見出し画像

#シロクマ文芸部 未来一分前 ~静止した早朝の記録~短編小説

小牧幸助さんのお遊び企画「早朝に」に参加します。

締切は本日、1/28(水)23:59だそうです。よろしくお願いします。

未来一分前 ~静止した早朝の記録~


早朝に、町の時計台が一分だけ早く動いた。

それを知っていたのは、町で私ひとりだった。

鐘の音が6回、まだ眠る空気を切り裂いた。

冷たい金属音が胸の奥で小さく反響する。

音が消える頃、通りの鳥たちが飛び立ち、パン屋のシャッターが上がる。

けれど、その動きが、どこか違って見えた。

人の時間が、針よりもわずかに遅れているように。


吐く息が白むたび、空気の密度が変わる。

足元の石畳を踏む音が、半拍遅れて返ってきた。

音が私に追いつけない。

時計台を見上げると、真鍮の針が朝の光を切り裂くように輝いていた。

その光は、私を呼び止めているようだった。

広場を抜けると、パンの香りがまだ漂ってこない。

通りの角では、昨日と同じ少女が同じ場所でリボンを落としている。

それを拾おうとする仕草まで、まったく同じだった。

パン屋の店主が顔を上げ、いつもの声で言う。

「おはようございます」

昨日と寸分違わぬ抑揚で。

私は答えられなかった。

言葉を出しても、届かないことを知っていたから。

町の人々は、まるで映像の再生を繰り返すように動き続けていた。

時間が流れているのではなく、再生されているのだ。

午前七時。

音が途切れた。

風が止まり、影が止まり、町が一瞬にして凍りついた。

針だけが進んでいた。

その光景の中で、私は静かに確信した。

この町は、何者かによって観測されている。

脳裏に白い部屋の記憶が蘇る。

無機質な光。

腕に貼られた銀色の金属片。

「あなたには、この町の変化を観測してもらいます」

誰かの声。

けれど、その顔がどうしても思い出せない。


時計台の裏に回ると、知らないはずの扉があった。

取手を押すと、冷たい風が頬を滑り、薄暗い部屋が姿を現した。

そこには端末がひとつ。

黒い画面に白い文字が浮かんでいる。

――観測システム・動作中。

その言葉を読んだ瞬間、胸の奥に疼くような既視感が走った。

私はこの表示を前にも見たことがある。

何度も。

何度も。

画面を覗き込むと、そこに「昨日の私」が映っていた。

動かない唇が、かすかに形をつくる。

「まだ、気づかないで」



光が弾け、世界が一度だけ沈黙した。


目を開けると、町は再び息をしていた。

パンの香り、同じ声、同じ挨拶。

ただ、時計台の針だけが6時の位置で止まっていた。

空気の層がひとつ剝がれたように薄く、透き通っている。

私は広場の中心に立ち尽くし、懐中時計を開いた。

秒針が、こちらを見つめているように止まっている。


空を仰ぐ。

雲の流れが早い。

世界が一分だけ、未来へ進んでいる。

それでもこの町は、昨日を繰り返している。

私は息を吸い、目を閉じなかった。

その一分を越えてゆきたかった。

観測される世界の果てで、自らの意識だけが確かに進んでいることを知っていた。

遠くで、何かが軋む音がする。

それは壊れた時計の音か、止まっていた時間の音か。

わからない。

ただ、次の瞬間、世界が静かに「未来一分前」を通り抜けた。

私ひとりを残して。


  ~ 終 ~


#シロクマ文芸部

いいなと思ったら応援しよう!

伊藤ようこ| 強み×IT×AIで女性起業家をサポート| 自己受容から始まるしなやかな生き方note あなたの応援が、私の毎日の創作の原動力になっています。最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。いただいたサポートは、書籍の購入など、これからの活動に大切に使わせていただきます。みなさんのおかげで、毎日noteを書くことが楽しみになっています。

この記事が参加している募集