#シロクマ文芸部:短編小説「また明日」~帰らぬ夜を越えて~
小牧さんのシロクマ文芸部 お遊び企画「また明日」に参加します。
締切は12/31(水)23:59だそうです。
短編小説:「また明日」~帰らぬ夜を越えて~
朝の光が、カーテンの隙間から差し込む。
トーストの香りと、コーヒーの匂い。ぼくの鼻はそれを覚えている。
彼女は髪をまとめながらぼくの頭をなで、「行ってくるね。また明日」と言った。
ぼくは尻尾をふり、玄関まで見送る。
ドアが閉まる音。
靴音が遠ざかると、部屋はすぐ静かになった。
ぼくの仕事はここからだ。
ソファの上、玄関の前、窓の下。
いつもの場所で、彼女の気配を探す。
風の匂い、通る人の声、夕方の電車の音。
どれも、彼女が帰ってくる合図じゃない。
だけど、ぼくは知っている。
夜になれば、鍵の音。
ドアが開いて、笑い声がこぼれる。
「ただいま」
その言葉を聞くまで、ぼくの一日は終わらない。
……あの日までは。
雨のにおいのする朝、彼女は傘を差して出かけた。
「すぐ帰るからね。また明日」
ぼくは尻尾を振って見送った。
でも、その夜、鍵の音はしなかった。
一日、二日、三日。
窓の外の色が何度も変わった。
食器は冷たく、電気は消えた。
ぼくは玄関に座り続けた。

夢の中で、彼女の足音を探した。
何度目かの夜、ようやくドアが開いたとき、入ってきたのは知らない人だった。
彼女の妹。
遥、と呼ばれる声。
泣きながらぼくの頭をなでた。
「お姉ちゃん、事故にあって」
言葉の続きを、ぼくは理解できなかった。
匂いが違う。
声も違う。
ぼくの知っている「また明日」は、来なかった。
季節が変わった。
桜の花びらが風に舞う。
ぼくは預けられた家でも、食事のあと玄関を見つめる。
だれも来ないと知っていながら、それでも耳を澄ます。
待つということしか、ぼくにはできなかった。
そしてある雨の夜、遠くで車の音がした。
足音。
胸の奥で、何かが弾けた。
この足音を知っている。
雨の匂いといっしょに、懐かしい空気が流れ込む。
ドアが開いた。
濡れたコート、震える指。
「ただいま」
声が、あの声だ。
ぼくは気づけば走っていた。
尻尾がちぎれそうで、息が荒れて、涙がにじむほど。
彼女は膝をつき、ぼくを抱きしめた。
腕の中で、彼女の涙の匂いがした。
何度も何度も呼ぶ名前の音が、胸に溶けた。
ぼくは吠えた。
泣くように、名前を叫んだ。
彼女が笑った。
泣きながら笑った。
「ごめんね、また来たよ。また明日も、ね」
ぼくは頬を舐めた。
涙の味が、雨の匂いと混ざって、やっと伝わった。
この手の温もりがあれば、ぼくは何度でも待てる。
また明日は、まだ終わっていなかった。
~ 終 ~
最後までお読みいただきありがとうございました。

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