不幸のミルフィーユをひとりで突破する魔法の言葉『私にとって一番大切なものって何?』
はじめに
降ってくるような試練に
ただ必死に向きあっていただけなのに。
なぜか、
私の周りに誰ひとり味方がいなくなっていった。
その時に心に問いかけてきた
『私にとって一番大切なものってなに?』
それは…
不妊治療中の手術VS宗教による妊娠祈願
不妊を心配した義両親から神頼みに行くよう促された。
神社の方がおっしゃるには、
『義実家の先祖が、ある土地にとって悪いことをした。』
というものだった。
それから、毎日神棚に向かって、
『各神様の名前をそれぞれお呼びし、申し訳ありませんでした。』
と唱える日々が始まった。
その間、義両親が縁起が良いとされる“ザクロの皿”を持ってきてくださり。
私は必死に、
『先祖が申し訳ないことをした。』
『神様許してください。』
と書かれた文言を神棚に唱え続けた。
何度か神社に通い。
数ヶ月経っても、
妊娠の兆候はない。
『信仰心が足りないのだろうか?』
そうも考えた。
並行して、
兄夫婦から、
『別の宗教で、聞いてみてはどうか。』との提案もされた。
そこのお寺では、
『病院に行かないとできないよ。』
と至極当たり前の返事が返ってきた。
それから、私たち夫婦は
産婦人科にも通院することにした。
私の方に原因があるらしく、
とりあえず【卵巣嚢腫の摘出手術】をすることとなった。
術後、義両親が面会に来てくれたが、青白い顔の私に、惨めなものを見るような眼差しを向けられた。
『私はこの家の嫁に相応しくないのだろうか?』
こどもの頃から、虐待を受けて育ってきた私は、もともと自己肯定感が低かったため、
自責の念が増していった。
妊娠と切迫早産
手術をして直ぐに
妊娠がわかり、産婦人科の先生には、
『体質が変わったことで、妊娠しやすい身体になったのだろう。』と言われた。
その時から、
少しずつ芽生えていた。
信仰心への違和感…
だが、妊娠出来た喜びが勝り、
暫くは妊婦生活を楽しんでいた。
妊娠後期、
義実家から、鬼のような電話がかかってきた。
どうやら、元夫が電話に出なかったことで余計にご立腹だったようだ。
気分屋の元夫は時々そういうことがある。
『今度先祖の50回忌があるから、あなたも出るのよ!』と…
妊婦が法事に出て良いのだろうか?
そんなことを思いつつ当日を迎えた。
その日、お寺でお経が始まると直ぐに、
先祖の怒りをかったかのように、
煌びやかな装飾に眩しい光が駆け巡った。
急な雷鳴!
その後雨は、土砂降りに代わり。
道はあっという間に川のようになった。
構わず、法事の後飲んだくれた元夫。
代わりに、妊婦の私が運転をする羽目に。
なかなか進まない車。
緊張感のなかやっとの思いでアパートまで到着した。
次の日まで降り続いた雨は、数十年に一度の災害となった。
その労が祟ってか、
私は熱を出した。
これまで、体力だけには自信があったが、不安になり元夫に、
『仕事行かないといけないかなぁ~?』と聞いてみたが、『行かないといけないんじゃない?』と、冷たく返された。
通勤中、意識が朦朧となり車を路肩に停めた。
元夫に助けの電話をかけたが、
『行けない!』の一言。
仕方なく近隣に住む実家の両親に迎えを頼んだ。
その後、子宮から出血。
切迫早産だった。
仕事を辞め。自宅で安静にする日々が続いた。夫は、あまり関心がないようだった。
労うでもなく、心配するでもなく。
家にいる間は、体を無理に動かすとお腹が張る。
張り止めの薬を飲みつつ、出産可能日まで自宅で安静にすることとなった。ご飯は、実家の両親が届けてくれた。
暇を持て余していたが、
何故だか障がい者や障がい児が出演する番組が気になり、そればかりをテレビで観ていた。
元々、短大の時に障がい児施設で実習をした際、みんなの心の素晴らしさに感銘を受けていたこともあった。
