#シロクマ文芸部 光に溶ける私~短編フィクション小説~
小牧幸助さんのお遊び企画「ゆっくりと」に参加です。
締切は3/18(水)23:59だそうです。よろしくお願いします。
※この物語はフィクションです。
ゆっくりと、私は消えていった。
誰にも知られないうちに、少しずつ。
最初に削除したのは写真だった。
記録クラウド〈アーカイブ・セル〉の中で、私の人生を形づくっていた画像ファイルが次々に消えていく。
指先の動きとともに、笑顔の輪郭が、空の色が、かすれた影となって溶けていく。
私はこの作業を几帳面に続けていた。
過去を剥がすように、日記、投稿、メッセージ。
そのすべてを消していく。
理由は、自分でもうまく説明できなかった。
ひとつだけはっきりしていたのは、このまま残り続けるのが、どこか怖かったということだ。
クラウド上には「私のままの私」がいて、何千という写真と文章が、私として誰かの時間を流れ続けている。
それを見守る今の私は、どちらかといえば観測者に近い。
現実世界の存在よりも、データの中の私のほうがよほど生きている。
そんな逆転が、少しずつ耐えられなくなっていった。
一度、誰かに消されればいいのにと思ったこともあった。
けれど、結局それは他人に任せたくなかった。
私の終わりは、私の手で決めたい。
それは古い人間的な願いなのかもしれない。
削除作業を続けて三日目、ひとつだけ見つけた。
一通の音声メッセージ。
差出人は「R」。
友人だったのか、恋人だったのかは、もう思い出せない。
しかし、その声を聴いた瞬間、胸の奥がかすかに疼いた。
ねえ、消しちゃっても、私の中に残るからね。
たったその一言だけ。
どんな場面で言われたのか、なぜ残っているのか、もうデータの関連情報は失われていた。
でも私は、そのファイルだけを削除しなかった。
あの声は、生きた時間の手触りみたいだった。
クラウドでもスクリーンでもなく、確かに誰かがいた痕跡だった。
それから少しずつ、私は別の方法を選んだ。
いったん削除した記録を、空間の奥へ「沈める」設定に変えたのだ。
誰もアクセスできない層。
検索にも残らない、光の届かない場所。
そこに、私自身を一緒に沈めていった。
最後にRのメッセージだけを残して、私は完全消去をセットした。
タイマーは三日後の午前五時。
操作を終えると、胸の中に奇妙な安堵が広がった。
まるで、二度目の眠りにつく瞬間のように。
三日のあいだ、世界は特に変わらなかった。
人々はアップデートを投稿し、AIたちは記録を整理し、空には広告が流れ続けた。
その中で、私はゆっくりと輪郭を薄くしていった。
もはや誰も、私という存在の座標を見つけられない。
ただ、どこかで誰かが、ふとRの声を再生するかもしれない。
消された私の名残に触れた誰かの記憶の中で、その瞬間だけ、新しい私が生成されるかもしれない。
もしそうなったとしても、きっと悪くない。
私はもう、残り方を選ばない。
光の粒が散っていくのを感じながら、静かに思う。
ゆっくりと、私は消えていった。
そして、ほんの少し、世界は軽くなった。
~ 終 ~
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