夢想堂新企画:一行の宝物 しおりプロジェクト⑤ 光の逢瀬
皆さん、素敵な朝をお迎えになっていますでしょうか?
本日は、本屋カフェ「夢想堂」の企画: #一行のしおり に
素敵なお客様が来店してくださいました。
みわからすさんは、小倉百人一首の中から私も思い入れのある、崇徳院の一首を一行の宝物として教えてくださいました。
崇徳院の一首を改めて味わうと、「瀬をはやみ…」というわずか三十三文字の中に、激流のような運命に抗しながらも、いつか再び一つになろうとする意志が刻まれていることに気づかされます。
幼くして帝となり、父に疎まれ、弟に位を譲り、ついには流刑に処されるという数奇な生涯。その末に怨霊として語られることの多い崇徳院ですが、歌人としての側面に目を向けると、そこには深い情趣と、どこまでも人間らしい心の機微が残されています。
保元物語の言葉も、復讐の誓いとしてだけでなく、都に戻れぬ口惜しさや、どうにもならぬ世の無常を嘆く声として読めば、より切実に響いてきます。西行との歌のやり取りに見える柔らかさや余裕は、怨念の塊というよりも、むしろ文化人としての気品と心の豊かさを感じさせるものです。
怨霊というイメージに縛られず、崇徳院の和歌を通して、ひとりの人としての哀しみと希望を想像してみると、その生涯は決して呪いだけでは語り尽くせない、静かな光を放つ物語であるように思えます。白峯神宮を訪れ、そっと手を合わせたとき、もしかするとあの歌の「逢はむとぞ思ふ」という声が、遠い昔から応えてくれるかもしれません。

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思う
ほとばしる急流が岩に当たり、ふたつに分断される。
はるか遠い昔に詠われた歌ですが、現在にも通じるものがあります。
讃岐に流されてもなお、己を信じ人を愛した崇徳院。
その強い想いを恋の歌になぞらえているこの一首は、物凄い執念の歌にも見えます。


みわからすさん、ご来店ありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。
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無職で色無し状態だニャ~ン😭