先天性の病気のこどもの手術と医療的ケアVS次の宗教による洗脳
『パチン!』
部屋に響き渡る音。
違和感を覚え、トイレに行くと
大量に出血していた。
その後、鈍痛。
陣痛の始まりはそんなに痛くないと聞いていたが、おかしい。
夜中だったため、元夫が『とりあえず寝よう』と言ってきた。
しかし、寝られない程の鈍痛が5分おきにやってくる。
『おかしい!』
無理やり夫を起こし、病院へ向かうことにした。
そんな時も、元夫は気遣うでもなく、陣痛で立ち止まっている私に、『何してるの!?』と急かす。
産婦人科に着くと、
先生から『かなりきてますねぇ~。』
と言われ。
診察されると、既に出産できるだけの子宮口が開いている事がわかった。
手遅れにならなくて良かった。
第一子はお陰で安産。
ほっとしたのも束の間。
助産師さんが、
『先生!検温ができません!』と伝える。
『お尻の穴がありません。』
生まれたての赤ちゃんはお尻から基本的に検温する。ザワザワ…
分娩室は急に先程とは違う緊張感へと変わった。
私は『穴がないなら開ければ良い。』と悠長なことを考えていた。
しかし、事態はそんなに簡単なことではなかった。
先生が直ぐに、受け入れ先の病院を片っ端からあたった。
なかなか見つからない。
そのままにしておくと、お腹が破裂して、赤ちゃんは死んでしまう可能性があるとのこと。
出産を終えたばかりの私にはどうすることも出来ず、
先生の返事を待った。
暫くしてようやく受け入れ先の病院が見つかった。
形だけでもと、助産師さんがおっぱいを吸わせる真似事をしてくれた。
おめでとうなのか…
私の赤ちゃんは次の日、
緊急手術のため、ここから2時間かかる国立病院へと搬送された。
『私は、赤ちゃんを本当に産んだのだろうか?』
時々、やってくる看護師さんが、
『あっそうか!ここは赤ちゃんがいない病室だった。』と悪気はない言葉を呟いて病室を出ていくこともあった。
でも、今の私にはその言葉が重たい。
私はここで何をしているのだろう。
赤ちゃんがいない病室。
疲労感だけが残る身体。
することもなく切ない。
私は1日退院を早めた。
産後1週間、
兄が『病気のこどもが産まれたのは、先祖の供養が足りないからだ。』
等と言い出した。
勧められるままに、信仰するお寺にまた、連れてこられた。
先日、『病院に行かないと、こどもはできないよ』と言ってくれたお寺。
しかし、今回は様子が違っていた。
何かに憑依されたであろうお寺の方が、
『義両親の薦めで行った神社が悪かった。』
『以前どこかで神頼みにをしたことが悪かった』と叫んでいる。
そこには、兄夫婦とその知人にだという老女がいた。
その老女は、良くならせたいならお金を積むように言ってくる。
言われるがままにお布施をした。
まだ、手術を終えた赤ちゃんにすら会っていない。
ここで何をしているのだろう。
追い詰められていた。
攻め立てられるように、病院から来院のお願いがあった。
産後間もなかったが、会いたい一心で、病院へ向かった。
NICU に入ると、
そこには変わり果てた息子の姿があった。
口は半開きで、点滴を受けながら、オムツひとつで保育器の中に入っている。
息子の病気は、【中間位直腸肛門奇形】手術は3回に渡って行わないといけないとのこと。
今回の手術は人工肛門を作る手術だったようだ。
切開された腸がむき出しになっていた。
私は手をそっと息子の胸に置いた。
ここから母子の戦いが始まった。
2回目の面会日。
NICUに行くと、息子が見当たらない。
看護師さんに聞くと、保育器から出ているとのこと。
私は我が子なら直ぐにわかるはずと、小さいベットを探し回った。
持たせていたお守り。
これで息子とわかった。
ほんの数日前にみた息子とは大違いで、お風呂も入れてもらったのか、
目が切れ長で赤ちゃん離れしたイケメンになっていた。
『本当にこの子で良いんですか?』
