コールドカードの乱数バグと、逆向きのパラダイムシフト

何が起きたか

2026年7月30日から、Coldcard(カナダのCoinkite社製、ビットコイン専用ハードウェアウォレット)で生成されたシードに起因する連続的な資金流出が始まった。Galaxy Researchは7月30日に1,196アドレスから41分で1,082.65 BTC(当時約7,020万ドル)が掃き出されたと報告し、CoinDeskは7月31日01:31〜01:56 UTCに約500のシングルシグ・ウォレットから594 BTC(約3,800万ドル)が25分で動いた別の波を報じている。8月2日時点でGalaxyは観測ベースの推計を1,367.05 BTC(約8,860万ドル)、4,585アドレスに引き上げ、少なくとも3つの波があり、第3波は同一の攻撃者と仮定すべきでないと注記している。オンチェーン分析による推計であり、全アドレスが弱いエントロピー由来だと計算的に確認されたわけではない、という留保もついている。

原因はデバイスの物理的な奪取でも、ビットコイン・プロトコルの欠陥でもない。Blockのエンジニアリングチームの解析によれば、Coldcardのビルド設定は自前のハードウェアRNGラッパーを使う前提で MICROPY_HW_ENABLE_RNG を 0 と定義していたが、libngu 側がマクロの「値」ではなく「存在」だけを確認していた。結果、鍵生成はMicroPythonのソフトウェア擬似乱数(Yasmarangフォールバック)に静かに落ち、その初期化にはチップの固有IDとタイマーレジスタが使われ、以後新しいエントロピーは供給されなかった。固有IDは工場出荷時の固定値、タイマー値は攻撃者が自分の手元の同型機で測定・絞り込みできる。該当コミットは2021年3月1日、ファームウェア4.0.0に載った。

Coinkiteはこのバグ由来の実効エントロピーをMk3で約40ビット、Mk4/Mk5/Qで約72ビットと見積もっている。12ワードのBIP-39シードの128ビットに対する数字である。Blockは単一の実用値は出さず、条件付きの上限を示した上で「73ビット相当の暗号学的安全性を意味しない」と明記している。

影響範囲は「今入っているファームウェア」ではなく「シードを作った時点のファームウェア」で決まる。Mk2/Mk3は4.0.0〜4.1.9(4.2.0で修正)、Mk4/Mk5は5.6.0未満、Qは1.5.0Q未満。7月31日に全モデル向けの緊急ファームウェアが出たが、更新しても既存のシードは直らない。新しいシードを作り、資金を移す必要がある。50回以上の公正でプライベートなダイスロールから作ったシードはこのバグ単体では危険ではない、というのがCoinkiteの見解。パスフレーズは別ウォレットを作るが、それでもシード交換を推奨している。マルチシグは、定足数が全部影響下のデバイスで構成されていない場合にのみ助けになる。TAPSIGNER、OPENDIME、SATSCARDはコードベースが別で影響を受けない。

短期の反応

反応はわかりやすかった。CryptoQuantによれば、7月31日の10 BTC未満の取引所入金は7,300 BTCと2月6日以来の水準に跳ね、アクティブアドレスは64.5万から約100万へ(2024年12月10日以来)増え、その多くが取引所への送金だった。1 BTC未満の送金の合計は39,600 BTCで、FTX破綻翌日の2022年11月16日の39,900 BTCに迫った。取引所残高は270.38万BTCから271.5万BTCに増えている。FTXのときと真逆の向きである。CoinDeskは「セルフカストディへの信認を揺るがし、投資家をETFへ押しやりうる」という記事を出し、CZのような立場の人間もハードウェアウォレットの安全性を問い直している。

つまり短期的には、中央集権に向かうフェーズに入ったように見える。セルフカストディはもともと一部の人の実践であり、その勢力がさらに削られる局面だ、という読みは事実の記述としては正しい。

逆に読む

ただ、この事件の教訓は「セルフカストディが危ない」ではないと思う。壊れたのは分散ではなく、単一点だ。特定ベンダーの、特定世代の、特定ファームウェアで作った、シングルシグの鍵。分散型技術の話をしていた人たちが、自分の保管については単一構成にしていた、というだけの話である。

サトシ・ナカモトのホワイトペーパー("Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System", 2008)が主張しているのは、信頼できる第三者を前提にしない設計であって、「ハードウェアウォレット1台で持て」ではない。合意形成を多数のノードに分散させることで単一障害点を消す、という発想だ。その発想を保管に適用するなら、答えは「コールド1台に集約する」ではなく「保管も分散する」になる。異なるベンダー・異なるコードベースを混ぜたマルチシグ、シードのエントロピーを自分のダイスで作る、普段使いはホットウォレット、小銭はカストディアルなライトニング系(Wallet of Satoshiのような)で構わない、取引所にも一部置く。それぞれ性質の違うリスクを負う代わりに、同時には壊れにくくなる。

