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19450809ー20260809 番外編11:02

おみやげを喜んでくれた。

両親と母方の祖母、母の妹である叔母に買って帰った修学旅行のおみやげである。

あれはなんていう焼き物だったか…貫入があり、深い緑が叔母好みだと買い求めたコーヒーカップは、地縁のある波佐見焼ではなかったが、気に入ってくれた。

祖母にはざぼん漬けやらなんやらを。
食べ物はどうしても日持ちする物に限られてしまう。
だが、長崎出身の祖父の地を感じる味を、祖母はたいそう喜んでくれた。

ほろ苦甘い、今風に言い換えればざぼんピールかな。


中学校の時の修学旅行先は、長崎だった。


広島から長崎へ行く。
被爆地から被爆地へ。
母方の祖父の生まれた地へ。


あの時の旅行のしおりは、どうしただろうか。
ずいぶんと書き込みもしたような記憶があるのに、どこへやってしまったのだろう。

広島と同じく路面電車が市内を走り、親近感があった。「蛍茶屋」という行き先表示を覚えている。
眼鏡橋や、大浦天主堂を見学したとか、けっこうあちこち坂があったなとか。
旧グラバー邸にも行ったし…

王道コース。


平和公園の、あのポーズを誰かが真似て写真を撮っていた。「中学生」それは一部を除き、揃いの制服を着たおバカのようなものだ。私だってそうだったに違いない。そのポーズで写真は撮っていないけれど。

事前の学習で長崎の歴史を学んでいても、「同級生と行く旅行」という感覚。平和学習として身になったかどうかは怪しい。


しかし、関連施設を訪れたとき、
地元と同じ空気を感じた。


かなしい歴史を携えていても、たゆまぬ努力で日常を重ねてきた場所のしずけさは、ふざけた中学生の無駄口を閉じさせるものだ。



広島に修学旅行で来てくれる子どもたちも、大方そのようなものだろう。
それで良いのだと思う。

でも、いつかの日か。
何かのきっかけで記憶の封印が開き、長崎や広島、それ以外のどこかに思いを馳せ、大切なものに気付けば。

いつか分かれば、それで良いのだと。




ただ、
私は彼らとひとつだけ違うところがあった。
クラスで長崎に地縁があったのは私だけだった。

ここ長崎で、もし祖父が原爆の犠牲になっていたら。私はその地を踏むことはなかった。

不思議な感覚だった。

祖父が見たであろう景色を、
時を経て、
孫である私が見る。

見ることがなかったかもしれない景色。


そこだけ、
同級生とは少し違う修学旅行だった気がする。





私はかつて美術部だった。
課題はきちんとこなしていたが、大所帯の部活があまり好きではなかったなあ。

女子特有の「仲良し風」も苦手だったし。
「仲良し」ならばともかく、「仲良し風」が気に入らなかったのだ。

派閥争いも面倒くさい。それを上手いことやり過ごしながら「ごちゃごちゃ言わんと黙って絵を描けよ」と、内心思っていた。

絵筆をとらなくなって久しい。
道具もしまい込んだまま。
もう、だめかな。

お気に入りの面相筆があったのだけど。


でも、絵を見るのは今でも大好きだ。


好きな画家のひとり、ヒグチユウコさん。
百科事典や欧州の古書の挿絵のような、この緻密なタッチと世界観が好き。

グロテスクなものでもなぜかキュートに仕上げてしまう、この独特の雰囲気。細部を見ていると、自分も入り込んでいけそうな気になる。


ヒグチさんが、原爆の日に寄せてイラストを描かれていた。



このイラストを見ると、その日を思い出す。
そういう思い出し方があっても良いのでは?

毎日毎日考えていなくてもいい
ずっと発信し続けていなくてもいい

どんなかたちでも忘れずにいること

絶対に忘れずにいること

願うだけでは足りないかもしれない
それでも



たとえ、それでも。



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