思わず尋ねていた。
こんな素敵な子が私の元に産まれてきてくれた。
嬉しかった。誇らしかった。
そこの病院は母乳を推奨している。
私のストレスで出ない母乳。
息子は、お腹を空かして泣いていることが多かった。
足りない分は体重から差し引きをして、ミルクをもらえるのだが、
今思えば、他の未熟児さんたちと比べ、遥かに成長して産まれた息子には、到底足りるものではなかった。
1人目の出産で不慣れだったこともあり、少し多めにミルクをもらうようにすれば良かったと後で後悔した。
母子同室を経て、どうにか退院した。
しかし、人工肛門には、ガーゼが当ててあるだけ
軽くパウチの説明はされたが、
物の取り寄せ方や扱い方は習わず帰宅した。
溢れてくる便。
1日に何度もガーゼを替えた。
おっぱいを飲ませミルクを飲ませ。
寝る暇は殆どなかった。
実家にとりあえず帰ったので、身のまわりのことは両親がやってくれる。
しかし、病気の息子の世話だけは私しかできない。
片時も離れることはできなかった。
そのうち便の量が増えてきて、ガーゼだけではまかないきれなくなった。
近くの小児科に相談すると、なんとその先生が小児外科の専門ということを知った。
早速、紹介状を書いてもらい、
近くの総合病院へ行くこととなった。
がしかし、予約日は数年に一度の積雪、途中凍った路面でスリップして、
病院に行くのを諦めざるをえなかった。
次に、小児科の先生が他県のこども病院を紹介してくださった。
そこに2週間入院させて、付き添いながらパウチの使い方を習った。
その間も、時々お寺に呼ばれた。
『先祖の供養をしないと良くならない。家系のカルマがある。家の場所が良くない。』等々
食事もろくに取れなくなっていた私は、育児と疲労でどうにでもしてくれという気持ちで参加していた。
その都度お布施を無心される。
生後7ヶ月、2回目手術。
パウチの練習をさせてもらった病院で手術することになった。
人工肛門はそのままで、お尻の穴を開ける手術をする。
絶食するため、泣き叫ぶ息子。
付き添いは絶対だったため、
キャンプで使うようなレンタルベットを借りた。それに薄い枕と布団。
4人部屋。眠れるはずもない。
私は食事もまともに取れず、下痢が続くようになった。
母親に付き添いを変わってもらって、近くの病院に点滴をしに何度か通った。
週末の夜だけ、元夫に変わってもらった。
今回の入院は約1ヶ月。
無事に、息子の手術は成功。
まだ、人工肛門はある状態。
これから、お尻の穴の筋肉を鍛えるためと穴が閉じてしまわないように、毎日お尻に指を入れてリハビリをするレクチャーを受けた。
もちろんこれも私だけができること。
生後10ヶ月ごろ3回目の手術で人工肛門を塞ぐことになった。
入院は1ヶ月超の予定。
今回の絶食は1週間。
私はこっそりと食事をしないといけなくなった。
そして、直ぐに病室に戻らなければいけない。
看護師さんが付き添いがいないと呼びに来る。
手術当日、とうとう私は体が動けなくなった。
『何をしているの?』
看護師さんが私に激を飛ばす。
結局息子を病室から見送った。
本当に息子には申し訳なく思った。
『お母さんなんだからしっかりしなさい。』容赦ない看護師の言葉が私に響く。
本当にダメな母親だ。
最後の手術は息子にとって一番辛い手術だったようで、火が着いたようにずっと泣き叫んだ。
体を縛り付けられ、点滴を2本、管を、1本。尿管をつけた息子は痛々しかった。
私が管類を踏まないようにベットの上に上がり、四つん這いになって息子に顔が見えるようにした。そうしないと泣き止まないからだ。
トイレも一瞬ですませて帰ってくる。
唯一助かったのは、ひとり部屋に変えてもらえたことだった。
好きなように過ごせる。
息子の容態が安定してきた頃、
インターンの先生がよく遊びにきていた。
息子は、よっぽどの事がない限り
