#シロクマ文芸部 風に託した祈り~短編フィクション小説~
小牧幸助さんのお遊び企画「花びらを」に参加です。
締切は3/25(水)23:59だそうです。よろしくお願いします。
※この物語はフィクションです。
風に託した祈り
花びらを、空に放つと、それは誰かの願いになって飛んでいく。
そう信じて、私は毎夕、公園のベンチに座る。
古い桜の木の下で、地面に散った花びらを拾い集める。
指先でそっと撫でて、胸に当てて、息を吹きかける。
そして、空に向かって放つ。
七十五歳の春、私は妻を亡くした。
大きな病気でも事故でもなく、ただ静かに眠るように。
その日から、家の中の音が消えた。
時計の針だけが、ひとりで動いている。
子供たちは遠くに住み、孫も忙しい。
電話の向こうで「元気?」と聞かれても、言葉がうまく出てこない。
寂しい、なんて言えない。
心配をかけたくないから。
だから、私は花びらに話しかけるようになった。
「今日も妻に会いたいな」
「孫の顔が見たいよ」
「誰かと少しだけ、おしゃべりしたい」
花びらは、黙って聞いてくれる。
そして風に乗って、どこかへ飛んでいく。
私の小さな願いは、きっと誰かの心に届くはずだ。
その日も、いつものようにベンチに座っていた。
四月も半ばを過ぎ、桜はすっかり葉桜になっていた。
でも、まだ小さな花びらが、地面に残っている。
ふと、隣に若い女性が腰を下ろした。
二十代後半だろうか。膝には三歳くらいの男の子。
疲れた顔をしている。
赤ちゃんの世話で寝不足なのか、目の下に薄い影がある。
「おじいちゃん、いつもここにいるね」
私は驚いて顔を上げた。
こんな時間に、話しかけられることなどほとんどなかった。
「うん。この桜が好きでね」
男の子が、私の手元をじっと見つめている。
拾い集めた花びらを、小さな山にしている。
「花びら、集めてるの?」
女性が微笑む。
私は頷いて、一枚を手に取った。
「これを空に飛ばすとね、願いが叶うんだよ」
男の子が目を輝かせた。
「ほんと?僕もやってみたい!」
私は、花びらを彼の小さな手に乗せた。
「何をお願いする?」
男の子は少し考えて、母親を見上げた。
「ママが、いつもニコニコしててほしい。お仕事もがんばれるように」
女性の目が、うるっとした。
私は、自分の胸が温かくなるのを感じた。
「じゃあ、一緒に飛ばそう」
三人で、花びらを空に放った。
夕暮れの風に乗り、ゆっくりと舞い上がる。
オレンジ色の空に、白い点々が溶けていく。
「きれい……」
女性が呟く。
男の子は手を振っている。
「行ってらっしゃい!願い、届けてね!」
その日から、彼女たちは時々公園に来るようになった。
名前は美咲さん。
シングルマザーで、パートをしながら息子の翔太を育てている。
私たちは、花びらを飛ばす時間を共有するようになった。
翔太の「大きくなったらパパの車みたいの作りたい!」
美咲さんの「明日も笑顔でいられますように」
私の「みんなが元気でありますように」
花びらは、いつも私たちを繋いでくれた。
ある雨の日の夕方、美咲さんが駆け込んできた。
傘もささずに、びしょ濡れだ。
「おじいちゃん!大変なの!」
息が切れている。
翔太が熱を出して、急に高熱。
パート先も休めず、今日はどうしようかと。
私は、ベンチの下から古い傘を取り出した。
「これ、使って。家まで送るよ」
桜の木の下を、二人で歩く。
雨音が、私たちの代わりに言葉を運んでくれる。
美咲さんのアパートに着くと、翔太の小さな声が聞こえた。
「ママ、帰ってきた?」
私は、持っていた紙袋を渡した。
中には、コンビニで買ったポカリとゼリー。
「これ、食べて元気出してね」
美咲さんの目から、ぽろりと涙がこぼれた。
「ありがとう、おじいちゃん。いつも……ありがとう」
その言葉に、私の胸が震えた。
妻が生きていた頃と同じ、温かい響き。
次の晴れた日、美咲さんが小さな包みをくれた。
「これ、おじいちゃんに」
中には、手作りの栞。
桜の花びらを樹脂で閉じ込めたものだ。
「花びら、ずっと残るようにしたの。私たちの願いも、ずっと続くように」
私は、涙を堪えて笑った。
「これでいい。ずっと、みんなのそばにあるよ」
その夜、家に帰って妻の写真を見ながら呟いた。
「ねえ、聞いて。今日も花びらが、いい仕事してくれたよ」
窓の外では、風が静かに吹いていた。
きっと、どこかで誰かの願いを運んでいるのだろう。
公園の桜は、今年も満開に咲いた。
私はベンチに座り、花びらを一枚手に取る。
今日の願いは、ただ一つ。
「みんなが、幸せでありますように」
花びらを、空に放った。
それは、ゆっくりと、夕焼けに溶けていった。
~ 終 ~
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