裏、廃屋となった印刷所の奥。
サエコが肩から下げていたカセットレコーダーを、埃を被った作業台の上に置いた。 ガチャン、という重い金属音が響く。
それはスマートフォンのタップ音とは無縁の、物理的な質量を伴う音だった。
「これ、聴いて」
サエコが再生ボタンを深く押し込む。
キュルキュルという高速巻き戻しの音のあと、スピーカーから激しい「シー」というヒスノイズが溢れ出した。
「……何、これ」
「人間の声の周波数を散らす、アナログのジャミングパルス。
これで、街中の集音マイクには、
私たちの会話が『ただの風の音』にしか聞こえなくなるわ」
サエコはそう言うと、レコーダーの横に一枚の古いノートの切れ端を置いた。
「ラグ。この音の奥にあるものを解析できる?」
ミライが自作PCのケースを覗き込む。
ラグの明滅は、いつもより不安定だった。
『……無理。情報ノ密度ガ低スギル。
ランダムナ磁気ノムラガ多スギル。
予測モデルガ「無意味」ト判断シテ、
処理ヲ拒否シテシマウ。
……ゴメン、ミライ。
僕ニハコレ、只ノ『汚レ』ニシカ見エナイ』
ラグは申し訳なさそうに、画面の端で震えた。
「それでいいの」サエコは目を閉じた。
「だからこそ、監視網の死角を繋げるんだから」
「繋ぐ……?」
「私たちは、集まって会合なんて開けない。
パノプティコンの網目は緻密すぎる。
だから、それぞれが街の中で見つけた
『死角』に、このテープを置いていくのよ。
顔も名前も知らない誰かへ、
ノイズのバトンを渡すように」
サエコは鉛筆を握り、ノイズの「中」に耳を澄ませた。
ミライも息を呑む。
ただのヒスノイズだと思っていた音の奥に、微かに、モールス信号のような不規則な摩擦音が隠されている。
カチ、カチ。
ミライの腕にある純クォーツ時計がリズムを刻む。
システムの時計とは同期しない孤独な秒針の音が、テープのノイズと重なった瞬間、暗号化されたパルスが一つの「座標」としてミライの脳裏に浮かび上がった。
「次の日曜、
『Project Echo Phase 2』の公開実験……」
サエコの鉛筆が、紙の上を走る。
「システムが新宿の全インフラを
完全自動運転に切り替える時。
その膨大な演算負荷によって、
たった一つだけ生じる『完全な死角』の座標よ」
ミライは息を呑んだ。
「……待って。
いくらアンチ・パノプティコンでも、
システムの根幹のバグなんて、
どうやって予測したの?」
サエコは鉛筆を止め、ミライの目を真っ直ぐに見つめた。
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