普段はいつも笑顔だ。
インターンの先生は張り詰めた心を癒すために、息子に会いにきていた。
息子にはそんな凄い力があるのかもしれない。
誰かも言っていた。
どうにか退院し、下剤は長期で服用しないといけないが、
やっと普通の生活が私たち家族に戻ってきた。
はずだった。
術後の世話とパニック発作
息子の3回目の手術が終わった頃
1歳の誕生日が、やってきた。ささやかな食事とケーキを用意し、お祝いをした。
その数日後、私は、天地もわからない程の激しいめまいに襲われた。
何をやっても止まらない。
テーブルの脚に掴まり、必死で耐えた。
仕事へ向かう夫に助けを求めたが、ダルそうにしていた。
夫は仕方なく近くの病院に連れて行ってくれたものの、
病院では、めまいも治まっており、「何でもない」との診断で帰されてしまった。
その後も
服を着替える時、
トイレで用を足す時、
お風呂に入る時、
どんな時でもめまいがした。
救急車も何度か呼んだが、
その都度、原因がわからず帰された。
お風呂に入るどころか、顔を洗うことすら難しくなっていった。
私は、殆ど寝たきりになった。
そんな中でも、
息子の世話だけは忘れない。
離乳食も始まっているのに、ろくな物も食べさせてあげられない。
パンをちぎって机の上に置き、 時々、起き上がって様子をみる。
食材は時々、実家の両親が届けてくれた。
息子が便秘をすると、折角上手く行った手術が台無しになるため、
毎日便の調子を診て、下剤の量を決める。 それをわからないようにミルクに混ぜて飲ませる。
お風呂の時が一番大変だった。
オムツや着替えの準備をしっかりとし、時間をかけずに体を洗い、 手だけで湯船に浸からせる。
そこから、さっと体を拭き、
オムツをはめる頃には、私のめまいは始まっていた。
グラグラしながら、手袋をしてブジー(肛門手術後の狭窄に対し、肛門括約筋を柔らかくするため)を行い、 オムツだけでも履かせて、横になる。
元夫はその時どうしていたかというと、仕事が忙しいらしく、平日はほぼ午前様。土日出勤。
帰ってきても、私が電気も点けることができない部屋を見て、 「気持ち悪い!」と吐き捨てるだけだった。

憎い大人たちと絡み合う宗教
さすがにこの生活は無謀だとわかり。
実家に私と息子は身を寄せることにした。それが義姉の怒りを買った。 義姉はなぜか私に嫉妬しており、
私の母の愛情を独り占めしたがっていた。
母が私と息子の様子を親身になって見てくれるのが悔しいらしく、
私が甘えていると勘違いしていたのだ。
それは、あのお寺に呼ばれた時にわかった。
例の老女が、「義姉ちゃんはお母さんに優しくしてほしいって言ってる。」 「そうよね!義姉ちゃん?」
義姉はこくりと頷く。
私の苦労など見たこともないのに、なぜか私は羨ましがられていた。
何だ、この光景は…
暫くして、
兄が実家にやってきた。
「私の夫が大変なことになっている!」と叫んでいる。
私は、両親と息子と共に、兄のアパートへ向かった。
そこには、例のお寺の和尚さんと、老女、兄夫婦、そして、元夫がいた。
和尚さんが切り出した。
「元夫さんは、こんな生活は嫌だと言っている。」
「離婚届も用意されている。」
「元夫さんの家にあなたは戻るのか?」 といった話だった。
私はその時微熱もあり、
意識は朦朧としていた。
本当は離婚でも何でも良かった。
義姉は、「先祖供養、土地の供養等に400万円使った」という話もしていた。
この事で、和尚さんが、私の父親をバカにする言葉も発していた。
それに父は激怒していた。
みんな良い大人が自分の事しか考えていない。
息子の事など誰も心配していないのだ。
そして、老女が私に言ってきた。 「いやいやそれは、嫌でしょ?」 「この離婚届は破りましょう。」 そう言って、離婚届を私に破らせた。
とんだ茶番劇だ。
そして、私は
