不調の朝に、まず思い出したい。「それでも体は、今日も働いている」
慢性的な不調を抱えていると、意識はどうしても「ないもの」に向かいます。
前のように動ける体力がない。
痛みのない時間がない。
ぐっすり眠れる夜がない。
気にせず過ごせる一日がない。
それは、無理もないことです。
つらさが続いているとき、人は不足に敏感になります。
失ったもの、不自由になったこと、以前なら当たり前にできていたこと。
どうしてもそこに目が向いてしまう。
私も、そういう心の動きはとても自然なものだと思います。
だから「前向きになりましょう」と簡単に言いたいわけではありません。
痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。
つらさを、なかったことにはできません。
それでも今日は、ひとつだけお伝えしたいことがあります。
それは、「ない」と同じくらい、「ある」にも静かに目を向けてみることです。
たとえば今この瞬間も、心臓は動いています。
自分で意識しなくても、休まず拍動を続けています。
肺は呼吸を引き受けています。
眠っている間も、落ち込んでいる日も、何もやる気が出ない朝も、黙って働いてくれています。
胃や腸も、食べたものを消化し、必要なものを取り込み、不要なものを外へ出そうとしています。
筋肉も、骨も、血管も、神経も、完璧ではないかもしれない。
痛みや違和感を抱えながらかもしれない。
それでもなお、体は今日も「生きる」という仕事を続けています。
不調があると、体は敵のように感じることがあります。
どうしてこんなに思うように動かないのか。
どうしてこんなに苦しいのか。
私たちは、自分の体に対して失望したり、腹を立てたり、ときには裏切られたように感じることさえあります。
けれど本当は、体はずっと戦っているのかもしれません。
私たちを困らせるためではなく、守るために。
炎症も、痛みも、だるさも、すべてが心地よいものではありません。
ただ、その反応の奥には、「これ以上壊れないように」という体なりの必死さが隠れていることもあります。
そう考えると、体を見る目が少しだけ変わります。
「ちゃんとできていない体」ではなく、
「不調を抱えながらも、今日まで私を運んでくれた体」として見えてくる。
これは、精神論ではありません。
現実から目をそらすための慰めでもありません。
痛みを消す魔法ではないし、症状を一瞬で軽くする言葉でもない。
ただ、心の置き場所を少し変える提案です。
「ない」に意識を向け続けると、心はすり減っていきます。
でも「ある」にも目を向けると、失っていないものの存在に気づけます。
今日も呼吸ができている。
血が巡っている。
目が開いている。
この文章を読めている。
ここまで生きてきた。
それは、決して小さなことではありません。
不調のある毎日は、他人には見えにくい苦労の連続です。
普通に見えているだけで精一杯の日もあるでしょう。
予定をこなしただけで限界の日もあるでしょう。
何もできなかった自分を責めてしまう夜もあるかもしれません。
そんなとき私は、「まだダメなところ」ではなく、
「それでも働いてくれているところ」に目を向ける時間を持てたらいいと思うのです。
朝起きたら、ほんの数秒でいい。
胸に手を当てて、今日も動いている心臓を思う。
息を吸って、吐いて、呼吸が続いていることを感じる。
痛みがゼロでなくてもいい。
元気いっぱいでなくてもいい。
完全でなくても、体は今日も私たちを生かそうとしている。
もし今、慢性的な不調の中にいるなら、どうか忘れないでください。
あなたの体は、壊れてしまっただけの存在ではありません。
不器用に見えても、遅く見えても、今日この瞬間まで、あなたを生かすために働き続けています。
「ない」に心を奪われる日があってもいい。
でもそのとなりに、「ある」も置いてあげてほしい。
体がある。
今日も、ここにある。
そしてその体は、静かに、懸命に、あなたを支え続けています。
いいなと思ったら応援しよう!
もし、よろしければ応援よろしくお願いします。
