『マンダロリアン』と時代劇、ロックに似ているグローグー。「似ている」がくれる安心と、決めつけないこと
久しぶりに、ドラマ『マンダロリアン』を見返した。
映画が公開されたからだ。
単純な私である。
『マンダロリアン』は、他のスター・ウォーズシリーズと比べると、難解さが少ないように思う。
もちろん、惑星の名前やドロイドの名前、ジェダイ、タスケン・レイダー、帝国、デス・スター、ストームトルーパーなど、往年のスター・ウォーズファンが泣いて喜ぶような名前はたくさん出てくる。
だけど、各話の物語はかなり単純明快だ。
「子連れ狼」に着想を得ていると監督が話していたようだが、まさにそんな感じがする。
宇宙を舞台にしているのに、どこか時代劇を見ているような感覚がある。
主人公のマンダロリアンが、試行錯誤しながら、グローグー、いわゆるベイビーヨーダを然るべき場所に届けようとする。
大きく言えば、そういう話だ。
一話ごとにマンダロリアンはいろいろなことに巻き込まれる。
困っている人がいる。
頼まれる。
仕方なく引き受ける。
でも、引き受けたからには最後までやる。
マンダロリアンは、根は優しい。
頼まれたことに対して、基本的に断らない。
そして、約束したことは最後までやり抜く。
それがマンダロリアンの掟であり、マンダロリアンの道なのだ。
“This is the way.”
一話完結に近い形で、巻き込まれた出来事に対して、マンダロリアンが必死に取り組む。
その姿を見ていると、私はふと、祖父と一緒にテレビの時代劇を見ていた幼稚園の頃を思い出した。
勧善懲悪というほど単純ではない。
でも、困っている人がいて、そこにふらっと現れた人がいて、最後には何かが少しだけ整う。
そういう物語の懐かしさが、『マンダロリアン』にはある。
そして、もうひとつ注目したい存在がグローグーである。
グローグーは、我が家の愛犬、フレンチブルドッグのロックにそっくりなのだ。
言うことを聞かない。
自由奔放。
頑固。
それでいて、どうしようもなく愛くるしい。
しぐさや表情を、ずっと見ていられる。
「似ている」と思うと、見ているこちらの心がゆるむ。
「似ている」は、安心なのだと思う。
「似ている」は、ほっこりなのだと思う。
だから人は、身近な人や、大切なペットと似ている人を探すのかもしれない。
そんなことを思った。
似ていると思うだけで、その人との距離が少し近くなることがある。
でも、同時に気をつけたいとも思った。
似ているからといって、同じではない。
「この人はあの人に似ているから、きっとこう思うはずだ」
「この人はあの人に似ているから、こういう人に違いない」
そう決めつけてしまうと、その人自身の声を聞けなくなってしまう。
そんなことも思った。
スター・ウォーズのドラマを見ていたはずなのに、気づけば、祖父と見た時代劇のことを思い出し、ロックの顔を思い浮かべていた。
物語は、現実から離れ、私を遠い場所に連れていってくれる。
でも同時に、自分のすぐそばにあるものや、忘れていた過去にも戻してくれることがある。
そんな似ていることや忘れていた過去に救われながら、違う毎日を生きるのだ。
似ていても、違う時間、違う場所、違う人の声に耳を澄ますのだ。
それは、私にとっての小さな掟なのかもしれないなぁ。
“This is the way.”