【夫を支えるための10か条】なるものを与えられた。全ては忘れたが主にはこうだ。
「実家に頼らないこと」
「義実家に尽くすこと」
「夫に尽くすこと」
「精神病院には行かないこと」
「お寺に、毎月通うこと」…
私は元夫の所に帰された。
それから、ひとりの
いや、正確にいうと私と息子との戦いが始まった。
私と息子の生存戦略と私に降りてきた言葉
ひとりでどうにかしなければならないことに、絶望していた頃、ポストに宅配サービスのチラシが入った。「これは、まさに天からの蜘蛛の糸」 早速、宅配の手続きをした。
それから、食材が充実した。
朝は、夫より早く起きて食事の準備をしておかなければならない。早朝枕元にバナナをおいて、それを1本食べてから、重い体を起こした。
(バナナは自律神経に良い食材だったことは後で知ったのだが、これが良かったようだ)
夫を見送るまでは、じっと机に座っているが。扉が閉まったとたん横になった。
そんな日々を繰り返していた。
そんなある日、
兄夫婦から近くの小さな遊園地に行こうと誘われた。
これには、【弁当を作ってくるように】というお題付きだ。
私は試されていた。
急だったため、材料の買い出しなどできない。
冷蔵庫に有るものをどうにか形にして、持っていった。
息子はとても喜んでくれた。
私が試されていたとしても、息子が喜んでいる姿を見られたことが嬉しかった。
お昼の時間になって、みんなで弁当を食べることになった。
私の弁当は有り合わせ。
対して義姉の弁当は力が入っていた。
しかし、意外なことに私の弁当を覗きにきた兄の口から、
「これで良いんだよ!シンプルで。」 そんな言葉が飛び出した。
その日、暫くぶりに写真を撮った。私は今まで一番ガリガリに痩せた姿をしていた。
そんな少し楽しかった1日は終わり。
また、束縛された日常に、戻っていたある日。
私はものすごい怒りが湧いてきていた。
痩せこけた体のどこにそんな力が残っていたというのか?
『なぜ、私はこんなにバカにされる必要がある?』お腹の下の方に力が入るのがわかった。
そして…
【私にとって一番大切なものって何?】そんな問いが湧いてきた。
そう、それは…
【自由な意思!】
私が決め、私の思うように、
私はどうしたい。
まず始めにしたことは、
いつもどんな時もニコニコでそばにいてくれる息子の顔を見て。
私の固まってしまった頬の肉を指で上にあげることだった。
鏡の前で笑う練習!
それを繰り返した。
それから、元夫に 「お寺を辞めるため、最後の挨拶をするから連れていってほしい。」と告げた。
元夫もその頃は、お寺に少し不信感を持っていたようで同意してくれたが、ものすごく怖がっていた。
当日は、菓子折り持ってお寺に出向いた。
「息子が生まれる前、病院に行かないとできない。と言ってくださったことは。本当に感謝している。」
「しかし、今後は、こちらは辞めさせてもらいます。」ときっぱり告げた。
帰り際に、老女が 「兄夫婦は400万も使っていない。 その半分だ。」等と今さら訳のわからない言い訳をしていたが、
私には関係ないことだ。
体は震えていたが、私の心は本当に晴れやかだった。
久しぶりに爽やかな風が身体を吹き抜けたようだった。
あとがき
その後、心療内科に行き、適切な治療を受け、半年後には職場復帰していました。 それまでに、なんと3年は費やしていた。
この苦労は何のためにしてきたことだったのか、
今になってようやくわかるようになってきました。
私には、素晴らしい肩書きも何もない。
しかし、この苦行を乗り越えてきた自信だけはあります。
時々、私たちは他人の思惑に翻弄されることもあります。
えっ!私だけ?
その時は、私はどうしたいのか?
問いかけてみてください。
この話が少しでも皆さんの光になりますように…
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