これは暗号資産の外でも同じだ。オルタナティブ金融にはもう一つの歴史的な系譜がある。金だ。金も大きい塊と小さい塊がある。1グラムのバーもあれば10分の1オンスの地金型コインもある。高ければ銀、プラチナがある。装飾品として持つ形もある。既存金融の側でも、円とドル、複数の銀行、現金、インフレ対策としての株式、という分散はふつうに行われている。分散型技術と同じレイヤーの話として、分散管理があるだけだ。それぞれの弱点を別のものが補うのがポートフォリオという言葉の中身で、全部を100%やる必要はない。意識して少しずつでいい。

人間の側も構造は同じだと思う。家庭、学校や職場、趣味の場所。レイ・オルデンバーグの言う「サードプレイス」も、要は依存先を一つにしないという話だ。居場所が複数あると、底面が広がる。違う価値観に触れて、自分に合う場所と合わない場所のコントラストが見える。一つが駄目になっても、別の一つが支える。分散型技術の根本と、やっていることは変わらない。今回の事件は、その意識を持つきっかけとしては悪くない。

もう一つの軸:技術に対して謙虚になる

より長い射程で見ると、この件は「人間は完璧ではない」という当たり前の確認だった。最も安全とされていた自己管理が、たった一つのビルド設定の読み違いで5年間、静かに壊れていた。攻撃者は誰かのデバイスに触れていない。オフラインで候補を再現できただけだ。

これまでの前提は、基本的人権を土台に、要素還元的に世界を分解して制御する人間中心主義だった。しかしAIの進展でも分散型技術の実証でも、技術側の要素が人間の把握を超える規模で大きくなっている。そこで人間ができる合理的な態度は、支配ではなく、自分の設計が間違っている前提での冗長化になる。技術に対して謙虚になる、というのはそういう実務的な意味だ。

同じ構図は生態系にもある。今年の東京の暑さは、10分歩けば汗だくになり呼吸が苦しくなる水準だ。人間中心主義から、生命や生態系を中心に据える方向へ、という議論は前からある。ソニーCSLの舩橋真俊が提唱する「拡張生態系」(Synecoculture/協生農法)は、人間の介入を排除するのでも支配するのでもなく、生物多様性と生態系機能を人為的に高める方向に置き直す試みで、ここでの態度と近い。金融でも情報でも生態系でも、単一の中心を置いた設計が壊れる、という同じ話をしている。

いま何をするか

まず該当するデバイスでシードを作った人は、パッチではなく鍵の移行が必要になる。そのうえで、保管の構成を単一にしていないかを見る。次に、資産のクラスと通貨、置き場所を一つに寄せていないかを見る。最後に、自分の生活の依存先が一つになっていないかを見る。三つとも同じ形の問いだ。

短期的には中央集権に振れる。それは事実として受け入れていい。ただ、その揺り戻しの中に、逆向きのヒントが残っている。分散型技術を体現するというのは、技術を選ぶことではなく、自分の側を分散させることだと思う。

(投資助言ではない。数値は2026年8月2日時点の公開報告に基づく推計で、調査は継続中である。)


参照

Coinkite「Coldcard セキュリティ勧告(シード生成の脆弱性)」2026年7月31日

Block(エンジニアリング/セキュリティチーム)によるColdcardファームウェア乱数フォールバックの技術解析、2026年8月

Galaxy Research によるオンチェーン分析(X上での公表、2026年7月30日〜8月2日)

CoinDesk「Major bitcoin wallet flaw drains 594 BTC in 25-minute sweep」2026年7月31日

CoinDesk「Coldcard exploit shakes faith in self-custody, may push investors to ETFs」2026年7月31日

CoinDesk「Unlike the FTX collapse, the $88 million Coldcard exploit has investors sending bitcoin back to exchanges」2026年8月2日(データ出典:CryptoQuant、Timechainindex)

The Hacker News「Coldcard Hardware Wallet Flaw Linked to $70 Million Bitcoin Theft」2026年8月1日

Satoshi Nakamoto "Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System", 2008

Ray Oldenburg "The Great Good Place", 1989

舩橋真俊『拡張生態系』/ソニーコンピュータサイエンス研究所 Synecoculture・拡張生態系プロジェクト

※数値は2026年8月2日時点の公開報告に基づく推計。調査は継続中。

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